2021/12/09 - 2021/12/09
31位(同エリア193件中)
Decoさん
この旅行記のスケジュール
2021/12/09
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万田坑ステーション(受付)
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万田坑正門
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山ノ神祭祀施設
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事務所跡
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第二竪坑
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第一竪坑跡
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変電所
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第二竪坑巻揚室
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職場
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桜町トンネル跡
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沈殿池
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この旅行記スケジュールを元に
「近代化産業革命遺産の光と影」第三弾は、舞台を熊本県荒尾市へ移します。
12月の暖かい一日、世界遺産の万田坑跡を訪れました。
(2022/01/08公開)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
PR
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世界遺産・万田坑の見学は、ここ「万田坑ステーション」から始まります。入場券を購入。私が見学して、気づいたことなど記しておきます。
【料金について】
通常は420円ですが、先月大牟田市の「石炭産業科学館」を見学しており、その半券を提示すると330円(団体料金適用)で見学できました。半券は翌月末まで有効です(逆の順序も同様に割引適用)。また、JAF会員も団体料金適用になります。
【ガイドについて】
万田坑もガイドを受けることができます。午前10時から、一時間おきに催され、最終は15時。ガイドを受けた方が格段に理解が深まります。必須と言っても良いかと思います。今回10時ちょっと過ぎに到着してすぐ見学に入れましたが、本当は10分くらい前までに到着した方が良いようです。
万田坑のすぐ近くには「万田石炭資料館」という無料で見学できる施設もあります。こちらを先に見た方が理解が深まるかも…と思い、スタッフの方に相談したら、「今から10時発のガイドが出るので、万田坑を先に見た方が良い」とのことでした。見学出発です!万田坑 名所・史跡
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万田坑ステーションから、ガイドの方と万田坑入口へ歩きます。
Deco「どこかで見たような気がしますね」
ガイドの方「『るろうに剣心』のロケ地になりました」
…なるほどね。
映画に使われるだけあって、フォトジェニックというのか、視覚的に魅力のある建物です。万田坑 名所・史跡
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万田坑案内図です。
有料ゾーン、無料ゾーン併せてかなり広い敷地が残されてます。
建物は失われたものも多いのですが、残存しているものもかなりあります。
現存建築物は、第二竪坑(人が昇降機で地下の坑道に出入りした坑)と、その昇降機を収めた建物が中心になっています。 -
正門から入ります。ここから有料エリアです。
万田坑は三池炭鉱の主要坑の一つ、1902(明治35)年に出炭が開始され、1951(昭和26)年に採炭が終了しています。明治期に幾つかの坑が設けられた三池炭鉱。明治期の坑の中では最後に設けられ、当時最も近代的な設備を誇りました。 -
まずは、山ノ神様にお詣り。三川坑同様、愛媛県の大山祇神社の神様が分祀されています。
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山ノ神様の後ろ側の建物は、第二竪坑巻上室です。こちらは後ほど見学しますが、明治時代の建築物。英国から技術を導入したので、建物も英国風そのものです。窓の形など、今見てもはっとするような美しさがあります。
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続いて、「事務所(旧扇風機室)」です。
こちらは大正期の建物です。
元々は抗内に空気を送り込む扇風機が設置してあったそうですが、後には倉庫や事務所として使われるようになったそうです。 -
煉瓦の積み方は英国風。煉瓦を横に並べた列、縦に並べた列が交互に積み上げられています。
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側面から撮影。
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「事務所(旧扇風機室)」の正面入口。古びてはいますが、堂々とした風格を感じます。
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「事務所(旧扇風機室)」側面~背面です。
向かい合って「倉庫及びポンプ室(旧扇風機室)がありますが、補修工事中のために近寄れず…残念! (ガイドの方のお話では、本来こちらを通って第二竪坑口へ向かうとのこと) -
補修工事中のため迂回するコースで向かいます。
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補修工事中の建物(安全灯室及び浴室)です。歴史を感じさせる建物。工事が終わったら、また訪れてみたいと思わせる雰囲気です。
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第二竪坑へ入ります。
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イチオシ
竪坑内です。レールが敷かれています。基本的に鉱員さんたちの昇降に使用された竪坑ですが、資材の搬入などにも使われたそうです。
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ガイドの方から、第二竪坑の説明を受けます。
正面右に見える細長い箱のようなものは、鉱員さんたちが地下の坑道に降りるエレベーターのようなもの。これをウィンチで吊して地上と坑道を昇降していました。あまり大きくないけど、25人乗りだそうです…密ですね。高所恐怖症の私は、吊り下げると聞いただけで、ドキドキ…。
ガイドの方は、ポイントを絞って的確に説明されていて、とてもわかりやすかったです。なんでもお祖父様・お父様と二代続けて炭鉱マンだったそうで、炭鉱への思い入れが感じられました。
また、マイクと携帯型の小型スピーカーを装着されており、聞きやすかったです。時節柄マスクは必要でその分聞き取りにくくなるし、特に団体で人が多い時は重宝すると思います。荒尾市、よく考えていますね。 -
炭鉱マンたちを支えたライト付きのヘルメット。
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竪坑跡。現在は塞がれているようです。
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その上には、竪坑櫓が見えます。
この上はまぶしいばかりの空。下は地下奥深い坑道… -
竪坑の管理室(連絡室)でしょうか…。地下への入口という雰囲気が漂います。
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第二竪坑の見学を終えて外へ出ます。
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第二竪坑櫓の勇姿。ガイドの方いわく
「きれいになりすぎました…赤く錆ていた方が雰囲気が出るのに」
確かに、アイボリー系のきれいな塗装です。茶色などの少し暗めの色だったらよかったのかも知れません。でも、世界遺産に認定されてるし、ちゃんと塗装しておくのは良いと思います。 -
第二竪坑櫓付近から撮影した三池炭鉱専用鉄道敷跡。手前には次のガイドさんのグループが見えます。中学生の見学のようでした。
この左手は広場になっており、選炭場がありました。このあたりから石炭を専用鉄道で三池港へ運び出していたようです。 -
北方には、もう一つの世界遺産、宮原坑も見えました。
(レンズの不具合で見苦しい写真になり、申し訳ありません)
万田坑から炭鉱専用鉄道敷跡を歩いて宮原坑まで行くこともできるそうです。 -
選炭場や第一竪坑跡の先に、荒尾アソニット工場跡が見えます。1963年の三池炭鉱三川坑炭じん爆発事故の後、家族の働き手を失った女性が働いたそうです。事故の補償はお話にならない程低額で、それを補う意味合いがあったらしい…のですが、その労働条件と賃金も、最低レベル以下だったらしい。1965年時点で一日働いて120円(当時とは物価も全然違いますが)で、国会でも問題になったらしいです。
この工場は、平成7年に閉鎖されたとのこと。三池炭鉱の閉山と同じ頃だったのでしょうか。 -
選炭場を横切り、第一竪坑跡へ。採炭された石炭を坑道から運び出していた場所で、第二竪坑をはるかにしのぐ大きな櫓があったそうです(ガイドの方は第一竪坑と櫓が残っていたら…と悔しがることしきり)。1951年の万田坑採炭終了と共に、北海道の三井芦別炭鉱へ移されました。
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説明板を撮影したものです。第一竪坑櫓、往時は大規模な櫓で、ガイドの方が惜しむのも納得です。
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第一竪坑跡からデビー・ポンプ跡へ。
デビー・ポンプとは、排水用ポンプ。採炭作業では大量の地下水が出てくるので、それを排出するのが大変でした。従来、ボイラーとポンプが共に坑内に設置されていましたが、いったん水に浸かると使えなくなります。デビー・ポンプはボイラー部を地上に置くことで、浸水してもすぐに復旧できるようにしたものです。
このポンプ、三池港築港の指揮を取った団琢磨が勝立坑で初めて導入したものです。 -
説明板の拡大です。デビー・ポンプも後には電力化で使用されなくなり、建物は変電所として使われたそうです。後のエネルギー革命を予見させるような流れに思えます。
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続いて変電所です。
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こちらも説明板より。七浦坑(万田坑の北にある宮原坑からさらに北にある坑)への配電も行われていたようです。
1979年の写真もあって、1951年の採炭終了後も一部施設使用されていたのですね。 -
変電所を出て、道路側へ廻ります。かつての汽罐場(石炭を燃焼させて蒸気を発生して動力を作っていた建物)跡のあたりです。ここからは第二竪坑櫓と第二竪坑巻揚室が見えて、ガイドの方のお話では撮影ポイントなのだそうです。
この後、手前の煉瓦造りの建物、巻揚室へ向かいます。 -
第二竪坑巻揚室に入ります。
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入口からすぐに階段を上ります。
(入口付近は人が多くて撮影しにくく、この写真も帰り際にかろうじて撮りました) -
二階に上がります(二階と言っても、通常の建物よりずっと高い位置にあります)。
第二竪坑櫓は主に人の昇降を行っていましたが、巻揚室は、その操作を行う場所で、その機械もあります。 -
別方向にも巨大な鉄製(?)のロープが巻かれています。
この操作・制御は自動化されておらず、左のメーターで鉱員さんたちが乗ったケージの深度を見ていたそうで…一つ間違えたら大事故だから、重い責任を伴う仕事だったと思います。 -
メーターの部分ですが、下に、プラットホーム264m、ポンプ座(?)274mとあって、これは深度なのでしょうね。その横に、「ロープの速度1分270m」とあります。一分足らずで坑道まで昇降していたようです。秒速にすると4.5m…かなり速いです。鉱員さんたちは、怖かったでしょうね。
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光線の具合で大変読みにくいかと思いますが、巻上機の運転手心得が掲示されていました。人の命を預かる重大な仕事ですね。
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施設概要、運転手心得など…
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こちらの黒電話、地下の坑道と繋がっていたそうです。
地下から、特に用がなくても、地上の様子を尋ねたり、電話がかかってきたそうです。鉱員さんたちは、一度地下に降りれば8時間ずっといたので、地上が気になっていたのでしょうね。
万田坑は1951年に採炭作業が終了しています。それから世界遺産認定(2015年)まで実に64年。よく残っていたと思いますが、坑道の排水作業のために、一部施設は三池炭鉱の終焉(1997年)まで稼働していたそうです。 -
上部がアーチ形になった窓。外から見ると優雅ですが、内側の機械類と共にあるので、無骨ささえ感じます。
世界遺産「明治日本の近代化産業革命遺産」ですが、明治維新まで日本は封建時代で鎖国、西洋文化も限られた範囲でした導入されていませんでした。それが短期間で産業化に至った…それが評価されたのだそうです(ガイドの方のお話)。 -
窓から見た風景。今は住宅街や里山風の風景ですが、昔は炭鉱の社宅や付帯設備が広がっていたようです。
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巻揚室から降りて、ガイドの方の説明は終了します。
万田坑は見所が多くて移動距離も長く、高低差に階段の昇降もあってガイドの方も負担が大きいと思います。今回は12月とはいえ暖かい日でしたが、厳冬や真夏の頃はガイドも大変だと思います。ありがとうございました!
(写真は、巻揚室の脇、左手は汽罐場の跡と思います) -
素晴らしい施設、素晴らしいガイド…去りがたい思いの中で敷地を見ると、車庫に引き込み線があり、機関車の車庫だったのでしょうか?
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その奥には平屋の建物がありました。
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この建物は「職場」と呼ばれ、万田坑で使用される機械の製作や修理を行っていました。
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「ご苦労さん」「安全確実」…当時の万田坑の雰囲気が偲ばれます。
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クリスマスツリーがありました。万田坑も、もうすぐクリスマスを迎えます。
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「職場」前から、巻揚室、第二竪坑、事務所を撮影。全体の雰囲気や位置関係がおわかりいただけるかと思います。
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正門から外に出ます。「桜町トンネル」がありました。
万田坑の敷地の下を通り、荒尾市(熊本県)と大牟田市(福岡県)を行き来する一般の人が利用する通路でした。130mもあって、かなり長かったようです。 -
駐車場へ戻る途中、煙突の跡が見えました。この周辺には汽罐場があり、その排気用の煙突の基部が残っています。三池炭鉱が閉山されたとき、倒壊した場合の危険性を考慮して取り壊されたそうです。全部残っていたら、壮観だったでしょうね。
(この写真は隣接する「まるごとあらお物産館」の展望スペースから撮影しています) -
イチオシ
炭鉱の地下の坑道からは、大量の水が出てきます。その水を貯めて不純物を沈殿させて上澄みだけ流していたそうです。それがこの「沈殿池」。
今は役目を終えて、万田坑を見守るかのように静かに水を湛えていました。 -
万田坑正門から駐車場へ戻る途中、絶妙な場所にあるのが「まるごとあらお物産館」。万田坑見学は、見どころが多くて移動距離も長いので結構疲れます。ここで一休みします。建物の上には展望スペースもあります。
まるごとあらお物産館 お土産屋・直売所・特産品
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石炭をイメージしたソフトクリーム。
万田坑有料ゾーンの券を購入すると、ソフト(300円)とコーヒー(200円)に使える50円の割引券をもらえます。人数が多くなると、トータル金額で結構お得感あり。
冬でしたが暖かい日で、歩き疲れていたのでなおさら美味しさが増しました。 -
荒尾の名産品が販売されていました。
観光客向けかと思いますが、地元の方らしき人が、お酒(焼酎)の発送を頼んでいました。お歳暮などにも利用されているようです。よくよく売場を見れば、有明海名産の海苔なども意外に安く、自家用に購入しました。 -
小岱焼も展示販売されています。
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物産館の横にも駐車場があり、これは自販機の側面です。よくできたデザインに写真。思わず撮影しました。
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続いてすぐ近くの万田炭鉱館へ(駐車場もあり)。
万田炭鉱館 美術館・博物館
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地域のコミュニティセンター的な建物ですが、万田坑の建物を思わせる煉瓦風の外観で、中には展示室もあり無料で見学できます
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坑内作業の時代ごとの変遷などが、ジオラマ風に視覚から理解できるようになっていて、これは興味深かったです。
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展示室。三池炭鉱や万田坑のことがわかるようになっています。
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写真の展示も。これは接写は控えてくださいとのことでしたが、昔の炭鉱の風景や生活ぶりなどに興味がある方には見応えのある展示です。
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昔の万田坑付近の地図です。周囲には社宅や付随設備があったことがわかります。巻揚室の二階から見た風景と重ねると興味深いです。
地図を良く見ると、幼稚園、プール、公園、講堂にテニスコートまであります。一般の炭鉱住宅は粗末なものだったかも知れませんが、職住近接の住宅街という感じもします。
万田炭鉱館。無料ですが、よくよく見ると興味深い展示や資料があって、行って良かったです。担当のスタッフの方も親切で、パンフレット類などいただきました撮影やネットに上げる点も丁寧に確認してOKをいただき、ありがとうございました。 -
そろそろお昼になってきました。このあたりで食事できる店もよく知らないし、まるごとあらお物産館のメニューにカレーがあったことを思いだしました。
こちらはタン坑カレー。石炭をイメージした黒めのルーです。スパイシーですが、どこかまろやかさも感じられて美味しかった。お肉はタンを使っていたようです。まるごとあらお物産館 お土産屋・直売所・特産品
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もう一つは荒尾市の名物を使った荒尾梨カレー。こちらは甘口かと思いましたが…確かに梨の部分は甘みがありますが、ルーは意外にスパイスが効いていました。
どちらのカレーも700円で、ドリンクを付けて800円でした。双方、同じカレーでもまったく味わいが違います。お値段からすれば十分満足、個性的な味も楽しめました。 -
カレーを食べていた正面の窓からは、万田坑が見えました。
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万田坑は、三池炭鉱の史跡の中でも建築物などがよく残っており、写真映えもする施設です。それゆえ撮影に気を取られて、ガイドの方のお話を聞くのに集中力を欠いていました。万田坑は見所も多く、それゆえガイドの方からの情報量も多い。後から思い返せば、とても大切なことを話されていました。写真はガイドの後でも廻って撮影できたのですから。
でも、万田坑はさすがに世界遺産。三池炭鉱には7つの大きな坑がありましたが、その中でも最もよく遺構が残されています。ガイドを含めた見せ方説明の仕方などよく考えられていて、荒尾市の力の入れようがうかがわれました。
今回の旅行記、長くなってしまいましたが、ご覧いただきありがとうございました。
*三池炭鉱は昭和6年頃までは囚人労働も行われていました。それは酷いもので、自殺者もいたとか。ただし、炭鉱が機械化・近代化する中で採炭作業で必要とされる技能や意識も高まり、囚人労働は適さないようになっていったそうです。
万田坑は当時最先端の技術を導入されており、囚人労働はなかったとのことです。
その意味では、明治時代の前近代的(=酷い労働環境)な石炭産業から、近代化していく姿を体現したのが万田坑だったのかもしれません。万田炭坑館にあったかつての地図の、周辺の福利厚生施設もそのことを裏付けているように思えます。ただし、第二次大戦中は朝鮮半島や中国大陸からの外国人労働が行われており、事故で犠牲になった方々がいたことは記しておきたいと思います。
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この旅行記へのコメント (6)
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- 万歩計さん 2022/01/09 23:25:06
- 素晴らしい旅行記
- Decoさん、こんばんは。
万田坑、私が見落とした箇所も丁寧に見られて、石炭産業の興廃の象徴が三池炭坑の歴史であると再確認しました。特に荒尾アソニットの件は私の記憶にありません。きっと説明に離れて、あちこちと写真を撮っていたのでしょう。
旅行記の記述が素晴らしいです。他の方のコメントにもあるように、ある個所はわかりやすい表現で淡々と記述し、別の個所はご自分の感想を述べられ読者も思わず考えてしまいます。
今後の旅行記も楽しみにしています。
万歩計
- Decoさん からの返信 2022/01/10 16:03:44
- Re: 素晴らしい旅行記
- 万歩計さん、こんにちは。
石炭産業の興廃の象徴…まさしくその通りかもしれませんね。地域全体の規模では筑豊の方が大きいのかも知れませんが、三池炭鉱は大牟田周辺に凝縮された形で、坑もいくつもあったけど中では全部つながっていたから一体感もありますし。しかも三井が良くも悪くも独占してましたから。機械化も早かったし、その規模も大きかった。だから最初期から最後まで歴史が連続しているし、かなり遅くまで生き残ることができました。
説明から離れてあちこち写真…私も同じです! ガイドの方の説明が大切だけど、やっぱり写真を撮影したい。両方とも集中力が必要だから難しいです。これは三池炭鉱だけではないようですが。
私も聞き逃していた話が結構あって、同行していた家族から教えてもらったこともあります(^^ゞ
過分なお褒めの言葉をいただき、ありがとうございます。
この後、三池炭鉱は幾つかの旅行記が準備段階ですが、メジャーな施設は宮原坑で一区切りになって、あとはマニアックなものが2~3公開できればと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。
Deco
-
- ちちぼーさん 2022/01/09 22:23:38
- 今度は Decoさんの旅行記と一緒に
Decoさん、こんにちは。
行くまでは、世界遺産だからって思って行ったのですが、ガイドさんのお人柄に触れ
淡々と語る口調により炭鉱で働くということの大変さを感じました。
とは言え、予習も復習も中途半端な私は、万田坑について理解できていないことも多かったのですが
Decoさんのわかりやすい解説がとても参考になりました。
また行くことがあったら、この旅行記を読みこんでいきたいと思いました。
この場所で働いた方のご苦労があっての今の生活、感謝しなければと思いました。
そして、多くの方が見学にいって欲しいと思います。
ちちぼー
- Decoさん からの返信 2022/01/10 15:14:34
- Re: 今度は Decoさんの旅行記と一緒に
- ちちぼーさん、こんにちは。
過分なお褒めの言葉をいただき恐縮です。
万田坑見学ですが、写真撮影を頑張った(私にしては)ためにガイドの方のせっかくの説明を集中力を欠いて聞いていたようで、あちこち抜け落ちていました(反省)。ちちぼーさんの旅行記を読んで、「ああ、そうだったのか」と納得した部分もかなりあって、随分参考にさせていただきました。
また、ちちぼーさんの旅行記の中の感想、疑問なども随分参考になって、そこから自分で調べた部分もあります(囚人労働など)。
昨日宮原坑に行って、ガイドの方に教えたいただいたのですが…宮原坑と万田坑、ほぼ同時代に開坑しましたが、宮原坑は旧い時代の炭鉱の最後の坑(囚人労働や納屋制度など)。万田坑は新しい時代の炭鉱の最初の坑で、対照的なのだそうです。万田炭鉱館の昔の地図には、周囲に様々な福利厚生施設が記されていて、労務管理や生活環境なども含めて近代化を目指したのでしょうね。今見る万田坑も、危険な炭鉱労働の場ではありましたが、私は穏やかな雰囲気を感じますそを感じます。
もしまた機会があったら、今度は是非三川坑(土日祝公開)を訪れてみてくださいね。90歳のガイドさんが必死に炭じん爆発事故から逃れた三川坑。ちちぼーさんなら、きっと深く感じる部分があると思います。
Deco
-
- チーママ散歩さん 2022/01/08 20:37:13
- 考えさせられました。
- こんばんは。
日本のエネルギーを支え続けた黒ダイヤ・燃える石の炭鉱の見学へ行かれたのですね。すごいレポートですね(O_O)
私の旅行記のコメントの最後に「考えるものがある」と書かれた文章・・。
これだったのかなあ...と感じながら読んでいました。
エネルギーの主役が石炭から石油に交代した「エネルギー革命」。
衰退していった炭鉱歴史物語。
一方で先日私はその石油製品や石油化学製品を生産するコンビナートのお散歩日記。
なんとなく不思議な関連を感じます。
新しく塗装された第二竪坑櫓。
せっかくの世界遺産…ちょっと白すぎましたね。
でも地下の坑道に降りていく様子など行程がわかりますね。
自動制御でないところの怖さ。
スピードも意外と速いのですね。
出古乃進さんのように「吊るされ慣れ」していないので少し怖さを感じます。
荒尾アソニット工場の歴史を知ると胸が痛みますね。
Decoさんが人権や働く環境について、私へのコメントでつぶやいておりましたが
昔は本当にいろいろあったのですね。
今にもまして過酷な労働があって産業が支えられていた時代があったのですね。
前回の旅行記で少し触れましたが、今経済効率優先の成果主義経営が見直されてきていて「人を大切にする」経営方針へのパラダイムシフトされてきた感がありますよね。
日本人の気質上その考えはきっと昔からあったと信じたいのですが。
戦争などを経て経済優先、効率・効果優先と変わっていったのでしょうか?。
難しい事は分かりませんが。
それが、東日本大震災やコロナなどが転機になって、国の政策もさることながら働く側そして経営者の価値観を大きく変わったのかなと想像ですが感じています。
仕事だけに生きるのではなく人生も楽しみながら生きる。
結果 人が変われば仕事も企業も潤うと・・・。
Decoさんと同じ感想になりますが。
社会全体が良い方向に行ってくれることを願うばかりです。
まとまりませんが、刺激を受けてあれこれ考える私でした。
- Decoさん からの返信 2022/01/09 19:10:52
- Re: 考えさせられました。
- チーママ散歩さん、こんばんは。
チーママ散歩さんの旅行記に「考えるものがある」と書いたのは、素直にチーママ散歩さんの文章に触発されて考えさせられた、という意味合いだったのですが…よくよく考えれば、ここしばらく三池炭鉱の史跡をめぐり、本を読んだりしていたことからこその触発だったのかもしれません。
三池炭鉱のある大牟田市にも化学コンビナートがあります。創設時はもちろん石炭を主原料としていましたが、エネルギー革命と共に石油に変わってしまったのだそうです。時代の流れには逆らえないのでしょう。私の炭鉱旅行記、チーママ散歩さんの工場旅行記、実は明治以降の日本の産業の変遷を端的に表わしていると思います。
働く環境については、このシリーズの次回作以降で取り上げますが、初期の炭鉱の労働環境は、それは酷いものだったようです。女工哀史にしてもそうですが、こういった酷い環境で働いていた人がいたという部分があって、日本の近代化が成されたのであり、私たちの生活はその犠牲の上に成り立っているのですよね。
私は産業において競争は必要であるとは思います。ただ世の中、競争と平等の中でバランスを取っていかなければならないと思います。日本の場合、小泉さん以降、競争に偏りすぎ、他者に不寛容な社会になってしまったように思います。一方、大震災の前後からブラック企業なる言葉が社会的にも広まりました。パワハラやモラハラも認識されるようになり、差別や人権に敏感な社会になりました。この流れ自体は間違ってはいないと思います。
「仕事だけに生きるのではなく人生も楽しみながら生きる」
まさにその通りですね。多分、人生も楽しめる人の方が良い仕事、質の良い仕事をできると思います。社会全体がそんな方向に少しでも向かうことを願っています。
Deco
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