2022/01/09 - 2022/01/09
53位(同エリア183件中)
Decoさん
この旅行記スケジュールを元に
明治日本の近代産業化革命遺産に登録された三池炭鉱・宮原抗(宮原は「みやのはら」と読みます)。
明治~昭和初期にかけて近くに三池集治監が設置され、囚人労働が行われた坑でもあります。
2022年1月の比較的暖かい日に見学に訪れました。
また、見学後に周辺の三井系企業の社宅の跡地なども廻ってみました。往時の雰囲気は失われていますが、なんとなくでも感じ取っていただければと思います。
*この旅行記の内容については、見学先の説明プレート、ガイドの方の説明、また私が読んだ数冊の本の内容を元にしています。ガイドの方の説明については、できるだけ間違えないように書きましたが、聞き違い・記憶違いなどがあるかも知れません。間違えなどがありましたら、ご教示いただければ幸いです。
(2021/01/24公開、2022/06/19加筆修正)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
昨年(2021)11月から始めた三池炭鉱のシリーズ、第四回は宮原坑跡です。こちらも世界文化遺産に登録されています。ここから本日の近代化遺産めぐりが始まります。
写真は宮原坑へ向かう道の途中にある世界遺産の案内です。前の道路(大牟田植木線)から撮影しました。ここは「三池炭鉱専用鉄道敷」で、こちらも世界遺産に登録されています。 -
上の写真の少し右側から撮影。右側には大きな病院がありました。正面奥には住宅街がありますが、昔は三井系の企業(合成=石炭から人造石油を製造していた)の青葉社宅があったそうです。
三池炭鉱専用鉄道敷跡 名所・史跡
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大牟田植木線の反対側を撮影。かつてはここから先も線路が伸びていました。この先には三井化学の化学コンビナートを始めとする各企業の工場群があり、私有地のために入ることはできません。
もう少し先に行くと線路があります。三池炭鉱専用鉄道が廃止された後も、三井化学の専用鉄道として2020年5月まで現役で線路が使用されていました。
尚、初期に明治初期に開坑された「七浦坑」もこの先右手にあるはずで、建物が残っているらしいのですが、これも会社の敷地内で見学不可です。 -
さて、宮原坑方向へ10mほど進むと病院駐車場への入口があります。ここから鉄道敷を撮影。工事中のようでした。遊歩道でも整備するのでしょうか。
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幹線道路(大牟田植木線)と宮原坑の間にある「黒橋」。レールをベースに作られいるそうです。今は人や自転車だけが通れるようになっています…が、以前は車も通っていました(私も随分前に通ったことがあります)。ここから見ると華奢に見えて…我ながらよく通ったもんだと思います。
三池炭鉱の主要な史跡の中で、宮原坑が最後になりました。実は親戚が近くに住んでいて、子供の頃から何度も訪れたことがある場所なのです。あまりに身近なために観光という感じで見ていなかったのです。 -
駐車場に到着しました。宮原坑の手前に道路が見えますが、その向こうに三池炭鉱専用鉄道敷跡があり、橋を渡って宮原坑の敷地内に入ります。駐車場の敷地は、以前は三井化学の社宅があったようです。
宮原坑(世界遺産) 名所・史跡
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こちらはフォートラで宮原坑を訪れた皆さんが撮影されていますが…電気機関車型のトイレです。ユニークな外観ですが、中は極めて清潔でした。
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駐車場には二枚の説明プレートがありました。
一つは「旧三池炭鉱専用鉄道敷」のプレート。三池炭鉱は最終期の有明坑を除いてすべての坑が鉄道で結ばれていました。このプレートは三池港の旧長崎税関三池税関支署のすぐそばでも見ましたし、多分万田坑にもあったのではないかと思います。 -
もう一枚「三池炭鉱宮原坑跡」のプレート。かつての宮原坑の全体図があります。そして囚人労働があり「修羅坑」と恐れられた…。
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駐車場横の道路から撮影。かつては多くの建物がありましたが、現在は第二竪坑櫓と捲揚機室が残っています。
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駐車場側から三池炭鉱専用鉄道敷跡の上にかかる橋を渡り、宮原坑へ。北方向を撮影。鉄道敷跡はこちらも工事中でした。線路は撤去されていますが、枕木の跡が見えます。
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こちらは南側。この先万田坑や三池港に向かって線路が伸びていました。
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入口付近に行くと、ボランティアの方がいらして、ガイドの案内。もちろんお願いします。
ガイドの方の準備が整うまで、しばし売店を見学。お土産やパンフレットなどもおいてありました。建物は古い二階建てで、かつての職員社宅のようです。宮原坑は採炭を終えた後も排水のために使用され続けましたが、恐らく多くの設備は撤去され、その後に職員社宅が建てられたのだと思います(「シラコ・アパートと呼ばれいたらしく、シラコは「修羅坑」がなまったものとも、あるいはこのあたりの地名ともいわれています)。以前は同様の建物が立ち並んでいましたが、今は一棟だけが残っっていています。
尚、ここではペットボトルの飲み物も販売しており、500mlのお茶などが100円で販売されていました。 -
古い煉瓦の壁の前からガイドがスタート。
この壁は、デビーポンプ室の建物の一部。ポンプ室の一番奥の部分のみが現存しています。
三池炭鉱は良質の石炭が大量に採れましたが、大量の地下水に悩まされました。宮原坑は、採炭に加えて、近くの七浦坑の地下水の処理を行うことも設立の目的でした。勝立坑で採用されたデビーポンプが宮原坑でも使用されました。 -
デビーポンプ室壁の説明プレートです。
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デビーポンプ室壁跡の手前、かつてはここが屋内でポンプが設置されていました。地面に引かれた四角の白いテープ。ここにポンプなどが設置されていたそうです。
デビーポンプですが、現代のお値段に換算すると、一台25億円だったとか…。これが二つある竪坑に二台ずつ、計四台置かれていました。他の坑にも設置されたいたそうなので…当時の石炭産業はそれだけ利益が上がっていたのですね。また、産業化に必要なエネルギーが自前で調達できるわけだから、封建時代から抜け出して間もない明治政府には多少お高くてもどうしても必要なものだったのでしょう。
ガイドの方は、三井三池製作所(三池炭鉱の機械部門が独立した会社)にお勤めだったそうで、実際に坑道に入られたこともあったそうです。丁寧に説明していただき、質問にも熱心に応えていただき、とても勉強になりました。 -
壁の窓枠から内部を撮影。ここは第二竪坑内になります。
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煉瓦はイギリス積みといわれる方式。縦と横を段ごとに交互に積み方式です。こうしてみるとわかりやすいです。
この積み方、宮原坑や先日見学した宮原坑も100年以上もっているのですから、耐久性は抜群なのですね。 -
ポンプ室壁跡と第二竪坑櫓。
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ポンプ室壁跡の左手には広い敷地があります。ここには煙突があったそうで、基礎が確認されているそうです。この写真の右側は住宅街になっており、そこに汽罐場(蒸気機関による動力室)があったそうです。煙突はその排気用だったのですね。
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第二竪坑と巻揚室のエリアに向かいますが、入口の説明板の前でガイドの方がレクチャー。
三池炭鉱は、藩政期から採炭されていましたが、明治政府により官制化されてから本格的に海外(イギリス)の技術が導入され機械化されていきました。
宮原坑は第一竪坑が明治31(1898)に完成、第二竪坑は明治34年(1901)に完成、昭和6年(1931)に閉坑しています。採炭と共に、明治初期~中期に開抗された七浦坑や宮浦坑の排水難を解決する目的もありました。
【囚人労働】
明治の初めの頃、炭鉱労働は周囲の農家から募っていたようですが、彼らは農繁期は家業の農業に戻ってしまうために安定した採炭ができず、明治6年の官営化と時を同じくして囚人労働が導入されたようです。当初は近隣の県の刑務所の囚人が出役、さらに内務省管轄の三池集治監が明治16年=1883に開庁しました。旧士族の反乱の指導的な立場にあって重罪とされた人々(=西南戦争の薩摩士族)も炭鉱で働かされたといわれます。
囚人労働は過酷を極め、長時間労働に厳しい監視。亡くなった人、自殺者も少なからずいました。大浦坑では囚人労働が始まって間もなく暴動・放火による坑内火災が出ています。いかに過酷であったかを物語っています。
しかし、囚人労働は炭鉱が近代化する中で、囚人労働は次第に必要性が低くなります。当初は囚人労働に頼り、政府にその継続を依頼していた三井も、次第に囚人労働が重荷になっていたようです。
昭和4年以降の大恐慌でさらに機械化が進み人員が削減されます。囚人労働の廃止と前後して、坑内での女性・子供の労働が禁止されます。これも人員削減の一環だったと思われます。
最大の理由は、囚人労働の採算が取れなくなったためで、一般の鉱員に比べると賃金は、はるかに低かったそうですが、三池集治監の運営費の負担もあったそうですから。
当初は囚人労働に頼り、政府にその継続を願い出ていた三井が、昭和に入った頃には大財閥になり、政府からの依頼を断る形で、昭和6年に囚人労働は終わります。 -
【第二竪坑巻揚機室】
まずは煉瓦造りの第二竪坑巻揚機室から見学です。 -
捲揚機室の外壁。煉瓦造りの壁…風格があり、歴史の重みを感じます。
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捲揚機室についての説明プレートです。
二つ竪坑櫓が見えますが、手前が現存する第二竪坑櫓。奥が第一竪坑櫓(現存しない)です。 -
巻揚機のロープです。ロープが捲かれていますが、左右に分かれており二つのリフトが交互に上下するようになっていたそうです。
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建物の奥の方にある、巻揚機のリール。こちらは重い機械類などの搬入に使用されていたそうです。
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運転手心得…万田坑にもありましたが、リフトの操作は一つ間違えば大事故につながるものだから、操作する側は大変だったと思います。
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操縦席から撮影。リフトの深度を表示するメーターが見えます。
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建物の内部。比較的新しそうに見える設備もあります。宮原坑は、昭和6年に閉坑となりましたが、1997年の三池炭鉱閉山まで排水のために使用されていました。それで遺構が残っていたわけで、万田坑と同様です。
この機会類は、天井から搬入されたそうです。そのために屋根が葺き替えられています。 -
捲揚室の入口付近から撮影。二つのリールやその他の機械類の位置関係がわかると思います。
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捲上機室から出ます。
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【第二竪坑櫓】
第二竪坑櫓。巻揚機室前から撮影しました。 -
第二竪坑櫓の説明プレートです。宮原坑で現存するのは第二竪坑櫓とそれに付随し第二竪坑捲揚機室。
第一竪坑は現存しませんが、石炭の搬出、機械類の搬入、そして囚人労働の入昇坑に使われていたそうです。
第二竪坑櫓は、鋼鉄製の竪坑櫓としては日本初だったそうです。第一竪坑は木製だったとか。第二竪坑櫓は中古品だったそうです…ということは海外から輸入したのでしょうか。それでも木製よりは安くついたそうです。竪坑櫓のような重量の負荷のかかる建造物に使う木材はとても高かったそうです。 -
竪坑櫓の下部分。線路が引き込まれています。
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昇降機の部分です。第二竪坑は主に人が昇降する坑ですが、小型の貨車なども昇降できたようです。
万田坑では半地下の煉瓦の壁に囲まれた場所から昇降していましたが、宮原坑は屋外からいきなり地下に降りたようです。 -
櫓の地下部分。坑の入口はふさがれています。
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上には鋼鉄の櫓。宮原坑は櫓に至近距離で近づけて、臨場感があります。
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櫓の横にある従業員控室。
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櫓の奥には煉瓦の壁があります。デビーポンプ室跡の壁の裏側です。
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【排水路】
第二竪坑と巻揚室の横には排水路跡がありました。ポンプでくみ上げた水をここから流していたそうです。石炭で濁っていましたが、自然のものなのでそのまま流したそうです。 -
【石炭積出場跡】
排水路の先は敷地外ですが工場が見えます(現在は三井化学の所有のようです)。かつてはここに線路が引き込まれて、石炭を積みだしていたそうです。 -
捲揚機室の横にあった説明プレートの中の一部、明治38年の運炭鉄道(三池炭鉱専用鉄道)の写真です。周囲の状況もわかります。
左上には遠く三池集治監、その下に鉱夫納屋、三池集治監出張所があります。
【納屋について】
写真の中の鉱夫納屋の「納屋」。それは鉱夫の住宅を意味するようです。
納屋には二種類あったようです。
一つは会社が直雇いの鉱夫のために用意したもの。後の社宅の原型かと思います。
もう一つは坑内下請制度(いわゆる納屋制度)と呼ばれるものの中での納屋。悪質な労働ブローカーが炭鉱から人集めを請け負い、さらに生活のすべてを支配していたものです。
その起源は藩政期に由来し、三池藩は炭鉱を直営するのではなく、数人の有力者にまかせていました。その中で人を集めて労働させる形態として納屋制度が生まれたようです。
坑夫は衣食住に必要なものを納屋頭を通じて有償で与えられ、必ず賃金よりも支払いの方が高くなるように仕組まれていました。坑夫は借金漬けになり、納屋頭に支配されていたことになります。労働も厳しく、囚人労働と同じように12時間労働、厳しい監視が付く…逃げ出そうとした坑夫には暴力がふるわれたそうです(=リンチ)。私が読んだ「三池炭鉱の歴史」では、”おぞましい” ”社会の恥部”と表現されていました。過酷な納屋制度。筑豊にもあったそうですが、長崎の高島炭鉱はさらに過酷だったそうです。
写真に写っている三池集治監、その南~東(写真では手前から右)にかつて放免納屋と呼ばれる長屋状の建物群がありました。明治三十年に恩赦により集治監より大量に釈放された人々が出て、三井鉱山は労働力を確保するために住居を建てて、新たに雇用したそうです。ここは後に一般の炭鉱社宅となりました。
そういえばガイドの方、子供の頃、この辺りに行ってはいけないと言われたそうです。多分その頃には一般の社宅になっていたと思いますが、放免納屋の記憶が残っていたのかも知れません。
写真の鉱夫納屋、放免納屋かも知れませんが、方向が少しずれているようにも思えますし、後の宮原社宅よりも広いように見えます。一般の直轄抗夫の納屋、あるいは納屋制度の納屋だったのか…?
三池炭鉱の近代化に尽力した団琢磨は、炭鉱を近代化するためにも納屋制度を廃止しようとします。しかしすぐに廃止できず、直雇いを増やしていく方法を取ります。あわせて事故の補償などや、生活用品を安く購入できる購買所の設置など、福利厚生も充実させていきました(一方で団琢磨は囚人労働を積極的に導入していますが)。明治41年(1908)三池炭鉱は納屋制度を廃止、すべての坑夫を直轄夫とします。同じ年に三池港が開港、労働時間も8時間の三交代制となり、三池炭鉱は大きく近代化に向かいます。
【宮原坑と万田坑】
ガイドの方に教えていただいたのですが、もう一つの世界遺産・万田坑では囚人労働も納屋制度の労働もなかったそうです。宮原坑と万田坑、両方とも明治後期の開抗ですが、宮原坑は封建時代からの繋がりを持つ、旧来の炭鉱の最後の坑。それに対して万田坑は後の四山坑や三川坑に続く、近代的な炭鉱の最初の坑。対照的な側面があるそうです。
質素ながらも炭鉱住宅があり、福利厚生施設があり、私たちが「炭鉱マン」と言われて思い浮かぶ姿はおそらく万田坑以降のものではないかと思います。
【与論島からの人々】
ただし納屋制度廃止から二年後の1910年には台風と疫病で壊滅的な被害を受けた奄美の与論島から炭鉱労働者を迎えます。与論島の人々は初めは島原半島の口之津港で石炭積み替え作業に従事していましたが、三池港開港と共に積み替えがなくなり、三池炭鉱で働くことになりました。しかし、賃金は一般鉱員の半分とも7割ともいわれ、さらに地元民から差別を受けました。当時の三井鉱山の方針として、世慣れた人々は、厳しく条件の悪い炭鉱労働に定着しないので、そうでない人々(=当時の与論島から人々のような)を従事させていたそうです。
囚人労働・納屋制度・与論島からの人々・第二次大戦中の外国人労働…社会的に立場の弱い人々、あるいは自分たちと異なる文化を持つ人々に過酷な労働を強いてきた、ということでしょう。しかし、今も悪質な外国人研修生の労働や貧困ビジネスなど、日本の社会は近代化したようでその本質は変わっていないのかも知れません。 -
【第一竪坑跡地】
ガイドの方から、敷地のそばの住宅街の中に第一竪坑があった場所があると教えていただき、行ってみました。左右手前にはごく普通の住宅、奥には工場。この空き地に第一竪坑があり、石炭の搬出が行われ、囚人も入昇坑していました。 -
見学を終えて入口付近へ。売店の前には募金箱がありました。
宮原坑は見学も無料、さらにガイドも無料ですが、熱心に説明していただきました。世界遺産に登録されたとはいえ、古い施設を維持管理するのは大変でしょうし、今後も多くの方に見てもらうためにも僅かばかりですが募金しました。 -
駐車場へ戻ります。宮原坑の周囲を廻ってみます。
駐車場は高台に位置していますが、南側は土地が低くなっており、浄水場が見えます。その先にはかつては三井鉱山の臼井社宅がありました。
写真ではわかりにくいのですが、右側に閉店した商店があります。おそらく近所の社宅の人々がお客さんだったのでしょう。 -
【ありあけ浄水場】
道路を下って、浄水場の正面にきました。「ありあけ浄水場」とあります。
大牟田にはかつて三井鉱山の浄水場がありました。「社水」というもので、炭鉱や社宅、周囲の一般住宅などにも上水を提供していたようです。しかし三池炭鉱が廃坑となり水質にも問題があったようで、大牟田市と荒尾市が共同で臼井社宅跡の土地の一部に浄水場を作りました。浄水場の運営には民間企業が参加しているそうです。 -
【三井鉱山・臼井社宅跡】
ありあけ浄水場から南に進むと三井鉱山・臼井社宅跡に出ます。
ご覧のように社宅は既にありません。ただ、中央に広い道路があって、規模の大きい社宅だったことがうかがわれます。 -
三井系の社宅跡は、住宅地になったり市営住宅になったりすることが多いのですが…臼井社宅跡は大部分がメガソーラーになっていました(一部住宅地もあるようです)。
-
臼井社宅跡の一画に、商店がありました。福村酒店。店舗の前に自販機が並んでいて、営業はしていないようですが、中には照明の光が見えて、横の入口には「陶芸」の看板がありました。
お店ではなくなっても、まだ建物が現役で使われていることに、なぜかほっとしたり嬉しくなったり…
福村酒店の隣も商店だったようですが、空き家に見えました。その先には郵便局があって、ここは普通に営業していました。昔は炭鉱社宅の出張郵便局みたいな感じだったんでしょうね。 -
【宮原浄水場】
臼井社宅跡から引き返し、大牟田植木線の道路に戻りますが、途中、青葉町のあたりでもう一か所、宮原浄水場があります。かつては三井鉱山の浄水場、前述の「社水」でした。現在は三井鉱山から分社化した企業が運営しています。周囲の住宅街もかつては三井系の企業の社宅でした。 -
壁に囲まれていて、中はうかがい知ることもできませんが、歴史を感じさせる施設でした。
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宮原坑周辺は、かつては三井系企業の社宅が立ち並ぶ一帯でした。今ではメガソーラーになったり、普通の住宅街になったり、すっかり様変わりしています。この旅行記の写真では往時の雰囲気は伝わりにくいと思いますが、少しでも感じ取っていただければ幸いです。
この旅行記、全体を通じて説明の文章が多く、内容もシビアで読みにくかったことと思います。最後まで読んでくださった方には心からの感謝を申し上げます。
Deco
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この旅行記へのコメント (2)
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- ちちぼーさん 2022/01/25 00:44:37
- 影を知ってこその光
- Decoさん、こんにちは。
万田坑のついでに行ってしまった宮原坑でした。
息子の車が来るまでのつなぎに考えていたので私が行ったときは時間が足らなかったです。
あくまでも私の時の話ですが、万田坑のガイドさんは経験から宮原坑のガイドさんは知識から説明して下さったような気がします。
宮原坑のガイドさんは豊富な知識とデータをお持ちで、質問があれば何でも答えるから来るときは少しは勉強してきてねっていう雰囲気でした。
なので、何を聞いたらいいかもわからない私では、ガイドさんもつまらなかっただろうな、Decoさんのように沢山の質問に答えたかっただろうなって思います。
今のような豊かな世の中(いろいろ今でも問題は多いですが)になる前のそれを支えてくれた方たちの過酷な労働を考えると言葉もありません。
行くことのできなかった周りの様子と共に深いお話をありがとうございます。
ちちぼー
- Decoさん からの返信 2022/01/25 15:55:24
- Re: 影を知ってこその光
- ちちぼーさん、こんにちは。
コメントのタイトル、私が感じていたことをズバリ表現してくださって、ありがとうございます。
質問ですが、説明板の写真に「鉱夫納屋」という部分があったのでガイドさんにたずねてみました。このシリーズで廻り始めたのが11月、その間少しずつ本を読んだりネットで調べたりしてのことで、11月の時点では何もわかっていませんでした(汗)。それにこの質問、ちちぼーさんの旅行記かコメントだったかで、「万田坑では囚人労働はなかったらしい」(だったかな?)という文を見て、それから興味を持ち始めました。二つの坑の違いが良く理解できたのは、ちちぼーさんの文章がきっかけです。宮原坑について調べれば調べるほど、万田坑が平和で穏やかに思えてきます(万田坑もストや暴動などいろいろあったらしいですが)。
今まで何人かのガイドさんに説明を受けましたが、皆さんそれぞれ個性や雰囲気があって楽しかったです。これも一機一会ですね。ちちぼーさんの万田坑のガイドさんもまたとない出会いだったと思います。
下手な説明文が多くて面倒な旅行記を読んでくださり、コメントまでいただき、嬉しいです。ありがとうございます。
Deco
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