2021/12/25 - 2022/01/21
48位(同エリア167件中)
Decoさん
この旅行記のスケジュール
2021/12/25
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旧三池集治監出張所跡(宮原町一丁目公園)
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駛馬北公園(鉱夫納屋=放免納屋があった場所、後に一般の炭鉱社宅となる)
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福寿院
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倶会一処の碑
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*ここから先は2021年12月25日の「宮原坑クリスマスライトアップ」です。
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2022年1月、三池炭鉱・宮原坑跡を訪れました。その後、日を改めて、周辺を歩いてみました。
また、これに先立ち2021年12月に各地の近代化産業革命遺産でクリスマスのライトアップが行われ、三池炭鉱では宮原坑で行われました。このときの画像もラストにいれています。
(2022/02/14公開、2022/06/19加筆修正)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
PR
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先日、三池炭鉱・宮原坑跡を訪れました。周囲の史跡を見て廻りたかったのですが、時間がなくて後日再訪問。
宮原坑の駐車場に車をおいて、三池集治監跡(現・福岡県立三池工業高校)まで歩いてみました。宮原坑(世界遺産) 名所・史跡
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宮原坑説明パネルの写真です。前の旅行記でも入れましたが、位置関係を見るために再度掲載します。
この写真は現存しない第一竪坑の上から宮原坑の北側(やや西より)を撮影したもの。
これから三池集治監があった場所へ向かいます。途中、三池集治監出張所や鉱夫納屋があった付近も通ることになります。 -
宮原坑入口(南側)から西側にまわりこみます。この写真の背後、竪坑櫓の右奥に見える低く見える山は、高取山。江戸時にこの山から採炭が始まりました。三池炭鉱の故郷ともいえる山です。櫓の左に見える小高い丘は、権現山といわれているそうです。駐車場のすぐ北側に位置し、宮原坑とかかわりがある福寿院というお寺があります。
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このあたりは高台になっており、遠く万田坑も見えました(少し道をそれて、ズームで撮影)。
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【宮原町一丁目公園=旧三池集治監出張処跡】
宮原坑のすぐ近く、西側には「宮原町一丁目公園」がありました。
なんの変哲もない町の小さな公園ですが… -
この公園の場所には、かつて「旧三池集治監出張所」があったとのこと。囚人の人々は集治監から歩いてここまで来て集まり、坑内に入ったそうです。
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公園を通り過ぎると、いったん宮原坑の北側に出ます。
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周囲は新旧の住宅街が隣接しています。
昔、この近くに住んでいたある女性が子供の頃、彼女の名前を聞き覚えた囚人から名前を呼ばれてからかわれた、と言います。しかし、囚人にとっては、厳しい集治監と炭鉱の生活の中で、小さな子供と心を通わして心和む、とても大切な一瞬だったのかも知れません。 -
三池集治監跡に着きました。宮原坑から歩いて10分もかからなかったように思います。
三池炭鉱は、明治6年に官営化された頃から囚人労働が行われていました。それは過酷なもので死者も多数出たそうです。
当初は福岡・熊本・佐賀・長崎から囚人が派遣され、各県が収容所を設置して労働していましたが、労働力不足から明治16年、内務省直轄の三池集治監が設けられます。この後は集治監と各県からの囚徒の労働が行われます。
集治監からは、当初は新鋭坑だった七浦坑、さらに勝立坑、そして宮原坑に囚徒が送り込まれたそうです(大浦坑、宮浦坑には派遣されず。又、万田坑以降は囚人労働が行われず)。
囚人労働は、三井の民営化(明治22年)当時、福岡県議会が反対する議決を行いますが、そのまま続行されます。
しかし、明治33年、集治監の監獄医だった菊池常喜が、囚人労働に反対する旨の意見書を提出。これは却下されましたが、当時の政府や世論に与えた影響は小さくなかったようで、以後集治監の囚人数は減らされ、当時残っていた熊本県出張所も引き揚げ、出役も宮原坑のみに限定されます。
これには、当時内務省や司法省で囚人労働に対して反対意見が強かったこと、さらに長崎の高島炭鉱では、囚人ではないものの、下請けの労働者に過酷な労働が強いられ、それがマスコミにより暴露され非難を浴びたたことなども影響していたと思われます。
昭和6年、集治監が廃止された後は、三井財閥が経営する三井工業高校が移転してきました。後に公立化されて福岡県立三池工業高校になっています。旧三池集治監外塀 名所・史跡
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側の看板や住宅と比べると、その高さがわかると思います。凄い威圧感です。
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壁はモルタルで塗られていましたが、長い年月を経て、集治監時代と思われる煉瓦塀が露出しています。
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壁の先に説明プレートがありました。三池炭鉱では明治初期から囚人労働が行われました。九州外や採炭未経験者が多かった、とのことです。
以前私が読んだ本では、集治監は当初、明治初めの士族の反乱(萩の乱、佐賀の乱、西南戦争など)の参加した人々が囚人となり、その数が多かったので設置されたと書いてありました。本には西南戦争に参加した薩摩士族が多かったと書いてありましたが、説明のプレートと矛盾しています。どちらが正しいかはわかりませんが。
尚、集治監には地下遺構があり、そこにはトンネルがあって、途中で塞がれた跡がありす。地下の牢獄があったともいわれますし、拷問室もあったそうです。
集治監からは宮浦坑への出役はなかったとされていますが、このトンネルから宮浦坑の本宮という採炭場所に手におえない囚人が送り込まれたという言い伝えもあります。 -
旧集治監の壁から、三池工業高校の正面へ。かつて甲子園で優勝したこともある学校です(1965年夏)。当時の監督は原貢氏、現在の巨人軍の原辰徳監督のお父さんです。
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三池工業高校の西側に進みます。こちらにも集治監の壁が残っています。
私は昔、この道を通った記憶があります。まだ幼稚園に入る前のこと。幼ない日、この大きくて、煉瓦とモルタルが合わさった壁には子供心にも強い印象を受けたのだと思います。 -
壁の一画には古びた出入口がありました。宮原坑とは反対側の壁なので、囚人の人々の出入口だったかどうかはわかりません。
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【駛馬(はやめ)北公園=宮原社宅(旧放免納屋)跡】
三池工業高校の南側の一画は公園になっていました。近代的で清潔感のある校舎が見えました。
付近には新しい住宅街がありましたが、公園と住宅街が昔の鉱夫納屋(放免納屋=集治監で刑期を終えて炭鉱で働いた人々の社宅)があった場所のようです。
これは、元々労働者不足に悩む三池炭鉱が、放免囚を労働者として確保する目的もあったそうで、三池保護会なる保護組織も作られ、集治監の典獄(所長)自らが会長になりました。放免囚の中にも、故郷に帰れない人も多かったようです。中には真面目に働いて貯蓄して堅実な生活を送り、世間から認められた人も少なからずいたようです。
また、この近辺で育った人は、子供の頃、夏の暑い盛りになると放免納屋では上半身裸になって涼んでいたとのことですが、刺青をした人も多かったようです。しかし気は短くても人は良い…という感じの人が多かったらしいです。
先の旅行記でも記しましたが、放免納屋は後に一丁玉社宅という一般の社宅になり、さらに拡充されて宮原社宅となりました。
この周辺、昔からの街の雰囲気を残すエリアと新しい住宅街の両方がありますが、住宅街は社宅跡を再開発されたようです。 -
【駛馬(はやめ)天満宮】
宮原坑へ戻る途中、近くにある駛馬天満宮に立ち寄ってみます。宮原という地名は、この天満宮(お宮)があって、比較的平坦な土地であることからきているそうです。駛馬天満宮 寺・神社・教会
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かわいい狛犬がお出迎え。
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鳥居をくぐり、境内へ。立派な大木が印象的です。
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本殿へ。
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花手水(?)もありました。
駛馬天満宮 寺・神社・教会
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「宮原石層塔残欠」という文化財もあります。
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宮原石層塔残欠
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境内からは宮原坑の竪坑櫓と高取山が見えました。
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【福寿院】
三池集治監跡から宮原坑へ戻りましたが、まだ少し時間があったので、宮原坑、というより三池炭鉱とかかわりがあるといわれる福寿院を訪ねてみました。
先日、大牟田石炭産業化学館でもらったパンフレットの地図を参考に行ってみましたが、なかなか入口がわからず、古い墓地をさ迷ったり(!)して、「堀造園」という看板のある建物の前から曲がりながら上る道を進み、ようやくたどり着きました。宮原坑駐車場のすぐ裏の小高い丘(権現山)にあります。
「見知らぬわが町」(中川雅子著)という本があります。1995年地元の学生が炭鉱の施設に興味を持ち、さらに囚人労働などを調べていった記録です。その本によると、ここ福寿院は大正11年、繁村順次郎という一人の僧侶によって開かれた(岡山から移されたらしい)そうです。大変人望のあるご住職で、集治監を出た人々の良き相談相手であったそうです…が、その死後、彼を慕う人が調べたところ、彼自身も放免囚(恩赦によって出所した人)で、本名は津村密玄という人だった、ということでした(「見知らぬわが町」は、故内田康夫氏が浅見光彦シリーズの一冊「不知火海」で大激賞しています。確かに私が読んでも素晴らしい本だと思いました)。
「三池炭鉱史」という本の中に、放免長屋には僧侶が訪れ講話なども行われたとありました。この近くにかつて金泉寺駛馬説教所があり、こちらの方だったかも知れませんが、もしかしたら福寿院のご住職だったのかも知れません。
また「見知らぬわが町」で福寿院のご住職が相談に乗っていた放免囚の人々とは、集治監跡の南にあった放免長屋の人々だったのだろうと思います。 -
【倶会一処の碑】
福寿院の近くに「倶会一処(くえいっしょ)」の碑があるということで探しましたが、お寺の中にも付近の墓地などにも見当たらず。お寺に人影もなく、諦めて帰ろうとしたところ、たまたま畑作業にみえた年配の方がいらして、聞いてみたら、畑の近くで案内していただきました。その方いわく「案内なしではとてもわからない場所だから」。
お寺の手前の道を左に進み、畑を過ぎて墓地がまばらにある場所へ。年配の方は、お墓のような石碑に案内してくださいました。確かに、同行してもらわなければわかりにくい場所と石碑です。
「倶会一処」…仏教の思想で、亡くなったすべての人は浄土で再会することができるということ。「倶(とも)に一つ処で会う」と読み下せます。
先述の「見知らぬわが町」では、ここの倶会一処は、三池炭鉱の囚人労働に従事していた元囚人の人々(放免囚など)のお墓ではないかということでした。
この世では炭鉱の労働など、苦しい思いをし、亡くなった人も少なくありません。その人々も浄土では共に等しい立場で再会したいという思いが込められいるように私は感じました。 -
側面には三井鉱山の文字があります。そういえば、倶会一処の文字の上にも三井のマークがありました。大正11年…福寿院が開かれた頃です。福寿院と放免囚の人々、なにかしら関わりがあったのではと想像しました。
案内してくださった人は地元の方で、子供の頃(昭和24・25年頃)には慰霊祭も行われていたと話してくださいました。
昔は道が続いていたそうですが、訪れる人も少なくなり、道もわからなくなっているそうです。
この方と出会わなければ、倶会一処の碑には行けなかったと思います。なんたる偶然! そしてこの方に心からのお礼を申し上げます。ありがとうございました。 -
福寿院から駐車場に戻る途中、宮原坑と、その先に有明海、遠く雲仙も見えました。
三池炭鉱・宮原坑、その過酷すぎる労働から、囚人の人々は修羅坑と恐れたそうです。その苦しみを経て、浄土での再会を願った倶会一処。その思いを見守っているかのような風景でした。
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この旅行記、シリアスでしんどい内容になったかと思います。最後に、2021年12月25日の「宮原坑クリスマスライトアップ」の記録を記載します。 -
12月24・25日、宮原坑がライトアップされるとの情報をキャッチ(「明治日本の近代化産業革命遺産」の各施設がライトアップされたそうで、三池炭鉱関連は宮原抗になったようです)。
24日はあいにくの雨。25日は寒波襲来(!)ですが、晴れたので防寒の上訪れてみました。
日の入りは17時20分。寒さに備えて早めの夕食。宮原抗に近い「メルクス大牟田」というショッピングモールにある「山小屋ラーメン」にて腹ごしらえです。
このラーメン屋さん、チェーン店で発症は田川郡香春町。ここも炭鉱の町です。ちなみにメルクス大牟田もかつて三池炭鉱の馬渡社宅があった場所です。筑豊ラーメン山小屋 メルクス大牟田店 グルメ・レストラン
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メルクス大牟田から、宮原坑へ。車で五分とかかりませんでした。
もう日の入りの時間は過ぎていますが、まだ周囲は暗くなっていません。写真は駐車場からの第二竪坑櫓の姿。宮原坑(世界遺産) 名所・史跡
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宮原坑の敷地に入り、正面から撮影。
大牟田市の職員の方がいらして、お話をうかがいました。ライトアップは17時からで、もう点灯しているそうですが、日の入りから30分くらい経たないと暗くならないそうで…18時ちょっと前くらからが美しく見えるようです。 -
外側を廻ってみます。
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イチオシ
夕暮れの中、たたずむ宮原坑。囚人労働などで過酷な歴史を持つ坑ですが、美しささえ感じさせます。
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徐々に周囲が暗くなってきました。寒波の中、それほど見学客は多くはありませんでしたが、三脚に一眼レフの人たちもが何人もいて、少数精鋭の集いといった感じでした(私を除く)。
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やがて周囲は暗くなり、ライトアップが映える時間に。
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右斜め側から撮影。
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イチオシ
夜のしじまにそびえる宮原坑。周囲を三周ほど急ぎ足で廻っていたので、それほど寒さは感じませんでした。万田坑でも感じましたが、竪坑櫓は不思議な美しさを感じさせます。明るいときとはまた違った宮原坑の姿を見ることができました。
大牟田市のスタッフの皆さん、寒い中ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (8)
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- ももであさん 2022/02/21 21:39:04
- 金星が出た出た 金星が出た♪
- セキヤヒルズお会いして以来!? ちょうど1年4traをサボっておりました。
お久しぶりです。Decoさん
倶会一処と彫られている墓石をたまに見かけますが、そういうことでしたか。
一蓮托生の本来の意味と同じなのですね。
この広い宇宙の太陽系でせっかく一緒に暮らしている79億人だから
倶会一処、一蓮托生で仲良く極楽浄土で会えるといいですね。
宮原坑にのぼる金星がとても美しく印象的です。
- Decoさん からの返信 2022/02/22 21:39:19
- Re: 金星が出た出た 金星が出た♪
- ももであさん、お帰りなさい!
倶会一処…おっしゃる通り、同じ地球に住んでいるのだから、争いごとがあっても、せめて浄土では仲良く一緒に…と思います。特に最近はきな臭い雰囲気が世界を覆ってるから。
あの碑は、多分放免納屋に住んでいた人たちのお墓だと思います。集治監を出ても故郷や以前いた場所にに帰れなかったのでしょうね。だからせめて浄土ではまた親しかった人たちと再会したいという願いが人一倍強かったのかも知れません。
私は天文には疎いのですが、ももであさんのコメントを拝見して、自分の写真を見直しました(恥)。一際明るい星が金星ですね。宮原坑の周辺は悲し歴史があって「影」が濃い地域ですが、あの輝きが悲しみを和らげてくれるように思えてきました。
Deco
-
- ちちぼーさん 2022/02/18 22:03:49
- 心に響くライトアップ
- Decoさん、こんにちは。
宮原坑のライトアップ、明るい時しか見たことがなかったので
美しく悲しいライトアップが心に響きました。
ライトアップといえば、キラキラ輝き楽しい気分にさせてくれるものだと思っていましたが、宮原坑のライトアップは別物です。
そこで働いた方の無念の思いも一緒に輝いている気がします。
私が解説の方からお聞きした時は、ここで働いた囚人は主に政治犯とおっしゃっていました。
自分で努力して調べたわけではないので何とも言えませんが反乱を起こした士族は政治犯ですよね?
昨年、青天を衝けを見て渋沢栄一より戊辰戦争で官軍と戦った旧幕府軍に気持ちが向いてしまった私は、官軍と戦った薩摩士族におもいがいってしまうのかもしれませんが。
三池工業高校、行ってみたかったところです。
時間的にギリギリで凄く悩んで諦めたので、Decoさんのおかげでその様子が見られて有難いです。
倶会一処の碑は、本当に素晴らしい出会いでしたね。
きっとDecoさんに旅行記として伝えて欲しいという宮原坑で働いた方たちのお心が
この出会いを可能にしたのでは?と思いました。
こうして旅行記にして下さって、私も感謝しています。
ちちぼー
- Decoさん からの返信 2022/02/19 15:17:11
- Re: 心に響くライトアップ
- ちちぼーさん、こんにちは。
ライトアップの宮原坑、とても美しかったのですが、あの歴史を知ると、光に照らされない影の部分が印象に残ります。
三池炭鉱で働いた囚人ですが、これもちちぼーさんの旅行記で興味を持って調べてみました。読んだ本によって記載が違っていて、はっきりわからないのですが、やはり政治犯、国事犯、思想犯という記述がみられます。無期懲役以上の囚人だったという本もあれば、懲役12年以上という本もありました。ただ、具体的に西南戦争で指導的立場にあって刑が重かった人々…という記述の本があったので、これは信頼できるのではないかと思っています。
戊辰戦争は官軍が無理やり奥羽を敵に仕立て上げた感があります。藩政期に三池炭鉱を所有していた三池藩も官軍側でしたが、当時の官軍の暴虐ぶりには、従軍した三池藩士も嫌悪感を持っていたようで、かなり厳しい感想を残しています。
倶会一処の碑は、地元の方に出会えて本当に良かったです。三池炭鉱の旅行記、調べれば調べるほどつらい事実に突き当たりますが、それでも書かずにはいられない。今の日本、いろいろ問題はありますが、それでも世界の中ではまずまずの暮らしをさせてもらっています。でもその幸せは昔の囚人労働の上に成り立っている部分も少なからずあると思うので、やっぱり知っておきたいと思います。私も含めて三池炭鉱の史跡に心惹かれる人は宮原坑などで働いていた人たちの思いを感じ取っているのかも知れませんね。
最後にこの旅行記で取り上げた「見知らぬわが町」はなかなかの秀作です。廃刊になっているようですが、もし図書館などで見かけられたら手に取ってみていただければと思います。
Deco
-
- チーママ散歩さん 2022/02/15 07:59:41
- 合掌
- おはようございます。
何度も足を運び取材なされた超大作のシリーズ。
詳しく調べもしない私が言うのも何ですが、
労働者に囚人や、事故で夫を亡くした女性たちなど。
当時の極悪な環境での労働には胸が痛みます。
このシリーズは人権、労働環境など複雑な問題にふれ
色々考えさせられました。
倶会一処とても心に残る言葉です。
現世では会えない寂しさも、浄土でまた会う事ができる。
それまでは、しっかり精進して参ります。
ライトアップのお写真は、お話しを聞いたからか、
どこか憂いを帯びた表情に見え、不思議な感覚を
覚えます。
一方、日本の近代化の象徴。
沢山の表情を持ちながらも、重みある姿に
手を合わせる思いです。
Deco特配員 引き続きレポート宜しくお願いします。
<(`・ω・´)
- Decoさん からの返信 2022/02/15 16:05:20
- Re: 合掌
- チーママ散歩さん、こんにちは。
三池炭鉱シリーズはほぼ地元といっても良いので、頑張ろうと思っています…が、大苦戦の連続です。本を読んだり施設を訪れたりするたびに新たな疑問が出てきます。
最初は世界遺産だし、地元のことなのでちゃんと知っておかなければと思って始めましたが、必然的に人権や労働環境に触れざるを得ない題材ですね。それだけ酷い環境から始まり、改善はされていきましたが、最後まで克服されることはなかった。この過程を知ることが、これから先の日本人の生き方にもかかわってくると思います。
倶会一処の碑(お墓)は、そのいわれを知ると感慨深いものがあります。炭鉱に限らず今の私たちが、過去に悲しいことがあったことを知り、伝えていくことが、過去に辛い思いをされた人々へのせめてもの供養になると思うし、次の世代のためにもなるのではと思っています。
内容も厳しいもので、説明が多くわかりにくい旅行記シリーズですが、読んでいただき、感じ取っていただき、本当にありがとうございます。
Deco
-
- Reiseさん 2022/02/15 04:08:53
- 知らないことばかりです。
- Decoさま
いつも、興味深く読ませていただいており、ありがとうございます。
三池炭鉱についての歴史は恥ずかしいことに、ほとんど知りませんでした。
でも、Decoさんの旅行記を読むと、その歴史や当時、炭鉱に従事していた人たちの
様子などが想像でき、日本の近代化に炭鉱の歴史が深くかかわっていることがよくわかりました。
北海道の網走刑務所跡を見学したとき、道路の建設に囚人の人たちが従事していましたが、過酷な環境で多くの人が命を落としたと聞きました。
道を車で走る時は、そのことを思い出していました。多くの犠牲があったことを。
でも、時間とともに、そんなことは忘れられていきます。
Decoさんの旅行記を読んでいると、内容が深く、炭鉱に関しての遺蹟がこんなに沢山残っていることを初めて知りました。集治監外塀も今も残っているなんて、知りませんでした。
また、詳しい説明をしてくださる方とめぐりあわれたこと、本当に良かったです。
歴史の見学などは、地元や詳しく研究されている方からのお話は貴重な体験です。
私も、あちこち行くとき、若いときはとくに、人から教えてもらうことが面倒くさ
くて、避けていたようなところもあったのですが(今も少しあります)最近、そういう
お話をありがたいな~と思うようになりました。そんなお話は記憶にも強く残っています。
これからも、楽しみに読ませていただきます。
よろしく、おねがいいたします。
Reise
- Decoさん からの返信 2022/02/15 15:53:42
- Re: 知らないことばかりです。
- Reiseさん、こんにちは。
炭鉱、私も地元に住んでいながら知らなかったことが多いです。厳しい歴史があったことは漠然と知っていて、それゆえ詳しく知ることを避けてきたのかも知れません。知れば知るほど、さらに厳しい歴史を知ることになっています。
でも、炭鉱のおかげで日本が近代化できた側面があって、その恩恵は私自身も受けているわけで、やっぱり過去に辛く苦しい思いをされた人々がいたことを知っておかなければならないと思って書いています。
囚人労働や、一般人でも納屋制度のような非合法的な労働は、炭鉱だけではなかったと思います。Reiseさんが行かれた網走刑務所の労働も同じような危険で厳しいものだったと思います。もう二度とこんなことはあってはいけないし、そのためにも過去の苦しい出来事を知っておかなければならないかと思っています。三池集治監のレンガ、網走刑務所のものと同じらしいです。
福寿院で現地を知る方に出会って本当に幸運でした。昔の話なども聞けましたし。最近、ガイドを受けることが多いのですが、詳しい方からお話を聞くことで理解度も違うし、情報量も違ってきます。ただ私の頭脳では、記憶しきれなかったり、専門的な話になるとわからなかったり…もします(汗)
このシリーズ、厳しい内容だし、読んでいて楽しい話でもないし…でもReiseさんのようなコメントをいただくと励みになります。ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いいたします。
Deco
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