2022/06/12 - 2022/06/12
45位(同エリア168件中)
Decoさん
この旅行記のスケジュール
2022/06/12
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文化展「炭都の生活と文化」(大牟田市石炭産業科学館)
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旧三池炭鉱社宅及び三井系企業社宅跡地(再掲載写真含む)
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旧新港町社宅跡地(三池港エリア)
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旧三川電鉄変電所(現・信号電材本社社屋)
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旧三池炭鉱専用鉄道・人道トンネル跡モニュメント
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この旅行記スケジュールを元に
近代化産業革命遺産の光と影 三池炭鉱シリーズ、今回は番外編的内容です。
昨年(2021年11月)に訪れた大牟田市石炭産業科学館で、文化展が開かれているとのことで再訪。
三池港周辺でまだ訪れていないエリアを車で廻りました。
*文化展「炭都の生活と文化」は、令和4年7月10日まで大牟田市石炭産業科学館で催されています。特別展なので入場料無料(常設展は有料です)。
日曜日の10-12時、14-16時はボランティアの方が解説してくださいます。
(2022/6/15公開).
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
PR
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大牟田市石炭産業科学館(石炭館)です。
特別展が開催されているということで、昨年(2021年)11月以来の訪問です。大牟田市石炭産業科学館 美術館・博物館
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屋外展示場には炭鉱で使用されていた機械などが見られます。
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イチオシ
中に入ります。特別展は無料で見学できます。
展示は「炭都の生活と文化」。炭鉱そのものではなく、社宅を中心にしてそこで生活していた人々の様子や、その中から生み出された生活文化についての展示でした。
特に「社宅」についての展示が充実していました。
*当日、石炭館のスタッフの方に撮影及びネットでの画像使用の許可をいただいたので、中も少し紹介します。 -
大牟田市・荒尾市の三池炭鉱社宅の地図です。
画質が悪くて申し訳ありませんが、社宅は大牟田市の南半分から荒尾市の北部にかけて設けられていました。
この地図を見ると、何か所か集中していることがわかります。
まず、世界遺産の万田坑・宮原坑の東側から勝立坑にかけての地域。
それから、荒尾市の北部。テーマパークとして知られるグリーンランドや荒尾シティモール(ショッピングモール)も炭鉱住宅の跡地だったようです。
JR鹿児島本線の西側にある社宅は、比較的後期のものではないかと思います。後年、炭鉱が縮小していった時期は、大牟田市の東側の社宅が縮小されて、JRの西側の社宅に集約されていったそうです。
そして、三池港の北側にポツンとある新港町社宅。ここは与論島からの人々が住み、差別を受けながらも伝統文化を守っていたそうです。
*この地図の北に位置する吉野地区(大牟田市)には、現在市営住宅があります。ここは第二次大戦が間もない頃、三池炭鉱の社宅の建設の話があり、用地も確保され、炭鉱鉄道も通勤用に延伸される予定だったそうです。しかし、政府からの補助金の制度がなくなったために建設されず、大牟田市がそのまま市営住宅にしたそうです。 -
続いては大牟田市内の社宅位置図(荒尾市内は含まれません)。
地元の研究会の方々が作成されたようですが、これは力作です。
社宅といえば炭鉱住宅(炭住)のイメージがありますが、石炭から様々な産業が派生した三池炭鉱では、関連企業もいくつかあり、それぞれに社宅を持っていました。
位置図の中で、
「赤」は三井鉱山(三池炭鉱)の社宅。
「緑」は三井化学の社宅ですが、以前は幾つかの会社に分かれて、それぞれの社宅がありました。
「青」は三井金属。
「水色」はデンカ(旧電気化学工業)。
「紫」は三井三池製作所。
現在、三井鉱山の社宅はすべて取り壊され、炭鉱の社宅は残っていません(ただし、ある場所に一軒だけ、社宅と思われる家屋が残っいるかも知れません)。また、宮原坑にある鉄筋コンクリートの小さな建物は、職員社宅だったそうです。
関連企業の社宅も集約・取り壊しが進み、建物があっても使用されていない建物も多いようです。恐らく比較的新しい建物に集約されているのだと思います。また、三井三池製作所の職員住宅(大間社宅)は大部分が空き家ですが、今でも何軒かは住んでいらっしゃるそうです。 -
こちらは、社宅の生活の写真。各社宅ごとにまとめられていました。
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かつての社宅に関する連載の切り抜きでしょうか。
手作りのものですが説明も加わり、資料として大変貴重な力作です。
私Decoは、こうした社宅はほとんど知りません。ただ、三井系の企業(炭鉱ではない)の社宅に住んでいた親戚がいて、子供の頃よく遊びに行きました。二軒で一棟の木造の質素な建物でしたが…トイレが水洗だったことは衝撃でした。人づてに聞いたら、当時の所長さんは「ウチの社宅は水洗だ!」と自慢していたそうです。
また、別の親戚が小規模な社宅の近くに住んでいて、ここもよく遊びに行きました。まだDecoが幼稚園の頃でしたが、社宅の前の広場で近所の子供たちと遊んだことがあります。多分、社宅の子が多かったのでしょうね。 -
各社宅ごとに詳しい説明がありました。
三池炭鉱には大きく分けて二種類の社宅がありました。採炭やそれに付随する職場で働く人の一般の(鉱員の)社宅と、事務職の職員の社宅。今から見ればどちらも質素なものですが、職員社宅の方が風呂付だったりで、良かったそうです。
以前、子供の頃三池炭鉱の宮原社宅に住んでいた農中茂徳さんの「三池炭鉱宮原社宅の少年」という本を読みましたが、一般の社宅と職員社宅との交流はほとんどなかったようです。
また農中さんは学校も巧みに分けられていたのではないかと書かれています。同じ市立の小中、県立高校でありながら、住んでいる区域によって鉱員の子弟が行く学校と、職員の子弟が行く学校が区分けされていたのではないか、と述べられています。このお話は、私は説得力があると考えています。かつて大牟田市には、全国的にも珍しい普通科高校の区域制(市内を三区域に分けて、それぞれの区域の高校(三池高校、大牟田北高校、大牟田南高校に進学する)があったということですから。
農中さんは学区制だけでなく、社宅の内外、生活の場や職場にも、そうした「線引き」があったのではないかと書かれています。
以下は、農中さんが「線引き」について本の中に書かれている文章です。
「…すると人々は命の重みに対する価値観にまで、違いを感じるようになる。そのことは、炭鉱におけるこれまでの事故や事件が示している」 -
さて、こちらは宮原社宅についての展示です。
非常に詳細なものですが、先述の農中さんの本には詳しい地図や説明がありました。それもこの展示に影響しているのかも知れません。
宮原…そう、世界遺産・宮原坑跡と同じ名前です。宮原坑は囚人労働が長く続き、修羅坑と恐れられたといわれます。
宮原社宅も、旧三池集治監の南~東にかけて設けられた社宅で、その前身は放免納屋(集治監の囚徒で、刑期が終わったり、恩赦などで出た人が、そのまま炭鉱で働くこともあり、その人々のために設けられた社宅)です。その後一丁玉社宅という一般社宅となり、さらに拡充されて宮原社宅になったそうです。 -
【旧宮原社宅跡地】
ここで脱線してしまいますが、ここからは以前の旅行記で掲載した写真を再び載せます。
宮原公園から撮影した三池工業高校。この公園と周辺が宮原社宅でした。
(宮原坑周辺を歩いた際に撮影、再掲載) -
【三井化学社宅】
こちらは、勝立エリアにあるメルクスというショッピングモール。
このショッピングモールは三池炭鉱の馬渡社宅の跡地ですが、その上、オレンジの線で囲んだ三棟は三井化学の社宅かと思われます。
(勝立坑周辺を歩いた際に撮影、再掲載ですが一部修正加工) -
【三井鉱山職員社宅(旧宮原坑敷地内)】
世界遺産・宮原坑に一軒だけ残る三池炭鉱の職員社宅跡。二軒で一棟の構成、風呂もありました。
宮原坑は昭和6年に閉坑になりましたが、その後は排水のために三池炭鉱の閉山まで稼働しました。恐らく、採炭終了後に多くの施設が撤去され、その後に職員社宅が作られたのだと思います。
(宮原坑を見学した際に撮影、再掲載)宮原坑(世界遺産) 名所・史跡
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【旧三井鉱山臼井社宅跡】
宮原坑の南東に広がる広大なメガソーラー。かつての三池炭鉱の大規模社宅・臼井社宅跡です。隣接する野添社宅と併せて広大な一つの町を形成していました。
(宮原坑を見学した後に撮再、再掲載) -
【宮原浄水場】
宮原坑の北東にある宮原浄水場。現在は大牟田市に水を供給していますが、かつては三井系の社宅に供給していました。
(宮原坑を見学した後に撮影、再掲載) -
【三井三池製作所大間社宅(職員社宅)】
三井三池製作所の大間社宅(職員社宅)です。大部分が空き家になっていますが、一部は現在もお住いの方がいらっしゃるようです。
かつてはこの周辺にも、三井三池製作所の一般従業員の社宅がありましたが、現在は小学校、住宅街、スーパー、ドラッグストア、ホームセンターなどになっています。
(この近くを訪れた際に撮影、この画像は既出旅行記では使用していないものです) -
*ここから石炭館の文化展に戻ります。
映画監督森崎東氏(1927-2020)のコーナー。
森崎氏といえば夏目雅子・渡瀬恒彦主演の「時代屋の女房」、原田芳雄の「ニワトリはハダシだ」、そしてキネマ旬報で邦画一位を取った「ペコロスの母に会いに行く」などで知られます。
また、山田洋二監督の「男はつらいよ」(寅さん)シリーズの初期やそれに先立つテレビ版で強い関わりを持ち、第三作「フーテンの寅」では監督を務めました。初期の寅さんのワイルドさは、森崎監督に負う部分が大きかったようです。
山田監督が流麗な演出とヒューマニズム溢れる作風だったのに対して、森崎監督は庶民の力強さとバイタリティを前面に押し出す、不思議な力強さを感じさせる演出でした。
森崎監督、島原のご出身ですが、少年期~高校卒業まで大牟田で過ごされたそうです。 -
漫画家の萩尾望都さんのコーナー。横に大牟田市の貸本屋・古本屋のMAPがあります。
大牟田市は三池炭鉱や三井系企業の多くの社宅があり、貸本屋・古本屋の需要も大きかったといいます。そんな生活文化の土壌の中から何人かの漫画家が出ています。
かつて少年チャンピオンに連載された「エコエコアザラク」の古賀新一氏や、「マカロニほうれん荘」の鴨川つばめ氏もその一人。鴨川氏、彗星のごとく現れ、消えてしまった、今や伝説の漫画家ですね。
尚、漫画とは関係ありませんが、先日「国民は値上を許容している」発言をして撤回された方も大牟田出身とのことです… -
文化展では、この他市内にあった映画館や、児童文化のサークルなどの展示説明がありました。石炭産業を基に栄えた大牟田市、独特の庶民的な文化が育っていたようです。
最後に写真展の様子。左端に移っているボランティアの解説の方と、往年の社宅の様子など、少しお話しました。
すべて撤去された三池炭鉱で唯一残っている(かも知れない)家のこともご存知で、ちょっと盛り上がりました。
三池炭鉱には、囚人労働や炭塵爆破事故などに代表される多くのな負の遺産、影の歴史があります。一方で、炭鉱により多くの人々が生活を育んできました。その中には泣き、笑い、平凡で幸せな日々があったことと思います。また直接炭鉱に関わらずとも、社宅の人々と付き合い、共に遊んだりした人々も多かったはずです。
こうしたことこそが、正の遺産、近代化産業遺産の光の部分ではないかと思います。三井鉱山や三井系企業がこの地に残してくれた大きな遺産です。
森崎監督の映画も、ポーの一族も、マカロニほうれん荘もこの中から生まれてきた。森崎監督を通じて、男はつらいよの寅さんにも影響を及ぼしているかもしれませんしね。 -
石炭産業科学館を出て駐車場へ向かいます。東北方向には鉄塔と煙突が見えました。
おそらく三井金属三池精練所ではないかと思います。ここもまた石炭産業から出発したコンビナートです。
石炭産業科学館があったあたりは、昔は貯炭場だったそうですが、今は公園や大学、ショッピングモール、ホームセンターなどが立ち並び、昔の面影はありません(かつてはテーマパークもあったそうですが、赤字で閉園したそうです)。 -
【新港町社宅跡地】
続いて、石炭産業科学館の文化展にあった、新港町社宅跡(三池港北側)に行ってみます。事前に調べても、貯炭上になっていることはわかっていましたが、かつて与論島から来た人々が、低賃金(他の従業員の7割だったとか)と差別の中、助け合いながら与論の文化を継承していた場所…。
ですが、やはり貯炭場になっており、その痕跡は何もありませんでした。 -
貯炭場の先は当然ながら石炭の山。
Decoは以前福岡市内で勤めていたことがありますが、その頃、この新港町社宅で育ったという同僚がいました。ちょっと頑固で、でも心優しい人でした。当時は炭鉱と与論の関わりなど何も知りませんでしたが、今思えばその方は眼がおおきくてパッチリ。顔の彫りも深くて、与論の方々の子孫だったのかも知れません。
現在の大牟田や荒尾にも、与論島からの人々の子孫が多く暮らしていらっしゃるそうです。今は差別もなく、それ以前に意識されることもないようです。与論島出身者以外の人とも当然結婚したりで、大牟田から福岡や東京、関西などに巣立っていった人も多いと思います。
尚、このエリアには第二次大戦中、欧米系の捕虜の収容所があり、炭鉱で働かされたそうです。それもまた酷い扱いだったそうですが、与論の人々は彼らにも親切で、捕虜の人々も好意を持っていたそうです。 -
イチオシ
最後に訪れるのは、三池港にほど近い、信号電材という会社の本社ビルです。
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大牟田市の文化財の説明プレートがあります。
旧三川電鉄変電所、国登録有形文化財です。
この近くで発電された交流の電気を、三池炭鉱専用鉄道の電気機関車用に直流に変換するために、1909年に作られた施設でした。
1997年、三池炭鉱閉山後に解体されそうになったそうですが、サンデンという会社が買い取り修復し社屋として使用。2000年には国登録有形文化財になりました。その後サンデンの本社移転に際し、信号電材という会社が打診を受けて購入。御覧のように格調高くも美しくリノベーションされています。
この建物が生き残るにあたり、サンデン、信号電材という二つの民間企業が貢献しています。 -
建物に近づいてみます。
これは素晴らしい!
レトロにしてモダン。 -
南側に廻ってみます。植栽もマッチしていてよい感じです。
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こちらが玄関でしょうか。元のレトロな建物に現代的なドアがマッチしております。ポーチも本体の美しさを損なわないスタイリッシュなもので…信号電材さん、ナイスです!
先ほどの説明板にも「近代化遺産は活用を伴わなければ保存が困難な場合が多く、本建物は理想的な形態」とありましたが、その通り!
当時のままに大切に保存することも意義がありますが、このように現役として使用されることで、「生きた」文化財になります。元の建物の美しさを損なわないリノベーションも素晴らしいです。
ちなみに、この信号電材さん、その名の通り信号機材を製造する会社で、皆さんの町の信号機も多分この会社の製品が多いと思います。
また、信号電材が買い取る前に、解体の危機を救い修復していたサンデンの貢献も忘れてはならないと思います。
先ほどの新港社宅跡で見事なまでにかつての痕跡がなかっただけに、余計にうれしく感じます。 -
ここには、もう一つ見どころがあります。
旧三池炭鉱専用鉄道人道トンネル。
かつてこの先には炭鉱鉄道が通っており、人が三池港へ向かうためのトンネルがあったそうです。 -
人道トンネルは、有明海沿岸道路が建設されるときに取り壊され、元の場所にモニュメントが設けられています。
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モニュメントの横の説明。
三池炭鉱専用鉄道が無くなったのは寂しいことですが、このような形で記憶が継承されるのは有意義なことだと思います。
三池炭鉱の各坑・社宅・事業所・コンビナートをつなぎ、JRや三池港とも結んでいた旧三池炭鉱専用鉄道。
考えてみれば、有明海沿岸道路は、さらに拡大して沿岸地域をつなぐ役割を担っているのかも知れません。 -
世界遺産に登録された宮原坑や万田坑などの産業遺産は、不思議な魅力に満ちています。それは長い年月にわたり、人と関わり、社会に関わってきた重みが感じられるからだと思います。
旅は見知らぬ世界との出会いであり、楽しみも様々ですが、私はその中でも「人」に大きな魅力を感じます。その地域の社会や文化を端的に表すのがその土地の人であり、人があっての社会・文化であるからです。
今回の大牟田市石炭産業科学館の文化展「炭都の暮らしと文化」は、三池炭鉱があった町の人々や、その生活と文化に焦点をあてたものです。
直接関わった人々を除いては、縁遠い炭鉱という世界、その長い歴史の中で育まれた人々や文化を理解する、貴重な機会と思います。それを知ることで、世界遺産の宮原坑・万田坑への理解も血が通ったものになり、日本の近代化の意味や意義についての理解が深まると思います。
お近くにお住いの方は、是非ご覧いただきたい展示です。また、宮原坑や万田坑(それに限らず、あらゆる文化遺産)を見学された方も、その周辺にどのような生活があり、人々がいたのか、その場所で人々がどんなことを感じ、どう思い、生きてきたか。想像し思いめぐらせていただければと思います。大牟田市石炭産業科学館 美術館・博物館
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この旅行記へのコメント (2)
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- フォートラベルユーザーさん 2022/06/16 07:39:56
- 萩尾望都先生…
- おはようございます!Decoさん!!
私のような、
なんも知らない者が、うすいコメント、
すみません、
Decoさんの三池炭坑の旅行記
拝見するにつけ、こういう近代化産業が
日本を豊かに発展させてくれたのだ、
と、思う反面、過酷な作業の上に成り立って
いたのだなと、、
でも、その中にも温かい家族の営みが、
確実にあったと、思うとホッとします。
萩尾望都先生が大牟田出身とは、
知りませんでした( *゚A゚)
子供の頃、ドキドキしながら、
作品を読みあさっておりました(恥)
教えてくださってありがとうございました!!
コトラマダム
- Decoさん からの返信 2022/06/16 13:35:32
- Re: 萩尾望都先生…
- マダム、こんにちは。
マニアックな旅行記にコメントをいただいて、本当に感謝しています。
私も社会だ文化だとエラソーなことを書いていますが、要はマダムが萩尾望都先生から感じてくださったように、ポーの一族など身近なところから炭鉱の周辺の人たちを思っていただければ、と思います。
萩尾先生のお父様は、三池港務所にお勤めだったそうで、多分先生もその社宅で育たれたのだと思います。最後の信号電材の横の人道モニュメント。実物があったころは、萩尾先生のお父様も何度も通られたかもしれません。もしかしたら、先生ご自身も。
三池炭鉱だけでなく、他の炭鉱や産業でも厳しい環境はあったと思います。でも、その中でも生活を成り立たせて幸せな暮らしがあったのですよね。文化展の社宅の写真で笑う人たち。心の底からの笑顔で、現代でこんな笑顔が見られるだろうか、と思ったりしました。
日本の近代化産業、まぎれもなく三井系列はその一翼を担っていたわけで、その中には過酷すぎる労働など問題もありますが、銀行、保険、製品、仕事の取引先と、日本の中で三井と関わりがない人を探す方が難しいと思います。正の遺産、負の遺産、両方含めて、その過程の上に今の私たちの暮らしがあるのだと思います。
ありがとうございました(#^.^#)
Deco
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