2020/12/12 - 2020/12/13
101位(同エリア3563件中)
旅猫さん
冬の足音が近付いて来た12月中旬、京の都を歩いてみることにした。
今回は、今出川から西陣、北野と歩き、三条界隈に宿泊。
翌日、南禅寺界隈から六波羅へと散策する旅程とした。
紅葉の季節が過ぎたとは言え、さすがに京の都は人が多かったが、大通りや有名な寺社仏閣を避けて歩いたので、ゆっくりと町家や史跡などを巡ることが出来た。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 2.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
-
東京駅を8時9分に出る『のぞみ15号』に乗車。
新型コロナの感染が拡大しているが、車内はそこそこ混んでいた。
対策を講じていれば、日々満員の通勤電車に押し込まれたりや混み合う雑踏の中にいるより、余程感染する率は低い。 -
京都駅からは、地下鉄に乗り今出川駅へと向かう。
新型コロナが騒がれ始めた2月の下旬に訪れて以来の京都である。
その頃より人出は多いようだが、地元の人が圧倒的に多い。今出川駅 駅
-
今出川通沿いの出口から地上へ出て少し歩くと、角に石柱が建っていた。
そこには、『従是東北 足利将軍室町第址』と彫られている。
室町幕府3代将軍足利義満が造営した室町御所、通称『花の御所』があった場所だ。
近くのマンション敷地に、発掘された庭園の景石が保存されているが、居住者以外は立入が出来ないので、遠くから眺めることしかできなかった。足利将軍室町第跡 名所・史跡
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御所跡の東側を走る烏丸通の東側には、同志社大学の校舎が建ち並んでいる。
入口近くに建っていた煉瓦造りの建物は、とても瀟洒だった。
後で調べると、明治17年(1884)に建てられた彰栄館と言う建物で、国の重要文化財に登録されているそうだ。同志社大学 今出川校地 名所・史跡
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室町通を渡り西へと路地を辿って行く。
蒔鳥屋町を抜け、中御霊図子町に出ると、衣棚通沿いに弁柄格子のある町屋が建っていた。
京の都も近代的な街並みが多くなったが、まだまだ風情のある町屋も残っている。 -
同志社大学新町キャンパスの南側を通り、小川通に出る。
そこを南へと進むと、その西側に実相院町が広がる。
その一角に、古い街名表示が掛かっていた。
そこには、『上京區 小川通今出川上ル西入 實相院町』とあった。
最近は、住居表示も変わり、このような表記も珍しくなった。 -
実相院町に沿って南北に走る油小路通を南下する。
途中、マンションの脇に井戸らしきものがあり、そこに建つ石柱には、本阿弥光悦京屋敷跡とあった。
刀剣の研ぎなどでその名を知られる本阿弥家の屋敷があった場所で、光悦が前半生を過ごした場所だそうだ。 -
油小路通が今出川通に出会う角に、白峯神宮と言う社が建っていた。
崇徳上皇を祀った社で、江戸時代までは、藤原北家の庶流である飛鳥井家の邸宅が建っていたそうだ。
かの『枕草子』に挙げられている九つの井戸ひとつ『飛鳥井』は、この敷地内にあったらしく、その傍らにあったというオガタマノキは現存していた。
樹齢800年は経っているそうだ。白峯神宮 寺・神社・教会
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拝殿の前には、右近の橘と左近の櫻と言うものがあった。
ちょうど橘には、黄色い小さな実がなっていた。 -
拝殿の前には、大きな鈴が置かれていた。
この社では、軒に下げられた鈴を鳴らすのではなく、その置かれた鈴を抱え上げて振って鳴らすと言う変わったものだった。 -
白峯神社から今出川通を西へと向かい、堀川通を渡ると、そこには和菓子の名店『鶴屋吉信』があった。
新宿の職場近くにもあり、たまに購入するので、ある意味馴染みがある。
その店が建つ場所は舟橋と呼ばれ、室町時代初期には、足利家の執事であった高師直の邸宅があったそうだ。鶴屋吉信 グルメ・レストラン
-
覘いてみると、二階に『菓遊茶屋』と言う喫茶があると言うので、そこで少し休んでいくことにした。
季節の生菓子と抹茶を頼むと、生菓子は目の前で作ってくれるという。
二種類の生菓子からひとつを選ぶのだが、赤い色が綺麗だったので、『冬椿』をお願いした。
職人が、説明をしながら手際よく椿の形に作って行くのは、とても興味深かった。 -
菓遊茶屋の続きにある休み処で、その生菓子をいただく。
そこは、ビルの中とは思えないほど風情のある空間が設けられていた。 -
中庭を眺めることが出来る椅子に腰掛け、抹茶とともに『冬椿』を味わう。
まさに作り立てで柔らかく、上品な甘さが口の中に広がった。
甘いものは好まないのだが、このような上品な甘さは好きなので、生の和菓子は好んで食べているのだ。 -
ゆったりとした時間を過ごした後、散策を続ける。
鶴屋吉信の並びに沿って歩いて行くと、『西陣』と刻まれた大きな石碑があった。
応仁の乱の際、この辺りに山名宗全を対象とする西軍の本陣があったのだ。
石碑のある場所には、京都市考古資料館が建っていたので、立ち寄ってみることにした。西陣 名所・史跡
-
その施設は、京都市内で発掘された考古資料を展示しているもので、縄文時代から江戸時代までの資料を見ることができる。
中には、平安京造営の際に地鎮祭を行った際に用いられた道具もあり、これが発掘されたことで、平安京の内裏の位置が正確に分かったのだそうだ。
他にも本能寺の瓦や聚楽第の金箔瓦なども展示されていた。京都市考古資料館 美術館・博物館
-
資料館を見学した後、堀川通の西側にある山名町へと向かう。
その町は、応仁の乱の当時、山名宗全の邸宅があったことから名付けられたもので、国の登録有形文化財である藤田家住宅の並びに、邸宅跡を示す石碑も建てられていた。
まさにここが、西軍の本陣だった場所である。山名宗全の邸宅跡 名所・史跡
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山名町の西側を走る猪熊通を北へ向かうと、旧西陣小学校があった。
十字路に面して建つ本館は木造だそうだ。
奥に、昭和初期に建てられた校舎が建っていた。
平成7年3月に廃校となり、今は使われていないそうだ。 -
大宮通りを越え、紋屋図子へと入る。
そこは落ち着いた風情が漂い、古い町家などもそこそこ建っていた。
紋屋とは、宮中に収める有職織物を取り仕切っていた織元『御寮織物司』のことで、紋屋町には5軒もあったそうだ。 -
その一角に、名の知られた三上家路地がある。
三上家もまた紋屋であり、現存する唯一のものだそうだ。
今も、路地には職人が暮らしていた長屋が軒を連ねているが、現在は、陶芸家や蜂蜜工房などになっていた。 -
智恵光院通を渡り、本隆寺の北側を歩いて行く。
途中には、西陣聖天で知られる雨宝院がある。
境内は狭いが、なかなか風情のある寺院であり、西陣5名水のひとつである『染殿井』などもあった。雨宝院 寺・神社・教会
-
その雨宝院の南側には、本隆寺の塀が続いている。
瓦を重ねて造られた塀で、こちらも良い風情を醸し出していた。本隆寺 寺・神社・教会
-
聖天町をぐるりと巡り、硯屋町を貫く上立売通を散策。
この界隈に町家は少なかったが、味のある建物には出会えた。 -
智恵光院通を南へと向かう。
今出川通から一本入った五辻通には、風情のある街並みが続いていた。
その中に、『鳥岩樓』と言う鶏料理の店があった。
水炊きが自慢のようだ。 -
さらに歩いて行くと、首途八幡宮と言う社が建っている。
源義経に所縁があるというので立ち寄ってみる。
細長い参道の先に狭い境内があり、石段の奥に社殿があった。
この辺りに、かの金売吉次の屋敷があったと云われ、奥州に向かう義経が道中の無事を祈願したと伝わることから、名付けられたそうだ。
このことから、旅行安全の神として信仰されているようだ。首途八幡宮 寺・神社・教会
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今出川通を渡り、さらに南側へと歩いて行く。
そして、中筋通から元誓願寺通、笹屋町通と三つの通りを散策。
再生され綺麗になった町家も多かったが、中筋通などには、趣のある町屋がまだかなり残っていて、なかなか見応えがあった。 -
千本通に出て、千本今出川の交差点を渡り、五辻通まで北上する。
五辻角で五辻通に入り、西へと歩いて行く。
途中に気になる町屋喫茶があったが、混んでいたので諦める。
その先に、千本釈迦堂と呼ばれる大法恩寺があった。
その寺の本堂は、安貞元年(1227)の創建当時のもので、京都市内に残る最古の仏殿建築らしく、国宝に指定されていた。
その本堂の前には、阿亀桜と言う枝ぶりの良い枝垂桜があり、開花期には美しい姿が観られそうだ。千本釈迦堂(大報恩寺) 寺・神社・教会
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大法恩寺の参道から続く旧七本松通を歩き、上七軒交差点から上七軒通へと入り、北野天満宮へ向かう。
戦前まで花街として賑わっていた界隈だが、戦後は衰退。
今も花街としての伝統は細々と息づいているようだが、通り沿いには置屋などを活用した商業施設が多い。上七軒 名所・史跡
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北野天満宮は2月に立ち寄っていたので、今回は平野神社を目指す。
天満宮の北側に出ると、道沿いに町家喫茶があったので、そこで遅いお昼を食べることにした。
中へ入ると、なかなか良い感じだった。
歩いてお腹が空いていたので、ナポリタンを注文した。 -
すぐに、店主の祖母らしき方が挨拶に来たのだが、その方が自分の若い頃の話を話し始めた。
その話が長く、料理が来ても近くに立って話続けたので、店主が来て、連行されていった。
悪気はないのだろうが、同じ話が何度も出て来るので、かなり閉口していたのだ。
肝心のナポリタンは薄味で、ソーセージではなく、ベーコンだったのが残念だった。 -
その喫茶の並びに、可愛い石像がたくさん祀られた祠があった。
京都の街角には、至る所に地蔵などが祀られていて、なかなか風情がある。 -
天神川を渡ると、突き当りに平野神社の大きな鳥居が見えてきた。
平野神社は由緒のある社らしいが、諸説ありよくわからないようだ。
本殿は平野造と呼ばれ国の重要文化財であり、東向きに建っているのが特徴らしい。
境内では、初冬らしく、水仙や10月桜が咲いていた。平野神社 寺・神社・教会
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歩き疲れたので、平尾神社から南にある嵐電の北野白梅町駅から宿へ向かうことにした。
帷子ノ辻駅から嵐電天神川駅へ出て、太秦天神川から地下鉄に乗り換えて、最寄りの京都市役所駅前駅で降りた。
今宵の宿は、駅から数分のところにある『ザ ロイヤルパークホテル 京都三条』だ。
部屋はそこそこ広く、悪くはなかった。京都観光に便利な立地 by 旅猫さんザ ロイヤルパークホテル 京都三条 宿・ホテル
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しばらく部屋で寛いだ後、夕食を求めて外に出た。
すると、街には人が溢れていた。
土曜日の夜と言うこともあるのだろうが、新宿三丁目よりも人が多い。
多くの人が飲食店目当ての様で、どこも混んでいて、入りづらい。
仕方が無く、宿の地下にあった洋食店に入ったが、食事も飲み物も高いばかりで正直がっかりだった。 -
外へ出ると、隣にパン屋があったので、夜食と朝食用に何か買っておこうと立ち寄ることにする。
こちらも、思ったよりも品数が少なく、今一つだった。
部屋に戻り、クリームパンを食べてみたが、変に柔らかく、かなり甘かった。進々堂 三条河原町店 グルメ・レストラン
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翌朝、三条大橋を渡り、三条京阪駅を目指す。
三条界隈は、昨夜の喧騒が嘘のように静かだった。
旅を再開して気付いたのは、観光地は比較的静かであること、訪れている人達も受け入れる人達も、しっかり対策を講じていることだ。
反面、都市部の夜間の人出が非常に多いことが気になった。三条大橋 名所・史跡
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駅の手前で、立派な門の奥に色づいた銀杏の木を見つけた。
ふらりと入ってみると、思いのほか大きな寺院だった。
壇王法林寺と言う寺で、本堂などは江戸時代に建てられたものだそうだ。檀王法林寺 寺・神社・教会
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その斜向かいには、かなり渋い肉屋と思われる建物があった。
調べてみると、キヨタ牛肉店と言う店だった。
三条大橋のすぐ近くで、近代的なビルばかりのこの界隈で、街の記憶を伝える貴重な存在だ。 -
三条京阪駅から地下鉄に乗り、二つ先の蹴上駅で下車。
本来なら、日向大神宮を参拝後、インクラインを下るのが歩きやすいのだが、新型コロナの影響で、日向大神宮の受付が10時からと言うことで、仕方が無く、逆回りで散策することにする。
駅からインクライン沿いに下ると、煉瓦造りの小さな隧道があった。
『ねじりまんぽ』と呼ばれるもので、『まんぽ』とは隧道を示す古い言葉で、煉瓦が斜めに巻かれていることから名付けられたようだ。
上部の扁額は、第3代京都府知事北垣国道によるものだそうだ。琵琶湖疏水ねじりまんぼ 公園・植物園
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南禅寺前交差点でインクラインを越える。
橋の上から眺めてみたが、なかなか良い場所のようだ。 -
とりあえず琵琶湖疏水記念館に立ち寄り、疎水とインクラインの歴史を学ぶ。
改めて、壮大な事業だったことを実感した。
外へ出ると、琵琶湖から流れて来た水が勢い良く注がれている。
物凄い水量で、正直怖いくらいだった。琵琶湖疏水記念館 美術館・博物館
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記念館から、インクラインへ入る。
寂びた線路が残る道を登って行くと、途中に色鮮やかな紅葉が残っていた。
秋の京都がまだ少し残っていて嬉しい。 -
インクラインは傾斜鉄道のことであり、琵琶湖疎水のうち、高低差の大きいこの区間を、台車に運搬用の船を直接載せて運ぶために建設されたそうだ。
紅葉の季節が過ぎたので、観光客の姿は疎らだった。インクライン 名所・史跡
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坂を登り切ると、その先には運搬船を台車に載せるための蹴上船溜があった。
実際に使われていた台車が置かれ、その上には、復元された運搬船も載せられ、どのような状態で物資を運んだのかが分かるようになっていた。 -
そこから、日向大神宮へと向かう。
途中、大正12年に架けられた大神宮橋からは、煉瓦造りの瀟洒な建物が見えた。
これは、旧御所水道ポンプ室(旧九条山浄水場原水ポンプ室)で、疏水から御所へ防火用水を送るため、宮内省内匠寮の設計により、明治45年(1912)に造られたそうだ。 -
大神宮橋から細い道を辿って行くと、日向大神宮に着く。
この社は、高千穂の峯の神蹟を移して創建されたと云われている。
境内は、内宮と外宮に別れ、京の伊勢と呼ばれている。
境内は静かで、名残りの紅葉が茅葺の屋根に映え、とても風情があった。日向大神宮 寺・神社・教会
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内宮の脇から少し登ると、天の岩戸と言う場所がある。
手掘りの洞窟のような感じで、神聖な雰囲気は感じなかった。 -
そこは戸隠神社とされ、中には戸隠大明神が祀られていた。
洞窟は、中でほぼ直角曲がっているが、両側が開いているので、中はそれほど暗くなかった。 -
日向大神宮からは、蹴上駅のへと戻ることにしていたが、インクラインの脇から、南禅寺の方へ抜けることが出来るようなので、行ってみることにした。
その道は、疎水から分かれた水路沿いに続いていた。
とても静かで、途中、二人連れとすれ違っただけだった。 -
歩いて行くと、その水路は南禅寺水路閣に続いていた。
水路閣は何度か見たことがあったが、上から眺めたのは初めてだった。 -
そこから南禅寺の境内へ降り、水路閣を眺める。
観光客に人気の場所で、いつもなら写真を撮る人たちで賑わっているのだが、この日は日曜日だというのに、かなり空いていた。南禅寺 寺・神社・教会
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境内を通り、山門から外に出る。
三門の近くでも、まだ綺麗な紅葉が観られた。 -
南禅寺から、蹴上駅の方へと戻る。
その道には、綺麗な山茶花が咲いていた。 -
その先に、金地院と言う寺院があり、庭園が綺麗そうなので、拝観することにした。
700円追加すると、特別拝観も出来るというので、奮発した。
門を入ると、庭園の入口にもうひとつ門が建っていた。
『明智門』と呼ばれ、かの明智光秀が母の菩提を弔うために大徳寺に建立したものを、明治になって移築したものだそうだ。金地院 寺・神社・教会
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明智門を入ると池があり、道はその畔を回って行く。
地面を美しい苔が覆う中を歩いて行くと、紫陽花が植わるまっすぐな道に出た。
その先には、徳川家康を祀る東照宮が建っている。
金地院は、黒衣の宰相と呼ばれ、徳川幕府の草創期に活躍した以心崇伝所縁の寺院なので、東照宮が鎮座しているのだ。 -
東照宮の脇から降りると、方丈の前に広がる庭に出る。
鶴亀の庭と呼ばれる枯山水の庭園で、小堀遠州の作である。
特別拝観の時間まで30分ほどあったので、方丈の前に座り、庭を眺めて過ごすことにした。金地院 寺・神社・教会
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方丈内の特別拝観は、予定の11時30分より前倒しで11時過ぎに始まった。
その方丈は慶長16年に以心崇伝により建立されたもので、襖絵は狩野探幽によるものだが、それらは拝観できなかった。
係員の案内により拝観できたのは、小方丈にある長谷川等伯による『猿猴促月図』や『老梅図』、京都三名席のひとつである小堀遠州による茶席『八窓席』などで、興味深い説明を聞きながらの拝観はとても有意義だった。金地院 寺・神社・教会
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予定外で立ち寄った金地院を出ると、ちょうど1時間経っていた。
その金地院の向かいには、南禅寺界隈別荘の一つである何有荘があった。
素晴らしい庭があるそうだが、見学はできない。
道に面した石垣だけでも、見応えがある。 -
インクラインの下を、ねじりまんぽで潜る。
三条通を渡ると、煉瓦造りの大きな建物があった。
それは、琵琶湖疏水を利用し、明治24年(1891)に運転を開始した水路式水力発電所の建物だそうだ。
現在、関西電力蹴上発電所として現役で活躍しているそうだ。第二期蹴上発電所 名所・史跡
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その発電所の近くに、可愛い喫茶店があったので、そこで昼食とした。
8席しかない小さな店だが、窓からは発電所を望むことができる。 -
ホットドッグのセットがあったので、珈琲と一緒にいただくことにした。
貸切状態で、ゆったりとした時間が流れていく。
旅先でのこんな時間も良いものだ。 -
店を出て、三条通北裏を歩いて行く。
道沿いには、そこかしこに町屋が建ち、そこそこ風情がある。
堀池町まで来ると、そこには魅惑的な路地もあった。 -
その先には、明治から大正にかけて活躍した七宝焼き作家の並河靖之の記念館があったので、覗いてみることにした。
中には、精細な七宝焼きの作品が展示され、一見の価値がある。
順路の途中にある庭園は、七代目小川治兵衛によるものだそうだ。並河靖之七宝記念館 美術館・博物館
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記念館を出ると、白川の優し気な流れに出会った。
京都にも、こんな場所があるのだと初めて知った。白川 自然・景勝地
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三条通を渡り、白川橋から白川沿いに歩いて行く。
途中、路地裏に明智光秀の塚と言うところがあった。
粟田口に晒された首が埋められたと伝わる三条通北側から、江戸時代中期に石塔婆が移された場所だそうだ。
急に雨が落ちてきて、まるで光秀が泣いているかのようだった。明智光秀の塚 名所・史跡
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近くには、一本橋と言う細い橋が架かっていた。
比叡山で千日回峰行を終えた行者が、京都に入る際に最初に渡る橋で、通称行者橋とも阿闍梨橋とも呼ばれているそうだ。
ちょうど、着物を着た若い女性が渡っていて、とても絵になっていた。 -
小雨が降る中、知恩院前から丸山公園を通り、高台寺へと抜ける。
西行庵近くでは、鮮やかな紅葉が道を彩っていた。 -
ねねの道に入り少し進むと、左手に高台寺塔頭の月真院がある。
そこは、幕末、孝明天皇の御陵衛士を名乗った伊東甲子太郎らが屯所としていた場所だそうだ。
拝観はできないが、門から中を覗くことが出来た。月真院 (御陵衛士屯所跡) 寺・神社・教会
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高台寺前からは、急に観光客の姿が増えてきた。
竹内栖鳳艇跡の脇から一念坂を通り二寧坂へと出ると、さらに人で溢れかえっていた。
まさに観光地と言った風情で、派手な着物を着た若い人たちも多い。
産寧坂も大いに賑わい、立ち止まることすらできない。
道の先には、八坂の塔が見えてきた。法観寺 (八坂の塔) 寺・神社・教会
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地図を見ると、八坂の塔の近くに、朝日将軍木曽義仲塚とある。
どこにあるのかと探してみると、八坂の塔のある法観寺の境内にあるようなので、拝観料を払って中に入ることにした。
すると、その塚は小さな五輪塔で、木曽義仲の首塚であった。 -
八坂の塔の内部も見学できるというので、中へ入ると、二層目まで登れるようになっていた。
しかし、狭くて急な梯子のような階段で、かなり怖かった。
それでも、二層目からの眺めはなかなか良かった。
外の賑わいが嘘のように静かな境内では、美しい紅葉も観られた。 -
八坂通りを西へと進み、六波羅界隈へと入る。
予定では、六道珍皇寺などに立ち寄ることにしていたのだが、途中でいろいろ寄り道したので、今回はこの辺で散策を切り上げ、帰ることにした。
途中の六道の辻に、幽霊子育飴なるものがあったので、立ち寄ってみる。
水飴とグラニュー糖だけで造った琥珀色の素朴な飴だった。みなとや 幽霊子育飴本舗 グルメ・レストラン
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その辻の南側には、六波羅蜜寺がある。
平安時代は平氏一門の邸宅あった六波羅第で、鎌倉時代には、六波羅探題北方が設置されていた場所である。
境内に石碑があるらしいが、時間が無いので、今回は素通りした。六波羅蜜寺 寺・神社・教会
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清水五条駅か京阪線で東福寺駅まで行き、JR線に乗り換え京都駅に出た。
京都駅からは、15時6分発の『のぞみ390号』に乗り、京都を離れた。
歩き疲れて眠ってしまったが、目を覚ますとちょうど車窓に富士山が見えてていた。
雪がすっかり無くなり、まるで夏富士のようだ。
10ヶ月ぶりに訪れた京の都。
新型コロナの影響で観光客は減ってはいたが、繁華街や有名な観光地には人が溢れていた。
感染を避けるためには、賑わう場所を避けて旅をするのが大事である。
今回、清水界隈を通り、改めて思った。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ポテのお散歩さん 2021/04/14 01:30:23
- 西陣辺り
- 旅猫さん こんばんは。
西陣街歩きにお邪魔しています。
一日目に歩かれた辺り、まだ町屋が残っていて 良い雰囲気ですよね。 平野神社方面から烏丸辺りまで 季節の良い時は頑張って歩いたりします。 今回は一条通を。。。次は五辻通を。。。 東西の道が終わると 南北をまた一本ずつ。。。と、結構 歩きます。 ただ千本通りから御所へ向かって歩くと バス通りが無くなるし 民家ばかりでお店も無かったりするので、夏や冬は歩かなくなりました。 夏は お水を持っていても熱中症になりかけたし、冬はお手洗いに困っていた時にホテルを見つけて助かったり。。。(^-^;
旅猫さんが歩かれた辺りは タイミングが良ければ機織りの音が聞こえる地域で、織屋さん・友禅の柄を描く人や染屋さんが点在しているので、一番京都らしい地域なんですが、数が少なくなって寂しくなりました。
宿泊された場所は 木屋町通りと河原町通りの間にありますね。 学生さん達が飲み歩く所です~。 特に三条から四条にかけて。 でも 静かな京都も歩いて頂けて 嬉しいです(*^^*)
ポテ
- 旅猫さん からの返信 2021/04/17 22:15:46
- RE: 西陣辺り
- ポテさん こんばんは。
書き込みありがとうございます!
お返事が遅くなりすみません。
京都でも、まだ町屋が結構残っていますよね。
裏道を歩くと、風情があって良いですね。
京都はもっと歩いてみたいのですが、なかなか難しくて。
近くに住んでいると、気ままに歩けていいですね。
京都の夏は暑いので、水は必需品ですね。
熱中症、怖いですからお気を付けください。
まだ機織りの音が聞こえることがあるのですね!
それは聴いてみたいものですが、機会が良くないと駄目ですね。
日本では、音も遺産になりかけているものが増えて、寂しいものです。
泊った界隈は、無茶苦茶賑やかでした(笑)
泊る場所も、考えないと駄目ですね。
旅猫
-
- たらよろさん 2020/12/21 20:28:01
- 進々堂のクリームパン
- こんばんは、旅猫さん
晩秋というよりも初冬の京都。
人がそんなに多かったですか?
最近、、、コロナ禍になってから、週末の夜に繁華街に行ったことがなく、
現状どのような感じになっているのか、
全然知りませんでした。
そっか~、やっぱり多いのか。
ロイヤルパーク三条の中のレストランも、シチューだったっけかな?
人気だったはず。
進々堂のクリームパンも人気なんですよー
カスタードクリームを使ったシュークリームのようで、
そういう意味ではスイーツ寄りですね…
鶴屋吉信さんで、作りたての生菓子召し上がったんですね。
京都ならではの作りたて…
本当に美味しいですよねー♪
お正月はケーキより生菓子を頂くのが大好きです~。
たらよろ
- 旅猫さん からの返信 2020/12/22 11:07:57
- RE: 進々堂のクリームパン
- たらよろさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
初冬の京都、人が多かったです。
まあ、有名観光地のところだけですが。
昼間より、夜の方が人が多かったですよ。
三条界隈は、新宿の繁華街より多かったです。
あのレストランもパン屋も、人気だったのですね。
でも、個人的には美味しいとは思えませんでした。
クリームパンも、甘すぎて。
鶴屋吉信の生菓子は美味しかったです。
上品な甘さで。
確かに、正月はケーキより生菓子の方がいいですよね。
旅猫
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