二条・烏丸・河原町旅行記(ブログ) 一覧に戻る
京都での二日目。今回は、まったくの無計画なので、行く場所は当日に考える。宿で地図を広げて悩んだ挙句、まずは、朝の祇園界隈を訪ね、その後、新選組所縁の壬生、島原界隈を歩くこと決めた。昨夜、京都に住む友人に連絡を取り、夕方会うことにしたので、それまで歩き回ることにする。<br /><br />(2021.12.30 投稿)

師走の京都逍遥【2】~祇園から壬生、島原へ~

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2021/12/24 - 2021/12/24

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旅行記グループ 【山城国】

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旅猫

旅猫さん

京都での二日目。今回は、まったくの無計画なので、行く場所は当日に考える。宿で地図を広げて悩んだ挙句、まずは、朝の祇園界隈を訪ね、その後、新選組所縁の壬生、島原界隈を歩くこと決めた。昨夜、京都に住む友人に連絡を取り、夕方会うことにしたので、それまで歩き回ることにする。

(2021.12.30 投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
3.5
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 朝8時に宿を出る。まずは四条大橋を渡り、祇園へと向かう。橋の上に立ち、景色を見渡す。街並みは変わっても、鴨川の流れは悠久の時を紡いでいる。上流には、東海道の西の起点である三条大橋も見えていた。

    朝8時に宿を出る。まずは四条大橋を渡り、祇園へと向かう。橋の上に立ち、景色を見渡す。街並みは変わっても、鴨川の流れは悠久の時を紡いでいる。上流には、東海道の西の起点である三条大橋も見えていた。

  • 東詰から祇園へと歩を進めると、すぐのところに北座跡がある。この界隈には、江戸時代、7軒の芝居小屋があったそうだ。その後、北座と今も残る南座だけとなったが、明治26年に四条通の拡幅により、北座は消滅したそうである。

    東詰から祇園へと歩を進めると、すぐのところに北座跡がある。この界隈には、江戸時代、7軒の芝居小屋があったそうだ。その後、北座と今も残る南座だけとなったが、明治26年に四条通の拡幅により、北座は消滅したそうである。

  • 白川に架かる大和橋を渡り、白川筋に出た。朝と言うこともあり、人影は無い。やはり、この時間に訪れて正解であった。白川筋と呼ばれる白川南通は、戦後に造られた道で、以前は町屋が建ち並んでいた場所である。

    白川に架かる大和橋を渡り、白川筋に出た。朝と言うこともあり、人影は無い。やはり、この時間に訪れて正解であった。白川筋と呼ばれる白川南通は、戦後に造られた道で、以前は町屋が建ち並んでいた場所である。

  • 白川に沿って、風情のある建物が軒を連ねている。

    白川に沿って、風情のある建物が軒を連ねている。

  • そして、かの巽橋に出た。さすがに人が居るかと思ったが、なんと貸切である。地元の方が時より通り過ぎるだけで、寂しいくらいであった。

    そして、かの巽橋に出た。さすがに人が居るかと思ったが、なんと貸切である。地元の方が時より通り過ぎるだけで、寂しいくらいであった。

  • 橋の向こう側には、軒下に犬矢来を設けた町屋が並んでいる。個人的には、京都と言えば、犬矢来のある風景だと思っている。色々な用途のある犬矢来だが、祇園のような花街では、雨宿りご遠慮くださいと言う意味合いもある。

    橋の向こう側には、軒下に犬矢来を設けた町屋が並んでいる。個人的には、京都と言えば、犬矢来のある風景だと思っている。色々な用途のある犬矢来だが、祇園のような花街では、雨宿りご遠慮くださいと言う意味合いもある。

  • 橋の南詰には、辰巳大明神が祀られている。現在では、巽橋と並ぶ、祇園の象徴であるが、この景色も戦後に生まれた新しいものである。

    橋の南詰には、辰巳大明神が祀られている。現在では、巽橋と並ぶ、祇園の象徴であるが、この景色も戦後に生まれた新しいものである。

  • 辰巳大明神の北側に続く道沿いには、町屋造りの建物が軒を連ねている。その界隈は、祇園発祥の地とされる新橋地区である。その中には、井筒屋と言う元はお茶屋だった建物もあり、幕末には高杉晋作も遊んだそうだ。

    辰巳大明神の北側に続く道沿いには、町屋造りの建物が軒を連ねている。その界隈は、祇園発祥の地とされる新橋地区である。その中には、井筒屋と言う元はお茶屋だった建物もあり、幕末には高杉晋作も遊んだそうだ。

  • 新築のように木肌の美しいものもある。新しく建てられたものなら、まだ伝統的な町屋を建てる技が残っていると言うことだ。京都なら、あり得ることである。日本家屋は、多くが現在は建てることが出来ない。高層ビルを建てる技術はあっても、伝統的な木造建築を建てる技が失われては、国としては衰退しているのではないだろうか。

    新築のように木肌の美しいものもある。新しく建てられたものなら、まだ伝統的な町屋を建てる技が残っていると言うことだ。京都なら、あり得ることである。日本家屋は、多くが現在は建てることが出来ない。高層ビルを建てる技術はあっても、伝統的な木造建築を建てる技が失われては、国としては衰退しているのではないだろうか。

  • 人気の無い祇園を歩いた後、四条大橋を渡り返す。西詰の南側には、洒落た外観の建物が建っている。北京料理の『東華菜館』の本店である。大正15年(1926)に、かのヴォーリズの設計により、西洋料理店として建てられたものである。館内には、日本最古のエレベータがあるらしい。

    人気の無い祇園を歩いた後、四条大橋を渡り返す。西詰の南側には、洒落た外観の建物が建っている。北京料理の『東華菜館』の本店である。大正15年(1926)に、かのヴォーリズの設計により、西洋料理店として建てられたものである。館内には、日本最古のエレベータがあるらしい。

  • その近くの京都河原町駅から、阪急京都線に乗る。久しぶりに乗ったが、阪急の車両はどこか上品な感じがする。二駅目の大宮駅で下車。埼玉県民にとっては馴染み深い駅名だが、京都のそれは小さな駅であった。

    その近くの京都河原町駅から、阪急京都線に乗る。久しぶりに乗ったが、阪急の車両はどこか上品な感じがする。二駅目の大宮駅で下車。埼玉県民にとっては馴染み深い駅名だが、京都のそれは小さな駅であった。

  • 駅の南側の路地に入る。そこは寺が多い。歩いて行くと、門の前に、新選組之墓と刻まれた石柱の立つ寺があった。光縁寺と言う寺で、幕末には、門前に新選組の馬小屋があったそうだ。その縁で、隊士の切腹がこの寺で行われたそうで、かの山南敬助の墓もあるそうだ。

    駅の南側の路地に入る。そこは寺が多い。歩いて行くと、門の前に、新選組之墓と刻まれた石柱の立つ寺があった。光縁寺と言う寺で、幕末には、門前に新選組の馬小屋があったそうだ。その縁で、隊士の切腹がこの寺で行われたそうで、かの山南敬助の墓もあるそうだ。

    光縁寺 寺・神社・教会

  • 光縁寺の少し先に、小奇麗な長屋門があった。そこが、幕末に活躍した新選組の最初の屯所であった旧前川邸である。見学しようと門を入ると、貼り紙に土日のみとありがっかり。邸内には、池田屋事件の発端となった古高俊太郎の取り調べが行われた蔵や、芹沢派の野口健司、副長山南敬助が切腹した部屋なども残されているそうだ。

    光縁寺の少し先に、小奇麗な長屋門があった。そこが、幕末に活躍した新選組の最初の屯所であった旧前川邸である。見学しようと門を入ると、貼り紙に土日のみとありがっかり。邸内には、池田屋事件の発端となった古高俊太郎の取り調べが行われた蔵や、芹沢派の野口健司、副長山南敬助が切腹した部屋なども残されているそうだ。

  • 旧前川邸のすぐ近くに、鶴屋と言う和菓子屋がある。この地の郷士であった八木家が経営する店で、現在は15代目だそうだ。八木家の邸宅も新選組の屯所として使われ、現在も当時のまま残されている。見学は案内者付きで、10時の回に参加した。芹沢鴨が暗殺された部屋や、刀傷が残る柱などがあり、幕末の動乱を今に伝えていた。なお、八木家の家紋は三つ盛木瓜で、越前朝倉氏と同族である。

    旧前川邸のすぐ近くに、鶴屋と言う和菓子屋がある。この地の郷士であった八木家が経営する店で、現在は15代目だそうだ。八木家の邸宅も新選組の屯所として使われ、現在も当時のまま残されている。見学は案内者付きで、10時の回に参加した。芹沢鴨が暗殺された部屋や、刀傷が残る柱などがあり、幕末の動乱を今に伝えていた。なお、八木家の家紋は三つ盛木瓜で、越前朝倉氏と同族である。

  • 見学は30分ほどで終了。新選組の解説が長く、歴史を良く知る人にとっては、少々退屈な時間であった。とは言え、貴重な歴史の遺構を観ることが出来るので、そこは我慢が必要である。

    見学は30分ほどで終了。新選組の解説が長く、歴史を良く知る人にとっては、少々退屈な時間であった。とは言え、貴重な歴史の遺構を観ることが出来るので、そこは我慢が必要である。

  • その後、拝観料に付いて来る抹茶と屯所餅をいただく。屯所餅は、新選組に因んだ菓子で、地元で栽培されていたという壬生菜を刻み込んであるそうだ。外に置かれた縁台には陽が当たり、とても気持ち良く、しばらくそこでのんびり過ごした。

    その後、拝観料に付いて来る抹茶と屯所餅をいただく。屯所餅は、新選組に因んだ菓子で、地元で栽培されていたという壬生菜を刻み込んであるそうだ。外に置かれた縁台には陽が当たり、とても気持ち良く、しばらくそこでのんびり過ごした。

  • 旧八木邸を後にして、隣接する壬生寺に向かう。壬生寺は、鑑真和上所縁の古刹だが、幕末には新選組の調練場として使われていたそうである。境内にある壬生塚には、芹沢鴨らの墓碑の他、平安時代から続く壬生官務家小槻氏の墓もあった。

    旧八木邸を後にして、隣接する壬生寺に向かう。壬生寺は、鑑真和上所縁の古刹だが、幕末には新選組の調練場として使われていたそうである。境内にある壬生塚には、芹沢鴨らの墓碑の他、平安時代から続く壬生官務家小槻氏の墓もあった。

  • 壬生寺から南へと歩いて行く。五条通を越え、さらに歩いて行くと、京都中央市場青果卸売協同組合の敷地の北側に、朱雀大路跡の碑があった。昨日観た羅城門跡から続き道の跡で、幅は約84mもあったそうだ。道の脇には、天皇家の別邸である朱雀院や貴族の邸宅、迎賓館である東西鴻臚館が建ち並んでいたそうだ。平安京の中心であったその道も、今では市街地に飲み込まれ、跡形も無い。

    壬生寺から南へと歩いて行く。五条通を越え、さらに歩いて行くと、京都中央市場青果卸売協同組合の敷地の北側に、朱雀大路跡の碑があった。昨日観た羅城門跡から続き道の跡で、幅は約84mもあったそうだ。道の脇には、天皇家の別邸である朱雀院や貴族の邸宅、迎賓館である東西鴻臚館が建ち並んでいたそうだ。平安京の中心であったその道も、今では市街地に飲み込まれ、跡形も無い。

  • 市場を過ぎると、大きな銀杏の樹があった。その辺りは、島原住吉神社の旧境内地で、この銀杏は御神木だったそうだ。明治の廃仏毀釈の影響を受け廃社となったが、御神木だけは残されたそうだ。今は、袂に弁財天が祀られていた。

    市場を過ぎると、大きな銀杏の樹があった。その辺りは、島原住吉神社の旧境内地で、この銀杏は御神木だったそうだ。明治の廃仏毀釈の影響を受け廃社となったが、御神木だけは残されたそうだ。今は、袂に弁財天が祀られていた。

  • そこから南側が島原遊郭のあった場所となる。しばらく歩くと、風情のある大きな建物が見えて来た。花街島原を代表する揚屋であった『角屋』である。江戸時代には、俳壇などが作られるなど、文人らも多く集まったようだ。幕末には、新選組が宴会を行ったり、長州の久坂玄瑞が密議に利用したりなど、歴史の舞台にもなった建物である。ちなみに、芹沢鴨は、ここで行われた宴会の後に暗殺されている。

    そこから南側が島原遊郭のあった場所となる。しばらく歩くと、風情のある大きな建物が見えて来た。花街島原を代表する揚屋であった『角屋』である。江戸時代には、俳壇などが作られるなど、文人らも多く集まったようだ。幕末には、新選組が宴会を行ったり、長州の久坂玄瑞が密議に利用したりなど、歴史の舞台にもなった建物である。ちなみに、芹沢鴨は、ここで行われた宴会の後に暗殺されている。

  • 角屋は3月中旬まで休館で見学できず残念だった。近くには、元禄年間の創業で、置屋兼お茶屋であった『輪違屋』もあった。現在も営業を続けているそうである。建物は、安政4年に再建されたものだそうだ。なかなか趣のある外観で、とても美しい姿をしていた。

    角屋は3月中旬まで休館で見学できず残念だった。近くには、元禄年間の創業で、置屋兼お茶屋であった『輪違屋』もあった。現在も営業を続けているそうである。建物は、安政4年に再建されたものだそうだ。なかなか趣のある外観で、とても美しい姿をしていた。

  • 島原遊郭の東側にあった島原大門も残されていた。当初は、江戸の吉原と同様に、門はここ一箇所であったが、後に西門が設けられたそうだ。現在の門は、幕末の慶応3年(1867)に建てられたもので、島原遊郭の面影を残す貴重な遺構のひとつとなっていた。

    島原遊郭の東側にあった島原大門も残されていた。当初は、江戸の吉原と同様に、門はここ一箇所であったが、後に西門が設けられたそうだ。現在の門は、幕末の慶応3年(1867)に建てられたもので、島原遊郭の面影を残す貴重な遺構のひとつとなっていた。

  • 遊郭内に建つ古い町家には、軒下に鍾馗さんが祀られている。通常は、鬼瓦の向いに据えられるのだが、瓦屋根の民家が減った今日では、向かいに鬼瓦が無くなり、ある意味、その意味を無くしてしまっている。

    遊郭内に建つ古い町家には、軒下に鍾馗さんが祀られている。通常は、鬼瓦の向いに据えられるのだが、瓦屋根の民家が減った今日では、向かいに鬼瓦が無くなり、ある意味、その意味を無くしてしまっている。

  • 角屋の脇を取り西門跡へと向かう。塀が続き、角屋の敷地の広さがよく分かる。その奥には、平安時代、渤海国の施設を歓待したという東鴻臚館の跡を示す石碑などが建っていた。

    角屋の脇を取り西門跡へと向かう。塀が続き、角屋の敷地の広さがよく分かる。その奥には、平安時代、渤海国の施設を歓待したという東鴻臚館の跡を示す石碑などが建っていた。

  • その先に、西門跡があり、島原住吉神社が鎮座している。明治期に一度廃社となった社だが、島原の鎮守でもあり、地元の信仰が厚かったため、再興されたそうだ。とは言え、元の社名に戻ったのは平成13年のことであり、境内も狭く、元の御神木とは現在でも泣き別れとなっている。

    その先に、西門跡があり、島原住吉神社が鎮座している。明治期に一度廃社となった社だが、島原の鎮守でもあり、地元の信仰が厚かったため、再興されたそうだ。とは言え、元の社名に戻ったのは平成13年のことであり、境内も狭く、元の御神木とは現在でも泣き別れとなっている。

  • 島原花街から、西本願寺の南側を通り、油小路を目指す。油小路沿いに建つ本光寺の門前には、伊東甲子太郎外数名殉難之跡の石碑があった。そこは、新選組を脱退し御陵衛士を率いた伊東甲子太郎が、新選組に襲撃され絶命した場所である。その遺骸は、北にある七条の辻に放置され、駆け付けた御陵衛士と待ち伏せした新選組との間で切り合いとなった。これが油小路事件である。

    島原花街から、西本願寺の南側を通り、油小路を目指す。油小路沿いに建つ本光寺の門前には、伊東甲子太郎外数名殉難之跡の石碑があった。そこは、新選組を脱退し御陵衛士を率いた伊東甲子太郎が、新選組に襲撃され絶命した場所である。その遺骸は、北にある七条の辻に放置され、駆け付けた御陵衛士と待ち伏せした新選組との間で切り合いとなった。これが油小路事件である。

  • その七条の辻に、京うどんの店があったので、そこで昼食とした。関西では、たぬきは油揚げが載っていると聞いていたが、餡かけとは知らなかった。京都では、これが普通なのだろうか。細めのうどんなのは良かったが、柔らかすぎて食べづらかった。やはり、うどんは稲庭が一番である。

    その七条の辻に、京うどんの店があったので、そこで昼食とした。関西では、たぬきは油揚げが載っていると聞いていたが、餡かけとは知らなかった。京都では、これが普通なのだろうか。細めのうどんなのは良かったが、柔らかすぎて食べづらかった。やはり、うどんは稲庭が一番である。

    大阪屋 グルメ・レストラン

  • 食後、近くにある旧村井銀行七条支店の建物を眺め、再び油小路を歩く。途中、立派な煉瓦造りの建物があったが、明治45年に建てられた本願寺の伝道院の本館であった。さらに先には、美好園と言う茶舗があり、ほうじ茶のソフトクリームがあると言うので入ってみたが、残念ながら無く、代わりに抹茶のアイスをいただいた。この辺りは、幕末の天満屋騒動の舞台となった天満屋があった場所で、石碑も建っていた。

    食後、近くにある旧村井銀行七条支店の建物を眺め、再び油小路を歩く。途中、立派な煉瓦造りの建物があったが、明治45年に建てられた本願寺の伝道院の本館であった。さらに先には、美好園と言う茶舗があり、ほうじ茶のソフトクリームがあると言うので入ってみたが、残念ながら無く、代わりに抹茶のアイスをいただいた。この辺りは、幕末の天満屋騒動の舞台となった天満屋があった場所で、石碑も建っていた。

  • 茶舗の向いには、昭和の風情が色濃い雑穀問屋があった。店の構や大きな看板が良い感じである。

    茶舗の向いには、昭和の風情が色濃い雑穀問屋があった。店の構や大きな看板が良い感じである。

  • 油小路から東へと歩いて行く。若宮町と言うところまで来ると、その一角に小さな社があった。若宮八幡宮と呼ばれる社で、元は、源頼義が邸宅の前に勧請したものだそうだ。かの八幡太郎義家は、この地で生まれたそうである。

    油小路から東へと歩いて行く。若宮町と言うところまで来ると、その一角に小さな社があった。若宮八幡宮と呼ばれる社で、元は、源頼義が邸宅の前に勧請したものだそうだ。かの八幡太郎義家は、この地で生まれたそうである。

  • 六条通に出ると、猫に出会った。人懐っこい猫で、擦り寄って来る。しばらく、その猫に付き合ってしまった。その後、再び五条通を渡り、伝統的な町屋や丹波亀山藩の屋敷跡などを観ながら歩を進める。

    六条通に出ると、猫に出会った。人懐っこい猫で、擦り寄って来る。しばらく、その猫に付き合ってしまった。その後、再び五条通を渡り、伝統的な町屋や丹波亀山藩の屋敷跡などを観ながら歩を進める。

  • しばらく歩くと、繁昌社と言う社があった。商売繁盛の御利益があるらしいが、元は『班女の社』などと呼ばれていたそうだ。その名は、『宇治拾遺物語』に載る長門前司の娘に纏わるとも云われているらしい。近くに、所縁の班女塚と言う場所もあった。

    しばらく歩くと、繁昌社と言う社があった。商売繁盛の御利益があるらしいが、元は『班女の社』などと呼ばれていたそうだ。その名は、『宇治拾遺物語』に載る長門前司の娘に纏わるとも云われているらしい。近くに、所縁の班女塚と言う場所もあった。

  • さらに北へ向かうと、京格子を備えた立派な町屋があった。呉服商を営んでいた『奈良屋』の建物で、重要文化財に指定されているそうだ。名勝指定の庭園もあるそうだが、見学は出来なかった。

    さらに北へ向かうと、京格子を備えた立派な町屋があった。呉服商を営んでいた『奈良屋』の建物で、重要文化財に指定されているそうだ。名勝指定の庭園もあるそうだが、見学は出来なかった。

  • その南側に、菅大臣神社がある。そこは菅家の邸宅があった場所で、菅原道真が生まれた場所と云われている。産湯の井戸が残されているとあったが、分からなかった。境内を歩いていると、視線を感じた。その方向を観ると、摂社の賽銭箱の上に、ちょこんと猫が佇んでいた。

    その南側に、菅大臣神社がある。そこは菅家の邸宅があった場所で、菅原道真が生まれた場所と云われている。産湯の井戸が残されているとあったが、分からなかった。境内を歩いていると、視線を感じた。その方向を観ると、摂社の賽銭箱の上に、ちょこんと猫が佇んでいた。

  • 菅家邸址から四条駅へと向かう。その途中にあった大きな商家の前に、『与謝蕪村宅跡』の石柱が建っていた。案内板もあったので読んでみると、この辺りに、与謝蕪村が住んでいた家があったそうだ。晩年の作品はその家で生み出され、この地で終焉を迎えたそうである。

    菅家邸址から四条駅へと向かう。その途中にあった大きな商家の前に、『与謝蕪村宅跡』の石柱が建っていた。案内板もあったので読んでみると、この辺りに、与謝蕪村が住んでいた家があったそうだ。晩年の作品はその家で生み出され、この地で終焉を迎えたそうである。

  • 四条駅から地下鉄に乗り丸太町駅で下車。駅からすぐの京都御所の西側には、平安女学院の校舎が建ち並んでいる。その辺りは、室町幕府の管領職にあった斯波氏の邸宅『武衛陣』があった場所であり、後に13代将軍足利義輝邸となった。義輝が討たれた後、織田信長により、15代将軍義昭の居城である旧二条城が築かれた場所でもある。

    四条駅から地下鉄に乗り丸太町駅で下車。駅からすぐの京都御所の西側には、平安女学院の校舎が建ち並んでいる。その辺りは、室町幕府の管領職にあった斯波氏の邸宅『武衛陣』があった場所であり、後に13代将軍足利義輝邸となった。義輝が討たれた後、織田信長により、15代将軍義昭の居城である旧二条城が築かれた場所でもある。

  • そこから西へ歩くと、京都府庁がある。その敷地は、幕末、京都の守備を命じられた京都守護職の上屋敷があった場所である。現在、その真ん中には旧府庁本館があり、館内は見学出来る。前回訪れた時は見学できなかったので、立ち寄ることにした。

    そこから西へ歩くと、京都府庁がある。その敷地は、幕末、京都の守備を命じられた京都守護職の上屋敷があった場所である。現在、その真ん中には旧府庁本館があり、館内は見学出来る。前回訪れた時は見学できなかったので、立ち寄ることにした。

  • まずは、一階を見学。その裏手には旧議場もあり、豪華な装飾が施された内部は、見応えがあった。

    まずは、一階を見学。その裏手には旧議場もあり、豪華な装飾が施された内部は、見応えがあった。

  • 二階へ上がると、旧知事室が公開されていた。豪華な暖炉などが設けられているが、思ったよりは簡素な造りであった。旧府庁舎は、明治37年に建てられたものだが、現在も執務室として利用されていて、日本最古の庁舎となっている。

    二階へ上がると、旧知事室が公開されていた。豪華な暖炉などが設けられているが、思ったよりは簡素な造りであった。旧府庁舎は、明治37年に建てられたものだが、現在も執務室として利用されていて、日本最古の庁舎となっている。

  • 府庁を出ると、京都に住む友人からメールが届いた。ちょうど歩き疲れて来たところだったので、そろそろ会うことにする。四条駅の近くの店を予約したというので、地下鉄で四条駅へと戻った。

    府庁を出ると、京都に住む友人からメールが届いた。ちょうど歩き疲れて来たところだったので、そろそろ会うことにする。四条駅の近くの店を予約したというので、地下鉄で四条駅へと戻った。

  • 四条駅から店までは数分であった。町屋風の店構えで、一階はカウンター席のみであった。まだ友人は来ていなかったので、先に始めることにする。とりあえず生麦酒を注文し、つまみはえいひれの炙りとせせりの唐揚げとした。

    四条駅から店までは数分であった。町屋風の店構えで、一階はカウンター席のみであった。まだ友人は来ていなかったので、先に始めることにする。とりあえず生麦酒を注文し、つまみはえいひれの炙りとせせりの唐揚げとした。

    京家 きよみず 柳馬場本家 グルメ・レストラン

  • せせりの唐揚げは中津でも食べたが、それよりも上品な味で美味しかった。しばらくすると、友人が着物姿でやってきた。会うのは、名古屋以来かもしれない。京都に住むようになってから、着物を愛用していると言う。羨ましいことである。

    せせりの唐揚げは中津でも食べたが、それよりも上品な味で美味しかった。しばらくすると、友人が着物姿でやってきた。会うのは、名古屋以来かもしれない。京都に住むようになってから、着物を愛用していると言う。羨ましいことである。

  • 目の前に置かれていた豚の角煮が美味しそうだったのでいただく。味付けも程よく、柔らか過ぎず、なかなか美味しい角煮だった。

    目の前に置かれていた豚の角煮が美味しそうだったのでいただく。味付けも程よく、柔らか過ぎず、なかなか美味しい角煮だった。

  • 麦酒から地酒に切り替えたので、肴には、鰆の柚庵焼きを頼んだ。品書きには、和食が並び、個人的にはこのような店が好きである。

    麦酒から地酒に切り替えたので、肴には、鰆の柚庵焼きを頼んだ。品書きには、和食が並び、個人的にはこのような店が好きである。

  • 日本酒は京都の地酒を二種類頂いたが、他にも奈良などの酒が置かれていた。友人は、療養中なので、麦酒の後は、その奈良の酒をちびちびやっていた。

    日本酒は京都の地酒を二種類頂いたが、他にも奈良などの酒が置かれていた。友人は、療養中なので、麦酒の後は、その奈良の酒をちびちびやっていた。

  • 生湯葉も食べてみたが、友人が薦める揚げ出し豆腐が気に入った。酒も料理も美味しく、雰囲気も良い店だった。紹介してくれた友人に感謝である。しかも、おもてなしと言うことで、御馳走になってしまった。東京に来た際には、今度はこちらがご馳走しないといけない。二日目の夜は、とても楽しい時間となった。

    生湯葉も食べてみたが、友人が薦める揚げ出し豆腐が気に入った。酒も料理も美味しく、雰囲気も良い店だった。紹介してくれた友人に感謝である。しかも、おもてなしと言うことで、御馳走になってしまった。東京に来た際には、今度はこちらがご馳走しないといけない。二日目の夜は、とても楽しい時間となった。

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この旅行記へのコメント (8)

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  • hot chocolateさん 2022/01/08 20:17:59
    古都を味わう
    旅猫さま

    こんばんは。
    昨日は、ポチのみで失礼しました。
    一昨日は10cmの積雪でした。
    雪国にお住まいの方たちからは笑われそうですが、翌日は日陰では雪道の運転に気を付けました。

    京都の街も、時代時代の歴史の名残を感じられて、やっぱりため息が出るほどです。

    >軒下に犬矢来を設けた町屋が並んでいる。個人的には、京都と言えば、犬矢来のある風景だと思っている。

    私も犬矢来は京都のイメージです。
    どういう意味合いがあるのかと思っていましたが、雨宿りご遠慮くださいと言う意味もあるのですね。

    京都のタヌキうどん、油揚げに餡かけですか。
    油揚げというのは知っていましたが、餡かけなのは知りませんでした。
    うどんは太めで柔らかめ、に限る。(笑)

    お友達のお勧めのお店は美味しそうですね。
    着物を愛用しているご様子から、やはり食にもこだわりがあるのでしょうね。
    美味しいものを心許せる人と楽しむ、これ幸せですね。

    今年もどうぞよろしくお願いします。

    hot chocolate

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2022/01/09 11:15:19
    RE: 古都を味わう
    hot chocoさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    埼玉では、ほとんど積もりませんでした。
    職場のある新宿はかなり積もりましたが。

    京都は、ここ2年ばかりで3回訪れましたが、やはり歩いてみると歴史を感じられます。
    ただ、かなり都市化が進み、石柱や案内板だけなのが悲しいですが。

    犬矢来は、色々な用途がありますが、祇園などの茶屋街では、密議を行うことがあるので、軒下で立ち聞きされるとまずいので、雨宿り禁止と言う態で、立てないように置いてあるのです。
    今は密議などほとんどないので、飾りのようになっていますが。

    私も餡かけは知りませんでした。
    京都では、餡かけが普通のようです。
    hot chocoさんは、太めで柔らかいのがお好きですか。

    今回の旅では、友人のおかげで楽しい旅となりました。
    東京にいた頃とは、雰囲気が少し変わっていました。
    京都人に感化されたようです。

    こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
    旅猫
  • ポテのお散歩さん 2021/12/31 17:43:40
    たくさん歩かれましたね。
    旅猫さん こんにちは。

    旅猫さんが逍遥されたコース、軽く書かれていますが健脚ですね!
    四条大宮から壬生寺経由で島原へ。
    壬生寺に沿った坊城通は松原通で京産大中学校や公園があり、一旦途切れるので 西の千本通を南へ歩かれたのですね。 私も一度同じようなコースで歩いたのですが、島原まで遠かったです。
    そして再び 伊東甲子太郎殉難之跡経由 北東方向に歩いて四条まで。 
    その後 平安女学院・府庁と。。三万歩くらい歩かれたのでは?

    旧前川邸、以前は見学が出来なかったんですが 土・日は出来るんですね。
    知らなかったです。 暖かくなったら見学しに行きたいです。
    菅大臣神社は数か月に一度、近辺に用事があるので通り抜けます。
    年が明けてしばらくすると、梅が咲いて綺麗です。
    あの猫ちゃんも探してみます♪

    『たぬきうどん』は餡かけに刻み油揚げ・九条ネギ・すりおろしたショウガ・がのっています。 かまぼこやシイタケなどの具をのせたら『おかめうどん』です。 卵をとじた餡かけにショウガをのせたら『けいらん』です。 大阪はまた少し違うみたいです。

    東京で『たぬきそば』を注文したら、天かすが入っていたので驚きました。
    細めんで良かったですね。 
    普通は太くて柔らかいので、餡かけは食べ辛いですよね。(*^-^*)

    ご友人と楽しい時間を過ごされ、お食事も気に入られて良かったです。
    祇園・白川も静かで良かったです。 
    やはり静かな京都を歩いて頂きたいですからね♪ 
    デパートの近くは駐車場も大混雑だったそうです。

    旅猫さん、今年もお世話になりありがとうございました。
    来年も宜しくお願いします。
    良いお年をお迎えくださいね。

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/12/31 20:11:22
    RE: たくさん歩かれましたね。
    ポテさん、こんばんは。

    いつもありがとうございます。
    今回は、かなり歩きました。
    朝8時から夕方16時ごろまで、昼食の時間以外は、歩いていましたからね。
    真っすぐ歩けないし、道草もしたので、3漫歩どころではないかもしれません。

    旧前川邸は、見学できなかったのですね。
    門に貼り紙があって、土日のみ見学しているように書かれていました。
    金曜日に訪れてしまったので、見学できなかったのが残念でした。

    菅大臣神社は、やはり梅が綺麗なのですね。
    その季節に訪れてみたいです。
    猫さんは、なかなかいい顔をしていました。
    ぜひ、会いに行ってみてください。

    『たぬき』は、関東では天かすです。
    『きつね』は、三角形の油揚げが載っています。
    京都では、餡かけが普通なのですね。
    寒い冬には良さそうです。

    二日目は、人のいない祇園界隈を観ることが出来、夜は友人と会えて良い一日でした。
    静かな京都は、古都の風情を感じられてやはり良いですね。
    クリスマスらしい街の景色にもまったく出会いませんでしたし。

    こちらこそ、今年もありがとうございました。
    来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
    良いお年をお迎えください。

    旅猫
  • 前日光さん 2021/12/30 23:43:25
    クリスマス・イブに京の町歩きとは。。。
    オヌシもやりますねぇ(>_<)
    こんばんは、旅猫さん。
    今年もご訪問やコメント、ありがとうございました<(_ _)>

    あの巽橋周辺に、人がいないことがあるなんて(@_@)
    なんと羨ましいことでしょう!
    今年は、出雲にも奈良にも行けなかったので、旅猫さんの年末の京の町歩きがことさら羨ましいです。

    主として新撰組関連の場所を巡る旅、幕末に詳しい旅猫さんらしい町歩きですね。
    まるで故郷の町を歩くような、弾んだ旅猫さんの心情が伝わってくるようです。

    表紙の猫さんの写真に惹かれて、まずこちらにお邪魔したのですが、猫さんに会ってもさり気ない態度、そこでデレデレしないで「ちょこんと猫が佇んでいた」というだけの表記、私もこんな風に、猫に対して大人の対応をしたいものだと思いました。
    (我が家の梵ちゃんは、ただいま私の後ろのソファで爆睡中です)

    京都に友人がいらっしゃるのですね!
    しかも良いお店をご存じの方のようで。
    お二人のやり取りを拝見していて、「君子の交はりは淡きこと水の若し」という言葉を思い出しました。

    旅猫さんにとって、来年が良いお年となりますように。


    前日光

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/12/31 08:30:47
    RE: クリスマス・イブに京の町歩きとは。。。
    前日光さん、こんにちは。

    実は、急に決めた旅なので、後から、クリスマスに見事に被っていると知りました。
    でも、クリスマスとは無縁の場所ばかり歩いたので、まったく気にならず(笑)
    それにしても、巽橋に誰も居ないというのは驚きました。
    外国人が多い頃は、鈴なりでしたからね。
    新選組関係を巡るつもりはなかったのですが、旅行記を書いていると、何だか新選組に所縁の場所が多かったなと。

    旅先で猫に出会うと嬉しいですね。
    つい、長居をしてしまいます。

    京都にいる友人は、元々は山梨のワイナリーの手伝いで出会った人です。
    その後、東京のワインバーなどで一緒に飲んでいたのですが、随分前に名古屋へ転勤になり、その後京都に再び転勤となりました。
    会う機会は、数年に一度になりましたが、今でも会えば会話が弾みます。

    今年も読んでいただきありがとうございました。
    来年もどうぞよろしくお願いいたします。
    それでは、よいお年をお迎えください。
    旅猫
  • 群青さん 2021/12/30 16:48:02
    古都逍遥の香り
    旅猫さん こんばんは。

    2021年も残りわずかとなり、こんな鬱屈した年であっても何となく去って行ってしまう寂しさを感じなくもないですね。(笑)
    京都の街の、それも暮らしの香りが漂ってくる場所を多く逍遥された様子。
    通りすがりの観光客では見えてこない場所に敢えて焦点を当て、気の向くままに歩きながらその街の歴史や雰囲気を楽しまれていますね。

    旅先で食べるものによって、旅の余韻が強調されたり減弱されたりもしますが、2日目の友人の方が選択したお店は本当に美味しそうな料理ですね。
    お酒も進み、会話も弾み、良い時間が流れる中を存分に寛いでいらっしゃる様子が伝わってきて、こちらまで幸せな気分になりました。
    やはり、何を食べるか!誰と食べるか!!って、とても大切な事ですね。
    たとえ一人であっても、美味しい料理や驚きの発見に出会えた時、旅の印象は一層強く記憶に残るように思えます。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/12/30 23:05:32
    RE: 古都逍遥の香り
    群青さん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    今年は、何だか足早に月日が流れてしまったように感じます。
    ここへ来て、一抹の寂しさがありますね。
    京都には、有名な寺社が盛りだくさんですが、今回は、かなり地味な場所も歩いてきました。
    祇園も、朝早かったせいか、誰も居ませんでした。
    まったくの無計画でしたので、適当に地図を観ながら歩きました。
    結構、面白かったですよ。

    二日目の夜は、友人が良い店を予約してくれたので、とてもありがたかったです。
    酒も料理も美味しかったですし。
    とても寛げましたし、楽しかったです。

    来年も、よろしくお願いいたします。
    良いお年をお迎えください。

    旅猫

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