2019/04/23 - 2019/04/30
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旅人のくまさんさん
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ティムール朝を創建したティムールとその一族が眠る、グリ・アミール廟紹介の続きです。後代に建設されたデリーのフマーユーン廟やアーグラのタージ・マハルのような、素晴らしい『ムガル建築』の礎を築いた建築と評価されています。
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小雨の中での見学となった、グリ・アミール廟の境内光景です。ウィキペディアによれば、『境内(けいだい)とは、神社・寺院・教会などの宗教施設が占有している土地のこと』と紹介されていますから、イスラム寺院や霊廟でも境内と呼んでも差し支えないようです。
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イチオシ
グリ・アミール廟のドームの天井光景です。このドームの中に、ティムールとその一族のお墓がありました。ただし、ティムールはこのお墓の中には埋葬されていないようです。地下室が本当の埋葬場所のようです。モンゴル帝国の継承政権の一つが、イスラム王朝のティムール朝(1370~1507年)です。
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グリ・アミール廟の壁面光景です。ティムール朝を創設したティムールは、チャガタイ・ハン国に仕えるバルラス部族の出身で、言語的にテュルク化し、宗教的にイスラム化したモンゴル軍人(チャガタイ人)の一員とされます。現在はウズベキスタンの英雄と評価されています。
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同じく、斜め方向から眺めたグリ・アミール廟の壁面光景です。ティムール一代で、中央アジアからイランにかけての地域を支配し、その最盛期には、北東は東トルキスタン、南東はインダス川、北西はヴォルガ川、南西はシリア・アナトリア方面にまで及びました。このことから、その支配地域はティムール帝国とも呼ばれます。
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イスラム建築の特徴の一つとされる、壁面から屋根にかけて施された、立体感がある装飾のズームアップ光景です。鍾乳石を模した装飾とも例えられるようです。既に紹介したように、ムカルナスと呼ばれるようです。
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王朝始祖のティムールの死後、息子たちによって帝国は分割され、急速に力が衰えたようです。15世紀後半には、サマルカンドとヘラートの2政権が残りました。これらは最終的に16世紀初頭にウズベクのシャイバーニー朝により、中央アジアの領土が奪われました。
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ティムール朝の王族の一人、バーブルはアフガニスタンのカーブルを経てインドに入り、19世紀まで続くトルコ系イスラム王朝の『ムガル帝国(1526~1858年)』を打ち建てました。王朝名の『ムガル』は、モンゴルを意味するペルシア語の『ムグール』の転訛とされます。写真は、ドームの中のティムール一族のお墓です。
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同じく方角を変えて眺めた、棺のような形をしたお墓の光景です。ティムールをはじめ、全部で八つのお墓が置かれていました。この建物は、『グリ・アミール』と呼ばれますが、これはペルシア語で『王の墓』を意味します。墓石は地下室にある墓の位置を示しているもので、実際の墓ではありません。
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霊廟の配置を紹介した説明図です。四方を四つのお墓で囲まれた、1番の表示があるお墓に『アミール・ティムール(1336~1405年)』の表示がありました。『グリ・アミール廟』は、後代に建設されたデリーのフマーユーン廟やアーグラのタージ・マハルのような、素晴らしい『ムガル建築』の礎を築いたと評価されています。
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修復工事の手が入ったかもしれませんが、『グリ・アミール廟』の見事な建築美の紹介です。『テュルク・ペルシア建築』の史上に残る重要な建築物とも称されています。
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『グリ・アミール廟』の見事な建築美の紹介が続きます。この建築物の中には、ティムールと彼の息子であるシャー・ルフやミーラーン・シャー、孫のウルグ・ベクとムハンマド・スルターンの墓も置かれています。
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イチオシ
『グリ・アミール廟』には、ティムールの師だった、『サイイド・バラカ(?~1404年)』も眠っています。 霊廟の配置図の中に4番で記されたお墓です。『サイイド』の尊称は、『主人』や『重鎮』という意味を持ちますが、預言者ムハンマドの直系子孫と一部の傍系親族を指す尊称としても用いられています。
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大修復工事が施されたとされる『グリ・アミール廟』ですが、最初に建設された部分は、14世紀末にムハンマド・スルタンの命により建設されたようです。現在は、マドラサとハーンカー(修道場)、入口部分と建物の周囲にあるミナレットが現存しています。
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イチオシ
『グリ・アミール廟』の建築自体は、1403年にティムール最愛の孫であり、王位継承者だった『ムハンマド・スルターン(1374~1403年)』が突然の死を迎えた後に始まりました。ティムールは、シャフリサブスにあったアクサライ宮殿の付近に自身の小さな墓の建設を開始しました。しかし、ティムールは1405年の中国への軍事遠征の途上で死亡しました。シャフリサブスへの道は雪で閉ざされていたため、代わりに現在の『グリ・アミール廟』のある位置に埋葬されたと伝わります。
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鍾乳石を模したような、イスラム建築独特の装飾のズームアップ光景です。『ムカルナス』と呼ばれているようです。類似の用語として、『モカラベ』とも呼ばれているようです。
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ドームの中央部分のズームアップ光景です。『グリ・アミール廟』は、ティムールのもう一人の孫だった、『ウルグ・ベク』がこの仕事を完遂させました。ウルグ・ベクの治世の時代は、グリ・アミール廟はティムール朝の家族の玄室として使われました。
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壁面の装飾のズームアップ光景です。この部分は、木造の扉などだったようです。植物をデフォルメした模様の繰り返しでした。
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ウルグ・ベク統治下の時に、黒緑色のネフライトがティムールの墓石として安置されました。このティムールの墓石は、ウルグ・ベクが1425年に実施したモグーリスタン遠征の帰途に持ち帰ったものだと伝えられています。
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通路脇に置かれていた展示品の紹介です。左がティムールが居住したアクサライ宮殿と巨大な立像、右が都心部の夜景写真でした。中央のボックスには、インフォメーションの文字の下に『NAZZAR』の表示と5カ国語を示すらしい国旗がありましたが、使い方が分かりませんでした。
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同じく、通路脇に置かれていた展示品の紹介です。左がブハラのモスクの写真紹介、右がヒヴァのモスクの写真紹介のようでした。
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既に紹介した、ティムール帝国の創始者のアミール・ティムール像(上)と、ティムール帝国の支配地域図(下)の光景です。ロシア革命期にティムールはトルキスタンのナショナリズムを象徴する英雄に祭り上げられましたが、スターリン時代にティムールの理想化は禁止されました。『抑圧者』、『破壊者」としてのイメージが強調されたようです。
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ティムールが、英雄として復権したのは、1991年9月1日にソビエト連邦から、ウズベキスタン共和国として独立した後のことです。現在の首都はタシュケント(タシケント)、全国土面積は44万7400平方キロで、世界55位の面積であり、人口は世界第42位の3212万人(2017年度)です。
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茶色の煉瓦を積んだ壁面と、その壁面に築かれていたハニカム構造の窓と扉の光景です。焼いた煉瓦のテラコッタが用いられているようでした。木製の扉の文様は、植物を題材にしたアラベスク文様のようでしたが、植物の具象的な表現が色濃く残されていました。
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地震被害等を受け、まだ修復されていない部分の紹介です。あまりに巨大過ぎ、また、完成を急ぎ過ぎたために壊れ始めた『ビビハニム・モスク』とも呼ばれる『グリ・アミール廟』ですが、地震被害が追い打ちを掛けました。近年では、19世紀末に大地震に見舞われました。
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被害の記録を目的として、意図的に残されているようにも見えた、修復されていない建物部分のズームアップ光景です。中央アジアの19世紀の地震年表では、1887年6月8日にキルギスタンでM7.3の地震、1889年7月11日にカザフスタンでM8.3の地震のほか、トルコでは繰り返し多くの地震が発生しています。
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20世紀以降の地震年表では、1902年12月16日にウズベキスタンで M6.4の地震 で死者4,700人、1907年10月21日のタジキスタン・ウズベキスタンのM7.2の地震では、死者1万5,000人の被災が記録されています。
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詳しいことは分かりませんでしたが、屋外に置かれた霊廟群のようにも見えました。あるいは、建物の基礎部分が保存されたものかも知れません。綺麗に修復された遺跡群でした。
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晩年のティムールと対面した人物の一人の『アラブシャー』は、ティムールの容貌について、『背が高く肩幅が広い。大きな頭と濃い眉、あごひげを生やしていた。長い手足を持っていたが、右脚は不自由だった。目は蝋燭のようではあるが、光は無かった』と描写しました。
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大理石が使われているらしい、精緻な文様が表現された敷石の光景です。基礎工事もしっかりしなければ、平坦で隙間のない文様は表現出来ないようですし、大勢の人が歩く場所ですから、メンテナンスも大変になりそうです。。
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これで、ティムールとその一族が眠る『グリ・アミール廟』の紹介はおしまいです。1941年5月から6月にかけて、ソビエト連邦の調査隊がサマルカンドのグリ・アミール廟の調査を行い、ミハイル・ゲラシモフによって廟に安置されていたティムールの遺体も調べられました。この時の調査により、ティムールは赤色の髭を生やしていたこと、手・肘・膝の3か所に矢傷を負っていたことが判明しました。また、調査隊はティムールの顔をモンゴロイドをベースにして、コーカソイドの特徴がいくらか加わった容姿と分析しました。(ウィキペディア)
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