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ウズベキスタンから日帰りで見学した、タジキスタンのペンジケント遺跡の紹介です。往きと帰りの国境超えは、なかなか大変でした。雨の中、長い距離を歩き、それぞれ1時間ほど掛かりました。

2019春、ウズベキスタン等の旅(15/52):4月25日(1):ペンジケント(1):ペンジケント遺跡(1):展示館(1):土器

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2019/04/23 - 2019/04/30

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

ウズベキスタンから日帰りで見学した、タジキスタンのペンジケント遺跡の紹介です。往きと帰りの国境超えは、なかなか大変でした。雨の中、長い距離を歩き、それぞれ1時間ほど掛かりました。

交通手段
観光バス
  • レセプションの大きな看板が掛かった、泊まったホテルの1階にあったフロントの光景です。ウズベキスタンの大手旅行会社『マルコ・ポーロ』が管理運営する中級ホテルで、『アジアホテル』のサマルカンド支店になります。立地も良い、四つ星ホテルです。

    レセプションの大きな看板が掛かった、泊まったホテルの1階にあったフロントの光景です。ウズベキスタンの大手旅行会社『マルコ・ポーロ』が管理運営する中級ホテルで、『アジアホテル』のサマルカンド支店になります。立地も良い、四つ星ホテルです。

  • 泊まったホテルの1階ロビーの光景です。正面に見えるのが、ホテル内のレストランです。開店したばかりの朝の時間ですから、多少の行列ができていました。アサマルカンドのホテルで検索しましたら、147軒のホテルがリストアップされ、このホテルを含む四つ星ホテルが10軒でした。観光施設が充実してました。

    泊まったホテルの1階ロビーの光景です。正面に見えるのが、ホテル内のレストランです。開店したばかりの朝の時間ですから、多少の行列ができていました。アサマルカンドのホテルで検索しましたら、147軒のホテルがリストアップされ、このホテルを含む四つ星ホテルが10軒でした。観光施設が充実してました。

  • 泊ったホテルでの朝食です。野菜もありましたし、パンも各種のものが選べるバイキング方式でした。団体ツアーでしたから、レストラン内の一角が確保されていました。

    泊ったホテルでの朝食です。野菜もありましたし、パンも各種のものが選べるバイキング方式でした。団体ツアーでしたから、レストラン内の一角が確保されていました。

  • サマルカンドで泊まったホテルの『アジア・サマルカンド』の出入口正面光景です。3連泊でした。ネット紹介では、『アジア サマルカンドホテルは、2008年創業、部屋数85室の中型ホテル』と紹介されていました。

    サマルカンドで泊まったホテルの『アジア・サマルカンド』の出入口正面光景です。3連泊でした。ネット紹介では、『アジア サマルカンドホテルは、2008年創業、部屋数85室の中型ホテル』と紹介されていました。

  • 出発まで時間がありましたので、早朝の散策に出掛けました。ホテルの近くにあった建物の入口門光景です。ホテルらしい施設にみえました。

    出発まで時間がありましたので、早朝の散策に出掛けました。ホテルの近くにあった建物の入口門光景です。ホテルらしい施設にみえました。

  • 同じく、ホテルの近くにあったホテルらしい建物の壁面光景です。イベント会場としても使われているホテルらしく、イベントの写真が多く紹介してありました。

    同じく、ホテルの近くにあったホテルらしい建物の壁面光景です。イベント会場としても使われているホテルらしく、イベントの写真が多く紹介してありました。

  • 泊まったホテルの近くには、大きなモスクもありました。昨晩、イベントを鑑賞したれ儀スタン広場までは歩いて5分ほどの距離にあるホテルでしたが、こちらのモスクは、もっと近くにありました。前方に見えているのは、『ビービー・ハーヌム・モスク』です。

    泊まったホテルの近くには、大きなモスクもありました。昨晩、イベントを鑑賞したれ儀スタン広場までは歩いて5分ほどの距離にあるホテルでしたが、こちらのモスクは、もっと近くにありました。前方に見えているのは、『ビービー・ハーヌム・モスク』です。

  • 駐車場の中をさらに進んで撮影した、『ビービー・ハーヌム・モスク』の青いドーム屋根やミナレットなどの光景です。観光バスも、この駐車場に留められていました。

    駐車場の中をさらに進んで撮影した、『ビービー・ハーヌム・モスク』の青いドーム屋根やミナレットなどの光景です。観光バスも、この駐車場に留められていました。

  • 少し場所を変えて撮影した、『ビービー・ハーヌム・モスク』内の建物と、ミナレットの光景です。『ビビハニム・モスク』とも日本語表記される巨大なモスクで、今回旅行で最初に見学したモスクです。このモスクの名前は、14世紀にサマルカンドを支配したティムールの妻の名前に因むとされます。

    少し場所を変えて撮影した、『ビービー・ハーヌム・モスク』内の建物と、ミナレットの光景です。『ビビハニム・モスク』とも日本語表記される巨大なモスクで、今回旅行で最初に見学したモスクです。このモスクの名前は、14世紀にサマルカンドを支配したティムールの妻の名前に因むとされます。

  • これで、『ビービー・ハーヌム・モスク』付近の紹介はおしまいです。観光客の姿は全くない、静かな朝の時間帯での見学でした。早朝のジョギング姿も目にしました。

    これで、『ビービー・ハーヌム・モスク』付近の紹介はおしまいです。観光客の姿は全くない、静かな朝の時間帯での見学でした。早朝のジョギング姿も目にしました。

  • 散策中に目にした、立派な木製の門の光景です。上部に透かし彫りがあり、扉には全面に精密なレリーフが施されていました。釉を施した焼レンガが使われた壁面でした。歴史と格式を感じさせる造りでした。

    イチオシ

    散策中に目にした、立派な木製の門の光景です。上部に透かし彫りがあり、扉には全面に精密なレリーフが施されていました。釉を施した焼レンガが使われた壁面でした。歴史と格式を感じさせる造りでした。

  • 歴史と格式を感じさせる門構えの扉のズームアップ光景です。左右の扉を使って、大きな花が彫刻されていました。

    歴史と格式を感じさせる門構えの扉のズームアップ光景です。左右の扉を使って、大きな花が彫刻されていました。

  • 扉に施されたレリーフの一部分のズームアップ光景です。1枚の花弁の中に、蔓草や花をモチーフにした植物主体の文様が刻まれていました。

    扉に施されたレリーフの一部分のズームアップ光景です。1枚の花弁の中に、蔓草や花をモチーフにした植物主体の文様が刻まれていました。

  • 泊まったホテル近くの街角光景です。泊まったホテルの『アジアサマルカンドホテル』は人通りはほとんどありませんでしたが、時折、登校中の生徒さんたちの姿を見かけました。現在は、厳格なイスラム戒律は適用されていないような服装と身だしなみでした。

    泊まったホテル近くの街角光景です。泊まったホテルの『アジアサマルカンドホテル』は人通りはほとんどありませんでしたが、時折、登校中の生徒さんたちの姿を見かけました。現在は、厳格なイスラム戒律は適用されていないような服装と身だしなみでした。

  • 電線にとまった鳥さんたちの紹介です。しっぽが短く、親羽に白い部分が見えていますから、『カバイロハッカ』さんのようです。『インドハッカ』とも呼ばれるムクドリ科の鳥です。雌雄同色ですが、雄の前頭(額)には短い冠羽があるようです。

    電線にとまった鳥さんたちの紹介です。しっぽが短く、親羽に白い部分が見えていますから、『カバイロハッカ』さんのようです。『インドハッカ』とも呼ばれるムクドリ科の鳥です。雌雄同色ですが、雄の前頭(額)には短い冠羽があるようです。

  • 電線にとまったこちらの鳥さんは、一見して鳩の仲間の姿をしていました。少し茶色っぽくにも見えますが、シラコバトあたりでしょうか、ウィキペディアでは『全長約33cm。雌雄同色。全身が灰褐色で、背と尾は褐色みが増す。』と紹介されていました。

    電線にとまったこちらの鳥さんは、一見して鳩の仲間の姿をしていました。少し茶色っぽくにも見えますが、シラコバトあたりでしょうか、ウィキペディアでは『全長約33cm。雌雄同色。全身が灰褐色で、背と尾は褐色みが増す。』と紹介されていました。

  • 8時頃にサマルカンドのホテルをバスで出発し、タジキスタンのサマルカンドにやってきました。ウズベキスタンからの国境超えはなかなか大変でした。少し前までは国境は閉鎖されていたとの情報もありましたので、時間はかかりましたが、バスを乗り換えて、無事に国境を通過できました。写真は、城壁で囲まれた、ウズベキスタン遺跡(5~8世紀)が記された地図です。

    イチオシ

    8時頃にサマルカンドのホテルをバスで出発し、タジキスタンのサマルカンドにやってきました。ウズベキスタンからの国境超えはなかなか大変でした。少し前までは国境は閉鎖されていたとの情報もありましたので、時間はかかりましたが、バスを乗り換えて、無事に国境を通過できました。写真は、城壁で囲まれた、ウズベキスタン遺跡(5~8世紀)が記された地図です。

  • 城壁で囲まれたウズベキスタン遺跡(5~8世紀)が記された地図の近くにあった、城塞説明の図面の光景です。城壁のコーナーに設けられた建物の側面図や鳥観図でした。7世紀に築城された城塞のようです。ロシア語で記されたらしい文字の一部は『Beawaenja』らしい文字でしたが、地名らしいこの文字は検索できませんでした。

    城壁で囲まれたウズベキスタン遺跡(5~8世紀)が記された地図の近くにあった、城塞説明の図面の光景です。城壁のコーナーに設けられた建物の側面図や鳥観図でした。7世紀に築城された城塞のようです。ロシア語で記されたらしい文字の一部は『Beawaenja』らしい文字でしたが、地名らしいこの文字は検索できませんでした。

  • 同じく、『ペンジケント遺跡』の『城塞}部分の拡大図の光景です。ペンジケントの居住区域や商業区域とは分けられて、厳重な防護域になっているようでした。先に紹介した、ウズベキスタン遺跡(5~8世紀)が記された地図の左端部分です。

    同じく、『ペンジケント遺跡』の『城塞}部分の拡大図の光景です。ペンジケントの居住区域や商業区域とは分けられて、厳重な防護域になっているようでした。先に紹介した、ウズベキスタン遺跡(5~8世紀)が記された地図の左端部分です。

  • 以上の看板は屋外に設置してありましたが、この後は歴史展示館に入場しての見学です。その展示館の建物正面光景です。コンパクトな造りでした、,

    イチオシ

    以上の看板は屋外に設置してありましたが、この後は歴史展示館に入場しての見学です。その展示館の建物正面光景です。コンパクトな造りでした、,

  • 壁に展示してあった壁画のレプリカです。現在のタジキスタン共和国は、東は中国、西はウズベキスタン、南はアフガニスタン、北はキルギスに接しています。人口約657万、面積約14万3千平方キロ、平均標高3500~4500メートルで、国土の9割以上が山岳地帯です。中央アジア唯一のインド・イラン系の民族で、ソグド人の血を最も濃く受け継ぐタジク人が約80パーセントを占めます。 ソグド人は、紀元前6世紀以来、アケメネス朝ペルシャに支配されましたが、アレキサンダー大王の東征(前4世紀)をきっかけに隊商の民として活躍しました。

    壁に展示してあった壁画のレプリカです。現在のタジキスタン共和国は、東は中国、西はウズベキスタン、南はアフガニスタン、北はキルギスに接しています。人口約657万、面積約14万3千平方キロ、平均標高3500~4500メートルで、国土の9割以上が山岳地帯です。中央アジア唯一のインド・イラン系の民族で、ソグド人の血を最も濃く受け継ぐタジク人が約80パーセントを占めます。 ソグド人は、紀元前6世紀以来、アケメネス朝ペルシャに支配されましたが、アレキサンダー大王の東征(前4世紀)をきっかけに隊商の民として活躍しました。

  • 地図の中に、薄く灰色に記されている部分が、現在のタジキスタン共和国、左端に現在地のペンジケントが赤字で記されていました。タジキスタンの周りに引かれた赤い線が、アレキサンダー大王(紀元前356~紀元前323年)の遠征路と関係しているようでした。アレクサンダー大王が築いた都市は、ホジャンド(人口約15万)として今に残ります。<br />

    地図の中に、薄く灰色に記されている部分が、現在のタジキスタン共和国、左端に現在地のペンジケントが赤字で記されていました。タジキスタンの周りに引かれた赤い線が、アレキサンダー大王(紀元前356~紀元前323年)の遠征路と関係しているようでした。アレクサンダー大王が築いた都市は、ホジャンド(人口約15万)として今に残ります。

  • ここからは、展示品の粗油買いです。主として、ペンジケント遺跡からの出土品が展示さえれちるようでした。纏めて展示してありましたので、写真の範囲をずらしながらの撮影です。中央付近に見える表示札には『Bone Sumak』の表示がありました。ゾロアスター教の鳥葬に関する壷のようです。骨の化石らしいものが収められていました。

    ここからは、展示品の粗油買いです。主として、ペンジケント遺跡からの出土品が展示さえれちるようでした。纏めて展示してありましたので、写真の範囲をずらしながらの撮影です。中央付近に見える表示札には『Bone Sumak』の表示がありました。ゾロアスター教の鳥葬に関する壷のようです。骨の化石らしいものが収められていました。

  • 『キッチン・ヴェッセル(台所用容器』<br />ペンジケント遺跡出土<br />(5世紀~8世紀)<br />左手寄りの表示札には、『キッチン・ヴェッセル』の表記がありました。台所で使う壷や瓶などの展示です。

    『キッチン・ヴェッセル(台所用容器』
    ペンジケント遺跡出土
    (5世紀~8世紀)
    左手寄りの表示札には、『キッチン・ヴェッセル』の表記がありました。台所で使う壷や瓶などの展示です。

  • 『陶器』(左)、『キッチン・ヴェッセル(台所用容器』(右)<br />ペンジケント遺跡出土<br />(5世紀~8世紀)<br />左側の表示札には『セラミックス』、右側の名札には『キッチン・ヴェッセル』の表記がありました。

    『陶器』(左)、『キッチン・ヴェッセル(台所用容器』(右)
    ペンジケント遺跡出土
    (5世紀~8世紀)
    左側の表示札には『セラミックス』、右側の名札には『キッチン・ヴェッセル』の表記がありました。

  • 『キッチン・ディッシュ(台所用品)』(左)、『セラミックス(陶器)』(右)<br />ペンジケント遺跡出土<br />(5世紀~8世紀)<br />『キッチン・ディッシュ』と『セラミックス』の表示の使い分けは、あまり意味がないようでした。

    『キッチン・ディッシュ(台所用品)』(左)、『セラミックス(陶器)』(右)
    ペンジケント遺跡出土
    (5世紀~8世紀)
    『キッチン・ディッシュ』と『セラミックス』の表示の使い分けは、あまり意味がないようでした。

  • 4グループに分け、山盛りにして展示してあった焼物群です。8世紀頃、アラブなどに責められて放棄したと伝わる丘の上のペンジケント遺跡ですから、壊れた陶器類よりも、原形を留めた品が多いように見受けました。かつての城塞や町にも火が放たれなかったようです。

    4グループに分け、山盛りにして展示してあった焼物群です。8世紀頃、アラブなどに責められて放棄したと伝わる丘の上のペンジケント遺跡ですから、壊れた陶器類よりも、原形を留めた品が多いように見受けました。かつての城塞や町にも火が放たれなかったようです。

  • 『セラミックス(陶器)』(左)、『セラミック・ディッシュ(7~8世紀)』(右)<br />ペンジケント遺跡出土<br />(5世紀~8世紀)<br />右側の壷や瓶は、7~8世紀と年代特定されていました。

    『セラミックス(陶器)』(左)、『セラミック・ディッシュ(7~8世紀)』(右)
    ペンジケント遺跡出土
    (5世紀~8世紀)
    右側の壷や瓶は、7~8世紀と年代特定されていました。

  • 『セラミック・銅器』(左)、『銅器』(右)<br />ペンジケント遺跡出土<br />(5世紀~8世紀)<br />銅器は、腐食して底が抜けているようでした。

    『セラミック・銅器』(左)、『銅器』(右)
    ペンジケント遺跡出土
    (5世紀~8世紀)
    銅器は、腐食して底が抜けているようでした。

  • 『セラミック・ヴェッセル(陶容器)』(右下の表示札)<br />ペンジケント遺跡出土<br />(5世紀~8世紀)

    『セラミック・ヴェッセル(陶容器)』(右下の表示札)
    ペンジケント遺跡出土
    (5世紀~8世紀)

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