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タジキスタンの昼食のお店、そのあと立ち寄ったバザール、それにルダーキー博物館の紹介です。ルダーキー博物館の前庭には、サーマーン朝(873~999年)』に活躍したペルシア語詩人のルダーキー像がありました。

2019春、ウズベキスタン等の旅(21/52):4月25日(7):ペンジケント(7):バザール、ルダーキー博物館(1)

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2019/04/23 - 2019/04/30

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

タジキスタンの昼食のお店、そのあと立ち寄ったバザール、それにルダーキー博物館の紹介です。ルダーキー博物館の前庭には、サーマーン朝(873~999年)』に活躍したペルシア語詩人のルダーキー像がありました。

交通手段
観光バス

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  • 串焼きが専門の昼食のお店の入り口付近の看板光景です。提供された食事の内容は先に紹介しましたが、なかなか美味しいケバブのお店でした。ケバブは、中東とその周辺地域で供される、肉・魚・野菜などをローストして調理する料理の総称とされます。日本語ではカバブという表記、シシカバブなどの呼び名が一般的です。

    串焼きが専門の昼食のお店の入り口付近の看板光景です。提供された食事の内容は先に紹介しましたが、なかなか美味しいケバブのお店でした。ケバブは、中東とその周辺地域で供される、肉・魚・野菜などをローストして調理する料理の総称とされます。日本語ではカバブという表記、シシカバブなどの呼び名が一般的です。

  • 食事を終わって、お店を退出するときの撮影です。右端が入口です。煙が多い焼物専門店ですから、厚いビニールの暖簾でした。肉と一緒にトマトなどの野菜と、彩添えを兼ねた緑色のハーブも添えてありました。ハーブは、スイートバジルのように見えました。

    イチオシ

    食事を終わって、お店を退出するときの撮影です。右端が入口です。煙が多い焼物専門店ですから、厚いビニールの暖簾でした。肉と一緒にトマトなどの野菜と、彩添えを兼ねた緑色のハーブも添えてありました。ハーブは、スイートバジルのように見えました。

  • 店先の別棟が、カバブの串焼き場所になっていました。中がのぞけるように二方がガラス張りになっていましたが、もうもうとした煙の中での作業でした。写真では紹介しませんでしたが、高い煙突の先から煙が立ち上がっていました。

    店先の別棟が、カバブの串焼き場所になっていました。中がのぞけるように二方がガラス張りになっていましたが、もうもうとした煙の中での作業でした。写真では紹介しませんでしたが、高い煙突の先から煙が立ち上がっていました。

  • 広い歩道側から眺めた。ケバブのお店の光景です。右側がビニルの暖簾が下がった正面出入口で、出入口の左側に、カバブの串焼き場がありました。来客が多い、なかなか人気のお店のようでした。

    広い歩道側から眺めた。ケバブのお店の光景です。右側がビニルの暖簾が下がった正面出入口で、出入口の左側に、カバブの串焼き場がありました。来客が多い、なかなか人気のお店のようでした。

  • 昼食の後に立ち寄ったのが、ペンジケントのバザールです。現地ガイドさんが勧めてくれたドライフルーツのお店が並ぶバザールです。少し離れた場所でバスを降り、歩いてバザールに向かう途中の光景です。

    昼食の後に立ち寄ったのが、ペンジケントのバザールです。現地ガイドさんが勧めてくれたドライフルーツのお店が並ぶバザールです。少し離れた場所でバスを降り、歩いてバザールに向かう途中の光景です。

  • 同じ場所から振り返って眺めた、二階に通じる長い階段の光景です。1回のお店を通過せずに2回のお店に行けるようでした。この辺りもバザールの外郭施設のような雰囲気でした。

    同じ場所から振り返って眺めた、二階に通じる長い階段の光景です。1回のお店を通過せずに2回のお店に行けるようでした。この辺りもバザールの外郭施設のような雰囲気でした。

  • バザールの入口付近から眺めた、広い通りの反対側にあったモスクの光景です。見学には立ち寄りませんでしたが、歴史のあるモスクの一つのようでした。

    バザールの入口付近から眺めた、広い通りの反対側にあったモスクの光景です。見学には立ち寄りませんでしたが、歴史のあるモスクの一つのようでした。

  • バザールの入口付近にやってきました。歴史を感じさせるレンガ造りのアーチ門でした。その最上部に、英語表記のバザール(BAZAL)に相当するらしいタジキスタン語の五文字が記してありました。

    バザールの入口付近にやってきました。歴史を感じさせるレンガ造りのアーチ門でした。その最上部に、英語表記のバザール(BAZAL)に相当するらしいタジキスタン語の五文字が記してありました。

  • 先ほどのアーチ門を潜って、バザールの中に入ってきました。この辺りは、露店で商売している小さなお店が並んでいました。木の杖、縄跳び、ポリバケツに入ったパイ生地用の針山など様々な品です。

    先ほどのアーチ門を潜って、バザールの中に入ってきました。この辺りは、露店で商売している小さなお店が並んでいました。木の杖、縄跳び、ポリバケツに入ったパイ生地用の針山など様々な品です。

  • 雑貨屋さんの店先光景です。大きなハサミ、各種のブローチ、留めピン、ペン類などが並んでいました。箱入りのものは、ロシア語表記もあるようでした。

    雑貨屋さんの店先光景です。大きなハサミ、各種のブローチ、留めピン、ペン類などが並んでいました。箱入りのものは、ロシア語表記もあるようでした。

  • 振り返って眺めた、入口門方面の光景です。門の上や横から、尖塔やドーム屋根の数々が顔をのぞかせていました。途中で目にした、隣接するモスクのようです。

    振り返って眺めた、入口門方面の光景です。門の上や横から、尖塔やドーム屋根の数々が顔をのぞかせていました。途中で目にした、隣接するモスクのようです。

  • 同じ場所からの尖塔のズームアップ光景です。尖塔は、通報装置を備えた見張り台になっているようでした。ズームアップしましたので、塗りが剥げてきた黄色のドームもはっきり見えてしましました。ついでに、カバイロハッカらしい鳥さんの姿も見張り台の右下に写りました。

    同じ場所からの尖塔のズームアップ光景です。尖塔は、通報装置を備えた見張り台になっているようでした。ズームアップしましたので、塗りが剥げてきた黄色のドームもはっきり見えてしましました。ついでに、カバイロハッカらしい鳥さんの姿も見張り台の右下に写りました。

  • バザール内のアーケードの光景です。外光を取り入れるためか、薄目の色の合成樹脂らしい屋根が葺かれていました。

    バザール内のアーケードの光景です。外光を取り入れるためか、薄目の色の合成樹脂らしい屋根が葺かれていました。

  • メッシュの袋にぎっしりと詰め込まれた、玉ねぎです。日本で見かける玉ねぎと比べますと、一回り小さく、形も縦長でした。

    メッシュの袋にぎっしりと詰め込まれた、玉ねぎです。日本で見かける玉ねぎと比べますと、一回り小さく、形も縦長でした。

  • こちらもメッシュの袋にぎっしりと詰め込まれた、玉ねぎとジャガイモです。運搬途中の品だったようです。

    こちらもメッシュの袋にぎっしりと詰め込まれた、玉ねぎとジャガイモです。運搬途中の品だったようです。

  • 野菜やフルーツが並んだ棚のズームアップ光景です。右下は野菜のカリフラワー、周りは、トマトやブドウなどが並んでいました。トマトは、野菜ともフルーツとも呼ばれる中間的な立ち位置です。

    野菜やフルーツが並んだ棚のズームアップ光景です。右下は野菜のカリフラワー、周りは、トマトやブドウなどが並んでいました。トマトは、野菜ともフルーツとも呼ばれる中間的な立ち位置です。

  • タジキスタンの売り物のナンの山です。ウズベキスタンのナンとは、形は似ていましたが、艶などが違っていました。こちらの方が地味な作りのナンです。タジキスタンでは、ノン(ナン)を大切にし、不注意で落としてしまったノンは、物乞いや鳥、動物のために置く棚があるようです。

    タジキスタンの売り物のナンの山です。ウズベキスタンのナンとは、形は似ていましたが、艶などが違っていました。こちらの方が地味な作りのナンです。タジキスタンでは、ノン(ナン)を大切にし、不注意で落としてしまったノンは、物乞いや鳥、動物のために置く棚があるようです。

  • バザールの中の光景です。前方に見える10本前後の柱が、屋根を支える中心部になるようです。周りには沢山の柱がありますが、中間には柱が見当たりません。推測ですが、軽い素材でできた大屋根のようです。

    イチオシ

    バザールの中の光景です。前方に見える10本前後の柱が、屋根を支える中心部になるようです。周りには沢山の柱がありますが、中間には柱が見当たりません。推測ですが、軽い素材でできた大屋根のようです。

  • お茶の販売コーナーの光景です。大きな袋に目いっぱい詰め込んでありました。色は日本の緑茶と似ているようですが、製造工程は異なっているようです。タジキスタンでは、チャイハナ(お茶屋さん)で緑茶も飲めるようです。チャイハナは、ロシア語が起源のようです。

    お茶の販売コーナーの光景です。大きな袋に目いっぱい詰め込んでありました。色は日本の緑茶と似ているようですが、製造工程は異なっているようです。タジキスタンでは、チャイハナ(お茶屋さん)で緑茶も飲めるようです。チャイハナは、ロシア語が起源のようです。

  • 別のお茶の袋のズームアップ光景です。それぞれに色合いと、加工具合の差が見て取れました。タジキスタンの各町村には必ずモスクがあり、隣にはチャイハナがあるのが普通とされます。お茶の文化があるようです。

    別のお茶の袋のズームアップ光景です。それぞれに色合いと、加工具合の差が見て取れました。タジキスタンの各町村には必ずモスクがあり、隣にはチャイハナがあるのが普通とされます。お茶の文化があるようです。

  • 真っ赤というより、深紅の色に熟れていたイチゴの山です。日本で経験したことですが、色は必ずしも、美味さや甘さには直結していないようです。試食していませんから、これ以上のコメントは控えておきます。

    真っ赤というより、深紅の色に熟れていたイチゴの山です。日本で経験したことですが、色は必ずしも、美味さや甘さには直結していないようです。試食していませんから、これ以上のコメントは控えておきます。

  • ペンジケントのバザールの出入口門のズームアップ光景です。赤レンガが積まれたもんで、窓の部分は、石彫の透かし彫りのようでした。

    ペンジケントのバザールの出入口門のズームアップ光景です。赤レンガが積まれたもんで、窓の部分は、石彫の透かし彫りのようでした。

  • ルダーキー博物館に向かうアプローチ道路の左手にあった、ルダーキーの座像です。この後は、『ルーダキー』の表記のウィキペディアからの紹介です。『ルーダキー(850年代初頭/860年代-870年代~940年頃)』は、『サーマーン朝(873~999年)』で活躍したペルシア語詩人です。この時代の英主、イスマーイール・サーマーニーはウズベキスタンとタジキスタンで民族の英雄とされます。

    ルダーキー博物館に向かうアプローチ道路の左手にあった、ルダーキーの座像です。この後は、『ルーダキー』の表記のウィキペディアからの紹介です。『ルーダキー(850年代初頭/860年代-870年代~940年頃)』は、『サーマーン朝(873~999年)』で活躍したペルシア語詩人です。この時代の英主、イスマーイール・サーマーニーはウズベキスタンとタジキスタンで民族の英雄とされます。

  • ズームアップした、ルダーキーの全身座像の光景です。本名は『アブー・アブドゥラー・ジャアファル・ビン・ムハンマド』です。『ペルシア詩の確立者』、『ペルシア文学の父』など、いくつもの称号があります。ルダーキーは、サマルカンド近郊のルーダク村で生まれ、30代後半にサーマーン朝の宰相・バルアミーによって宮廷に招かれたようです。宮廷では、国王ナスル2世、宰相バルアミーの保護の元に高い地位と財産を得ました。庇護者が政治の表舞台から退くと彼も失脚し、宮廷から追放されたと考えられています。盲目にされたのは、この失脚と追放と関係するとの説が有力なようです。

    ズームアップした、ルダーキーの全身座像の光景です。本名は『アブー・アブドゥラー・ジャアファル・ビン・ムハンマド』です。『ペルシア詩の確立者』、『ペルシア文学の父』など、いくつもの称号があります。ルダーキーは、サマルカンド近郊のルーダク村で生まれ、30代後半にサーマーン朝の宰相・バルアミーによって宮廷に招かれたようです。宮廷では、国王ナスル2世、宰相バルアミーの保護の元に高い地位と財産を得ました。庇護者が政治の表舞台から退くと彼も失脚し、宮廷から追放されたと考えられています。盲目にされたのは、この失脚と追放と関係するとの説が有力なようです。

  • ルダーキーの上半身のズームアップ光景です。故郷に帰ったルダーキーは、940年から941年の間に没し、現在のパンジケントにあるパンジ・ルーダク村に葬られました。ナスル2世から寵愛を受けた頃のルダーキーは、膨大な財産と200人の奴隷を持ち、旅に出る時には400頭のラクダに荷物を運ばせたと伝えられています。

    イチオシ

    ルダーキーの上半身のズームアップ光景です。故郷に帰ったルダーキーは、940年から941年の間に没し、現在のパンジケントにあるパンジ・ルーダク村に葬られました。ナスル2世から寵愛を受けた頃のルダーキーは、膨大な財産と200人の奴隷を持ち、旅に出る時には400頭のラクダに荷物を運ばせたと伝えられています。

  • ルダーキー博物館の正面光景です。先ほど紹介した詩人の名前に因む博物館です。イスラム世界では、詩人は殊に尊敬されていることを、イラン旅行の時にもお聞き思案した。<br />

    ルダーキー博物館の正面光景です。先ほど紹介した詩人の名前に因む博物館です。イスラム世界では、詩人は殊に尊敬されていることを、イラン旅行の時にもお聞き思案した。

  • ルダーキー博物館の前に展示された石柱です。下部は左岸でしょうか、積まれた上部は大理石当たりののようでした。表示がありませんでしたから、年代は特定できませんでした。紀元前の干レンガ時代のサラズム遺跡の出土品としては、少し大き過ぎるようです。ペンジケントの遺跡からの出土ですと、紀元後になります。

    ルダーキー博物館の前に展示された石柱です。下部は左岸でしょうか、積まれた上部は大理石当たりののようでした。表示がありませんでしたから、年代は特定できませんでした。紀元前の干レンガ時代のサラズム遺跡の出土品としては、少し大き過ぎるようです。ペンジケントの遺跡からの出土ですと、紀元後になります。

  • 同じく、並べて展示してあった石柱の光景です。詳しいことは分かりませんが、こちらもペンジケントの遺跡からの出土品のように見えました。

    同じく、並べて展示してあった石柱の光景です。詳しいことは分かりませんが、こちらもペンジケントの遺跡からの出土品のように見えました。

  • 同じく、ルダーキー博物館の前に展示された石柱の光景です。先に紹介した、丸い石柱と同じ材質で、同じ加工がされているようでした。低い石柵も遺物展示のようでした。

    同じく、ルダーキー博物館の前に展示された石柱の光景です。先に紹介した、丸い石柱と同じ材質で、同じ加工がされているようでした。低い石柵も遺物展示のようでした。

  • 不思議な石造の展示物のズームアップ光景です。自然石をくりぬいて作られたもののようでした。『ソグド人の鳥葬用のオスアリ』とのネット情報がありました。ゾロアスター教では、死体は悪魔の住処とされ、葬式は悪魔による汚濁の源を浄化するための儀礼とされます。火葬や水葬、土葬は行われず、鳥葬が行われるようです。

    不思議な石造の展示物のズームアップ光景です。自然石をくりぬいて作られたもののようでした。『ソグド人の鳥葬用のオスアリ』とのネット情報がありました。ゾロアスター教では、死体は悪魔の住処とされ、葬式は悪魔による汚濁の源を浄化するための儀礼とされます。火葬や水葬、土葬は行われず、鳥葬が行われるようです。

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