2019/04/23 - 2019/04/30
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旅人のくまさんさん
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丘の上の草原を歩き回って見学した、ペンジケント遺跡の紹介です。ゾロアスター教の寺院跡などの遺跡も目にすることが出来ましたが、少し残念なのは、解説書や遺跡概要などの資料がない中での見学でした。
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- 観光バス
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イチオシ
ペンジケント遺跡の見学の始まりです。歴史展示館の近くから坂を上りました。この位置からは、歴史展示館、観光バスと、先ほど立ち寄ったボリス・マルシャーク博士のお墓も見えていました。
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階段を登った先に見えていた崖の光景です。ペンジケント遺跡は、この丘を城壁で取り囲んで築かれていました。展示館見学の前に紹介した区域図の通りです。その時代は5世紀から8世紀とされます。土地が放棄された8世紀以降の貨幣などが全く見つかっていないことからも、その事実は確認されているようです。
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遺跡調査のために発生した土地の光景になるようです。遺跡探索よりも、春の花咲く草原散策の趣もありましたから、遺跡に関する故事などを紹介しながらのペンジケント遺跡の紹介にします。最初に取り上げる歴史的人物は、マケドニア王国を正解最大の王国に広げたアレキサンダー大王の話題です。展示館の入り口付近にも、その大王の足跡が紹介されていました。
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アレキサンダー大王の正式名は、『アレクサンドロス3世(紀元前356~紀元前323年)』、マケドニアに生まれ、コリントス同盟(ヘラス同盟)の盟主、征服したエジプトのファラオも兼ねました。ヘーラクレースとアキレウスを祖に持つとされ、ギリシアにおける最高の家系のもとに生まれました。16歳まで哲学者のアリストテレス(紀元前384~紀元前322年)の教えを受けました。
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崖のような地形が続きますが、ペンジケント遺跡のかつての守りとなった地形になるようです。長い道のりの遺跡散策ですから、アレキサンダー大王の話題を続けます。井上靖さんの『遺跡の旅・シルクロード』によれば、ペンジケントは14ヘクタールという大規模な都市遺跡ですが、昭和40年(1965年)当時は4ヘクタール分しか発掘調査は進んでいなかったようです。
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遺跡発掘調査で生じたらしい、凹凸の多い光景が続きます。アレキサンダー大王は、20歳で父であるピリッポス2世の王位を継承しました。その治世の多くをアジアや北アフリカにおける類を見ない東方遠征に費やし、30歳までにギリシャからインド北西にまたがる大帝国を建設しました。戦いでは敗れたことがなく、歴史上で、最も成功した軍事指揮官であると考えられています。
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紀元前334年、アケメネス朝(ペルシャ帝国)に侵攻し、10年に及ぶ大遠征を開始しました。アナトリアの征服後、イッソスの戦い(紀元前333年)やガウガメラの戦い(紀元前331年)で決定的な勝利を得て、強大なペルシャを制しました。ダレイオス3世がカスピ海東岸に逃れますと、ペルシャ王国は風前の灯火となりました。
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紀元前331年、ペルシャ帝国のダレイオス1世が創建したペルセポリスに入城すると、一般民衆も虐殺し、徹底的に破壊して焼き払いました。ペルセポリスの徹底した破壊は、ペルシア戦争時(紀元前499年から紀元前449年の三度)において、ペルシアがアテナイのアクロポリスを焼き払ったことへの復讐の意味もあったようです。
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ペルセポリスは、現在のイランの区域になりますが、この遺跡見学も感慨深いものがありました。その時の現地ガイドさんは、焼き払う前の宮殿でアレキサンダー大王は宮殿にしばらく滞留し、その後で破壊を命じたと説明されていました。現在、ペンジケント遺跡の南の端を歩いているようです。
*2012秋、イラン旅行記(23)ペルセポリス、宮殿跡 -
ペルシアの中枢を占領した後も、アレキサンダー軍はダレイオス3世を追って進軍を続けました。 翌年(紀元前333年)、ダレイオス3世が王族で側近であったベッソスによって暗殺されますと、アレキサンダーはダレイオス3世の遺骸を丁重に葬りました。その後ベッソスを捕らえ、エクバタナで不義不忠の罪で公開処刑しました。
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14ヘクタールとされるペンジケント遺跡の発掘調査は、大変な時間と労力を要したことだ実感できる草原散策でした。中央アジア方面へ侵攻したアレキサンダーは、再び反乱を起こした『スピタメネス(紀元前370年頃~紀元前328年)』を中心とするソグド人による激しい抵抗に直面しました。スピタメネスは、バクトリアの豪族で、ソグド人の将軍でした。
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マケドニア軍は紀元前329年から紀元前327年までソグディアナとバクトリアにおける過酷なゲリラ戦を強いられ、将兵の士気の低下を招いたとされます。好戦的な遊牧民であるスキタイ人も攻撃を仕掛けてきましたが、アレキサンダー大王やその部下であるクラテロスは、遊牧民の騎兵にも勝利を収めました。先ほどから、北方向に向かって進み始めました。
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遺跡歩きの目を和ませてくれたのが、この薄紫色の野草です。残念ながら、まだ名前は調べが付きません。因みに、タジキスタンは国花と呼ばれる植物は公式にも非公式にも決まっていないようです。
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同じく、名前が分からない薄紫の野の花の光景です。タジキスタンに国花はありませんが、カルミア 、ヘリコニア、シクラメン、ワタなどの花が人気が高いようです。右下に一輪だけポピーの赤い花がありました。ポピーが国花になってもよさそうです。ネットで検索しましたら、赤と黒のポピーがアルバニア、赤いポピーがポーランドの国花でした。
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アレキサンダー大王の話に戻ります。遊牧民に勝利したことで、遊牧民の王が『アアレキサンダー大王の命令は何でも受け入れるので、どうかお許しください』と懇願するほどだったようです。また、クレイトス殺害事件や近習による陰謀事件など、アレキサンダーと部下たちの間に隙間が生じ始めるのもこの頃でした。ある。なおソグディアナ攻防戦後にアレキサンダーは紀元前328年に帰順したこの地方の有力者、オクシュアルテスの娘ロクサネを妃とした。
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赤いポピーの花の群生です。あちらこちらに不規則に咲いていましたから、植栽されたものではなく、野生種のようでした。ケシ科の植物ですが、麻薬は採取できない種です。
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クレイトスは、アレキサンダーの近習の一人で将校でした。酔った席で殺してしまい、その後酔いが醒めたアレキサンダーは、分の行為に激しい衝撃を受け、三日三晩にわたって部屋にこもったまま慟哭し続けたと伝わります。さすがに反省したようです。なお、ソグディアナ攻防戦後にアレキサンダーは紀元前328年に帰順したこの地方の有力者、オクシュアルテスの娘ロクサネを妃としました。
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遺跡の北の方に向かって歩く、ツアー参加の皆さん方です。轍は、二兎が歩いた後ではなく、発掘調査関係の作業者が通った跡のようでした。前方に、遺跡跡らしい小高い部分が見えてきました。
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土の塊にしか見えませんが、これらは遺跡の一部のようです。最初に紹介した、展示館前の案内図面には、城壁に囲まれたペンジケント遺跡の中に、発掘調査で判明したらしい遺跡部分がマークしてありました。
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近くから眺めた、土の塊にしか見えない遺跡の光景です。ネット検索なども併用してみましたが、解説書などがなければ理解することは無理のようでした。
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ペルシア王国を征服したアレキサンダー大王は、次にインドへの遠征を開始しました。インドにおいても連戦連勝で、最も勇猛なカタイオイ人も制圧しました。更にインド中央部に向かおうとしましたが、部下が疲労を理由に、これ以上の進軍を拒否したため、やむなく兵を返すことにしました。 全軍を三分割し、紀元前324年にスーサに帰還しました。
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帰還したアレキサンダー大王は、バビロンにおいて帝国をペルシア、マケドニア、ギリシア(コリントス同盟)の3地域に再編し、アレキサンダーによる同君連合の形をとることにしました。また、広大な帝国を円滑に治めるためペルシア人を積極的に登用するなど、ペルシア人とマケドニア人の融和を進めましたが、紀元前323年6月、32歳の若さで亡くなりました。
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アレキサンダー大王の死後、異母兄で精神疾患のあったピリッポス3世と、アレクサンドロスの死後に生まれた息子アレクサンドロス4世が共同統治者となりましたが、後継の座を巡って配下の武将らの間でディアドコイ戦争が勃発しました。ピリッポス3世は紀元前317年に、アレクサンドロス4世は紀元前309年に暗殺され、アレキサンダー大王の帝国は、分割・統治されることとなりました。
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草原の中に顔を出した遺跡の光景です。現地ガイドさんから、『ゾロアスター教寺院跡』とお聞きしました。干しレンガと土だけで作り上げ、石材は使用されていないようでした。アーチに見える部分で火を燃やしたようです。遺跡の下部は、土に埋もれているかも知れません。
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イチオシ
『ゾロアスター教寺院跡』とお聞きした遺跡のズームアップ光景です。ゾロアスタ教のことを冊子で目にしたのは、松本清張さんの小説『火の路』だった記憶です。手元に単行本も文庫本もありますが、その前にネット検索しましたら、『この小説が朝日新聞に連載された1973~4年』との文春文庫の解説がヒットしました。今からざっと45年ほど前になります。
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同じく、『ゾロアスター教寺院跡』とその割の光景です。この場所は、もう一度目にすることが出来ました。ゾロアスター教のドイツ語読みは、『ツァラツトゥストラ』。こちらは、ワーグナーの交響詩として有名です。『ツァラツトゥストラは、かく語りき』は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの後期思想を代表する著作です。
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小部屋に分けられたような遺跡の光景です。アレキサンダー大王の紹介の締め括りです。アレキサンダー3世が大王と呼ばれるようになるのは、軍事指揮官として類を見ない成功を治めたことによります。たとえ数で圧倒的に凌駕されていようとも、一度も戦いにおいて負けませんでした。これは地形と密集陣形、騎兵戦術、大胆な戦略、そして部下の強い忠誠心が大きかったようです。
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イチオシ
アレキサンダー大王は、征服地にその名に因んでアレクサンドリアと名付けた都市を建設、軍の拠点として現地支配の基礎に置きました。帝国の公用語に古代ギリシア語を採用し、ペルシャ文化との融合に心を配りました。自らダレイオス3世の娘を娶りペルシア人と部下の集団結婚を奨励しました。ペルシア風礼式や行政制度を取り入れ、代官に現地有力者を任命し、融合を図りました。
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ギリシア文化とオリエント文化が融合した、ヘレニズム文化もアレキサンダー大王の影響が大きいものです。ラオコオン、ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ、瀕死のガリア人などの彫刻が各地で制作されました。エウクレイデス、アポロニオス、アルキメデスらの学者も輩出、その後古代ローマに強い影響を及ぼし、サーサーン朝などにも影響を与えました。
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遺跡の北の端に到着しました。ペンジケント遺跡から眺めた、現在のペンジケントの町並光景です。8世紀、この場所を放棄した人たちは、周りに散らばっていったようです。アレキサンダー大王は、ハンニバル、ガイウス・ユリウス・カエサル、ナポレオンなどの著名な歴史上の人物たちから大英雄とみなされていました。現代でも、今もその業績は、世界中の軍学校で教えられています。
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