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タジキスタンのペンジケント博物館の展示品の紹介です。千数百年前の地中埋設の水道管や、レプリカですが、ソグド人の物語を描いた『青の部屋』の壁画などは見応えがありました。

2019春、ウズベキスタン等の旅(18/52):4月25日(4):ペンジケント(4):ペンジケント遺跡(4):展示館(4):壁画

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2019/04/23 - 2019/04/30

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

タジキスタンのペンジケント博物館の展示品の紹介です。千数百年前の地中埋設の水道管や、レプリカですが、ソグド人の物語を描いた『青の部屋』の壁画などは見応えがありました。

交通手段
観光バス

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  • 『壁画』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />推測ですが、盛装した女性の主人と、その従者が描かれているようです。

    『壁画』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    推測ですが、盛装した女性の主人と、その従者が描かれているようです。

  • 『陶管破片』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />Fragment of Ceramic pipe』のタイトルがあった写真パネルの上に展示してあった陶管破片です。

    『陶管破片』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    Fragment of Ceramic pipe』のタイトルがあった写真パネルの上に展示してあった陶管破片です。

  • 『Fragment of Ceramic pipe』のタイトルがあった写真パネルのズームアップ光景です。出土した陶管の写真です。下水用ではなく、上水のようです。

    イチオシ

    『Fragment of Ceramic pipe』のタイトルがあった写真パネルのズームアップ光景です。出土した陶管の写真です。下水用ではなく、上水のようです。

  • 『陶破片と陶器碗』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />展示場所が暗く、周りからの映り込みが激しい写真です。お許しください。表示札も読み取れませんでしたから、推測での紹介です。

    『陶破片と陶器碗』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    展示場所が暗く、周りからの映り込みが激しい写真です。お許しください。表示札も読み取れませんでしたから、推測での紹介です。

  • 『ヴェッセルズ』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />微かに読み取れた説明文では、動物の絵が描かれているようです。

    『ヴェッセルズ』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    微かに読み取れた説明文では、動物の絵が描かれているようです。

  • 『ランプ(中央下)、ヴェッセルズ(その他)』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />ランプ以外には、取手が付いた、徳利のような注ぎ口の陶容器、蓋付の小容器などが展示されていました。

    『ランプ(中央下)、ヴェッセルズ(その他)』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    ランプ以外には、取手が付いた、徳利のような注ぎ口の陶容器、蓋付の小容器などが展示されていました。

  • この後紹介する、ブルーが基調の壁画の前に、その説明文を紹介しておきます。<br />『Cpies of Blue Hall』:『青の部屋』のコピー(レプリカ)の意味のようです。<br />『RUSUTAMNOMA』:『青の部屋』の正式名称でしょうか。<br />『Fulfilled by Gremyachinskaya and Nikitin』:壁画の複製に携わった人達でしょうか、ロシヤ名のようでした。

    この後紹介する、ブルーが基調の壁画の前に、その説明文を紹介しておきます。
    『Cpies of Blue Hall』:『青の部屋』のコピー(レプリカ)の意味のようです。
    『RUSUTAMNOMA』:『青の部屋』の正式名称でしょうか。
    『Fulfilled by Gremyachinskaya and Nikitin』:壁画の複製に携わった人達でしょうか、ロシヤ名のようでした。

  • 『壁画(部分)』(レプリカ)<br />ペンジケント出土<br />(740年頃)<br />最初に壁画の全体像から紹介します。壁画に向かって、左端方面の光景です。騎馬が三頭描かれ、蛇のような怪獣がその騎馬を襲っています。

    『壁画(部分)』(レプリカ)
    ペンジケント出土
    (740年頃)
    最初に壁画の全体像から紹介します。壁画に向かって、左端方面の光景です。騎馬が三頭描かれ、蛇のような怪獣がその騎馬を襲っています。

  • 『壁画(部分)』(レプリカ)<br />ペンジケント出土<br />(740年頃)<br />壁画に向かって、左端方面から始まって、その手前部分の壁画光景です。この辺りはかなり絵が喪失していました。それでも微かに騎馬の姿が分かります。

    『壁画(部分)』(レプリカ)
    ペンジケント出土
    (740年頃)
    壁画に向かって、左端方面から始まって、その手前部分の壁画光景です。この辺りはかなり絵が喪失していました。それでも微かに騎馬の姿が分かります。

  • 『壁画(部分)』(レプリカ)<br />ペンジケント出土<br />(740年頃)<br />更に手前部分の壁画の光景です。一番損傷が激しい部分でした。

    『壁画(部分)』(レプリカ)
    ペンジケント出土
    (740年頃)
    更に手前部分の壁画の光景です。一番損傷が激しい部分でした。

  • 『壁画(部分)』(レプリカ)<br />ペンジケント出土<br />(740年頃)<br />壁画の右端部分の光景です。突き当りからさらに右に向かって壁画がに帯びていましたが、とりあえず壁画の全体像の紹介はおしまいです。

    『壁画(部分)』(レプリカ)
    ペンジケント出土
    (740年頃)
    壁画の右端部分の光景です。突き当りからさらに右に向かって壁画がに帯びていましたが、とりあえず壁画の全体像の紹介はおしまいです。

  • 『壁画(部分)』(レプリカ)<br />ペンジケント出土<br />(740年頃)<br />一番左端の部分の壁画のズームアップ光景です。色彩は失われていますが、馬を駆使して戦う人の姿は、はっきりと伺うことができます。

    『壁画(部分)』(レプリカ)
    ペンジケント出土
    (740年頃)
    一番左端の部分の壁画のズームアップ光景です。色彩は失われていますが、馬を駆使して戦う人の姿は、はっきりと伺うことができます。

  • 『壁画(部分)』(レプリカ)<br />騎馬姿のズームアップ光景です。馬には鐙(あぶみ)が使用され、戦闘に威力を発揮していたようです。鐙のルーツは西晋時代の中国もしくは満州にあるとされ、発明されたのは西暦290~300年頃とされます。鐙の登場により、馬上で踏ん張ることができ、騎士は敵に向かって突撃ができるようになりました。

    イチオシ

    『壁画(部分)』(レプリカ)
    騎馬姿のズームアップ光景です。馬には鐙(あぶみ)が使用され、戦闘に威力を発揮していたようです。鐙のルーツは西晋時代の中国もしくは満州にあるとされ、発明されたのは西暦290~300年頃とされます。鐙の登場により、馬上で踏ん張ることができ、騎士は敵に向かって突撃ができるようになりました。

  • 『壁画(部分)』(レプリカ)<br />更にズームアップした、騎馬姿の光景です。足の裏に引っ掛けるような構造でした。軍事目的で馬を利用する場合、不安定な姿勢で武器を使うのは極めて困難なため、特殊技能でした。このため幼い頃からの鍛錬が必要です。この場面は『勝利者・ルスタム』と呼ばれているようです。ソグド人の勇者です。

    『壁画(部分)』(レプリカ)
    更にズームアップした、騎馬姿の光景です。足の裏に引っ掛けるような構造でした。軍事目的で馬を利用する場合、不安定な姿勢で武器を使うのは極めて困難なため、特殊技能でした。このため幼い頃からの鍛錬が必要です。この場面は『勝利者・ルスタム』と呼ばれているようです。ソグド人の勇者です。

  • 『壁画(部分)』(レプリカ)<br />『青の部屋』の壁画は、かつては、騎馬民族が世界を席巻したのも、この技能が大きく影響したようです。この部分を含めて壁画は、今はエルミタージュ美術館に展示されています。

    『壁画(部分)』(レプリカ)
    『青の部屋』の壁画は、かつては、騎馬民族が世界を席巻したのも、この技能が大きく影響したようです。この部分を含めて壁画は、今はエルミタージュ美術館に展示されています。

  • 『壁画(部分)』(レプリカ)<br />右に向かって歩みを進める数頭の騎馬兵の光景です。戦闘場面ではありませんでした。これで、『青の部屋』と呼ばれる場所の壁画のレプリカ写真の紹介はおしまいです。エルミタージュ美術館の壁画は、もっと広い範囲のものが収蔵・展示アsれ定るようです。

    『壁画(部分)』(レプリカ)
    右に向かって歩みを進める数頭の騎馬兵の光景です。戦闘場面ではありませんでした。これで、『青の部屋』と呼ばれる場所の壁画のレプリカ写真の紹介はおしまいです。エルミタージュ美術館の壁画は、もっと広い範囲のものが収蔵・展示アsれ定るようです。

  • 『コイン(右)、表示札(中)、ナイフ断片(左)』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />中央の表示札は、手書きでその内容が紹介されていました。<br />

    『コイン(右)、表示札(中)、ナイフ断片(左)』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    中央の表示札は、手書きでその内容が紹介されていました。

  • 『宝飾品(左)、銅ベルト(右上)』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />装飾品やベルト用品など、服飾に関する小物が多いようでした。

    『宝飾品(左)、銅ベルト(右上)』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    装飾品やベルト用品など、服飾に関する小物が多いようでした。

  • 『Ploughshare for Plouch』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />『Ploughshare』は、『土壌の上層部をゆるく掘削する鋭い金属製のくさび』の翻訳がありました。

    『Ploughshare for Plouch』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    『Ploughshare』は、『土壌の上層部をゆるく掘削する鋭い金属製のくさび』の翻訳がありました。

  • 『Iron tools(鉄器)』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />この展示品には英語表記がありました。鉄製の道具の数々です。

    『Iron tools(鉄器)』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    この展示品には英語表記がありました。鉄製の道具の数々です。

  • 『Axe』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />『Axe』の意味は分かりませんでしたが、錆びた鉄製品の出土品のようです。

    『Axe』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    『Axe』の意味は分かりませんでしたが、錆びた鉄製品の出土品のようです。

  • 『Potesha』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />『Potesha』の意味は分かりませんでしたが、鉄製の部品のような展示品でした。

    『Potesha』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    『Potesha』の意味は分かりませんでしたが、鉄製の部品のような展示品でした。

  • 『被覆(木綿?)』<br />ペンジケント出土<br />(8世紀)<br />説明書きがありましたが、ロシア語などでした。木綿のズボンのようです。

    『被覆(木綿?)』
    ペンジケント出土
    (8世紀)
    説明書きがありましたが、ロシア語などでした。木綿のズボンのようです。

  • 『セラミックス』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />すでに紹介したヴェッセルもあります。

    『セラミックス』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    すでに紹介したヴェッセルもあります。

  • 『鉄器など』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />鉄製品の数々です。

    『鉄器など』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    鉄製品の数々です。

  • 『宝飾品(左)、銅ベルト(右上)』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />紹介がほぼ重複したようです。

    『宝飾品(左)、銅ベルト(右上)』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    紹介がほぼ重複したようです。

  • 『コイン(右)、木簡(中)、鉄器(左)』<br />ペンジケント出土<br />(5~8世紀)<br />いくつかに分けて、すでに紹介したものがほとんどです。木簡には、ソグド文字が記されているようでした。

    『コイン(右)、木簡(中)、鉄器(左)』
    ペンジケント出土
    (5~8世紀)
    いくつかに分けて、すでに紹介したものがほとんどです。木簡には、ソグド文字が記されているようでした。

  • ここからは、ペンジケント遺跡の現地見学です。遺跡見学の前に最初に目にしたのが、ペンジケント遺跡の発掘調査と研究に生涯を尽くし、この地に埋葬されたソビエトの考古学者の『ボリス・マルシャーク博士』のお墓です。ネットで略歴などを検索してみましたが、参考になりそうな情報はまだ見つかっていません。

    ここからは、ペンジケント遺跡の現地見学です。遺跡見学の前に最初に目にしたのが、ペンジケント遺跡の発掘調査と研究に生涯を尽くし、この地に埋葬されたソビエトの考古学者の『ボリス・マルシャーク博士』のお墓です。ネットで略歴などを検索してみましたが、参考になりそうな情報はまだ見つかっていません。

  • 同じく、角度を変えて撮影した、ソビエトの考古学者の『ボリス・マルシャーク博士』のお墓です。遺跡の発掘と研究に功績があった人らしく、今も手入れが行き届いていました。この墓碑から、生年(1933年1月)と没年(2006年7月7月)が分かりました。

    イチオシ

    同じく、角度を変えて撮影した、ソビエトの考古学者の『ボリス・マルシャーク博士』のお墓です。遺跡の発掘と研究に功績があった人らしく、今も手入れが行き届いていました。この墓碑から、生年(1933年1月)と没年(2006年7月7月)が分かりました。

  • 赤いポピーの花の光景です。ボリス・マルシャーク博士への手向けの花の代わりにこの花を写真を手向けます。やや半開きになるこの花の群生を、遺跡のあちこちで目にしました。ケシ科の植物です。

    赤いポピーの花の光景です。ボリス・マルシャーク博士への手向けの花の代わりにこの花を写真を手向けます。やや半開きになるこの花の群生を、遺跡のあちこちで目にしました。ケシ科の植物です。

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