2018/02/17 - 2018/02/18
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ケーさん
日本100名城巡り
☆25城目☆福岡城(No.85)
☆26城目☆大野城(No.86)
福岡県の100名城は、
福岡城(福岡市)
大野城(大野城市)
の2城です。
今回福岡県2城のスタンプはゲットしましたが大野城はスタンプだけなので、またいつか訪れたいと思います。
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2018年2月11日(土)
今回は大阪のダイビングショップの福岡牡蠣小屋&グルメツアー(ダイビングなし)に参加です。
羽田(07:10)→福岡(09:10)JAL305便
早朝の便で福岡空港に到着し、関西組と合流します。
写真は関西組が乗って来たANAのスターウォーズの飛行機。いいなー。 -
福岡でダイビングショップを経営しているWさんが空港までお迎えに来てくれました。今回、福岡をご案内していただきます。
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車の中から見えた「ヤフオク!ドーム」
福岡PayPayドーム テーマパーク
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車の中から見えた「福岡タワー」
かっこいい!登りたい!福岡タワー 名所・史跡
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糸島のカキ小屋大黒丸に到着。
カキ小屋もたくさんあるらしいですけれど、こちらが福岡在住のWさんが一押しのお店です。 -
はい!出ました!顔出しパネル!
「糸島カキっ子 カッキーヌ」は福岡県のでもなく、糸島市のでもなく、なんと!こちらの「カキ小屋大黒丸」のマスコットキャラクターです!!大黒丸 グルメ・レストラン
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お昼前には既に満席です。大人気店ですね。
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さあー!カキが来ましたよ~
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炭火で焼きます。
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ホタテ。
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アワビとクルマエビとカキ。
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ウチワエビ。初めて見ました!初めて食べました!
カキめっちゃいっぱい食べました(カキが苦手なM先生の分までいただきました)。念願のカキ小屋に来られて幸せ~! -
はい!ありましたよー!「またいちの塩」の顔出しパネル!
カキ小屋の後は、糸島の「またいちの塩 製塩所 工房とったん」に来ました。「工房とったん」では、塩の製造をしており、大人気商品「花塩プリン」を販売しています。工房とったん 名所・史跡
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こちらが塩田です。
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オープンな工房で、塩の製造過程を見学させてもらいました。
塩田で濃縮した塩を煮つめています。 -
写真右が、工房と大人気商品「花塩プリン」の販売所。
工房とったん 名所・史跡
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手作りの展望台。
かなりアブナイ階段のようですね(笑) -
並んで花塩プリン買いました~
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海を眺めながら食べる花塩プリンは最高です。
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ネコがいました(=^^=)
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海が綺麗です。
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今晩宿泊する旅館で一休みしてから夕食を食べに行きます。
まずは有名な博多の屋台の雰囲気を体験。
しっしかし、屋台に入ったあたりから偏頭痛がどんどんひどくなり、私だけ先に宿に帰って寝ていました。夕食は何も食べられずじまいでせっかくの博多グルメの夜が~(T_T) -
2018年2月12日(日)
一晩寝て、頭痛もなんとかおさまりました。
地下鉄大濠公園駅から福岡城跡に向かって歩くと外堀がありました。
福岡城の城跡と大堀跡は、それぞれ舞鶴公園と大濠公園として整備されています。 -
下之橋を渡ります。
正面に「(伝)潮見櫓 」、左手に「下之橋御門」(大手門)が見えます。 -
外側から見る下之橋御門と(伝)潮見櫓
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「下之橋御門(しものはしごもん)
(県指定文化財 昭和31年4月3日指定)
福岡城は、福岡藩初代藩主黒田長政によって、慶長6年(1601)から7年かけて築かれました。城内への門は、堀に架かる3つの橋、上之橋(かみのはし)、下之橋(しものはし)、追廻橋(おいまわしばし)にそれぞれあり、このうち下之橋を渡って入る門がここ下之橋御門(下の橋大手門)です。
現在の門は文化2年(1805)に建てられましたが、明治時代に上層部を失い、長く一層のままでした。平成12年(2000)に不審火によって被災したため、復旧に向けた調査研究を行ない、同20年に二層櫓門(にそうやぐらもん)として復原しました。
門の上層部は、部材に残る痕跡・発掘調査成果・絵図・文献史料などにより、その規模、北側の下屋(げや)の様子、柱の立つ位置、外壁の漆喰壁(しっくいかべ)などが明らかになりました。また直接の資料を欠く部分は、上之橋御門(上の橋大手門)の古写真や本丸表御門(現・崇福寺山門)などを参考にしました。
この復原は専門家で構成する「福岡城跡建造物等復原整備検討委員会」で検討されたものです。これとは異なった復原案も提案されましたが、現段階でより蓋然性が高いと判断された本案を採用しました。」
(説明板より) -
下之橋御門をくぐります。
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櫓の下の石垣
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「(伝)潮見櫓 (しおみやぐら)
(県指定文化財 昭和27年3月29日指定)
福岡城に50近くあった櫓の一つです。大正初期に浜の町の黒田別邸に移築され、昭和31年(1956)に再移築されました。
潮見櫓の本来の位置は、現在の位置ではなく三の丸北西角であり、また、この建物は平成3年の調査の結果、潮見櫓ではなく、城内の別の櫓であると考えられています。
平成20年11月 福岡市教育委員会」(説明板より)舞鶴公園 (福岡城跡) 名所・史跡
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舞鶴公園へ。
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福岡城の本丸から三の丸一帯は現在、舞鶴公園となっており、公園入口には福岡城跡の石碑が立っています。
「福岡城跡(ふくおかじょうあと)
福岡藩初段藩主黒田長政(くろだながまさ)が、慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけて築いた城の跡です。天守台を中心にして本丸、二の丸、東西の三の丸からなり、周囲を堀で囲む構造です。47の櫓を築きましたが、そのうち多聞櫓(たもんやぐら)、祈念櫓(きねんやぐら)、(伝)潮見櫓(しおみやぐら)は現在でも見ることができます。藩主ゆかりの地、備前国(びぜんのくに)福岡(現在の岡山県瀬戸内市付近)にちなんで福岡城と名付けられましたが、別名舞鶴城(まいづるじょう)とも呼ばれます。昭和32年に国史跡に指定されました。」
(説明板より)舞鶴公園 (福岡城跡) 名所・史跡
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【二の丸跡】
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【表御門櫓跡】
この階段を昇ると本丸です。 -
「本丸(表御門跡・祈念櫓)
二の丸から表御門跡を抜けると、いよいよ福岡城の中枢である本丸となります。表御門は大正7年(1918年)に黒田家の菩提寺である崇福寺(博多区千代)に移築され、現在まで同寺の山門として使用されています。
また、本丸の東北方向(鬼門)の角には、祈念櫓があります。これは鬼門封じの祈念をするために建立されたもので、棟札によると万延元年(1860年)3月に起工、同年10月に竣工したものです。
この櫓は大正7年(1918年)に、陸軍省から払下げられ、北九州市八幡東区の大正寺境内に移築、観音堂として使用されました。そして昭和58年(1983年)、同寺より福岡城の旧位置に戻された経緯があります。大正初期の撮影と推定される写真の祈念櫓をみると、下見板張り、白漆喰の壁、軒先を方杖と軒桁で支える二層の櫓となっており、復元された現在の祈念櫓とは著しく外観が異なっており、別の櫓かと思われるほどですが、福岡城から大正寺に移築された際に大幅な改変を受けたと考えられます。1、2階の窓格子は白漆喰塗り仕上げで当時の様子をとどめています。
福岡城の特徴として、47ともいわれる多数の櫓があったことが挙げられますが、現存しているのは本櫓のほか、国指定史跡の多聞櫓や解体保存中の潮見櫓など数えるほどとなっています。」
(説明板より) -
本丸表御門跡の石段を登ると、前方に祈念櫓が見えます。
「福岡県指定文化財 福岡城祈念櫓(きねんやぐら)
福岡城は慶長五年(一六〇〇)筑前に入国した黒田長政が翌六年から七年の歳月をかけて築城したものです。城は東西に長い梯郭式の平山城で、本丸・二の丸・三の丸に分かれています。その面積は四十八万平方メートルにおよび、昭和三十二年に国史跡に指定されています。
この祈念櫓は本丸の北東隅に鬼門封じのために建立された二層の櫓で、棟札によって現在の建物は、万延元年(一八六〇)年三月に起工し、同年十月に竣工したことが判明しています。
その後、大正七年(一九一八)には本市内にある黒田家菩提寺の崇福寺が陸軍省から払い下げをうけ、その末寺である北九州市八幡東区の大正寺の境内に観音堂として移築されました。その際の棟札によると大正九年に竣工しています。さらに昭和五十八年(一九八三)から翌年にかけて再び福岡城の現在の位置に再移築がなされました。また、その間の昭和三十二年八月には「旧福岡城祈念櫓」として福岡県の有形文化財(建造物)に指定されています。
大正初期の移築前に撮影されたと推定される古写真と現在の建物を比較すると外観や規模が異なっており、大正寺への移築の際に大幅な改変を受けたものと推測されます。旧状の櫓の壁は白漆喰で、二層目の窓は花頭窓であったことが写真から判明しています。
二〇〇四年三月 福岡市教育委員会」(説明板より) -
天守台の石垣。
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鉄御門(くろがねごもん)跡。
正面が大天守台です。 -
天守台跡への階段
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大天守台からの眺望
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「福岡城天守台跡(ふくおかじょうてんしゅだいあと)
歴代の福岡藩主も眺めたであろう天守台跡(てんしゅだいあと)からは、福岡市内360度全方向のパノラマを楽しめます。江戸時代なら福岡城下を一望できたことでしょう。そして、もしも天守閣が存在していたとしたら、そこからはより一層爽快(そうかい)な眺めが得られたはず。この天守閣の有無については議論されていますが、仮に存在したとすると、天守台の礎石(そせき)や石垣の規模から5層の大天守閣が建っていたと推定され、東側に中天守、小天守が立ち並ぶ52万石の大藩にふさわしい偉容(いよう)を誇ったに違いありません。」
(説明板より)舞鶴公園 (福岡城跡) 名所・史跡
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残念ながら重要文化財の多門櫓には行けませんでした。また再訪します!
この後は、100名城のスタンプを押しに「鴻臚館跡展示館」へ。
鴻臚館跡展示館は平和台陸上競技場の隣にあります。平和台陸上競技場 名所・史跡
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「史跡 鴻臚館跡(こうろかんあと)
鴻臚館(筑紫館、つくしのむろつみ)は古代(飛鳥・奈良・平安時代)の迎賓館(げいひんかん)に相当し、日本の3カ所に設けられましたが、遺跡(いせき)の存在が確認されたのは、この筑紫の鴻臚館のみです。
福岡市教育委員会では、1999(平成11)年から平和台野球場(へいわだいやきゅうじょう)跡地で鴻臚館跡の発掘調査を続けており、これまでに鴻臚館が周囲より4mほど高い台地の上に造られていたこと、中央の堀(ほり)をはさんで南北に二つの建物があり、何度か建て替えられていたこと、南北を行き来するための橋が架けられていたことなどを確認しました。
野球場跡の調査終了後に全体的な整備を行う予定ですが、すでに調査が終了した南半部分について一部整備を行い公開するものです。奈良時代前半頃の南北二つの建物を囲む塀(へい)跡、塀の南西外のトイレ跡、堀、橋(土橋)などを、それぞれの場所に地表表示しており、遺構(いこう)はその地下に保存されています。実物大のスケールから鴻臚館の建物の大きさを実感していただければ幸いです。」
(説明板より)鴻臚館跡展示館 名所・史跡
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「史跡 鴻臚館跡1 鴻臚館の役割
鴻臚館は、外国からの賓客をもてなし、滞在させるために平安京・難波と筑紫の3カ所に設けられた施設で、筑紫の鴻臚館は古くは筑紫館(つくしのむろつみ)と呼ばれました。
奈良時代までは外交専用の施設で、中国(唐)や朝鮮(新羅)からの使節は、来日するとまずここに収容され、朝廷の許可を得ると京へ向かい、帰国の際にも筑紫から船出しました。我が国の遣唐使や遣新羅使(けんしらぎし)、留学生などもここから船出するなど、筑紫の鴻臚館は外国への直接の窓口としての役割を担っていました。
平安時代になると、やがて外交使節の来日が途絶えて遣唐使も廃止され、かわって唐や新羅の商人の来航が増加します。商人らは朝廷の許可を得て交易を行い、鴻臚館は外交の場から交易の場へと変容していきました。」
(説明板より) -
「【鴻臚館跡の発見】
近世まで、鴻臚館の故地(こち)は現在の博多駅北方付近とする説が一般的でしたが、大正時代に九州帝国大学医学部教授であった中山平次郎が「万葉集」遣新羅使(けんしらぎし)の歌に描写された情景などをヒントに、鴻臚館を現在の位置に推定しました。しかし戦後は、福岡国体の競技場やその後の市民野球場への改修工事などにより破壊され、鴻臚館の遺構は消滅したとも考えられていましたが、1987年の平和台野球場外野席の改修工事に伴う発掘調査により、遺跡が良好に残っていることが判明しました。
【福岡市による調査】
福岡市教育委員会では1987年の発見を契機として、翌年から鴻臚館跡調査研究指導委員会の指導助言のもと、全容解明のための発掘調査を行っています。
第I期調査は、現在の「鴻臚館跡展示館」とその周辺を対象に実施し、終了後に仮設備を行い、1995年から一般公開しています。第II期は福岡城三ノ丸の西側、第III期は第I期調査部分の周辺を対象に調査を実施しました。
1998年には平和台野球場が撤去され、跡地の調査を開始しました。面積が広大なため南北に二分し、南半部(第IV期)を1999~2005年に、北半部(第V期)を2006年から調査しています。
今後も、鴻臚館の全容解明にとって必要と考えられる地点について調査を行っていく予定です。」
(説明板より) -
「史跡 鴻臚館跡2 鴻臚館の変遷
鴻臚館は堀で隔てられた南北二つの客館で構成されており、うち北側は文献に残る「鴻臚北館」に相当するとみられます。鴻臚館の造営以前は、二本の丘陵が東へ伸び古墳が造られていました。これまでの調査により、大きく三時期の建物群の変遷が明らかになりました。
【第I期/7世紀後半】
堀の南側に4棟の堀立柱建物(ほったてばしらたてもの)が直角に配置され、北側に1棟の掘立柱建物とこれを囲む柱列(はしられつ)があります。堀の南と北では建物の向きや配置が異なっており、次の第II期のように規格的ではありません。
【第II期/8世紀前半】
造営に先立ち、堀の一部が埋め立てられ、北斜面には高さ4m以上の土留(どど)めの為の石垣が築かれています。この堀をはさんで、南と北に全く同じ方位・規模の区画が造られています。「布堀り」と呼ばれる工法を用いて柱を立て並べた塀(へい)で、東に門を設けています。また、区画の南西外にはそれぞれトイレを設けているほか、堀の西端には陸橋を、東側には土橋、のちに木橋を造って南北の連絡路としています。
【第III期/8世紀後半~9世紀前半】
礎石を用いた大型の建物へと造り変えられています。堀の南側では並行する南北方向の2棟とこれに直交する東西方向の1棟を、北側では東西方向の建物1棟を確認しました。堀は埋められて更に狭くなっています。
【第IV・V期/9世紀後半~11世紀前半】
建物は発見できませんが、廃棄土坑(どこう)(ゴミ穴)がいくつも掘られており、土坑の出土品から瓦葺きの建物が存続していたと推定できます。
【鴻臚館の廃絶】
11世紀中頃以降は、鴻臚館に関する遺構や出土品が全く見られなくなり、1047年に「大宋商客宿房(だいそうしょうきゃくしゅくぼう)」放火犯人を捕縛した記録を最後に文献から姿を消す状況によく合致します。」
(説明板より) -
鴻臚館跡からWさんのダイビングショップまで歩いて行き、今日も車でご案内していただきます。
「今、六本松が熱い!」ということで、六本松グルメを紹介してもらいました。
まずは、六本松で人気の「たいもち」やさん「ろっぽんぽん」へ。こちらでは、たいもちの他にからあげも販売されています。
みんなでたいもちを買ってその場で食べました。おいしかった~!ろっぽんぽん グルメ・レストラン
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ろっぽんぽんの手持ちの顔出しパネル!
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六本松グルメpart2は「マツパン」。
こちらのパン屋さんは超人気店だそうです。
こちらでもパンを買って車の中で食べました。おいしかった~!マツパン グルメ・レストラン
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2017年9月にオープンした複合商業施設「六本松421」。
2階には、おしゃれな「六本松蔦屋書店」があります。 -
福岡市西新(にしじん)にあるサザエさん通りを車で通りました。
西南学院大学図書館前には「町子先生とサザエさん」の銅像が立っています。
長谷川町子さんは、福岡市西新に住んでいたことがあり、近くの百道(ももち)海岸を散歩中に、サザエ、カツオ、ワカメなどの登場人物を発案したというエピソードがあることから、サザエさん誕生の地、発案の地として賑わっているそうです。 -
「サザエさん商店街通り」もあります。
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太宰府天満宮に車で向かったのですが、大渋滞で中々前に進めません。
途中、「大野城」の100名城スタンプを押すために「大宰府展示館」に寄ってもらいました。
写真は、大宰府展示館の隣にある【大宰府政庁跡】。綺麗な公園です。大宰府政庁跡 名所・史跡
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【大宰府展示館】
大宰府展示館の前にも顔出しパネルが!
みんなに車の中で待っていてもらって、スタンプだけ押して車に戻ります。
大野城にはまたいつか行きたいです。大宰府展示館 美術館・博物館
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Mさんが裏道を走ってくれたおかげで太宰府天満宮の参道に到着!
少し歩くと西日本鉄道「太宰府駅」がありました。太宰府駅 駅
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太宰府天満宮の参道。
太宰府天満宮 寺・神社・教会
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参道にあったおしゃれな「スターバックスコーヒー太宰府天満宮表参道店」
インスタ映えスポットです。スターバックス コーヒー 太宰府天満宮表参道店 グルメ・レストラン
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「【心字池(しんじいけ)】
心の字をかたどったことから「心字池」と呼ばれています。本殿に参拝するにあたり、この池を渡ることによって身も心も清浄になるともいわれています。」太宰府天満宮 寺・神社・教会
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平橋を渡ります。
「【太鼓橋】
池に掛かる三つの橋が太鼓橋・平橋・太鼓橋で、手前から過去・現在・未来を渡る橋と言われています。」 -
平橋を渡った所に【志賀社】(重要文化財)があります。
「【志賀社】
太鼓橋の傍(そば)にある天満宮の末社で、長禄2年(1458)の再建と伝えられます。小さいながら質感のある神殿は入母屋造、祭神は海神(綿津見三柱神)で重要文化財に指定されています。」太宰府天満宮 志賀社 寺・神社・教会
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太鼓橋を渡ると、「大鳥居」があります。
「【大鳥居】
新田大炊介寄進と伝えられる鳥居は、鎌倉時代末期の作で県内最古と伝えられています。中世の堂々とした姿は県の文化財に指定されています。」太宰府天満宮 寺・神社・教会
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大鳥居をくぐって楼門へ。
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「【楼門(ろうもん)】
本殿側と太鼓橋側とで形態の異なる珍しい楼門。廻廊とともに何度か焼失し、現在の門は大正3年に再建されたものです。」太宰府天満宮 寺・神社・教会
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【御本殿】(重要文化財)
919年(延喜19年)、左大臣藤原仲平が勅命により社殿造営を行いました。数度の炎上を経た1591年(天正19年)に小早川隆景が再建します。五間社流造(ごけんしゃながれづくり)、檜皮葺で、正面には唐破風状の向拝が付く、桃山時代の豪壮華麗な様式で、右には飛梅、左には皇后梅が配されています。現在国の重要文化財として指定されています。太宰府天満宮 寺・神社・教会
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太宰府天満宮の碑。
「【太宰府天満宮の歴史】
太宰府天満宮は、太宰府に左遷され、延喜3年(903)この地で亡くなられた菅原道真公をお祀りしています。幼い頃から文才に秀でた道真公は、18歳で進士、33歳で文章博士となり、55歳で右大臣に就任しました。
異例の昇進は、藤原氏の強い反発を招き、延喜元年(901)、藤原時平のざん言により失脚、太宰権師(だざいごんのそち)として都を追われました。
道真公が配所の榎社で薨去(こうきょ)されたのは二年後の五十九歳の時で、門弟の味酒安行(うまさけのやすゆき)が延喜五年(905)墓所に祠を建てたのが天満宮の始まりです。」 -
結ばれたピンク色のおみくじ。
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花車。
この日、2月18日(日)は、池坊献華祭(池坊華展)だったようです。だから大渋滞だったのかもしれませんね。 -
時刻は15時30分。本日の遅い昼食は、「元祖長浜屋」で。
福岡といったらやっぱりラーメン!元祖長浜屋 グルメ・レストラン
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まず外で食券を買います。
メニューは、ラーメンと替玉と替肉だけ。いたってシンプルです。 -
卓上には、お茶入りの懐かしいタイプのやかんと紅ショウガ、ゴマ、ラーメンダレが置いてあります。
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ラーメンを注文するときに麺の固さを伝えるということをMさんに教えてもらいました。
麺の固さは固い順から、ナマ(粉おとし)、ハリガネ、バリカタ、カタ、普通、ヤワ、バリヤワとあります。
あと、お好みで油の量(ベタ、フツウ、ナシ)や、ネギ(ネギオオメ、ネギモリ)も伝えるようです。
私は、カタのフツウのネギナシで。
細麺とあっさりした豚骨スープがおいしかったです。 -
「鴻臚館跡展示館」で押した福岡城の100名城スタンプです。
重要文化財の南隅櫓(二の丸南隅櫓)がデザインされています。 -
「太宰府展示館」で押した大野城の100名城スタンプです。
百間石垣がデザインされています。
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