明石旅行記(ブログ) 一覧に戻る
日本100名城巡り<br />☆19城目☆明石城(No.58)<br /><br />兵庫県の100名城は、<br />兵庫県朝来市・竹田城<br />兵庫県篠山市・篠山城<br />兵庫県明石市・明石城<br />兵庫県姫路市・姫路城(スタンプ済)<br />兵庫県赤穂市・赤穂城<br />の6城。<br />兵庫県2城目の登城は明石城です。

明石城ちょこっと旅 日本100名城巡りの巻

24いいね!

2017/01/15 - 2017/01/15

86位(同エリア383件中)

旅行記グループ 日本100名城巡り

0

51

ケー

ケーさん

日本100名城巡り
☆19城目☆明石城(No.58)

兵庫県の100名城は、
兵庫県朝来市・竹田城
兵庫県篠山市・篠山城
兵庫県明石市・明石城
兵庫県姫路市・姫路城(スタンプ済)
兵庫県赤穂市・赤穂城
の6城。
兵庫県2城目の登城は明石城です。

旅行の満足度
5.0

PR

  • 2017年1月15日(日)<br /><br />11:00 JR明石駅に到着。<br />駅の北側に明石公園があり、ホームからも坤櫓と巽櫓が見えます。

    2017年1月15日(日)

    11:00 JR明石駅に到着。
    駅の北側に明石公園があり、ホームからも坤櫓と巽櫓が見えます。

  • JR明石駅北口を出ると美しい中堀があります。<br />中堀の向こうに明石城正面入口が見えます。

    JR明石駅北口を出ると美しい中堀があります。
    中堀の向こうに明石城正面入口が見えます。

  • 中堀にいたカモメ。

    中堀にいたカモメ。

  • 【歴史】<br />明石城は、今から400年前の1619年(元和5年)に、初代明石藩主小笠原忠政(後の忠真)が外様大名の多い西国の備えとして、徳川幕府2代将軍秀忠から命じられ築城されました。本丸跡に建つ巽櫓・坤櫓は日本に12基しか現存していない三重櫓のうちのふたつで、国の重要文化財に指定されています。<br />【歴代藩主(城主)】<br />初代明石藩主は、織田信長と徳川家康の二人を曽祖父に持つ小笠原忠政(後の忠真)でした。その後も、戸田松平家、大久保家、藤井松平家、本多家と続き、1682年(天和2年)に越前大野5万石の松平直明が入封し、以降10代にわたって明石藩を治め、1871年(明治4年)に廃藩置県を迎えます。<br /> (明石城公式HPより引用)

    【歴史】
    明石城は、今から400年前の1619年(元和5年)に、初代明石藩主小笠原忠政(後の忠真)が外様大名の多い西国の備えとして、徳川幕府2代将軍秀忠から命じられ築城されました。本丸跡に建つ巽櫓・坤櫓は日本に12基しか現存していない三重櫓のうちのふたつで、国の重要文化財に指定されています。
    【歴代藩主(城主)】
    初代明石藩主は、織田信長と徳川家康の二人を曽祖父に持つ小笠原忠政(後の忠真)でした。その後も、戸田松平家、大久保家、藤井松平家、本多家と続き、1682年(天和2年)に越前大野5万石の松平直明が入封し、以降10代にわたって明石藩を治め、1871年(明治4年)に廃藩置県を迎えます。
     (明石城公式HPより引用)

    明石公園 (明石城) 公園・植物園

  • 橋を渡り切ると、正門「太鼓門跡」の大手虎口があります。<br /><br />【太鼓門跡】<br />明石城の正門で西国街道(山陽道)に面していました。現在の明石公園の正面入口でもあります。当時はここに「太鼓門橋」と呼ばれる長さ十一間(約20m)、幅三間(約5.5m)の木製の欄干橋がかかり、正面に「定ノ門」と呼ばれる高麗門がありました。枡形虎口となっており、五間に八間の枡形を直角に曲がった先には「能ノ門」と呼ばれる櫓門がありました。「能ノ門」には、時刻を告げる大太鼓が備え付けられていて、この二つの門から成る枡形虎口全体は、「太鼓門」と呼ばれていました。また、「太鼓門」の南約300m(現在の国道2号の南付近)には、城内と町屋を区画する「外堀」が掘られ、そこに「追手門」を設けて城内への出入りを監視していました。<br /> (明石城公式HPより引用)

    橋を渡り切ると、正門「太鼓門跡」の大手虎口があります。

    【太鼓門跡】
    明石城の正門で西国街道(山陽道)に面していました。現在の明石公園の正面入口でもあります。当時はここに「太鼓門橋」と呼ばれる長さ十一間(約20m)、幅三間(約5.5m)の木製の欄干橋がかかり、正面に「定ノ門」と呼ばれる高麗門がありました。枡形虎口となっており、五間に八間の枡形を直角に曲がった先には「能ノ門」と呼ばれる櫓門がありました。「能ノ門」には、時刻を告げる大太鼓が備え付けられていて、この二つの門から成る枡形虎口全体は、「太鼓門」と呼ばれていました。また、「太鼓門」の南約300m(現在の国道2号の南付近)には、城内と町屋を区画する「外堀」が掘られ、そこに「追手門」を設けて城内への出入りを監視していました。
     (明石城公式HPより引用)

  • 明石公園マップ。

    明石公園マップ。

    明石公園 (明石城) 公園・植物園

  • 正門を抜けると西芝生広場(三ノ丸跡)があり、「坤櫓」と「巽櫓」が見えます。

    正門を抜けると西芝生広場(三ノ丸跡)があり、「坤櫓」と「巽櫓」が見えます。

  • 「坤櫓(ひつじさるやぐら)」(左)と「巽櫓(たつみやぐら)」(右)

    「坤櫓(ひつじさるやぐら)」(左)と「巽櫓(たつみやぐら)」(右)

  • 櫓方面に直進すると「日時計」があります。

    櫓方面に直進すると「日時計」があります。

  • 【二の丸】<br />三ノ丸跡(武蔵の庭園)から二ノ丸跡へと通じる道です。<br />算木積(さんぎづみ)の石垣が美しいです。

    【二の丸】
    三ノ丸跡(武蔵の庭園)から二ノ丸跡へと通じる道です。
    算木積(さんぎづみ)の石垣が美しいです。

  • 二の丸の石段を上がります。

    二の丸の石段を上がります。

  • 二ノ丸虎口。

    二ノ丸虎口。

  • 二ノ丸から見た巽櫓。

    二ノ丸から見た巽櫓。

  • 二ノ丸から本丸へ。<br />

    二ノ丸から本丸へ。

  • 巽櫓。

    巽櫓。

  • 本丸跡。

    本丸跡。

  • ネコがいました。しかも2匹。

    ネコがいました。しかも2匹。

  • ここにも。

    ここにも。

  • 坤櫓のすぐ北にある天守台の上に登ります。<br /><br />【天守台】<br />東西25m、南北20m、約152坪という天守台は熊本城天守と同規模で、5重の天守が建築可能な大きさです。本丸からは3.6mの高さで、天守台にのぼる石段の一段目には、宝篋印塔(ほうきょういんとう)の基礎が使われています。(転用石)天守が築かれなかった理由については不明ですが、当時の主力兵器となった大砲の標的になりやすいためではないかとも考えられています。なお、中津城(大分県)の天守を移築するという計画があったようです。(公式HPより)

    坤櫓のすぐ北にある天守台の上に登ります。

    【天守台】
    東西25m、南北20m、約152坪という天守台は熊本城天守と同規模で、5重の天守が建築可能な大きさです。本丸からは3.6mの高さで、天守台にのぼる石段の一段目には、宝篋印塔(ほうきょういんとう)の基礎が使われています。(転用石)天守が築かれなかった理由については不明ですが、当時の主力兵器となった大砲の標的になりやすいためではないかとも考えられています。なお、中津城(大分県)の天守を移築するという計画があったようです。(公式HPより)

  • 天守台の上から南西方向を眺めると、第一野球場(明石トーカロ球場)が見えます。この辺りが居屋敷曲輪跡です。

    天守台の上から南西方向を眺めると、第一野球場(明石トーカロ球場)が見えます。この辺りが居屋敷曲輪跡です。

  • 天守台の上から坤櫓を眺めます。

    天守台の上から坤櫓を眺めます。

  • 坤櫓の方から見る巽櫓。<br />右には明石海峡大橋が見えます。<br />左奥が二ノ丸方向です<br />巽櫓と坤櫓は白い土塀で結ばれており、土塀の前には、展望台が設置してあります。

    坤櫓の方から見る巽櫓。
    右には明石海峡大橋が見えます。
    左奥が二ノ丸方向です
    巽櫓と坤櫓は白い土塀で結ばれており、土塀の前には、展望台が設置してあります。

  • 【坤櫓(ひつじさるやぐら)】(重要文化財)<br />伏見城から移築されたと伝わる、城内で最大規模の3重櫓です。天守が築かれなかった明石城では天守代用として使われました。櫓の大きさは、桁行六間(10.94m)、梁間五間(9.15m)、高さ七間二尺九寸(13.28m)、340トンで、各階の高さは3m強で、巽櫓よりひと回り大きくなっています。内部には、伏見城の部材と思われる木目のそろった松材が多く使われています。(公式HPより引用)

    【坤櫓(ひつじさるやぐら)】(重要文化財)
    伏見城から移築されたと伝わる、城内で最大規模の3重櫓です。天守が築かれなかった明石城では天守代用として使われました。櫓の大きさは、桁行六間(10.94m)、梁間五間(9.15m)、高さ七間二尺九寸(13.28m)、340トンで、各階の高さは3m強で、巽櫓よりひと回り大きくなっています。内部には、伏見城の部材と思われる木目のそろった松材が多く使われています。(公式HPより引用)

  • 【艮櫓跡】<br />本丸の北東隅に【艮櫓跡】があります。

    【艮櫓跡】
    本丸の北東隅に【艮櫓跡】があります。

  • 「遺跡 艮櫓跡(うしとらやぐらあと)」

    「遺跡 艮櫓跡(うしとらやぐらあと)」

  • 巽櫓の南壁を下から見上げます。<br /><br />【巽櫓】(重要文化財)<br />本丸の南東端に築かれた3重櫓で、船上城から移築されたと伝わっています(船上城の天守だった可能性も)。ただし1628年(寛永5年)または1631年(寛永8年)に焼失したため、現在ある櫓は再建されたものです。櫓の大きさは、桁行五間(9.03m)、梁間四間(7.88m)、高さ七間一寸(12.53m)、240トンで、各階の高さは3m弱となっています。阪神淡路大震災後は曳家工法を使って修復されました。(公式HPより)<br />

    巽櫓の南壁を下から見上げます。

    【巽櫓】(重要文化財)
    本丸の南東端に築かれた3重櫓で、船上城から移築されたと伝わっています(船上城の天守だった可能性も)。ただし1628年(寛永5年)または1631年(寛永8年)に焼失したため、現在ある櫓は再建されたものです。櫓の大きさは、桁行五間(9.03m)、梁間四間(7.88m)、高さ七間一寸(12.53m)、240トンで、各階の高さは3m弱となっています。阪神淡路大震災後は曳家工法を使って修復されました。(公式HPより)

  • 石垣が美しいです。<br /><br />【明石城の石垣】<br />明石城の高石垣は東西の幅が380m、三の丸からの高さが約20m(帯郭までが約5m、そこから約15m)の規模を誇ります。なお幕府が当初築いた部分は主に花崗岩、明石藩がのちに補強修復した部分は主に凝灰岩(竜山石)が使われていて、石垣の時期差を見ることができます。また、櫓台の出角部分はノミで稜線を尖らせる「江戸切」という手法が多く用いられ、石垣全体の美しさを際立たせています。算木積みの部分は角をノミで尖らせる江戸切が多用されています。(公式HPより引用)

    石垣が美しいです。

    【明石城の石垣】
    明石城の高石垣は東西の幅が380m、三の丸からの高さが約20m(帯郭までが約5m、そこから約15m)の規模を誇ります。なお幕府が当初築いた部分は主に花崗岩、明石藩がのちに補強修復した部分は主に凝灰岩(竜山石)が使われていて、石垣の時期差を見ることができます。また、櫓台の出角部分はノミで稜線を尖らせる「江戸切」という手法が多く用いられ、石垣全体の美しさを際立たせています。算木積みの部分は角をノミで尖らせる江戸切が多用されています。(公式HPより引用)

  • 下から仰ぎ見る【坤櫓】

    下から仰ぎ見る【坤櫓】

  • 【稲荷曲輪石垣】(左奥側)<br />本丸石垣(中側)と稲荷曲輪石垣の間の西ノ丸(稲荷曲輪)へと続く石段を上ります。

    【稲荷曲輪石垣】(左奥側)
    本丸石垣(中側)と稲荷曲輪石垣の間の西ノ丸(稲荷曲輪)へと続く石段を上ります。

  • 【西ノ丸(稲荷曲輪)】<br />後ろには坤櫓が見えます。

    【西ノ丸(稲荷曲輪)】
    後ろには坤櫓が見えます。

  • 西ノ丸(稲荷曲輪)から見る本丸石垣。

    西ノ丸(稲荷曲輪)から見る本丸石垣。

  • 坂の上に天守台の北にある門跡「本丸北虎口」があります。

    坂の上に天守台の北にある門跡「本丸北虎口」があります。

  • 【本丸北門跡】

    【本丸北門跡】

  • 本丸に戻ると、さっき見たネコ達がいました。

    本丸に戻ると、さっき見たネコ達がいました。

  • ネコ達も少しずつ移動しています。

    ネコ達も少しずつ移動しています。

  • よく見たら、さくら耳のさくらねこです。<br />「さくらねこ」とは、不妊手術済みの目印に、耳先をさくらの花びらの形にカットしたねこの事です。

    よく見たら、さくら耳のさくらねこです。
    「さくらねこ」とは、不妊手術済みの目印に、耳先をさくらの花びらの形にカットしたねこの事です。

  • 優しい地域の方たちのお世話のおかげで明石公園のネコ達はみんなふっくら健康そうです。

    優しい地域の方たちのお世話のおかげで明石公園のネコ達はみんなふっくら健康そうです。

  • 溝にはまっています。<br />ネコは溝にはまるのが好きです。

    溝にはまっています。
    ネコは溝にはまるのが好きです。

  • 東ノ丸

    東ノ丸

  • 東ノ丸

    東ノ丸

  • 東ノ丸(右側)と箱堀(左側)の間の通路

    東ノ丸(右側)と箱堀(左側)の間の通路

  • 【東ノ丸東虎口】

    【東ノ丸東虎口】

  • 明石城がデザインされたマンホールの蓋がありました。<br />特にマニアではないけれど観光地に可愛いデザインのマンホールの蓋があると気になります。

    明石城がデザインされたマンホールの蓋がありました。
    特にマニアではないけれど観光地に可愛いデザインのマンホールの蓋があると気になります。

  • 二ノ丸

    二ノ丸

  • 二ノ丸から三ノ丸へ戻ります。

    二ノ丸から三ノ丸へ戻ります。

  • 1時間ほど滞在しました。<br />明石城を後にします。

    1時間ほど滞在しました。
    明石城を後にします。

  • 【本家きむらや】<br />朝、三宮のホテルからタクシーに乗った時に運転手さんにおすすめの明石焼きのお店を聞いたら、こちらのきむらやさんを紹介され、明石焼きとは言わずに玉子焼きと言うことも教えてもらいました。<br />JR神戸駅から5分ほど歩いて来ると、お店の前に列が出来ていたのですぐわかりました。寒かったけど15分ほど並んで、ようやく店内へ!

    【本家きむらや】
    朝、三宮のホテルからタクシーに乗った時に運転手さんにおすすめの明石焼きのお店を聞いたら、こちらのきむらやさんを紹介され、明石焼きとは言わずに玉子焼きと言うことも教えてもらいました。
    JR神戸駅から5分ほど歩いて来ると、お店の前に列が出来ていたのですぐわかりました。寒かったけど15分ほど並んで、ようやく店内へ!

    明石名物 玉子焼き 本家きむらや グルメ・レストラン

  • 明石焼きをひっくり返す鮮やかな手つき。

    明石焼きをひっくり返す鮮やかな手つき。

  • 明石焼き(卵焼き)1人前20個。<br />えー!こんなに食べられるかな~と思いましたけど、軽くてふわふわなのでぺろっといけちゃいました。明石名物が食べられて満足!

    明石焼き(卵焼き)1人前20個。
    えー!こんなに食べられるかな~と思いましたけど、軽くてふわふわなのでぺろっといけちゃいました。明石名物が食べられて満足!

  • JR明石駅構内の明石観光案内所前にあった明石観光PR隊長パパたこ(明石のゆるキャラ)の顔出しパネル♪

    JR明石駅構内の明石観光案内所前にあった明石観光PR隊長パパたこ(明石のゆるキャラ)の顔出しパネル♪

    明石観光案内所 名所・史跡

  • 100名城スタンプは、明石公園サービスセンター(公園管理事務所)で押しました。<br />西芝生広場から見た坤櫓と巽櫓がデザインされています。

    100名城スタンプは、明石公園サービスセンター(公園管理事務所)で押しました。
    西芝生広場から見た坤櫓と巽櫓がデザインされています。

24いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

日本100名城巡り

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP