2015/12/06 - 2015/12/06
604位(同エリア2215件中)
ケーさん
日本100名城巡り
☆15城目☆姫路城(No.59)
兵庫県の100名城は、
兵庫県朝来市・竹田城
兵庫県篠山市・篠山城
兵庫県明石市・明石城
兵庫県姫路市・姫路城
兵庫県赤穂市・赤穂城
の6城。
兵庫県1城目の登城は姫路城です。
姫路城は、「現存12天守」(弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、伊予松山城、宇和島城、高知城)の一つであり、「国宝5城」(姫路城、松本城、彦根城、犬山城、松江城)の一つでもあります。
平成の大修理を終えて約5年半ぶりに2015年3月27日から大天守の一般公開が再開されました 。
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2015年12月6日(日)
日本100名城巡り。
前日に新幹線で大阪入り後、大阪泊。
本日は姫路市内の友人宅訪問後、姫路城へ。
時刻は既に15時30分。急いで回らねば! -
桜門橋を渡って、大手門(桜門)へ。
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国宝の「姫路城」は、白漆喰の城壁とその優美な姿から「白鷺城(はくろじょう)」の愛称で親しまれ、平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。
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【大手門(桜門)】(高麗門)
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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大手門をくぐると、広大な三の丸広場に出ます。
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【菱の門(ひしのもん)】(櫓門)
入城口を入るとすぐにある門です。
「姫山・鷺山(城山)への入口を固める櫓門で、門の正面には蔀(しとみ)となる石垣と土塀があり、枡形構造になっています。
「菱の門」の名称は、鏡柱上部の冠木に木製の花菱が飾られていることに由来します。鏡柱は1本の太い角柱のようにみえますが、実は板で覆った集成材のようなもので、板の合端(あいば)を隠すために筋金具を打ちつけています。外観は、一部を除き白漆喰総塗込めで、柱や貫、長押などの形がそのまま出ているのが特徴です。2階の正面には黒漆に飾り金具がついた火灯窓(かとうまど)・武者窓が配置されています。入母屋(いりもや)の東西の妻は、西側が素木(しらき)の木連格子(きづれごうし)、東側が白漆喰塗込めになっています。」(説明板より)姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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内側から見た「菱の門」
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【いの門】(高麗門)
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【ろの門】(高麗門)
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内側から見た「ろの門」
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【はの門】(櫓門)
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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はの門を越えると乾曲輪があります。
正面には天守が見え、左には【ロの櫓】が見えます。 -
【にの門】へ向かいます。
にの門は【ロの櫓】の下の方にあるので、この道の奥まで行ってからUターンすることになります。 -
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【狭間(さま)】
「姫路城の土塀や建物の壁に、□○△の形の穴が開いています。これを「狭間」といい、穴から鉄砲や弓矢を射るための防御施設です。穴の外側が狭く、射撃手がいる内側は穴が大きくなっています。これは射撃の角度を広げ、敵弾を防ぐための工夫です。
この土塀は西の丸の東側に位置し、南北に長く連なっています。ほかの土塀と異なり、□○△が規則的に並んでいます。」(説明板より) -
【にの門】(櫓門)
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【にの門】の内部
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【ほの門】(埋門)
門の右には油壁。 -
【姥ヶ石(うばがいし)】
「石垣の上方に欠けた石臼が間詰め石として積まれています。これを「姥ヶ石」と呼んでいます。
羽柴秀吉が姫路城を築くとき石集めに苦労していました。城下で餅を焼いて売っていた貧しいお婆さんがそのことを聞き、使っていた石臼を寄付しました。秀吉は喜んで石臼を石垣に使いました。この評判はすぐに広まり、国中からたくさんの石が寄付され、築城工事は急速に進み、立派に完成したというのです。
「姥ヶ石」が積まれている石垣は、池田輝政が築いたものなので、この話は伝説です。
そのほかに、「姥ヶ石」には、お婆さん(姥)は妊娠しない(孕まない)ことにかけて、石垣も孕まないようにとのお呪いで積まれたという説もあります。」(説明板より) -
水ノ一門の左側にある石垣の網がかけられている石臼が【「姥ヶ石(うばがいし)】です。
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【水ノ一門】(棟門むねもん)
右側は油塀です。 -
坂を下って水ノ三門へ。
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【水ノ三門】(埋門)
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階段を上った先に【水ノ四門】(埋門)
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【水ノ五門】
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【水ノ六門】
ようやく天守入口へ。 -
急いで撮ったのと暗かったのこともあり天守内の写真はぶれぶれでほぼ全滅でした・・
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【軸組構造模型】
東小天守に展示されていました。
「この模型は、昭和の大修理工事の際に大天守の解体修理のため実物の1/20で製作されました。
昭和の大修理工事は史上初めての全解体修理だったので、歴史的建造物のもつ技術的特徴、あるいは構造上の欠陥や細部の処理、そして組立の方法をしっかりと把握した上で施工しなくてはなりませんでした。さらに、建物を末永く維持できるように、破損・腐朽部分の取り替えや各部材の補強方法の検討も不可欠でした。様々な問題を明らかにし、安全で効率的な工事を行うための検討用に製作された模型です。」(説明板より) -
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【武具掛け】
左側にあるのが武具掛けです。鉄砲280丁、槍90本を収めることができます。 -
【武具庫】
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天守を出ると備前丸(本丸)の広場があります。
【備前丸】
「ここは、この天守を築いた池田輝政の居館があったところです。備前丸と呼ばれるのは、輝政の二男忠継が備前国を与えられたが幼少であったので、ここに住んでいたためといわれています、
東北隅の入口備前門の内側に御台所、御対面所、上台所、回家のほか、二層櫓4旨、折廻櫓、長局などが建ち並び、西方にあった渡櫓から水四門を経て天守へ出入りしていたといわれます。これらの建物は明治15年に失火で焼失し、備前門と折廻櫓だけが昔の名残をとどめています。」(説明板より)姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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備前丸から見た大天守と西小天守。
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【備前門(櫓門)】
備前門から出て行きます。 -
りの門へ向かいます。
奥に見えるのは太鼓櫓(ヘノ櫓) -
【りの門】(城内側)
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【りの門】と【太鼓櫓】
りの門をくぐると【二の丸】に出ます。
菱の門から城内に入ったエリア一帯が【二の丸】です。 -
おぉ!あの有名な怪談の!
「お菊井戸
この井戸は、播州皿屋敷の階段で知られる「お菊井戸」といわれています。
永正年間(1500年頃)、姫路城主小寺則職(こでらのりもと)の執権青山鉄山は町坪弾四郎(ちょうのつぼだんしろう)と語らい、城を奪おうと企てていました。則職の忠臣衣笠元信は、お菊を青山家に女中として住み込ませ、その企てを探らせました。則職暗殺を探知したお菊が元信に知らせたため、則職は家島(姫路市)に逃げて殺されずにすみましたが、城は鉄山に乗っ取られました。お菊の動きを知った弾四郎は、お菊を助ける代わりに結婚を強要しました。元信を慕うお菊はそれを拒みました。弾四郎はそんなお菊を憎み、青山家の家宝の10枚揃いの皿の1枚を隠し、その罪をお菊にかぶせて責めあげました。それでも弾四郎を拒むお菊は、ついに切り殺されて井戸に投げ込まれました。
その後、毎夜この井戸から「1枚、2枚、3枚、・・・9枚」と9枚目まで何度も数えるお菊の声が聞こえたといいます。やがて元信らが鉄山一味を滅ぼし、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社内に祀られました。」 -
【お菊井戸】
本丸下の上山里(かみのやまさと)曲輪にあります。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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中はよく見えません。
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【をの門跡】
「いの門からぬの門を経て大天守へ向かう道を下道といいます。をの門は、下道の最初の門になります。門は高麗門形式で、その横にリの櫓がありました。をの門からぬの門までの間は一つの大きな枡形空間を形づくっており、下道における防御の要ともなっています。
をの門とリの櫓は、明治15年(1882)2月に失火によって焼失しました。」(説明板より) -
【井戸】
「城を築く時には、いかに水を確保するかが最も重要となります。
城外に水源を求めると、籠城戦となった場合、攻め手に水路を断たれたり、汚物や毒物を投入される危険があるので、安全な水源は城内の井戸になります。
姫路城では内曲輪だけで33ヵ所の井戸がありました。現在では11ヵ所が残っています。これらの井戸の中には深さは約20~30mのものもあり、姫山の岩盤に届く深さになります。
ここの井戸は深さ8.8m、水深約2,7mです。」(説明板より) -
【三国堀】
菱の門を入ってすぐ右側にあります。
三国堀は、「捨て堀」(外部のどこともつながっていない溜め池のようなお堀)で、二の丸の本道と間道の要所をおさえる重要な位置にあります。 -
二の丸は天守が美しく見えるビュースポットの一つと言われているだそうです。
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まだ修理中の櫓が見えます。
左から【リのニ渡櫓・リの一渡櫓・チの櫓】 -
【天守の庭】
菱の門を出たすぐ左側にありました。
「「天守の庭」では、大天守の人工地盤建設にあたり、不要となった礎石を元通りに配置して天守台の平面形を再現展示しています。
大天守を建てる時、柱は礎石の上に据えられました。
ところが、6千トンもの建物の総重量がかかり、地盤が沈下しました。
礎石には高低差が生じ、天守台石垣も東南櫓が約26cm沈んでしまいました。
そのため、大天守は補強柱や筋交などを挿入しないと自立できないほど傾いてしまったのです。
そこで、昭和の大修理では、地盤沈下を防ぐため、地下の岩盤に鉄筋コンクリートの人工地盤を築きました。大天守の重量を直接岩盤に受けもたせるためです。
この時の工事では、天守台石垣の内部を岩盤まで掘削したため、礎石が不用となったのです。」(説明板より) -
【上山里下段石垣】
「官兵衛ゆかりの石垣」という矢印の看板があったので行ってみました。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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見えている櫓は【チの櫓】
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姫路城跡上山里下段石垣について
上山里下段の石垣は天正8年(1580年)、羽柴秀吉の姫路城改築により積まれたと推定されるⅠ期の古式な石垣です。信長の安土城とほぼ同時期のもので、ほとんど加工しない凝灰岩やチャートなどの石材を使用した野面積(のづらづみ)と呼ばれる積み方です。
姫路城跡石垣の変遷
姫路城跡の石垣は、羽柴秀吉の築城から明治時代以後の修理によるものまで、5期に区分されます。
Ⅰ期 羽柴秀吉改築以後の豊臣時代のもの。野面積で隅角部の算木積(さんぎづみ)が未発達。墓石や古墳の石棺などを再利用した転用石が多く見られる。
Ⅱ期 関ヶ原合戦の勝利で姫路へ入った池田輝政が慶長6年(1601年)から築いた。
隅角部に長方形の石を長短組み合わせた算木積がみられ、「扇の勾配」とよばれ
るカーブを描く。
Ⅲ期 元和4年(1618年)頃に本多忠政が西の丸を設けるのに合わせて築いた石垣。
Ⅳ期 江戸時代の補強・修理に伴う石垣。
Ⅴ期 明治時代以降の修理石垣。 -
黒田官兵衛ゆかりの石垣(姫路城上山里下段)について
姫路城の石垣
姫路城の石垣は、羽柴時代、本多時代及び池田時代の築城期の3期と、その後の修復された石垣に分けられます。特に、羽柴秀吉が黒田官兵衛にあてた書状によると、当時、秀吉は築城にあたって最も頼りとする重臣であり、地域の事情に精通している黒田官兵衛に普請を命じていることから現存している羽柴期の石垣は、官兵衛ゆかりの石垣と考えられます。
上山里下段石垣
上山里下段石垣は、現存する姫路城の石垣のなかでその特徴(*積み方、石材の加工等)からみて16世紀後半の天正期に築かれた石垣、すなわち天正8~9年(1580~81年)に羽柴秀吉による築城の際に築かれたと考えられています。羽柴秀吉は、中国攻めの拠点として黒田官兵衛から譲り受けた姫路城を改修し、その当時にあっては目新しい3重の天守を持った城を築いており、姫路城の城郭は、その後池田氏→
本多氏による築城を経て完成します。
特徴(天正・慶長初期の石垣の特徴)
1.野面石(自然石)を使用。
2.積み方は「布積み崩し」(野面の横目地が部分的に走る、古式方式)。
3.隅角部稜線が不揃い。
4.石垣が低く、二段石垣で補う。
5.間詰め石は主に河原石を使用。
6.転用材を多用するとともに、刻印がない。
※この他にも、姫路城内に黒田官兵衛ゆかりの石垣があります。
(リの一渡櫓「官兵衛の歴史館」に説明があります) -
時間は17時。辺りも暗くなってきました。
大手門を出て、内堀にかけられている桜門橋を渡って帰ります。
姫路城はとても広く見所もいっぱいで1時間半では全部まわりきれませんでした(西の丸見る時間がなかったです)。
また櫓の修理が終わった後に訪れたいです。 -
ライトアップされた姫路城も美しいです。
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スタンプは、チケット売り場の左にある事務所で押しました。
デザインはやっぱり天守。角度からして二の丸から見た天守ですね。
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