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日本100名城巡り<br />☆16城目☆松阪城(No.48)<br /><br />三重県の100名城は、<br />伊賀上野城(伊賀市)<br />松阪城(松阪市)<br />の2城です。<br />松坂城跡は、平成23年2月7日に国指定史跡となった文化財で、現存する建物はなく、石垣だけが残っていて城址公園になっています。

松阪城ちょこっと旅 日本100名城巡りの巻

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2016/01/16 - 2016/01/16

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旅行記グループ 日本100名城巡り

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ケー

ケーさん

日本100名城巡り
☆16城目☆松阪城(No.48)

三重県の100名城は、
伊賀上野城(伊賀市)
松阪城(松阪市)
の2城です。
松坂城跡は、平成23年2月7日に国指定史跡となった文化財で、現存する建物はなく、石垣だけが残っていて城址公園になっています。

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  • 2015年11月21日(土)<br />お世話になっている大阪のダイビングショップの伊勢志摩新年会バスツアーに参加した際に松阪城に行きました。<br />伊勢志摩バスツアーの旅行記は別に書いています。<br />「伊勢志摩バスツアー☆伊勢神宮と夫婦岩と朝熊山と松阪城」<br />http://4travel.jp/travelogue/11462761

    2015年11月21日(土)
    お世話になっている大阪のダイビングショップの伊勢志摩新年会バスツアーに参加した際に松阪城に行きました。
    伊勢志摩バスツアーの旅行記は別に書いています。
    「伊勢志摩バスツアー☆伊勢神宮と夫婦岩と朝熊山と松阪城」
    http://4travel.jp/travelogue/11462761

    松坂城跡 名所・史跡

  • 【松坂城跡】<br /> 松坂城は蒲生氏郷(がもううじさと)が天正16年(1588)この四五百森(よいほのもり)に築城した平山城である。氏郷が陸奥黒川(現在の福島県会津若松市)へ移封後、天正19年(1591)に服部一忠(はっとりかずただ)、文禄4年(1595)に古田重勝(ふるたしげかつ)と城主が変わり、元和5年(1619)に徳川頼宣が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降、明治になるまで勢州領(松坂・田丸・白子等)18万石を統轄する城代が置かれてきた。<br /> 城は北を大手、南を搦手(からめて)とし、本丸・二ノ丸・三ノ丸・隠居丸・きたい丸からなり、本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。<br /> 三層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また、二の丸には寛正6年(1794)に着工された御殿(別名徳川陣屋)があった。<br /> 明治14年(1881)城跡公園となり、現在に至っている。」(説明板より)

    【松坂城跡】
     松坂城は蒲生氏郷(がもううじさと)が天正16年(1588)この四五百森(よいほのもり)に築城した平山城である。氏郷が陸奥黒川(現在の福島県会津若松市)へ移封後、天正19年(1591)に服部一忠(はっとりかずただ)、文禄4年(1595)に古田重勝(ふるたしげかつ)と城主が変わり、元和5年(1619)に徳川頼宣が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降、明治になるまで勢州領(松坂・田丸・白子等)18万石を統轄する城代が置かれてきた。
     城は北を大手、南を搦手(からめて)とし、本丸・二ノ丸・三ノ丸・隠居丸・きたい丸からなり、本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。
     三層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また、二の丸には寛正6年(1794)に着工された御殿(別名徳川陣屋)があった。
     明治14年(1881)城跡公園となり、現在に至っている。」(説明板より)

  • 【裏門跡】<br />裏門から入ってしまいました。

    【裏門跡】
    裏門から入ってしまいました。

  • あちらの門の向こうには「本居宣長旧宅」、「隠居丸跡」があります。

    あちらの門の向こうには「本居宣長旧宅」、「隠居丸跡」があります。

  • 【中御門跡】<br />二ノ丸、隠居丸からの本丸下段に通じる出入口です。

    【中御門跡】
    二ノ丸、隠居丸からの本丸下段に通じる出入口です。

  • 【本丸跡】

    【本丸跡】

  • 本丸の広場

    本丸の広場

  • 【金の間櫓台】

    【金の間櫓台】

  • 【松阪開府之碑】<br />金の間櫓跡に立っています。

    【松阪開府之碑】
    金の間櫓跡に立っています。

  • 【天守閣跡】

    【天守閣跡】

  • 本丸下段手前にある虎口。

    本丸下段手前にある虎口。

  • 本居宣長旧宅の見学に行きます。<br />まずは、本居宣長記念館へ。<br />奥の方のわかりにくい場所にあります。

    本居宣長旧宅の見学に行きます。
    まずは、本居宣長記念館へ。
    奥の方のわかりにくい場所にあります。

  • 定番の顔出しパネルがありました♪

    定番の顔出しパネルがありました♪

  • 【本居宣長(もとおりのりなが)記念館】<br />こちらに100名城スタンプがあります。<br />スタンプを押して、本居宣長旧宅入場券(400円)を買いました。<br />記念館もちょっと見学。

    【本居宣長(もとおりのりなが)記念館】
    こちらに100名城スタンプがあります。
    スタンプを押して、本居宣長旧宅入場券(400円)を買いました。
    記念館もちょっと見学。

    本居宣長記念館 美術館・博物館

  • 【宣長の鈴】

    【宣長の鈴】

  • 【『二十一代集』本箱と小口書】、【薬箱】<br />「本居の生涯は二つの箱で説明できます。昼の仕事は医者だから薬箱、夜の仕事は古典研究、すなわち本箱です。」(説明板より)

    【『二十一代集』本箱と小口書】、【薬箱】
    「本居の生涯は二つの箱で説明できます。昼の仕事は医者だから薬箱、夜の仕事は古典研究、すなわち本箱です。」(説明板より)

  • 謎が多いですね。

    謎が多いですね。

  • 【家系図】

    【家系図】

  • 【本居宣長像】

    【本居宣長像】

  • 【埋門跡】<br />本居宣長記念館から本居宣長旧宅へ向かう途中にありました。

    【埋門跡】
    本居宣長記念館から本居宣長旧宅へ向かう途中にありました。

  • 「国指定特別史跡 本居宣長旧宅<br /> 旧所在地 松阪市魚町1645番地<br /> 時代 江戸時代(1691年)<br /> 建坪 74.25平方メートル<br /> 特別史跡指定 昭和28年3月31日<br /> この家は本居宣長が十二歳のときから、亡くなる七十二歳まで住んだところで、彼の祖父が隠居所として元禄四年(1691)に建てたものである。<br /> 宣長は、この家で医者としての仕事をし、古典の講義をしたり、歌会を開いたりした。二階の書斎は、宣長が53歳のとき、物置を改造して設けたもので、床の間の柱に掛鈴を下げていたことから、「鈴屋」と呼ばれている。<br /> もと魚町にあったものを保存と公開のため、明治四十二年(1909)に現在地に移築した。その宅跡には、息子春庭の住居や土蔵が残されている。」<br />(説明版より)

    「国指定特別史跡 本居宣長旧宅
     旧所在地 松阪市魚町1645番地
     時代 江戸時代(1691年)
     建坪 74.25平方メートル
     特別史跡指定 昭和28年3月31日
     この家は本居宣長が十二歳のときから、亡くなる七十二歳まで住んだところで、彼の祖父が隠居所として元禄四年(1691)に建てたものである。
     宣長は、この家で医者としての仕事をし、古典の講義をしたり、歌会を開いたりした。二階の書斎は、宣長が53歳のとき、物置を改造して設けたもので、床の間の柱に掛鈴を下げていたことから、「鈴屋」と呼ばれている。
     もと魚町にあったものを保存と公開のため、明治四十二年(1909)に現在地に移築した。その宅跡には、息子春庭の住居や土蔵が残されている。」
    (説明版より)

  • 【本居宣長旧宅「鈴屋」】

    【本居宣長旧宅「鈴屋」】

  • 【店の間】

    【店の間】

  • 【仏間】と【階段の間】

    【仏間】と【階段の間】

  • 【台所】

    【台所】

  • 【隠居丸跡】(曲輪)

    【隠居丸跡】(曲輪)

  • 【米蔵跡】

    【米蔵跡】

  • 【桜松閣】(鈴谷遺蹟保存会旧事務所)

    【桜松閣】(鈴谷遺蹟保存会旧事務所)

  • 桜松閣でトイレをお借りして、少々休憩しました。<br />照明も素敵です。

    桜松閣でトイレをお借りして、少々休憩しました。
    照明も素敵です。

  • 「明治42年の物価」という表が置いてありました。

    「明治42年の物価」という表が置いてありました。

  • 【正門】から出ます。

    【正門】から出ます。

  • 【二の丸跡】<br />売店やベンチなどがあり、市民の憩いの場になっています。<br />二の丸中央付近にすごく立派な藤棚がありました。<br />「この紫藤は愛知県海部郡鍋田村字森津にあり、当時200余年経たのを、市内中町脇田藤助翁が明治23年(1890)株分けし市に寄贈されたものである。通算樹齢300数十年を数え、藤棚面積346平方メートル(105坪)主幹周囲は5m開花期は4月下旬紫色花房が1メートル余り花の香り高く松阪の名木として市民に親しまれています。(昭和53年記)」(説明版より)

    【二の丸跡】
    売店やベンチなどがあり、市民の憩いの場になっています。
    二の丸中央付近にすごく立派な藤棚がありました。
    「この紫藤は愛知県海部郡鍋田村字森津にあり、当時200余年経たのを、市内中町脇田藤助翁が明治23年(1890)株分けし市に寄贈されたものである。通算樹齢300数十年を数え、藤棚面積346平方メートル(105坪)主幹周囲は5m開花期は4月下旬紫色花房が1メートル余り花の香り高く松阪の名木として市民に親しまれています。(昭和53年記)」(説明版より)

  • 【徳川陣屋跡】<br />建物はありませんでした。

    【徳川陣屋跡】
    建物はありませんでした。

  • 順序を間違い、最後に表門へ

    順序を間違い、最後に表門へ

  • 【表門跡】(大手口)

    【表門跡】(大手口)

  • 【御城番屋敷】<br />「江戸末期に旧紀州藩士が松坂城警護のために移り住んだ武家屋敷。このような組長屋は全国的にも大変珍しく、今も人々が暮らしている。西棟北端の一軒の内部を公開している。」

    【御城番屋敷】
    「江戸末期に旧紀州藩士が松坂城警護のために移り住んだ武家屋敷。このような組長屋は全国的にも大変珍しく、今も人々が暮らしている。西棟北端の一軒の内部を公開している。」

  • 公開されている「御城番屋敷」の1件を見学しました。

    公開されている「御城番屋敷」の1件を見学しました。

    御城番屋敷 名所・史跡

  • 松阪城を出発し、バスで伊勢市に入った頃、山の上にめっちゃ派手なお城を発見!<br />むむっ!伊勢にお城ってあったかしら?

    松阪城を出発し、バスで伊勢市に入った頃、山の上にめっちゃ派手なお城を発見!
    むむっ!伊勢にお城ってあったかしら?

  • 検索したら「伊勢安土桃山城下街(旧:安土桃山文化村)<br />(※2019年3月1日「ともいきの国 伊勢忍者キングダム」に名称変更)」<br />というテーマパークの安土城模擬天守だとわかりました。行ってみたい。

    検索したら「伊勢安土桃山城下街(旧:安土桃山文化村)
    (※2019年3月1日「ともいきの国 伊勢忍者キングダム」に名称変更)」
    というテーマパークの安土城模擬天守だとわかりました。行ってみたい。

    ともいきの国 伊勢忍者キングダム テーマパーク

  • 【本居宣長記念館】で押した日本100名城スタンプ。<br />松阪城跡の碑と石垣がデザインされています。

    【本居宣長記念館】で押した日本100名城スタンプ。
    松阪城跡の碑と石垣がデザインされています。

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