2016/01/18 - 2016/01/18
1443位(同エリア5446件中)
ケーさん
日本100名城巡り
☆17城目☆名古屋城(No.44)
愛知県の100名城は、
犬山城(犬山市)
名古屋城(名古屋市)
岡崎城(岡崎市)
長篠城(新城市)
の4城。
愛知県1城目の登城は名古屋城です。
【見学した順番】
東門→(二ノ丸)→清正公石曳きの像→本丸表二之門→本丸表一之門跡→(本丸)→本丸御殿の車寄せ→清正石→東一之門跡→旧二之丸東二之門→天守閣内見学→不明門→御殿椿→(御深井丸)→石垣の刻名→天守礎石→天守の石垣→本丸御殿復元工事公開見学(木材加工場・原寸場見学通路)→金城温古録→西北隅櫓→乃木倉庫→御深井丸展示館→剣塀→鵜の首→(西ノ丸)→正門→西南隅櫓→(大手馬出)→東南隅櫓→(二ノ丸)→二之丸広場→二の丸茶亭→那古野城跡→二之丸庭園→二之丸東庭園→南池→東門
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2016年1月18日(月)
名古屋城へは、名古屋駅から地下鉄名城線 「市役所」駅 7番出口を出て、徒歩5分で名古屋城東口に着きます。
時刻は10時40分。名古屋城駅 駅
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「特別史跡 名古屋城
名古屋城は、御三家筆頭尾張徳川家の居城であり、初代の城主は、江戸幕府を開いた徳川家康の第九男義直です。慶長14年(1609)、家康みずから築城を決定し、翌15年に石垣普請が着工され、17年に大小の天守や各櫓が完成しました。普請を命じられたのは加藤清正や西国の大名20名で、城内の石垣には目印として各大名が刻んだ刻印が多数残っています。
慶長20年(1615)に本丸御殿、元和3年(1617)には二之丸御殿が完成し二之丸御庭、御深井御庭なども整備され、名古屋城は天下の名城として、その名をとどろかせました。
明治維新後、名古屋城は陸軍省の所轄となり、名古屋鎮台司令部や兵舎がおかれましたが、明治26年(1893)に宮内省に移管され「名古屋離宮」となりました。
昭和5年(1930)12月、名古屋市に下賜されると同時に国宝に指定され翌年から一般公開が始まりました。昭和7年(1932)には、名古屋城全域が特別史跡に指定されました。
昭和20年(1945)5月、第二次世界大戦末期の空襲により、天守や本丸御殿など国宝建造物24棟が焼失しましたが、焼失を免れた3つの隅櫓と3の門、空襲の直前にとりはずされていた本丸御殿障壁画1047面が戦後、重要文化財に指定されました。
昭和34年(1959)、天守閣と正門が、ほぼ昔どおりの外観で再建されました。
平成21年(2009)には本丸御殿の復元工事が始まり、平成25年(2013)に玄関・表書院部分が完成しました。現在も、平成30年(2018)の全体完成をめざし工事が進められています。」(説明板より) -
【東門】
名古屋城 名所・史跡
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東門を入るとそこは二ノ丸跡です。
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真っ直ぐ進むとある加藤清正の銅像。
【清正公石曳きの像】
「清正の石曳(いしびき)
天守の石垣普請は、加藤清正に割り当てられた。巨石を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗り音頭をとったと伝えられている。本像は、その様子を模したもの。」(説明板より) -
二ノ丸から見た東南隅櫓と表二之門。
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表二之門から本丸に入ります。
【本丸表二之門(ほんまるおもてにのもん)】重要文化財
「古名は南二之門。本丸大手の外門で、内門である表一之門とともに枡形を形成していた。本瓦葺の高麗門(こうらいもん)で、軒回りは漆喰塗り込めとし、柱や扉に金具を打ち付けている。現存する数少ない名古屋城創建時の建造物である。」名古屋城 名所・史跡
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【本丸表一之門跡(ほんまるおもていちのもんあと)】
「古名は南一之門。本丸大手の主門で、外門である表二之門とともに枡形(ますがた)を形成していた。入母屋造(いりもやづくり)・本瓦葺の二階建てで、門扉の上には石落を設けていた。昭和二十年(一九四五)、空襲により焼失した。」(説明版より)名古屋城 名所・史跡
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先へ進むと「本丸御殿」の「車寄」があります。
右に見えるのは「東南隅櫓」 -
【車寄(くるまよせ)】
「車寄は、将軍など正規の来客だけが上がる、本丸御殿への正式な入口です。唐破風屋根をいただく堂々たる外観で、本丸御殿の中でも最も太い柱が使われています。」(説明版より)名古屋城 名所・史跡
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【名古屋城本丸御殿とは】
「名古屋城本丸御殿は、尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により慶長20年(1615)に建てられました。寛永11年(1634)には将軍のお成(なり)御殿として上洛殿(じょうらくでん)が増築され、格式高き御殿として知られていましたが、昭和20年(1945)の空襲で天守閣とともに全焼しました。名古屋市では、平成21年(2009)1月から本丸御殿の復元に着手し、平成25年5月には入口にあたる玄関、謁見の場である表書院などの公開を開始しました。」(説明板より) -
本丸御殿は、復元工事中で中には入れませんでした。
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本丸御殿、御深井丸(おふけまる)、本丸搦手馬出しが工事中です。
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本丸御殿の北東方面にある東の門を見に行きます。
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【清正石】
「名古屋城で最大の石垣石材。ここ本丸搦手桝形の石垣は黒田長政の担当であったが、巨石であるがゆえ普請の名手加藤清正が積み上げたと伝えられ、清正石と呼ばれてきた。」(説明版より)名古屋城 名所・史跡
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【東一之門跡】
「本丸搦手の内門で、外門である本丸東二之門とともに桝形を形成していた。入母屋造(いりもやづくり)・本瓦葺の二階建てで、門扉の上には石落を設けていた。昭和二十年(一九四五)、空襲により焼失した。」(説明版より) -
【旧二之丸東二之門】(重要文化財)
「本来は東鉄門という二之丸東の桝形外門で、現在の東門の東側にあった。昭和三十八年(一九六三)、二之丸に愛知県体育館が建設されるにあたり解体され、昭和四十七年に現在地(本丸東二之門跡)に移築された。平成二十二年から二十四年にかけ解体修理された。」(説明版より)名古屋城 名所・史跡
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本丸に戻り、天守へ。
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天守の入口は小天守にあり、小天守に入ってから小天守と大天守を結ぶ橋台を渡って大天守に行きます。
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橋台への出入り口。
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【小天守閣】
大天守と小天守を結ぶ橋台から撮影。 -
【大天守閣】
大天守と小天守を結ぶ橋台から撮影。 -
大天守閣の中は展示室になっています。
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「金鯱(きんしゃち)
鯱とは空想上のいきもので、火除けの意味を持つとも言われてます。
名古屋城大天守の屋根に輝いていた初代の鯱は、慶長17年(1612)の生まれ。慶長大判にして1940枚の金が使われたと伝えられています。今の感覚なら10億円とも20億円とも・・・
初代の鯱は、昭和20年(1945)の天守の炎上とともに焼失してしまいました。昭和34年(1959)に再建されたここ天守閣の屋根には、二代目鯱が輝いています。
この鯱は、昭和34年、屋根の鯱と同じ大きさで作られた石膏模型です。金も残念ながら本物ではありません。
なお天守閣5階では、座れる鯱が皆様をお待ちしています。」(説明板より) -
そして、こちらが天守閣5階の座れる鯱です。
熱海城を思い出します~。 -
「黄金水井戸枠 模型
大天守の地階東隅には、非常時の備えとして井戸が掘られ、底は純金と伝えられています。昭和20年(1945)の空襲により井戸枠も焼失しましたが、昭和34年(1959)、天守閣再建にともない井戸穴が調査され、井戸底は地階床から20メートル下にあり金ではなく石が詰められていたことが明らかになりました。井戸穴は調査後埋め戻され、今見ることはできません。この井戸枠は、戦災焼失前の写真類をもとに復元したものです。」(説明板より) -
「鯱(しゃち)
江戸幕府御鋳物師渡辺正俊・正次親子が、万治3年(1660)に青銅で鋳造した鯱。
江戸城の建物に飾られていたが、明治43年(1910)、旧江戸城の蓮池御門が名古屋城の正面として移築されたとき、同時に運ばれ、隅櫓の鯱として用いられた。
近年の修理でとりはずされた。」(説明版より) -
『名古屋城天守模型
平成23年(2011) 縮尺60分の1
中部大学名誉教授 片岡靖夫氏 寄贈
平成23年度中部大学工学部建築学科片山靖夫研究室卒業研究生・川地正数氏・大野葉子氏 制作
伊藤平左エ門建築事務所 望月義伸氏 助言
名古屋城天守は慶長17年(1612)に完成し、昭和20年(1945)の空襲で焼失。この模型は名古屋城天守(木造)の構造を再現したもので、平成24年(2012)に行われた「名古屋城の将来を語る市民大討論会」で展示された。なお軒と破風については略表現となっている。』(説明版より) -
大天守閣7階展望室。
【東方向】
名城公園、外堀、二之丸庭園、東門が見えます。名古屋城 名所・史跡
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【西方向】
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【南方向】
遠くに名古屋テレビ塔が見えます。 -
【北方向】
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天守閣展望室の売店。
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天守閣見学を終えて、不明門から本丸を出ます。
【不明門(ふめいもん)】(焼失再建)
「土塀の下に設けられた門。本丸北側と御深井丸をつなぐ門であるが、厳重に施錠され「あかずの御門」と呼ばれていた。左右には槍の穂先を並べた剣塀が続いている。昭和20年(1945)に焼失し、昭和53年に復元された。」(説明板より)名古屋城 名所・史跡
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天守閣のすぐ東、不明門の南に植えられている椿です。
【御殿椿】
「本丸御殿南側にある銘木「御殿椿」から接木された椿。3月中旬から4月上旬にかけて八重大輪の白花を咲かせる。
原木は、昭和20年(1945)5月の空襲で本丸御殿ともども火をかぶったが、焼けた幹の下から新芽が伸び毎年花を咲かせている。」(説明板より)名古屋城 名所・史跡
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【不明門】外側
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【石垣の刻名】
『石垣工事は天下普請として、西国・北国などの豊臣系大名20名に割り当てられたため、石には担当武将の目印が刻まれた。天守は加藤清正の担当であり、「加藤肥後守」などの文字が彫られている。』(説明板より) -
【天守礎石】
「昭和20年(1945)に焼失した旧国宝天守の礎石。地階穴蔵の地盤の上に置かれており、巨大な天守を支えていた。長く焼け跡に残っていたが、天守閣再建にあたり現在地に移し、かつての敷設状況を再現した。」(説明板より)名古屋城 名所・史跡
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【天守の石垣】
「天守の石垣は、上部が外側にそりだすいわゆる扇勾配であり、石の重みや土の圧力がたくみに分散されるため、はらみにくく、しかも美しい。」(説明板より)名古屋城 名所・史跡
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説明板を外してもう一枚撮影。
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【御深井丸(おふけまる)】
「この辺りは、名古屋台地の北端の沼沢地であったので、築城に当たって生松などを埋め敷いて築き上げたといわれる。この郭には、大筒蔵・寺筒蔵・磨蔵・穴蔵などの武具弾薬庫、東のはずれには塩蔵があった。ここの西北に、西北隅櫓(別名、戌亥(いぬい)隅櫓・清須(きよす)櫓・乃木倉庫がある。」(説明板より)
御深井丸エリアにあった「本丸御殿復元工事公開(木材加工場・原寸場見学通路)」を見学しました(写真ありません)。 -
【金城温古録(きんじょうおんころく)】
「名古屋城に関する江戸時代の記録の中で最も詳細な資料で全64巻からなる
編纂者は尾張藩士 奥村得義
文政4年(1821)に尾張藩の命を受け 天保13年(1842)に起稿し 万延元年(1860)には31巻が藩に献納された
全巻の完成をみたのは明治になってからである
手習いを教える奥村得義」 -
【西北隅櫓(せいほくすみやぐら)】重要文化財
「古名は戌亥(いぬいやぐら)。清洲城天守を移築したと伝えられ清洲櫓(きよすやぐら)とも称された。昭和39年の解体修理により、古い建物の材木を一部用いて元和5年(1619)頃に造営されたことが明らかになり、清洲城天守の古材を転用した可能性が高まった。屋根三層・内部三階で、全国でも最大規模の隅櫓である。」(説明板より)名古屋城 名所・史跡
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【乃木倉庫】登録有形文化財(平成9年)
「乃木希典(のぎまれすけ)が名古屋鎮台に在任していた明治初期に建てられたと伝えられ、だれいうとなく「乃木倉庫」と呼ぶようになった。
当建物は、煉瓦造平屋建て旧陸軍の弾薬庫であった。昭和20年5月14日の名古屋空襲の際、天守閣、御殿等が焼失したが本丸御殿の障壁画や天井絵類の大半を取りはずしてここに保管していたため被災を免れた。のちに煉瓦の保全のため白亜塗りにした。
なお、被災を免れた障壁画等は重要文化財に指定されている。
名古屋市教育委員会」(説明板より)名古屋城 名所・史跡
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【御深井丸展示館】
早々に花開き始めた梅と風情あるレトロな建物がいい感じです。
開催していて「郷土の人形・玩具展」を見学後、前に設置してある自販機で飲み物を買って外のベンチで休憩しました。名古屋城 名所・史跡
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【剣塀】
「大天守と小天守を連結する櫓台は、高い土塀で囲われ、塀の軒に鋭い槍の穂先がぎっしりと並べられている、大天守への敵の侵入を防ぐもので、剣塀と称されている。」(説明板より) -
本丸の内堀(空堀)
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【鵜の首(うのくび)】
「鵜の首とは、堀を内側に入れ込み道幅を狭くした部分。本丸の周囲には、大手・搦手など五か所に鵜の首があり、本丸への敵の侵入をはばんでいた。」(説明板より) -
御深井丸から西ノ丸へ歩いて行くと「正門」があります。
【正門】(焼失・再建)
「明治43年に旧江戸城内の蓮池御門が移築されましたが、第2次世界大戦により焼失したため、昭和34年、天守閣と共に再建されました。」名古屋城 名所・史跡
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正門の石垣にも、石垣の刻印があります。近いから見つけやすいです。
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西ノ丸から見た西南隅櫓と天守。
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【西南隅櫓(せいなんすみやぐら)】(重要文化財)
「古くは未申櫓(ひつじさるやぐら)ともいわれ、屋根二層、内部三階の櫓です。
外部に面した西・南両面には軍事用の「落狭間」(石落とし)を張り出して、屋根は千鳥破風にし擬装しています。」(説明板より)名古屋城 名所・史跡
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天守。
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西の丸から見た表二之門。
東には東南隅櫓。 -
西の丸から見た西南隅櫓と東南隅櫓。
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【西ノ丸梅園】
こちらの梅の開花にはまだ早かったです。 -
帰りも市役所駅から帰るので、西ノ丸から東口のある二ノ丸に向かいます。
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【大手馬出跡】(本丸表二之門前)
「現在、その地形は見ることができないが、表二之門前の小郭跡である。かつては大手馬出と西の丸との境に堀があったが、明治時代に埋められてしまった。」(説明版より) -
【東南隅櫓(とうなんすみやぐら)】(重要文化財)
「古名は辰巳櫓。かつては西側と北側に多聞櫓が続いていた。昭和27年(1952)の解体修理により、木曽の木材が用いられており、宝永四年(1707)に修理され、明治になり江戸城の鯱が取り付けられていたことなどが明らかになった。」
(説明版より)名古屋城 名所・史跡
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二ノ丸に戻って来ました。
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【二之丸広場】
名古屋城 名所・史跡
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【二の丸茶亭】
「二の丸茶亭は、由緒ある二之丸庭園にふさわしい風格をもち、現代様式のなかに古典美を生かした建物で素材も木曽の桧が用いられ、点茶のための座敷および水屋などが造られています。」(説明板より) -
【那古野(なごや)城跡】
「大永年間(1521~28)に、今川氏親が名古屋台地北端に築いた城で、一名「柳之丸」ともいわれ、一族の今川氏豊を城主とした。
織田信秀は、天文7年(1538)この城を奪い、ここに居するが、同11年(1542)頃に古渡城を築城して、この城を去り、以後、嫡子信長が居城したとされている。
弘治元年(1555)織田信長が清須に移った後は、一族の織田信光がしばらくの間居していたが、やがて廃城となった。
名古屋市教育委員会」(説明板より) -
【二之丸庭園】
「元和年間(1615~23)に二之丸御殿の造営にともなって同御殿の北側に 造られた庭園です。享保年間(1716~36)以後、たびたび改修され、 枯山水回遊式庭園に改められました。」(説明板より)名古屋城 名所・史跡
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【二之丸東庭園】
「二之丸庭園は、文政年間(1818~29)に大改造された。西隣りにある現在の 「名勝・二之丸庭園」とともに、藩主常住の二之丸御殿の庭園を形成していた。「御城御庭絵図(おしろおにわえず)」によれば、北に権現山(ごんげんやま)、その西に栄螺山(さざえやま)を配し、 南に大きな池を設け、その間に六つの茶席を点在させるなど、広大な規模であった。 明治の始め、陸軍鎮台分営(のちに第三師団)が郭内に置かれて以来、権現山の南側を削り、池を埋めるなどして兵営化が進められた。昭和50年(1975)、 絵図に基づいて一部の発掘調査を行った。それで現れた北池、南池、霜傑亭(そうけつてい)(茶席)跡、 北暗渠の四つの遺構を中心に整備して、昭和53年4月、「二之丸東庭園」 として開園した。』(説明板より)二之丸東庭園 公園・植物園
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【南池】
「御城御庭絵図」には、池の北岸に大きな舟形の一枚岩が張り出し中央部に石組みの島が描かれている。発掘調査では、一枚岩は、確認できなかったが、島は現在の池の中に石が三つ並んでいる所の下にあると推定される。
池は絵図に描かれているものより大きく頑丈に石組みした深い池で、池に例を見ない規模であったと認められる。」(説明版より) -
東門を出て帰ります。
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新幹線まで時間があったので名古屋駅の「マイアミパティオ エスカ店」でベーコンとホウレン草のあんかけスパゲティーのランチセットを食べました。
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今回ゲットしたスノードーム♪
LEDライト付きは、天守閣展望室の売店で。
金鯱の方は、天守閣の外にある売店(本丸内の「内苑売店」ではない方)で購入しました。 -
100名城スタンプは、「正門総合案内所」で押しました。
大天守がデザインされています。
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