2019/02/12 - 2019/02/16
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旅人のくまさんさん
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ベトナムとラオスの旅の紹介です。ベトナムは、セントレア空港からラオスのルアンパバーン空港への乗り継ぎに立寄りましたが、午後の半日はベトナムの首都・ハノイの名所・旧跡の見学ができました。
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ペチュニアか、その園芸品種のサフィニアか判断が付かなかった、華やかな色合いと白い絞り模様が入った花の光景です。サフィニアの方でしょうか、サントリーと京成バラ園芸が共同で1989年に開発したペチュニアの園芸品種です。ペチュニアの原産地はブラジルのパンパ、サントリーの駐在員が原種を数系統持ち帰ったのが品種改良のはじめとされます。
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世界遺産のタンロン城址の見学の後、歩いて向かった次の見学地は、『ホーチミン廟』です。その途中のハノイの街並み光景です。広い歩道に沿って、長い塀が続いていました。
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べとナム社会主義共和国の国会議事堂の建物光景です。ベトナムの憲法第69条によれば、『人民の最高の代表機関であり、ベトナム社会主義共和国の最高の国家権力機関である』と規定されています。憲法制定権、立法権および国家主席・首相などを選出する権限を有します。 定員は500名で、2011年の選挙結果では、ベトナム共産党458名、非政党員42名の当選でした。
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『ホーチミン廟』が見える位置までやって来ました。祖sの周りに飾られていた花と鉢植えの木です。ベトナムの民族解放と独立のために南北統一に生涯をかけたホーチミンは、今もベトナム国民の父として敬愛されています。そのホーチミンの亡骸が眠る場所が『ホーチミン廟』です。
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『ホーチミン廟』の周りに飾られた、黄色の菊の花のズームアップ光景です。『ホーチミン廟』は、ハノイの観光スポットでッスから、三回目の見学となりました。廟は、バーディン広場の奥に位置します。その広場は、1945年にホー主席が独立宣言を読んだ場所です。それまでは、フランスの長い植民地支配下にありました。
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北側方面から眺めた『ホーチミン廟』の光景です。2年の歳月をかけて、1975年9月に完成した霊廟です。一年中冷房の効いた内部の部屋に永久保存処置を施されたホー・チ・ミンの遺体が安置されています。以前に内部見学をしたことがありますが、廟の中はベトナム人民軍の軍人により警護されていて、私語厳禁で立ち止まることは許されません。もちろん、撮影禁止です。
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同じく、北側方面から眺めた『ホーチミン廟』の光景です。ホー・チ・ミン(1890~1969年)は個人崇拝を嫌っていたとされ、火葬および北部(トンキン)、中部(安南)、南部(コーチシナ)への分骨を望んでいたとする遺書を残していたようです。(ウィキペディア)
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イチオシ
『ホーチミン廟』の正面光景です。ホー・チ・ミン自身は、個人崇拝につながる墓所の建設を望んでいませんでしたが、ベトナム当局はその遺書を全文公開せず、『会いたくても統一までは直接会えなかった旧南ベトナム人民のため、統一後も会えるように体を保存した』という名目で建設されたようです。(ウィキペディア)
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正面を通り過ぎ、南側方面から眺めた『ホーチミン廟』の光景です。年1回、体のメンテナンスのため雨季の2ヶ月間は入場できません。毎回の詳しい日程はインターネット等で公表されるようです。ホー・チ・ミン(胡志明:1890~1969年)は、ベトナムの革命家で政治家です。植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した建国の父です。
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同じく、南側方面から眺めた『ホーチミン廟』の光景です。今回の旅行で耳にしたのは、ホーおじさんこと、ホー・チ・ミンと、ヴォー・グエン・ザップが今も国民から敬愛されていることでした。ヴォー・グエン・ザップ(1911~2013年)は、その名采配により、西側諸国からは『赤いナポレオン』、ベトナム国民からは『ベトナム救国の英雄』と呼ばれています。
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街路樹の『ムユウジュ(無憂樹)』の花のズームアップ光景です。マメ科ムユウジュ属の常緑小高木です。原産地はインド、スリランカとされ、別名は『阿輸迦の木(アソカノキ、アショカノキ)』です。
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別の場所で撮影した、街路樹の『ムユウジュ(無憂樹)』の花の光景です。インド菩提樹(インドボダイジュ)、沙羅双樹(サラソウジュ)とともに仏教の三大聖樹とされます。釈迦はこの樹の下で生まれたとされているためです。
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『一柱寺』に向かう途中に眺めた、『ホーチミン廟』の側面光景です。南側からの眺めになります。廟の外観にはグレーの御影石が使われています。底辺30メートルの正方形の基壇上の一辺に6本の柱が立ち、その上に方形の屋根を乗せた重量感のある建物です。
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『ホーチミン廟』に何節する公園と、その中に置かれていたモニュメント風の置物の光景です。その前では、サルビアの赤い花が満開でした。
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イチオシ
前方に『一柱寺』が見えてきました。この楼閣の南向かいにある本堂と、その脇の祖師堂も含めての正式名は、『延祐寺』です。『大越史記全書』によれば、延祐寺は、李朝第二代皇帝の『リー・タイトン(李太宗:在位1028~1054年)』により1049年に建立されました。
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『一柱寺』の甍のズームアップ光景です1本の柱の上に仏堂を載せたユニークな形から、この名で呼び親しまれています。太宗は、蓮華の上で子供を抱いた観音菩薩の夢を見てから、間もなく子供を授かったとされます。太宗は夢の観音様に感謝し、ハスの花に見立ててこの寺を建立したと言い伝えられています。
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『一柱寺』の甍の飾りのズームアップ光景です。焼物ではなく、自然石を加工した飾りのように見えました。屋根に対する重量負担は大きいかもしれません。赤い屋根の葺き方も独特でした。
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線香立の光景です。無数の戦功の燃え殻が残されていました。信仰が篤いお寺の証拠になるようです。鼎足のブロンズ製らしい、重厚な造りの線香立でした。
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少し黄色味を帯びた石材が使われていた石灯篭の光景です。日本では春日灯篭を連想させるような、ほっそりとした優雅な姿でした。
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建物正面になる、石段前から眺めた『一柱寺』の拝殿光景です。ハス池の中に浮かび立つ優雅な姿は、ハノイのシンボルの一つに挙げられています。
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日本でもよく見かける蘭の花です。名前は『シンビジュウム』です。東南アジアから日本にかけて自生する原種を交雑育種してできてきた洋ランですが、和名はないようです。ランとしてはたいへん丈夫で、寒さにも強い品種です。
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延祐寺の本堂光景です。すぐには、薬師如来か観音菩薩かは分かりませんでしたが、延祐寺の縁起には観音菩薩が縁が深いようでしたから、観音菩薩像のようです。仏教の菩薩の一尊です。
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延祐寺の本堂前の像のズームアップ光景です。観音菩薩の起源は定説がないとされ、インド土着の女神が仏教に取り入れられた可能性などの説があります。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、観自在菩薩(かんじざいぼさつ)や救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある人気の『観音さま』です。
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延祐寺で買い求めた人形を手にする人達の列の先頭には、炎を上げる焼却炉が見えていました。手にした人形を、災難除けに焼いてもらうための行列のようでした。例えば、日本の密教寺院で行われている護摩供養は、『供物を火に投げ入れて祈願する』という意味のサンスクリット語『ホーマ』の音写とされ、密教儀礼として内容を整えたものです。
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延祐寺で買い求めた、紙の人形を手にする人達の列です。密教では、護摩木を煩悩、火を智慧の表示としています。智慧の火で煩悩の護摩木を焼き尽くすことが、護摩供養になるようです。
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炎を上げる焼却炉の光景です。延祐寺で買い求められたばかりの紙の人形が、勢いよく燃やされていました。詳しいことは知りませんが、日本の神教や仏教でも、護摩供養以外にも、似たような行事があるかも知れません。
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『ヤナギバルイラソウ(柳葉ルイラ草)』の紫色の花の光景です。メキシコ原産のキツネノマゴ科ルイラソウ属の多年生草本です。環境に対する適応力が強く、湿り気の多い河原からブロック塀の割れ目まで、あらゆる所で生育します。旺盛な繁殖力で広がり、雑草を通り越して害草になりつつあります。
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入口に『バオ・タン・ホーチミン』の表示があった建物の玄関光景です。ネット検索しましたら、ホーチミンのミュージアム、『ホーチミン博物館』の建物でした。ホーチミンが眠るホーチミン廟の裏手、『一柱寺』こと、『延祐寺』に隣接する位置する建物でした。1985年から90年にかけて建てられ、1990年5月19日のホーチミン生誕100年記念に落成しました。
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イチオシ
残念ながら入場して見学する時間はなかった、『ホーチミン・ミュージアム』の建物光景です。ネット情報では、『この博物館では、若き日のホーチミンの姿から、独立運動に関する資料、さらには彼が生前所有していたさまざまな身の回り品など、多様な展示物を閲覧することができる』と紹介されていました。
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『ホーチミン博物館』の玄関前から眺めた、先ほど見学した『延祐寺』の本堂方面の光景です。平の透かし彫りの間から、焼却炉の炎が見えていました。その上に見える大きな旗は、五色の仏教旗のようでした。
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ほとんど咲き終えていた、『アデニウム』の鉢植えです。南アフリカ、南西アフリカ、ソコトラ島、アラビア半島を原産とする、キョウチクトウ科アデニウム属の多年草です。美しい花と、大きく肥大する幹や根が特徴の植物です。『砂漠のバラ』とも呼ばれます。満開の『アデニウム』の鉢植が、『ホーチミン廟』の前に飾ってあった時にも見学しました。
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『ホーチミン博物館』の前から眺めた周りの光景です。背にしているホーチミン博物館は、ホーチミンの生家が蓮の咲く村にあったことと、蓮がホーチミンの高潔な人格を象徴することから、蓮の花をデザインした形に建てられました。4階建てで、2階と4階が展示フロアです。
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建物内の採光のための施設でしょうか、『ホーチミン博物館』の周りに設置されていました。大きければ、フランスのルーブル美術館を連想するところでした。ホーチミン博物館は、彼の偉大な業績に対する感謝を込め、その思想や道徳を学んで、平和で繁栄した国を造っていく決心を表して造られたとされます。
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『一柱寺」の次にやって来たのは、ハノイではお決まりコースの『ホアンキエム湖』です。過去に紅河が何度も氾濫を繰り返してできた湖の一つとされます。この湖は、元は市内東部を流れる紅河と繋がっていて、水軍による演習も行われた、細長い入り江でした。17世紀頃、政治の実権を握ったチン(陳)氏によって彼自身の政務と遊びの場が造られ始めました。真っ赤なテーフック橋の光景です。
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17~18世紀のベトナムは、後レー(黎)朝の末期でした。レー帝に実権はほとんどなく、ハノイを中心とする北部のチン(鄭)氏と、フエ、ホイアンを中心とする中南部の広南グエン(阮)氏が支配し、およそ200年に亘って両氏の対立が続いていました。官僚達は政治を顧みず私利私欲に走り、農村は飢饉で荒廃し、農民、民衆はその危機的状況に苦しんでいました。
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イチオシ
チン(陳)氏の後、時代は変わって1887~1945年のフランス統治時代の大規模な埋め立てを経て、20世紀始めに現在の形になったと言われています。現在の周囲は約1.8キロと、あまり大きくはない『ホアンキエム湖』です。伝説によれば、ホアン・キエムの呼び名は、神から授かった剣を、神の使いの亀に奉還した場所である、『ホアン=還』、『キエム=剣』に因むとされます。
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『ホアンキエム湖』に面したレストランらしい建物光景です。写真紹介は出来ませんでしたが、湖の中にぽつんと建っている塔が、『亀の塔』と呼ばれています。『王と亀と剣』の伝説は、15世紀のベトナムの『レー・ロイ王』に因むようです。亀に県を返した場所が『亀の塔』がある場所です。
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ホアンキエム湖の近くで咲いていた赤色系統の花木の光景です。歩いて、夕食のレストランへ向かう途中の撮影でした。ピンク色の花は、ブーゲンビリアのように見えました。
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ベトナムでの楽しみの料理の一つ、フォーです。麺の形は日本のきしめんに似ていますが、原料は米粉と水で、ライスヌードルの一種です。20世紀初めに出現した比較的歴史の浅い料理で、ベトナム北部が始まりとされます。1975年のベトナム戦争終結を機に、世界中に広まりました。
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さっぱりした味には、辛口の白ワインがよく合います。ベトナムは、フランス統治の時代が長かったためでしょうか、食文化ではいい伝統が残されたようです。フランス領インドシナとしての植民地時代は、1887~1945年の間でした。1965年2月7日、アメリカ軍による北爆によってベトナム戦争が始まり、トナム戦争の終わりは、1975年4月30日のサイゴン陥落でした。
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