2019/02/12 - 2019/02/16
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旅人のくまさんさん
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ベトナムの世界遺産は、文化遺産がフエの建造物群(1993年)、古都ホイアン(1999年、ミーソン聖域(1999年)、ハノイのタンロン皇城の中心区域(2010年)と胡朝の城塞(2011年)の4箇所、自然遺産がハロン湾(1994年、2000年)、フォンニャ=ケバン国立公園(2003年、2015年拡大)の2箇所、複合遺産がチャンアンの景観関連遺産(2014年)の1箇所です。
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
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タンロン(昇龍)は、ハノイの旧称です。1010年から1804年までの800年ほどに亘って、ほぼ一貫してベトナム諸王朝がここに都を置いたとされます。その複合遺跡の一部が2002年に見つかり、大規模な発掘調査が行われました。その調査を終えた遺跡の一部が、2010年に世界文化遺産に指定されました。登録名は、『ハノイのタンロン皇城の中心区域』です。
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ここからは、タンロン城址の見学から、ホーチミン廟の見学に向かう途中の光景です。タンロン城址の塀や門など、まだ外からの見学ができました。補修工事用でしょうか、石材が積み上げてありました。タンロン城に関する出来事です。グエン(阮)朝時代(1802~1945年)を迎えると、1802年、初代ザーロン帝は都をタンロンからフエに移しました。
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1802年のタンロンからフエへの遷都に当たり、重要な建築物は分解されて運ばれ、フエで再度組み立てられました。写真は、タンロン城址を取り巻くレンガ塀越しに眺めた、まだ新しい建物光景です。アーチ型の窓が連なっていました。最初に紹介した、レセプション用の建物とは違っていました。博物館当たりでしょうか。
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ベトナム国旗が屋根の上に建つ、国会議事堂の光景です。広い通りを挟んだ向かい側の光景です。国会議事堂の紹介の前に、『ベトナム社会主義共和国憲法』の紹介です。1946年11月に『ベトナム民主共和国憲法』が始まりで、現在の『ベトナム社会主義共和国憲法』は2013年11月に国会により制定され、2014年1月に施行されました。前文と第12章・147条から構成されます。
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イチオシ
少しズームアップした、国会議事堂の光景です。ベトナム憲法の歴史の概略です。ベトナム憲法は独立後の1946年に成立したものが最初で、その後、フランスとの戦争に勝利した後の1959 年に憲法改正されましたが、この1959 年憲法は社会主義型憲法の性格が明確になったものと評価されています。(JICA長期派遣専門家・チーフアドバイザー西岡剛氏:法務省出身・検事)
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更にズームアップした、国会議事堂の光景です。1960 年以降、北ベトナム国内において、法学教育が行われなくなり、法律実務家の一部エリートは旧ソ連や東ドイツに留学し、立法作業も旧ソ連から派遣された法律顧問団が大きな役割を果たしました。南北統一後の1980 年に新しい憲法が制定されましたが、同顧問団が常駐し、司法省は、その指導を受けて新憲法を制定しました。(西岡氏)
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場所を移動して撮影した議事堂光景です。南北統一後の1980 年に制定された新憲法は、それに先立って1977 年に制定された旧ソ連憲法の強い影響を受けた伝統的な社会主義型憲法でした。現行憲法は、1986 年のドイモイ(刷新)政策による対外的に経済を開放した後の1992 年に改正されたものです。ドイモイ政策により、市場経済化と対外開放政策が進みました。(西岡氏)
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1992 年憲法の一部は2001 年に改正されました。2001 年の憲法改正において、最も大きな変化は第2 条の『国家の性格規定』です。『ベトナム社会主義共和国は、人民の、人民による、人民のための国家である』と規定していたのを、『ベトナム社会主義共和国は、人民の、人民による人民のための社会主義的法治国家である』としました。(西岡氏)
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イチオシ
塀越しに眺めた、タンロン城址の建物光景です。グエン朝期、タンロンはハノイ(河内)と改名され、ハノイは一地方都市として扱われました。1804年から1805年にかけて規模が縮小された『ハノイ城』が建てられました。第四代皇帝トゥ・ドゥック帝は、更にその一部を壊し縮小したと伝わります。1884~1886年には、フランス植民地政府によって、部分的に破壊されました。(ハノイ歴史研究会)
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薄いピンク色の花を咲かせた樹木の光景です。名前はまだ調べていません。フランス軍が1954年に撤退した後、1975年まではベトナム人民軍の最高司令部が『ハノイ城』に置かれ、2004年にハノイ市に受け渡されるまで国防省の管理下にありました。また、1999年から建物の修復が行われました。(ハノイ歴史研究会)
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タンロン城址の出入口門の光景です。1999年からり建物の修復の結果、2000年の遷都990年を記念して一部(端門、後楼、北門)の公開が始まり増した。その十年後の2010年には、遷都千年にあわせて残りの部分(敬天殿跡、D67の家)も一般公開が開始されました。(ハノイ歴史研究会)
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タンロン城址の出入口脇に置かれていた古い大砲の光景です。ネット検索では確認できませんでしたが、フランス統治時代の遺物かも知れません。フランス植民地時代には、フランス軍司令部として利用されました。その後、フランスの支配が終わりベトナム戦争に突入すると、ベトナム人民軍の司令部としても使われた歴史の舞台です。
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同じく、タンロン城址の出入口脇に置かれていた古い大砲の光景です。写真紹介は出来ませんでしたが、タンロン城の城壁には、煉瓦が吹き飛ばされた、フランス軍から攻められた時の砲弾の痕がいくつか残されています。
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ズームアップで紹介する、赤い別な無国旗がはためく、国会議事堂の光景です。タンロン城址が2002年に発見されたのは、この国会議事堂の建替工事の時とされます。
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銃口があるタンロン城址の城壁と、その内側の建物光景です。当時はここタンロン城を中心区域として、城下町は現在のホアンキエム湖まで広がっていました。ホアンキエム湖の北上に広がる旧市街は、タンロン当時の城下町として、一大商業エリアでした。
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長く続くタンロン城址の煉瓦塀の光景です。タンロン城址は、奈良時代の遣唐留学生だった阿倍仲麻呂(698~770年)に所縁の地にもなります。唐で国家の試験に合格、唐朝で諸官を歴任して高官に登りましたが、日本への帰国を果たせずに唐で客死しました。唐名は『朝衡/晁衡(ちょうこう)』です。 唐の高官としてベトナムに赴き、総督を務めました。6年間、ハノイの安南都護府に在任しました。
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鬱蒼とした木立が、タンロン城址の長い歴史を偲ばせてくれる光景です。2004年10月、ハノイでの国際会議に出席した小泉純一郎首相(当時)がタンロン城遺跡を視察し、日本政府として調査研究保存に協力することを約束しました。中国支配時代、ハノイに安南都護府が置かれ、8世紀には遣唐使の阿倍仲麻呂が派遣された歴史を持つことも影響があったかもしれません。
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イチオシ
日本の城壁では、鉄砲狭間と呼ばれる、縦長の四角い穴が等間隔で設けられた城壁のズームアップ光景です。日本の鉄砲狭間に相当する造りであることは、現地ガイドさんにも確認しました。安倍仲麻呂の和歌は、『天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも』が百人一首にも選ばれています。
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鬱蒼と生い茂ったタンロン城址内の樹木の光景です。その下に通用門らしい門柱が建っていました。安倍仲麻呂は、天平神護2年(766年)、安南節度使を授けられ、最後は大都督として従二品を贈られています。結局、日本への帰国は叶えられることなく、宝亀元年(770年)1月に73歳の生涯を閉じました。陝西省西安市にある興慶宮公園にある彼の記念碑も以前に見学しました。
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この建物も、タンロン城址の施設の一部になるようでした。漢詩の五言絶句の形で詠った安倍仲麻呂の和歌は、『翹首望東天(首を翹げて東天を望めば)、神馳奈良邊 (神(こころ)は馳す奈良の辺)、 三笠山頂上(三笠山頂の上)、 思又皎月圓(思ふ又た皎月の円(まどか)なるを)』です。
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街灯にハンモックで飾られたサフィニアの花の光景です。サフィニアは、ナス科ツクバネアサガオ属の常緑多年性の植物です。サントリーと京成バラ園芸が共同で1989年に開発したペチュニアの園芸品種です。
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直線道路に面して、長く続いていたサーモンピンクの建物光景です。現地概査賛意お聞きしましたら、『共産党関係の建物』との回答でした。この建物の色のほかに、黄色の建物もありました。サーモンピンクは、オレンジ系ピンクの代表的な色です。焼いたサケの身のような、やや橙色がかったピンクをさします。
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タンロン城址から、歩いて向かったホーチミン廟への街路の光景です。ハノイの官庁街と言った雰囲気の街路でした。商店や民家が見当たらないためでしょうか、車の通行も疎らでした。
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街路樹の根元の光景です。瘤のような姿で残っているのは、脇から芽を出した幹が伐採された跡のようでした。伐られても、伐られても目を出したような光景でした。その周りには、現在の歩道の敷石とは異なる、古い歩道の煉瓦も残されていました。完結が近い佐伯泰英さんの『新古着屋総兵衛』の重要な舞台が、ベトナムの安南や交趾ですから、小説の世界でもベトナムに興味がありました。
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この建物までがベトナム国家、あるいはベトナム共産党の施設になるようでした。玄関の上の赤い横断幕には、1930年2月3日~2019年2月3日の機関と89年の文字が記してありました。『1930年2月3日』でネット検索しましたら、『ベトナム共産党創立記念日』であることが分かりました。2019年2月3日が創立89周年になります。
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タンロン城址は、奈良時代の遣唐留学生だった阿倍仲麻呂(698~770年)に所縁の地にもなります。唐で国家の試験に合格、唐朝において諸官を歴任して高官に登りましたが、日本への帰国を果たせずに唐で客死しました。唐名は『朝衡/晁衡(ちょうこう)』です。 鎮南都護・安南節度使(正三品)として再びベトナムに赴き、総督を務めました。6年間、ハノイの安南都護府に在任しました。
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世界各地でよく見かけるベゴニアの花のズームアップ光景です。ベゴニアは、シュウカイドウ科シュウカイドウ属(ベゴニア属)に属する植物の総称とされます。これは最もポピュラーな品種の『ベゴニア・センパフローレンス』のようです。和名は、『四季咲きベゴニア』です。
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純粋な黄色一色のマリ―ゴールドの花壇の光景です。マリーゴールドは、キク科コウオウソウ属(マンジュギク属)のうち、草花として栽培される植物の総称とされます。『聖母マリアの黄金の花』を意味します。
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純粋な黄色一色のマリ―ゴールドの花のズームアップ光景です。種苗販売会社のHPでは、『大輪咲マリーゴールド(イエロー)』の名前などで販売されていました。マリーゴールドの和名としては、『万寿菊(まんじゅぎく)』が用いられるようです。
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色とりどりの『ペチュニア』の光景です。『サフィニア』かも知れません。『サフィニア』はサントリーの商品名ですが、ペチュニア属は品種改良の盛んな種類で、スーパーチュニア(ハクサン)、ブリエッタ(第一園芸)、バカラシリーズ(サカタのタネ)、優花シリーズ(カインズホーム)、うえっぱ苗シリーズ(ビバホーム)等も日本では出回っているようです。
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