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 先の當麻寺の旅で見残したあれこれをと、再び葛城路へ足を踏み入れました。と、格好付けると見かけは良いのですが、要は惚けていて取材忘れです。しかし、河内から向かうには絶好の場所でていの良い時間つぶしでもあります。

竹内街道を行く

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2019/02/18 - 2019/02/18

129位(同エリア289件中)

旅行記グループ 大和を旅する

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河内温泉大学名誉教授

河内温泉大学名誉教授さん

 先の當麻寺の旅で見残したあれこれをと、再び葛城路へ足を踏み入れました。と、格好付けると見かけは良いのですが、要は惚けていて取材忘れです。しかし、河内から向かうには絶好の場所でていの良い時間つぶしでもあります。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩 バイク

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  •  見残した場所とは、中将姫のお墓塔というもの。これは、先に真横にまで行っていたので簡単に見つかります。この写真だけを撮るなら、稿を起こすことも無いのですが弾みで竹内街道の一部も輪行して来ましたので改めて書き下ろすこととなりました。その中将姫の墓塔は写真の通りですが、多分五輪石がそれで、他は付属品の様なものでしょうか。一般の共同墓地の一角にあります。中将姫のお墓が拡大して共同墓地になったのか、鶏と卵になりそうなので深く考えないことにしましょう。

     見残した場所とは、中将姫のお墓塔というもの。これは、先に真横にまで行っていたので簡単に見つかります。この写真だけを撮るなら、稿を起こすことも無いのですが弾みで竹内街道の一部も輪行して来ましたので改めて書き下ろすこととなりました。その中将姫の墓塔は写真の通りですが、多分五輪石がそれで、他は付属品の様なものでしょうか。一般の共同墓地の一角にあります。中将姫のお墓が拡大して共同墓地になったのか、鶏と卵になりそうなので深く考えないことにしましょう。

  •  當麻の古道を行くと。

     當麻の古道を行くと。

  •  見慣れた(?)當麻寺の仁王門と鐘楼の間を突き抜ける。

     見慣れた(?)當麻寺の仁王門と鐘楼の間を突き抜ける。

  •  當麻寺境内を横切り進む、集落の東端に細い道が南北に続きます。山裾ですので、谷筋毎に厳しいアップダウンが迎えてくれます。これは、予想していましたのでMTBを用意してきましたがかなり大臀筋に堪えます。ぼちぼち、竹内街道へでます。<br /> 司馬遼太郎の母の実家がこの地にあったこともあって、司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の第1巻第2章で取り上げています。挿絵画家須田剋太とのコンビで、この後亡くなるまでシリーズは続きます。日本最古の官道という割りには結構幅も広く、近年手が入っていると思われますが、道端の堂宇にはその面影が残ります。

     當麻寺境内を横切り進む、集落の東端に細い道が南北に続きます。山裾ですので、谷筋毎に厳しいアップダウンが迎えてくれます。これは、予想していましたのでMTBを用意してきましたがかなり大臀筋に堪えます。ぼちぼち、竹内街道へでます。
     司馬遼太郎の母の実家がこの地にあったこともあって、司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の第1巻第2章で取り上げています。挿絵画家須田剋太とのコンビで、この後亡くなるまでシリーズは続きます。日本最古の官道という割りには結構幅も広く、近年手が入っていると思われますが、道端の堂宇にはその面影が残ります。

  •  街道脇の堂宇。

     街道脇の堂宇。

  •  現在の竹内街道でのメインスポットは、松尾芭蕉が訪れた地として綿弓塚と芭蕉の句碑でしょう。脇の古民家は俳人の憩いの場となっています。投句ポストや作品の展示、街道の面影を伝える資料などが展示されています。

     現在の竹内街道でのメインスポットは、松尾芭蕉が訪れた地として綿弓塚と芭蕉の句碑でしょう。脇の古民家は俳人の憩いの場となっています。投句ポストや作品の展示、街道の面影を伝える資料などが展示されています。

  •  説明板。

     説明板。

  •  綿引塚。

     綿引塚。

  •  芭蕉ゆかりの句を並べる。

     芭蕉ゆかりの句を並べる。

  •  投句箱も。

     投句箱も。

  •  街道に立ちますと、河内に向かって両側の厳しい谷、振り向くと大和盆地という風景は、ここで何かをすると云うより歴史の匂いや香りを感じる場所かも知れません。<br /> 写真は司馬遼が気に入っているという、長尾方向から見た竹内街道の緩斜面。

     街道に立ちますと、河内に向かって両側の厳しい谷、振り向くと大和盆地という風景は、ここで何かをすると云うより歴史の匂いや香りを感じる場所かも知れません。
     写真は司馬遼が気に入っているという、長尾方向から見た竹内街道の緩斜面。

  •  街道を二上山に向かって横断する脚力はありませんので、周辺を散策しましょう。竹内街道にほぼ並行して整備されていたという、長尾道の起点の長尾神社を目指すことにします。因みに、奈良時代になると、これらの北側に「龍田道」(のちの奈良街道)が整備されていますので、この辺りは大和と難波そしてその先は大陸へと繋がる交通の要衝であったのでしょう。<br /> さて、大きくなった話をこじんまりと纏めましょう。<br /><br /> 鍋塚古墳。

     街道を二上山に向かって横断する脚力はありませんので、周辺を散策しましょう。竹内街道にほぼ並行して整備されていたという、長尾道の起点の長尾神社を目指すことにします。因みに、奈良時代になると、これらの北側に「龍田道」(のちの奈良街道)が整備されていますので、この辺りは大和と難波そしてその先は大陸へと繋がる交通の要衝であったのでしょう。
     さて、大きくなった話をこじんまりと纏めましょう。

     鍋塚古墳。

  •  街道の南少し下には鍋塚古墳があります。直径40mの丸い形をした円墳です。市の案内には、造ったのは竹内遺跡に住んでいた人々、古代より交通の要衝地であった竹内峠を掌握した勢力が力をつけ、この古墳の築造を実現させたものと考えられるとあります。周囲を畑に浸食されているのが気の毒ですね。<br /><br />  更に下りますと山裾を御所方向へ向かう長尾道との交点です。

     街道の南少し下には鍋塚古墳があります。直径40mの丸い形をした円墳です。市の案内には、造ったのは竹内遺跡に住んでいた人々、古代より交通の要衝地であった竹内峠を掌握した勢力が力をつけ、この古墳の築造を実現させたものと考えられるとあります。周囲を畑に浸食されているのが気の毒ですね。

    更に下りますと山裾を御所方向へ向かう長尾道との交点です。

  •  すこし、その道沿いに南下すると幟が見えて来ます。「おいまさん」と読めます。これは、地域の伝説の孝女「伊麻」の命日が近いというので旧跡での祭事の宣伝のようです。病弱な父親への孝行に生涯を尽くした孝女伊麻を讃えるというものらしいが、現代人には通じるかと云ってしまえば身も蓋もない。ここらで、竹内街道へ戻ります。<br /><br /> 孝女伊麻跡。

     すこし、その道沿いに南下すると幟が見えて来ます。「おいまさん」と読めます。これは、地域の伝説の孝女「伊麻」の命日が近いというので旧跡での祭事の宣伝のようです。病弱な父親への孝行に生涯を尽くした孝女伊麻を讃えるというものらしいが、現代人には通じるかと云ってしまえば身も蓋もない。ここらで、竹内街道へ戻ります。

     孝女伊麻跡。

  •  同上。

     同上。

  •  二上山への坂を下りきった辺りに大きな森が見えて来るのが先に記しました長尾神社です。社殿の割りには大きな森という鎮座地は竹内街道、長尾街道、横大路が交差する交通の要衝としての構え、今で云うジャンクションでしょうか。

     二上山への坂を下りきった辺りに大きな森が見えて来るのが先に記しました長尾神社です。社殿の割りには大きな森という鎮座地は竹内街道、長尾街道、横大路が交差する交通の要衝としての構え、今で云うジャンクションでしょうか。

  •  古代の交通の要衝だったのか、背後の森が見事です。

     古代の交通の要衝だったのか、背後の森が見事です。

  •  残念ながら、このジャンクションにはサービスエリア等が無いので、葛城市當麻支所まで戻りコンビニで昼飯をいただきます。多分、千年以上前の方が利便生が高かっただろうなと、市庁舎を見上げながらお握りをいただく。<br /><br /> 當麻寺第三の塔発見。変形の六層造りでした。

     残念ながら、このジャンクションにはサービスエリア等が無いので、葛城市當麻支所まで戻りコンビニで昼飯をいただきます。多分、千年以上前の方が利便生が高かっただろうなと、市庁舎を見上げながらお握りをいただく。

     當麻寺第三の塔発見。変形の六層造りでした。

  •  さて、仕上げは當麻駅に戻り中将餅です。餅に関してはもう語る言葉も無いので省略です。駅から當麻寺への参道途中にあるのが、當麻蹶速(たいまのけはや)塚と葛城市相撲館です。生憎月曜日は休館日ですので、鉄砲柱のみ紹介しておきます。垂仁天皇の時代に當麻蹶速と野見宿禰(のみのすくね)とが力比べをし、これが日本で最初の天覧相撲と伝えられています。相撲の結果は互いに蹴り合った末に腰を踏み折って宿禰が勝ち蹶速の土地を譲り受けます。その「腰折田」はやや北に土俵と共に力士像があります。

     さて、仕上げは當麻駅に戻り中将餅です。餅に関してはもう語る言葉も無いので省略です。駅から當麻寺への参道途中にあるのが、當麻蹶速(たいまのけはや)塚と葛城市相撲館です。生憎月曜日は休館日ですので、鉄砲柱のみ紹介しておきます。垂仁天皇の時代に當麻蹶速と野見宿禰(のみのすくね)とが力比べをし、これが日本で最初の天覧相撲と伝えられています。相撲の結果は互いに蹴り合った末に腰を踏み折って宿禰が勝ち蹶速の土地を譲り受けます。その「腰折田」はやや北に土俵と共に力士像があります。

  •  鉄砲柱。

     鉄砲柱。

  •  當麻の道の駅「ふたかみパーク當麻」前の陸橋を越えると腰折れ田に土俵と関取が。二上山を見上げるように建っている。<br /><br />  中将姫のお墓参りと駆け足の竹内街道廻りでした。多少消化不良な点はご容赦下さい。なお、いつも言葉だけで申しわけありませんが、草だんご餅と大和の苺は美味しかったです。

     當麻の道の駅「ふたかみパーク當麻」前の陸橋を越えると腰折れ田に土俵と関取が。二上山を見上げるように建っている。

      中将姫のお墓参りと駆け足の竹内街道廻りでした。多少消化不良な点はご容赦下さい。なお、いつも言葉だけで申しわけありませんが、草だんご餅と大和の苺は美味しかったです。

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