2019/02/18 - 2019/02/18
163位(同エリア364件中)
河内温泉大学名誉教授さん
- 河内温泉大学名誉教授さんTOP
- 旅行記254冊
- クチコミ897件
- Q&A回答101件
- 342,289アクセス
- フォロワー18人
先の當麻寺の旅で見残したあれこれをと、再び葛城路へ足を踏み入れました。と、格好付けると見かけは良いのですが、要は惚けていて取材忘れです。しかし、河内から向かうには絶好の場所でていの良い時間つぶしでもあります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 バイク
PR
-
見残した場所とは、中将姫のお墓塔というもの。これは、先に真横にまで行っていたので簡単に見つかります。この写真だけを撮るなら、稿を起こすことも無いのですが弾みで竹内街道の一部も輪行して来ましたので改めて書き下ろすこととなりました。その中将姫の墓塔は写真の通りですが、多分五輪石がそれで、他は付属品の様なものでしょうか。一般の共同墓地の一角にあります。中将姫のお墓が拡大して共同墓地になったのか、鶏と卵になりそうなので深く考えないことにしましょう。
-
當麻の古道を行くと。
-
見慣れた(?)當麻寺の仁王門と鐘楼の間を突き抜ける。
-
當麻寺境内を横切り進む、集落の東端に細い道が南北に続きます。山裾ですので、谷筋毎に厳しいアップダウンが迎えてくれます。これは、予想していましたのでMTBを用意してきましたがかなり大臀筋に堪えます。ぼちぼち、竹内街道へでます。
司馬遼太郎の母の実家がこの地にあったこともあって、司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の第1巻第2章で取り上げています。挿絵画家須田剋太とのコンビで、この後亡くなるまでシリーズは続きます。日本最古の官道という割りには結構幅も広く、近年手が入っていると思われますが、道端の堂宇にはその面影が残ります。 -
街道脇の堂宇。
-
現在の竹内街道でのメインスポットは、松尾芭蕉が訪れた地として綿弓塚と芭蕉の句碑でしょう。脇の古民家は俳人の憩いの場となっています。投句ポストや作品の展示、街道の面影を伝える資料などが展示されています。
-
説明板。
-
綿引塚。
-
芭蕉ゆかりの句を並べる。
-
投句箱も。
-
街道に立ちますと、河内に向かって両側の厳しい谷、振り向くと大和盆地という風景は、ここで何かをすると云うより歴史の匂いや香りを感じる場所かも知れません。
写真は司馬遼が気に入っているという、長尾方向から見た竹内街道の緩斜面。 -
街道を二上山に向かって横断する脚力はありませんので、周辺を散策しましょう。竹内街道にほぼ並行して整備されていたという、長尾道の起点の長尾神社を目指すことにします。因みに、奈良時代になると、これらの北側に「龍田道」(のちの奈良街道)が整備されていますので、この辺りは大和と難波そしてその先は大陸へと繋がる交通の要衝であったのでしょう。
さて、大きくなった話をこじんまりと纏めましょう。
鍋塚古墳。 -
街道の南少し下には鍋塚古墳があります。直径40mの丸い形をした円墳です。市の案内には、造ったのは竹内遺跡に住んでいた人々、古代より交通の要衝地であった竹内峠を掌握した勢力が力をつけ、この古墳の築造を実現させたものと考えられるとあります。周囲を畑に浸食されているのが気の毒ですね。
更に下りますと山裾を御所方向へ向かう長尾道との交点です。 -
すこし、その道沿いに南下すると幟が見えて来ます。「おいまさん」と読めます。これは、地域の伝説の孝女「伊麻」の命日が近いというので旧跡での祭事の宣伝のようです。病弱な父親への孝行に生涯を尽くした孝女伊麻を讃えるというものらしいが、現代人には通じるかと云ってしまえば身も蓋もない。ここらで、竹内街道へ戻ります。
孝女伊麻跡。 -
同上。
-
二上山への坂を下りきった辺りに大きな森が見えて来るのが先に記しました長尾神社です。社殿の割りには大きな森という鎮座地は竹内街道、長尾街道、横大路が交差する交通の要衝としての構え、今で云うジャンクションでしょうか。
-
古代の交通の要衝だったのか、背後の森が見事です。
-
残念ながら、このジャンクションにはサービスエリア等が無いので、葛城市當麻支所まで戻りコンビニで昼飯をいただきます。多分、千年以上前の方が利便生が高かっただろうなと、市庁舎を見上げながらお握りをいただく。
當麻寺第三の塔発見。変形の六層造りでした。 -
さて、仕上げは當麻駅に戻り中将餅です。餅に関してはもう語る言葉も無いので省略です。駅から當麻寺への参道途中にあるのが、當麻蹶速(たいまのけはや)塚と葛城市相撲館です。生憎月曜日は休館日ですので、鉄砲柱のみ紹介しておきます。垂仁天皇の時代に當麻蹶速と野見宿禰(のみのすくね)とが力比べをし、これが日本で最初の天覧相撲と伝えられています。相撲の結果は互いに蹴り合った末に腰を踏み折って宿禰が勝ち蹶速の土地を譲り受けます。その「腰折田」はやや北に土俵と共に力士像があります。
-
鉄砲柱。
-
當麻の道の駅「ふたかみパーク當麻」前の陸橋を越えると腰折れ田に土俵と関取が。二上山を見上げるように建っている。
中将姫のお墓参りと駆け足の竹内街道廻りでした。多少消化不良な点はご容赦下さい。なお、いつも言葉だけで申しわけありませんが、草だんご餅と大和の苺は美味しかったです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
大和を旅する
-
万葉のむなぎ(鰻)を天理「淡水」で食する
2011/09/11~
天理
-
真夏の京会席を嶋左近の京別邸「道楽」で楽しむ 梅宮大社で御祓いを受けて
2014/07/20~
東山・祇園・北白川
-
義姉の参拝とランチを 大和郡山城では柳沢神社へも
2014/08/25~
香芝・王寺・大和高田
-
いにしえは女性の時代だったのか 持統天皇に歴史上の女性を見る
2015/09/23~
奈良
-
明日香路 を銀輪と散歩で
2017/01/04~
飛鳥
-
平安時代のプレイボーイ 「在原業平」河内通いの恋の道の基点となる在原神社など業平の足跡
2017/03/04~
天理
-
大和橿原レンゲ草の道銀輪行
2017/04/26~
橿原
-
日本最古の道 山辺の道 海石榴市の猫からヤギさんの草刈りまで
2017/05/11~
桜井・三輪・山の辺の道
-
大和の奇祭砂かけの「廣瀬大社」から「小泉城」周辺の銀輪行
2017/05/31~
斑鳩・法隆寺周辺
-
七夕の「天の川」は葛城の道にあった、ハートストーンに極楽寺で
2017/07/07~
御所・葛城
-
もう一つの七夕祀り
2017/07/07~
香芝・王寺・大和高田
-
大和路 本薬師寺の「ホテイアオイVS.蓮」
2017/08/25~
橿原
-
明日香路銀輪行 「いにしえの 都は明日香 川筋に 流れは続き 難波江へと」
2017/09/29~
飛鳥
-
それは「おお、大砲」かな 司馬遼太郎短編高取藩の砲術とは
2018/02/17~
大和郡山・田原本
-
再び御所へ 笛吹神社から水泥双墓、阿吽寺の巨勢の道
2018/02/27~
御所・葛城
-
電動VS人力「唐古・鍵遺跡から新沢千塚古墳公園迄の自転車の戦」
2018/04/12~
大和郡山・田原本
-
大和郡山で墓参を済ませて風の森神社を参拝他
2018/05/04~
御所・葛城
-
これは何方の足でしょうか 案山子ワールド安堵町
2018/05/19~
斑鳩・法隆寺周辺
-
戦艦大和にも祀られていたという「大和神社」と芭蕉句碑 帰路は酷道と惨道で河内へ
2018/05/24~
天理
-
神武さん初戦で勝利して生駒山を超えたとしたら
2018/05/24~
生駒・宝山寺
-
葛城から見た吉野と明日香等大和青垣の箱庭を遠望する絶好の場所
2018/06/22~
御所・葛城
-
奈良 藤原宮から吉野離宮まで、呼子寅の銀輪行
2018/08/04~
橿原
-
大和の筒井順慶城と五輪石を巡る
2018/10/16~
大和郡山・田原本
-
斑鳩路 三ヶ寺三塔が一望の絶景場所とは
2018/11/26~
斑鳩・法隆寺周辺
-
古寺巡礼から百寺巡礼への結節点は法隆寺だった 五木寛之の場合
2019/01/21~
斑鳩・法隆寺周辺
-
二上山の麓を行く 當麻寺から石光寺まで
2019/02/07~
御所・葛城
-
竹内街道を行く
2019/02/18~
御所・葛城
-
生駒越え十三峠は業平道 歴史の道、恋の道を行く
2019/03/01~
信貴山
-
千早赤坂から水越峠を越えて 南朝の勇 、楠木正成公の点と線を行く
2019/04/12~
河南・太子
-
香魚を歌舞伎義経千本桜すし屋の段「つるべすし弥助」で食し空海師の霊場高野山へ
2019/05/09~
吉野
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 大和を旅する
0
21