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 戦艦に祀られるなんて気の毒な神社かと思いましたが、日本人は家や自動車等にもお札と称して神がかった物を祀っているのと同じと思えば良いのでしょうか。過日、訪問した「大和神社」(おおやまとじんじゃ)という天理市内の神社には、船艦大和との特別な関わりを誇示するものが沢山並んでいて、奇異にも思えましたが冷静に考えるとお札ならあっても良い、ただ少々期待が大きかっただけに結末が悲惨すぎたのでしょう。

戦艦大和にも祀られていたという「大和神社」と芭蕉句碑 帰路は酷道と惨道で河内へ

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2018/05/24 - 2018/05/25

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旅行記グループ 大和を旅する

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河内温泉大学名誉教授

河内温泉大学名誉教授さん

 戦艦に祀られるなんて気の毒な神社かと思いましたが、日本人は家や自動車等にもお札と称して神がかった物を祀っているのと同じと思えば良いのでしょうか。過日、訪問した「大和神社」(おおやまとじんじゃ)という天理市内の神社には、船艦大和との特別な関わりを誇示するものが沢山並んでいて、奇異にも思えましたが冷静に考えるとお札ならあっても良い、ただ少々期待が大きかっただけに結末が悲惨すぎたのでしょう。

旅行の満足度
5.0
交通手段
自家用車 バイク

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  •  では、正式に正面から入りましょう。

     では、正式に正面から入りましょう。

  •  拝殿から本殿を拝む。

     拝殿から本殿を拝む。

  •  大和神社は奈良県天理市新泉町306にあり、山辺の道と桜井線の間で長柄駅のやや南に位置します。周囲は田園風景なのですが、天理教の教祖生誕の家があったり、この辺りだけに緑が濃く残り神がかった雰囲気があります。神社の案内によりますと、御祭神は日本大國魂(やまとおおくにたま)大神です。奈良時代、朝廷の命により、唐の国へ渡って学ぶ唐遣使が、出発に際して、当社に参詣し、安全を祈願された。また、「戦艦大和」の守護神として、艦内に祀られていました。先日磐之姫古墳見学の折立ち寄った、菅原道真が旅の安全を祈ったと云う添御縣坐神社の神に比べてスケールが大きいのでしょうか。<br /><br /> 遣唐使の安全を祈った、憶良の歌碑。

     大和神社は奈良県天理市新泉町306にあり、山辺の道と桜井線の間で長柄駅のやや南に位置します。周囲は田園風景なのですが、天理教の教祖生誕の家があったり、この辺りだけに緑が濃く残り神がかった雰囲気があります。神社の案内によりますと、御祭神は日本大國魂(やまとおおくにたま)大神です。奈良時代、朝廷の命により、唐の国へ渡って学ぶ唐遣使が、出発に際して、当社に参詣し、安全を祈願された。また、「戦艦大和」の守護神として、艦内に祀られていました。先日磐之姫古墳見学の折立ち寄った、菅原道真が旅の安全を祈ったと云う添御縣坐神社の神に比べてスケールが大きいのでしょうか。

     遣唐使の安全を祈った、憶良の歌碑。

  •  毎年四月一日に神幸祭が行われます、通称「ちゃんちゃん祭り」と呼ばれる祭りが、奈良県無形民俗文化財への指定されています。また、万葉集(巻五)山上憶良の歌に大和神社の神々さまに交通安全の祈願をして唐遣使が派遣されたとあることから、2015年に縁の万葉歌碑が境内に建碑されています。戦艦大和云々というよりは、憶良の方が現実味があるのは何故でしょう。<br /><br /> 憶良の歌の説明文。

     毎年四月一日に神幸祭が行われます、通称「ちゃんちゃん祭り」と呼ばれる祭りが、奈良県無形民俗文化財への指定されています。また、万葉集(巻五)山上憶良の歌に大和神社の神々さまに交通安全の祈願をして唐遣使が派遣されたとあることから、2015年に縁の万葉歌碑が境内に建碑されています。戦艦大和云々というよりは、憶良の方が現実味があるのは何故でしょう。

     憶良の歌の説明文。

  •  山口県から来たという青年が、戦艦大和にいたく関心があるようで資料館でやたらとプラモデルのような模型を写したり、お守り関連を大量に買い込んでおられたのを脇目で見ていました。私とこの青年二人しかいないので見るともなく目についてしまいます。宮司さんらしき人に、近隣にあるという芭蕉の句碑のありかを尋ねたら分からないと大きな問題になり、等々禰宜さんまで登場なさっていただきました。が、親切に説明すればするほど分からなくなり、適当にお礼を言って辞しました。<br /><br /> 鳥居左の青年です。

     山口県から来たという青年が、戦艦大和にいたく関心があるようで資料館でやたらとプラモデルのような模型を写したり、お守り関連を大量に買い込んでおられたのを脇目で見ていました。私とこの青年二人しかいないので見るともなく目についてしまいます。宮司さんらしき人に、近隣にあるという芭蕉の句碑のありかを尋ねたら分からないと大きな問題になり、等々禰宜さんまで登場なさっていただきました。が、親切に説明すればするほど分からなくなり、適当にお礼を言って辞しました。

     鳥居左の青年です。

  •  戦艦大和との謂われを語る石碑。

     戦艦大和との謂われを語る石碑。

  •  資料館なる建物には大和のプラモデルも。

     資料館なる建物には大和のプラモデルも。

  •  戦艦大和との関係を綴られています。

     戦艦大和との関係を綴られています。

  •  では、最後にもう一度拝殿をお参りして芭蕉の句碑探しに。

     では、最後にもう一度拝殿をお参りして芭蕉の句碑探しに。

  •  芭蕉の句碑は、長柄駅前で観光表示を見て確認、細部はスマホの地図で辿り着きました。松尾芭蕉「笈の小文」(おいのこぶみ)の中の「草臥れて 宿かるころや 藤の花」の歌碑で時期がもう少し早ければ藤の花も見られたのでしょうが、こんな所で・・・とも思う場所であります。アングルを考えた撮りようでは何とかそれらしい風景が創れますが、こんな風景が芭蕉には会うのかも知れません。

     芭蕉の句碑は、長柄駅前で観光表示を見て確認、細部はスマホの地図で辿り着きました。松尾芭蕉「笈の小文」(おいのこぶみ)の中の「草臥れて 宿かるころや 藤の花」の歌碑で時期がもう少し早ければ藤の花も見られたのでしょうが、こんな所で・・・とも思う場所であります。アングルを考えた撮りようでは何とかそれらしい風景が創れますが、こんな風景が芭蕉には会うのかも知れません。

  •  斯様な場所に句碑があります。

     斯様な場所に句碑があります。

  •  句碑説明板。

     句碑説明板。

  •  途中通過した天理教教祖の生誕の家とか、馬小屋ではなかったようです。

     途中通過した天理教教祖の生誕の家とか、馬小屋ではなかったようです。

  •  帰路立ち寄った天理市「長柄運動広場」、ここには万葉歌碑があります。「飛とぶ鳥とり 明日香の里を置きて去(い)なば 君があたりは見えずかもあらむ」と元明天皇が詠んだとか。近くにも同じ歌碑があるようですが、今回はこれのみと。明日香と平城宮への中間辺りですから、複雑な心中を詠ったのでしょうか。

     帰路立ち寄った天理市「長柄運動広場」、ここには万葉歌碑があります。「飛とぶ鳥とり 明日香の里を置きて去(い)なば 君があたりは見えずかもあらむ」と元明天皇が詠んだとか。近くにも同じ歌碑があるようですが、今回はこれのみと。明日香と平城宮への中間辺りですから、複雑な心中を詠ったのでしょうか。

  •  何故か新幹線も走っていました。

     何故か新幹線も走っていました。

  •  道中にあった日露戦争記念碑。この頃はまだ勝って浮かれていたのでしょうか。

     道中にあった日露戦争記念碑。この頃はまだ勝って浮かれていたのでしょうか。

  •  大和神社の帰り、ここ暫く目標にしつつなかなか叶わなかった元山上千光寺に行ってきました。千光寺は、役行者が修行をした「元」の山上で、彼が大峰山系へ移動してから元山上と呼ばれる様になったと云います。加えて、彼のお母さん白専女もここで修行をし、主体が大峰山系移動後もここに居残ったとことろから、女人禁制の吉野大峯に対し女性の修行も受け入れたため、「女人山上」と呼ばれ、女人の修験道場として栄えたとのこと。<br /><br /> 帰路の坂道はちょっとしたアトラクション並みでした。

     大和神社の帰り、ここ暫く目標にしつつなかなか叶わなかった元山上千光寺に行ってきました。千光寺は、役行者が修行をした「元」の山上で、彼が大峰山系へ移動してから元山上と呼ばれる様になったと云います。加えて、彼のお母さん白専女もここで修行をし、主体が大峰山系移動後もここに居残ったとことろから、女人禁制の吉野大峯に対し女性の修行も受け入れたため、「女人山上」と呼ばれ、女人の修験道場として栄えたとのこと。

     帰路の坂道はちょっとしたアトラクション並みでした。

  •  千光寺山門です。

     千光寺山門です。

  • 、こうなったら・・・と更に酷道308号で暗越越で河内を目指すこととしました。暗峠を越えた石切辺りには「千手寺(せんじゅうじ)」を始め興法寺、慈光寺等役行者縁のお寺が沢山あります。国道ですから対向車が来ることは覚悟の上、その場合は潔くバックでもするつもりで峠道に入りましたが、運良く対向車現れず。しかし、車内のバイクは跳ね上げられてひっくり返っていましたが、そんなことに構っている事は出来ずに一気に駆け下りてきました。<br /><br /> 写真は奈良側の相当平坦な場所です、以降気が抜けないので写真は御法度でした。

    、こうなったら・・・と更に酷道308号で暗越越で河内を目指すこととしました。暗峠を越えた石切辺りには「千手寺(せんじゅうじ)」を始め興法寺、慈光寺等役行者縁のお寺が沢山あります。国道ですから対向車が来ることは覚悟の上、その場合は潔くバックでもするつもりで峠道に入りましたが、運良く対向車現れず。しかし、車内のバイクは跳ね上げられてひっくり返っていましたが、そんなことに構っている事は出来ずに一気に駆け下りてきました。

     写真は奈良側の相当平坦な場所です、以降気が抜けないので写真は御法度でした。

  •  当日の戦闘食。戦艦大和の艦内ではありません。

     当日の戦闘食。戦艦大和の艦内ではありません。

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