2018/06/08 - 2018/06/10
67位(同エリア1489件中)
クッキーさん
コルドバからグラナダへ移動した後、パラドールに宿泊して ほぼ一日をアルハンブラ宮殿で過ごし、スペインの地に築かれたイスラム文明の見事なモニュメントを満喫しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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コルドバからグラナダへ向かうバスの中から。
乾燥した大地と オリーブ畑。
幸運にも ひまわり畑にも出会えました。 -
途中 大地のあちらこちらに見え隠れする 小さな町と教会の尖塔。
大地のいたるところに オリーブ畑。他の作物は作らないのかしらね。 -
珍しく 水辺の光景に出会いました。
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バスは こんな白い町の中にも 寄っていきます。
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人を寄せ付けなさそうな岩山。
畑として整備されているような場所のあちこちに 山積みされた石ころを見かけました。
町はずれの 廃墟のような城塞。 -
こちらも かつての城塞のようです。
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グラナダの街。背後に見えるのは 雪化粧のシエラ・ネバダ山脈。
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グラナダ到着は13:57
アルハンブラ宮殿に入ってしまえば ランチをとる時間も惜しいので、駅前のオープンカフェで ランチを済ませておきます。7ユーロと リーズナブル。
昼のカフェビールに満足。 -
バスを乗り継いで、という悠長なことは考えず、さっさとタクシーでの移動です。
タクシーの車窓から。 -
タクシーは パラドールの門の前まで送ってくれました。16.1ユーロで、17ユーロの支払い。
門から入り口までは こんな石畳で、キャリーケースを運ぶのに一苦労。 -
部屋は ツインルーム。
バスタブ付きのバスルーム。
噂通りの洗面所です。
黒大理石ですが、確かに 見た目は 学校の手洗い場のようです。 -
フロントで、見晴らしの良い部屋を提示されました。もちろん料金も36ユーロのアップとなりました。
夫にお伺いを立てたところ、折角だからと 応じましたが・・・
テラスの右側には 庭園が見えています。36ユーロのアップに見合うかどうか・・・
トレドのパラドールでのような感激はありません。 -
往時の修道院の雰囲気たっぷりです。
中庭は 文句なく素敵です。
すでに寛いでいる方もいらっしゃいました。
残念なことに 宮殿を歩き回るのに忙しくて、ここで寛ぐ時間は取れずじまい。 -
15:55
庭園の見学チケットを持って 早速お出かけです。
これから向かう庭園への期待も大きいのですが、こんな遺跡っぽい遺構を見ると ときめいてしまいます。
夫は さほど関心を示さず、どんどん前を歩いて行きます。
夫婦間のギャップを実感する一瞬。 -
今回の宮殿チケットは 3枚用意しているのです。
昨年の スペインを襲った熱波を心配して、暑くてもゆっくり見学できるようにと、この日の庭園チケット、この夜のナイトチケット、翌日のナスル宮殿チケットです。
それぞれ7ユーロ、8ユーロ、14ユーロと 合計すると結構なお値段になりましたが、バルセロナでのチケット代金の洗礼を受けた後ですから、あまり気になりません。 -
通り沿いから見える塔。
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道の両側は 糸杉の並木になっています。
花の時期には 早いのか遅いのか? -
心をときめかせてシャッターを押してばかりですが、夫との距離は広がるばかり。
右上は 水の塔だそう。
アーチの下をくぐってくるのは ツアー客のようでした。 -
16:08
ヘネラリフェ庭園。
アルハンブラ城外、チノス坂を挟んだ太陽の丘にある、14世紀に建設された ナスル朝の夏の離宮です。シエラ・ネバダ山脈の雪解け水を利用した水路や噴水が設けられ、「水の宮殿」とも呼ばれています。
涼しげな 水をたたえた池や噴水。これはこれで美しいのですが、これだけ?という思いも。先へと進んでいくと、 -
狭い階段部分で 若干の渋滞が発生していました。何かと思っていたら、入り口でチケットのチェックがあり、その先を行くと、
離宮中央に位置するアセキアの中庭へ。 -
アセキアの中庭。
噴水を配置した庭園です。周りには、全長50mに及ぶ回廊が続いています。 -
アセキアの中庭。
庭園の中の池は 前日に見たコルドバのアルカサルと同じ雰囲気ですが、正面に立つ建物のおかげで いかにも離宮! の雰囲気を醸し出しています。 -
回廊のアーチの部分から。
白い壁に茶色い屋根という 同じ色合いで統一された街並み。 -
池の周りの 涼を呼ぶ噴水も素敵ですが、この壁面には ただただ圧倒されるばかりです。
ありとあらゆる壁面が 繊細なアラベスクに覆われています。 -
目が釘付けです。
一時は 荒れ果てていたと聞いていますが、そうとは信じられないほどの保存状態の良さです。 -
ナスル朝の王も見たであろう アーチ窓の額縁の中の風景。
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16:33
かつて 太陽の丘には いくつもの庭園があったそうですが、ただひとつ残されたのが 最も美しいヘネラリフェだったそうです。 -
16:57
もう少し ゆっくりしたかったのですが、ナイトツアーもあるので ヘネラリフェを出て、アルカサバに向かいます。
城塞を守っていた大砲の展示。 -
途中にある カルロス5世宮殿を素通りして、
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先に アルカサバへ。
軍事要塞そのものの趣。 -
アルカサバからの眺望は アルバイシン。
街並みを見下ろすと、白い壁に茶色い屋根が多く見えます。
同じ色合いの家で統一された街並みの散策は 翌日の楽しみに。
対岸の展望台に 多くの人たちの姿が見えています。その展望台は 宮殿が見える絶景ポイントだときいていたので、翌日に訪れるつもりでいたのですが・・・ -
シエラ・ネバダ山脈。
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アルカサバは アルハンブラの最も古い部分で、ローマ時代の砦の跡に、モーロ人が9世紀に築いたものだそうです。
迷路のような遺跡部分には、兵士の住居の他、鍛冶職人や武器職人達の家の基礎部分が残されています。 -
一番高いベラの塔からは、どの角度からでもグラナダの街が一望でき、ここがかつて巨大な軍事要塞として、重要な役割を担っていたことが伺えます。
今は 観光客でにぎわう展望台となっていますね。 -
アルハンブラバスが走っている様子までも見えています。
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二重になった城壁。
もう少し若ければ 城壁の間も ぐるりと歩き回りたいところですが 体力に余力はありません。
向こうの塔へも上がれるようですが、歩き疲れてきたので 上がった塔は ここだけ。 -
手前に見える 宮殿のような雰囲気の建物は、最初に予約していたアルハンブラ・パレスでしょうか?
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アルカサバ内の 城壁の外?
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17:53
去り際に アルカサバの入り口、ブドウ酒の門をカメラに収めます。
この門はアルハンブラ・アルタ地区への通用門であり、軍事領域と市井の空間の境界線になっていたそうです。
ぶどう酒の門という名前は、1554年から門の内部にあった 免税のぶどう酒市場がもとになって付いたという説が一般的だとか。 -
ブドウ酒の門の前にある カルロス5世宮殿。
カトリック両王の孫 カルロス5世が、1526年の新婚旅行でアルハンブラ宮殿に宿泊した際に、建設を決めた宮殿だそうです。
イスラム建築の中にあって、ルネッサンス様式の異色の存在感を放つ宮殿は、イスラム建築に勝る建築を!という、カルロス1世の対抗心の表れでしょうか。 -
ファサードは とても立派です。
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カルロス5世の 意地を示すような紋章。
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この宮殿には 見るべきものは何もないと聞いていましたが、
この優美な曲線は見事です。
ローマのコロッセオを模して造られたこの宮殿では、当時実際に闘牛や中世騎士の決闘が行われていたそうです。
柱は、ドリス式が32本とイオニア式、これらの柱は、力のシンボルを表現しているのだとか。この宮殿は、未完成の宮殿なので屋根がありません。
しかし、王が存命中には完成せず、予算不足で天井部分のクーポラも設置できなかった未完の建築物です。四角い外観の内部は、古代ローマのコロシアムを思わせるような円形の中庭が広がります。 -
庭園の向こうに並んでいる人たちは、ナスル宮殿への入場を待っています。
この辺りで 夫のために オーディオ・ガイドを借りました。返却は 翌日でいいとのこと。 -
アルハンブラ宮殿への出入りは タクシー利用なので、外の様子を全く見ずじまい、というのも悔しいので 裁きの門から外へ出て城壁外へ。
車両の門までの間を軽く歩いてみました。 -
見事な植栽。
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お土産屋さんで フラメンコや闘牛の絵画を覗き見。
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ホテルの入り口のすぐ向こう側が ヘネラリフェへの入り口です。
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パラドールの内部。
見るからに雰囲気があるので、何人もの観光客が 中に入って 写真を撮っていました。
そんな中を、宿泊客です、と自由に出入りするのは ちょっと優越感を味わった瞬間。庶民ですねえ。 -
部屋に戻って あちこち扉を開けていると、ポットがこんなところに。
水が2本無料サービスということでした。 -
20:24
ナイト・ツアーまでの間に 夕食を済ませなくては。
外のテラスで軽食を、と思っていたのですが、この時間では もうサーブできないというので、中のレストランへ。
ワインとモスト、肉料理と魚料理のアラカルト。50ユーロの支払い。 -
21:24
外は まだこんなに明るいです。 -
22時からのナイト・ツアー。
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ナイトツアーに憧れつつも いったいどのくらいの明かりなのかと 心配していたのですが、このアラベスクの中に きれいな青の彩色を見て 感激です。
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ヘネラリフェで見た以上に 繊細な装飾。
アラビア文字も施されている? -
壁面だけでなく窓までもが アラベスク。
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ふと上を見上げると 濃紺の空が まるで天井のよう。
メスアール宮から。 -
木組みの天井が印象的なメスアールの間。
ひとくちに「ヨーロッパ」と言っても それぞれに違う歴史を経て形成された国々なので文化も少しずつ異なるのですが、違いが特に際立つのはスペイン。
スペインの歴史については、ローマ時代には その属州であったこと、コロンブス以降 南アメリカから大量の金が流入したことで 世界に名だたる帝国をなしたこと、無敵艦隊が英国艦隊に敗れてからは 没落の一途を辿ったこと、くらいしか知りませんでした。 -
スペインの各都市を回るにあたって スペインの歴史について ムクムクと興味が湧いてきました。
中世のイベリア半島を舞台に起きた イスラム教とキリスト教の戦いの歴史の中でスペインの特異性が生まれました。
ローマ帝国が繁栄した時代、イベリア半島も属州「ヒスパニア」としてその支配下に置かれます。1世紀にはキリスト教国に。 -
ローマ帝国が衰退すると、ゲルマン系の西ゴート王国の支配下に移ります。
イベリア半島は6世紀から100年ほどかけて統一され、引き続きキリスト教文化が繁栄します。 -
ところが、西ゴート王国の王政は安定せず、王の暗殺や内戦が相次ぎ王権が弱体化していました。
そんな中、現在の中東・北アフリカ地域に勢力を広げるイスラム国家・ウマイヤ朝の手がイベリア半島に伸びます。最初の襲撃は710年のこと。
支配力の弱い西ゴート王国はたちまち苦境に陥り、翌年には国王が戦死し、軍も壊滅します。 -
星をイメージした天井装飾が多いのは、砂漠の民の歴史から?
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そして、ウマイヤ朝は征服した土地の統治を始めます。ウマイヤ朝はイスラム教への改宗を強制せず、高額の税金を納めればキリスト教信仰を維持できました。
実際には かなり過酷な制度だったようですが。
それでも、イベリア半島に住むキリスト教徒による反乱や ヨーロッパのほかのキリスト教国からの侵攻が相次ぎました。これらの動きは「レコンキスタ」と呼ばれ、800年近くにわたりました。 -
街の夜景も望めました。
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夜のライトに照らされた 二姉妹の間は、幻想的です。
その後 シリアで続いていたウマイヤ朝が革命で倒されアッバース朝に。
カリフの座を追われたウマイヤ家の血を引く王子がスペインに逃げてきて コルドバを首都にして 後期ウマイヤ朝が隆盛を極めます。その時に作られたイスラム寺院がメスキータです。 -
後ウマイヤ朝の末期には、イベリア半島のイスラム勢力は分裂し、キリスト教勢力が北部から侵攻を進めていました。
1031年に後ウマイヤ朝が滅亡すると、多くのキリスト教国とイスラム教国が乱立し、1110年にはイスラム国家・ムラービト朝が南部を再統一するなど一進一退の状況が続きました。 -
こうした混沌とした状況に変化が訪れるのは13世紀にさしかかってからのこと。ローマ教皇の呼びかけによりキリスト教連合軍(十字軍)が形成されたのです。
十字軍はムラービト朝の後継者・ムワッヒド朝を弱体化させることに成功し、1251年には敵対的なイスラム勢力をイベリア半島から撤退させることができました。 -
残るはキリスト教最大勢力・カスティーリャ王国の支配下にあった ナスル朝のみとなりました。
ナスル朝は ムワッヒド朝が弱体化した13世紀初頭にグラナダに都を置き、アルハンブラ宮殿を築きました。 -
イスラムの最後の砦となったグラナダ王国。
カスティーリア王国に高額の税金を払う立場を取りながら アルハンブラ宮殿で千一夜物語を繰り広げていたのです。
1479年に カスティーリャ王国を中心にキリスト教諸国が統合されて誕生したスペイン王国が、1492年ついにナスル朝を陥落させ、レコンキスタが終結します。 -
800年近くにわたりイスラム教とキリスト教の勢力が拮抗したイベリア半島では、一方で両者の文化交流も盛んとなり、結果としてスペインに独特の文化をもたらすこととなりました。
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夜の ライオンの中庭。
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例えば、スペイン語には4000を超えるアラビア語由来の言葉があるとされ、半島南部に行くにつれその数は増えるとも言われています。
地名にもイスラム王朝やアラビア語由来のものが多く見られます。 -
また、フラメンコに使われる音楽も北アフリカの伝統音楽の影響を受けていると言われています。
さらに、料理においても中東・北アフリカで多く用いられるサフランやひよこ豆を取り入れているのもイスラム文化の影響です。 -
中世の大部分を イスラム王朝の支配下で過ごしたイベリア半島。それは800年にわたるキリスト教勢力との戦いの歴史でもありますが、イスラム王朝による支配が終わった時に 独特のスペイン文化が花開いたのでしょう。
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鐘乳石飾りの装飾が施されている星型の天井は アベンセラッヘスの間。
イベリア半島におけるイスラム教徒の栄枯盛衰の象徴とも言うべきアルハンブラ宮殿ですが、19世紀にアメリカの作家ワシントン・アービングがナスル宮の一室で執筆していた当時は、勝手に貧しい人々が居つく廃墟同然でした。
しかし、彼が1832年に旅行記『アルハンブラ物語』を発表すると、世界中にその名が広がり、多くの観光客が訪れるようになりました。二姉妹の間を出て回廊を渡ると、アービングの質素な部屋が残され、今もその記憶を残すプレートが掛けられているそうです。
二度も訪れながら 見逃していますが… -
昼間に見たアルカサバ、ヘネラリーフェ庭園から見えた 延々と続く城塞・・・
領地を守るシステムを どのように造り上げても、歴史の流れの中では無力なんですね。 -
22:52
池の水鏡に映り込んだ パルタル庭園は幻想的です。 -
24:24
バス移動が多かったので、この日は19,959歩。 -
8:00
翌朝 身支度を終えて テラスから。
シティ・ビューを楽しめたとは言い難い眺めでした。 -
パラドールのすぐ隣、という位置にある ホテル・アメリカです。
ここに宿泊しても アルハンブラ宮殿を堪能できそうです。 -
8:16
まだ行列はできていない様子。 -
8時30分の予約です。
朝一番の入場のせいか 前日に見たような行列はありません。
ナスル宮殿の手前には きれいに刈り込まれた植栽が。
遠景は アルバイシン地区。 -
ナスル宮殿への入り口です。
ナスル朝宮殿は、メスアール宮、コマレス宮、ライオン宮の三つの独立した区画から成り立ちます。現在の宮殿は、破損した部分に増改築を重ねた複合建築物となっていますが、今日でもイスラム教文化の性質が保たれています。 -
入り口を入ると まず メスアールの間。
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昨夜に引き続き 目に入る全てが驚嘆の一言で、折角用意していた地図などは無視して 順路も構わず 写真を撮りまくりです。
同じような写真ばかりが続きます。それぞれの部屋の名前なども 判別できた所だけ。 -
色とりどりのモザイクタイルで装飾された壁面。
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メスアール宮。
この部屋は、司法行政を行う政府の執務室でしたが、レコンキスタ後には礼拝堂として使用されます。キリスト教時代には、2階の欄干部分や天井など、王宮の中でも多くの改装が行われましたが、壁面のアラベスク文様で覆われているスタッコ(化粧漆喰)や、柱上部のモカラベ(鍾乳石飾り)など見どころ満載…だそう。
アリカタード(タイル細工)上部のスタッコには、アラビア語で「あなたたちが持っているもの全ては、神から生じたものである」と記されています。
この部屋からは、ナスル朝時代には、謁見許可が下りるのを待つ部屋だった黄金の間や、身分ある者からの訴えを聞く場所だったメスアールの中庭、メッカの方向に向けられた祈祷室などに通じています。 -
壁面の一部をズーム。
壁を彩るアラベスクには、木々や花々、アラビア語の詩やことば、コーランの一節が模様として刻まれています。
眩暈がしそうなくらいの 繊細な模様。 -
アラベスクが刻まれているアーチ部分は 魅惑的。
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天井と壁。
偶像崇拝を禁じられたイスラム圏では、幾何学模様や文字装飾が発展しました。 -
アラヤネスの中庭と南側柱廊。
グラナダの典型的な庭園として有名なアラヤネスの中庭。アラヤネスとは、池の両側に、四角く刈り込まれている植物の名前だそう。
これらの庭園や噴水で使われる水は、20kmも離れたシェラネバダ山脈から雪解け水をひきこんでいました。コマレス宮が「水の宮殿」とも呼ばれる所以です。
アラヤネスの中庭に面して建つコマレス宮は、王が公務の行う場でした。 -
アラヤネスの中庭と北側柱廊。背後に高さ50mのコマレスの塔がそびえています。
中庭の池は、水面に向こうのコマレス塔を映し出す「水鏡」という技法で造られています。
水鏡となった水面には、コマレス宮の塔が揺らめいています。これは、水面にコマレスの塔が映るように設計されたものだそう。 -
大理石の床、装飾タイル。
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天井の ムカルナス(乳石飾り)と呼ばれる氷柱のような装飾。
青の彩色は 昼間の方が きれいに見えました。
この後は、心惹かれるまま 行きつ戻りつしながらの写真の羅列です。 -
アラヤネスの中庭の向こうには ライオンの中庭。
少し前までは 修復中だったということなので、時期が良かったです。 -
この庭を囲むライオン宮は王の居住スペースで、王以外の男性は立ち入り禁止のハーレムだったといいます。
2階には、当時、12歳以上の女性が使用した部屋が並んでいるそう。
向こうに見える2階建が二姉妹の間 。 -
中庭には、水路が十字に走り、中央には12頭のライオンによって支えられた噴水があります。12頭のライオンの口からは水が流れ、その水は水路を通じて四方の部屋へ運ばれていきました。この噴水は水の供給だけではなく、かつては水時計の役割も担っていたといいます。
残念ながら この時には水は出ていませんでした。 -
ライオンの中庭に面して北側にある 二姉妹の間。
二姉妹の間は、部屋の中央にマカエル産の大きな二枚の大理石が敷かれていることから、そう呼ばれるようになったそうです。
奥に続くアラベスクのアーチの連続に 吸い込まれてしまいそう。
その先に見えるのは 二連アーチの窓を有するリンダラハのバルコニー。 -
二姉妹の間。
透かし細工の窓から反射する自然光に輝く 八角形の天井に施された鍾乳石飾り。
レースのような繊密な模様は ため息がでるような美しさです。 -
八角形の天井は、預言者を追手から守った巨大な蜘蛛の巣を表し、5416個もの鍾乳石飾り(モカラベ)が緻密な計算によって施されています。これは「ムカルナス」と呼ばれるイスラム建築特有のデザインで、息を呑むほど神秘的な美しさです。繊細かつ精密な技巧は宮殿随一のもの。
小さなパーツを何千個と組み合わせて細工されているそうです。 -
透かし細工の窓。
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この部屋は、イスラム教の預言者ムハンマドが弾圧から逃れて籠った洞窟を表して造られているのだとか。
採光や通風に配慮した構造は 暑い地域の宮殿建築としてピッタリ。 -
リンダラハのバルコニーの北側は、リンダラハの庭園の上に突き出た美しい二連アーチの窓になっています
天井にはカラフルなステンドグラスがはめ込まれています。イスラム時代には、多くの天井にはめこまれていたというステンドグラス。その大きさと彩色の豊かさで、訪れる者の度肝をぬいていたようですが、今日残されているのはこの天井だけ…。残念なことに すっかり見逃していました。
バルコニーからは坪庭のようなリンダラハの中庭が見渡せます。囚われの身のリンダラハがお気に入りだったことからこの名がついているのだとか。 -
この庭園の向こう側に立つ レコンキスタ後の回廊がなかった頃は、ここから城壁越しに市街地が一望できたそうです。リンダラハの中庭は、カルロス5世の新婚旅行を兼ねたアルハンブラ訪問に合わせて、1526年に行われた改築工事の結果造られた中庭だそうです
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アーチから。
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二姉妹の間に引き返してきて、
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再びライオンの中庭へ。
ムハンマド5世が命じて作らせたこの中庭は、キリスト教の回廊のようにズラリと柱廊で囲まれています。柱は全部で124本。 -
ライオン宮の列柱。
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ライオンの中庭を通って、
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中庭の南側が、アベンセラッヘスの間。
天井は星型で、鐘乳石飾りの豪華な装飾が施されています。 -
クーポラから差し込む光が、星形を浮かび上がらせています。
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アベンセラッヘスとは、王に仕えた名門騎士団の名前ですが、后と騎士団の不貞を知った王が、アベンセラッヘス家の男性を打ち首にしたとされ、床にある水盤の染みは血の跡だと語り継がれています。
全く気付きませんでしたが… -
アーチの下に描かれた模様も素敵。
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再び 二姉妹の間へ。
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ステンドグラスも素敵ですが、このような透かし細工の窓も魅惑的。
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アルバイシン地区の向こうの丘に残る城壁に 諸行無常の感。
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グラナダ最古の街並みが残るアルバイシン地区は、アルハンブラ宮殿からダロ川を挟んだ対岸に位置するエリア。城塞都市として発展し、かつてはアラブ人の居住区でした。
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パティオに置かれた噴水。
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アルバイシン地区が 日に照らされ始めています。
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パティオの噴水。
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リンダラハの中庭。
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レンガの間の模様が可愛い。
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絶壁の上に立つ 塔。
自然の地形を利用していることが よく分かります。 -
ナスル宮殿を出て パルタル庭園へ。
ここはかつては、優雅な邸宅や豪華な宮殿が建ち並ぶ緑地でした。
貴婦人の塔のほか 住宅、宮殿、街路、消滅した貯水槽の名残が 至る所に。 -
パルタル庭園内の建物。
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レンガが敷き詰められた床。
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向こうにも 塔が見えています。見張りの塔でしょうか。
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パルタル庭園内の建物。
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天井は 夜空をイメージ?
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壁面のアラベスク。
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パルタル庭園内の建物の外壁。
窓は アラベスクで装飾されています。 -
窓の外も中も アラベスク。
修復されたものなのか 在りし日のままなのか? -
池に面した小さな平地に建つ貴婦人の塔。
柱廊はアラビア語でパルタル(屋根つきの柱廊)とよばれ、庭一帯がそう呼ばれるようになりました。貴婦人の塔は、前面の池とともに、この地域で唯一保存されているムハンマド3世治世の建造物であり、それゆえ昔存在した宮殿の名残りだろうと考えられています。 -
水路を静かに流れる 水の流れ。
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池に面した 東屋風の建物。
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階段状の庭園。
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水盤から流れ落ちて 池に注いでいます。
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9:34
朝一番の入場だったおかげで、ゆっくりとナスル宮殿を満喫できました。
地図で確かめると、パルタル庭園からヘネラリフェへと通じる散策路がありましたが、まだ朝食をとっていません。 -
ホテルに戻って 9:50から朝食。
期待していた以上に充実した朝食でした。朝から歩いたので しっかり食べられます。 -
10:38
朝食ルームの外に掛けられた どこかで見たことのあるお顔。 -
11:05
天井から下がったランプが素敵です。
このまま宮殿を出て 街中のホテルに移動してもよかったのですが、まだ名残惜しくて チェックアウトをした後、荷物を預けて・・・ -
11:46
もう一度 ヘネラリフェに向かいましたが・・・
アセキアの中庭に入場するまでの長いこと 長いこと。
同じ所で じっと待つのは 実際よりも 時間の経過が遅く感じます。
よほど 列を離れようかと思った頃に ようやく列が動き始めました。 -
11:57
パラドールを出て ここまでにかかった時間は 45分ほど。
同じルートを辿った前日は 25分でした。 -
二度目でもあり ナスル宮殿を見た後なので、さほどの感激はありません。
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アーチの窓から見える この光景全てが アルハンブラ宮殿なんですね。
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アルハンブラ宮殿全景。
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イスラム教徒がもたらした ザクロの木。
グラナダのシンボルはザクロ。看板や石畳、街灯、車止め等、至る所にザクロ模様が描かれているそう … 全く気付きませんでしたが。
殻がものすごく固いザクロは、一説によると、なかなか陥落しなかったグラナダ王国を表しているのだそうです。それがパックリ口をあけているのは、「鉄壁のグラナダ王国を、カトリック両王率いるキリスト教国がようやくこじ開けた」という意味があるのだとか。 -
アセキアの中庭。
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庭園の一角の噴水。
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アルハンブラ宮殿を守り切れなかった城壁。
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宮殿に水を導く水路は健在です。
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12:14
アセキアの中庭から。 -
アルハンブラ宮殿を彩る薔薇。
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12:33
夫が借りたオーディオガイドを返しにいきます。人があふれかえっています。 -
グラナダで有名だといわれる 寄木細工の品々。
思い出に一つ、という誘惑を断ち切って カメラに収めました。
この後 グラナダの街へ移動します。
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この旅行記へのコメント (3)
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- ヴェラnonnaさん 2019/10/16 14:15:06
- やはり 素晴らしい世界遺産ですね!
- クッキーさん
こんにちは
素晴らしい写真の数々と
説明文!
南スペインは
コルドバまで 行きましたが、
アルハンブラは、 何度も計画しては、
後回しになっています。
一度は、行くべきだな、と
改めて 思いました。
無限を表す
アラベスク文様
繊細で 力強い 自然の表現!
アラビア文字自体が
異文化の者にとっては
素晴らしい装飾だと
感じます。
ムスリムの 宇宙観に、感嘆させらました。
沢山の
お写真、楽しませていただきました。
ヴェラnonna
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- しにあの旅人さん 2018/12/15 18:55:03
- こんばんは
- ブラボーの一言です。
- クッキーさん からの返信 2019/01/30 14:38:42
- RE: こんばんは
- こんにちは、シニアの旅人さん
お褒めいただいて光栄です。
夫の定年退職を機に ヨーロッパ各地を旅行して回るつもりでいるのですが、体力と気力がいつまで続くか心配です。
シニアの旅人さんのような方がいらっしゃると、励みになります。
クッキー
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