2018/06/02 - 2018/06/02
5位(同エリア107件中)
クッキーさん
サラマンカは 南のセビージャから北の港町ヒホンまでの全長800kmにおよぶ「銀の道」の街道沿いの街として発展してきました。
ローマ帝国時代にイベリア半島を支配していたローマ人によって造られた道は軍用道路として使われ また スペイン北部で採掘された金・銀、そしてワイン・農産物をローマへの玄関口であったセビージャの港へ運ぶ交易道路として使われたのです。
さらに この銀の道はスペイン国内での巡礼の道でもあるのです。
旧市街地全体が1つの世界遺産として登録されており スペイン最古の大学のある街は活気があります。
そんな旧市街の街歩きを楽しんできました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2泊3日分の renfeチケットの束。
サラマンカ行きのバスは南バスターミナルから出ています。早朝の移動なので アトーチャ駅の近くにあるホテルからバスターミナルへは タクシーで行かなければいけません。
ALSAのバスチケットを窓口で買うことなどを考えた結果、Renfeでの移動に決めました。 -
メトロでアトーチャ駅7:40発、チャマルティン駅には8:10頃着。
メトロ駅からrenfe駅への移動が分からなくて、観光客らしきカップルに訊ねたら親切にも誘導してくれました。
メトロ駅から一旦右へ出て、外付けのエスカレーターでホームへ。 -
8:35頃にホームが表示されました。
-
この列車ALVIAでサマルカンドに向かいます。
-
チャマルティン駅8:55発。
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サラマンカ10:31着。
想像以上に大きな駅です。 -
サラマンカ駅。
降りてきた 数少ない乗客のほとんどは いつの間にかどこかに消えていき、残った観光客は数人という状況。
街まではタクシーで行くつもりでしたが、タクシーは1台も停まっておらず、タクシーの表示のある所には 電話で呼ぶように、という記載のみ。
誰かに電話してもらうことも考えながら しばらく佇んでいたら 1台のタクシーがやってきました。 -
タクシーでマヨール広場へ。5分程で4ユーロでした。
想像していた以上に大きな広場です。 -
マヨール広場は 旧市街の核で、スペインで最も優雅な公共空間のひとつ。18世紀中ごろ約26年かけて建造され、スペイン・バロックであるチュリゲラ様式の創始者が設計したものです。
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マヨール広場では古くからさまざまなイベントが催され、中世には闘牛や魔女の火あぶりが行われたこともありますが、現在はパレードやミュージックダンスなど平和的な行事が行われます。
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アーチの間に架かっているレリーフは、スペイン王家、スペインの歴史に名を遺した有名人、新大陸に赴いた人々などのもの。
レリーフよりも アーチの向こうにはどんな通りが延びているのか 興味をそそられます。 -
右端が 時計台がある市庁舎。
南側の建物の壁には、フェリペ5世の胸像のレリーフ。 -
日の当たり方に違いがあるせいか 建物の色合いが 場所によって異なっています。
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市庁舎の壁面をズーム。
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人待ち顔のオープンカフェを横目に こちら側から広場の外へ。
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カトリック教会 lglesia de San Martin de Tours の前に開けた場所はコリージョ広場というのだそうです。
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マヨール広場のすぐ外にも広場なのね。
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メレンデス通り。
グーグルマップで見てみると この先に見えているのがサラマンカ大学でしたが、この時には そんなこととは知らず。 -
右折して行き当たった建物は 修道院 Convento de la Mardre de Dios 。
中世の趣のある プラド通りを行きます。 -
壁面が一瞬 バルコニーに見えました。
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この通りを歩いてきて正解だったかも。
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一つ一つの建物の装飾に反応します。
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ラ・コンパニア通り。
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ラ・コンパニア通り。
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この建物の入口上部の装飾もすごいです。
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ラ・コンパニア通り。
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貝の家がようやく見つかりました。
15世紀の建築物で ゴシックとルネサンスの折衷様式だそうです。
名称の由来は 見てわかるように、玄関や外壁に装飾されている帆立貝によるもので、壁にはおよそ400個の帆立貝が装飾されているそうです。
邸宅の窓は、イザベル様式といわれる細密な彫刻が施されています。 -
巡礼者を守るサンテイアゴ騎士団のドン・ロドーリーゴの館と推測されているそうですが、現在は図書館として使われています。
中に入っていく観光客を見かけたので 一緒に入っていきました。
中は二層の回廊があり、アラブの影響を強く受けた装飾が施されています。
今は図書館として使われています。 -
一階の中庭から。
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二階の回廊。
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向かい側にある建物の 上部が良く見えます。
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回廊の端にある紋章。
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階段の彫像。
手摺も見応えがあります。 -
マヨ-ル通りとコンパニア通りの交差点辺り。
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lglesia del Espirty Santo
カトリック教会か神学校? -
マヨ-ル通りとコンパニア通りの交差点に位置する辺りの建築物群です。
左奥がポンティ・フィシア・デ・サラマンカ大学。
左手前にはカトリック教会 lglesia del Espirty Santo。
そして 貝の家。 -
貝の家。
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アンティアグ通りに面した小さい広場には Monumento al Maestro Salinasの像。
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ルア・マヨール。
通りに面した建物は古都の趣。 -
通りの向こうに見えるドームのある塔。
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建物ウォッチング。
セゴビアでよく見た エスグラフィアドの彫刻壁のような模様が見て取れます。 -
この日は もう一度移動があるので、サラマンカの見どころを探しましょう。
さて サラマンカ大学はいずこに? -
どこをどう歩いたのか いつの間にか 像が建つ中庭のような一角に辿り着きました。
フライ・ルイス・レオン?の像。 -
サラマンカ大学のようです。
が、実のところ どこからどこまでが大学の建物なのか さっぱりわからないほど。 -
ツアーらしい観光客の一団が 何か説明を受けています。ここがサラマンカ大学に違いありません。
サラマンカ大学は 13世紀に、賢王アルフォンソ十世により設営されました。
15~16世紀のスペイン黄金時代にはヨーロッパの大学のリーダー的役割を果たします。この頃フライ・ルイス・レオン(広場に像)の指導のもと、中庭、正面などが美しく改築されています。 -
1534年に造られたファサードは、プラテレスコ様式の傑作。
プラテレスコ様式とは スペインのルネサンス建築の様式の1つで、イスラム寺院などに見られる細かな装飾が受け継がれて生み出された独自の装飾様式のことで 最も美しい作例としてサラマンカ大学のファサードが挙げられます。
プラテレスコ様式は別名銀細工士様式と呼ばれ、浅浮彫の植物模様やメダイヨン(円形や楕円形の模様)が特徴なのだとか。
3段に分かれた彫刻の下段は イサベル女王とアラゴン王フエルナンド2世のレリーフ、中段はカルロス5世、カトリック両王そして国家の紋章、上段はローマ法王と僧侶たちのレリーフに囲まれたビーナスとヘラクレス像。 -
ファサードの中に骸骨の頭の上に蛙が乗っかっていて 見つけたら幸せになれるといわれているそう。
観光客が指さす方を凝視すると・・・
骸骨の上のカエルを見つけられました。左側中央辺りです。
でも、どうして骸骨の上なんでしょうね。
ドクロは若くしてなくなった王の子供、カエルはその治療にあたった医師をあらわすとする説もあるとか。 -
門をくぐって すぐ左手にチケット購入場所がありました。
シニア料金で半額になり 一人5ユーロでした。 -
パンフレットが あったのかなかったのか・・
それぞれの部屋は 現役の講義室です。
壁面は石造りのようで 趣があります。
大学は石造りで、冬は寒かったので壁や天井に木の板を張り付けて放熱を防いでいたのだとか。 -
当時のままの姿を残す講義室。現在は講義には使われていないそうです。
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とても大学とは思えないような内装です。
セルバンテスやコロンブスもここで学んだそう。 -
いずれかの部屋の天井画だったでしょうか。
知の巨人のよう。 -
展示室?
現在、私たちが日常的に使っている暦をグレゴリオ暦といいますが、それもここサラマンカ大学で作りだされました。 -
サラマンカ大学の中庭。
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中庭から。
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礼拝堂?は17世紀のバロック様式。
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講義室から。
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重厚な扉。
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石造りの階段。
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図書室には16~18世紀の本が4万冊ほど。
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二階の廊下はムデハル様式。
入口周りには 繊細な彫り物装飾が施されています。 -
回廊の天井。
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二階の回廊から。
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重厚な扉の文様。
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いずれかの部屋の展示物の中にあった 世界地図各種。
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大航海時代を先駆けたスペインならではの地図です。
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南アメリカ大陸の姿が より現在の姿に近づいています。
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サラマンカ大学を出て。
リブレロス通り沿いの建物の 紋章に見惚れます。 -
建物に囲まれた一角に立つ銅像。
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地図を見ると カテドラルのようです。
サラマンカ大学のファサードと同様、プラテレスコ様式の装飾のようです。
レコンキスタの後でも イスラム建築の影響がしっかり残されているのですね。 -
入口は こちらかな?
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カテドラルに入る前に 夫が 一服休憩をリクエスト。
アナヤ広場から。
プチ・トランが客待ち中。 -
カフェビールなら付き合いますが・・・
待っている間 アナヤ広場辺りでフォト三昧。 -
アナヤ広場に面する Anaya Palace。
親子連れが集まっています。 -
こちらのおじさんが 子供たちに芸を披露していました。
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アナヤ広場は 最初の学寮(Colegi Mayor)創設者であるドン・ディエゴ・デ・アナヤの名がつけられた広場です。
後ろにある 左手の建物が 新カテドラル。 -
アナヤ広場。
プチトランは もうじき出発のよう。 -
アナヤ広場から。
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新カテドラルは 旧カテドラルの北側に16~18世紀に建設されたプラテレスコ、バロック様式の建物。
ドームはホセ・ベニート・チュリゲラの作だそう。ロマネスク様式の旧大聖堂が手狭になったため、16世から18世紀まで220年かけて建築されたもの。 -
パイプオルガンは大迫力で迫ってきます。
パイプオルガンはスペイン様式。このオルガンは日本とゆかりのあるものらしく、修理に現在のあきひと天皇陛下が関係していたそうです。 -
天井は高く 荘厳。
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マリア像。
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単純化されたキリスト像に比べて、柱の装飾は過剰気味。
大航海時代に アメリカからもたらされた大量の富の蓄積でしょうか。 -
こちらも装飾過多。
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美しい天井装飾に引き込まれそう。
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聖歌隊席の彫り物。
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その上にもパイプオルガン。
多くの天使像が。 -
何が描かれているのか分かりませんが 装飾が過剰で圧倒されます。
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新カテドラルと旧カテドラルは 中でひとつながりになっています。
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ここからが 旧カテドラルだったように思うのですが。
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見所はこの主祭壇。
祭壇の絵は、1445年 ニコラス・フロレンティーノの作。
マリアとキリストの生涯53場面が描かれており 物語は左下のマリア誕生から始まり、右へ進み、上の段の左に戻り、続いていくそうです。 -
旧カテドラルは 13世紀に建てられたロマネスク、ゴシック様式。
礼拝堂には14世紀、15世紀、17世紀のフレスコ画が混在しているそうです。 -
薄暗いながら 凛とした雰囲気。
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キリスト像。
こちらのシンプルさの方が 宗教的な厳かさを感じます。
12世紀の建造ですから まだ大航海時代の富の流入が始まっていない証なのでしょう。 -
主祭壇の前では 結婚式が執り行われていました。
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結婚式の参列者の方々を取り巻く観光客の列の合間から 辛うじてこの一枚。
主祭壇の天井に描かれているのは 最後の審判です。 -
多くの見学者に見守られながらも 厳かです。
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旧カテドラル内。
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フレスコ画。
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旧カテドラル内。
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旧カテドラル内。
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旧カテドラル内の祭壇。
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旧カテドラル内。
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フレスコ画。
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フレスコ画。
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素朴な彩色が好ましい マリア像。
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旧カテドラル内。
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旧カテドラルを出た辺りの広場。
屋根上に上がれるという入口があったようなのですが すっかり忘れていました。 -
先程の新郎新婦が乗る車でしょうね。
観光客の注目を浴びていました。 -
またまた一服タイムです。
待っている間に、新カテドラルの北門ファサードへ。見残したものがあるのです。
北側入り口は「ヤシの門」、ファサードの彫刻はプラテレスコ様式。
イエスがエルサレムに入場するレリーフが飾られています。この時人々は衣服やヤシの葉を道に敷いてイエスを歓迎したということです。
-
ファサードの装飾彫刻に刻まれた 宇宙飛行士の像を見つけました。
なぜ何百年も前に建てられたカテドラルに宇宙飛行士が刻まれているのかというと・・・
実は、新カテドラルの石材はもろく、オリジナルの装飾が風雨に削られ失われていたので、1992年の大規模修繕時に彫刻も新しく刻まれたのです。宇宙飛行士は現代の作品なのです。
カテドラルの装飾に宇宙飛行士を刻むなんて、スペイン人はなかなかお茶目なようですが、実は 修復した時期が分かるという実用的な意味もあるのだそうです。 -
ソフトクリームを持つドラゴンがこちらです。
サラマンカの人気の撮影スポットになっているらしく、観光客がみんな写真を撮っていきます。 -
アナヤ広場では 小さな子供たちが ゲームに興じていました。
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この日は土曜日なので 何かのイベントがあったのでしょうか。
日本のお祭りによく見られる屋台ではなく 手作り風のおもちゃで遊ぶ姿が新鮮でした。 -
この後 アビラまで移動する予定なので 最後にローマ橋まで。
同じような建造物が集中しているので 建物を見ても どれがどれやら分からないままの散策でした。 -
通りのマンホールの蓋には、サラマンカ市の紋章がつけられています。
-
サラマンカの南側を流れるトルメス川に架かる ローマ帝国が建設した重厚な橋がローマ橋。立派な石造りの橋げたは セゴビアの水道橋を思い起こさせます。
スペインの観光コースでよく目にする「銀の道」。
銀の道とはアンダルシア州のセビージャからアストゥリアス州のヒホンまで南北に貫くローマ時代に造られた全長816kmの街道のことで、スペイン語で Via de la Plata 銀の道と呼ばれています。
大航海時代に アメリカから運ばれてきた銀の輸送ルートのことだとばかり思い込んでいました。 -
ローマ帝国時代にイベリア半島を支配していたローマ人は軍用道路として使い、また スペイン北部で採掘された金・銀、そしてワイン・農産物をローマへの玄関口であったセビージャの港へ運ぶ交易道路として使用しました。
ローマ人の撤退後は、西ゴート族やイスラム教徒の支配下に入りましたが、この銀の道を主要道路として使いました。
だから、この街道沿いにはローマ遺跡などの歴史遺産が数多く残っており、サラマンカにもローマ橋があるわけです。
「すべての道はローマに通ず」という名文句がありますが、ここから遠くローマまで約2000kmの街道が通じていたの? -
ローマ橋からサラマンカの街並みを見上げます。
歴史ある町並みは、1988年に「サラマンカの旧市街」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
このローマ橋の対岸に見える景観すべてが指定地域です。中央のひときわ高い建物が16~18世紀にかけて建設された新カテドラル。
木々が生い茂っていて 期待したような写真は撮れません。
橋を ずっと対岸まで歩いていけばいいのかもしれませんが もうあまり歩きたくな~い。 -
川沿いの土手は 爽やかな遊歩道になっています。
19世紀までは川に架かる唯一の橋でした。建設から2000年経った現在も、歩行者用の橋として使われています。
石組みの様子は サラゴサの水道橋を思い出させます。
ローマの高度な土木技術に感嘆しきりです。 -
道路脇のペロリーリョ。
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坂道を上がって 再び街の中心地へ。
下りる時には さほど思いませんでしたが、上がるとなると その勾配に音を上げそうでした。 -
結婚式はもう終わったようで 式の参列者の皆さんが教会の外で 新郎新婦を待ち構えていますね。
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サラマンカのマンホールを もう一枚。
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14:30
マヨール広場に戻り、どこでランチにしようかと迷いましたが、結局 マヨール広場の手前のコリージョ広場のカフェでランチ。
歩き回った後のカフェビールが美味しい。
夫の注文は モストです。 -
食事をしたのは 多分このお店です。
オープンカフェがいくつも並んでいるので このテーブルはこのお店、と どう連動しているのか よく分からないですね。 -
こちらが肉料理なので、
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こちらは魚料理のはず。
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サラダは 生野菜がたっぷり。
ランチは トータルで23.4ユーロでした。 -
再びマヨール広場へ。
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マヨール広場のオープンカフェで寛ぐ人々。
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アーチ部分にも紋章。
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まだ時間があるので マヨール広場の辺りをブラブラ。
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普通の建物にも立派なファサード。
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見所、ではない こうした街歩きが大好き。
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青空が広がって 街歩きも気持ちがいい。
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青空を遮る 一本の電線もありません。
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色合いも 窓のアーチも素敵です。
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マヨール広場への入口は 何か所もあります。
マヨール広場を出て南へ向かうと マヨール広場に関連した記念像があります。
座っているのはマヨール広場を設計したアルベルト・チュリゲラの像で、見守っているのは当時のサラマンカ市長だそうですが、これだけマヨール広場辺りを歩きながら 見つけられませんでした。 -
強い日差しの中で 広場に面した建物の色合いが明るくなったような気がします。
これらの建物は、微量の酸化鉄を含んでいる石材で造られているため、夕日を浴びると金色に美しく輝くそうです。そのため、サラマンカは、「黄金の都市」と呼ばれてきました。 -
夕刻と夜のライトアップが見られなかったのは 少し残念な気もしますが、これだけの色合いが見られたので十分です。
-
5時間の滞在を満喫しました。
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タクシー乗り場は 広場のすぐ外にありました。
駅まではやはり4ユーロでした。 -
駅構内は だだっ広いのに 構内で待つ乗客は少なく、気の利いたカフェもなく キオスクのような売店がいくつかあるだけでした。
おいしそうなナッツ類が売られていたので、 おやつとして買い求めました。
サラマンカ16:44発。 -
車窓から。
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きれいに耕された畑。
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車窓から。
どうということはない風景ですが 確かな旅の記憶です。 -
線路沿いの駅舎が 次々に 現れては消えていきます。
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MDだから 各駅停車だったのかな。
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車窓から。
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どの駅舎も 可愛らしい趣。
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アビラまで あと10分余り。
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