2018/06/01 - 2018/06/01
36位(同エリア365件中)
クッキーさん
早朝にサラゴサを出てマドリードへ。ホテルに荷物を預けた後、すぐにメトロでモンクロア駅に行き、バスでセゴビアに向かいました。
世界遺産都市・セゴビアのローマ水道橋、旧市街散策、アルカサルを満喫しましたが、同時に シニアの体力の限界も思い知ったショート・トリップとなりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
メトロでアトーチャ駅からモンクロア駅へ。
アトーチャ駅では 自販機でT-10チケットを購入。もたもたしていたら、改札の近くにいた駅員さんが手伝ってくれました。
モンクロア駅構内をウロウロして、ようやく この緑の窓口を見つけました。 -
ほっとしたのもつかの間、時間的には10:00のバスチケットを購入できるはずでしたが、どうもsold outのようで、10:45のチケットになりました。
チケットはレシートタイプで往復14.46ユーロです。 -
30分余りの待ち時間です。
構内には何もなさそうなので、駅の外に出てみました。ベンチに腰掛けて一休みしていると、どこからともなく 賑やかな音楽が聞こえてきました。 -
空軍本部だそうです。
-
こちらは勝利の門。
-
そろそろ時間になったので エスカレーターでバス乗り場のある上階へ上がります。
ちゃんとSEGOVIAと書かれていますよ。 -
上階にはセゴビア行きのバス以外にも多くのバスが発着します。
セゴビア行きは9番プラットフォームから発着。 -
12時前にバスがここで停まり、何人かが降りて行きました。
どうして全員が降りないのかなあ、と 違和感があったのですが、つい、降りてしまいました。 -
バス停で降りて しばらく歩くと水道橋が見えると聞いていたのに・・・
どうやら早く降りすぎたようです。
方向は間違えていないはず、分かれ道の所では 通りがかりの人に訊ねて ひたすら歩きました。 -
結局 20分余り歩いて 本来降りるべきバスターミナルに着きました。
建物の1階にあるラ・セプルベダーナ社の窓口。
「往復切符を持っている場合は 帰りの便の時間予約が必要で、セゴビアに到着した時点で予約しておくのがお勧め」というアドバイスに従って、 -
帰りのバスを予約しておきました。当初の予定通り、17:15発のバスです。
セゴビアでの観光時間は5時間になりましたが、たぶん大丈夫なはず。 -
安心して 水道橋を目指します。
丸っこい外観の建物は サン・ミリャン教会。
「ロマネスク教会の教科書」と呼ばれているほど、典型的なロマネスク様式だそうです。ロマネスク建築の特徴である厚い壁、半円アーチの小さな窓や戸口、内部の太い柱などが見られます。 -
フェルナンデス・ラドンレ通り。
シンプルな外観のサンクレメンテ教会。 -
通りを歩いていくと 徐々に 目の前に水道橋が現れてきました。
圧倒的なスケールでそそり立っています。
写真は 我ながら あきれるほど多く撮ったのですが、帰り際の青空の中での写真を残したので 旅行記の後半は 水道橋のオンパレードになりました。 -
アソゲホ広場の水道橋の脇にはインフォメーションがあり、日本語の観光マップをもらえます。
階段の上の方では 水道橋が城壁にぶつかっていますが、城壁の向こう側にも続きます。後で この階段を上がっていくつもり。 -
インフォメーションの中にある街の模型。
水道橋の様子がよく分かります。
15km以上離れたアセベダ川の水を町まで引くために、紀元前1世紀前後に建造された水道橋の全長は 728mに及びます。
街の構造は、ちょっと船の形にも似ていますね。水道橋からお城までおよそ1.5kmほどだそう。 -
もう12時を回っていますし、まだ朝ごはんも食べていないので、観光の前に腹ごしらえ。
優雅に水道橋を眺められる こちらのお店でランチです。
もちろんカフェビールとモスト。 -
メニューに写真があったので 注文も楽です。
店内のカウンターで注文し、名前を告げて席で待つと 店内から名前が呼ばれるので受け取りに行く仕組みです。
マックのサイドメニューみたいな品々。 -
エネルギーもチャージできたので いざ街歩き開始。
ツーリングのグループが元気よく駆け上がっていく方向が 本来の観光ルートのようですが・・・ -
インフォメーション脇の階段を上がっていきます。
壁面の模様が素敵ですね。
「エスグラフィアド」という技法だそうです。 -
この蛇口は現役なんでしょうか?
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階段を上がっていく途中。
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水道橋が すぐ脇に。
ローマ水道橋は 接合材を一切使わず、花こう岩を積み上げただけでできています。石だけで支え合っている巨大な建造物です。 -
アソゲホ広場の反対側に見えるのはアルティジェリエ広場。水道橋が折れ曲がっています。
積み石の技術や この高さ、そして地形にフィットした曲線。18キロ先から水が流れてくるように、上部は微妙に傾斜しているそうです。
人間わざとは思えない技術の高さから、別名「悪魔の水道橋」とも呼ばれています。毎朝遠くまで水くみに行っていた少女が、悪魔と契約して一晩で街まで水道橋を作ってもらったとか。
水を通していた最上部は見ることができませんが、今でもこの中を水道管が通っているのだそうです。 -
城壁の上の展望台からは 水道橋の上部が見られます。
15世紀、イサベルがカスティーリャ王国の女王に即位すると、まずセゴビアで手に付けたのは水道橋の修復でした。保存状態の悪かった36のアーチと水道橋上部の水を通す溝部分の修復を命じました。上部、石の質が違う(小石を集めてセメントで固めてある)のが分かりますが、そこがイサベル女王時代に修復取り付けされた部分です。 -
展望台から。背後の丘陵地帯。
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こちらは旧市街側。
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傍らに見つけた 何か水道橋関連のもの?
-
歩いてきた方を振り返って。
右が城壁で、左は水道橋です。アーチ部分はほとんどなくなっています。 -
オビスポ・ガンダセグイ通り。
興味をそそられる石塀が続いています。この通りを行くと、本来の王道であるファン・ブラボ通りに出るはずなのですが・・ -
エウロヒオ・マルティンイゲラ通り。
この特徴的な壁面は エスグラフィアドというもの。こうした壁面を見ようと こちらの通りへと 歩いてきたのです。
エスグラフィアドとは、もともとはイスラム文化圏から伝わった左官仕上げのこと。
職人さんたちの手作りで、壁に2種類の漆喰(しっくい)を塗り重ね、炭で描いた線に沿って上の漆喰を削り取っていくことで模様が浮き上がって見える手法だそうです。
スペインでもモデルニスモ運動のころは、J・P・カダファルクなどの建物の壁面装飾によく使われていましたが、今ではバルセロナ周辺ではほとんど新たにつくられることはないそうです。
一方で ここセゴビアでは、このエスグラフィアドを地域の建築的伝統と位置づけ、古いものの保存だけでなく旧市街の新しい建物にも積極的に壁面装飾として使っているのだとか。 -
エスグラフィアドだけでなく 壁面に施された紋章も目を引きます。
実はスペインでは現在も貴族制が続いており、旧市街の中にもある貴族の館の壁にはそれぞれの家紋が施されているのだそう。 -
これもエスグラフィアドの一種でしょうか。
-
壁面の模様と 窓の周りの模様が異なっています。
-
新しそうに見えるこの建物は リノベーションされたのでしょうか。
やはり エスグラフィアド壁が施されています。 -
コンデ・デ・チェステ広場から。
13-15世紀建設の貴族の館 Casa de los Marqueses de Lozoya。
この向かいに 壁面に鎖模様があることから、Casa de las Cadenas (鎖の家)と呼ばれる建物があるのですが 撮り損ねたようです。 -
コンデ・デ・チェステ広場から。
Concerted Mother Teaching Center。 -
サン・セバスチャン広場から。
「鎖の家」の裏へ回ると、サン セバスティアン教会 。
ロマネスク様式の教会だそうです。 -
開いていた扉から。
-
マンホールに施された模様も 水道橋を模したもの。
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サン・アグスティン通りを歩いています。
Provincial Goverment of Segovia 市庁舎?の壁面にもエスグラフィアド壁。
ピンクが可愛い。 -
サン・アグスティン通り。
-
セゴビアの歴史は古く、先史の遺跡も発掘されています。
紀元前80年にはローマ帝国の支配下に入り 世界的に有名なローマ水道橋が建設されました。
それ以前にはケルト人の居住地でありました。セゴビアの名前の由来はケルト語で「セゴ」=「ビクトリー」と「ビア」=「街道」で、つまり「勝利の道」というのが最も有力な説だそうです。 -
8世紀にはイスラム教徒に征服されましたが、11世紀にキリスト教徒が奪還したため ヨーロッパの各種文化の混在しています。
また 一時期には ユダヤ教徒にも寛容だったので、その特徴も見られます。
1474年12月、トラスタマラ朝の「イザベル・カトリカ」がセゴビア・アルカサル城で戴冠し、セゴビアが名実ともにスペインの中心地となりました。イザベルは名前の由来であるキリスト教・カトリック女王としてイベリア半島からイスラム教徒の放逐に大きく貢献しまた。
サン・ファクンド通りを歩いています。 -
その功績を讃えられ、セゴビアはスペインの中心として大きく発展しました。中心産業は羊毛織物業で特に“メスタ”と呼ばれる羊毛業の商人ギルドを中心に全国的に展開されました。
セゴビアでは羊毛業だけでなく、スペインに先駆けて印刷業や硬貨鋳造設備、またセラミック・ガラス工業などが発展しました。
壁面の模様は 単純で幾何学的。イスラム文化の影響が色濃く残っているのでしょうか。 -
サン・ファクンド通りの先には エスグラフィアド壁の建物が見られなさそうだったので、ドクトール・ラグナ広場を左折しました。
こちらの塔も エスグラフィアド壁が施されています。
塔の前にある小さな広場にも名前が付けられており ロス・ウェルトス広場というそうです。 -
どう歩いてきたのか ゴベルナドール・リャセラ通りへ。
エスグラフィアド壁と紋章。
その奥にあるのは おそらく Museum of Contemporary Art の建物。
ということは 正面の建物は エンリケ4世の宮殿の一部かもしれません。修復したら、現存する近代美術館の一部になる予定なのだとか。 -
この壁面には はエスグラフィアド壁と言えるほどの凹凸が見られません。
-
地図を見ながら歩いているつもりですが、やはり半分は迷子状態。
サン・マルティン広場のようです。 -
サン・マルティン広場から階段を下りていくとメディナ デル カンポ広場。
銅像は16世紀の貴族・軍人 Juan Bravo フアン ブラボ。16世紀に起こったコムネロマの乱の英雄だそうです。
スペインの歴史は 全くと言っていいほど分かりませんが・・・
後ろの塔は14世紀建築の Torreon de Lozoya (ロソーヤ塔)。
サン・マルティン広場には 16世紀の 今でいう農業組合長フアン・ブラボー(Juan Bravo)の像があります。 -
当然 これはサン・マルティン教会でしょうね。
アーチの回廊と美しいレリーフの列柱が特徴的なロマネスク様式・・だそうです。 -
教会前のファン・ブラボ通りにもエスグラフィアド装飾の建物が見られます。
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エスグラフィアド壁。
窓の上には紋章が見られます。 -
コルプス広場の奥の建物の壁面もエスグラフィアド装飾。
右の通りの奥が マヨール広場のようです。
左の通りの先が ユダヤ人街だったかもしれません。 -
旧市街の中心マヨール広場に出ました。
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カテドラルや時計塔のある市庁舎、レストラン、土産物屋などに囲まれた憩いの広場は すっきりした印象。
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カテドラル。スカートを広げたような気品のある姿から「大聖堂の貴婦人」とも呼ばれているそうです。
16~18世紀に作られた後期ゴシック様式の堂々たる大聖堂です。
カテドラルは この時閉まっていたようで 帰りに訪れようかな と思いつつ、外観のみで素通りしてしまいました。 -
アルカサルへとマルケス・デル・アルコ通りを下ります。
通りには 水道橋からひかれた水路がこの下にあるというブロンズの目印がいくつもあるそうですが、建物の壁面ばかりを見ていたせいで、一つも見つけられませんでした。マヨール広場にもあるというので 写真を見直してみましたが残念ながら見つかりませんでした。
綺麗なアーチ部分の水道橋のみでなく、セゴビア旧市街の道路の下にも水道が通り、そのゴールがアルカサルになっているわけです。 -
折角もらった日本語パンフレットなのに しっかり見ればよかったと後悔しきりです。
それにしても ついつい目がいくのは建物の壁面。 -
土産物店には目もくれず ひたすら建物ウォッチングの街歩き。
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メルセー広場の先にあるのは サン・アンドレス教会。
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エスグラフィアド装飾の建物は 次々に現れます。
壁の色は 二層に塗り付けたモルタルの下の層に着色してあって、一層目を削り落とすことで表に現れてくるのだとか。
職人技ですね。
セゴビア中の壁のパターンを集めたら,それだけで一冊の本ができそうです。 -
ようやく旧市街の端、崖の先端にあるアルカサルにやってきました。
中に入る前に その前の広場から俯瞰。
北はエレスマ川沿いの景色です。 -
城の先端方向、北西の景色です。
中央に見える教会は 13世紀にテンプル騎士団が建てたラ・ベラ・クルス教会です。丘の上に見えるのはサマラマラの町。 -
立派な門扉が迎えてくれます。
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中庭から街を振り返ると セゴビアが城壁に囲まれた街であることがよくわかります。
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アルカサルの壁全面にも「エスグラフィアド」の手法が用いられています。
白雪姫のお城のモデルになったといわれている城塞が イスラム風のお城だというのも 面白いですね。
アルカサルとは イスラム起原の「城塞」を意味する言葉で、catsleの語源にもなっているそうです。 -
アルカサルの隣に建っている建物、砲兵学校付属の王立化学研究所の中に アルカサルのチケット販売デスクがあります。
チケット料金・入場料(General Ticket)は5.5ユーロ。展望台フアン2世の塔は別途2.5ユーロ、オーディオガイドは別途3.00ユーロです。
一度入場して 足が疲れていないうちに先に塔へ上ろうとしたら、購入したチケットでは上がれないことがわかり、再びチケット売り場へ向かう羽目になりました。 -
アルカサルは11世紀に建てられた城で、カスティーリャ王国の歴代の王たちが暮らしていた場所であり、王族の生活の場がマドリード王宮に移ってからは、牢獄や王立砲術学校として使用されますが、1862年の火災で家具や天井が焼失、現在の装飾は同時代のものを持ってきて修復しているそうです。
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フェリペ2世の時代に大幅改修された中庭のパティオ。
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武器のパティオ。
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たぶん旧王宮の間(Sala del Palacio Viejo)。
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展望台のあるフアン2世の塔の上から。
アルカサルは エレスマ川とクラモレス川に囲まれた断崖絶壁に建つ城塞です。
見えているのはエレスマ川。川というより水路のような風情です。 -
カテドラルの西側のファサードや城壁が見られます。
遠くにはグアダラマ山脈?セゴビア水道橋の水源なのだとか。 -
スレート葺き屋根や塔が眼下に。
その向こうに広がるのは カスティーリャの原野といった風景。 -
塔から下りて。
順路は無視の 無手勝流見学ですから、各部屋の説明などは 間違えている部分も多いかと思いますので、参考にはなさらないように。 -
フェリペ2世と4番目の妻アナ デ アウストリアの結婚式が行われた礼拝堂。
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北側の出入り口にあたるサンティアゴ門?
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窓から見えるカスティーリャの原野。
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肖像画の下の壁面のアズレージョに目を引かれます。
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煌びやかな「諸王の広間」。
壁の上部にディスプレーされた歴代の王の彫像と、ガレー船をひっくり返したような形の天井に施された見事な装飾。
その天井は撮り損ねました。 -
歴代の各国王の彫像の下には国王の功績がそれぞれ記されています。
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15世紀の調度品が置かれている松かさの間。
天井にある松の実のモチーフは どれも異なる形状をしているそうですが、同じようにしか見えません。 -
トラスタマラ朝になってから増築されたガレー船の間は 天井がガレー船の船底に似ていることから名付けられました。
この部屋は縦長に広く、ムデハル様式の美しい 金色の木細工の天井が見事です。
両脇には甲冑が数体飾られています。 -
壁に描かれているフレスコ画は、1474年にマヨール広場で行われたイザベル1世のカスティーリャ・イ・レオン王国女王の戴冠式の様子が描かれたもの。
晴れやかな戴冠式のはずなのに 中央に描かれた女王も 周りに描かれた人々も暗い表情をしており、一瞬 幽鬼の世界を描いているのかと思ってしまいました。 -
エンリケ3世のステンドグラス。
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エンリケ3世の王妃カタリーナのステンドグラス。
王妃カタリーナはガレー船の間の建築を命じた人物だそうです。 -
トラスタマラ王朝の初代国王となるエンリケ2世。
義兄弟の国王ペドロ1世を殺害して国王に就いたことから「義兄弟殺し」、即位するにあたり味方の貴族に領地を与えたことから「恩ちょう王」と呼ばれています。ステンドグラスの左にはペドロ1世を処刑する様子、右側には息子のフアン1世が落馬して死亡するシーンが描かれています。 -
部屋の間の扉。
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アズレージョの色合いが爽やか。
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2つの玉座と中央にカトリック両王の紋章が描かれる玉座の間。
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木を見て 森を見ず。
どの部屋だったのか・・・天井の模様にだけ興味を引かれたみたい。 -
旧王宮の間?の壁面に残された模様。
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アルカサルのエントランスは跳ね橋を渡って入場するようになっています。跳ね橋から下を見下ろすと急な崖になっているのがよく分かります。
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スペイン独立戦争(1808-1814)の英雄、ダオイースとヴェラルデと2人を支える女神。彼らが独立戦争で亡くなった100年後となる1908年に設置されたもの。スペインの国旗をくわえる鷲は「鷲=フランス第一帝政の紋章」フランス軍を表現しています。
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門を出た後、ポソ・デ・ラ・ニエベ通りを下り、ラ・プエルタ・デ・サンティアゴ通りにある 北側の出入り口にあたるサンティアゴ門をくぐって アルカサルの裏側を見に行くつもりで坂道を下り始めました。
途中で 数人の観光客が下って行っているこちらの階段を見つけてしまい、ショートカットになるかと下り始めたのですが・・・ -
2時半過ぎに階段を下り始めて ようやく この姿を目にすることができました。
でも木が生い茂り過ぎて 景観は 期待していた程ではありません。
川を渡って ラ・ベラ・クルス教会まで歩こうとは・・さすがに思いません。
エレスマ川沿いの散歩道は 地元の方に人気だそう。 -
帰り道。 こんな階段を途切れなく上っていきます。
木の綿毛のようなものが舞い飛び交っていて 目や口にまで入り込んできます。
元の階段入口まで戻ってきた時には もう3時40分。
さすがに疲れ果てました。
初志貫徹で サンティアゴ門へ歩けばよかったかも。 -
帰りは 少しでも城壁を間近に見たくて ドン・ファン通りを歩きます。
期待通りの城壁。 -
もう少しだけ元気があれば 城壁の外に出て 城壁を辿って歩きたいのですが、もう無理です。
-
城壁の内側に沿って立ち並ぶ家並み。
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城壁と旧市街の家並み。
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右側が城壁です。
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こんな階段が 所々に見られます。
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カテドラルの後ろ辺りまで歩いてきました。
この辺りはユダヤ人街だと思うのですが・・・細く、曲がりくねった通りです。 -
壁一面に エスグラフィアド壁が施されています。
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現在「ユダヤ人街センター」となっている建物。中のパティオ部分までは無料で入れます。
ここは、イサベル1世の時代の銀行家であり、イサベル1世にカスティージャ王国の財務官に任命されたユダヤ人アブラハム セニオール(1412-1493)の家でした。
当時のスペインではユダヤ人は大きな経済力を持ち、公認の金貸しはどの地でもユダヤ人が務めていたし、国際通商を活気づけて国に富をもたらしていました。 -
ところが、イサベルとフェルナンド両カトリック王は、ローマ教皇に依存しないスペイン独自の異端審問機関を設置します。厳しい異端審問は、他宗教の民衆を執拗に追放、処刑するようになります。
カスティージャ王国の財政に大貢献したアブラハム セニオールは既に高齢だったこともあり、結局はイサベルとフェルナンド両王が代父母となってカトリック教徒の洗礼を受け、迫害を免れました。
その奥は 坂道で 別の通りに繋がっている様子。 -
建物の中の展示物は こんな感じです。
-
通りに埋め込まれた小さなプレートに書かれている文字は ヘブライ文字でしょうか。
やはり この辺りはユダヤ人街の通りだったようです。 -
ラ・フデリア・ビエハ通りにある Centaro Didactico de la Juderia が「ユダヤ人街センター」。
-
そこから少し歩いた右側、階段を下りた先には 城壁の門。
アンドレス城門だと思います。下りていきたいのは山々ですが 本当に足は限界です。
帰国後に パンフレットを見直していたら、外から見る城壁の素晴らしいこと!!
エスグラフィアド壁に集中しすぎたかもしれません。
本来の城壁フェチを貫くべきでした。 -
サン・マルティン教会まで戻ってきました。
-
サン・マルティン教会の向かい側をふと見ると 階段の先に城門が見えました。
Postigo de la Lunaだそうです。
下りていきたい誘惑に打ち勝って・・・
というより 下りて また上がって戻る体力はありませんね。 -
旧市街の入口へ向かう途中。
隠れ家的な 街角のカフェ。 -
こちらの建物のエスグラフィアド壁は 一部 薄れかけているようです。
窓枠の模様が独特です。 -
カサ デ ピコス Casa de Picos(とげの家)。ピコスとは「尖ったもの」という意味。
壁面すべてに こんなツンツンした装飾のあるこの家は 15世紀に建設されました。
かつて この目の前にサン マルティン城門があっため、防御要素があるとも単なる装飾とも言われています。 -
その先から。
城壁の下に立ち並ぶ 旧市街の家々が すぐ目の前に。 -
城壁脇に立つ建物に施された シンプルな模様のエスグラフィアド壁。
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セルバンテス通りを戻ります。
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セルバンテス通り。
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通りの先に見える水道橋。
サラゴサの旧市街を 一周してきたわけです。 -
4時過ぎの水道橋。
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朝食抜きで始まった1日の 2回目の食事も同じカフェでのタパス。
カフェビールも2杯目。 -
水道橋のすぐそばという立地の良さと リーズナブルな値段のため、観光客がひっきりなしに訪れていました。
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空がすっかり晴れ渡り 青空に。
その青空をバックに 水道橋の姿を撮りまくり。 -
ツアーバスが停まるたびに 観光客の一群に取り囲まれる水道橋。
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堂々たる世界遺産です。
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今回の長旅の中で 夫が 一位に挙げたのが この水道橋でした。
一番ベタな観光地ですが、ツアーコンダクターとしては 満足。 -
エクエドゥクト通り。
4時過ぎという中途半端な時間にも関わらず カフェで寛ぐ人々。 -
5時前にはバスターミナルに戻ってきました。
水道橋からは 10分もかかりませんでした。 -
待っている間、似たようなバスが2~3台停まっており、乗車待ちの観光客の情報が錯綜しまくりでした。
予約チケットを持っているのだから 焦ることはないのですがね。
このバスに乗って マドリードへ戻ります。
マドリードでは 夕刻のスペイン広場辺りを散策する予定です。
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