2018/03/08 - 2018/03/10
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旅人のくまさんさん
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斎場御嶽から歩いても遠くない、知念岬と公園の紹介です。本島南部の東岸の知念岬にある公園で、日の出の名所とされます。岬の先にくっ付いた丸い島のような場所からの海の眺めは最高でした。
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『斎場御嶽(セーファーウタキ)』紹介の最後です。石畳の参道とその脇の石灯篭の光景です。この後、素晴らしい海の光景が見られるとお聞きしていた知念岬に、歩いて向かいました。
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ここからは、斎場御嶽から歩いてやってきた、知念岬の紹介です。三つ並んだ右端が知念岬への案内看板でした。左端の看板には、『がんじゅう駅南城』のタイトルがありました。南城市にある道の駅の宣伝でした。
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『海邦国体記念碑』のタイトルが刻まれた石碑の光景です。1987年(昭和62年)に開かれた第42回国民体育大会の夏の大会で、冬の大会は長野でした。知念岬の近くでの撮影です。『きらめく太陽、ひろがる友情』がスローガンでした。
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知念岬の海が見える場所までやって来ました。天気も上々でした。大勢の観光客が訪れる場所らしく、頑丈そうな真新しい柵が整備されていました。岩礁のような海岸線も目を楽しませてくれそうです。
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岩礁のような海岸線と、その先の真っ青な太平洋の光景です。左手の沖合にも岩礁が見えました。写真を拡大しましたら、右手の水平線付近に、木高島らしい姿が薄っすらと見えました。
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水平線の左端に見えるのが、聖なる島の『久高島』のようです。知念岬の東海上5.3キロに位置します。久高島の土地は、村有地などを除いてすべて共有地とされ、『久高島土地憲章』により分配・管理が行われています。この土地窓章は、リゾート開発ブームによる開発計画に反対し、先祖代々の土地を守ろうという動きの中から、1988年 (昭和63年)に島の住民によって生み出されたものです。
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『久高島土地憲章』の目的などが記述された前文の紹介です。『久高島の土地は、国有地などの一部を除いて、従来字久高の総有に属し、字民はこれら父祖伝来の土地について使用収益の権利を享有して現在に至っている。字はこの慣行を基本的に維持しつつ、良好な自然環境や集落景観の保持と、土地の公正かっ適切な利用、管理との両立を目指すものである』と述べられています。
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岬の先にくっ付いた丸い島のような場所へ向かう途中の光景です。『久高島土地憲章』の紹介の続きです。土地憲章のキーワードは、土地の所有形態を『総有』としたことにあります。『総有』とした目的は、共同所有者である字民による譲渡処分、分割請求を認めないことにより、『良好な自然環境や集落景観の保持と、土地の公正かつ適切な利用、管理との両立を目指す』ことにあるようです。
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岬の先にくっ付いた丸い島のような場所は、一段低くなっていました。その場所に下る長い階段の光景です。この階段以外に、前方奥に見えるスロープの道もありました。往きの下りはこの階段を降り、帰りの上りはスロープの道を使うことにしました。
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イチオシ
長い下りの階段の上から眺めた、岬の先にくっ付いた丸い島のような場所の光景です。『久高島土地憲章』の紹介に戻ります。共同所有には、『総有』、『合有』と『共有』があります。『共有』については、民法(249条~264条)に規定されています。『合有』は、民法上の『共有』と類以しますが、所有者間にある程度の人的な繋がりがあり,持分の譲渡や分割の請求は制限されます。
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岬の先にある丸い島のような場所のズームアップ光景です。再び『久高島土地憲章』の紹介に戻ります。『総有』では、各々の共同所有者は、使用・収益権を持ちますが、持分権は有しません。したがって持分処分や分割請求はできません。『総有』の例として、『入会権』(民法263条)があります。土地憲章が、民法に規定がある『入会権』とせずに『総有』としたことには、賛否両論があるようです。
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イチオシ
『久高島』は、海の彼方の理想郷の『ニライカナイ』に繋がる聖地とされ、穀物が『ニライカナイ』からもたらされたといわれています。18世紀初めに記された、『琉球国由来記』からの紹介です。島の東海岸にある伊敷(イシキ)浜に流れ着いた壷の中に五穀の種子が入っていたとされ、五穀発祥の地とされます。『ニライカナイ』は、沖縄県や鹿児島県奄美群島などに伝わる他界・理想郷の伝承です。
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『ニライカナイ』の伝承の続きです。『ニライ』は『根の方』という意味と考える説が有力で、『カナイ』は、琉球語に多い韻をとるための無意味な言葉とする説や『彼方』を意味する説などがあります。『ニライカナイ』について、民俗学者の柳田国男は、『この概念は本土の常世国の信仰と酷似』しており、ニライカナイを『日本神話の根の国と同一』と指摘しています。
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『ニライカナイ』に関する柳田国男の説の補足です。『ニライ』の『ニ』は、日本の上代語の『根の国』の『根』に相当するといわれます。『根の国』も遠い別世界をさす語で、用法も共通しているようです。また、『ニライカナイ』と同義と思われる『ニーラスク』や『おもろさうし』の『ニルヤソコ』は、上代語の『根国底国』を思わせる語形です。(小学館:日本大百科全書:ニッポニカ)
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知念岬の先端に置かれたモニュメントの光景です。『宇宙軸より無限の記憶』のタイトルがありました。ネット検索もしてみましたが、モニュメントの作者名や、設置されたハッキリとした理由は分からないようです。
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逆光での撮影になってしまいましたが、西側方面の光景になるようです。海岸線にはビニールハウスが並び、建物は少し高い場所に立地しているようでした。右手上方に見えるのは、ニライカナイ橋です。
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東側方面の太平洋の光景になります。海面下の岩礁が透けて見えていました。その沖には海面上に顔を出した岩礁が続いていました。二列になった岩礁の中間点に顔を出した岩山は、無人島のクマカ島です。知念岬の沖合2キロほどの距離とされます。
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無人島のクマカ島方面のズームアップ光景です。コマカ島とも呼ばれているようです。島に渡った方のブログには、島まで定期便で10分若と紹介されていました。島を1周することができる小道があり、その距離は約800メートルと紹介されていました。
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岩礁がある場所のようです。波が砕けて、その周りが白く見えていました。海で思い出す和歌には、源実朝(1192~1219年)の詠んだ歌が今でも忘れられません。初見は中学生の頃だったようです。『箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよるみゆ』の歌は、伊豆・箱根の二所詣の時に詠んだとされます。
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白く砕けた波のズームアップ光景です。随分と古い記憶ですが、実朝の『箱根路』の歌と一緒に教科書に載っていたのが、『大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けて裂けて散るかも』だった記憶です。源実朝は、兄頼家が失脚したことにより12歳で征夷大将軍となりましたが、その実権は母の北条政子や叔父の北条義時に握られていました。
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政争に翻弄される中で、実朝は和歌に感心を持ち、藤原定家から『万葉集』を贈られ大いに喜んだと伝わります。実朝が編纂した『金槐和歌集』は、1213年(建保元年)頃に成立したようです。1218年(建保6年)、武士として初めての右大臣に上った実朝でしたが、翌年、鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀式で、甥の公暁に暗殺されてしまいました。鎌倉時代の終焉でした。
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鎌倉幕府の第3代将軍の源実朝が編纂した『金槐和歌集』は、『金』は『鎌倉』の鎌の字の『かねへん』を表し、『槐』には『大臣』という意味があることから、別名は『鎌倉の右大臣の家集』と呼ばれています。 『鎌倉の右大臣』とは、もちろん源実朝のことです。鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男でした。
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青い海の中で、白く泡立った場所のズームアップ光景です。濃い青と白い波、その中間色の青色のグラディションが印象的でした。
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一面が青い海の光景ですが、微妙に濃淡がありました。海藻で色が変わっている場合もありますが、この場合は推進や底の石などが影響しているようでした。沖の方の岩礁では、白く泡立っていました。
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海岸近くに押し寄せる波の光景です。底が浅くなることで波が高くなっているようでした。その波頭が崩れて白く泡立っているようでした。遠浅の海の海底の石も識別できました。
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イチオシ
海岸線に描かれた地図のような岩礁の光景です。砂は波によって持ち去られるのでしょうか、砂浜ではなく岩だけの海岸線でした。砂浜ですと、珊瑚が砕けてできた砂が主成分になっていて、遠浅の海が輝いて見えるようです。
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同じ場所の光景ですが、押し寄せる波で絶えず景色が変化し、いつまで見ていても見飽きることがありませんでした。春の海を詠んだ俳句で、真っ先に思い浮かぶのが与謝蕪村の『春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな』の一句です。この海よりは、もっと波静かな光景だったかも知れません。『のたり のたり』の擬態語だけで、春の海の情景が眼に浮かびます。
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知念岬公園から眺めた、南西方面の海と山の光景になるようです。海には小さな岩礁、山には、ソテツかフェニックスの様なヤシ科の植物が見えました。
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知念岬公園の光景に戻りました。この碑は目にしませんでしたが、この場所は半グライダーの発着地になっているようでした。ひょっとしたら、この段差は飛び立つ時に利用されているのかも知れません。『パイロットは、まず風に正対して翼を地面に広げ、向い風で翼を真上に上げ、滑空状態にしてから離陸する』と紹介され、『数メートル程度の助走で離陸』出来るようです。
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『知念村閉村記念碑』の文字が刻まれた石碑の光景です。平成17年(2005年)12月、四つの町村が合併し、知念村の名称が無くなった時に建てられたものでした。『開村』と違って、『閉村』には寂しさが伴います。
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