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沖縄の名城巡りです。世界遺産に指定され、日本百名城の98番にも選ばれている、今帰仁城紹介の締め括りです。現在も発掘調査や、修復作業が行われているようですが、城壁の優美さに目を奪われました。

2018春、沖縄の名城巡り(6/28):3月9日(5):今帰仁城(5):志慶真門郭、住居跡、タチツボスミレ、聖域のカラウカー、寒緋桜

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2018/03/08 - 2018/03/10

209位(同エリア1984件中)

旅行記グループ 2018春、沖縄の名城巡り

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沖縄の名城巡りです。世界遺産に指定され、日本百名城の98番にも選ばれている、今帰仁城紹介の締め括りです。現在も発掘調査や、修復作業が行われているようですが、城壁の優美さに目を奪われました。

交通手段
観光バス JALグループ

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  • 今帰仁城跡で、最も東に位置する『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』の光景です。杭が建っている場所が、発掘調査で確認された複数の建物跡です。志慶真門郭の城壁が続く左の崖の上が、主郭(本丸)方面です。

    今帰仁城跡で、最も東に位置する『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』の光景です。杭が建っている場所が、発掘調査で確認された複数の建物跡です。志慶真門郭の城壁が続く左の崖の上が、主郭(本丸)方面です。

  • 自然石があちらこちらに顔を出した、『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』の光景です。その周りを優雅な波型の曲線を描く城壁が取り囲んでいます。左手前方には、東シナ海が見えていました。

    自然石があちらこちらに顔を出した、『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』の光景です。その周りを優雅な波型の曲線を描く城壁が取り囲んでいます。左手前方には、東シナ海が見えていました。

  • 『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。発掘調査で見付かった建物の規模は、6メートル×6メートルから5メートル×4メートルの規模で、建物中の炉跡が見付かっています。瓦が出土していないことから、カヤなどで屋根が葺かれていたようです。今帰仁村教育委員会が作成した、1981年(昭和56年)3月の調査報告書に沿った記述のようでした。

    『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。発掘調査で見付かった建物の規模は、6メートル×6メートルから5メートル×4メートルの規模で、建物中の炉跡が見付かっています。瓦が出土していないことから、カヤなどで屋根が葺かれていたようです。今帰仁村教育委員会が作成した、1981年(昭和56年)3月の調査報告書に沿った記述のようでした。

  • 野面積の石垣光景です。その石垣の周りには、剥落したらしい石材が転がっていました。今帰仁城の中で、最も早く発掘調査が行なわれたのは、この志慶真門郭とされますが、辺り一面が草木に覆われ、現況とは全く異なる光景だったようです。

    野面積の石垣光景です。その石垣の周りには、剥落したらしい石材が転がっていました。今帰仁城の中で、最も早く発掘調査が行なわれたのは、この志慶真門郭とされますが、辺り一面が草木に覆われ、現況とは全く異なる光景だったようです。

  • 現地ガイドさんから、ひと通りの説明をお聞きした後、自由見学の時間がありました。その時間帯を利用しての『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』の見学です。前方に見える石垣は、主郭(本丸)方面です。

    イチオシ

    現地ガイドさんから、ひと通りの説明をお聞きした後、自由見学の時間がありました。その時間帯を利用しての『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』の見学です。前方に見える石垣は、主郭(本丸)方面です。

  • 『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』の石垣のズームアップ光景です。大きく波を打ったような曲線の上に武者走りが見えました。更にその先には、東シナ海のリーフが見えていました。

    『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』の石垣のズームアップ光景です。大きく波を打ったような曲線の上に武者走りが見えました。更にその先には、東シナ海のリーフが見えていました。

  • 主郭(本丸)方面の石垣の光景です。岩山の頂部に廻らされた石垣に見えました。その下には、石垣の石材と同じ、古期石灰岩が露出していました。今帰仁層から採れる古期石灰岩は、約2億3000万年前のものとされ、アンモナイトの化石なども見付かるようです。

    主郭(本丸)方面の石垣の光景です。岩山の頂部に廻らされた石垣に見えました。その下には、石垣の石材と同じ、古期石灰岩が露出していました。今帰仁層から採れる古期石灰岩は、約2億3000万年前のものとされ、アンモナイトの化石なども見付かるようです。

  • 『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』で発掘された建物跡のズームアップ光景です。資料公開されている、『今帰仁城跡第1次発掘調査概報』からの紹介です。今帰仁村教育委員会が作成した、1981年(昭和56年)の資料です。刀の破片、短刀、鉄娠、切羽、峠などの武具類が検出されたことで、武士が住んでいたと判断されました。また、城主側近の『上級武士』と考えられています。

    イチオシ

    『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』で発掘された建物跡のズームアップ光景です。資料公開されている、『今帰仁城跡第1次発掘調査概報』からの紹介です。今帰仁村教育委員会が作成した、1981年(昭和56年)の資料です。刀の破片、短刀、鉄娠、切羽、峠などの武具類が検出されたことで、武士が住んでいたと判断されました。また、城主側近の『上級武士』と考えられています。

  • 同じ資料からの紹介です。『これらの「武士」は7坪ほどの掘立柱の家に住んでいたようであるが、高級な陶磁器を使い、牛、イノシシ、麦、米など上質な食糧を食べていたようで、かなり「上級の武士」であったと考えられる。また武具のほかに、おはじき、鉄、香炉、勾玉、管玉、ガラス玉などの出土遺物から女、子供の存在が考えられ、家族単位の生活が感じられる』と纏められていました。

    同じ資料からの紹介です。『これらの「武士」は7坪ほどの掘立柱の家に住んでいたようであるが、高級な陶磁器を使い、牛、イノシシ、麦、米など上質な食糧を食べていたようで、かなり「上級の武士」であったと考えられる。また武具のほかに、おはじき、鉄、香炉、勾玉、管玉、ガラス玉などの出土遺物から女、子供の存在が考えられ、家族単位の生活が感じられる』と纏められていました。

  • 『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』の見学を終えて、主郭(本丸)エリアに戻って来ました。先に紹介した、建物礎石の光景です。

    『志慶真門郭(シゲマジョウカク)』の見学を終えて、主郭(本丸)エリアに戻って来ました。先に紹介した、建物礎石の光景です。

  • 『スミレ(菫)』の花の光景です。琉球列島のスミレは、有茎種(地上茎がのびるタイプ)が5種、無茎種(地上茎がないタイプ)が5種、合わせて10種が基本種とされます。このスミレは、有茎種のタチツボスミレ(立坪菫)のようです。スミレ科 スミレ属の多年草です。

    『スミレ(菫)』の花の光景です。琉球列島のスミレは、有茎種(地上茎がのびるタイプ)が5種、無茎種(地上茎がないタイプ)が5種、合わせて10種が基本種とされます。このスミレは、有茎種のタチツボスミレ(立坪菫)のようです。スミレ科 スミレ属の多年草です。

  • 『カラウカー』のタイトルがあった説明パネルの光景です。聖域の一つです。常時水を湛えている場所で、かつて、女官たちが髪を洗ったり、水量で吉凶を占った場所と解説されていました。

    『カラウカー』のタイトルがあった説明パネルの光景です。聖域の一つです。常時水を湛えている場所で、かつて、女官たちが髪を洗ったり、水量で吉凶を占った場所と解説されていました。

  • 聖域の『カラウカー』の光景です。今も水を湛えていました。今帰仁のノロ率いる神人たちが巡拝する場所となっていました。中国語表記は、『参拝経所』になっていました。『カー』は、 井戸や湧き水をあらわす言葉で、『水の神』とも呼ばれているようです。

    聖域の『カラウカー』の光景です。今も水を湛えていました。今帰仁のノロ率いる神人たちが巡拝する場所となっていました。中国語表記は、『参拝経所』になっていました。『カー』は、 井戸や湧き水をあらわす言葉で、『水の神』とも呼ばれているようです。

  • この見覚えがある場所は、現地ガイドさんの案内で見学した、『志慶真乙樽(シゲマウトゥダル)の歌碑』があった場所です。『大庭(ウーミヤー)』と呼ばれる一角だったようです。

    この見覚えがある場所は、現地ガイドさんの案内で見学した、『志慶真乙樽(シゲマウトゥダル)の歌碑』があった場所です。『大庭(ウーミヤー)』と呼ばれる一角だったようです。

  • 『フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑花)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。名前の由来が、花の形が風鈴に似ているためと紹介されていました。アフリカ・ザンジバル島あるいはケニアモンバサ付近原産の高さ1~ 3メートルの非耐寒性常緑低木です。『ブッソウゲ(仏桑花)』の近縁種です。

    『フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑花)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。名前の由来が、花の形が風鈴に似ているためと紹介されていました。アフリカ・ザンジバル島あるいはケニアモンバサ付近原産の高さ1~ 3メートルの非耐寒性常緑低木です。『ブッソウゲ(仏桑花)』の近縁種です。

  • 『フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑花)』の光景です。残念ながら、花を見ることはできませんでした。『ブッソウゲ(仏桑花)』は、ハイビスカスの名前でも呼ばれますが、その近縁種です。

    『フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑花)』の光景です。残念ながら、花を見ることはできませんでした。『ブッソウゲ(仏桑花)』は、ハイビスカスの名前でも呼ばれますが、その近縁種です。

  • 『大庭(ウーミヤー)』と呼ばれる一角の光景になるようです。大庭を取り囲むように正殿(主郭)、北殿、南殿の建物が配置されていたとされます。七五三の階段を登り詰メタ場所にある広場です。

    『大庭(ウーミヤー)』と呼ばれる一角の光景になるようです。大庭を取り囲むように正殿(主郭)、北殿、南殿の建物が配置されていたとされます。七五三の階段を登り詰メタ場所にある広場です。

  • 上から眺めた『七五三の階段』の光景です。戦後まもない頃、米軍の車両が城内へ登ることから、戦災文化財の修理として文化財保護委員会の指導のもと、今見る階段の整備が行われたとされます。

    上から眺めた『七五三の階段』の光景です。戦後まもない頃、米軍の車両が城内へ登ることから、戦災文化財の修理として文化財保護委員会の指導のもと、今見る階段の整備が行われたとされます。

  • 下から見上げた『七五三の階段』の光景です。平郎門(へいろうもん)から大庭(ウーミヤー)まで続く参道です。戦前に地元民によって桜の植栽とともに直線道に整備され た道です。

    下から見上げた『七五三の階段』の光景です。平郎門(へいろうもん)から大庭(ウーミヤー)まで続く参道です。戦前に地元民によって桜の植栽とともに直線道に整備され た道です。

  • 野面積の石垣越しに眺めた、周りの光景です。中央やや左手奥に石垣が見えました。その石垣は、崩壊が進んでいるようでしたが、まだ復旧工事の手は入っていないようでした。

    野面積の石垣越しに眺めた、周りの光景です。中央やや左手奥に石垣が見えました。その石垣は、崩壊が進んでいるようでしたが、まだ復旧工事の手は入っていないようでした。

  • 『カンヒザクラ(寒緋桜)』のサクランボの光景です。バラ科サクラ属の植物で、サクラの原種の一つです。旧暦の正月あたりに咲くことから、『ガンジツザクラ(元日桜)』と呼ばれることもあります。

    『カンヒザクラ(寒緋桜)』のサクランボの光景です。バラ科サクラ属の植物で、サクラの原種の一つです。旧暦の正月あたりに咲くことから、『ガンジツザクラ(元日桜)』と呼ばれることもあります。

  • 『カンヒザクラ(寒緋桜)』のサクランボのズームアップ光景です。花の色は、『濃い桃色』と紹介されていました。『ヒカンザクラ(緋寒桜)』の呼び名もありますが、別種の『ヒガンザクラ(彼岸桜)』と間違えられ易いため、『カンヒザクラ(寒緋桜)』の呼び方が一般化したと説明されていたのを、随分昔に目にしたことがあります。

    『カンヒザクラ(寒緋桜)』のサクランボのズームアップ光景です。花の色は、『濃い桃色』と紹介されていました。『ヒカンザクラ(緋寒桜)』の呼び名もありますが、別種の『ヒガンザクラ(彼岸桜)』と間違えられ易いため、『カンヒザクラ(寒緋桜)』の呼び方が一般化したと説明されていたのを、随分昔に目にしたことがあります。

  • 『カンヒザクラ(寒緋桜)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。別名、『ヒカンザクラ』と紹介されていました。1月中頃に開花するため、日本で最も早く咲く桜と紹介されていました。

    『カンヒザクラ(寒緋桜)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。別名、『ヒカンザクラ』と紹介されていました。1月中頃に開花するため、日本で最も早く咲く桜と紹介されていました。

  • 往きに目に留まった場所ですが、帰り道でも目に留まりました。石垣の橋の位置にあった筋がたくさん入った自然石の光景です。自然に出来た縦横の筋ではなく、人為的に付けられた筋のように見えました。

    往きに目に留まった場所ですが、帰り道でも目に留まりました。石垣の橋の位置にあった筋がたくさん入った自然石の光景です。自然に出来た縦横の筋ではなく、人為的に付けられた筋のように見えました。

  • 名前を知らない黄色い花の野草光景です。ネット検索では、『ウマノアシガタ(馬の足形)』当たりが似ているようでしたが、まだ特定できていません。キンポウゲ科キンポウゲ属の有毒成分を持つ野草です。

    名前を知らない黄色い花の野草光景です。ネット検索では、『ウマノアシガタ(馬の足形)』当たりが似ているようでしたが、まだ特定できていません。キンポウゲ科キンポウゲ属の有毒成分を持つ野草です。

  • 『大隅(ウーシミ)の城壁』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左下の写真は、昭和期初めの頃の大隅(ウーシミ)の城壁の光景と説明られていました。

    『大隅(ウーシミ)の城壁』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左下の写真は、昭和期初めの頃の大隅(ウーシミ)の城壁の光景と説明られていました。

  • 大隅(ウーシミ)の城壁の光景です。往きにも何枚か写真を撮りましたが、帰りにも、ついカメラが向きました。『戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所として伝えられています。最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭です』と紹介されていました。<br />

    大隅(ウーシミ)の城壁の光景です。往きにも何枚か写真を撮りましたが、帰りにも、ついカメラが向きました。『戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所として伝えられています。最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭です』と紹介されていました。

  • 外から眺めた、大隅(ウーシミ)の城壁の光景です。見所が多かった沖縄の城壁の中でも、強く印象に残った城壁の一つでした。

    イチオシ

    外から眺めた、大隅(ウーシミ)の城壁の光景です。見所が多かった沖縄の城壁の中でも、強く印象に残った城壁の一つでした。

  • 大隅(ウーシミ)の城壁の外にある城壁ですから、外郭(がいかく)の石垣になるようです。昭和50年(1975年)の沖縄海洋博覧会の工事の際に見つかった城壁の一部のようです。高さは2メートル 前後と比較的低い石垣が、延長数百メートル蛇行して続きます。現在も調査が続けられているようです。

    大隅(ウーシミ)の城壁の外にある城壁ですから、外郭(がいかく)の石垣になるようです。昭和50年(1975年)の沖縄海洋博覧会の工事の際に見つかった城壁の一部のようです。高さは2メートル 前後と比較的低い石垣が、延長数百メートル蛇行して続きます。現在も調査が続けられているようです。

  • 『スミレ(菫)』の花の光景です。先に紹介した、有形種のすみれの紹介です。①ツクシスミレ(沖縄島・稀)、②タチツボスミレ(沖縄島・久米島・奄美大島)、(変異種)シロバナタチツボスミレ(沖縄島・久米島・奄美大島)、③シマジリスミレ(沖縄島・固有・稀)、④オキナワスミレ(沖縄島・固有・稀)、⑤オリズルスミレ(沖縄島・固有・稀・絶滅種)の5種です。写真の花は、タチツボスミレのようです。

    『スミレ(菫)』の花の光景です。先に紹介した、有形種のすみれの紹介です。①ツクシスミレ(沖縄島・稀)、②タチツボスミレ(沖縄島・久米島・奄美大島)、(変異種)シロバナタチツボスミレ(沖縄島・久米島・奄美大島)、③シマジリスミレ(沖縄島・固有・稀)、④オキナワスミレ(沖縄島・固有・稀)、⑤オリズルスミレ(沖縄島・固有・稀・絶滅種)の5種です。写真の花は、タチツボスミレのようです。

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