2018/03/08 - 2018/03/10
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旅人のくまさんさん
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沖縄の名城巡りです。那覇市首里にある首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、琉球王朝時代の王城で、沖縄県内最大規模の城です。戦前は正殿などが旧国宝に指定されていましたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦で破壊されました。
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首里城公園にあった、地下駐車場がある建物光景です。地下1階と、地下二階にバス駐車場があります。入口に『首里杜館(首里城公園レストセンター)』の表札がありました。この出入口は、『守礼門口1』です。
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『守礼の門』の光景です。首里を東西に貫く大通りである『綾門大道(アイジョウウフミチ または アヤジョウウフミチ)の東側に位置する牌楼型の楼門です。日本本土の城郭では、大手門に相当します。
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右から読んで、『守禮(礼)之邦』の文字が記された扁額です。通称が、『守礼門』になっています。1958年(昭和33年)、守礼門が再建されたのを皮切りに円覚寺門など周辺の建築から再建が始まりました。
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イチオシ
人の姿が少なくなったところで、もう一度『守礼門』の撮影です。柱は4本で、二重の屋根を持ち、赤い本瓦が葺かれています。1972年(昭和47年)5月、日本復帰後に国の史跡に指定され、城の入口に当たる歓会門と周囲の城郭が再建されました。
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『守礼門』の近くの通路脇の光景です。ガジュマルでしょうか、枝からたくさんの気根が垂れ下がった樹木がありました、ガジュマルは、熱帯地方に分布するクワ科イチジク属の常緑高木です。
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イチオシ
『オオハマボウ(大浜朴)』の黄色い花の光景です。沖縄の方言では、『ユウナ(右納)』と呼ばれています。アオイ科フヨウ属の常緑高木で、佳子内親王(かこないしんのう)の御印の花です。和名の由来は、『ハマボウ(浜朴)』に似て、花も葉も一回り大きいことからです。
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世界遺産標識の光景です。著名な日本画家だった平山郁夫(1930~2009年)さん揮毫の『園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)』のタイトルがありました。
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三枚揃った『園比屋武御嶽石門(国指定遺蹟)』と『園比屋武御嶽(建指定遺蹟)』のタイトルがあった表示パネルの光景です。上が日本語、左下が英語、右下が中国語でした。
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左手前から眺めた、『園比屋式御嶽石門』の光景です。石門の背後にある森が『園比屋武御嶽』です。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際、必ず拝礼した場所です。また聞得大君が就任する時にまず最初に拝礼した、いわば国家の聖地とされます。
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イチオシ
右手前から眺めた、『園比屋式御嶽石門』の光景です。『園比屋武御嶽』は、王家尚氏ゆかりの島である伊平屋島の神『田の上のソノヒヤブ』を勧請し、祭っています。もともとは今よりも広範な森でしたが、現在では小学校の敷地となっている部分もあり、残されているのはその一部です。
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正面からズームアップした、『園比屋式御嶽石門』の光景です。首里城歓会門と守礼門との間にある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)が、この御嶽の礼拝所です。園比屋武御嶽石門は、1519年に第二尚氏王統第3代王の尚真の時に造られました。
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現地ガイドさんから、原形が残されたとお聞きした、『園比屋式御嶽石門』の右側部分の光景です。原形を残していたことで、世界遺産に指定されました。
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『園比屋式御嶽石門』を過ぎた先に見えてきたのは、『歓会門(かんかいもん)』です。第二次世界大戦で焼失してしまいましたが、1974年(昭和49年)に復元されました。石積みの城門の上に木造の櫓が組まれたもので、朱には塗られていません。
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『歓会門』の光景です。創建は1477~1500年頃(尚真王代)とされ、沖縄戦で焼失しましたが、1974年(昭和49年)に復元されました。門は石のアーチ状の城門の上に木造の櫓が載せてあります。このスタイルは久慶門(きゅうけいもん)、継世門(けいせいもん)等と同じです。
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『首里城公園総合案内』のタイトルがあったイラスト表示の案内図です。日本語以外でも、利用上の注意書きが記されていました。
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『歓会門』の入口門脇のシーサーの光景です。シーサーは、古代オリエントに起源を持つといわれ、獅子(ライオン)が原型とされています。紀元前6000年頃、エジプトやインドでは強さの象徴としてライオンの石像が創られていました。それがシルクロードを横断し、13~15世紀頃に中国から沖縄へ伝わったようです。
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同じく、『歓会門』の入口門脇のシーサーです。当時、アジアにライオンはいませんでした。そこで人々は噂に聞くその姿を想像し、独自の解釈を加えながらライオン像を創っていきました。長い長い時の流れの中で獅子像の外見は変化をくり返し、現在のシーサーとなりました。
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『歓会門』の近くにある『龍樋』と呼ばれている湧水の光景です。その名前の由来は、龍の口から湧水が湧き出していることからです。龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、約500年前のものです。
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同じく、『龍樋』と呼ばれている湧水の周りの光景です。この水は王宮の飲料水として使われていました。また、中国皇帝の使者である『冊封使(さっぽうし)』が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった『天使館(てんしかん)』という宿舎まで、毎日ここから水を運んだといわれています。
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『龍樋』と呼ばれている湧水の周りには、中国皇帝の使者である『冊封使(さっぽうし)』に因む多くの石碑があります。『冊封七碑(さっぽうしちひ)』と呼ばれる七つの石碑です。
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右側に見える石碑は、『中山第一(ちゅうざんだいいち)』の文字が刻まれています。オリジナルは1792年に設置されたもので、題字者は『徐葆光(じょほこう)』です。その大意は、『泉の水量は、水質は琉球第一の泉である』とされます。左側の石碑には、『暘谷霊源(ようこくれいげん)』の文字が刻まれています。題字者は『文楷(ちょうぶんかい)』で、1800年に設置されました。
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『雲根石髄(うんこんせきずい)』の文字が刻まれた石碑の光景です。オリジナルは1756年のものです。題字者は『全魁(ぜんかい)』で、その大意は、『山の高いところの穴から湧き出る石の乳である』とされます。このほかに、『活?晩?晩地(かつはつはつち)』、『源遠流長(げんえんりゅうちょう)』、『飛泉漱玉(ひせんそうぎょく)』と『霊脈流芬(れいみゃくりゅうふん)』の石碑があります。
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次に紹介するシーサーも『歓会門』の近くに置かれていました。口を閉じた姿の雌獅子です。シーサーは、当初は城門・寺社・王陵・集落の入口などに置かれていました。19世紀末、民家にも赤瓦の使用が許されると、屋根に獅子を据えて魔よけとする風習が一般に広まっていきました。
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一対で置かれていた口を開けた姿の雄のシーサーです。獅子文化がこれほどまでに定着した地域として、ここ沖縄は特筆されるようです。
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切込み接ぎで積まれた石垣のズームアップ光景です。一段低くなった、右手に見える石垣が、城門があった城壁の延長部分です。『相方積』と呼ばれる切り込み接ぎで積まれていました。
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『漏刻門』の手前の石垣のズームアップ光景です。ほぼ垂直に積み上げられた、切込み接ぎの石垣です。沖縄では『布積』と呼ばれているようです。
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継に見えてきた門には、『漏刻(ろうこく)』の文字の扁額が架かっていました。『漏刻(ろうこく)』とは中国語で『水時計』の意味です。ここは第三の門で、別名『かご居せ御門(うじょう)』とも呼ばれます。
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『漏刻門』のズームアップ光景です。『かご居せ御門(うじょう)』の呼び名は、高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りたということからの呼び名とされます。この門の創建は15世紀頃でした。
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門を潜った後で、内側から眺めた『漏刻門』の光景です。門の上の櫓に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったといわれています。時刻を測定すると、係りの役人がここで太鼓を叩き、それを聞いた別の役人が東(あがり)のアザナと西(いり)のアザナおよび右掖門(うえきもん)で同時に大鐘を打ち鳴らし、城内および城外に時刻を知らせたとされます。
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次の門には、『広福』の扁額が架かっていました。『広福門』は、建物の一部が門の機能を果たしています。 琉球王朝時代には神社仏閣を管理する寺社座、士族の財産をめぐる係争を調停する大与座の二つの部門がこの建物内にあったようです。『広福(こうふく)』とは、『福を行き渡らせる』意味とされます。
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