2018/03/08 - 2018/03/10
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旅人のくまさんさん
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沖縄の名城巡りです。首里城の創建年代は明らかではありませんが、近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代(1322頃~1429年)には中山の城として用いられていたことが確認されています。
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入城した後、内側から眺めた『廣(広)福門』の光景です。ここからは有料区域になります。『長御門(ながうじょう)』の別名を持つ第四の門で、建物そのものが門の機能をもっています。
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『廣(広)福門』上部のズームアップ光景です。創建年は不明ですが、明治末期頃に撤去され、1992年(平成4年)に復元された建物です。建物そのものが門の機能を持っているのは、首里城の城門の特徴とされます。
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内側から眺めた、『廣(広)福門』左上部付近のズームアップ光景です。琉球王朝時代、この建物には神社仏閣を管理する『寺社座(じしゃざ)』と、士族の財産をめぐる争いを調停する『大与座(おおくみざ)』という役所が置かれていましたが、現在は、券売所等に利用されています。
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イチオシ
首里城の『正殿』の正面光景です。『正殿』は、琉球王国最大の木造建造物で『国殿』または『百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)』と呼ばれました。文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物でした。中央の道は『浮道(うきみち)』と呼ばれ、国王や中国皇帝の使者の『冊封使(さっぽうし)』等の限られた人だけが通ることを許されました。
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正殿に向かって、右手の建物群の光景です。逆光での撮影したから、建物も広場の敷石も地味な色になってしまいました。南側方面になる、『南殿・番所(なんでん・ばんどころ)』の建物群です。
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正殿に向かって、左手の建物群の光景です。北側方面になる、『北殿(ほくでん)』です。後ほど、入城して見学しました。これらの建物に囲まれた石畳は、『御庭(ウナー)』と呼ばれています。敷石の色違いの列は、儀式の際に諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていました。
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『イソヒヨドリ(磯鵯)』のようです。ツグミ科イソヒヨドリ属に分類される鳥で、アフリカとユーラシア大陸に広く分布します。和名の通り海岸や岩山などで多く見られるようです。ヒヨドリとは、別の科の鳥さんです。
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少しズームアップした、『イソヒヨドリ(磯鵯)』の光景です。オスは頭から喉および背部が暗青色、胸腹部がレンガ色のような赤褐色、翼が黒と鮮やかに色分けされます。一方、メスは全身がやや暗青色を帯びた茶褐色とされます。
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更にズームアップした、『イソヒヨドリ(磯鵯)』の光景です。雌には鱗のような模様があり、雌雄の区別は容易とされますが、若鳥のオスは、メスの個体と近似の羽色をしており雌雄の区別が難しいようです。
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ここからは、正殿に入場しての見学です。正殿1階は『下庫理(しちゃぐい)』と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場でした。展示品などは写真撮影禁止でしたが、所々に撮影が許可された場所がありましたから、周りの方の撮影も確認しながらの撮影です。『御座床(うさすか)』と呼ばれる、玉座がある場所の光景です。右手前の柱には、雲龍図が描かれていました。
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『御座床(うさすか)』と呼ばれる、玉座があった場所より右手の光景です。左端に見えている部分が、王子や王の孫が坐す『平御差床(ひらうさすか)』になります。
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『1階御座床(うさすか)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。この辺りは、写真撮影が許可されていました。中央の一段高い床が、正殿の国王の玉座、『御座床(うさすか)』、その左右が、国王の子や孫が坐す『平座主床(ひらうさすか)』であることなどが紹介されていました。飾りは、中国風の龍や鳳凰の絵などだったようです。
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『正殿の概要』のタイトルがあった説明パネルの光景です。右上に、1階から3階までの平面図が添えられていました。正殿1階は『下庫理(しちゃぐい)』、2階が『大庫理(うふぐい)』と呼ばれています。3階は主に通風のために設けられた屋根裏部屋です。
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イチオシ
中央が国王の玉座の『御座床(うさすか)』、その左右に控えた『平座主床(ひらうさすか)』の光景です。雲龍図が描かれた柱は、玉座の『御座床(うさすか)』の左右前方にありました。
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イチオシ
『正殿』の内部見学を終え、出口付近から眺めた御庭やその周りの建物光景です。正面奥が『廣(広)福門』、右手が『北殿』の入口付近、中央が『御庭(ウナー)』です。
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『正殿』の西側に正対する、『廣(広)福門』のズームアップ光景です。『御庭(ウナー)』に敷かれているタイル状のものは、『磚(せん)』と呼ばれる『敷き瓦』です。
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振り返って眺めた、『正殿』の側面光景です。その先に見えるのが、南殿・番所(なんでん・ばんどころ)』の建物です。
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『正殿」の内部の見学を終え、日本本土の城郭で言えば、『本丸』からの眺望です。北側方面の市街光景になるようです。
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同じく、少しズームアップした、『本丸』から眺めた市街光景です。左端に見える城門は、『左掖門(ひだりえきもん)』です。王国時代、祭祀や儀礼のとき御内原にいる神女たちが通った通路です。
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『左掖門(ひだりえきもん)』には向かわず、その前に見学した『北殿』の入口光景です。王府の中央行政庁として、日中は大勢の官人が出入りし、首里城の中で最も活気のあった館とされます。
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『左掖門(ひだりえきもん)』の出入口付近のズームアップ光景です。履き物を脱いでの入城となります。
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各種のジオラマ展示などがあった、『北殿』内部の光景です。北殿内はすべて撮影が許可されていました。このジオラマ展示は、中央が『正殿』、右が『南殿』、左が『北殿』、それらの建物に囲まれた『御庭(ウナー)』の縮小モデルです。整列した人物像が並んでいました。
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整列した人物像のズームアップ光景です。濃い色の選の上に臣下が並んでいました。身分により、被り物や服の色などが決まっているようでした。中央の『浮道(うきみち)』には、儀式に使われるらしい道具が置かれていました。
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ジオラマ展示の正殿近くのズームアップ光景です。石段の前に『御拝座』が設けられ、唐破風屋根の入口両脇は、飾り物を付けた武器を持った儀仗兵らしい武人が守りを固めていました。玄関の扉は閉まったままで、王の姿は、まだ表には見えないようです。
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『北殿』内の展示品の紹介が続きます。中国の影響を連想させる赤色基調の天井の色彩と、その天井に向かって伸びた大型の雪洞風の飾り物の光景です。
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『江戸上り・琉球と日本の文化交流」のタイトルがあったパネル展示の一部分です。江戸時代の1634年から1850年の間に行われた、18回の『江戸上り』の紹介パネルです。『江戸上り』は、琉球王が交替した時の『謝恩使』と、江戸幕府の将軍が交替した時の『慶賀使』の派遣が、江戸幕府から義務付けされていました。島津藩が伴っていたようです。
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同じく、『江戸上り・琉球と日本の文化交流』のタイトルがあったパネル展示の一部分です。先ほど紹介したパネルの右側部分です。右端には、『首里城内の生活』のタイトルがありました。行政の中心であった首里城は、同寺に国王とその家族の生活の場であり、祈りの場であったことが紹介されていました。
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最初に紹介したジオラマ展示とは別になる、正殿と御庭とその周りのジオラマ展示です。整列した人の数が少数でした。中国の『冊封使(さっぽうし)』を迎えた時の儀式のジオラマ展示のようです。
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正殿の唐屋根の玄関と、その前に置かれた臨時の施設らしい建物のズームアップ光景です。臨時の施設らしい建物には、『闕庭』の表示があり、その建物に向かって立っているのが国王でした。
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『首里城を支えた人と技術』らしいタイトルがあった説明パネルの一部分です。キーワードが、陶、塗、彫、石と木などでした。『陶』では、薩摩、中国と朝鮮との係わり、『塗』では、14~15世紀に中国から技法が伝わり、沈金、蒔絵、螺鈿、堆錦などの技法が正殿や北殿の彩色に応用されたことなどが紹介されていました。
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