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旅人のくまさんさん
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勝連城の『一の曲輪』からは、北は金武湾を囲む北部の山々や、うるま市の離島を望むことができ、南は知念半島や久高島、護佐丸の居城だった中城城跡が一望できる景勝地に建つグスクです。
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『右旋回の階段』のタイトルがあった説明パネルの光景です。階段を急勾配にすることで、敵方の体力を消耗させ、右手側の城壁から攻撃を加えることができる構造と紹介されていました。『右旋回』はなぜか『反時計回り』の方向でした。
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『右旋回の階段』を登る前に、もう少し周りの城址の見学です。自然石が顔を出し、比較的低い石垣がエリアを区画するように積まれていた『四の曲輪』の光景です。低い石垣は、上部からの土留めの役割と、下部を掘削して平地化する目的もあるようにも見えました。
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『四の曲輪』から見上げた城郭の上部の光景です。見えている石垣は、『三の曲輪』と『二の曲輪』当たりのようです。勝連城の最後の城主だった阿麻和利が1458年に滅ぼされた後、廃城となり、その後はもっぱら祭祀の場として利用されたようです。
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これから、『四の曲輪』から長い坂道を登って『三の車』に向かいます。この辺りは、よく整備された広い通りでした。傾斜もきつくありませんでした。推測ですが、敵の大軍を油断させるためのアプローチのようにも見えました。
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この辺りが、『右旋回の階段』の一部になるようです。階段の右手には、高い城壁が続いていました。少人数で、効率よく多人数を相手にできる石段構造のようでした。『登り石垣』の定義がよく分かりませんが、沖縄のグスクではこの種の表現は使われていないようです。
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『シラン(紫蘭)』の花です。小さい頃から大好きだった花の一つです。手入れをしなくても、毎年馴染場所で花を咲かせてくれました。ラン科シラン属の宿根草です。この場所に植生されたようでした。日本、台湾、中国原産とされます。
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『三の曲輪城門(四脚門)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。四本の柱で屋根を支える四脚門で、薬医門(やくいもん)の様式と紹介されていました。『四の曲輪』を上り詰めた、内郭の入口門とも紹介されていました。薬医門の復元図には、瓦葺の屋根がありました。
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『三の曲輪城門(四脚門)』跡の石垣光景です。両脇の石垣に4箇所の窪みがあり、礎石には、ほぞ穴も確認されたようです。左手の石垣に2箇所の窪みが見えています。
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現在位置が『三の曲輪』、左端の石段を登った先が『二の曲輪』、更にその先に見える一番高い場所が『一の曲輪』の光景になるようです。
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『肝高の御嶽・トゥヌムトゥ』のタイトルがあった説明パネルの光景です。神人(カミンチュ)と呼ばれる女性祭司を中心に行われる、王国時代から続いている『ウマチー』と呼ばれる拝所であることが紹介されていました。『トゥヌムトゥ』は、神人が腰掛けた列石のことのようです。
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『舎殿跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。正面17メートル、奥行き14.5メートルの礎石が残った舎殿跡についての説明でした。勝連城内で最も重要な建物であったらしいことが解説されていました。周辺から大和瓦が出土したことから、復元想定図も瓦葺になっていました。
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イチオシ
『三の曲輪』から眺めた、『二の曲輪』と『一の曲輪』方面の光景です。大きな階段状に『一の曲輪』に向かって高くなっていました。
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『すり鉢状遺構・No1』のタイトルがあった説明パネルの光景です。発掘された遺構は、表面に粘土が施されていたことから、水を溜める施設であったことが想定されていました。埋め戻され、その場所に表示が記されていました。
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『すり鉢状遺構・No2』のタイトルがあった説明パネルの光景です。発掘された遺構は、表面に粘土とこぶし大の石が張り付けられていました。同じく、水を溜める施設であったことが想定されていました。こちらも埋め戻されて、その場所が表示されていました。
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イチオシ
勝連城の『三の曲輪』から眺めた海方面の光景です。太平洋に伸びた小さな半島の付根にある勝連城は、東北側に金武湾、西南側に中城湾を臨む位置になります。こちらは、勝連城の東北側になる、金武湾方面の光景になるようです。
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少しズームアップした、勝連城の『三の曲輪』』から眺めた金武湾方面の光景です。林の先の港湾に、赤白に塗り分けられたようなタワーのような施設が見えました。
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港湾近くに見えていた、赤白に塗り分けられたように見えたタワーのような施設のズームアップ光景です。赤い部分が吊り橋脚で、白い部分がワイヤーロープ群のようでした。更にその先には橋脚が霞んでが見えていました。
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イチオシ
『三の曲輪』の周りの石垣光景です。城内側から見ますと、あまり高くない石垣が続いていました。日本本土の城郭では、まだ石垣も少なく、『切込接ぎ』が出現する以前の『野面積』の石垣の時代に建設されたもののようです。
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沖縄では『相方積(あいかたつみ)』と呼ばれている『切込み接ぎ(きりこみはぎ)』のズームアップ光景です。大小の石が端面を合わせて、巧みに組み合わされていました。すべて、琉球石灰岩の石材のようです。
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同じく、沖縄では『相方積(あいかたつみ)』と呼ばれている『切込み接ぎ(きりこみはぎ)』のズームアップ光景です。先程の石積と同様、実用上の形状に遊び心を咥えた要は端面の仕上げ方でした。
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『三の曲輪』から眺めた、太平洋方面の光景です。前方に港湾から伸びた突堤の光景がありました。中城城が面する、中城湾の中城湾港の施設の一部のようです。右端に見えているのは、『二の曲輪』の石垣になるようです。『一の曲輪』の石垣も重なって見えているかも知れません。
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先に紹介した、『肝高の御嶽・トゥヌムトゥ』の周りの光景です。『三の曲輪」には、『肝高の御嶽』以外の『御嶽(ウタキ)』もあるようでした。
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地図で確認しますと、南側の『首里城』とも近い位置に『勝連城』があり、更にその間に割り込むように『中城城』が造られていることが分かります。霞んで、その城の姿までは確認できませんでした。
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『三の曲輪』のエリアから眺めた『二の曲輪』方面の光景です。高石垣の外側が、次第に高さを増してきたようです。
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現在位置の『三の曲輪』に建っていた、『一の曲輪』と『二の曲輪』の案内標識です。前方に見える石段を登れば、その先は『二の曲輪』です。『四の曲輪』から、『一の曲輪』まで、規模は大きいものの分かりやすい縄張りの勝連城です。
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『三の曲輪』から『二の曲輪』に登って気いました。その『二の曲輪』のタイトルがあった説明パネルの光景です。少し拾い読みしますと、『二の曲輪』からは、正面17メートル、奥行き14.5メートルの建物跡が発見されたことや、周辺からは、大和系の屋根瓦が見付かったことなどが紹介されていました。
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説明パネルの中で、石灰岩が積まれた4個の石積が見付かったものの、用途は分からないと紹介されていた、石組の光景です。二重に置かれた石組の中央部は、床下面とほぼ同一の高さのようでした。
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建物の四隅で見付かったとされる、石灰岩を二重に並べた石組の二つ分の光景です。説明パネルには、用途は分からないものの、建物と同時期に造られたらしいことが諸ぷ介されていました。発掘調査の写真では、二段程度に石が積まれていたようにも見えます。室内での祭祀用の施設跡でしょうか、ほかにもいろいろと考えられそうです。
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『ウミチムン(火の神)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『ウミチムン』は、『三個のかまど石』を意味する言葉で、琉球古来の『火の神』が祀られていることなどが説明されていました。
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石組が設けられた、『ウミチムン(火の神)』の光景です。先程の説明パネルには、屋根のようなものが渡されたイメージ図が添えられていました。『火の神』の信仰は、現在の沖縄にも伝わっていることも紹介されていました。
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