2022/03/23 - 2022/03/23
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横浜臨海公園さん
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該区間は、
向日町-大宮通間 明治 9年(1876年)9月5日
大宮通-京都Ⅰ間 明治10年(1877年)2月5日
開業である。
政府は工部省鐵道掛に対し、明治4年(1871年)4月に京都大阪間鐵道建設測量命令を発令したが、当時の政府に鐵道建設資金が存在する筈も無く、該工事開始は若干日時を要し6月16日附だった。
更に、当時の工部省鐵道寮は、京阪神間鐵道開通を急ぐ理由が存在すればこそ大宮通に仮停車場を設置させ、初代京都停車場完成と同時に改めて該驛に乗入れた。
京都まで一気に開業出来なかったのは、京都Ⅰ停車場構内建設予定地に未買収地が存在し線路設置工事が困難だった事が原因である。
因みに、該区間線路敷は開設当初より複線構造で構築されたが、特筆すべきは、向日町-桂川左岸間は大阪Ⅰ-向日町間同様、英國製錬鐡平底軌条(9.14m(30ft)27.2Kg(60P))を敷設したが、桂川橋梁-京都Ⅰ間本線部分は本邦初となる英國製鋼鐡平底軌条(9.10m(30ft)27.9Kg(61.5P))が敷設された。
桂川(かつらがわ)橋梁
全長364.0m(1194.0ft)
J.イングランド(J.ENGLAND)( ? ~1877年(明治10年)9月)設計に依る、
単線型下路ポニーワーレントラス構桁30.2m(100ft)×12連
が架橋された。
該橋梁本体は、錬鐡型ピン結合構造で、橋台、橋脚共に煉瓦井筒造。
明治6年(1873年)12月着工、明治8年(1876年)12月竣功。
総工費は、16159円17銭0厘。
該区間開業時に、英ダーリントン(DARLINGTON)社製 錬鐡製ピン組構造で、橋台は煉瓦製、橋脚は煉瓦製複合構造で架橋された。
架橋工事責任監督は、テォドール・シャン(Teodore SHANN)(1850年(嘉永3年)~1878年(明治11年))が担当した。
我が国政府が京阪神間鐵道開通を急ぐ最大理由に、当時、西郷隆盛(さいごう たかもり)(文政10年(1828年)1月23日~明治10年(1877年)9月24日)を頂点とする鹿児島に燻る最大反政府運動が何時暴発しても不自然では無い緊迫した状況下に在り、事実、京都Ⅰ驛延長開業前日に 西南(せいなん)ノ役(明治10年(1877年)2月4日~9月24日)勃発に伴い、該区間鐵道は短区間ながら軍事輸送路として活躍し陸海軍部をして鐵道輸送の重要性を認識させた。
該区間は、明治31年(1898年)10月1日附で複線化された。
鐵道唱歌
第53番
扇おしろい京都紅
(おうぎ おしろい きょうとべに)
また加茂川の鷺知らず
(また かもがわの さぎしらず)
土産を提げていざ立たん
(みやげを さげて いざたたん)
あとに名殘は殘れども♪
(あとに なごりは のこれども)
よほど京都の街に相当未練たっぷりだったと見える。
明治44年(1911年)春、京都知恩院、西本願寺、東本願寺3寺は共同大法要(法然上人700回忌)(親鸞聖人650回忌)が営まれる事になった。
当時、鉄道は概ね大部分の本州基幹線が完成しており、それ故、全国各地に存在する大法要信者参詣大量輸送が想定された事から、内閣鐵道院は西部鐵道管理局と協議し、京都駅の現状では設備狭隘な為に大口旅客団体客集中的取扱は困難と判断し、梅小路に仮停車場を設置し団体列車旅客は該仮停車場で客扱行使を決定した。
即ち、梅小路とは該区間開業当時の大宮通仮停車場跡である。
最終的に、各団体専用列車運転本数は、
知恩院 2月25日~3月12日 計126本
4月10日~4月29日 計 2本
西本願寺 3月10日~4月 2日 計390本
4月 3日~4月22日 計270本
東本願寺 4月12日~5月 9日 計337本
当時の複線区間保安装置は双信閉塞式だったが、該閉塞式では停車場間に1列車しか運転出来ず、列車増発を目的として停車場間2分割の為に、明治43年(1910年)3月29日附で、梅小路-向日町間に吉祥院(きっしょういん)信号所が設置された。
然し、度々氾濫被害が発生する桂川常監視を要するとの判断から、同年11月5日附で該信号所は桂川左岸に移転し、同時に 桂川(かつらがわ)信号所に名称変更した。
初代京都驛は開業以来拡張に拡張を重ね、拡張余地無き状態となっていた。
他方、第123代 大正(たいしょう)天皇(明治12年(1879年)8月31日~大正15年(1926年)12月25日)(大正元年(1912年)7月29日~大正15年(1926年)12月25日御在位)が、大正3年(1914年)に京都御所に於いて即位式執行が決定された事から、内閣鐵道院は西部鐵道管理局と協議し、該驛全面改良を実施すべく該驛構内に存在する機関庫、及び、貨物取扱業務を該驛より独立させ、梅小路仮停車場跡地を活用移転を決定し、大正2年(1913年)6月21日附で 梅小路(うめこうじ)驛が開業したが、更に、初代京都驛移転工事は8月15日に完了し現位置に移転した。
現在の梅小路運転区は明治9年(1876年)9月5日開設の京都機関庫が嚆矢である。
他方、京都丹波方面連絡の為に開設された京都鐵道は開通当時、官設鐵道京都Ⅰ驛構内には土地余裕が存在せず、故に該社線列車が入線余地が困難な為に 二條(にじょう)を起点に驛を設置開設したが、此の為に明治30年(1897年)に当時の二條驛に併設して二條機関庫が設置された。
その後、大正3年(1914年)に京都Ⅱ驛移転直前に、京都機関庫、及び、二條機関庫を統合し 梅小路機関庫 が開設された。
更に、大正10年(1921年)8月1日附で東海道本線大津Ⅱ(現 膳所)-京都Ⅱ間が現東山隧道経由新線開通と共に馬場機関庫は廃止され該機関庫に併合された。
現存する大型扇形機関庫は、内閣鐵道院技師 渡辺 節(わたなべ せつ)(明治16年(1884年)11月3日~昭和42年(1967年)1月21日)設計に依り、大正2年(1913年)着工し翌大正3年(1914年)11月10日附竣工した鉄骨コンクリート建築物である。
京都Ⅱ-山崎間は、大正10年(1921年)7月20日附で双信閉塞式に代り自動閉塞式に変更となり、米ウェスティングハウス社製の3動型腕木式自動信号機が植柱され、桂川信号所は不要施設となり廃止された。
該区間複々線化は、
京都Ⅱ-梅小路間 昭和13年(1938年)12月 1日
梅小路-向日町間 昭和 5年(1930年) 3月30日
京都Ⅱ-向日町間 昭和41年(1966年) 1月20日 5線化(貨物下り線専用)
である。
本派本願寺傳燈報國法要が、昭和8年(1933年)4月11~15日に開催され、全国より参拝団体計27570名が66本の臨時列車で京都を訪れた。
現在の京都市は昭和6年(1931年)4月1日附を以って旧伏見市編入に依る伏見區市域拡大成立に依るものである。
昭和9年(1934年)9月21日5時頃、高知県室戸岬付近に上陸した超大型台風は、時速約60Kmの速度を維持しながら、同日9時頃、京都府下南西地域を通過した。
同日5時より京都測候所では気圧が1時間毎に5.3hPa低下を続け、最低気圧957.8hPaを観測した。
該台風は、後に、室戸(むろと)台風 と命名されたが、
京都府内に於ける被害は、
死者計240名(京都市内計102名、乙訓郡(現 長岡京市)計7名、久世郡(現 京都市南区)計4名、綴喜郡(現 八幡市、京田辺市)計34名)
重軽傷者計1255名(京都市内計1021名、乙訓郡(現 長岡京市)計74名、久世郡(現 京都市南区)計62名、綴喜郡(現 八幡市、京田辺市)計78名)
家屋全壊計2890戸(京都市内計1017戸、郡部計1873戸)
家屋半壊計4096戸(京都市内計1576戸、郡部計2520戸)
樹木 街路樹計22000本、宮内省直轄林計13000本、風致地区民有林計34000本
出町大柳倒木伐採
該線鴨川、桂川両橋梁橋脚に沈下傾斜被害が発生し仮復旧工事完了する23日まで不通になった。
然るに、目先の復旧を急ぐ余り周辺山地に無数に存在した倒木を放置状態にし、且つ、山地に於ける樹木群減少は保水力低下を招来させた事で翌年大水害の伏線となる。
昭和10年(1935年)6月29日に発生した京都大水害は、明治維新以降現在に至る近現代154年間に於いて京都市内に最大自然被害を発生させた天災である。
即ち、前日28日19時30分頃より京都市内から丹波盆地地域に於いて通常降雨が見られたが、然し、同日22時以降は雷鳴を伴いつつ雨脚が強まり、更に、同日23時頃より翌29日10時頃まで局地的集中豪雨状態と化した。
事実、京都地方測候所に於ける28日0時~29日10時の総雨量は計269.9mmを観測した。
此の為に、丹波盆地地域降雨水が保津川に集流し京都盆地へと激流が一気に押寄せた為に、29日早朝より、京都市内に於ける、鴨川、白川、堀川、天神川、御室川、及び、有栖川各河川は氾濫状態となり、更に、前年の室戸台風が原因の放置倒木群が各河川に流木として流出破壊材化した事から、各河川護岸堤防、及び、橋梁等々を破壊させながら、堤防決壊地点から該流木群が次々と家屋を破壊した為に、該市内は前年台風被害復旧途上だったにも拘らず甚大被害を発生させ、該線鴨川、桂川両橋梁橋脚に再度損壊被害が発生した。
第23代京都府知事 鈴木信太郎(すずき しんたろう)(明治17年(1884年)11月8日~昭和33年(1958年)6月27日)(昭和10年(1935年)1月15日~昭和11年(1936年)4月22日在任)は、第31代内閣総理大臣 岡田啓介(おかだ けいすけ)(慶應4年(1868年)2月14日~昭和27年(1952年)10月17日)内閣(昭和9年(1934年)7月8日~昭和11年(1936年)3月9日組閣)第33代大蔵大臣 高橋是清(たかはし これきよ)(嘉永7年(1854年)9月19日~昭和11年(1936年)2月26日)(昭和9年(1934年)7月8日~昭和11年(1936年)2月26日在任)に対し、京都府独自に依る該水害甚大被害復興は膨大な復旧資金難の為に困難と判断し国庫負担を要請し、内務省土木局に対し、鴨川、及び、桂川河川大改良提議を行った。
内務省土木局は、
Ⅰ)京阪電気鐵道本線京阪五條-京阪三條間地下化施工実施に依り地上余剰地活用に依る河川幅拡張。
Ⅱ)鴨川流域計270m以上1~3m浚渫。
を骨子として、総工費見積は計590万円と算出された。
高橋蔵相は大蔵省内に於いて予算計上すべく大臣命令を以って検討させたが、然し不幸にして昭和11年(1936年)2月26日未明 2.26事件 発生に依り高橋蔵相は陸軍叛乱将兵に依り殺害され、更に、岡田内閣は総辞職を余儀無くさせられた事から一時は該計画が画餅化の危機に晒された。
岡田内閣総辞職後、第32代内閣総理大臣 広田弘毅(ひろた こうき)(明治11年(1878年)2月14日~昭和23年(1948年)12月23日)内閣(昭和11年(1936年)3月9日~昭和12年(1937年)2月2日組閣)が成立し、第35代大蔵大臣 馬場英一(ばば えいいち)(明治12年(1879年)10月5日~昭和12年(1937年)12月21日)(昭和11年(1936年)3月9日~昭和12年(1937年)2月2日在任)が就任した事から、鈴木府知事は上京を重ねて関係各省に対し折衝し、鴨川、桂川緊急治水工事の必要性を論じたが、当時の国内情勢から国防財政最優先に依る方針から大蔵省に於ける予算獲得は困難な情勢だったが、公債発行に依り工事可能と判断され同年4月11日附国会に於いて該工事予算決定された。
対政府交渉中途にして京都府知事に人事移動が発令され、後任者に第24代京都府知事 鈴木敬一(すずき けいいち)(明治22年(1889年)7月25日~昭和48年(1973年)11月29日)(昭和11年(1936年)4月22日~昭和14年(1939年)4月17日在任)が着任し該府重要継続案件となった。
即ち、該工事は5箇年計画とし、治水、交通、景観を重視した京都の特長を生かした内容で、該工事は昭和13年(1938年)4月に起工。
然るに、同年7月5日に発生した阪神大水害時に京都地方測候所に於ける降水量は240.1mmを観測し、此の為に工事途中の堤防が各所で決壊する事態が発生し、更に、世情は日華(にっか)事変(昭和12年(1937年)7月8日~昭和16年(1941年)12月8日)勃発に依り、平時体制から戦時体制へと変化を見せ、大東亜(だいとうあ)戦争(昭和16年(1941年)12月8日~昭和20年(1945年)8月15日)勃発に依り工員資材物資全ての分野に於いて供給困難となり、該工事は遅延に遅延を重ね、第29代京都府知事 新居善太郎(あらい ぜんたろう)(明治29年(1896年)1月16日~昭和59年(1984年)1月12日)(昭和19年(1944年)4月18日~昭和20年(1945年)6月10日在任)は、昭和19年(1944年)8月に工事中止を決定した。
然し、同年10月7~8日に台風20号の影響に依り京都府下に豪雨に依り、京都市内各所に於いて浸水被害が発生した事から、新居知事は内務省土木局とも協議し、学生生徒に依る勤労奉仕隊に依り該工事再開を決定し、該工事は概ね昭和22年(1947年)に竣工した。
但し、京阪電気鉄道京阪五條-京阪三條間地下化は伏見醸造組合から水脈切断問題懸念を理由に裁判所に対し異議申立がされた事が原因で起工は遅延に遅延を重ね、該関連工事完了は昭和末期たる昭和62年(1987年)5月20日附である。
京都-吹田間 直流1500V電化は、
昭和10年(1935年) 9月 着工
昭和12年(1937年) 8月 電車専用線竣工
8月 6日 電車試運転
10月10日 電車運転開始
である。
昭和13年(1938年)9月16日附で、京都-向日町間に 西大路(にしおおじ)驛が開設されたが、該驛は地元利便の為などでは無く、当時の梅小路驛、及び、梅小路機関區鐵道省職員通勤者の為に設置されたと云うのがけだし実相と思われる。
昭和16年(1941年)11月17日8時11分頃、西大路驛構内に於いて重大事故が発生した。
即ち、神戸発京都行上り普通第3026電車4両編成は、向日町驛を霧害原因に依り25分遅延出発したが、向日町-西大路間桂川橋梁上付近は濃霧著しく、第2閉塞信号機は注意現示だった事から、該電車運転士は速度低下をさせ第3閉塞信号機に至り、霧は益々濃く該信号機約10m手前に於いて信号柱のみ現認出来たが、該信号機は停止信号現示だったにも拘らず該電車運転士は注意現示と憶断し運転継続するも、霧は更に深くなり該電車は時速12~13Kmで進行し西大路驛構内に進入した処、該列車約20m前方に該驛構内に先行明石発京都行上り普通第3502電車4両編成停車を発見した為に、非常制動を動作させるも間に合わず第3026電車は第3502電車に追突した。
該事故に依り、第3026電車4両内3両の密着連結器 窓硝子破損 第3502電車4両内全車輌に同様破損。
旅客計37名以上 職員計7名重軽傷。
事故原因は、第3026列車運転士が停止信号確認を怠り一旦停止規定を無視した為と断定。
復旧 11時04分
大東亜戦争中に於ける該区間内空襲被害は記録上存在しない。
該区間内に於けるRTO設置駅は、
京都駅
昭和20年(1945年) 9月28日~昭和27年(1952年) 3月31日
梅小路駅
昭和20年(1945年)12月23日~昭和27年(1952年) 3月31日
である。
東海道新増線計画、即ち、現在の東海道新幹線は昭和33年(1958年)12月19日附で設置建設が決定した。
日本国有鉄道は京都地区駅設置に就いて現在の西大路駅付近を策定したが、該計画を知った京都政財界から現行京都駅設置に非ずんば京都に於ける死活問題なりとして新京都駅設置反対意見が発生し、現行京都駅設置に対する強硬運動が展開された。
然るに、該駅現状では新設用地が大幅に不足する事から、苦肉の策として該駅構内に所在する機関区客車区を移転させる事で有余地捻出が可能と判断された為に、当該車輌群移転先を検討した結果、向日町-神足(現 長岡京)間に大東亜戦争開始前に取得した弾丸列車基地用地に新車輌基地設置が決定し、昭和36年(1961年)10月1日附で向日町運転区が開設された。
該運転区は、同日附施行時刻改正に依り四国を除く全国各地に於いて運転開始となる特急気動車に依る列車大増発でキハ82型特急用気動車が大量配置され、青森(白鳥)、広島(へいわ)、松江(まつかぜ)、博多(みどり)、長崎・宮崎(かもめ)の広域運用担当した。
西大路-向日町間に、平成20年(2018年)10月18日附時刻改正時に 桂川(かつらがわ)駅が開業した。
表紙写真は、
東海道本線歴史的痕跡探訪記
~東京-濱松町間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10701644
~東京驛編~
~汐留-濱松町-品川間編 明治頌歌~
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~品川-川崎間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10502858
~川崎-横濱間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10711843
~横濱駅移設変転史編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10316826
~横濱-大船間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/10713813
~大船-平塚間編 明治頌歌~
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~平塚旧帝國海軍専用線群跡編 明治頌歌~
~平塚-國府津間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/10715768
~國府津-真鶴間編~
http://4travel.jp/travelogue/10298330
~真鶴-熱海間編~
http://4travel.jp/travelogue/10310352
~丹那隧道完成秘話 丹那隧道碑文から読み取れし或る歴史的事実~
http://4travel.jp/travelogue/10291350
~丹那隧道完成秘話 三島口建設工事鉄道線探訪記~
http://4travel.jp/travelogue/10575630
~熱海-沼津間編~
~沼津駅驛編~
http://4travel.jp/travelogue/10294787
~沼津港線編~
http://4travel.jp/travelogue/10621891
~沼津-富士間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10623829
~富士-興津間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10625542
~興津-静岡間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10859308
~静岡-島田間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10855589
~島田-掛川間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10858139
~掛川-濱松間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10858815
~濱松-豊橋間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10858508
~豊橋-岡崎間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10870287
~岡崎-大府間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10898135
~大府-名古屋-尾張一宮間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/10898177
~名古屋驛編~
~尾張一宮-岐阜-大垣間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/10990946
~美濃赤坂支線編~
https://4travel.jp/travelogue/10992335
~大垣-垂井-関ケ原間編 明治頌歌~
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~大垣-新垂井-関ケ原間編~
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~関ケ原-米原間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11099834
~関ケ原-深谷-長濱間/深谷-長岡(現 近江長岡)間(廃止線)編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11141230
~米原-近江八幡間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11099568
~近江八幡-草津間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11214049
~草津-膳所間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11102339
~膳所-濱大津間(廃止線)編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/11157145
~膳所-稲荷-京都間(廃止線)編 明治頌歌~
~膳所-山科-京都間(現行線)編 大正浪漫~
http://4travel.jp/travelogue/11157106
~京都驛編 明治頌歌~
~京都-向日町間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11243867
~向日町-高槻間編 明治頌歌~
~高槻-茨木間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11634036
~茨木-吹田間編 明治頌歌~
~吹田-淡路-大阪間(廃止線)編 明治頌歌~
~吹田-新大阪-大阪間(現行線)編 大正浪漫~
~大阪駅周辺編~
~大阪-西宮間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11366806
~西宮-灘間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11321266
~灘-神戸間編 大正浪漫~
https://4travel.jp/travelogue/11245946
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自転車 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
京都駅
旧旅客1番ホーム
東海道新幹線開業前は上り方面行優等列車専用ホームだった。
国有鉄道時代の駅ホームでは宇品線宇品駅ホームに次いで全国第2位の長さを有した。京都駅 駅
-
京都駅
旅客第2番ホーム
一部は大正2年(1913年)該駅移転大改築当時の痕跡を残す。京都駅 駅
-
京都駅
旅客第2番ホーム
軒装飾京都駅 駅
-
京都駅
旅客第2番ホーム
軒装飾
東海道本線東京-神戸間み於ける軒装飾残存駅は、該駅以外では 沼津 大垣のみ。京都駅 駅
-
京都-西大路間
油小路(あぶらこうじ)架道橋
国道1号線 -
京都-西大路間
猪熊(いのくま)架道橋
4.80m -
京都-西大路間
猪熊架道橋
煉瓦タイル積 -
京都-西大路間
八條(はちじょう)跨線橋 -
京都-西大路間
八條跨線橋
該跨線橋鋼鉄製門柱群は旧京都市電架線柱。 -
京都貨物(きょうとかもつ)駅
旧梅小路(うめこうじ)駅 -
京都貨物駅
貨物業務取扱構内 -
西大路駅
西大路通(にしおおじどおり)架道橋
府道181号線 -
西大路(にしおおじ)駅
該駅は、昭和13年(1938年)1月16日開業である。
該驛設置理由は地元利便の為では無く、当時の梅小路驛、及び、梅小路機関區鐵道省職員通勤者の為に設置されたと云うのがけだし実相と思われる。
現駅本屋は新幹線建設用地提供の為に、昭和37年(1962年)6月駅改築第2代。
https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0610118西大路駅 駅
-
西大路駅
北口駅舎
令和4年(2022年)3月20日開設。
https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0610118 -
西大路駅
北口
改札口 -
西大路駅
駅構内
全景西大路駅 駅
-
桂川-向日町間
吉祥院(きっしょういん)信号所跡
当時の複線区間保安装置は双信閉塞式だったが、該閉塞式では停車場間に1列車しか運転出来ず、京都Ⅰ-向日町間列車増発を目的として停車場間2分割の為に、明治43年(1910年93月29日附で設置されたが、桂川氾濫警戒管理の為に移転が決定し11月5日附で廃止。 -
西大路-桂川間
桂川(かつらがわ)橋梁
該橋梁は、明治9年(1876年)9月5日開通である。
全長364.0m(1194.0ft)
J.イングランド(J.ENGLAND)( ? ~1877年(明治10年)9月)設計に依る、
単線型下路ポニーワーレントラス構桁30.2m(100ft)×12連
が架橋された。
該橋梁本体は、錬鐡型ピン結合構造で、橋台、橋脚共に煉瓦井筒造。
明治6年(1873年)12月着工、明治8年(1876年)12月竣功。
総工費は、16159円17銭0厘。
該区間開業時に、英ダーリントン(DARLINGTON)社製 錬鐡製ピン組構造で、橋台は煉瓦製、橋脚は煉瓦製複合構造で架橋された。
架橋工事責任監督は、テォドール・シャン(Teodore SHANN)(1850年(嘉永3年)~1878年(明治11年))が担当。 -
西大路-桂川間
桂川橋梁
煉瓦積橋脚 -
西大路-桂川間
桂川橋梁
煉瓦積橋脚
明治9年(1876年)9月5日開通当時の原形。 -
西大路-桂川間
桂川橋梁
該追架橋工事竣工に依り、該区間は明治29年(1895年)7月15日附で複線化され、該日より新橋梁は下り線専用、既成橋梁は上り線専用となった。
然るに、明治末期に内閣鐡道院に依る次世代大型蒸気機関車 旅客用18900型(C51型)、及び、貨物用9900型(D50型)導入が想定された事から、該構桁では負担力不足が明白だった事から内閣鐵道院は該橋梁架替を決定した。
新橋梁は内閣鐵道院設計
汽車製造會社本店 明治45年(1912年)製造
単線型下路ポニー・ワーレントラス構桁29.616m(97ft)×12連
に換装された。
該橋梁架替の為に、明治45年(1912年)に京都Ⅰ-桂川Ⅰ間を単線運転する事に依り構桁架替を可能にした。 -
西大路-桂川間
桂川橋梁
昭和41年(1966年)増線時架橋。
現在では向日町-京都間上り専用。 -
西大路-桂川間
桂川橋梁
全景 -
西大路-桂川間
桂川橋梁
昭和5年(1930年)3月30日附複々線化時架橋
該区間は、既成橋梁上流側に新設橋梁が架橋され、
下路曲弦トラス構桁29.464m(97ft) ×12連
が架橋された。
該日より既成橋梁は下り内外線専用、新設橋梁は上り内外線専用となる。 -
西大路-桂川間
桂川橋梁
複線式曲弦下路プラットトラス構桁
29.464m(97ft)
昭和3年(1928年)川崎造船所製作 -
西大路-桂川間
桂川橋梁
明治9年(1876年)9月5日開通時設置の煉瓦積橋脚。 -
西大路-桂川間
赤手拭大明神(あかてぬぐい だいみょうじん)
全景 -
西大路-桂川間
赤手拭大明神
大阪-京都間鐵道兼淺津に鑑み、桂川橋梁架橋工事施工中、該工事が計画通り進行せず、或る日工事人が工事現場に於いて白蛇を発見殺傷した処、殺傷した工事人家族全員が病で寝たきりとなり、白蛇殺傷の祟りとされ、赤手拭を奉納して祟りは治まった事から、該架橋工事竣工後、工事現場に祠を建立し奉った。
国有鉄道時代は保線職が中心となり該祠を維持していたが、民営化後は誰も顧みる者が無く荒廃を極めていた事から、地元西京区牛ケ瀬林ノ本町自治会有志が祭祀を継承整備した。 -
西大路-桂川間
赤手拭大明神
本殿 -
西大路-桂川間
旧桂川(かつらがわ)信号所跡
当時の複線区間保安装置は双信閉塞式だったが、該閉塞式では停車場間に1列車しか運転出来ず、京都Ⅰ-向日町間列車増発を目的として停車場間2分割の為に、明治43年(1910年)11月5日附設置。 -
梅小路-桂川間
向日町運転所連絡跨線橋
東京方 -
梅小路-桂川間
向日町運転所連絡跨線橋
神戸方 -
桂川(かつらがわ)駅
駅本屋
該駅は、平成20年(2018年)10月18日開業である。桂川駅 駅
-
桂川駅
出改札口桂川駅 駅
-
桂川駅
旅客ホーム
緩行線のみ設置。桂川駅 駅
-
向日町(むこうまち)駅
駅本屋
該駅は、明治9年(1876年)7月26日開業である。向日町駅 駅
-
向日町駅
駅本屋
該駅初代駅本屋は、大正12年(1923年)6月27~28日襲来の台風に依る桂川決壊に依り根柱が腐朽し、修復は困難と判定された事から改築が決定し、翌大正13年(1924年)8月に第2代駅本屋が竣功した。
現駅本屋は、昭和41年(1966年)5月改築第3代駅本屋。向日町駅 駅
-
向日町駅
出改札口向日町駅 駅
-
向日町駅
旅客連絡地下道階段向日町駅 駅
-
向日町
煉瓦積橋台
大阪Ⅰ-向日町間開業当時の原形。向日町駅 駅
-
向日町駅
旅客ホーム連絡地下道向日町駅 駅
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向日町駅
第2旅客ホーム向日町駅 駅
-
向日町駅
第2旅客ホーム向日町駅 駅
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この旅行記へのコメント (5)
-
- マリオットさん 2025/11/29 08:45:15
- 知らない京都を知る
- 京都方面となると、訪れた回数が少なくなってきます。京都駅はわかりますが、他の駅は乗り降りしたことがなく駅名を聞いたぐらいでしょうか。その京都駅ですら旅客第2番ホームに軒装飾があるとは知りませんでした。今度京都へ行った時は、上を見ながら歩いてみたいと思います。
一番知らなかったのは、赤手拭大明神でした。工事にまつわる物語があって、それが現在も神社として存続しているとは。電車を降りて、歩かないとわかりませんね。
いやいや、今回も知らないことばかりで、驚きの多い旅行記でした。
-
- 小春さん 2025/04/11 09:55:21
- ありがとうございます
- (先日 私の旅行記にも横浜臨海公園様にご訪問いただきました。ありがとうございます)
まさにこの区間を利用しているものです。
背景、歴史、そして、乗車していると見えない景色
たいへん興味深く勉強になりました。
このような 機会をありがとうございました。
息子とも共有させていただきます。
- 横浜臨海公園さん からの返信 2025/06/01 19:55:10
- 拝復
- 小春さま、こんばんは。
掲示板にコメントを賜りながら、返事を差し上げるのが遅くなりまして、誠に申し訳ございませんでした。
小春さまは当該旅行記沿線に在住されているのですね。
兎に角、東海道53次ではありませんが、小生作成中の旅行記は、全部徒歩か良くて貸自転車で訪れておりますので、実際には東京-神戸間距離の3倍以上は歩き回っていると思います。
現地を訪れ、事前に精査したつもりの資料にも無かった実情などを発見する楽しみもございます。
既に、向日町-高槻間も一応完成はしているのですが、一部投稿済写真に気に入らぬものがあり、改めて現地を訪問して撮影後に上程させて頂く所存でございます。
今後とも何卒宜敷くお願い申します。
横浜臨海公園
-
- norisaさん 2024/04/19 14:40:06
- 軍事輸送路!
- 横浜臨海公園さま
こんにちは。
いつも大変お世話になっております。
久しぶりのご投稿、超労作ですね。
こういうご投稿を拝見するにつけ拙ない投稿、出しにくくなります(苦笑)
さて、今回はついに京都近傍ですね。
それにしても鉄道敷設を急ぐ理由のひとつに「軍事輸送路」としての性格があったとは初耳でした!
そんなきな臭い時代に生きなくて良かったと思う反面、ウクライナ侵攻やパレスチナ侵攻など世界中で戦争が起きていますね。
平和ボケの日本も明治初期の雰囲気を想起したいものだと感じた次第です。
お疲れ様でした!
ありがとうございました。
norisa
- 横浜臨海公園さん からの返信 2024/04/20 08:28:30
- 拝復
- norisaさま、おはようございます。
拙稿に投票と掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
軍部という所は共産圏気概の国家では押しなべて超保守で、我が国軍部も新橋?-品川?間建設では軍用地通過を認めず、高輪臨海部に築堤を設置して辛うじて開通に漕ぎつけた程、当初は鉄道に対し無理解極まりない状態でしたが、西南の役以降、鉄道への認識が改まり、建設に協力的になった経緯がございました。
実は高輪築堤の存在に就いては小生に照会があり、埋没している可能性大と回答した処、想定通り出てきた事はご存じの事と思います。
横浜臨海公園
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