2017/05/01 - 2017/05/01
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横浜臨海公園さん
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該区間は、明治13年(1880年)7月15日開通である。
該区間開設理由は、京阪神間対東京横濱間連絡の為に、鉄道未設置の大津-長濱間琵琶湖汽船連絡に中継接続線用として設置された。
該区間設置2.2km建設工事は、明治12年(1879年)3月19日に開始された。
即ち、該区間設置に対し、明治9年(1876年)に リチャード・V・ボイル(Richard V.BOYLES)(1822年(文政5年)~1908年(明治41年))が政府に対し、西京敦賀間並中仙道及尾張線ノ明細測量ニ基キタル上告書 に於いて、琵琶湖に於ける汽船連絡を必要とされた為である。
該上告書に基き、政府は第2代滋賀縣令 籠手田安定(こてだ やすさだ)(天保11年(1840年)4月23日~明治32年(1899年)3月30日)(明治8年(1874年)4月27日~明治17年(1884年)7月19日第Ⅰ次在任)に対し、該土地収用方を命令した。
該命令に、籠手田縣令は政府に対し、大津町は狭隘地に旧近江國膳所藩城下町と斜面に商人町が形成され、既に住宅密集地たる事から、土地収用は容易では無く、寧ろ、湖岸に築堤構築工法を選択する事が最善なりと回答した。
工部省鐵道局は、該区間建設工事過半に就いて籠手田縣令の意見具申に従い、琵琶湖面上に築堤構築工法採用を決定し、此の為に、該県下高島郡大崎(現 高島市)、及び、蒲生郡奥之嶋(現 近江八幡市)に採石場を得て、計834.92立方メートルの切石を用意させた。
水面上に築堤構築する工法は、既に、新橋-品川間、及び、神奈川-横濱間で経験済であり、且つ、湾内ながら風波を伴う海上とは異なり湖上での施工だった事から京濱間とは比較にならぬ程、該工事施工は容易だった。
設置当時の湖岸は、その後の埋立進行に依り湖岸は後退したが、現在でも該築堤構築当時の石垣が現存する。
該区間工事は、同年7月に竣工し、逢坂山隧道東口掘削工事に使用された。
該区間開通時に途中停車場として石場(いしば)駅が設置されたが、取扱範囲は一般扱だったとは云え貨物取扱程度は甚だ疑問であり、旅客扱に至っては僅少だった事から、明治22年(1889年)7月1日に、馬場(現 膳所)-米原間が開通すると真っ先に営業休止にされた。
湖東区間開通と同時に、該区間は根本的変化が訪れた。
即ち、汽船連絡線の地位を喪失し、単なる分岐支線に甘んざるを得なかったのであり、それ故、該区間に於ける旅客扱は廃止される。
大津駅Ⅰは、道路が未整備たる、琵琶湖対西北岸部貨物集積場としての地位を確立して行く。
然し、旅客列車は廃止されたが、目の前の線路上を、貨物列車が此れ見よがしに走行する姿は面白からぬ筈であり、地元住民から強い要望を受け、貨物列車に客車を連結し、明治31年(1898年)9月1日より旅客輸送が復活した。
当初、該区間列車利用者は地元間移動者では無く、大多数の利用客は馬場(現 膳所)駅以遠利用連絡者だったが、重宝されたのは事実であり、旅客扱復活当時は貨物列車に客車単車1両を連結した形態だったが、年を経るに従い地元間利用者も増加し、明治35年(1902年)1月1日より石場-大津Ⅰ間に紺屋関(こんやせき)駅を設置したが地元に供与したが、内閣鐵道院は、当時の最新車輌たる蒸気動車導入に依る頻発運転、即ち、フリーケントサーヴィスを実施した。
明治43年(1910年)12月27日附通達第1068号に拠り、無人駅たる石場、及び、紺屋関乗車利用者に対し、乗車列車車掌が車内で乗車券を発行する事に決定したが、それまで車掌は機関手の補助として列車運行管理にのみ職種が限定されていたが、車内補充券発行例の第2例として注目すべき事項だった。
東海道本線は、木曾川橋梁追加架橋竣工を以って、大正2年(1913年)12月1日附で新橋-神戸間全線複線化が達成されたが、他方、全国の旅客輸送に対し抜本的見直しを諮る事になった。
他方、近江鐵道、比叡山延暦寺等々が中心となる地元資本を基礎に、大津電気軌道が設立され、該区間を該社に依る営業運転を希望した事から、内閣鐵道院は、軌間を狭軌外に1本軌条を追加し、標準軌との3線対応に直流600V電化する事で、該社電車運転とする事で、大正2年(1913年)2月28日限で内閣鉄道院としての直営旅客営業は休止され、翌3月1日より該社電車で運行され、更に、大津Ⅰは濱大津(はまおおつ)に駅名改称された。
滋賀県南部と福井県西域を結ぶ鉄道線は、既に内閣鐵道院に拠る建設予定線候補となってしたが、地元資本に依り大津-小濱間を連絡させるべく 江若(ごうじゃく)鐵道が創立され、大正8年(1919年)8月19日附で建設許可免許が下りた。
該社は、三井寺下-叡山間6.0kmを皮切りに延伸を重ね、昭和6年(1931年)1月1日に近江今津に到達したが、以遠延長は資金不足の為に不可能になり、濱大津-近江今津間51.0kmの営業に徹した。
該社は濱大津に於いて該線と接続し、該線を経由し鐵道省全線と客貨連絡扱が可能だった。
該社沿線には大東亜戦争中に帝國陸軍重要施設が次々と設置された事から、該線、及び、該社は貨物取扱量が激増し、此の為に貨車配車に苦労させられた。
該社は、戦争終結に伴い、遊休資産と貸した旧帝國陸軍戦車用ディーゼル機関が活用可能な点に着目し、同様に、戦時体制下に於けるガソリン統制に依り使用を休止せざるを得なかったガソリン動車機関をディーゼル機関に換装し、該動車復活を策定し、該換装工事完了後たる、昭和22年(1947年)1月25日より気動車運転が復活したが、該気動車復活運転の目玉として、浜大津-膳所間を該線乗入に依り膳所駅に於ける東海道本線列車との連絡が容易になった。
朝鮮動乱(ちょうせん どうらん)(昭和25年(1950年)6月25日~昭和28年(1953年)7月27日)は、朝鮮半島主権簒奪の為に、北朝鮮代表 金日成(きんにっせい)(1912年(明治45年)4月15日?~(1994年(平成6年)7月8日)が中華人民共和国に唆され朝鮮半島南部に侵攻した内戦である。
北朝鮮軍は破竹の戦いを展開し、一時は朝鮮半島制圧も憂慮される事態だった。
国際連合は該動乱に対し、北朝鮮の行為を侵略行為と決議し、直ちに、北朝鮮軍を鎮圧させるべく、連合国軍が組織され、我が国に進駐中の米英軍に対し出動命令が下された。
該命令に拠り、当時、江若鉄道饗庭に駐屯していた米陸軍第25歩兵師団に朝鮮半島への出動命令が下り、該師団将兵貨物輸送の為に、該区間に空前絶後の列車が運転された。
7月4日
浜大津→小倉間 臨時軍用列車3本 客車計18両 貨車計73両混合列車
浜大津→佐世保間 臨時軍用列車1本 客車計 4両 貨車計29両混合列車
7月5日
浜大津→小倉間 臨時軍用列車1本 客車計 1両 貨車計11両混合列車
搭載貨物は戦車、及び、速射砲
該列車運転を受け、江若鉄道全線、及び、京阪電気鉄道石山線浜大津-京阪膳所間は、該列車運転両日共に、全面運休を余儀無くさせられた。
また、臨時軍用列車運転を想定し、昭和26年(1951年)1月1日~同年11月12日間に浜大津駅に補助RTOが設置された。
昭和34年(1959年)8月9日に、江若鉄道競輪場-近江今津間に皇太子時代の上皇陛下(昭和8年(1933年)12月23日~ )(平成元年(1989年)1月7日~平成30年(2018年)4月30日御在位)の為に御召列車が運転された。
然し、江若鉄道に貴賓車が存在する筈も無く、日本国有鉄道大阪鉄道管理局宮原客貨車区より、スハニ35 6+ナロ10 9+マイテ49 1 の3両が貸与され、該社ディーゼル機関車DD1351号機に牽引され運転されたが、該客車は該線を経由して往復回送された。
現在の、西日本旅客鉄道湖西(こせい)線の原形は、大津から敦賀に至る鉄道設置として、大正11年(1922年)4月11日附法律第37号に拠り制定された、鐵道敷設法第77條ノ2に初めて規定されたが、東海道本線輸送逼迫米原-山科間輸送緩和目的を理由に、昭和36年(1961年)に建設線に指定された。
翌昭和37年(1962年)5月31日附で調査線に格上され、此れを基に、昭和39年(1964年)6月25日附で工事線に指定された。
此の為に、江若鉄道は日本国有鉄道に対し、新規工事線に対する平行線としての不動産資産買収を提議し、最終的に鉄道従業員の雇用問題をも含め買収対象とした為に、一部土地提供の状況もあり、昭和44年(1969年)11月1日附で全線廃止され、会社名も江若交通に改称され、同時に、該区間全線が廃止され気動車の譲渡先への車輌回送に使用されたが、3線軌道は膳所駅分岐専用線として昭和57年(1982年)まで残存していた。
山科-近江塩津間湖西(こせい)線は、湖水浴客輸送を前に昭和49年(1974年)7月20日に全線開通した。
該敷地は開通以来全区間内閣鐵道院所有地で、大津電車軌道後継企業たる京阪電気鉄道所有地となったのは、昭和62年(1987年)4月1日に日本国有鉄道が民営分割され、不要余地が日本国有鉄道清算事業団に移管し、該事業団から買収を求められた平成2年(1990年)である。
表紙写真は、
該区間開業時に設置された湖岸築堤石積跡。
東海道本線歴史的痕跡探訪記
~東京-濱松町間編 明治頌歌~
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~東京驛編~
~汐留-濱松町-品川間編 明治頌歌~
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~品川-川崎間編 明治頌歌~
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~川崎-横濱間編 明治頌歌~
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~横濱駅移設変転史編 明治頌歌~
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~横濱-大船間編 明治頌歌~
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~灘-神戸間編 大正浪漫~
https://4travel.jp/travelogue/11245946
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
膳所(ぜぜ)駅
該駅は、明治13年(1880年)7月15日開業である。
即ち、大谷-濱大津間開通に伴い設置された。
該駅は、開業当初は馬場(ばば)と称したが、現地名は ばんばが正当である。
その後、明治22年(1889年)7月1日附で、馬場-長岡(現 近江長岡)間が開通した。
大正2年(1913年)6月1日には大津(おおつ)Ⅱに再改称されたが、大正10年(1921年)8月1日附で新逢坂山隧道経由の新線開通に伴い、再度、馬場に改名し、且つ、該時点に於いて該駅は貨物取扱専用駅になった。
然し、開業以来42年に亘る「旅客扱が廃止された事で地元は既成特権を喪失したが、旅客扱復活請願を再三に亘り行使したことが実り、昭和9年(1934年)9月15日附で旅客扱が復活し、同時に駅名も旧藩名に因んだ膳所に再々々改称された。
http://www.jr-odekake.net/eki/premises.php?id=0610113膳所駅 駅
-
京阪膳所-石場間
膳所駅取付部跡
本来、右線が本線3線構造の本線で狭軌線のみ膳所駅に直進していた。
大津市石場4-13
東海道本線膳所駅徒歩5分 -
京阪膳所-石場間
膳所駅取付部跡
大津市石場4-13
東海道本線膳所駅徒歩5分 -
京阪膳所-石場間
石場駅跡
明治13年(1880年)7月15日開業時は、敷地狭隘ながら客貨取扱駅だったが、明治22年(1889年)7月1日に馬場(現 膳所)-米原間開通時に営業休止となった。
その後、地元の強い要望から該区間運転の貨物列車に客車を連結し、明治31年(1898年)8月1日より該駅が復活した。
該利用者は地元間移動者では無く、大多数は馬場(現 膳所)駅利用連絡者だったが、重宝されたのは事実であり、その後、当時の最新車輌たる蒸気動車導入に依る頻発運転、即ち、フリーケントサーヴィスも実施されたが、該区間を大津電車軌道が開通営業を希望した事から、鐵道省は、軌間を狭軌外に1本軌条を追加し、標準軌との3線対応に直流600V電化する事で、該社電車運転とする事で、大正2年(1913年)2月28日限で内閣鐵道院としての直営旅客営業は休止され、翌3月1日より該社電車で運行されたが、故に、該敷地は全区間国有地であり、大津電車軌道後継企業たる京阪電気鉄道所有地となったのは、昭和62年(1987年)4月1日に日本国有鉄道が民営分割され、不要余地は日本国有鉄道清算事業団に移管し、該事業団から買収を求められ譲渡完了した平成時である。
大津市石場13-1
東海道本線膳所駅 徒歩10分 -
京阪膳所-石場間
石場駅跡
右手空地が該駅痕跡。
大津市石場13-1
東海道本線膳所駅 徒歩10分 -
石場-島ノ関間
常世川(とこよがわ)橋梁
該橋は、明治13年(1880年)開通の橋梁である。
全長6.0m
山側
全景
大津市中央4-6-34
京阪電気鉄道石山線島ノ関駅 徒歩4分 -
石場-島ノ関間
常世川橋梁
山側橋梁
膳所方
橋台
明治13年(1880年)7月15日開通時の原型。
大津市中央4-6-34
京阪電気鉄道石山線島ノ関駅 徒歩4分 -
石場-島ノ関間
常世川橋梁
山側橋梁
浜大津方
橋台
明治13年(1880年)7月15日開通時の原型。
大津市中央4-6-34
京阪電気鉄道石山線島ノ関駅 徒歩4分 -
石場-島ノ関間
常世川橋梁
橋桁
鐵道省
銘板
大津市中央4-6-34
京阪電気鉄道石山線島ノ関駅 徒歩4分 -
石場-島ノ関間
常世川橋梁
該橋は、大正2年(1913年)3月1日複線化時に架橋。
湖面側
全景
大津市中央4-4
京阪電気鉄道石山線島ノ関駅 徒歩3分 -
石場-島ノ関間
常世川橋梁
上り線
橋台
明治13年(1880年)7月15日開通時に橋台のみ設置。
大津市中央4-4
京阪電気鉄道石山線島ノ関駅 徒歩3分 -
石場-島ノ関間
築堤跡
該線設置時の湖岸跡
設置当時は石垣右側は湖岸跡。
大津市中央4-5
京阪電気鉄道石山線島ノ関駅 徒歩3分 -
島ノ関-浜大津間
吾妻川(あずまがわ)橋梁島ノ関駅 駅
-
島ノ関-浜大津間
吾妻川(あずまがわ)橋梁島ノ関駅 駅
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島ノ関-浜大津間
紺屋関(こんやせき)駅跡
該駅は、明治35年(1902年)1月1日開業したが、大正2年(1913年)3月1日に廃止された。
大津市中央1-50
京阪電気鉄道島ノ関駅 徒歩1分 -
島ノ関-浜大津間
紺屋関駅跡
手前露頭石垣は開通時の湖岸跡。
大津市中央1-50
京阪電気鉄道島ノ関駅 徒歩1分 -
浜大津駅
スカイプラザ浜大津
該敷地に江若鉄道浜大津駅が存在した。
大津市浜大津1-13-32
京阪電気鉄道京津線浜大津駅 徒歩1分びわ湖浜大津駅 駅
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浜大津駅
明日都浜大津
該マンション敷地に日本国有鉄道浜大津駅貨物取扱施設が存在した。
大津市浜大津4-1
京阪電気鉄道京津線浜大津駅 徒歩1分びわ湖浜大津駅 駅
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リニア鉄道館
キハ6400
正面側
該車輌は、大正2年(1913年)3月にホジ6014として製造された蒸気動車である。 -
リニア鉄道館
キハ6400
反対側
該側が先頭となる時は、機関手のみ乗務し制動作動時は機関室に居る機関助手に対し電鈴合図で蒸気止弁を作動させていた。
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この旅行記へのコメント (2)
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- オーヤシクタンさん 2017/05/23 21:17:39
- 琵琶湖汽船大津側の痕跡。
- 横浜臨海公園様、こんばんは。
オーヤシクタンでございます。
三月に青春きっぷで滋賀県長浜に行った時、鉄道スクエアと言う旧長浜駅舎をはじめとした鉄道資料館があり、見学した時、東海道線が開通する前、長浜は鉄道と琵琶湖汽船の接続駅であり、当時、長浜〜大津は鉄道連絡船で結ばれていた事を知りました。
その大津側が今回の旅行記の内容なんですね。
後に米原経由で東海道線が開通したので、長浜は単なる通過駅になってしまったようですが、連絡船で結ばれていた頃は、長浜も大津も賑わった事と思います。
一昨年になりますが、仕事で大津を訪れました。
路面を電車が走っていて乗りたくなりましたが、その時は仕事だったので見るだけで終わってしまいました。
痕跡を訪ねるのは、下調べが相当大変だったと思います。
お疲れさまでした。
オーヤシクタン。
- 横浜臨海公園さん からの返信 2017/05/24 13:06:23
- 拝復
- オーヤシクタンさま、こんにちは。
拙稿に投票と掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
仰せの通り、当初は長浜-大津港間は汽船連絡で良いとの考えで、琵琶湖汽船が就航したましたが、貨物の積替え、積替えが煩瑣となり、明治22年(1889年)7月1日に柏原-
米原-馬場(現 膳所)間が開通すると、馬場-浜大津間は、すっかりローカル化してしまい、誰も省みる者すら無くなった状態となってしまいました。
> 路面を電車が走っていて乗りたくなりましたが、その時は仕事だったので見るだけで終わってしまいました。
→昔は、京都-山科間の殆どの区間を路面走行しておりましたが、京都市営地下鉄と乗入運用を行う様になって、路面走行区間は大津市街のみとなってしまいました。
> 痕跡を訪ねるのは、下調べが相当大変だったと思います。
→試しに、ウイキペディアをご覧になってみてください。
大した知識も資料も無い者が功名心だけでウィキに投稿すると、あんな変な日本語の解説文になります。
兎に角、大変でした!
横浜臨海公園
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