2017/02/12 - 2017/02/12
306位(同エリア415件中)
まりも母さん
栃木県野木町の「旧下野煉化製造会社煉瓦窯」を見て来ました。
明治~昭和まで 煉瓦を焼き続け、近代建産業を支えた 沢山の建造物に使われた煉瓦を製造した、重要な近代化産業遺産です。
私の大好きな、レトロな建物、橋、煙突・・・。
国産の煉瓦が焼かれたこそ 造られた美しい建造物の数々。
その煉瓦を焼いてくれた、不思議な形の窯を見に行きたいとずっと思っていたのが、
案外あっさり叶って、見学できました。
煉瓦窯とそこに携わった方々に敬意を感じつつ じっくり見て来ました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
PR
-
1月 2月中 探鳥目的で、何度も渡良瀬遊水地へ出かけました。
ただ 目的の探鳥は 風や時間帯で見られる条件が変わってしまうのです。
今日は 風が強くてコミミズクは見られないな・・・と言う日
前から「いつか見に行きたいな」と思っていた ホフマン式の煉瓦窯が なんと渡良瀬遊水地に隣接していると貼ってある地図で発見したのです!
な~んだ こんな近くだったのか~ですよ。
午前中の探鳥では目的の鳥も見つからなかったので 昼過ぎに“野木町煉瓦窯”へ来てみました。
駐車場に車を停めてすぐ脇に目的の煉瓦窯は見えました。 -
駐車場には誘導員の方もいて 今日は、イベントの日でした。
「煉瓦窯冬フェスタ」
今年初めての開催のようです。食べ物販売のキッチンカーが並び 夜はイルミネーションで並木道や窯の周辺が飾られます。
煉瓦窯で焼いた じゃがバターが売られていました。
買おうと思ったら 焼けるまで時間がかかるとの事で じゃ~先に煉瓦窯を見てから又来ます。ということに。 -
“野木ホフマン館”に入ります。
カフェレストランや売店、展示室があります。(トイレも)
ここで、見学料100円を払います。
パンフをもらい ある程度の人数が集まったら見学ツアーが始まるので、と言われます。 -
それまで煉瓦窯の解説ビデオを見て待ちます。
見学は ボランティアガイドさんの案内で行われます。
通常は 開始時間が決まっていますが
今日はイベント日なので 見学者が6~10人くらい集まった時点でスタートなるようでした。 -
“ホフマン館”を出てどーんと見えた
野木町煉瓦窯(旧下野煉化製造会社煉瓦窯)明治23年(1890)
国指定重要文化財
ドイツ人技師フリードリヒ・ホフマンによって開発された煉瓦製造用の輪窯。
よって、「ホフマン窯」と呼ばれる。
昭和46年(1971)煉瓦製造休止
ホフマン窯は 昭和26年(1951)には全国に50基もあったものの 現在残るものはわずか4基。
野木町のこの煉瓦窯が唯一完全な形で残っているもの。 -
ボランティアガイドの女性と一緒にヘルメットを被り これから見学です。
このガイドの女性は ご近所の農家の出身だそうで 幼い頃からこの煉瓦窯のある景色の中で遊び、暮らしていたそうです。
よろしくお願いしまーす。 -
まずは外観から。
輪窯も煉瓦でできています。
上の方へ続く長い階段も煉瓦製。
十六角形をしています。
中央には高い煙突。
とんがり帽子を被ったような不思議で独特な形の建物です。 -
煉瓦積みの高い煙突は 高さ35m弱。
老朽化の為 保存工事が行われ 2016年5月に“野木町煉瓦釜 ホフマン館”として公開されるようになりました。
現在の煙突の補強材は その工事でつけられたものです。
この高い煙突 関東大震災で壊れた事もあるそう。 -
十六角形の形は 意匠的なものではなく 中に16の窯がリング状に並んだものです。
それぞれの窯にはアーチ状の入り口があります。
この窯の煉瓦の焼き方は
焼く前の煉瓦を1つの部屋に積み、隣の部屋にも同じように成型された素地煉瓦を積みます。
それを5窯ほど準備。アーチ型の入り口は煉瓦と泥でふさぐ。
一番最初の部屋の煉瓦に点火すると あとは 燃料の粉炭を上から落として加熱します。
余熱・焼成・冷却・窯出しを循環移動させる事により
連続的に煉瓦を焼く事ができる と いう構造になっています。
焼成中の窯の熱風が 次の窯へ伝わる事で 乾燥・余熱が出来
焼いた後 冷却用に取り入れる外気が温まり 焼成中の窯への空気の供給となるなど
連続して運転すれば 効率よく大量の煉瓦を焼く事ができる優れた構造となっているのです。 -
煉瓦の階段は 窯の上から落とす燃料である粉炭を運ぶ為の通路です。
ガイドさんが教えてくれた この階段の面白い所は、踏み面が、平らではなく斜めになっている所です。
段の踏面部分自体が上に傾斜しています。
これは燃料を人力で担ぎ上げる時 楽に早く上がれるようにと言う事でこうなったのだそうです。
たしかに、タダの坂道だと滑るかもしれないし、普通の階段よりは走りやすいと思います。
ただし、上り下りして判りましたが、下る時は、やや、下り難いです。
が、重い燃料を「上げる時」に配慮してこうなった訳ですね。 -
煉瓦は下の方がイギリス積み。上の部分はフランス積みです。
なぜ上の方だけフランス積み??
ガイドさんに聞いてみたら「多分 見た目の理由でしょう」との事でした。 -
ここで焼かれた煉瓦は 普通の四角い煉瓦だけでなく
アーチ型や複雑な形状にも使う為に色々な形の物が作られたそうです。
このアーチ部分の煉瓦を見ても アーチの下の方など イレギュラーな形の物が見られます。 -
保存・修復工事は行われていますが あえて、手を加えていない部分もありました。
煉瓦が割れたり、膨らんでいます。
この窯の部分 中まで全部煉瓦を積んだのではなく
内部の方は土などが入っているそうです。
なので 長い年月のうちに内側から圧がかかって煉瓦が外側に膨らんでしまうのだそう。
中の土だかなんだかが動くって事なのかな?? -
窯の入り口アーチの上部分には1~16までの番号が刻まれた煉瓦がはめられています。
ここで焼かれた煉瓦 原料の粘土は旧谷中村、砂は、思川から船で運ばれたそうです。
しかし 谷中村が強制廃村となったのは明治39年(1906)、
ホフマン窯が出来たのが明治23年(1890)
谷中村材料の煉瓦はこの窯の運転期間を考えたら かなり短期間だけの事ですね。 -
ここ修復の跡があります。
中から押し出されるように膨らんでいるのが判ります。
修復・保存工事が行われても 数年たつと またこうなってくる と ガイドさんは話していました。
文化財の保存はできるだけ現状を維持するって事で まさか 全部を一旦下ろして積みなおしなんて無理っぽいから今後も課題がありそうです。 -
アーチの穴部分から中に入ります。
表の煉瓦表面のアーチ型の中に更に小さなアーチがあり
その入り口は結構狭かったです。
頭ぶつけそう。だから、ヘルメット必要なんですね。
内部の天井です。
天井は緩いカーブで 中は全て煉瓦積み。上に四角い穴がいくつも開いています。
この画像では「壁」がありますが 本来 窯の間に仕切り壁はありません。
半永久的に次々と煉瓦を焼き続ける為 仕切り壁は不要なのです。
これは「火を止める際」にだけ積まれる壁を再現したものです。 -
中はずっと先まで続くアーチ天井の煉瓦積みの空間です。
窯ごとに開けられたアーチ型の入り口があるだけです。
右の下にある穴は、煙道の入り口です。 -
これは、素地煉瓦をどのように積んだか、というサンプル。
こんな感じで、ひとつの窯の中に14000個も入れられたそう。
人力で積む訳だから それも結構大変だったでしょう。 -
昨年完成した修復・保存工事ですが
窯内部は 煉瓦を一度外して積み直して修復した場所と
煉瓦自体はそのままに 内部に鉄骨を組み 崩れないように補強した部分とがあります。
重要文化財の建造物なので 見た目も なるべく保存工事前の状態のままにしたい訳ですが
半分崩れかけたような煉瓦の箇所を直すのに
組みなおせば新しく積んだようになってしまうし
そのままの状態で補強だけすれば 補強材が目障り という
どっちもどっちな事になってしまい 全てを一方には出来なかったようです。
保存修理工事に関しては 私も 「 きれいに直しすぎ」と感じる事も多く
「そのまま」の見た目で保存する事が非常に難しいとは思っています。
そのうち超高性能なコート材みたいなものが開発され
しゅわ~と拭きつけると 見た目なにもしていないようなのにがっちり補強できて劣化しない
で 取る事も容易 なんてものができないですかね?ってか そういう物が早急に開発されて欲しいです。 -
これは再現された 点火釜 焚口部分です。
一番最初にこの煉瓦積みを造り 先へ生素地煉瓦を積み ここで最初の火入れが 薪を使って行われたそうです。
焚口は 点火が終わると取り壊され あとは 連続して次々と使われるので
もう一度作られることは無く
史料や見たことがあるという人の話 煉瓦職人の記憶などから再現したものだそうです。 -
一度外に出て あの斜めっている階段をあがります。
うん なにげに登り易いと思います。 -
2階は ぐるりと全体が見渡せる空間になっています。
煉瓦の並べられた場所は 窯の上部にあたる場所。
その内側には鉄製の軌道があります。
ここに 燃料を入れたトロッコを乗せた訳ですね。
屋根と腰壁の間はオープンな空間です。
だから 雨とか吹き込んじゃう。
煉瓦自体の「塩類風化」という問題もあるそう。
煉瓦の中に浸透した雨水が乾くと そこに沈殿した塩類が煉瓦を腐食させていくという劣化で白くなった煉瓦に解説がありました。 -
煉瓦の並んだ場所に半円形の蓋。
この下には丸い穴があり 窯を炊く時 上から粉炭を落として中で燃焼させた訳です。
ガイドさんのお話で 近所の子供が遊びにくると この蓋のあたりに乗せて作った焼き芋がもらえる事があり それが楽しみだったそうです。
昔は、仕事場が危険であっても 大人の目の届く所なら 子供が入り込んでも叱られる事もない そんな大らかな時代だったのですね。
ただ 礼儀正しく挨拶をしない様な時は 作業のおじさんに怒鳴られたそうです。 -
屋根は 鉄板葺きであったそうです。
十六角形の寄棟型で 内側には複雑な小屋組が見えました。
また、煙突を支える為の鉄パイプの補強(煙突修復時に追加されたもの)が屋根を突き抜けて、斜めにあります。 -
なんとも変わった梁の組み方です。
-
木製の柱の一部には、修復工事で接ぎ直された跡が見られました。
過去に追加された煙突を補強する工事で 鉄パイプを通す為に屋根に開けられた穴から雨水が入り 痛んでしまったそうです。
柱の脇あたりの煉瓦も割れていますが こうしたものも 雨水による風化のようです。 -
これは 煙突に開けられた 煙突内を修理したりする時に入り口とする部分で
通常は煉瓦で埋められているそうです。
今は 中が覗けるように開けられたままになっています。
中の煉瓦は結構デコボコですね。 -
煙突へ流れを調節するダンパー。
窯内の煙道から煙突への排気を行います。 -
隣に見える建物は乗馬クラブのものです。
かつては 煉瓦製造の工場があった場所のようですが
その建物は失われ 土地は 乗馬クラブの会社に売却されてしまったそうです。 -
2階の見学を終えて 先ほどの階段を降りて地上へ。
やはり 斜め階段 下りは歩き難かったです。
登り専用の使い易さですね。
元のままの状態で保存されている煉瓦部分。
放置されれば、全体がこのようになって
いずれ、崩れ落ちる運命だったのでしょう。 -
とは、言っても、現在の状態で 劣化は止まった訳ではなく
そもそもの構造から 少しづつ変化が 続く事は止められないだろう と ガイドさんは言っていました。 -
おおよその見学を終え、戻りかけると 野木町の町政50周年記念に誕生したゆるキャラ「のぎのん」が。
煉瓦窯の屋根帽子を被り 目が「の」の字をあらわしているんですって。
結構かわいいですね。
煉瓦窯をバックにポーズを取ってくれました。 -
ホフマン館の建物との間のスペース 脇の方に煉瓦の塊が。
これは、旧煙突断片(煙突の落下部)らしいものです。
大正12年(1923)の関東大震災により落下したものと思われ 南西側の9号と10号窯の煙道間に埋まっていた物を平成23年からの保存修理工事の際に発見。との事です。 -
上部には この煉瓦窯で焼かれた煉瓦である刻印があるそうです。
ここで説明しておきますと
元々 この下野煉化製造会社には 明治22年(1889)に煉瓦焼きの為の登り窯が造られ その後 今は失われたホフマン式の西窯(明治22年12月)現存する東窯(明治23年6月)が完成しました。
なので 東窯は この地で焼かれた煉瓦も使って造られている訳なのです。
(他に東輝煉化製造所の煉瓦も合わせて使われたとされる) -
ガイドさんに教えてもらった
渡良瀬遊水地へ続く道にある 煉瓦積みの塀を見つつ 再び渡良瀬遊水地内へ入ります。
狭い道ですが坂の脇の土留めに煉瓦が積まれていました。
ここで焼かれた煉瓦は あの東京中央停車場(東京駅舎)、日光金谷ホテル、日本鉄道会社の橋やトンネルなどにも使われたそうです。
私の大好きな煉瓦造の近代建築物の数々が この煉瓦窯で焼かれていたのかと思うと
80年も稼動し続けたこの野木町煉瓦窯に敬意を感じます。
時代は変わっても 煉瓦の建造物の美しさは 明治以降の芸術品だと思います。
今日は 思いがけず 良いものが見られました。
あ、最後に食べようと思っていたじゃがバターは なんとバター品切れとなり
じゃがいもふかしただけのものを 超ディスカウントの50円で売ってくれました~。
塩かけただけでもおいしかったから、ま いいか。
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