![「青春18切符残り1日も使ってくれへん?」<br />知人の鉄ちゃんから再び電話。<br /><br />まだ涼しくないし、このところ雨続きの天気。<br /><br />天気が悪くても楽しめるところって・・・<br /><br />じゃあ久しぶりにやりますか、ミュージアム三昧。<br />ミュージアムがいくつかあって大阪から青春18切符で日帰りできるところといえば?<br />真っ先に浮かんだのが大都市「名古屋」。<br /><br />「名古屋」って何があるんだ?<br />調べてみると出てくる出てくる。<br />これだけあると選ぶの大変だわ!<br /><br />という中で名古屋らしさと個人の興味から4つの施設を厳選しました。<br /><br />日本を代表する愛知の巨大企業トヨタのミュージアム「産業技術記念館」<br />大正期のモダンな洋風建築「文化のみち二葉館」<br />ネオ・バロック様式レンガ造りの「名古屋市市政資料館」<br />日本で一般公開されている3つの南極観測船のひとつ「南極観測船ふじ」<br /><br />今日も忙しい1日となりそうだ。<br />ミュージアム三昧も楽ではないのです。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/81/21/650x_10812191.jpg?updated_at=1625271499)
2013/09/06 - 2013/09/06
65位(同エリア598件中)
キートンさん
「青春18切符残り1日も使ってくれへん?」
知人の鉄ちゃんから再び電話。
まだ涼しくないし、このところ雨続きの天気。
天気が悪くても楽しめるところって・・・
じゃあ久しぶりにやりますか、ミュージアム三昧。
ミュージアムがいくつかあって大阪から青春18切符で日帰りできるところといえば?
真っ先に浮かんだのが大都市「名古屋」。
「名古屋」って何があるんだ?
調べてみると出てくる出てくる。
これだけあると選ぶの大変だわ!
という中で名古屋らしさと個人の興味から4つの施設を厳選しました。
日本を代表する愛知の巨大企業トヨタのミュージアム「産業技術記念館」
大正期のモダンな洋風建築「文化のみち二葉館」
ネオ・バロック様式レンガ造りの「名古屋市市政資料館」
日本で一般公開されている3つの南極観測船のひとつ「南極観測船ふじ」
今日も忙しい1日となりそうだ。
ミュージアム三昧も楽ではないのです。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
-
自宅の最寄り駅から普通と新快速を乗り継いで3時間弱で名古屋駅に到着。
正規運賃だと片道3000円を越えているので、すでに青春18きっぷの1日分のもとはとれている。
バスと地下鉄の1日乗車券850円を購入して、8番バス乗り場から10:00発のなごや観光ルートバス「メーグル」に乗って「産業技術記念館」にやって来た。
ここはトヨタ発祥の地である「旧豊田紡績株式会社本社工場跡」で、建築史的にも貴重な赤レンガの建物を産業遺産として保存し、「産業技術記念館」として活用している。 -
入場料は通常500円のところ一日乗車券を見せると400円に。
エントランスロビーには環状織機が動態展示してある。
トヨタグループの創始者である豊田佐吉は、織機の自動化を成し遂げた後、「動力を空費せず、超広幅の布を静かに製織できる」環状織機を1906年に発明した。
運動の理想である回転円運動により、布を織り上げるという画期的な織機で、「夢の織機」と評価され世界19カ国で特許を取得した。
展示機は1924年に製作後、長時間テストされた現存する唯一の完成機で、10:00、13:30、15:00の1日3回5分間の実演がある。
残念ながら10:00の実演が終了したところで見れずじまい。 -
展示場に入るとまずこれが置いてある。
日本の産業近代化のさきがけ的発明「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」
1924年に発明、完成したG型自動織機は、世界で初めて実現した無停止自働杼換装置をはじめ24の自働化、保護・安全装置により、高速運転中に少しもスピードを落とすことなく円滑に杼(ひ)を交換してよこ糸を補給することができ、生産性は大幅に向上した。
1929年には世界のトップメーカーであるイギリス・プラット社に技術供与(特許権の譲渡)し、日本の技術者に自信を与えた。 -
展示場は大きく「繊維機械館」と「自動車館」の2つに分かれている。
「繊維機械館」の壁際には「糸を紡ぐ技術の変還」の展示が並ぶ。
豊田佐吉より以前の発明家、臥雲辰致(がうん たつむね)により発明された「ガラ紡機」は1880年頃から全国に広まった。
当初は手回しだったが、やがて水車による動力となり大量生産が可能になった。
写真奥の水車が回り、その様子が実演されている。 -
紡績の最終工程をうけもつ「リング精紡機」(1896年)。
粗糸を細く引きのばし撚りをかけ、完成した糸をボビンに巻き取る。
粗糸の束が何本も並ぶ光景が壮観。
19世紀からすでにこんな大型機械があったのだ。 -
「繊維機械館」の中央部には「布を織る技術の変還」の展示。
1890年(明治23年)、豊田佐吉は片手で簡単に操作できる「豊田式木製人力織機」を発明。
生産性と品質を向上させ、初めて特許を取得した。
両手を使うバッタン織機に改良を加え、筬框(おさかまち)を片手で前後に動かすことによって、杼を飛ばすことと緯糸を打ちこむことが同時に可能となった。この織機によって織布の生産性が4、5割上昇したという。
その実演が行われている。 -
1924年(大正13年)、豊田佐吉は世界最高性能の「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」を完成させる。
G型自動織機の登場により、1人の作業者で30〜50台を運転することが可能になった。
「G型自動織機」の集団運転の実演では、稼働中に糸が切れるトラブルが発生した時に自動的に機械が停止する仕掛けなどの特許を取得した工夫点の解説がある。 -
「現代織機技術の紹介」の展示機のひとつ。
複雑な柄織物を織るジャカード装置を付けた「豊田エアジェットルームJAT710-J型(2006年)」。
主要機能をコンピューターで制御。
対話型操作パネルにより複雑な柄織物を織るためのよこ糸挿入条件設定やたて糸を動かすジャカード装置の制御が簡単にできる。 -
「金属加工コーナー」では、「鋳造(ちゅうぞう)」、「鍛造(たんぞう)」、切削加工を実演がある。
「鋳造(ちゅうぞう)」とは、は、金属を融点よりも高い温度で熱して液体にしたあと、型に流し込み、冷やして目的の形状に固める加工方法。
「鍛造(たんぞう)」とは、金属をハンマー等で叩いて圧力を加える事で、金属内部の空隙をつぶし、結晶を微細化し、結晶の方向を整えて強度を高めると共に目的の形状に成形すること。 -
鍛造の実演でバリ抜きされた金属。
真っ赤だった金属が、みるみる冷えて黒色に変化していく。 -
「繊維機械館」を約1時間見学した後、「自動車館」へと移動する。
「自動車館」の約45分間のガイドツアーが11:15からあるということで、ガイドツアーを申し込んだ。
展示物があまりにも多いので、ある程度要点をしぼらないと時間がかかるし、ガイドツアーは無料で45分程度で主要な部分を解説してくれそうだ。
まず、繊維産業から自動車産業へ乗りだした経緯の説明。
父佐吉のDNAを受け継いだ豊田喜一郎は、自動車がこれからの巨大産業になることを予測し、日本人による国産自動車製造への道を歩むことになる。
1921年、繊維機械の技術者として欧米の視察旅行をした豊田喜一郎は、すでに大衆の足となりつつあった自動車の発達に目を奪われた。
1923年、関東大震災で物流の主役だった鉄道が破壊され、復興の足となったのは輸入トラックなどの自動車だった。
1925年にフォード社、1927年にGM社が日本に工場を設立してアメリカ社の国内生産が始まる。
1929年、英国プラット社に自動織機の特許権を10万ポンド(100万円)で譲渡した後、欧米の自動車工業の実態を視察した。
この2度目の欧米視察の後、喜一郎は自動車事業の研究に着手する。 -
自動車製造にあたって材料の品質を最も重要視していた豊田喜一郎は、1933年に自動車部を設置すると、翌1934年、豊田自動織機製作所構内(当時。現・愛知製鋼刈谷工場)に試作工場とともに材料試験室を建設し、鉄の研究を開始した。
愛知製鋼刈谷工場に残されていたこれらの建物を部分移転・復元し館内に再現している。
この「材料試験室」では、当時の材料研究に使われた各種の試験機を展示している。 -
「試作工場」では、トヨタ初の試作車「A1型」のボデー試作(手叩き板金工程)の様子を紹介している。
原寸木型に合わせて鉄板を手叩きによりパネルに仕上げて、ボデーを組み立てていく。 -
こちらが原寸木型。
ボデーを組み立ててゆく様子がよくわかる。 -
館内に移築・復元された、1934年(昭和9年)当時の愛知製鋼刈谷工場。
展示品だけでなく、建築物の保存にもこだわりが感じられる。 -
「自動車館」の2階へ移動すると「自動車の仕組みと構成部品」の展示。
自動車のエンジンが年代を追って十種類程度が展示されている。
これはトヨタ初の空冷水平対向エンジン「U型エンジン」。
1961年に発売されたトヨタ初のコンパクトクラス乗用車パブリカのために開発された。
水平対向2気筒のレイアウト、空冷方式、多数のアルミ部品、動弁系への油圧リフタの採用などによって、コンパクトクラス用エンジンに必要な小型・軽量・低騒音・高性能という条件を満たした。 -
「1UZ-FE型エンジン」
「V型8気筒エンジン」の系列で、高性能、低燃費、静寂性などを高いレベルで実現した「ハイメカツインカムシリーズ」の最高機種。
よく見ると形的にも、「V」と「8」の字が浮かび上がってくる。
セルシオやクラウンマジェスタに搭載された。
「DOHC」とか「ツインカム」とか、おじさんには懐かしい響きである。 -
3種類のボデー。
左側は、
悪路走破性と居住性の両立をめざした、初代クラウン(1955年)「フレームつきボデー」。
当時は舗装された道が少なく、現在より高い剛性が必要だった。
現在の車種でフレームがついているのはランドクルーザーだけだという。
中央は、
小型・軽量・広い室内空間をめざした、初代カローラ(1966年)「FR用ユニット構造ボデー」。
初代カローラはマイカー時代に向けて開発された、FR用のユニット構造で5人が乗れる室内空間をもつ。
右側は、
安全性・居住性・静寂性の要望に対応したカローラ(1991年)「FF用ユニット構造ボデー」。
多様化・高度化する要望に新しい技術を駆使して対応している。 -
「自動車館」2階から見た1階の光景。
実際はこの2倍くらいの面積があり、展示ボリュームは半端ない。 -
1階の「代表車種のプロムナード」には年代順に代表車種が並ぶ。
トヨダスタンダードセダン「AA型」は、1936年4月に発売されたトヨタ初の乗用車。
全長4785mm、全幅1730mm、全高1750mm、
ホイールベース2850mm、乗車定員5名、
総排気量3389cc
サイズ的には現在でいう「3ナンバー」の枠に入るが、「初の乗用車」にしては、洗練された異和感のないサイズに見える。 -
ドアは観音開き。
居住性は後部座席重視のようで、フットレストが付いている。
座席も高級ソファーのようで、いかにも金持ち用の乗り物といった感じ。
クラクションがハンドル中央とハンドル下の2つある。
通常はハンドル中央を使い、馬車の馬に向けてはハンドル下のラッパホーンを膝ではさんで鳴らしたという。
通常のクラクションでは馬が驚いて暴れだす危険性があったとか。 -
イチオシ
ボンネット先端のエンブレム。
円の中に「豊田」、六角形の中に「TOYODA」の文字が読める。
1937年1月に新会社「トヨタ自動車株式会社」として独立することとなり、その後生産終了までの7年間の「AA型」はトヨタとして販売された。
「トヨダ」から「トヨタ」への改名の理由は、
①だく点がない方がひびきがよい
②カタカナで書いた時の画数が10→8となり、末広がりで縁起が良い
③創始者の名前と社名を区別する
の3つだったという。 -
トヨタ初のトラック「トヨダトラックG1型」は、スタンダードセダン「AA型」より1年早い1935年に発売された。
油圧式ブレーキ、全浮動式後車軸をもったトラック。
全長5950mm、全幅2191mm、全高2219mm、
ホイールベース3594mm、乗車定員2名、
最大積載量1500kg、総排気量3389cc
シートは簡素。
タイヤの下部に、石飛ガードが付いている。 -
手前は、
「トヨエースSKB型トラック(1954年)」
セミキャブオーバータイプのライトトラック。
トラックの国民車として、当時小荷物運搬の主流となった。
向こうは、
「トヨペットクラウン(1955年)」(初代クラウン)
当時の道路に適した乗り心地がよく、堅牢な前輪の独立懸架や後輪の3枚バネをもつ本格的乗用車。 -
「トヨペットクラウン(1955年)」の全席。
ドアはまだ観音開き。
コラム式シフトにベンチシートで6人乗り。
ダッシュボード中央のラジオ、メーター類、三角窓などが時代を感じさせる。
詳しくはこちらのカタログで
http://toyota.jp/T/crown/catalog/crown1/#page=1 -
1987年の東京モーターショーに出展したコンセプトカー「AXV-?」の市販モデル「セラ(Sera)」(1990年)。
超高級スポーツカーの専売特許であったガルウイングドアを一般レベルで日本で初めて採用した乗用車。
欲しいとは思わなかったが1度は乗ってみたいと当時は思っていたが実現せず。 -
「自動車生産技術の変遷」の展示。
初期の乗用車のボデーは手作りだったので、ガラスの枠も均一ではなく1台1台微妙に形が異なっていた。
ガラスの形状をボデーから型紙を取り、1枚1枚型紙からガラスを切り取っていた。 -
ステアリングナックルの鍛造工程を再現している。
熟練を要する人手に頼った工程で、ハンマの上下を加減する作業員と、熱した鉄を火箸で支える作業員との絶妙な呼吸で加工していた。
当時使用していた鍛造用各種工具や治具型も展示している。 -
1960年完成のトヨタの元町工場に導入された、当時としては画期的なアメリカ・ダンリー社製600トンプレス機の展示。
このプレス機は素早い金型交換が可能なクイック・ダイ・チェンジ方式により生産性を飛躍的に向上させ、その後の国産プレス機に大きな影響を与えた。 -
ボデーの組付はロボットによるスポット溶接で行なう。
量産への対応と自動化をめざして開発された日本初の本格的産業ロボットから世界に先駆けて開発した最新の溶接ロボットまで6台を年代順に配して動態展示している。
これは1980年代の溶接ロボットによる動態展示。 -
自動車の組立作業は、搭載、締付、接着などがあり、ネジ、ボルト、ナットなどの締め付け作業が大半。
初期はすべて手締めの工具の組付だったが、量産化が進み、動力工具が登場、現在では電子制御技術の進歩により自動化が急速に進展した。
とはいえ現在でも全ての工程が自動化できているわけではなく、一部熟練工の人による感覚や感に頼る作業も残っているという。
以上、2時間半かけて「産業技術記念館」を見学したが、展示内容は1日かけても見尽くせない程のボリュームである。
時間があまり取れないなら、できれば無料のガイドツアーに参加する方がポイントを押さえて記憶に残りやすいだろう。
企業博物館とはいえ、さすが日本最大の巨大企業だけのことはある。
500円の入場料にしては見ごたえがあり過ぎる。 -
「産業技術記念館」12:38発の観光ルートバス「メーグル」に乗り遅れたので、亀島駅から地下鉄に乗って高岳駅まで移動し、10分ほど歩いて「文化のみち二葉館」にやって来た。
ここを訪れた理由は、何よりこの外観に惹かれたからである。 -
イチオシ
まず玄関先の柱の重量感が半端ではない。
和洋折衷のこの建物は、その斬新さと豪華さから「二葉御殿」と呼ばれた。
入場料は通常200円のところ一日乗車券を見せると160円に。 -
玄関を入って左手の大広間へ。
「文化のみち二葉館」は、電力王と呼ばれた福沢桃介と日本の女優第1号である川上貞奴が、1920年(大正9年)から1926年(大正15年)までの6年間を共に暮らした旧邸宅。 -
大広間のステンドグラスのひとつ。
設計は当時新進気鋭の住宅専門会社「あめりか屋」に依頼し、貞奴の好みも至る所に取り入れられた。 -
建物は「移築した部分」「復元した部分」「推定復元した部分」に大きく分けられる。
大広間は、古い写真、実際に住んでいた人への聞き取り調査や「あめりか屋」の設計による他の建物を参考に推定復元している。
ステンドグラス、ソファ、床、天井、造作材など、一部は古材を再利用している。
半円形に張り出したソファーが居心地良さそう。 -
「女優 川上貞奴」に関する資料の展示。
川上貞奴は日舞の技芸に秀でた芸妓で、1894年に芝居をしていた川上音二郎と結婚。
川上一座が興行のため渡ったアメリカ・サンフランシスコの公演で、女優「貞奴」として初めて舞台に立ちアメリカ各地で評判を得た。
また、パリ万博で公演し、フランス政府から勲章を授かるなど、「マダム貞奴」として一躍有名になった。
1903年2月、わが国初のシェークスピア翻案劇「オセロ」をはじめ、「ベニスの商人」「ハムレット」と次々上演。
1908年、女優を育成するため、音二郎とともに帝国女優養成所を創立。
1911年に音二郎が病で死去。
遺志を継ぎ公演活動を続けるも、1917年に舞台から退いた。 -
左側が、
唯一現存する貞奴の舞台衣装「花魁のうちかけ」と薙刀(レプリカ)。
中央が、
ドイツ人画家ミュッラーが1900年頃に描いたポスター「サダ・ヤッコ(川上貞奴来演)」
川上貞奴は「日本最初の女優」といわれているが、テレビはもちろんなく、映画も「活動写真」として普及する以前なので、「舞台女優」ということになる。 -
和室は移築した部分で創建当初のままであり、この部分は国の文化財として登録されている。
福沢桃介の直筆の書で、漢詩(唐代の詩人・崔 敏童作)を書いた「桃介の書」。
貞奴が愛用していた火鉢(レプリカ)・座布団・三味線など。 -
旧書斎は二畳の和室。
貞奴が愛用していた座布団・文机・火鉢・炭入れ。 -
和風の廊下。
ここはあえてモノクロで。 -
一階大広間と二階廊下をつなぐ階段。
下部がらせん、上部が直線。
この組み合わせが何気に良かったりする。 -
二階から中庭と蔵を見下ろす。
ここで福沢桃介の紹介。
福沢桃介は、大正期に電力王と言われ、木曽川水系に多くの発電所を建設した。
福沢諭吉の次女ふさの婿となるため、福沢家の養子となった。
日露戦争をきっかけに株で大成功して財をなし、事業家への道を歩み始めた。
大正2年(1913)、名古屋電燈株式会社の取締役に就任。
電力会社を合併し、大同電力株式会社を設立した。
社長として名古屋を拠点に木曽川水系の電力開発に乗り出し、名古屋の二葉御殿では川上貞奴の協力のもとに政財界の接客を行い事業の推進を図った。
日本初のダム式発電である大井発電所など木曽川に7ヶ所の発電所を建設した。 -
二階の旧書斎の照明。
天井の装飾が凝っている。
桃介と貞奴の馴れ初めは1885年頃にさかのぼる。
馬術をしていた貞が野犬に襲われるのを、学生だった桃介が制したことで2人は恋に落ちる。
1年後、桃介は諭吉の二女・房と政略結婚。
この後、貞奴と桃介は長い別離を挟む。
しかし、女優を引退した後の貞奴は、再び悲恋の相手だった桃介と結ばれる。
事業面でも実生活でも桃介を支え、仲睦まじく一生を添い遂げた。
2人並んで公の場に姿を現し、桃介が手掛けた大井ダム工事の際も貞奴は赤いバイクを乗り回し現場を訪れ、他の社員が尻込みする中を1人桃介について谷底まで向かったという。
2人のロマンスは、1985年にNHK大河ドラマで『春の波涛』の名でドラマ化された。 -
「文化のみち二葉館」の二階の4部屋は、坪内逍遥、城山三郎、小谷剛など郷土ゆかりの文学者を、資料やパネルで紹介されている。
こちらは城山三郎の書斎を再現したもの。 -
「文化のみち二葉館」を40分ほど見学した後、西に向かって歩く。
このあたりは「町並み保存地区」で、木造の古い建物が多く集まる。
残念ながら「文化のみち橦木館」は外壁工事中で建物の外観が見れなかった。
これは「カトリック主税町教会」。
名古屋最古の教会堂で、鐘楼(復元)の鐘は100年前のフランス製。
敷地内のケヤキの木は都市景観保存樹に指定されている。 -
「文化のみち二葉館」から徒歩約10分で「名古屋市市政資料館」に到着。
ネオ・バロック様式のレンガ造りの建物で、建物・市政・司法に関する展示を行っている。 -
エントランスの円柱はイオニア式か?
大正11年(1922)に当時の名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所として建設されて以来、昭和54年(1979)に名古屋高等・地方裁判所が中区三の丸一丁目に移転するまで、中部地方における司法の中心として60年近い歴史を積み重ねてきた。 -
イチオシ
中央階段室の荘厳な階段。
ここはNHKドラマ「坂の上の雲」やTBSドラマ「花より男子2」などのロケ地となったという。
個人的にはどちらも未見だが。 -
階段の突きあたりと天井にはステンドグラス。
ステンドグラスは、天井の方が公明正大な裁判を表現し、正面の方は罪と罰が釣り合うことを意味する天秤を表現しているという。
なお、この「名古屋市市政資料館」は無料で入場できる、ありがたい歴史的建築物。 -
階段から三階廊下にかけての手すりは大理石で、廊下の柱が黄色の円柱となっている。
-
3階の会議室(復原)は、 この建物の中で最も格調高い部屋で、内装を含め国の重要文化財に指定されている。
約40畳の部屋に一枚織りの絨毯が敷かれている。
シャンデリア、机、椅子などの調度品は、当時のものを残された資料や聞き取り調査により忠実に再現しているという。 -
「明治憲法下の法廷」(復原展示室)
大正11年(1922年)にこの庁舎が新築された際の名古屋控訴院第2号法廷を再現したもので、刑事合議制の公判をモデルにしているという。
法壇の中央に3人の判事、左側に検事、右側に裁判所書記が着席しているそうだ。 -
「現行憲法下の法廷」(復原展示室)
名古屋地方裁判所の単独制による裁判を行うために設けられた法廷を、傍聴席の一部を除き、昭和23年(1948年)ころの模様に再現したもの。
検察官は訴訟上では当事者の一方であるということから、弁護人と向かい合う位置に着席し、裁判所書記官の席は法壇のもとへ置くようになったそうだ。 -
1階に下りると留置所がある。
時間があまりなかったので「名古屋市市政資料館」は20分弱の見学となったが、無料の割には見ごたえがあり、30〜60分くらいの見学時間を取った方が良いようだ。
なお、写真や資料の展示で一部撮影禁止になっている部屋があるので注意が必要である。 -
市役所駅から地下鉄に乗り名古屋港にやって来た。
これは「日本南極地域観測隊」の雪上車。
この周辺には、「南極観測船ふじ」、「名古屋海洋博物館」、「ポートビル展望室」があり、各施設の入場料は300円、3施設共通券は700円。
また、「名古屋港水族館」も含めた4施設共通券は2400円。 -
「南極観測船ふじ」は、日本の二代目南極観測船。
昭和40年(1965年)7月に竣工。
同年から南極観測船としての役割を海上保安庁の宗谷より引継ぎ、昭和58年(1983年)まで海上自衛隊により運用され南極地域観測隊輸送に従事した。
なお、歴代の南極観測船は下記のとおり
初代:「宗谷」 全長82.3m (東京お台場「船の科学館」で公開)
二代目:「ふじ」 全長100.0m、全幅22.0m (名古屋港で公開)
三代目:「しらせ」 全長134m、全幅28.0m (千葉県船橋港で公開)
四代目:「しらせ(2代)」 全長138m、全幅28.0m (現役)
タロとジロで有名な「南極物語」は1950年代後半の実話で、その時の南極観測船は「宗谷」。 -
「南極観測船ふじ」の入口は1階の「第1甲板」の中央部。
入るとすぐに食堂がある。
南極へ向かう途中には南緯60度付近の暴風圏を通ることになり、船体は激しく揺れた。
そのため机や椅子は床に固定されている。
思っていたより広く、調理室にはリアルなマネキンが作業している。 -
廊下も想像していたより広く、両側の壁には「ホイールコンベヤー」というそろばん型の荷役機械が設置されている。
食料などの小さな荷物を運ぶのに利用したという。 -
B1Fの「第2甲板」に移動。
ここは「医務室」。
ふじの航海の約5カ月間、乗組員約230人の健康をあずかっていた。
手術のできる設備もあり、専門医が衛生教育、健康診断、診療にあたっていた。 -
ここは「理髪室」。
ふじの乗組員で手先の器用な人が、出航前に特別訓練を受けて「にわか床屋さん」をしていたとか。
さすがに専門の理髪師まで乗船させる余裕はなかったようだ。 -
乗組員の寝室には階級により4種類以上のタイプがあるようだ。
「士官寝室」:艦長以下のふじの幹部約33人の居室で予備室を含め17室。通常2人部屋。
「観測隊員寝室」:観測隊員の居室で、同じフロアーに18室。2人部屋と4人部屋がある。
「先任海曹寝室」:先任海曹(下士官のうち主だった者)約10人の居室。
ここは「先任海曹寝室」。
あまり見たことがないボードゲームをしてくつろいでいる。 -
ここは「第2居住区」。
一般乗組員約105人分の居室で、3段ベッド27台、2段ベッド14台が置かれている。
簡素なベッド以外はプライベート空間はないもよう。
「第1居住区」は船首部にあり、60人分の居室になっている。 -
南極大陸での野外調査の様子を再現したジオラマ。
気象観測や測量を行っている。
南極はどこの国でもないので、世界各国が協力して観測や研究が行われてる。 -
「砕氷のしくみ」
ふじは氷の薄いところは強力な推進力で連続砕氷して進み、厚い氷に対しては、船の大きな前進エネルギーで体当たりして砕氷するチャージングという航法をとった。
船が氷に乗り上げた場合には、船を前後左右にゆさぶって氷を割り後退する。
船首部分に45ミリの厚い綱板を使っているほか、1対のトリミングタンク(船を前後に傾ける装置)と、3対のヒーリングタンク(左右にゆする装置)をもっている。 -
「木製そり(2トン積み用)」
平成10年4月13日に南極観測船「しらせ」が南極昭和基地から持ち帰った「木製そり」で、南極で約10年間、昭和基地から内陸基地(ドームふじ基地、みずほ基地)などへの物資輸送をしたり、内陸調査に使用された。
大型雪上車は、このそりを7台をワイヤーで連携し、牽引・走行する。 -
イチオシ
甲板に出ると、物資輸送に活躍したヘリコプターが展示されている。
ふじには輸送用や氷の状態などを偵察するヘリコプター3機が載せられていて、飛行甲板では1機ずつ発着できるようになっている。 -
「南極観測船ふじ」の船内の見学は45分程度で終了。
下船したところにある「ふじの広場」には、南極犬タロとジロの銅像や南極観測船ふじのスクリューがある。 -
名古屋港水族館へと渡る橋の上から見た「南極観測船ふじ」。
後で気付いたのだが、ブリッジと呼ばれる操舵室も見学できたようだが、順路を間違えて下船してしまった。
少し惜しいことをした。 -
16:30頃、今日の観光を終えて地下鉄名古屋港駅へと向かう。
「産業技術記念館」、「文化のみち二葉館」、「名古屋市市政資料館」、「南極観測船ふじ」の4施設を見学したが、いずれも興味深い内容のものだった。
なかでも「産業技術記念館」の展示内容は質もさることながら量に圧倒された。ここを本気で見尽くそうと思ったら丸1日を費やす覚悟がいりそうだ。
ただ、その充実度は1日かける価値は十分にありそうだ。
最後に、例によって今日のおさらい。
大阪〜名古屋JR往復正規料金:6520円
青春18きっぷ1日分:11500円/5日=2300円
差額:4220円
バス(名古屋駅→産業技術記念館):200円
産業技術記念館:500円
地下鉄(亀島→高岳):230円
文化のみち二葉館:200円
地下鉄(市役所→名古屋港):260円
南極観測船ふじ:300円
地下鉄(名古屋港→金山):230円
正規料金合計:1920円
名古屋一日乗車券:850円
産業技術記念館:400円
文化のみち二葉館:160円
南極観測船ふじ:300円
一日乗車券利用合計:1710円
差額:210円
まあ、今回は「名古屋一日乗車券」より「青春18きっぷ」のメリットが大きかったということで良しである。
なお、土・日・休日・毎月8日なら名古屋の地下鉄・市バスは「ドニチエコきっぷ」が600円で乗り放題で絶対お得です。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 水仙さん 2014/06/08 09:54:22
- 見やすく、読み易く、写真が綺麗でした❗?
- 中身の充実した一日を楽しく拝見しました。よく調べてまとめてあってほんとに、よく分かるものでした。
これは、よく楽しみながら、よくチエックを忘れずに出来上がってますね。すばらしいの一言でした。
名古屋が地元なんですが、ここまで知らなかった。実はふじ号しか入ってないです。
ぜひ、行ってきたいです。
紹介してくださってありがとうございました。ホームページなどよりもよかったです。名古屋の中の移動もムダがないように見えました。
楽しみ方の勉強が出来ましたよ。
ご苦労さまでした〜。
又訪問させてもらいます。
- キートンさん からの返信 2014/06/08 11:26:17
- RE: 見やすく、読み易く、写真が綺麗でした❗?
- こんにちは、水仙さん。
書き込みおよび身に余るお言葉、ありがとうございます。
博物館や歴史的建造物などの旅行記って、解説を入れようとすると意外と手間ひまかかるんですよね。
ただ、旅行後に復習することになるし、後に読み返すこともできるので、手間ひまかける意味はあるのですが。
青春18きっぷと名古屋一日乗車券を利用して、大阪から日帰り範囲内で自分が興味ある施設をチョイスすると「産業技術記念館」、「文化のみち二葉館」、「南極観測船ふじ」の3施設とついでの「名古屋市市政資料館」になりました。
「産業技術記念館」は思っていた以上に見応えがあって、2時間半の見学では全然時間不足でした。
地元っていつでも行ける感があって、意外と足を運ばないものですね。
私も地元で話題の「あべのハルカス」や「グランフロント大阪」にはまだ行ってないです。
ちょっと熱が冷めた頃にふらっと行くのが良いかも・・・
では、また。
キートン
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