2015/12/30 - 2016/01/02
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PHOPHOCHANGさん
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会津若松駅前8時発のまちなか周遊バス「ハイカラさん」に乗って鶴ヶ城へと向かい、その後「ハイカラさん」のルートにしたがって御薬園、会津武家屋敷、飯盛山と廻って来ました。
それぞれの旅行記はこちらです。
鶴ヶ城:http://4travel.jp/travelogue/11092077
麟閣:http://4travel.jp/travelogue/11100016
御薬園:http://4travel.jp/travelogue/11100034
会津武家屋敷part1:http://4travel.jp/travelogue/11100030
part2:http://4travel.jp/travelogue/11109351
飯盛山:http://4travel.jp/travelogue/11100031
再び駅へと戻って来たのは既に15時半になろうとする頃でした。
この日の泊まりはいわきです。17時15分の高速バスを利用します。
此処で青春18きっぷを使う手も考えました。会津若松〜いわきの運賃は2590円です。って事は青春〜1回分の2370円の方が安上がりですモンね。
高速バスなら2400円。青春〜より高いじゃないか!って?
いいえ、2人なら4800円となりますが、1200円分の回数券4枚は4400円で手に入れられるのです。つまり1人当たり2200円で乗り換え無しの3時間(各駅停車より所要時間は短いです)で到着出来ちゃいます。
って事で、それまでの2時間弱をどう使うか?
駅前の富士の湯?今はそれも有りだったなと思いますが、その時はもっともっと観光したいとしか考えませんでした。
で、PHOはそのまま「ハイカラさん」に乗り続け、七日町へ向かいました。ツレは荷物を預けてあるホテルのロビーで休憩するそうです。振る舞い酒狙いかな?
それでは自由行動タイムの始まりです。但し、元旦なので資料館などは何処も閉館中なのでした。
それでもこの辺りは喜多方より蔵造りが集中して見られるので、一生懸命歩いてみます
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
会津若松駅です。
結果的に今回は大晦日に喜多方への乗り換えに利用しただけで、乗降自体はしませんでした。
此処でツレと一旦別行動 -
「ハイカラさん」は周遊バスなので、此処が終点と言う訳では有りません。また1日乗車券は何度でも乗り降り自由なので(発車までに時間も有ったし)、ちょっと下車してみました
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只見線七日町駅到着です。此処で下車して散策を始めます
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その前にせっかくなので、駅ナカも見てみましょう。
七日町駅は只見線内では最も列車本数の多い会津若松〜西若松間にある中間ですが、停車列車の本数は、臨時を含めても只見線(只見・小出方面)の列車より会津鉄道会津線(芦ノ牧温泉・会津田島方面)に直通する列車が大半を占めています -
15:40発の会津田島行きです。
そっかぁ、浅草から東武線経由でこっちに入るって手が有ったね -
磐梯山ですか?
雪が在るのは上の方だけだね -
駅の周辺には蔵造りの家が沢山在るのです
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「ハイカラさん」のバス停
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「あかべぇ」のバス停。
「ハイカラさん」の反対回りと聞いていたのだけれど、散策の後で会津若松駅方面へ帰ろうとしたら、特にこの七日町周辺は必ずしも同じルートは通っていないのです。物凄い誤算でした。路線図もっと良く見ておけば良かった・・ -
まず駅に近い阿弥陀寺を訪れてみます
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阿弥陀寺は、慶長8(1603)年、蒲生秀行公から土地を賜った良然上人による開山が始まりとされています。が、由緒あるこの寺院は、二度の火災で建物が焼失し、戊辰戦争後、昭和30(1955)年に本堂を再建するまでの長い間、取り壊しが決定した鶴ヶ城より払い下げられた御三階を、仮本堂として使用していました。
その玄関部分に飾られた三つ葉葵の紋が見守る境内には、戊辰戦争で戦死した会津藩士の墓や元新撰組の斎藤一(藤田五郎)の墓などがひっそりと佇んでいます -
御三階。
かつては鶴ヶ城本丸内にあった建物です。御三階跡って本丸、麟閣のそばに在ったでしょ。其処にはこれが建っていたのでした。
外観上は三階ですが、内部が四層になっており密議の場所として使用されたといわれています。
明治3年にここ阿弥陀寺に移されました -
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三つ葉葵!
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元新撰組隊士斉藤一の墓
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元新撰組三番隊隊長として有名な斎藤一は戊辰戦争の際「会津を見捨てる事は出来ない」と、北へ向かった土方歳三と別れて会津に留まりました。戦争終結後は藤田五郎と名を変えて、警視庁に勤務し西南戦争で活躍しました。
大正4(1915)年に72歳で往生を遂げた斎藤は、後半生を会津人として生きた彼の希望により、ここ阿弥陀寺に葬られています。幕末の動乱から明治、大正を生きた彼の墓には、今でも参拝者の姿が絶えません -
戊辰戦争の終結後、城下及び近辺で戦死した会津藩士の遺骸は、新政府軍の命令で触れる事は許されず放置されていました。幾度もの嘆願により、やっとその埋葬許可が下りたのは翌、明治2(1869)年の2月。埋葬地は阿弥陀寺と長命寺に限られ、ここ阿弥陀寺には、およそ千三百柱にのぼる遺骸が埋葬されました。
今でも春・秋の彼岸には供養会が行われ、戊辰戦争に散った若き藩士たちの魂を手厚く弔っています -
渋川問屋。
120年以上もの歴史をもつ元海産物問屋です。現在は会津の地で長く受け継がれている郷土料理を囲炉裏などを眺めながらいただく事が出来ます。豪壮な歴史的建物で味わう郷土料理は、また格別!とリピーターも多いのが特長です。
別館は宿泊施設なのだそうです。
http://shibukawadonya.com/
さて、ここ七日町通りは大町四つ角(後ほど訪れます)を基点とした会津五街道のうち、越後・米沢の両街道が通っていました。
通りの西、阿弥陀寺付近には、町の入口である木戸が設けられていました。
会津に入る海産物は越後街道を通って渋川問屋に着きました。ここから会津一円へと海産物が運ばれる物流基地となっていたのが渋川問屋でした。
現在の建物は明治末期に建てられたもので、外観は往時のままです。
当時の海産物は塩物や乾物が主で、「棒だら煮」や「鰊の山椒漬け」など会津の郷土料理が生まれました。
明治38年に生まれた長男の善助は幼い頃から秀才の誉れ高く、陸軍士官学校時代には御前講義を行っています。
昭和11年陸軍の青年将校の反乱・二二六事件には民間人として関わり、処刑されています。
善助が青春期を過ごした部屋は三島由紀夫により「憂国の間」と名付けられ、今も残されています。 -
此処は空き家?
以前は川俣シルクだったのですが・・かなり入れ替わりは有るようです -
長門屋七日町店。
創業160年の老舗長門屋が平成19年にオープンした蔵づくりのモダンな店舗です。店内ではお菓子の試食はもちろん、ゆっくりくつろげる和カフェスペースもあり、明るく落ちついた雰囲気でお買い物を楽しめます。
会津産鬼クルミを使った「香木実」「くるみゆべし花雪」や和三盆の「貝千年」、会津駄菓子などお土産にぴったり、なんだけどお休み(泣) -
会津新撰組記念館。
此処もお休み -
バンダイスポーツ七日町店。
会津地方唯一の野球専門店だそうです。でも看板小さくて、ローマ字で塚原呉服店って書かれてるの -
公共マスって何?これ、マンホールじゃなく公共マスなんだって。
市花たちあおいの図柄。
「マンホールは主に道路に在りますが、公共マスは下水が使える土地の中に在ります」だって。でも、此処道路だったよなぁ。
会津若松氏のマンホールは磐梯山と猪苗代湖に赤松があしらわれてるの。見たかった -
う〜ん、店の名も無いし、もう営業してないのかな?
-
左:尚伸株式会社は活性炭製造輸入販売
右:加茂商店。だいぶ前からお店は無くなっている模様 -
小野屋ギャラリー夢蔵。
蔵の中では漆器、陶器などを販売しています -
レオ氏郷南蛮館。
豊臣秀吉の統治時代に会津藩主として数々の功績をあげた蒲生氏郷を紹介する資料館です。
鶴ヶ城の天守に築かれていた金箔を施した自室も復元されています。
「レオ」とはキリシタン大名だった氏郷の洗礼名です。
17世紀のマリア観音像も展示されています。
1階は民芸品を扱うショップも併設されています -
満田屋。
http://www.mitsutaya.jp/
老舗のお味噌屋さんです。囲炉裏の炭火で焼いた田楽を食べられるスペースも在りますが、残念な事に大晦日、元旦はお休みです -
もしも営業していたら、店内では香ばしい香りで味噌田楽が焼かれ、こんにゃく、身欠きニシン、椎茸、里芋などを頬張る観光客で賑わっているはずです。
田楽とは、そもそもは、田植え等の農耕の儀礼に、笛や鼓を鳴らして唄い舞った日本芸能のひとつです。その白装束の姿が豆腐の串焼きに似ている事から、豆腐に味噌等をつけて焼いた物を「田楽焼」と呼ぶようになりました。会津味噌田楽は赤味噌に砂糖と色々な薬味を練り込んで味付けした味噌だれが特長です。囲炉裏の炭火で焼くといくらでも食べられると評判の素朴な懐かしい田舎料理です。マジで食べたかった・・
また、お土産に人気の手絞り胡麻油・菜種油は伝統的製法「圧搾法」によって製油した一番絞りの純植物油です。煎って爽やかな風味をつけ、圧搾するだけで油分を絞りだして作るので、カロチンや他ビタミン・ミネラルも損なわれず、通常の食用油よりはるかに効用の高い逸品だそうです -
会津天宝醸造。
明治4年創業以来130余年にわたり味噌、醤油、漬物製造をしてきた老舗です。
会津の伝統を受け継ぎながら現代人の味覚にマッチした商品を開発しています。
平成15年度ふるさと食品全国コンクールで「会津こしひかり味噌」が農林水産大臣賞を受賞し、平成17年度で「油揚げの味噌漬」が再度農林水産大臣賞を受賞、また平成24年度には「塩糀ドレッシング」で三度農林水産大臣賞を受賞しています -
天宝5(1834)年、初代満田善内が現在地に居を構え、藩の許しを得て、満田屋という屋号で塩の販売と味噌の醸造と小売を行ったのが始まりです。
明治維新後、明治4(1871)年に、新たに新政府の許可を得て、本格的な味噌醸造に取りかかり、大正時代には醤油醸造、昭和に入ると漬物の製造、ごま油・菜種油の搾油を始め、昭和38(1963)年「会津天宝醸造株式会社」を設立しました。
会津天宝の味噌は全国の百貨店や大型店舗で販売され、生活協同組合などでも取扱いされているので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
満田屋は現在も創業の場所で、味噌田楽(でんがく)を提供し、会津の物産品も売っているので、会津天宝醸造株式会社が満田屋をその販売店として作ったと思われがちですが、正しくは、満田屋が会津天宝醸造を作ったのです -
七日町通りって国道252号線なのですよ
-
清水屋旅館跡。
現在の七日町大東銀行会津支店がある場所には、清水屋旅館がありました。清水屋旅館は木造3階建ての建物で、純和風の風情がある宿でした。
宇都宮城をめぐる攻防で足を負傷した土方歳三は、会津藩士秋月登之助が手配した当時格式の高かったこの宿屋に宿泊し治療しました。
このほか、1852年に吉田松陰が東北紀行の途中に宿泊しています
また、新島襄と八重も姪である峰と一緒にこの旅館に泊まっています -
明治の頃、自由民権運動家の宇田成一が官憲に襲われたのが清水屋事件です。
で、宇田成一って初めて聞く名前ですが・・
嘉永3年〜大正15年(1850〜1926)
自由民権運動家、政治家。耶麻郡下柴村(現在の喜多方市関柴町小松)に生まれ、日新館に学ぶ。28歳頃から民権運動にたずさわり、明治11年県議会選挙に当選。自由党会津支部を設立し国会の早期開設を建言した。会津三方道路問題の反対の戦闘に立ち、清水屋で官憲に襲撃され(清水屋事件)、東山で逮捕、東京に送還された。明治25、29年には県議会に再当選、晩年は耶麻郡会議長、関柴村長などを歴任した。
by 会津若松市HP -
ちょっと雰囲気の違う大型の建物が2棟並んでいます。
手前が歴史的景観指定建造物の白木屋資料館。その名のバス停も見えています。
奥は滝谷建設工業の洋館 -
白木屋資料館。
建物は、大正3年に竣工したルネッサンス様式を取り入れた会津初の洋風建築です。見た目は洋風ですが、構造は木造で土蔵造の工法で建てられています。
洋風店蔵とでも言えましょう。三階建てで、建築当時は低い街なみの中で目立った存在だったそうです。
資料館では会津塗りの歴史は勿論の事、貴重な歴史的資料、複雑な作業工程、種々の塗技法、蒔絵技法が一目で判るような展示が有ります。漆器、漆の道具類等も数多く展示してあり、見ているだけで楽しめるのだそうですが、ご覧の通りお休みです。
ところで、塗り物屋なのに何故「白木屋」?
維新の混乱と明治の大火で明治以前の資料の多くを失いましたので、言い伝えだけなのだそうですが、始めは、木綿太物を扱っていたようです。
当時、「わた」、あるいは「わたの木」意味する「棉」の字が良く使われましたので、その字を分解して「白木」と洒落たのでしょう。それで白木屋の屋号を名乗りました。正しくは“しろきや”と読みます。「白生地」とも掛けてたのですね。
創業は慶安年間(家光の時代)、享保の頃(1720年代)から漆器業を手がけ、問屋として 江戸はもちろん、京、大坂まで出荷していました -
6本のエンタシス、昭和2(1927)築です。元は旧郡山橋本銀行若松支店だったそうです。
その後、新潟に本店の在る第四銀行会津支店となり、現在に至っています -
旧郡山銀行若松支店。
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まだまだ七日町通りには見どころが残っていますが、此処大町四つ角から野口英世青春通りへ入ります
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野口英世青春通りは、医学者、野口英世が手術を受けた病院、会陽医院の跡などが周辺に存在し、英世と関係が深い通りであるとされた事から名付けられました。命名以後には道路をレンガ敷きに改修するなどの取り組み、英世の銅像などが置かれる野口英世青春広場の開設なども行われています。
PHOは38年前に初めて会津地方を訪れた時、猪苗代湖畔に在った野口英世記念館にも立ち寄っています。そこで読んだ母シカさんの手紙は、以降何かにつけて思い出し・・ -
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野口英世青春館・会津壱番館。
医聖・野口英世が左手の手術を受けた会陽医院跡、一階は喫茶店になっています。青春の日、英世は会陽医院で書生として過ごし、勉学に励み、青雲の志に燃え、また恋もしました。英世に関する様々な資料が展示されていますが、お休みです -
角度を変えてみます。意外と小さいんだなと思いました
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青春通りの謂れは・・
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福西本店。
明治44年〜大正3年(完成)の黒漆くいの蔵店舗で今ではめずらしい座売りスタイルで商品を販売しています。
元は会津漆器の問屋でしたが、現在は会津もめん、民芸品、手作り民芸品、酒袋のリフォーム会津からむし織などの小売販売も行っています -
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野口英世の像。
昭和33(1958)年、中央公民館前に建立、平成17(2005)年、広場の完成により、この地に移転しました。
広場には飲食店(軽食)も設けられていますが、屋外で立ち食いな感じです。冬寒いしさ、てか今日休みだけど。
正直整備されているとは言い難く、訪れる人も殆ど有りませんでした -
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忍耐ですよ、左から読んではいけません
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野口英世の像は世界に数百という数が建てられています。PHOの地元上野公園にも在るそうなので、今度見に行きます
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今に至る城下町の整備と産業を興した蒲生氏郷公の墓が会津若松市神明通りの東裏、興徳寺の本堂東側に在ります。瑞雲山興徳寺は臨済宗妙心寺派の寺で、秀吉が奥羽仕置のため会津へ来た時に三泊したほどの大寺院でした
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出陣って、どう考えても実用的じゃないんですが??
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墓は空風火水地の五文字を刻した五輪塔で、京都大徳寺黄梅院の本墓から分骨したものと伝えられます。墓前には、「限りあれば吹かねど花は散るものを心短き春の山風」の辞世の歌碑が在ります
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会津若松駅から道路を隔てて、ワシントンホテル側に在る若松駅前ターミナルから乗車します。此処が始発だとばっかり思っていたら、東山温泉から来てました。
17時15分発はいわき駅行きの最終便でした -
乗車したのはPHOら2人ともう1人
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既に1人乗っていたので合計4人。
暖かいし、広々使えるし、なかなか快適です。
車内で乗車前にコンビニで買ったおにぎりにお茶、スィーツで小腹を満たしました。と言うか、いわき到着が20時過ぎるので、夕飯を食いっぱぐれない為の用心に -
これが回数券。4800円のところ4400円で乗れました
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郡山駅前のイルミネーション。
10分ちょっとのトイレ休憩が有りました -
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一昨年も青春18きっぷを使ってツレと来ています。
勝手知ったる(?)駅構内の売店で胡桃ゆべしも買いました -
お疲れ様でした。いわき駅到着です。
福島交通のバスで来ました。だけじゃなく、会津バス、常磐交通の車両も有ります。
この後はいわきの旅行記へと続きます
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