2015/02/07 - 2015/02/08
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たびたびさん
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最近の関西街歩きは大阪が中心になってしまっていて、もうそろそろ原点回帰しないといけないかなあと思っていました。
今回は天気もイマイチだし、足も痛いし。むしろ、そういう時こそ京都の街歩きで、気持ちを落ち着かせたいと思います。
祇園や清水の辺りなんか、もう何べん行ったか分かりませんが、それでも京都は常に変化している街です。必ず新発見があって、それをどれくらいキャッチできるかが試されるような街なんです。
ところで、日本でどこが一番いいですかという質問があると、私は常に京都と答えるんですが、その「京都」の意味が問題ですよね。答えを聞いた人は、京都は自分も行ったことがあるし、そうだよねとか。じゃあまた今度京都に行ってみようとか。反応は様々ですが、正直言えば、そんな甘っちょろいものじゃないんですよね~
京都を知ることは、イコール日本を知ること。イコール日本の歴史と文化を知ることなので、ものすごい努力をし続けないとどうにもならない。まあ、それがどうしたっていうことかもしれませんが、いずれにしても私の京都旅はいつも真剣です。
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成田空港から関空へ。今回は初めて、ジェットスターを使ってみましたが、やっぱり時間がかかり過ぎる。この選択はなしでした。土日のうち半日が無駄になってしまいました。
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初日は大阪で所要があったので、夜に京都に入りました。
これは京都印刷発祥之地ですか。地下鉄烏丸御池駅の三条通り方面への出口に向かっている途中で見つけました。
活版印刷技術は、西洋から長崎に伝来したのですが、京都は明治3年。古川穂次郎という人物が點林堂(てんりんどう)を開業したのが始まりだそう。碑は、よく見ると、印刷だけに、裏文字となっていて面白いです。 -
で、晩飯は食べていたので、夜食を晦庵河道屋へ。最近食べた”そばぼうろ”が驚異的においしかったので、そばの方はどうなんだろうと興味津々で訪れた次第です。
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小さな入口から入って、
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これが店内なんですが。
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中庭を抜けると、
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また奥の間があって。奥には奥があるというお店。京都らしい、楽しい店構えですね。その奥の間に座って、落ち着きます。
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そして、とにかくそばの味を確かめたかったので、冷たいおろしそばをいただきました。不思議な弾力のあるそばで、こんなの食べたことがないような麺ですね。それに出汁を混ぜていただくのですが、汁けは少なくてまるで油そばみたい。出汁はストレートな醤油の味といった感じです。
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これをどう言えばいいのか。素直においしいとは言えないし、難しすぎますねえ。食べた後にご主人と話をしたら、そばには山芋がつなぎとして入っているのだそう。なるほど。出汁の方はかつおも昆布も入っていて、東京の神田やぶ蕎麦とかと同じ濃い味系なんだとか。いやいや、神田やぶ蕎麦は蕎麦湯で割るとうまみがはっきりわかるんですが、ここのは割っても醤油味しかしないんですよね。
麺で特徴を出すのか、出汁で特徴を出すのかくらいにしておかないと訳が分からなくなるんじゃないかなあ。かなり、混乱してしまいました。 -
河道屋を出て。
この辺りは、柊屋さんに、 -
俵屋さん。京都を代表する旅館が並びます。私もいつかは泊まってみたいと思っているのですが、まだかないません。
今日もこれから、定宿に向かいます。 -
翌朝は、まず、ル・プチメックへ。
こちらは、北野天満宮にもほど近い今出川通り沿い。人気パン屋さんですよね。 -
店内には喫茶コーナーもあって、朝から賑わっていました。どのパンもすごくきれいだし、
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イチオシ
タルトの種類も豊富ですねえ。
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でも、私がいただいたのはたっぷりクリームを挟んだクロワッサン。クロワッサンはちょっと大きめだし、見た目通りのおいしさ。価値ある逸品だと思います。こういうのを朝から食べると、気分よく一日がスタートします。
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バスで移動して。
島津製作所河原町別館は、京都市役所の北側。河原町通り沿いにあるレトロ建物。かつては、島津製作所の本社だったのですが、現在は関連会社が入っているよう。昭和初期の建物で、鉄筋コンクリート造り4階。三階の窓がアーチ形で、変化を付けています。 -
京都市役所の方から寺町通りに入って、すぐにあるのが本能寺です。
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そのはす向かいにあるのが、小松屋さん。
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イチオシ
朝早くから開いていたので、店を覗くといちご大福がいい感じ。迷わずそれをいただきました。ちょっと値段が安かったし、大丈夫かなあと思ったのですが、いちごは大粒。ただ、値段が値段だけにいかんせん甘さはイマイチ。しかし、その分、餡子の甘さが抑えてあるからでしょうか。それがまたそれでいいバランス。これもありという味わいに仕上げてあって、技のキレを感じました。いいと思います。
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で、これが今回目当てのスマート珈琲店。京都の喫茶店はモーニングの豪華さが特徴ですが、ここなら、ホットケーキセットか、フレンチトーストセットでしょう。
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私は、後者にしてみました。
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イチオシ
フレンチトーストと言えば、ホテルオークラのフレンチトーストが有名ですが、こっちの方がずっとうまいんじゃないでしょうか。
トーストにシンプルに卵と黒蜜を組み合わせて、柔らかなパンのおいしさを抜群に引き立てています。まったく、これ以上のうまさはないと思います。 -
もう少し辺りをうろうろして。茨木屋は、京かまぼこのお店です。ここに本店があっても、どうせ錦市場にも支店があるんでしょとか話をしたらここだけですとのこと。
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ではちょっといただいて見ましょうか。イカの蒲鉾でしたが、いわゆるプリプリ感とは対極のようなかまぼこ。柔らかくて、魚肉を軽く固めたような感じです。いろんな蒲鉾があるもんです。
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最後に桂月堂。ご主人が店の前をウロウロしていて、やってますかと声をかけて入りました。
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いただいたのは、シュークリーム。あんまり特徴はなくて、味は可もなく不可もなくと言ったところでしょうか。ビニールの袋に入っているので、買ってからちょっとポケットの入れて歩いたりもできるところは利点かと思います。
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さて、ここから実質的に散策開始です。
山本覚馬 八重邸跡地碑は、河原町御池交差点南西角。最近造られたもののようですね。
山本邸は100坪ほどの敷地で、覚馬の家族、母と妹八重、後には新島襄も居候していたということ。
覚馬は、京都府顧問として、日本で最初の「内国勧業博覧会」を開催。その後、最初の府会議員の一人となり、初代議長にもなったということで、京都には意外に縁の深い人物です。 -
鴨川を渡って川端通りへ。
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壇王法林寺は、門前にも「だん王」と書いてあるように、通称は「だんのうさん」。この「だんのうさん」というのは、人気のあった第2世住持の團王良仙のことなんだそうです。
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寺は川端通りにも三条通りにも面していて、どちらも立派。ただ、三条門が明治になってできたのに対して川端門の方は江戸時代中期。有栖川音仁親王の寄進により建立されたので、菊の御紋が入っています。
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三条大橋のたもとに駅伝の碑というのがあります。
碑文を見ると、大正6年に行われたもので、三条大橋から、東京の上野不忍池までの508kmを3日間かけて走ったというもの。ただ、これって駅伝というジャンルではない、過酷な競技ではなかったかと思います。 -
KYOUENは、三条京阪の駅に隣接した商業施設。食堂やお土産物のショップが入っているのですが、それだけではなくて、広い敷地を利用して、ちょっとした庭園のようなスペースもあります。ただ、ここで時間を潰すかというと、ここからはメジャースポットへのアクセスが容易だし、それは疑問なような気がします。
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大将軍神社って、北野八幡宮のそばにもあるんですが、ここにもですかと思ったら、大将軍神社は、桓武天皇の平安京造営に際し、王城鎮護のため京都の四方に祀られた神社なんですね。
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この大将軍というのは、陰陽道の方位神なのだそうです。で、こちらの神社は四つの神社の一つなんですが、それでも境内はそこそこ広いし、本殿に覆うようにして立つ楠木とかも見事。メジャーなスポットではありませんが、ちゃんと歴史と格式を感じる雰囲気が保たれているのはさすがでしょう。
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要法寺は、日蓮宗の一派、日蓮本宗の本山だそうですが、
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境内はシンプルだけど存在感のある建物がいくつか並んで、独特の雰囲気があります。
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特に本堂は屋根が高くて、建物全体が腰高。上に伸びたような形になっていて、たぶん、見た目よりも内部は巨大な空間になっているんでしょう。面白い設計だと思います。
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京都はお寺が多い街ですが、この辺りもあちこち軒を並べるようにお寺がありますね。その中にあって、寂光寺は囲碁の本因坊の寺。二代目の住職、日海が織田信長から名人と称されるほどの腕前で、本因坊算砂と号し、その本因坊が碁界で襲名されるようになったのだそうです。
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本堂の奥に歴代本因坊の墓があって、お参りもできました。
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東山駅のほど近く三条通にやって来ましたが、これは古川町商店街という商店街の入口。レトロ感があるので入ってみると、商店街には軒下に提灯が灯っている不思議な光景。
なんですかあ。日曜の11時を回っているのにどの店も閉まったまま。薄暗い中の提灯なので、よけいに不思議です。聞けば、日曜日はお休みなんだとか。京都なら、観光客が来る日曜こそ稼ぎ時じゃないかと思うのは浅はかでしょうか。地元密着の商店街なんですね。いやはや、ディープな商店街です。 -
ここから目当ては明智光秀の首塚だったんですが、
これはそばにある餅寅。白川沿いにある小さな和菓子屋さんです。 -
棒餅というのがウリのようでしたが、私がいただいたのは「光秀まんじゅう」。抹茶のタイプ。緑色の方がお勧めというのでそれにしました。中は白餡。ちょっと酸味かなあ。なにかの隠し味が効かせてあって、特徴のある面白い味わい。これはなんの隠し味なんでしょうねえ。その場で食べて聞いとけばよかったとちょっと反省しました。
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そして、明智光秀の塚は、餅寅さんの角を少し入ったところ。
織田信長を討った明智光秀は、三日天下で秀吉に敗れると坂本城へ逃れますが、途中、農民に襲われ最期を迎えます。光秀の首は家来が京都まで持ち帰るのですが、この辺りで埋めたと伝えられているそうです。今は小さなお宮さんがあるのみです。 -
あおくすの庭は、青蓮院の隣り。京都市が管理している公園なのだそうですが、特にどうということはないような。
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ただ、この通りであれば、隣りの青蓮院の大きな楠木の方が目につきますし、わざわざ入ってみることもないように思います。
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ここで気になったのは、十六五という和菓子屋さん。悪い場所ではないんですが、ちょっと人通りは少ないかも。
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前からあるのは分かっていましたが、今回ちょこっと寄ってみました。いただいたのは、まろい餅。いくつかタイプがあって、ブルーベリーのにしてみました。お餅みたいな柔らかさは阿闍梨餅に似てなくはないけど、そこまでのもっちりさではなくて、ほど良い加減。そして、ブルーベリーのペーストがめちゃうま。これはいいものに出会いました。ご主人がいろいろ商品の説明をしてくれて、熱心な様子。お菓子屋さんはこうでなくちゃいけません。
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そこから、粟田神社へ回ります。
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この神社は、京の七口の一つである粟田口に鎮座する神社。しかし、粟田口というのは、何か山か峠を越えるような場所だと思っていたのですが、それは東海道の口なんだとか。粟田神社の入口は旧東海道に面しているんですね。これは大変な誤解をしていました。
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境内には大祭の時に使ったという、羊の灯籠が飾ってありまして、ちょっと面白いです。
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再び、知恩院の方に戻ってきて。
この崇泰院は、「親鸞聖人旧御廟所」「本願寺発祥の地」「蓮如上人ご誕生の地」と書いた石版が建っていて、いろんな由緒がある寺のようです。 -
ただ、崇泰院の建立は徳川家康が母を弔うために、知恩院再興の大工事を行っている際、知恩院再建普請奉行だった竹村丹後守九兵衛道清が建立したもの。そして、その地がたまたまこうしたゆかりの地だったということだけかと思います。
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松風天満宮は、知恩院から華頂通りを祇園の方に向かう途中。京都で一番怖い顔の狛犬のいる天満宮という説明書きがあって、寄ってみることにしました。
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山門は自分で開けて中に入りますと、
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黄色い焼き物のこま犬。
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イチオシ
眉間の辺りが怒りで盛り上がっていて、確かに憤怒の形相です。
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さらに進んで。
祇園の街中を流れる白川は、桜の頃になると水面が真っ白になるほど桜の花びらで覆い尽くされて、えも言われぬ情緒を醸し出します。それを見ようと巽橋あたりでは、大勢の観光客が集まります。
一方で、今回紹介したいのは、もう少し上流。知恩院の華頂道を下って白川に出た辺りから、上流に向かって三条通に至るエリア。この辺りは白川の底が浅くて、さらさら流れる感じがまたいっそう軽快な趣となっています。古川町橋は、白川に架かる小さな石橋がいくつかあって、たぶんそれらの総称かと思います。この橋は、そのうちの一つで一本橋。幅が60?強しかない頼りなげな橋ですが、荒行を達成した阿闍梨が入洛して最初に渡る橋でもあり、行者橋ともいわれます。 -
なすありの径は、白川沿いに知恩院黒門まで続く白川北通りの西半分に名づけた名前だそう。白川のほとりには桜並木が続いていて、このなすありの径も同じです。ただ、積極的に独自のネーミングにしたのは、住民の要望で天然石を敷き詰めた散策路に整備したから。公衆トイレもあるし、これもおもてなしの心ということでしょう。
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そして、ご存知、新門前通は、骨董・古美術の町です。今ではマーケットの大きさから東京の方に勢いがあるのですが、それでも老舗がポツポツあって、やっぱりそれだけのことはあります。ちょっと入り辛いのはあるのですが、思い切って入ってみないと、この街の良さは分からない。上村松園の掛け軸25百万円とか。なるほど、そういう相場なんですねとか。美術館めぐりだけでは分からない世界にも触れられて、得るものは少なくありません。
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これは、備前焼。しかし、京都だと手の入れようが全く違ってくる。この意匠も、これでもかこれでもかという手の入れようのように思います。
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河原町通りに面した帆布のお店。喜一澤の方も覗いて見ました。京都を愛する私としては、帆布のリュックを背負って歩きたいのはやまやまですが、やっぱり、ちょっと重いんですよね。丈夫にするには金属の部分も頑丈になるし、重さが増してしまいます。ちょっと、これでは街歩きには合わないかなあと思います。
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昼飯はいづ重へ。八坂神社前の角にある鯖寿司の老舗なんですが、稲荷寿司がおいしいと聞いて訪ねました。しかし、待っている人が多くて、時間もないしこれは無理。
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ということで、テイクアウトの巻き寿司にしました。切り落しというのがあって、これは安いですね。酢飯の加減がちょうどいい感じ。飾り気のない味わいですが、優しい味わいには飽きないおいしさがあるような気がしました。
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続いて。仲源寺は、賑やかな祇園の四条通り沿い。通りから奥の本堂がそのまま見えて、なんか突然現れる感じのお寺です。寺伝によれば、平安時代中期の仏師定朝が開山という珍しい由緒。本尊は地蔵菩薩。その地蔵は目疾(めやみ)地蔵とも言われ、眼病に霊験があると言われています。
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正伝永源院は、建仁寺の境内ではありませんが、建仁寺の塔頭。明治の廃仏毀釈の中で、正伝院と永源庵の二つの塔頭が統合してできたのですが、永源庵の方が細川家の始祖細川頼有と以後八代の菩提寺であったそうです。庭園や寺宝の特別展もあるようですが、それ以外の期間だと織田有楽斎の墓を見るくらい。
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ということで、これが織田信長の弟である織田有楽斎の墓。インターホンでお願いすると、そのまま入ってお参りができます。
ちなみに、織田有楽斎は、関ヶ原の戦いでは東軍に着くものの、その後は大阪城に入り、秀頼に出仕。穏健派として徳川方との仲介に努めますが、夏の陣を前にして、自分の役割はなくなったとして、大阪城を離れています。その後は、京都に隠棲。茶道や趣味に生きることなりました。 -
そのまま建仁寺の
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境内を抜けて、
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向かったのは、
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建仁寺霊源院です。
京都冬の旅での特別公開中。こちらは、五山文学の最高峰とされた寺院だそう。
この寺にある「中巌円月(ちゅうがんえんげつ)坐像」が久しぶりに里帰りしたということで、今回、京都冬の旅の特別公開となったのだそうです。
ちなみに、中巌円月は元にも渡った南北朝時代の臨済宗の高僧。建仁寺の住持も務めています。
その胎内仏の「毘沙門天立像」も白眉。左手に掲げた水晶の中に伝教大師最澄が持ち帰ったという仏舎利が納められています。 -
寺は塔頭であり、規模はさほどではありませんが、茶室が造り付けられていたり、そこここにはちょっとした贅沢もしてあるように感じました。
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もう少し辺りを散策します。
西福寺の辺りは、あの世とこの世の境と言われる鳥辺野の入口に当たる六道の辻。弘法大師が自ら造った六波羅地蔵を安置したことに始まる古刹だそうです。
本尊は阿弥陀如来坐像ですが、境内入ってすぐの子育地蔵が見どころでしょう。 -
そして、門前にあるのが子育て幽霊飴のお店、幽霊子育飴本舗。この飴は、幽霊が子供を育てるのに買いに来たという飴だそうです。こうした話は、ここだけではないと思いますが、実際にその飴を売っているのは珍しいし、由来書には、その幽霊の子供は六道珍皇寺の僧侶になって、68歳まで生きたという話まで伝わっているよう。生々しい話です。
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イチオシ
飴は、500円。麦芽のみで甘さを出す、金沢の俵屋の飴と同じですね。口に入れてもなかなか溶けない。モチのいい飴です。
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再び建仁寺に戻って。
両足院は、建仁寺の塔頭の一つ。霊源院とともに、室町期は五山文学の最高峰の寺院であり、また、建仁寺住持を多数輩出したという名門です。以前、本堂を特別拝観で見たことがありますが、二重折り上げの小組の格天井という最高の意匠で、ちょっと驚いたのを覚えています。 -
今は境内で青空市場のようなことが行われていたり、いつの間にか開放的な寺院になっていました。
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そして、今度は調べておいた小多福へ。
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イチオシ
おはぎを注文すると、おばあちゃんが蓋を開けてびっくり。この鮮やかな彩りはなんですかあ。本当にカラフルですねえ。ぶっ飛んでますよ〜。古代米のおはぎをいただきましたが、とにかく、この鮮やかさが目に焼き付いてしまいました。外観は地味なのに、このギャップ。面白すぎます。
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さて、続いての崇徳天皇御廟は祇園の一角にあるのですが、崇徳天皇の陵は、保元の乱で流された香川県の白峯寺にあります。京都や奈良以外にあるのは珍しいことのようですが、怨念が残る天皇と言われる所以でしょう。
ちなみに、崇徳天皇は鳥羽天皇と中宮、藤原璋子の第一皇子として生まれるのですが、本当の父は鳥羽天皇の祖父である白河法皇と璋子が密通して生まれた子であり、鳥羽天皇は崇徳天皇を忌み嫌っていたといわれます。そのため、近衛天皇、後白河天皇へと譲位を迫られ、上皇となっても、鳥羽法皇に実権を握られたままであることから、不満を募らせます。そして、その不満は鳥羽法皇の崩御で爆発、後白河天皇と対峙する保元の乱が勃発するのです。
保元の乱や平治の乱によって、平家が台頭するのですが、平家や源氏には争う動機は特にない。天皇家の事情で戦いが起き、また、その結果の仕置きの激烈さは、実際に肉親同士が戦った平家や源氏にとってはむしろ予想外だったはず。白川法皇の気まぐれが蒔いた種が意外な展開を見せるのが平家物語の真骨頂の一つかと思います。 -
ここから、清水寺に向かいます。
高台寺から二年坂に向かう途中。維新の道から下ったところにあるのは、青龍寺。
桓武天皇の勅命によって長岡京近くに創建されたのですが、平安遷都により現在地に移されました。 -
木戸は閉まっていますが、自分で開けて入ることができます。本堂前の庭に、法然が後白河天皇の追善供養を勤めた際、使われたという念仏石があるというのですが、よくわかりませんでした。
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清水寺に向かう参道の二寧坂と三年坂は知られていても、一念坂を知る人は少ないと思います。二寧坂から脇に折れて入って行った小さな通り。裏通りのような通りですが、石畳が情緒を醸し出していて、石塀小路ほどではないにしても、隠れた場所的な匂いがする一角となっています。
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イチオシ
舞妓さんが写真を撮っていて、私も一枚撮らせてもらいました。着物と表情がとっても合ってます。日本の美ですね。
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維新の道は、ねねの道から、霊山護国神社や霊山歴史館へ向かう坂道。坂道の入口に大きな鳥居はあるのですが、坂道自体に雰囲気はありません。ただ、霊山護国神社には坂本龍馬の墓もあって、特別な名前を付けたくなる気持ちは分からないではありません。
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翠紅館跡は、その維新の道の中ほど。今は結婚式の披露宴会場のような施設となっています。
ちなみに、翠紅館というのは、西本願寺の別邸だった建物。土佐藩武市半平太、長州藩井上聞多、久坂玄瑞、他日は長州藩桂小五郎、久留米藩真木和泉守ら各藩の代表者が集まり、攘夷や討幕などの具体的方策を検討したそう。翠紅館会議と呼ばれるものだということですが、これは文久3年のこと。攘夷の気分が最高潮に盛り上がった年ですが、公武合体派であった薩摩藩は会津藩と同一歩調を取り、8月18日の政変によって、過激な長州藩は京都から追い落とされることになることとなります。幕末の動きは五里霧中。決して一本道ではありません。 -
清水寺の参道に戻って。
はろうきてぃ茶寮は、最近出来たんでしょうか。外から覗いただけですが、店内はキティのキャラクター商品で埋め尽くされている感じ。日本のアニメキャラは外国人には人気だし、こうしたお店も日本文化の発信という意味では重要かもしれません。 -
向かいの爆笑似顔絵商店は、似顔絵のお店。これも、最近出来たようですね。店頭に並ぶ特徴的な似顔絵の面白さにひかれて、入っていく人が多いですね。旅は、何よりも思い出が大事。そういう意味では、ここに似顔絵の店があるのは理に適っていると思います。
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二年坂に到着。久々かも。
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竹久夢二寓居跡は、二寧坂の中ほどに石杭があります。ここは、大正6年、竹久夢二が恋人彦乃と暮らした場所。2カ月ほど暮らしました。
竹久夢二の女性遍歴は、たまき、お葉も知られていますが、最も愛したのは彦乃だと言われます。京都での同棲生活の後、ほどなく、彦乃は肺結核を発症。短い人生を終えることとなります。 -
ここには青龍苑という日本庭園もあります。といっても、ここが青龍苑という看板とかはなくて、カフェやよーじやがあったり、いくつかのお店の先に気が付くと立派な日本庭園があるという感じ。池の向こうに築山があって、茶室がいくつか配されていますが、料亭「京都 阪口」に付属する庭園。小川治兵衛によって造営されたものを再構築したものだということです。
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ただ、小川、芝生、ふせ石といった小川治兵衛の特徴は全くなくて、いくつかの茶室を築山に配しているのが特徴でしょう。
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三玄は、その茶室の一つで、一番高いところにあるもの。ただ、近づくことはできないので、下から眺めるしかありません。
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で、三年坂までやってきました。
京都市内には、産寧坂地区、祇園新橋地区、嵯峨鳥居本地区、上賀茂地区の四つの伝統的建造物群保存地区があります。この産寧坂伝統的建造物群保存地区は、三寧坂を包むように両脇に建物が建っているので、その独特の景観のインパクトは大きいでしょう。中でも有名な建物は、明保野亭。坂本龍馬の常宿の1つだったとも言われます。 -
霊山本廟は、三年坂の下に参道入り口があります。石畳の参道から、石段を登って、さらに境内を奥に進むと、一段高くなったところに廟がありました。
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さすがに、親鸞聖人のご廟所。廟にはさっき活けたばかりのような花がたくさん手向けられていました。
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さらに進んで、清水坂。
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真福寺には、東日本大震災で有名になった陸前高田市の一本松というのがありましたが、その松原の流木を使ったという大日如来坐像が祀ってありました。京都伝統工芸大学の学生たちが彫ったものということでしたが、歴史を感じるような少し煤色を施した見事な造り。顔も美しいし、それなりの大きさもある。現代でもこれほどのものが作れる技術がちゃんとあるんですね。ちょっと感動しました。
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寶徳寺も、清水坂の途中。本尊の阿弥陀如来は、聖徳太子が厄除け守護の本尊仏として、自刻したとの伝承があるそうです。ただ、寺は成就院の9代が桃山時代に創建したものなので、かなり時代は下ります。脇侍の像も雰囲気があるように思いました。
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清水坂の最後。もう清水寺が目の前という場所にある、陶器のお店が朝日堂。大きなお店で、
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店頭に飾られていた極彩色の花瓶を見たら、700万円の値札。いや、仁清じゃあるまいし、陶器でこの値段はないでしょと思ったのですが、まあ、言い値は自由。場を盛り上げてくれていると思えば、問題はないでしょう。
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清水寺の山門前。いつも賑わっています。
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首ふり地蔵は、清水寺の仁王門手前にある善光寺の本堂横。首を回しながら願い事をするお地蔵さんのようです。つまり、首が回るようになっているのですが、それを分かって造ったのか、それとも結果的にそうなったのかはよく分からないところです。
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神社とかお寺には、下乗とか下馬とかと書いてあることがあります。ここから先は神聖な場所なので馬を下りるようにという案内なのですが、清水寺にはそれに加えて、ちゃんと馬をつないでおく場所が用意されていて、それが仁王門の手前にある馬駐。けっこうしっかりした建物で、重要文化財ということです。
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ここから清水寺成就院へ。月の庭が有名なんですが、前回来たのはもう10年以上前だったかと思います。今回は京都冬の旅で、久しぶりに拝観します。
庭は、観阿弥の作に、小堀遠州が後になって少し手を加えたもの。借景というか灯籠を立てる場所を高台寺に借りる借地であっという間に広い空間を表現したという逸話も面白い。秀吉が寄進したという誰ヶ袖手水も相変わらず見事だし、西郷隆盛と盟友関係にあった月照の部屋など、あまり印象に残っていなかったのですが、こうした寺は、こっちの感度が上がってくるとそれにしたがってだんだんとその価値が分かってくるのかなあと思います。 -
で、清水寺へ。
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舞台から眺める景色は
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相変わらずですが、三重塔の修復は終わったようですね。
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せっかくなので、
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本堂にも上がってみましょうか。
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大きな磬子をおっかなびっくり叩いている様子でしたが、この男の子のお願いは何でしょうね。
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こちらの地主神社は、縁結び祈願や恋愛成就のパワースポットとして、女性や若いカップルには人気があって、この日も大賑わいでした。
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イチオシ
嵯峨天皇が行幸した際、地主桜の美しさに3度車を返したことから「御車返しの桜」とも呼ばれたそうですが、このころはまだ桜より梅の方が人気があった時代なので、そういう意味では日本人と桜の関係を変えた神社でもある。NHKの番組ではそのような紹介をしていました。
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ここからは、
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順路に
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従って
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進みます。
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ちなみに、清水寺は、坂上田村麻呂が創建した寺。なので、征夷大将軍として平定した蝦夷のリーダー、アテルイ モレの碑があってもおかしくないですね。
アテルイ モレは、坂上田村麻呂への敬服もあって降伏したのであり、坂上田村麻呂から助命の約束もしていたよう。これを朝廷は却下し、処刑されてしまうのですが、むごい考えになるのは往々にして武人ではなく、貴族の方。保元の乱後の処置でも、親子兄弟などの肉親による処刑を命じたり、痛みが分からない分、冷血になれるということかもしれません。 -
舌切茶屋は、順路を回って最後の出口と言った場所です。ここは、月照ゆかりの茶屋だそう。月照は清水寺の住職でしたが、勤王の思想を持ち西郷隆盛とは盟友関係。安政の大獄で追われ、錦江湾で身を投げますが、逃れた月照の行方を問い詰められても黙秘し、最後は舌を噛み切って亡くなったという寺男の近藤正慎の子孫が営んでいるお店だということです。
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あさひ坂は、清水坂とちゃわん坂を結んでいて、途中途中に雑貨屋さんや喫茶店が点々とある面白い坂。
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ただ、茶碗坂の方から見上げるとけっこう急な坂。清水寺から茶碗坂をせっかく降りてきた人がまたこの坂を上る気になるかと言えば、ちょっとしんどいかもしれません。
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若宮八幡宮は、清水寺から五条通を鴨川に向かう途中。清水焼発祥の地という大きな碑が鳥居の傍らに建っていました。焼き物のお店はちゃわん坂にたくさんあるのですが、この辺りにも、勿体のある構えのお店がポツポツ。店頭に飾られた焼き物はちゃわん坂と比べるとシンプルなもの。どれもすっきりしていて、見ながら歩くと楽しいです。
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さて、帰りも関空からなので、京都からなんばへ移動。
久々に北極星に寄ってみます。ここは、ご存知、オムライス発祥の店。しかし、以前食べた時に卵が薄くて、それがちょっと残念に思っていました。 -
イチオシ
今回食べてみると、こんなうまかったかなあと印象がガラリと変わりました。卵は薄いのですが、そんなことは全く問題なし。水分の多いチキンライスは、べちょっとしていてもご飯の粒々がしっかりしているし、鶏肉もなんか元気いっぱいのおいしさ。メリハリがすごいですね。生姜が付いているのは変わってますが、とにかくうまいです。実力のある名店に間違いなしです。ごちそうさまでした。
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最後は、吉本の辺りをウロウロ。
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で、このよしもとテレビ通りは、なんば吉本ビルの一階にあるお土産物売り場。この売り場自体は、特にどうということはないのですが、周囲を着ぐるみのキャラクターが闊歩していたりして、
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イチオシ
そういう全体の雰囲気を楽しみながらの買い物という意味では特徴があるかもしれません。
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さて、これでおしまい。
関空から成田経由で東京に帰ります。
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