2013/09/24 - 2013/10/02
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1986年に欧州文化首都に選ばれた、世界文化遺産のフレンツェの街の紹介です。『屋根のない美術館』の呼び名もあるルネサンス発祥の地です。ルネサンスは『再生』を意味し、中世の教会中心の文化だったゴシックに代わり、人間性を重視するギリシア・ローマ文化の『復興』を意識した、14世紀から16世紀にかけて流行した様式のことです。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)
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フィレンツェの町並み光景が続きます。フィレンツェ歴史地区の主な構造物は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、ヴェッキオ宮殿、ウフィツィ美術館などを始めとして数多くありますが、限られた日時ですから、全てを見学することはできません。次に向かっているのは、ヴェッキオ宮殿前のシニョリーア広場です。フィレンチェの街の中でも、見どころが揃った広場です。
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シニョリーア広場は、かつてのフィレンツェ共和国の歴史の焦点であり、原点でもある、今も市の政治的中心地としてその栄誉を維持しています。さらに時代を遡れば、ローマ都市だったころのフォルム(公共広場)であり、周囲にローマ劇場、公衆浴場、市場などがあり、5世紀頃には教会が建てられました。これらの遺跡は、1980年代に舗装をし直す際に実施された発掘調査で判明しています。また、新石器時代の遺物も見つかっています。(ウィキペディア)
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12世紀から13世紀にかけて、主に北イタリアにおいて、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝をそれぞれ支持した、都市間と都市内部の争いの時代があり、ゲルフ対ギベリンの争いとも呼ばれました。1268年、勝利したゲルフ側が、負けたギベリン側の家を取り壊したため、現在のようなL字形の広場になりました。この広場は長い間穴だらけでひどい状態でしたが、1385年に初めて舗装されました。1497年、ドミニコ修道士の『ジロラモ・サヴォナローラ(1452~1498年)』が『虚栄の焼却』と称して本や贅沢品を燃やしたのもこの広場でした。(ウィキペディア)
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シニョリーア広場付近にやってきたようです。広場の中心には、この後紹介する『ネプチューンの噴水』があります。そのほかにも、沢山の彫像が見えてきました。左端付近には、ブロンズ製の騎馬像の姿もあります。
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イチオシ
通りに面して柱間の広いアーチが三つ並んでいる『ランツィの回廊(ロッジア・ディ・ランツィ)』の光景です。フィレンツェの町並み光景の中でも、最も『屋根のない美術館』を感じさせる場所です。一応屋根はありますが、アーチが、コリント式柱頭で支えられた開放空間を持った建物です。
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『ヴェッキオ宮殿』の建物光景です。この建物の入口横に、『ミケランジェロのダヴィデ像(レプリカ)』が設置されています。1299年から1314年にかけて『アルノルフォ・ディ・カンビオ(1245年頃~1302/1310年頃)によって建設され、初めは、フィレンツェ共和国の政庁舎として使われ、一時、メディチ家もピッティ宮殿へ移るまでここを住居としていました。1550年から1565年の間に、『ジョルジョ・ヴァザーリ(1511~1574年)』によって部分的に改築され、現在でも、フィレンツェ市庁舎として使われています。
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イチオシ
『ミケランジェロのダヴィデ像(レプリカ)』です。ミケランジェロの20代の作品で、1501年に製作を開始し、1504年に完成しました。オリジナルの像は、フィレンチェにあるアカデミア美術館に収蔵されています。『ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ(1475~1564年)』は、イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人、社会活動家です。西洋美術史上のあらゆる分野に、大きな影響を与えた芸術家として歴史に名を残しました。
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アンマナーティ作の『ネプチューンの噴水』の彫像群です。『バルトロメオ・アンマナーティ(15211~1592年)』は、フィレンツェにほど近いセッティニャーノ出身の建築家で彫刻家です。バルトロメオ・バンディネッリとヤーコポ・サンソヴィーノに弟子入りして学んだ人とされますが、ミケランジェロの作風に大きな影響を受けたとされます。彫刻より、むしろ建築部門での評価が高いようです。メディチ家のコジモ1世(1519~1594年)』の長男の結婚式に合わせて造られた噴水で、当時の海軍の力を誇示している作品とも言われます。
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ベンヴェヌート・チェッリーニ作の『メデューサの頭を掲げるペルセウス』のブロンズ像です。『ベンヴェヌート・チェッリーニ(1500~1571年)』は、ルネサンス期イタリアの画家、金細工師、彫刻家、音楽家です。教皇クレメンス7世に仕え、ボローニャ・ピサでも修業を続け、ミケランジェロの壁画などを模写し、その才能を終生崇拝していたと伝わります。このペルセウス像は、1554年の作です。教皇パウルス3世の不興を蒙り、1538年から2年間サンタンジェロ城に幽閉されましたが、フランス国王フランソア1世に招かれ、1540年から5年間パリに滞在、帰国後メディチ家のコジモ1世の庇護を受け、多くの彫刻・装飾の仕事を残しました。
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ジャンボローニャ作の『サビニ女の略奪』です。『ジャンボローニャ(1529~1608年)』は、後期ルネサンスからマニエリスムの彫刻家です。『ジョバンニ・ボローニャ』と称されることもあります。1574年から1582年にかけて制作され、題名は完成後に付けられました。ミケランジェロの弟子で、画家で建築家のジョルジョ・ヴァザーリの影響を受け、メディチ家の重要な宮廷彫刻家の1人となりました。メディチ家は、彼がオーストリアやスペインの宮廷に終身雇用されることを恐れ、彼をフィレンツェから一歩も出さなかったとされます。79歳で亡くなり、彼自身の設計したサンティッシマ・アンヌンツィアータの礼拝堂に埋葬されました。
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フィレンチェの守護神の『マルゾッコ』です。マルゾッコの名前の起源は諸説があります。その一つは、ラテン語で戦いの神の『マルス』とするものです。二つ目は、『martocus=小さい神』の単語を短縮したとする説、三つ目は、フィレンツェ共和国ができる前のロンゴバルド族の支配下で、『marh(=馬)+zuccòn(守る)』のランゴバルド語だったとする説などです。ライオンではなくて馬ですが、当時の町の守護動物ではすでに馬を採用されており、同じものを避けるためにライオンに変えたけれど名前はそのまま残った、というものです。
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一対になった、もう一方の『マルゾッコ』の像です。こちらは、先ほどの像に比べ、立派なたてがみは持っていますが雌獅子の雰囲気がありました。雄獅子が右前脚の下に、雌獅子が左前脚の下に玉を抱え込んでいました。この二つの像は、展示作品ではなく、展示会場の『ランツィの回廊』の入口を守る獅子像のようでした。日本の狛犬の先祖に見立てての撮影です。ネット情報には、『ローマ時代の大理石像』とする紹介もありました。
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ヴェッキオ宮殿は、イタリア語で『旧宮殿』を意味します。シニョーリア宮殿と呼ばれていたヴェッキオ宮殿から、メディチ家がピッティ宮殿へ引っ越して以降、旧宮殿と呼ばれるようになりました。フィレンツェ共和国の政庁、トスカーナ大公国の宮殿、そして現在はフィレンツェ市庁舎と、中世以来ずっとフィレンツェの政治の中心であり続けてきた重要な建物です。
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幅広の柱に穿たれたアーチ状のくぼみに、人物像が飾られていました。時代的は、少し新しいような感じもしましたが、フィレンチェの街を歴史と幻術の街に保つには、芸術作品を飾ることが出来る場所を、色々と工夫して創り出しているようでした。左側の人物像には、『GIOTTO』の表示がありましたから、画家で建築家の『ジョット・ディ・ボンドーネ(1267頃~1337年)』のようでした。
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ヴェッキオ宮殿は、シニョリーア広場に面して立っているフィレンツェの政庁舎だった建物です。すでに紹介しましたが、14世紀初頭に、彫刻家・建築家の『アルノルフォ・ディ・カンビオ(1245年頃~1302/1310年頃)』によって建設されました。彼の名前は、シンボルである『アルノルフォの塔』に残っています。大きな時計が見えている塔です。『アルノルフォ・ディ・カンビオ』は、フィレンツェの彫刻家で石工です。当時、中央イタリアを代表する巨匠として知られ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の最初のプランを計画したほか、幾つかの建築が彼の手によるものとされます。
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下から見上げた、『アルノルフォの塔』の光景です。1280年頃にはフィレンチェ随一の工匠として有名だったアルノフフォですが、彼の経歴で知られていることは少ないようです。アッシジのサン・フランチェスコ聖堂を建てたドイツ人ヤーコポを父とする資料があり、また、ジョルジョ・ヴァザーリの、ラーポ・ディ・リチェヴートの子であるとする説もありますが、これは明らかに間違いとされます。また、1289年に整備されたサン・ジョヴァンニ広場の工匠頭として記録されているカンビオ・ディ・ジョヴァンニを父とする説もあります。(ウィキペディア)
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少し不確かですが、ヴェッキオ宮殿への出入口の1つだったような記憶です。その出入り口門を潜った後で、振り返って撮影した出入口の光景だったようです。ヴェッキオ宮殿には、歴史的巨匠のレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロが同時期に描く壁画が2階の『500人広間』でした。二人の巨匠の壁画が東西の壁に描かれる予定でした。しかし、計画の途中で二人ともフィレンツェを離れたために夢のコラボが実現することはありませんでした。そしてその絵の上にヴァザーリが絵を描いたので、今でも壁画の下にはダ・ヴィンチの絵が残っていると言われ、その調査が今も続いています。
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ヴェッキオ宮殿の一階広間の光景です。この宮殿は、映画『インフェルノ』や『ハンニバル』の舞台にもなりました。フィレンツェの中心的な建築物で、現在は市役所として使用されています。先ほど紹介した、2階の『500人の広間』にダ・ヴィンチが描いたのは『アンギアーリの戦い』、ミケランジェロが『カスチーナの戦い』を描きました。
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イチオシ
同じく、ヴェッキオ宮殿の1階広間の光景です。2階の『500人の広間』にダ・ヴィンチが描いた『アンギアーリの戦い』の部分は、二枚壁になっていて、ダ・ヴィンチが描いた絵が残されている可能性が高いようです。壁に小さな穴をあけて、その確認も2010年頃に行われたようです。残念ながら、ミケランジェロの作品は、完全に壊された可能性が高いようです。
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ここからは、現地ガイドさんの案内で見学した建物屋上からの光景です。『市役所の建物』と紹介されていたようですから、ヴェッキオ宮殿の建物だったようです。ダ・ヴィンチが描いた『アンギアーリの戦い』の絵の中心部分は、フランス・パリのルーヴル美術館にあるピーテル・パウル・ルーベンスの模写によって広く知られています。
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フィレンツェを流れるアルノ川に架かる『ヴェッキオ橋』のズームアップ光景です。屋根付きのこの橋には、通路脇に店が並んでいます。屋根のある橋で、今でも一番記憶に残っているのが、中国の三江トン族自治県にある風雨橋や鼓楼の建築物です。現地では、設計図なしで造られているとお聞きしました。その素晴らしい木造建築物群は、今でも忘れることはできません。
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これまでの経験で、一番印象に残った石造の橋では、チェコ共和国のプラハを流れるヴルタヴァ川に架かるカレル橋です。これは橋そのものではなく、密度濃く飾られた塑像群の素晴らしさに感心しました。ご参考までに、中国三江トン族の風雨橋と、プラハのカレル橋の旅行記を紹介しておきます。
〇風雨橋の旅行記
2005春、中国旅行記7(3):4月23日(1)三江・村の青空市、銀水トウ寨
https://4travel.jp/travelogue/10150208
〇カレル橋の旅行記
2006暮、中欧旅行記(1):12月13日(1)フランクフルト経由プラハへ
https://4travel.jp/travelogue/10156355 -
市役所の屋上から眺めたフィレンチェの町並み光景です。写真の左端上部付近に、『ヴェッキオ橋』のアーチ部分が見えていました。眼下に見えているのは、『ヴァザーリの回廊』と呼ばれる1565年に造られた、いわゆる『空中回廊』のようです。ヴェッキオ宮殿~ウフィツィ美術館~ヴェッキオ橋~サンタ・フェリチタ教会~ピッティ宮殿、ボーボリ庭園までの全長約1キロの回廊です。
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透かし彫りの壁の光景です。その隙間から、ドゥオモのクーポラが見えていました。お言うより、正確には、クーポラの先端が真ん中に見える場所を選んでの撮影です。フィレンツェにあるキリスト教・カトリック教会であり、フィレンツェの大司教座聖堂です。
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眼下に眺める『ヴェッキオ橋』の光景です。フィレンツェを流れるアルノ川に架かる橋で、イタリア語で『古い橋』を意味します。その名の通り、フィレンツェ最古の橋とされ、先の大戦を生き延びたフィレンツェ唯一の橋です。河川の氾濫などで何度か建て直され、現在の橋は1345年に再建されたものです。橋の上階が空中回廊、その下の通路脇には宝飾店が建ち並んでいます。
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時計台からは見下ろす場所になりますが、ヴェッキオ宮殿の屋上の光景です。周りには、透かし彫りを施した石造の壁のような柵がありましたから、その隙間からフィレンチェの町並みの眺望を楽しむことが出来ました。
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屋上で咲いていた白い花の光景です。『サルスベリ(百日紅、猿滑)』のようでした。サルスベリは、日本でもよく見掛けるミソハギ科サルスベリ属の落葉中高木です。中国南部が原産地とされ、今では、日本でも夏の風物詩に欠かせない植物の一つになっています。
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右がドゥオモのクーポラ、左がジョットの鐘楼の光景です。どちらもフィレンツェの中心街のパノラマスポットです。『どちらに上った方が眺めがよいか』よく話題に上るようです。先ほどの写真にあったヴェッキオ宮殿の時計塔からの眺めは、もっと素晴らしいものになりますが、残念ながら、その時間はありませんでしたが、ミケランジェロ広場からのパノラマ見学が残っています。
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屋上にやってきていた鳩さんの光景です。リラックスした姿から破断しますと、鳩さんの縄張りになっている貞一のようにも思えました。驚かせないよう、少し離れた場所からの撮影です。
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ヴェッキオ宮殿の屋上と、屋上からのパノラマの景色の紹介は、これでお終いです。この後は、昼食の後、ミケランジェロ広場からのパノラマ見学の予定です。フィレンチェの町並みが一望できる広場です。
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