2013/09/24 - 2013/10/02
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旅人のくまさんさん
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世界文化遺産の街、ピサのドゥオモ広場で最後に紹介するのは、洗礼堂です。1152年にディオティサルヴィにより着工、13世紀にはピサーノ親子も建築に携わり、14世紀後半チェッリーノ・ディ・ネーゼの指揮のもとに完成した円筒形の建物です。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)
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東側(海とは反対側)方面から眺めた、ピサ大聖堂の洗礼堂の全景です。円筒形の建物の直径は約35m、高さは54.85mあります。白大理石でできていて、下部は列柱とアーチによるロマネスク様式、上部は尖塔を有するゴシック様式になっています。1152年にディオティサルヴィの設計によって着工しましたが、完成までには約200年強を要しました。13世紀にはニコラ・ピサーノとジョヴァンニ・ピサーノの親子によってゴシック様式が採り入れられ、14世紀半ばにほぼ現在の形が整ったとされます。大聖堂の西側に位置しています。(世界遺産オンラインガイド)
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イタリア国内で最大とされる『サン・ジョバンニ洗礼堂(バッティステロ・ディ・サン・ジョバンニ)』の建物上部の光景です。バロック様式の頭頂部付近の光景になります。入場しての見学の時間はありませんでしたが、室内の音響効果が素晴らしい建物としても有名です。また、『ニコラ・ピサーノ(1220/ 1225年頃~284年頃)』が製作した説教壇も見所です。
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修復工事中のようにも見えた、洗礼堂の最上部付近のズームアップ光景です。屋根は片面だけ鉛板葺きとなっています。これは建設中の予算不足のためとする説もあります。(ウィキペディア) 西側(海側)は、綺麗なオレンジ色の屋根ですが、東側(斜塔がある側)は、鉛張りの素地のままです。ところで、先端部分に飾られたブロンズ像ですが、作品名や作者名は分かりませんでした。洗礼堂ですから、『洗礼者・ヨハネ』かも知れません。『新約聖書』に登場する古代ユダヤの宗教家で、預言者です。イエスの弟子である『使徒ヨハネ』とは同名の別人です。
(追記)洗礼者ヨハネの像で、シエナの彫刻家『トゥリーノ・ディ・サーノ』の手によるものとのネット情報もありました。 -
バロック様式の建物上部の装飾のズームアップ光景です。『洗礼者・ヨハネ』について、少し紹介しておきます。『洗礼者・ヨハネ(紀元前6/2年頃~紀元36年頃)』は、『新約聖書』に登場する古代ユダヤの宗教家で預言者です。個人の回心を訴え、ヨルダン川でイエスらに洗礼を授けました。『新約聖書』の『ルカによる福音書』によれば、父は祭司ザカリア、母はエリサベトとされます。『バプテスマのヨハネ』、『洗者ヨハネ』とも表記・呼称されます。
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イチオシ
外装の違いの説明のため、西側(海側)方面から撮影した、ピサ大聖堂の洗礼堂の全景も紹介しておきます。最初に紹介した、斑模様の鉛素地の外装とは、随分と印象が異なります。年表でも紹介しましたが、ピサ共和国が完全に消滅したのが1406年ですが、ヴェネツィア共和国が台頭し、ジェノヴァやピサが締め出しを受けたことで、13世紀初頭以降、急速に国力が衰えていったようです。ピサ共和国の栄光の時代を過ぎてから完成した洗礼堂のようです。外装は未完のままに終わったと表現したくなる光景でした。
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『洗礼者・ヨハネ』についての説明の続きです。『ルカによる福音書』1章36節では、ヨハネの母エリサベトとイエスの母マリアは親戚だったとい記しているようです。同福音書においては、天使ガブリエルにより、その誕生が予言されています。ガブリエルは、旧約聖書『ダニエル書』にその名があらわれる天使で、キリスト教ではミカエル、ラファエルと共に三大天使の一人とされます。
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外壁に施されたゴチック風の装飾と彫刻のズームアップ光景です。『洗礼者・ヨハネ』紹介の締め括りです。『マタイによる福音書』3章によれば、ヨハネは『らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物とする人物』と記述されています。西暦28年頃、ナザレのイエスも彼の洗礼を受けました。彼はこの後、ヨハネによって創始された荒野での洗礼活動(荒野の誘惑)に入っています。
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聖母子像を中心にした、左右がキリスト教の聖人像のようです。写実的な表現の像のようです。左側の聖人は、天国へのカギを手にしていますから、イエス・キリストの一番弟子の『聖・ペトロ(生年不明~67年頃)』のようです。名前は分かりませんが、左の聖人像も、キリストの十二使徒の一人のようです。
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ブロンズ製の扉の上に飾られていた聖母子像の光景です。このピサ大聖堂は、聖母マリアに捧げられた建物であることから、各所で聖母子像などを見ることが出来るようです。下部に刻まれた聖人像らしい群像をはじめ、精緻な彫刻で周りを飾られた聖母子像です。オリジナルは、『ニコラ・ピサーノ』の作品のようでした。
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聖母子像のズームアップ光景です。外壁に飾られている重要な彫刻類は、レプリカが多いらしく、オリジナルの品は、隣のドゥモ博物館に展示されているようです。この像もレプリカかも知れません。聖母像は、王冠を被った姿で表現されていました。盛期ルネサンスのイタリアの巨匠『ラファエロ・サンツィオ(1483~1520年)』が1502年から1504年に制作した絵画に『聖母戴冠』があります。そのほかの画家も描いていますが、ラファエロは死後キリストによって戴冠する聖母マリアを描いています。4人の奏楽天使に囲まれた聖母はキリストとともに雲に座し、手を合わせながらキリストの手で頭上に王冠を戴いている構図です。王冠は、聖母とキリストを結びつける象徴ともなっているようです。
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『奇跡の広場』とも呼ばれるドゥオモ広場での最後の見学場所は、『納骨堂(カンポサント)』です。13~14世紀に100年以上の歳月をかけて造られました。カンポサントは、1203年の第四回十字軍遠征の際に、ピサ人が聖地エルサレムのゴルゴダの丘の土を船でここまで運ばせ、その上に建築した納骨堂と言われています。十字軍遠征の是非はさておき、切り離せない深い関係があるようです。
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塩野七生さんの『ローマ人の物語』以降の著書の一つ、『十字軍物語』では、『十字軍遠征』は、ローマ法王ウルバン二世がフランス中部のクレルモンで宣言した1095年から始まり、1209年のアッコン陥落で終わるまでの、八次にわたって行われた歴史上の一大運動であった。(文庫版四第4章)、と総括されています。
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歴史上では『アヴィニョン捕囚』と呼ばれる、ローマ法王のフランス『移住』が始まったのは1306年、聖堂(テンプル)騎士団の騎士たちが逮捕されるのは、1307年のことです。逮捕から5年が過ぎた1312年、『聖堂騎士団の壊滅とその全面的な解消』を宣告したローマ法王のクレメンス五世の教書が公表されました。聖堂騎士団の財産は没収され、フランス国王の金庫に収まりました。
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聖堂騎士団に対する処分がすべて終わった2年後の1314年3月18日、有罪者に対する刑が執行されました。刑場はシテ島のノートルダム教会の裏手でした。聖堂騎士団の最後の団長のジャック・ド・モレーと一人の老騎士が、火刑に処されました。この1年後に起きたジャンヌダルク裁判と同様、『でっち上げ裁判』のようです。十字軍遠征を巡っては、21世紀でもその是非と責任が問われているようです。
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ピサの『納骨堂(カンポサント)』の入口門上部の屋根飾りの光景です。中央が聖母子像、その周りが聖人像のようです。ゴチック様式の屋根飾りのようです。15世紀に造られたピサ大聖堂の北側にある納骨堂で、連続する白大理石によるロマネスク様式の回廊に囲まれた美しい中庭があります。回廊の壁には14世に描かれたフレスコ画があり、1987年に『ピサのドゥォモ広場』の名前で世界遺産登録となっている施設の構成要素です。
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イチオシ
ピサの『納骨堂(カンポサント)』の大理石の回廊の建物とドームの光景です。回廊の壁には14世紀に描かれたフレスコ画がありました。残念ながら、第二次世界大戦での空襲でほとんど消失してしまいました。現在の施設は、お墓を除いて再建されたもののようです。お墓には、十字軍に従事して亡くなった貴族などが埋葬されているようです。『カンポ』は『野原』、『サント』は『聖なる』の意味で、『聖なる野原=墓所』になります。ドーム屋根は、ポッツォ礼拝所です。
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石柱に施された植物文様のレリーフのズームアップ光景です。勝手な推測になりますが、ギリシャ建築の彫刻にはじまる、アカンサスの葉をモチーフにした文様のように見えました。アカンサスは、地中海沿岸が原産の多年草のことで、日本では『ハアザミ(葉薊)』と呼ばれています。ギリシャ建築で、始まりは、紀元前5世紀。古代ギリシャ時代のコリント様式の柱頭で、アカンサスの模様が使われたことが始まりと言われています。
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同じく、石柱に施されたアカンサスらしい植物文様のレリーフのズームアップ光景です。アカンサスのモチーフは、ギリシャ建築に端を発しましたが、現代のヨーロッパでも、広く用いられているようです。ルネッサンス、バロック、ロココ様式と、その時代の様式に合わせて、様々なデザインに形を変えながら使われてきたアカンサスの模様ですが、19世紀に入ると、ゴシック・リヴァイバルの中で、イギリスの詩人でデザイナーの『ウィリアムモリス(1834~1896年)』が壁紙などの模様にアカンサスを使ったことで、再び大人気になりました。
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ピサの『納骨堂(カンポサント)』の周りの光景です。高台に建つ建物は、高級住宅街か、ホテルのように見えました。傘松ともいわれる、ローマの松の姿も見える。中々の光景でした。
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イチオシ
ピサ見学の締め括りに、もう一度紹介する大聖堂の光景です。西側から眺めたファサードの光景です。西側に三つの扉が並んでいますが、最後にまとめて紹介しておきます。この時代の代表的な建築様式には『ロマネスク様式(10~12世紀)』と、『ゴシック様式(12~15世紀)』があり、ピサのドゥオモ広場の建物はこの様式の移行期に建設されました。
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順番が前後しましたが、最後に紹介するピサ大聖堂の出入口の光景です。三つあるファサードの扉の中央部分です。ブロンズ製の扉の上の半円形の部分に描かれているモザイク画は、『聖母と4天使』です。プラートの『アントニオ・マリーニ(1788~1861年)』のデザインを元に、ルッカの『ジュゼッペ・モーデナ』が1829年に作成したものです。『ジュゼッペ・モーデナ』については、詳しいことは分かりませんでした。
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ファサード左扉上部の半円形部分のモザイク画は、『聖・レパラータ』です。中央の『聖母と4天使』の絵と同様に、プラートの『アントニオ・マリーニ(1788~1861年)』のデザインを元に、ルッカの『ジュゼッペ・モーデナ』が1829年に作成したものです。『サンタ・レパラータ聖堂』は、現在の大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)』の地下に眠っています。その聖堂の起源に関する言い伝えによれば、『皇帝ホノリウスの治世中(395~423年)』にフィレンツェはゴート族の攻撃を受けましたが、それを退けた日がサンタ・レパラータの日であったため、この聖女に捧げる聖堂が建設されたとしています。15歳で殉難した、ピサの守護聖人で、フランス・ニースの守護聖人でもあります。
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ファサード右扉上部の半円形部分のモザイク画は、『洗礼者ヨハネ』です。フィレンツェの『アレッシオ・バルドベネッティ(1426頃~1499年)』が1467年に作ったオリジナルを元に、ルッカの『ジュゼッペ・モーデナ』が1829年に作成したものです。『アレッシオ・バルドベネッティ』は、『アレッソ(またはアレッシオ)・バルドヴィネッティ』とも日本語表示される、フィレンツェで裕福な高貴な商人の家族に生まれた、初期のルネッサンス画家兼製図家です。フレスコ画の技術的研究などにも熱心だった人のようです。
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これでピサ大聖堂の見学はお終いです。右手に見える洗礼堂が、ピサの斜塔の代わりに斜塔になった写真になりました。地盤軟弱なアルノ川の河畔に立地していますので、見た目に傾いていない建物でも、地盤沈下が続いているようでした。
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フィレンツェとピサの観光を終えて、ミラノに向かうバスの中からの光景です。当初の旅行計画では、ピサからベニスに向かい、ベニスの見学の後にミラノに向かう計画でしたが、先にミラノを見学し、最後がベローナとベニスの見学に変更となりました。添乗員さんがツアー参加者に事前説明し、全員の了解を得たうえでの変更でした。現地ガイドさんと運転手さんも賛成の行程変更でした。
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先ほど紹介した行程変更は、旅行社では出発前に検討されていたらしく、旅行計画書の『たっぷり♪イタリア5大絶景9日間』のパンフレットは原案の生でしたが、変更後の行程図も用意されていました。当初申し込んだツアーは『初めてのイタリア8日間』でしたが、これが催行中止になり、同じ会社が企画した9日間のツアーに乗り換えました。旅行企画を作成した人も、何かと苦労があったようです。
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ミラノで泊まったホテルの紹介です。そのフロント光景です。手元に残っていたホテルカードには、『ATAHOTEL QUARK MILANO』の表示がありました。ネット検索しましたら、『アタホテル・クアーク・ミラノ』は、ミラノ郊外の『Via Lampedusa』に立地していました。
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泊まったホテルの1階フロントの光景です。2~3階分が吹き抜けになった、豪華な造りのホテルではなく、ビジネスクラスを1ランク上にしたような、実務的な造りでした。ただし、造りはまだ新しいらしく、1階ロビーの広さにも配慮されているようでした。
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同じく、泊まったホテルの1階フロントの光景です。1階では、パーティーも開催されるのでしょうか、グランドピアノらしいものが置いてありました。ヨーロッパのホテルでは、到着したホテルで先客のパーティーが1階ロビーで賑やかに始まっていたこともありました。一緒に躍りだした日本人メンバーもいました。
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十分な広さがあった泊まった部屋の紹介です。設備も整っていました。今回の旅行では、少しだけランクが上のスーペリアクラスのホテルが、全ての宿泊地で用意されていました。あらかじめ配布された旅行計画書にも明記してあった、1ランク上のホテルの用意でした。
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