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サン・マルコ寺院には入場して見学しましたが、室内の壁画や天井などの光景は、この後纏めて紹介します。最初は外壁に描かれたモザイク壁画や、外壁の彫刻群などの紹介です。サン・マルコ広場のその他の立て斧も併せて紹介します。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)

2013秋、イタリア旅行記2(45/53):10月1日(5):ヴェネチア(5):サン・モイゼ教会、サン・マルコ寺院

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2013/09/24 - 2013/10/02

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旅人のくまさん

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サン・マルコ寺院には入場して見学しましたが、室内の壁画や天井などの光景は、この後纏めて紹介します。最初は外壁に描かれたモザイク壁画や、外壁の彫刻群などの紹介です。サン・マルコ広場のその他の立て斧も併せて紹介します。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)

  • 左奥に見える『サン・マルコ寺院』に隣接して建つ『ドゥカーレ宮殿』の建物光景です。『ヴェネチア共和国(697~1797年)』の時代、総督(ドージェ)邸兼政庁だった建造物です。ドージェ(総督)の公邸で、行政府、立法府、司法府、刑務所という複合機能を有していました。(ウィキペディア)

    左奥に見える『サン・マルコ寺院』に隣接して建つ『ドゥカーレ宮殿』の建物光景です。『ヴェネチア共和国(697~1797年)』の時代、総督(ドージェ)邸兼政庁だった建造物です。ドージェ(総督)の公邸で、行政府、立法府、司法府、刑務所という複合機能を有していました。(ウィキペディア)

  • 『ドゥカーレ宮殿』の建物中央付近のズームアップ光景です。この建物光景は、サン・マルコ運河に面した、南面になります。サン・マルコ小広場に面した場所です。『有翼の獅子像』と、その上にギリシャ・ローマ神話の女神像らしい姿がありました。『有翼の獅子像』の左に見えるのが聖マルコ像かも知れません。元々要塞としての役割が多かったドゥカーレ宮殿ですが、歴史と共にその役割は変化していき、現在のような装飾性が際立つ外観となりました。

    イチオシ

    『ドゥカーレ宮殿』の建物中央付近のズームアップ光景です。この建物光景は、サン・マルコ運河に面した、南面になります。サン・マルコ小広場に面した場所です。『有翼の獅子像』と、その上にギリシャ・ローマ神話の女神像らしい姿がありました。『有翼の獅子像』の左に見えるのが聖マルコ像かも知れません。元々要塞としての役割が多かったドゥカーレ宮殿ですが、歴史と共にその役割は変化していき、現在のような装飾性が際立つ外観となりました。

  • 同じく、『ドゥカーレ宮殿』の建物中央付近のズームアップ光景です。こちらの建物光景は、サン・マルコ広場に面した、西面になります。最下部にベランダを持った、先ほどの建物南側の飾りとよく似ていますが、建物の横に突き出したポールが2本づつ、合計4本ありました。『有翼の獅子像』は、こちらには見当たらないようですが、丸窓風の場所に天使と聖母子像がありました。

    同じく、『ドゥカーレ宮殿』の建物中央付近のズームアップ光景です。こちらの建物光景は、サン・マルコ広場に面した、西面になります。最下部にベランダを持った、先ほどの建物南側の飾りとよく似ていますが、建物の横に突き出したポールが2本づつ、合計4本ありました。『有翼の獅子像』は、こちらには見当たらないようですが、丸窓風の場所に天使と聖母子像がありました。

  • 同じく、『ドゥカーレ宮殿』の建物光景です。9世紀に建設されたオリジナルの建物は10世紀の火事で焼失し、現存しません。1340年以降にため息橋に面する東側の棟が再建され、1424年以降にサン・マルコ広場に面する西側の棟が再建されています。この写真は、サン・マルコ広場に面した西側になります。

    同じく、『ドゥカーレ宮殿』の建物光景です。9世紀に建設されたオリジナルの建物は10世紀の火事で焼失し、現存しません。1340年以降にため息橋に面する東側の棟が再建され、1424年以降にサン・マルコ広場に面する西側の棟が再建されています。この写真は、サン・マルコ広場に面した西側になります。

  • 後ほど詳細に紹介しますが、『ドゥカーレ宮殿』の北側に隣接する『サン・マルコ寺院』のドーム屋根のズームアップ光景です。最初の写真の左側に見えていた建物のドーム屋根です。<br />

    後ほど詳細に紹介しますが、『ドゥカーレ宮殿』の北側に隣接する『サン・マルコ寺院』のドーム屋根のズームアップ光景です。最初の写真の左側に見えていた建物のドーム屋根です。

  • 石柱の先端部分の飾りのズームアップ光景です。ギリシャ・ローマ建築風の彫刻がありましたが、ドーリア式 、 イオニア式 やコリント式のオーダーとは少し異なっているようでしたが、共通している部分もある装飾にも見えました。素材は、白大理石のようです。

    石柱の先端部分の飾りのズームアップ光景です。ギリシャ・ローマ建築風の彫刻がありましたが、ドーリア式 、 イオニア式 やコリント式のオーダーとは少し異なっているようでしたが、共通している部分もある装飾にも見えました。素材は、白大理石のようです。

  • 同じく、石柱の先端部分の飾りのズームアップ光景です。この装飾は、アカンサスを用いたコリント式との類似性が強いように見受けました。『ドゥカーレ宮殿』全体は、ゴシック様式の宮殿とされます。

    同じく、石柱の先端部分の飾りのズームアップ光景です。この装飾は、アカンサスを用いたコリント式との類似性が強いように見受けました。『ドゥカーレ宮殿』全体は、ゴシック様式の宮殿とされます。

  • サン・マルコ広場に面した回廊の光景です。『ドゥカーレ宮殿』の回廊だったようです。『ドゥカーレ宮殿』の外壁は、ピンクの大理石が模様を描くように配置されていて、イスラム建築の影響も感じるアーチ型の柱は、シンプルですが繊細で美しい造りです。

    サン・マルコ広場に面した回廊の光景です。『ドゥカーレ宮殿』の回廊だったようです。『ドゥカーレ宮殿』の外壁は、ピンクの大理石が模様を描くように配置されていて、イスラム建築の影響も感じるアーチ型の柱は、シンプルですが繊細で美しい造りです。

  • 同じく、サン・マルコ広場に面した『ドゥカーレ宮殿』の回廊の光景です。サン・マルコ広場より、この回廊を通路代わりに利用していた人の方が多いようでした。そのことを見越しての、オープンな造りの回廊かも知れません。季節によっては、風雨や、暑さ対策でも重宝になりそうです。

    同じく、サン・マルコ広場に面した『ドゥカーレ宮殿』の回廊の光景です。サン・マルコ広場より、この回廊を通路代わりに利用していた人の方が多いようでした。そのことを見越しての、オープンな造りの回廊かも知れません。季節によっては、風雨や、暑さ対策でも重宝になりそうです。

  • 『ムーア人の時計塔』の屋上に設置された、二人のムーア人と鐘のズームアップ光景です。鐘の上には金色の十字架と、それらを守る避雷針らしいものが見えました。1499年に建設されたこの時計塔を見て、古の船乗りたちは潮の満ち引きを知ったと言われています。建設されてから500年以上が経ちました。鐘が鳴らされるのは正午です。

    『ムーア人の時計塔』の屋上に設置された、二人のムーア人と鐘のズームアップ光景です。鐘の上には金色の十字架と、それらを守る避雷針らしいものが見えました。1499年に建設されたこの時計塔を見て、古の船乗りたちは潮の満ち引きを知ったと言われています。建設されてから500年以上が経ちました。鐘が鳴らされるのは正午です。

  • 『サン・モイゼ教会』のファサード光景です。サン・マルコ地区のサン・モイゼ広場に面した場所に位置しています。サン・マルコ広場の西側になります。個性的なファサードが魅力的な、バロック様式の教会です。入場しての見学はしませんでしたが、この教会内部には、17世紀~18世紀の絵画や彫刻作品が多く、『ティントレット(1518~1594年)』による『弟子の足を洗うキリスト』も見ることができます。ティントレットは、師匠のティツィアーノ、そしてヴェロネーゼとともにルネサンス期のヴェネチア派を代表する画家です。

    イチオシ

    『サン・モイゼ教会』のファサード光景です。サン・マルコ地区のサン・モイゼ広場に面した場所に位置しています。サン・マルコ広場の西側になります。個性的なファサードが魅力的な、バロック様式の教会です。入場しての見学はしませんでしたが、この教会内部には、17世紀~18世紀の絵画や彫刻作品が多く、『ティントレット(1518~1594年)』による『弟子の足を洗うキリスト』も見ることができます。ティントレットは、師匠のティツィアーノ、そしてヴェロネーゼとともにルネサンス期のヴェネチア派を代表する画家です。

  • サン・モイゼ広場正面に建つ『サン・モイゼ教会』は、ヴェネツィアン・バロック様式の教会です。映画『旅情』でキャサリン・ヘプバーンが、大鐘楼の鐘の音を耳にして、広場へと小走りに急ぐシーンで登場する場所です。この映画は、1955年に公開されたイギリス・アメリカ合衆国合作の映画作品です。あらすじは、アメリカの地方都市で秘書をしている独身の38歳のジェーン・ハドソン(キャサリン・ヘプバーン)は長期休暇を取り、念願であったヨーロッパ旅行の夢を実現させて、ロンドンとパリを観光後、オリエント急行に乗って、この旅行の最終目的地である水の都・ヴェネツィアを訪れ、サン・マルコ広場で一人のイタリア人男性レナード(ロッサノ・ブラッツィ)と出会いました。

    サン・モイゼ広場正面に建つ『サン・モイゼ教会』は、ヴェネツィアン・バロック様式の教会です。映画『旅情』でキャサリン・ヘプバーンが、大鐘楼の鐘の音を耳にして、広場へと小走りに急ぐシーンで登場する場所です。この映画は、1955年に公開されたイギリス・アメリカ合衆国合作の映画作品です。あらすじは、アメリカの地方都市で秘書をしている独身の38歳のジェーン・ハドソン(キャサリン・ヘプバーン)は長期休暇を取り、念願であったヨーロッパ旅行の夢を実現させて、ロンドンとパリを観光後、オリエント急行に乗って、この旅行の最終目的地である水の都・ヴェネツィアを訪れ、サン・マルコ広場で一人のイタリア人男性レナード(ロッサノ・ブラッツィ)と出会いました。

  • 背後に見えるのは、レンガ造りの鐘楼です。『サン・モイゼ教会』の創建は8世紀頃、聖ウィクトルに献堂されました。10世紀にモイゼ・ヴェニエールという人物により再建された事が名前の由来になるようです。1668年にアレッサンドロ・トレミニョンにより、ファサードが現在のヴェネツィアン・バロック様式になったようです。レンガ造りの鐘楼は、ファサードが完成する1668年より早く、1520年に再建されています。

    背後に見えるのは、レンガ造りの鐘楼です。『サン・モイゼ教会』の創建は8世紀頃、聖ウィクトルに献堂されました。10世紀にモイゼ・ヴェニエールという人物により再建された事が名前の由来になるようです。1668年にアレッサンドロ・トレミニョンにより、ファサードが現在のヴェネツィアン・バロック様式になったようです。レンガ造りの鐘楼は、ファサードが完成する1668年より早く、1520年に再建されています。

  • ファサード最上部の彫像のズームアップ光景です。推測ですが、旧約聖書に登場する『モーセ(モーゼ)』かも知れません。この教会の『サン・モイゼ』も『モーセ(モーゼ)』に因む命名かと思いましたが、確実な記述は確認できませんでした。モーゼ像とすれば、手にしているのは『十戒』の石板かも知れません。モーゼは、紀元前13世紀、古代イスラエル民族とその宗教を基礎づけたと伝えられる指導者です。ヘブライ語の名前表示は、『モーゼ』あるいは『モイゼ』とも和訳されています。

    ファサード最上部の彫像のズームアップ光景です。推測ですが、旧約聖書に登場する『モーセ(モーゼ)』かも知れません。この教会の『サン・モイゼ』も『モーセ(モーゼ)』に因む命名かと思いましたが、確実な記述は確認できませんでした。モーゼ像とすれば、手にしているのは『十戒』の石板かも知れません。モーゼは、紀元前13世紀、古代イスラエル民族とその宗教を基礎づけたと伝えられる指導者です。ヘブライ語の名前表示は、『モーゼ』あるいは『モイゼ』とも和訳されています。

  • 頂部に『モーゼ像』らしいものがあったファサードの光景です。『十戒』は、神がシナイ山上でモーセを通してイスラエルの民に授けたとされる10か条の戒めとされ、2枚の石板に刻まれていたといわれ、『モーセの十戒』とも呼ばれています。 旧約聖書の『出エジプト記』の20章3節から17節、申命記5章7節から21節に記され、『十戒』の1から4までは神と人との関係、5から10までは人と人に関する項目(同時に刑法の根幹)が記されています。

    頂部に『モーゼ像』らしいものがあったファサードの光景です。『十戒』は、神がシナイ山上でモーセを通してイスラエルの民に授けたとされる10か条の戒めとされ、2枚の石板に刻まれていたといわれ、『モーセの十戒』とも呼ばれています。 旧約聖書の『出エジプト記』の20章3節から17節、申命記5章7節から21節に記され、『十戒』の1から4までは神と人との関係、5から10までは人と人に関する項目(同時に刑法の根幹)が記されています。

  • 『サン・モイゼ教会』の正面入口光景です。入場見学は無料でできますが、時間の都合で外回りだけの見学にしました。『十戒』の内容は、『神の意思が記されたものであり、モーセが十戒そのものを考え出し、自らもしくは他者に記させたものではない』とされています。あくまでも宗教上の考えですから、真偽を争う問題ではなさそうです。信じるか、信じないかの問題のようです。

    『サン・モイゼ教会』の正面入口光景です。入場見学は無料でできますが、時間の都合で外回りだけの見学にしました。『十戒』の内容は、『神の意思が記されたものであり、モーセが十戒そのものを考え出し、自らもしくは他者に記させたものではない』とされています。あくまでも宗教上の考えですから、真偽を争う問題ではなさそうです。信じるか、信じないかの問題のようです。

  • 出エジプト記本文では、『神が民全体に語りかけたが、それが民をあまりにも脅かしたため、モーセが代表者として神につかわされた』とされます。これも、信じるか、信じないかの問題になります。二枚の石板からなる『十戒』は、二度神から渡されていいます。最初にモーセが受け取ったものはモーセ自身が叩き割ったとされます。映画の『十戒』でもそのシーンがあったようです。

    出エジプト記本文では、『神が民全体に語りかけたが、それが民をあまりにも脅かしたため、モーセが代表者として神につかわされた』とされます。これも、信じるか、信じないかの問題になります。二枚の石板からなる『十戒』は、二度神から渡されていいます。最初にモーセが受け取ったものはモーセ自身が叩き割ったとされます。映画の『十戒』でもそのシーンがあったようです。

  • 『サン・モイゼ教会』のファサードの彫刻群のズームアップ光景が続きます。イスラム教においても、モーセは預言者の一人として登場し、重要な戒律である「モーセの十戒」を含む出エジプトの物語も伝承されています。イスラム教における聖典には、アブラハム、モーセ、イエスなどが説いた教えを、最後の預言者であるムハンマドが最終的にまとめ上げたものが記されています。キリスト教と、ユダヤ教・イスラム教との一番の違いは、新約聖書に対する見解になるようです。

    『サン・モイゼ教会』のファサードの彫刻群のズームアップ光景が続きます。イスラム教においても、モーセは預言者の一人として登場し、重要な戒律である「モーセの十戒」を含む出エジプトの物語も伝承されています。イスラム教における聖典には、アブラハム、モーセ、イエスなどが説いた教えを、最後の預言者であるムハンマドが最終的にまとめ上げたものが記されています。キリスト教と、ユダヤ教・イスラム教との一番の違いは、新約聖書に対する見解になるようです。

  • 『サン・モイゼ教会』のファサードの彫刻群のズームアップ光景です。モーセが実在したかどうかについては諸説があります。『出エジプト記』に記載された歴史的事柄は、大筋において実際に起こったこととされ、指導者『モーセ』も、実在した人物であるとの説が有力とされます。モーセは、紀元前16世紀、または紀元前13世紀頃の人物とされ、イスラエルの民の出エジプト、シナイ山における契約締結、救世主への信仰の始まりにおいて中心的な役割を果たしました。

    『サン・モイゼ教会』のファサードの彫刻群のズームアップ光景です。モーセが実在したかどうかについては諸説があります。『出エジプト記』に記載された歴史的事柄は、大筋において実際に起こったこととされ、指導者『モーセ』も、実在した人物であるとの説が有力とされます。モーセは、紀元前16世紀、または紀元前13世紀頃の人物とされ、イスラエルの民の出エジプト、シナイ山における契約締結、救世主への信仰の始まりにおいて中心的な役割を果たしました。

  • これで、『サン・モイゼ教会』の紹介はお終いです。ネット情報で、この教会の祭壇に飾られた、エジプト出発の後にモーゼが神から十戒を受けるために登ったといわれる、シナイ山の場面の彫刻の写真を目にすることが出来ました。このことからも『サン・モイゼ教会』が、『聖モーゼ』に捧げられた教会であることは間違いないようでした。

    これで、『サン・モイゼ教会』の紹介はお終いです。ネット情報で、この教会の祭壇に飾られた、エジプト出発の後にモーゼが神から十戒を受けるために登ったといわれる、シナイ山の場面の彫刻の写真を目にすることが出来ました。このことからも『サン・モイゼ教会』が、『聖モーゼ』に捧げられた教会であることは間違いないようでした。

  • ここからは、『サン・マルコ寺院』の正面に飾られている壁画の紹介です。正面には、上下合わせて10箇所のドーム構造のファサードがあり、その内の9箇所にフレスコ画が飾られていますが、2階部分は工事中で覆いがありました。その内のいくつかの紹介です。この図はキリスト教に纏わる聖書の場面ではなく、推測で判断すれば、この寺院の最高位聖職者の葬送の場面当たりのようでした。

    ここからは、『サン・マルコ寺院』の正面に飾られている壁画の紹介です。正面には、上下合わせて10箇所のドーム構造のファサードがあり、その内の9箇所にフレスコ画が飾られていますが、2階部分は工事中で覆いがありました。その内のいくつかの紹介です。この図はキリスト教に纏わる聖書の場面ではなく、推測で判断すれば、この寺院の最高位聖職者の葬送の場面当たりのようでした。

  • 『サン・マルコ寺院』のドーム構造のファサードに飾られているフレスコ画の紹介が続きます。この壁画は、モザイク画のように見えましたが、同じようにフレスコ画として紹介しておきます。推測ですが、中央最上部に手に聖書を携えた、聖・マルコ像が描かれているようでした。5世紀から15世紀の東ローマ帝国で発達した、東洋的な色合いを持つ、ビザンツ美術の影響が大きい絵画のようです。

    『サン・マルコ寺院』のドーム構造のファサードに飾られているフレスコ画の紹介が続きます。この壁画は、モザイク画のように見えましたが、同じようにフレスコ画として紹介しておきます。推測ですが、中央最上部に手に聖書を携えた、聖・マルコ像が描かれているようでした。5世紀から15世紀の東ローマ帝国で発達した、東洋的な色合いを持つ、ビザンツ美術の影響が大きい絵画のようです。

  • フレスコ画らしい壁画の紹介が続きます。この図の中央に描かれているのは、十字架を手にしたキリストのようですから、『キリスト昇天』になるようです。キリストの昇天に関する記述が見られる第一の資料は、『マルコによる福音書』の16章14節から19節とされます。この聖堂に祀られているのが、その福音記者・マルコ(サン・マルコ)です。出入口になる中央上部に飾られていました。(ウィキペディア)

    フレスコ画らしい壁画の紹介が続きます。この図の中央に描かれているのは、十字架を手にしたキリストのようですから、『キリスト昇天』になるようです。キリストの昇天に関する記述が見られる第一の資料は、『マルコによる福音書』の16章14節から19節とされます。この聖堂に祀られているのが、その福音記者・マルコ(サン・マルコ)です。出入口になる中央上部に飾られていました。(ウィキペディア)

  • 建物中央にあった出入口と、その上部のフレスコ画の光景です。ネット情報では、『モザイク画』と紹介しているものが多いようです。『キリスト昇天』の図は、先ほど紹介したものです。『キリストの昇天』は、キリスト教の教義で、復活したイエス・キリストが天にあげられたこと、またそれを記念するキリスト教の祝日を意味します。世俗一般での用法とは異なり、『昇天』の語は、現在のキリスト教では『人の死』の意味で用いることはないとされます。(同上)

    イチオシ

    建物中央にあった出入口と、その上部のフレスコ画の光景です。ネット情報では、『モザイク画』と紹介しているものが多いようです。『キリスト昇天』の図は、先ほど紹介したものです。『キリストの昇天』は、キリスト教の教義で、復活したイエス・キリストが天にあげられたこと、またそれを記念するキリスト教の祝日を意味します。世俗一般での用法とは異なり、『昇天』の語は、現在のキリスト教では『人の死』の意味で用いることはないとされます。(同上)

  • かなり凝った造りのアーチ型のドームです。先ほどの半円ドームと同じように、ギリシャ・ローマ建築風の石柱が立ち並び、その最上部に立像が置けるほどの空間が設けてありましたが、像ではなく絵画が飾られていました。その中央部の絵は、すでに紹介した、『この寺院の最高位聖職者の葬送の場面』と推測した絵ですが、『聖マルコの葬送』とするネット情報もありました。

    かなり凝った造りのアーチ型のドームです。先ほどの半円ドームと同じように、ギリシャ・ローマ建築風の石柱が立ち並び、その最上部に立像が置けるほどの空間が設けてありましたが、像ではなく絵画が飾られていました。その中央部の絵は、すでに紹介した、『この寺院の最高位聖職者の葬送の場面』と推測した絵ですが、『聖マルコの葬送』とするネット情報もありました。

  • 金箔が敷き詰められているように見えた壁面と天井部分の光景です。上半分の円形部分には、世俗絵らしいものが描かれていました。その右下の円の中が、旧約聖書に登場するユダヤ人男性、聖ダニエルのようです。相対する左側の円の中には、聖人らしい『IEREMLAS』の表示がありましたが、詳細は分かりませんでした。

    金箔が敷き詰められているように見えた壁面と天井部分の光景です。上半分の円形部分には、世俗絵らしいものが描かれていました。その右下の円の中が、旧約聖書に登場するユダヤ人男性、聖ダニエルのようです。相対する左側の円の中には、聖人らしい『IEREMLAS』の表示がありましたが、詳細は分かりませんでした。

  • 直近から見上げた、『サン・マルコ寺院』の建物の側面光景です。いくつもの尖塔が立ち並んでいました。この写真の右手中央に、『サン・マルコ』らしいブロンズ像がありましたので、この後、ズームアップで紹介します。中央付近に見える尖塔は、四方吹き抜けの造りでした。

    直近から見上げた、『サン・マルコ寺院』の建物の側面光景です。いくつもの尖塔が立ち並んでいました。この写真の右手中央に、『サン・マルコ』らしいブロンズ像がありましたので、この後、ズームアップで紹介します。中央付近に見える尖塔は、四方吹き抜けの造りでした。

  • 壁面のアーチ部分に祀られた聖人像です。推測も入りますが、福音記者の聖・マルコ像のようです。 (イタリア語: San Marco Evangelista、英: Mark the Evangelist)』は、新約聖書の『マルコによる福音書』の著者とされる聖人です。ギリシア語ではマルコス、あるいはマルクとも呼ばれます。聖・マルコは、伝承によればアレクサンドリアの教会の創建者であり、正教会(ギリシャ正教)とコプト正教会(非カルケドン派)の両派で、初代アレクサンドリア総主教とされています。ヴェネツィアのマルコの聖遺物は、アレクサンドリアから運ばれました。828年とされるその時の様子は、塩野七生さんの小説から紹介しました。(海の都の物語・ヴェネツィア共和国の一千年)

    壁面のアーチ部分に祀られた聖人像です。推測も入りますが、福音記者の聖・マルコ像のようです。 (イタリア語: San Marco Evangelista、英: Mark the Evangelist)』は、新約聖書の『マルコによる福音書』の著者とされる聖人です。ギリシア語ではマルコス、あるいはマルクとも呼ばれます。聖・マルコは、伝承によればアレクサンドリアの教会の創建者であり、正教会(ギリシャ正教)とコプト正教会(非カルケドン派)の両派で、初代アレクサンドリア総主教とされています。ヴェネツィアのマルコの聖遺物は、アレクサンドリアから運ばれました。828年とされるその時の様子は、塩野七生さんの小説から紹介しました。(海の都の物語・ヴェネツィア共和国の一千年)

  • 先ほど紹介した建物の、更に右側の光景です。『福音記者マルコ』の像が、一番左のアーチ部分になりました。一番目と二番目のアーチの間にも、『福音記者マルコ』らしいレリーフ像がありました。さらに、二番目と三番目のアーチの間には、旧約聖書の『アダムとイブ』のレリーフ像、左端には有翼獅子像らしいものもありました。古い時代に造られた建物部分になるようです。

    先ほど紹介した建物の、更に右側の光景です。『福音記者マルコ』の像が、一番左のアーチ部分になりました。一番目と二番目のアーチの間にも、『福音記者マルコ』らしいレリーフ像がありました。さらに、二番目と三番目のアーチの間には、旧約聖書の『アダムとイブ』のレリーフ像、左端には有翼獅子像らしいものもありました。古い時代に造られた建物部分になるようです。

  • 『ドゥカーレ宮殿』の中庭で撮影した建物光景ですが、詳しいことは分かりませんでした。右端に『ドゥカーレ宮殿』の建物の入り部が見えていますから、『ドゥカーレ宮殿』に直交する隣接の建物かも知れません。

    『ドゥカーレ宮殿』の中庭で撮影した建物光景ですが、詳しいことは分かりませんでした。右端に『ドゥカーレ宮殿』の建物の入り部が見えていますから、『ドゥカーレ宮殿』に直交する隣接の建物かも知れません。

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