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サン・ピエトロ大聖堂紹介の締め括りです。大聖堂の北に隣接してローマ教皇の住むヴァチカン宮殿、ヴァチカン美術館などがあり、国全体が『ヴァチカン市国』として世界文化遺産に登録されています2011年現在、バチカンは174カ国と国際連合およびマルタ騎士団の特命全権大使を受け入れ、179の国と地域に大使あるいは外交使節を派遣しています。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)

2013秋、イタリア旅行記2(26/53):9月28日(7):ヴァチカン市国(3):サン・ピエトロ大聖堂、クーポラ

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2013/09/24 - 2013/10/02

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旅人のくまさん

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サン・ピエトロ大聖堂紹介の締め括りです。大聖堂の北に隣接してローマ教皇の住むヴァチカン宮殿、ヴァチカン美術館などがあり、国全体が『ヴァチカン市国』として世界文化遺産に登録されています2011年現在、バチカンは174カ国と国際連合およびマルタ騎士団の特命全権大使を受け入れ、179の国と地域に大使あるいは外交使節を派遣しています。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)

  • サン・ピエトロ大聖堂内には、11の礼拝堂と45の祭壇が置かれ、名だたる芸術家達が手がけた装飾や美術品で飾られています。内部装飾は主にベルニーニが担当し、『クーポラ』や、先に紹介した『ピエタ像』などはミケランジェロが手がけました。右手前に見えるのは、『メダイオン』と呼ばれる装飾です。後ほど紹介します。

    サン・ピエトロ大聖堂内には、11の礼拝堂と45の祭壇が置かれ、名だたる芸術家達が手がけた装飾や美術品で飾られています。内部装飾は主にベルニーニが担当し、『クーポラ』や、先に紹介した『ピエタ像』などはミケランジェロが手がけました。右手前に見えるのは、『メダイオン』と呼ばれる装飾です。後ほど紹介します。

  • 建設の前には、『ブラマンテ』、『ラファエロ』、『ミケランジェロ』など、錚々たる顔ぶれの設計案が検討されてきました。最終的に設計を手がけた『カルロ・マデルノ』の案も、『ミケランジェロ』が1569年に出した設計案がベースになっています。ミケランジェロは、建築家としても超一流でした。

    建設の前には、『ブラマンテ』、『ラファエロ』、『ミケランジェロ』など、錚々たる顔ぶれの設計案が検討されてきました。最終的に設計を手がけた『カルロ・マデルノ』の案も、『ミケランジェロ』が1569年に出した設計案がベースになっています。ミケランジェロは、建築家としても超一流でした。

  • ミケランジェロが手掛けた、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラの内部光景です。クーポラの建築は、サン・ピエトロ大聖堂の初代設計監督を務めた「ブラマンテ」の頃から計画されましたが、彼の死などで進行しませんでした。しかし、ミケランジェロの70歳頃の新設計によりプロジェクトは本格的に動き出しました。現在、目にするクーポラも、この時のミケランジェロの設計が元になっています。

    イチオシ

    ミケランジェロが手掛けた、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラの内部光景です。クーポラの建築は、サン・ピエトロ大聖堂の初代設計監督を務めた「ブラマンテ」の頃から計画されましたが、彼の死などで進行しませんでした。しかし、ミケランジェロの70歳頃の新設計によりプロジェクトは本格的に動き出しました。現在、目にするクーポラも、この時のミケランジェロの設計が元になっています。

  • 写真の左手の壁の装飾は、『メダイオン』と呼ばれるものです。『メダイオン』は、フランス語でメダルの大型のものをいい、形状は円形ないし楕円形です。メダルに比べ、記念的な意味よりも装飾的な意味が強いもので、同形状の建築壁面装飾をさすこともあります。各支柱上下の壁龕部分には、修道会の創始者たちの彫像が合計39体置かれ、側面部分は、2人のプット(翼の生えた裸の幼児)が支える歴代教皇56人のメダイヨンで飾られています。

    写真の左手の壁の装飾は、『メダイオン』と呼ばれるものです。『メダイオン』は、フランス語でメダルの大型のものをいい、形状は円形ないし楕円形です。メダルに比べ、記念的な意味よりも装飾的な意味が強いもので、同形状の建築壁面装飾をさすこともあります。各支柱上下の壁龕部分には、修道会の創始者たちの彫像が合計39体置かれ、側面部分は、2人のプット(翼の生えた裸の幼児)が支える歴代教皇56人のメダイヨンで飾られています。

  • 「サン・ピエトロ大聖堂」の礎が築かれたのは324年、キリスト教を公認した『コンスタンティヌス帝』の命によって『聖ペトロ』の墓の上に建設された聖堂が元になっています。聖ペトロは、キリストの十二使徒の筆頭です。暴君ネロによって紀元64年に逆さ十字架にかけられて命を落とした聖人ともされますが、異説もあるようです。ペトロの名は、サン・ピエトロ大聖堂や広場の由来にもなっていて、その遺体は現在の大聖堂の真下に埋葬されているようです。

    「サン・ピエトロ大聖堂」の礎が築かれたのは324年、キリスト教を公認した『コンスタンティヌス帝』の命によって『聖ペトロ』の墓の上に建設された聖堂が元になっています。聖ペトロは、キリストの十二使徒の筆頭です。暴君ネロによって紀元64年に逆さ十字架にかけられて命を落とした聖人ともされますが、異説もあるようです。ペトロの名は、サン・ピエトロ大聖堂や広場の由来にもなっていて、その遺体は現在の大聖堂の真下に埋葬されているようです。

  • 最初にこの地に築かれた聖堂は、324年~329年頃とされます。現在のルネサンスとバロック芸術の粋を極めた『サン・ピエトロ大聖堂』の美しさにはほど遠いものだったようです。しかし、それから約1200年後の1506年、ローマ教皇の『ユリウス2世(1443~1513年)』によって、老巧化した聖堂の建て替えが開始されました。

    最初にこの地に築かれた聖堂は、324年~329年頃とされます。現在のルネサンスとバロック芸術の粋を極めた『サン・ピエトロ大聖堂』の美しさにはほど遠いものだったようです。しかし、それから約1200年後の1506年、ローマ教皇の『ユリウス2世(1443~1513年)』によって、老巧化した聖堂の建て替えが開始されました。

  • 『サン・ピエトロ大聖堂』の建設工事は、1世紀以上の長期にわたりました。設計や監修には、ブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロなど、時代の寵児と言われる天才芸術家が10人以上も携わりました。そして、工事着工から実に120年後の1626年、ついに『サン・ピエトロ大聖堂』は完成を迎えました。大聖堂の完成後も、ベルニーニ設計の大天蓋など様々な芸術品が追加され、その美しい姿を今に伝えています。

    『サン・ピエトロ大聖堂』の建設工事は、1世紀以上の長期にわたりました。設計や監修には、ブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロなど、時代の寵児と言われる天才芸術家が10人以上も携わりました。そして、工事着工から実に120年後の1626年、ついに『サン・ピエトロ大聖堂』は完成を迎えました。大聖堂の完成後も、ベルニーニ設計の大天蓋など様々な芸術品が追加され、その美しい姿を今に伝えています。

  • その後のメンテナンスの紹介です。システィーナ礼拝堂のフレスコ画、とくにミケランジェロが描いた天井画は過去に何度も修復されていて、もっとも近年で大規模な修復作業が、1979年に開始された試験的な修復を経て1980年6月から1999年12月にかけて実施されました。修復作業を手がけたのはジャンルイージ・コラルッチ、マウリツィオ・ロッシ、ピエルジョルジョ・ボネッティ、ブルーノ・バラッティらからなるチームでした。修復作業の様子は克明に記録され、記録写真を担当したのは日本テレビから嘱託された美術写真家の岡村崔でした。(ウィキペディア)

    その後のメンテナンスの紹介です。システィーナ礼拝堂のフレスコ画、とくにミケランジェロが描いた天井画は過去に何度も修復されていて、もっとも近年で大規模な修復作業が、1979年に開始された試験的な修復を経て1980年6月から1999年12月にかけて実施されました。修復作業を手がけたのはジャンルイージ・コラルッチ、マウリツィオ・ロッシ、ピエルジョルジョ・ボネッティ、ブルーノ・バラッティらからなるチームでした。修復作業の様子は克明に記録され、記録写真を担当したのは日本テレビから嘱託された美術写真家の岡村崔でした。(ウィキペディア)

  • 最初に修復対象となったのは、ミケランジェロの天井画のルネット部分です。1984年に完了しました。天井画全体の修復が完了したのは1989年12月のことで、引き続きミケランジェロの『最後の審判』の修復が開始されました。フレスコ画全体の修復作業の様子が、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世に説明されたのは、全体の完成間近の1994年4月8日でした。最後に修復された箇所はボッティチェッリ、ギルランダイオ、ペルジーノらが描いた壁面のフレスコ画で、1999年12月11日に公開されました。(同上)

    最初に修復対象となったのは、ミケランジェロの天井画のルネット部分です。1984年に完了しました。天井画全体の修復が完了したのは1989年12月のことで、引き続きミケランジェロの『最後の審判』の修復が開始されました。フレスコ画全体の修復作業の様子が、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世に説明されたのは、全体の完成間近の1994年4月8日でした。最後に修復された箇所はボッティチェッリ、ギルランダイオ、ペルジーノらが描いた壁面のフレスコ画で、1999年12月11日に公開されました。(同上)

  • 第255代のローマ教皇の『ピオ(ピウス)9世:在位1846~1878年)』を祀る祭壇のようです。イタリアのセニガッリアの貴族の家に生まれました。本名はジョヴァンニ・マリア・マスタイ=フェッレッティ、1700年以来最年少となる54歳で教皇に選ばれ、31年7か月という最長の教皇在位を記録しました。ピウス9世と日本は縁があり、1862年に日本二十六聖人を列聖したのがピウス9世であり、1868年には長崎での信徒発見のニュースに対して喜びをあらわす書簡を発表しています。

    第255代のローマ教皇の『ピオ(ピウス)9世:在位1846~1878年)』を祀る祭壇のようです。イタリアのセニガッリアの貴族の家に生まれました。本名はジョヴァンニ・マリア・マスタイ=フェッレッティ、1700年以来最年少となる54歳で教皇に選ばれ、31年7か月という最長の教皇在位を記録しました。ピウス9世と日本は縁があり、1862年に日本二十六聖人を列聖したのがピウス9世であり、1868年には長崎での信徒発見のニュースに対して喜びをあらわす書簡を発表しています。

  • 『カルロ・マラッタ(1625~1713年)』作の『キリストの洗礼です。『マラッタ』は、主にローマで活動したバロック時代の画家です。作中では洗礼者ヨハネからキリストが洗礼を受けるという、聖書の中でも非常に重要なシーンが描かれています。同じシーンを描いた作品としては、ウフィツィ美術館に展示されているヴェロッキオ作の『キリストの洗礼』が最も有名とされます。

    『カルロ・マラッタ(1625~1713年)』作の『キリストの洗礼です。『マラッタ』は、主にローマで活動したバロック時代の画家です。作中では洗礼者ヨハネからキリストが洗礼を受けるという、聖書の中でも非常に重要なシーンが描かれています。同じシーンを描いた作品としては、ウフィツィ美術館に展示されているヴェロッキオ作の『キリストの洗礼』が最も有名とされます。

  • 上から光が射し込んでいるのが、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラ、その直下に置かれているのが『大天蓋(バルダッキーノ)』です。この高さ29メートルの大天蓋は、パトロンだったローマ教皇『ウルバヌス8世』の命により、若き日の『ベルニーニ』が1624年~1632年にかけて造り上げました。ただし、製作はベルニーニだけでなく、建築家の『フランチェスコ・ボッロミーニ』、彫刻家の『ステファノ・マデルノ』や『アンドレア・ボルジ』など、名だたる芸術家達が携わっています。

    上から光が射し込んでいるのが、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラ、その直下に置かれているのが『大天蓋(バルダッキーノ)』です。この高さ29メートルの大天蓋は、パトロンだったローマ教皇『ウルバヌス8世』の命により、若き日の『ベルニーニ』が1624年~1632年にかけて造り上げました。ただし、製作はベルニーニだけでなく、建築家の『フランチェスコ・ボッロミーニ』、彫刻家の『ステファノ・マデルノ』や『アンドレア・ボルジ』など、名だたる芸術家達が携わっています。

  • 五つあるブロンズ製の『大扉』の一つになるようです。その一覧の紹介です。<br />〇死の扉(ジャコモ・マンズー作)<br />〇善と悪の扉(ルチアーノ・ミングッツィ作)<br />〇フィラレーテの扉(アントニオ・フィラレーテ作)<br />〇秘蹟の扉(ヴェナンツォ・クロチェッティ作)<br />〇聖なる扉(ヴィーコ・コンソルティ作)

    五つあるブロンズ製の『大扉』の一つになるようです。その一覧の紹介です。
    〇死の扉(ジャコモ・マンズー作)
    〇善と悪の扉(ルチアーノ・ミングッツィ作)
    〇フィラレーテの扉(アントニオ・フィラレーテ作)
    〇秘蹟の扉(ヴェナンツォ・クロチェッティ作)
    〇聖なる扉(ヴィーコ・コンソルティ作)

  • 大扉の装飾のズームアップ光景だったようですが、不確かです。その前に撮影した室内の天井光景だったかも知れません。密度の濃い、幾何学模様が取り込まれた装飾でした。

    大扉の装飾のズームアップ光景だったようですが、不確かです。その前に撮影した室内の天井光景だったかも知れません。密度の濃い、幾何学模様が取り込まれた装飾でした。

  • 2000年のミレニアムの時の見学を思い起こさせるサン・ピエトロ広場に設えられた椅子席の光景です。写真の中央後方に見えるオベリスクが、広場の中心付近に位置します。このオベリスクは、ローマに残る30本の内の1本です。後ほどズームアップで紹介します。

    2000年のミレニアムの時の見学を思い起こさせるサン・ピエトロ広場に設えられた椅子席の光景です。写真の中央後方に見えるオベリスクが、広場の中心付近に位置します。このオベリスクは、ローマに残る30本の内の1本です。後ほどズームアップで紹介します。

  • 回廊の屋根の上に並ぶ聖人像の光景です。教会法には教皇の生前辞任が認められていますが、実際には教皇が生前に辞任する事態はほとんど起こっていませんでした。しかし、2013年2月11日、ベネディクト16世(在位2005~2013年)』が通常枢機卿会議で辞任を表明し、コンクラーベが行われました。後任の第266代ローマ教皇は、アルゼンチン出身のフランシスコ(在位:2013~)となりました。

    回廊の屋根の上に並ぶ聖人像の光景です。教会法には教皇の生前辞任が認められていますが、実際には教皇が生前に辞任する事態はほとんど起こっていませんでした。しかし、2013年2月11日、ベネディクト16世(在位2005~2013年)』が通常枢機卿会議で辞任を表明し、コンクラーベが行われました。後任の第266代ローマ教皇は、アルゼンチン出身のフランシスコ(在位:2013~)となりました。

  • ファサード脇の通路の光景です。その出入り口をスイス衛兵が守っていました。カラフルな姿ですから、よく目立ちました。現在のスイスは、傭兵を禁止していますが、儀礼的要素が強いことなどから例外として維持されています。21世紀現在では数少ない傭兵隊であり、現存する国軍では創設時期が最古の軍とされます。退位したベネディクト16世は、名誉教皇となりました。

    ファサード脇の通路の光景です。その出入り口をスイス衛兵が守っていました。カラフルな姿ですから、よく目立ちました。現在のスイスは、傭兵を禁止していますが、儀礼的要素が強いことなどから例外として維持されています。21世紀現在では数少ない傭兵隊であり、現存する国軍では創設時期が最古の軍とされます。退位したベネディクト16世は、名誉教皇となりました。

  • 中世を思い起こさせる長斧の武器を手にしたスイス衛兵ですが、その服装は、まるで現代アートか、ファッションショーに出演のような艶やかさです。それ以前の制服を改良する形で1914年に制定された服装ですが、ミケランジェロのデザインとの伝説もあるようです。スイス衛兵は、19歳から30歳までのカトリックのスイス市民、などの任用条件があります。

    イチオシ

    中世を思い起こさせる長斧の武器を手にしたスイス衛兵ですが、その服装は、まるで現代アートか、ファッションショーに出演のような艶やかさです。それ以前の制服を改良する形で1914年に制定された服装ですが、ミケランジェロのデザインとの伝説もあるようです。スイス衛兵は、19歳から30歳までのカトリックのスイス市民、などの任用条件があります。

  • ファサードの背後の建物左端上部のズームアップ光景です。荘重な造りの時計と、その下に鐘も見えていました。時計の針は午後の2時45分頃を指しています。今日の見学は、ヴァチカン市国でお終いです。後はフィレンツェに向かっての長距離移動になります。ヨハネ・パウロ2世の死去に伴うコンクラーベは、2005年4月に行われましたが、日本でもテレビで報道されていました。ラテン語の『cum clavi』は、『鍵がかかった』の意とされ、カトリック教会の歴史の中で何世紀もかけて、他国の干渉を防止し秘密を保持するため練り上げられたシステムとされます。途中経過の黒い煙と、新法王が決定した時の白い煙も、この時に初めて知りました。

    ファサードの背後の建物左端上部のズームアップ光景です。荘重な造りの時計と、その下に鐘も見えていました。時計の針は午後の2時45分頃を指しています。今日の見学は、ヴァチカン市国でお終いです。後はフィレンツェに向かっての長距離移動になります。ヨハネ・パウロ2世の死去に伴うコンクラーベは、2005年4月に行われましたが、日本でもテレビで報道されていました。ラテン語の『cum clavi』は、『鍵がかかった』の意とされ、カトリック教会の歴史の中で何世紀もかけて、他国の干渉を防止し秘密を保持するため練り上げられたシステムとされます。途中経過の黒い煙と、新法王が決定した時の白い煙も、この時に初めて知りました。

  • 下から見上げた聖人像のズームアップ光景です。ファサードに向かって左側の『聖ペテロ』の像です。その右手には、キリストから授かった『天国への鍵』が握られています。『聖ペテロ(生年不詳~67年(?)』は、新約聖書に登場する人物で、イエス・キリストに従った使徒の一人とされます。初代ローマ教皇とされる、『シモン・ペトロ、ペテロ、ケファ』ともいわれます。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』によれば、ペトロはガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、イエスに声をかけられ、最初の弟子になりました。ファサードに向かって右側には、『聖パウロ像』がありました。

    下から見上げた聖人像のズームアップ光景です。ファサードに向かって左側の『聖ペテロ』の像です。その右手には、キリストから授かった『天国への鍵』が握られています。『聖ペテロ(生年不詳~67年(?)』は、新約聖書に登場する人物で、イエス・キリストに従った使徒の一人とされます。初代ローマ教皇とされる、『シモン・ペトロ、ペテロ、ケファ』ともいわれます。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』によれば、ペトロはガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、イエスに声をかけられ、最初の弟子になりました。ファサードに向かって右側には、『聖パウロ像』がありました。

  • サン・ピエトロ大聖堂のファサード光景です。中央付近に8本の柱が並んでいます。サン・ピエトロ大聖堂自体は何度も再建され、その一部としてファサードが、1624年にバロック様式として完成しました。柱の頂部はコリント式の大オーダーです。2階分の高さをもつ、大オーダーと呼ばれます。新ローマ教皇の誕生時は『祝福のロッジア』と呼ばれる2階中央のバルコニー窓から発表が行われます。

    サン・ピエトロ大聖堂のファサード光景です。中央付近に8本の柱が並んでいます。サン・ピエトロ大聖堂自体は何度も再建され、その一部としてファサードが、1624年にバロック様式として完成しました。柱の頂部はコリント式の大オーダーです。2階分の高さをもつ、大オーダーと呼ばれます。新ローマ教皇の誕生時は『祝福のロッジア』と呼ばれる2階中央のバルコニー窓から発表が行われます。

  • サン・ピエトロ大聖堂のファサード上部のズームアップ光景です。その背後に、聖人像が並んでいましたが、この部分は、ファサードには含まれないようでした。ファサードの屋根の三角形部分は、ペディメントと呼ばれます。ペディメントは、西洋建築における切妻屋根の、妻側屋根下部と水平材に囲まれた三角形の部分です。日本建築 の『破風(はふ)』に相当します。

    サン・ピエトロ大聖堂のファサード上部のズームアップ光景です。その背後に、聖人像が並んでいましたが、この部分は、ファサードには含まれないようでした。ファサードの屋根の三角形部分は、ペディメントと呼ばれます。ペディメントは、西洋建築における切妻屋根の、妻側屋根下部と水平材に囲まれた三角形の部分です。日本建築 の『破風(はふ)』に相当します。

  • 大聖堂の正面に位置する、4列のドーリア式円柱による列柱廊と140体の聖人像に囲まれた、楕円形のサン・ピエトロ広場に建つオベリスクの光景です。広場は、『ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598~1680年)』の設計により、1656~1667年に建設されました。『ヴァチカン・オベリスク』と呼ばれていますが、由来は不明です。ローマに残る30本のオベリスクの一つで、本体部分の高さが25.37メートルです。ローマのラテラン大聖堂のオベリスク、エジプトのアメン大神殿のハトシェプスト女王のオベリスクに次いで、立てられている古代のオベリスクとしては3番目の高さです。

    大聖堂の正面に位置する、4列のドーリア式円柱による列柱廊と140体の聖人像に囲まれた、楕円形のサン・ピエトロ広場に建つオベリスクの光景です。広場は、『ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598~1680年)』の設計により、1656~1667年に建設されました。『ヴァチカン・オベリスク』と呼ばれていますが、由来は不明です。ローマに残る30本のオベリスクの一つで、本体部分の高さが25.37メートルです。ローマのラテラン大聖堂のオベリスク、エジプトのアメン大神殿のハトシェプスト女王のオベリスクに次いで、立てられている古代のオベリスクとしては3番目の高さです。

  • サン・ピエトロ広場を取り囲む回廊の石柱列の光景です。その上には140名余りの聖人が立ち並んでいます。ファサードがある建物中央には、ヨハネとペテロを除く高さ6メートルほどの11使従の彫像が並んでいました。それ以外の聖人が並ぶ回廊の上の光景です。

    サン・ピエトロ広場を取り囲む回廊の石柱列の光景です。その上には140名余りの聖人が立ち並んでいます。ファサードがある建物中央には、ヨハネとペテロを除く高さ6メートルほどの11使従の彫像が並んでいました。それ以外の聖人が並ぶ回廊の上の光景です。

  • 同じく、サン・ピエトロ広場を取り囲む回廊の石柱列の光景です。ファサードに左手前の『聖ペテロ』像は写真紹介できましたが、右手前の『聖パウロ』像は写真紹介できませんでした。『聖パウロ(生年不詳~60年?』は、キリスト教の使徒であり、新約聖書の著者の一人です。はじめはイエスの信徒を迫害していましたが、回心してヤフアとイエスの追随者となり、ヘレニズム世界に伝道を行いました。

    同じく、サン・ピエトロ広場を取り囲む回廊の石柱列の光景です。ファサードに左手前の『聖ペテロ』像は写真紹介できましたが、右手前の『聖パウロ』像は写真紹介できませんでした。『聖パウロ(生年不詳~60年?』は、キリスト教の使徒であり、新約聖書の著者の一人です。はじめはイエスの信徒を迫害していましたが、回心してヤフアとイエスの追随者となり、ヘレニズム世界に伝道を行いました。

  • 回廊の屋根の上に並ぶ、140体とされる聖人像のズームアップ光景です。聖人の名前を調べるのは、最初からあきらめることにしました。背後には聖人像を引き立てるように、ローマの松の傘松が並んでいました。『サン・ピエトロ大聖堂』は、室内も屋外も見所満載でしたから、最高の見学日和でした。

    回廊の屋根の上に並ぶ、140体とされる聖人像のズームアップ光景です。聖人の名前を調べるのは、最初からあきらめることにしました。背後には聖人像を引き立てるように、ローマの松の傘松が並んでいました。『サン・ピエトロ大聖堂』は、室内も屋外も見所満載でしたから、最高の見学日和でした。

  • これで、ヴァチカン市国、サン・ピエトロ大聖堂とのお別れです。最後に紹介するファサードと、その背後のドーム屋根の光景です。人で溢れたミレニアムの年の2000年の見学を思い出しながらの紹介でした。建物も、その中の展示品も、世界遺産に相応しい価値の高いものでした。

    イチオシ

    これで、ヴァチカン市国、サン・ピエトロ大聖堂とのお別れです。最後に紹介するファサードと、その背後のドーム屋根の光景です。人で溢れたミレニアムの年の2000年の見学を思い出しながらの紹介でした。建物も、その中の展示品も、世界遺産に相応しい価値の高いものでした。

  • ここからは、ローマでの見学を終えて、北上してフィレンチェに向かう車の中からの光景です。ローマの都会光景から、郊外の田園風景に代わりました。 ローマからトスカーナ州のフィレンツェまでは陸路で約280キロ、3時間ほどの移動時間になります。フィレンチェは、イタリア中部に位置する人口約38万人の基礎自治体(コムーネ)です。

    ここからは、ローマでの見学を終えて、北上してフィレンチェに向かう車の中からの光景です。ローマの都会光景から、郊外の田園風景に代わりました。 ローマからトスカーナ州のフィレンツェまでは陸路で約280キロ、3時間ほどの移動時間になります。フィレンチェは、イタリア中部に位置する人口約38万人の基礎自治体(コムーネ)です。

  • 北上してフィレンツェに向かう車の中からの光景が続きます。フィレンツェは、中世時代には毛織物業と金融業で栄え、『フィレンツェ共和国』としてトスカーナの大部分を支配しました。メディチ家による統治の下、15世紀のフィレンツェは、ルネサンスの文化的な中心地でした。現在のトスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県都です。また、メディチ家は、後にトスカーナ大公国の君主となった一族です。

    北上してフィレンツェに向かう車の中からの光景が続きます。フィレンツェは、中世時代には毛織物業と金融業で栄え、『フィレンツェ共和国』としてトスカーナの大部分を支配しました。メディチ家による統治の下、15世紀のフィレンツェは、ルネサンスの文化的な中心地でした。現在のトスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県都です。また、メディチ家は、後にトスカーナ大公国の君主となった一族です。

  • 今日(9月28日)の午後は、ほとんど移動時間になりました。メディチ家は、その財力でボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリ、ブロンツィーノ、アッローリなどの多数の芸術家をパトロンとして支援しました。ルネサンス期の三大巨匠のうち、大工房を主催したラファエロ以外の二人、ダ・ヴィンチとミケランジェロを支援しました。

    今日(9月28日)の午後は、ほとんど移動時間になりました。メディチ家は、その財力でボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリ、ブロンツィーノ、アッローリなどの多数の芸術家をパトロンとして支援しました。ルネサンス期の三大巨匠のうち、大工房を主催したラファエロ以外の二人、ダ・ヴィンチとミケランジェロを支援しました。

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