2013/09/24 - 2013/10/02
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旅人のくまさんさん
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今回のイタリア旅行の締め括りは、ヴェネチア見学です。この日は、雲一つない最高の旅行日和に恵まれました。ヴェネチア本島へは、20人乗くらいの海上バスで渡りました。ヴェネチアは、現在はイタリア共和国の中の一都市ですが、1千年亘り『ヴェネチア共和国』として栄えた国です。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)
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ヴェニス近郊で止まったホテルの夜明け光景です。公式HPには、『ヴェネツィア・マルコ・ポーロ空港からは車で10分程度、高速道路のヴェネツィア東出口のすぐそばに位置します。また、クアルト・ダルティーノ鉄道駅までは徒歩圏内です』と紹介されていました。快晴が予想された空の光景でした。
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泊まった『ベスト・ウェスタン・ホテル・エアー・ヴェニス』の玄関光景です。『エアー・ヴェニス』の名前は、空港が近いことを強調しているようでした。『ベストウエスタンホテルホテルズ&リゾーツはアメリカ発祥で、アリゾナ州フェニックスに本部を置き、世界110の国と地域に4,200軒以上のホテルを展開している世界 最大規模のワールドホテルチェーンです。
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ヴェネツィア近郊で泊まったホテルの早朝の光景です。屋上に『ベスト・ウェスタン・ホテル・エアー・ヴェニス』の電光表示がありました。世界展開しているホテルです。1993年、ランドーナージャパンが日本での開発権を取得し、ベストウェスタンホテル高山を1999年7月に開業したのが皮切りです。私の地元では、2011年にベストウェスタンホテル名古屋が開業しました。
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一寸だけ散策した、ホテルの周りの光景です。糸杉風の並木の光景です。ゴッホの絵で有名な『イトスギ(糸杉)』ですが、少し樹種が違っているようにも見えました。『イトスギ』は、ヒノキ科イトスギ属の総称とされます。サイプレス(英: Cypress)や、セイヨウヒノキ(西洋檜)の呼び名もあります。
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泊まった部屋での撮影です。ベッドの上に飾られていた絵です。額縁ではなく、ごく簡単な木枠の中に収められた、抽象絵画風の絵でした。部屋の雰囲気造りのために飾られた絵のようですから、真剣に鑑賞する対象ではなさそうでした。
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この絵は、自室内で撮影したのではなく、廊下かエレヴェーターホールなどの、共用施設内で撮影したようです。日本の水彩画を思わせるようなタッチの風景画でした。石碑と紅葉の樹が描かれていましたが、石碑らしいものには何も刻まれていませんでした。石碑の印象そのものが間違ったのかも知れません。
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ホテル内に飾ってあったレプリカの絵画の紹介です。サインはなかったようですが、一見して『ジョアン・ミロ(1893~1983年)』の作品のように見えました。カタルーニャ地方のバルセロナの出身で、20世紀のスペインを代表する画家の一人です。パリではピカソら芸術家とも知り合い、また、シュルレアリスム運動の主唱者であるアンドレ・ブルトンとも関わりました。
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イチオシ
朝食を頂いたホテル内の食堂の光景です。開放的でお洒落なデザインの食堂でした。左奥に、『ジョアン・ミロ』の作品らしいレプリカが飾ってありました。ミロは、1970年に大阪で開催された万博の時に、作品展示などのために来日しています。会期は、1970年3月15日から9月13日までの約6か月の183日間でした。先輩の車に便乗させて頂き、日帰りで見学した記憶があります。
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1階にあった、ホテルのフロント光景です。ヴェネチアに到着する前に、ヴェネチア共和国の前史を紹介します。ウィキペディアのほか、塩野七生さんの『海の都の物語・ヴェネチア共和国の1千年』も参考にしました。平成21年6月にスタートした6冊の文庫本が手元にあります。平成26年8月スタートした『ローマ亡き後の地中海世界・海賊、そして海軍』の4冊の文庫本も手元にあります。
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写真は、室内側から眺めた玄関先の光景です。ヴェネチアの土地は、大陸からの川の流れに乗ってくる土砂、そしてアドリア海の波と風の力によって作られた湿地帯です。古代、ヴェネチア周辺の地域にはウェネティ人が住んでいました。その後の『ヴェネチア』の地名の語源となる人達です。かつては海上に浮かぶ孤島でしたが、現在は本土との間は鉄道と道路で繋がっています。(ウィキペディア)
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伝説では、アクイレイア、パドヴァなどの北イタリアの都市の住民が、5世紀のフン族やランゴバルド人のイタリア侵攻から、この湿地帯へと避難してきたことから、452年にヴェネツィアの歴史が始まりました。フン族は、4世紀から6世紀にかけて中央アジア、コーカサス、東ヨーロッパに住んでいた遊牧民です。また、ランゴバルド族は、自らの王国を築いたことで知られるゲルマン系部族です。(同上)
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フン族達から逃れて避難してきた先が、現在のトルチェッロ島です。足場が悪い湿地帯のため、侵入者は追ってくることができず、避難した人々はここに暮らし続けるようになりました。干潟に住むメリットを保つため、干潟を荒らしたり干拓したものを極刑にする等の法を作り、また、普段は船が通れる筋道を杭で示していましたが、非常時にはその杭を抜いて干潟を守っていました。(同上)
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彼らは12のおもな島からの護民官たちを中心とした政府を組織しました。アドリア海沿岸地域は東ローマ帝国の支配下にあるため、名目上は東ローマ帝国に属しましたが、実質的には自治権を持っていました。697年、ヴェネチア人は初代総督を選出して独自の共和制統治を始めました。これがヴェネチア共和国の始まりです。(同上)、これでヴェネチア共和国の前史の紹介はお終いです。
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ヴェネチアに渡る桟橋がある場所に到着しました。その桟橋周りの光景です。人気の観光場所だけに設備が整っているようでした。陸路でも繋がっていますが、やはりヴェネチア本土へは小舟で渡ったほうが風情があります。東ローマ帝国の自治領として誕生したヴェネチア共和国は、アドリア海と東地中海での貿易により繁栄し、千年に及びました。この後、歴史上の主な出来事を紹介します。
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写真は、本土側の桟橋光景です。ヴェネチア共和国の版図は、ダルマチアを始めとしてアドリア海沿岸からイオニア海、エーゲ海、キプロスに及びました。しかし、大航海時代に入ると地中海貿易の重要性が相対的に低下し、またオスマン帝国の侵攻により多くの領土を失って衰退していき、最終的にはナポレオン・ボナパルトに降伏し、1797年10月にオーストリアに領有されたことで滅亡しました。
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イチオシ
<ヴェネチア共和国の草創期(7世紀末~9世紀初頭)>
慣例的には、697年がヴェネチア共和国の成立年とされます。726年には、湖沼地帯において最初の指導者としてオルソ・イパートが選ばれました。彼は、東ローマ帝国により承認され、ヒパトゥス(執政官)とドゥクス(指導者)の称号を与えられました。(ウィキペディア) -
<ヴェネチア共和国の中世初期(9世紀初~11世紀初頭)>
811年から始まるパルテチパツィオ家の治世の時、ヴェネチアの街は現代のものへと変貌を始めました。彼は、橋、運河、防壁、要塞、および石造建築を充実させ、街は海上へと拡張されました。これが、現代の海上都市ヴェネチアの原型となり、守護聖人のマルコの遺体もアレクサンドリアから運び込まれました。(同上) -
<ヴェネチア共和国の中世盛期:その1(11世紀~13世紀)>
中世盛期に、ヴェネチアは東ローマ帝国内における免税特権を活用し、東西貿易や香辛料貿易の仲介者として莫大な富を築きました。アジア全域から集められた商品は紅海のアクスム王国を通るローマ・インド通商路またはレバントを経由して、ヴェネチア商人の手によってヨーロッパに届けられるようになりました。(同上) -
『ヴィットリオ・エマヌエーレ2世騎馬像』です。『ヴィットリオ・エマヌエーレ2世(1820~1878年)』は、サルデーニャ王国の最後の国王(在位:1849~1861年)で、のちイタリア王国の初代国王(在位:1861~1878年)でした。サルデーニャ王カルロ・アルベルトと、トスカーナ大公女マリア・テレーザ・ダズブルゴ=トスカーナの長男としてサルデーニャ王に即位しました。父から引き継いだイタリア統一戦争に終止符を打ち、リソルジメントを成し遂げたことから、『王国の国父』と呼ばれました。(ウィキペディア)
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<ヴェネチア共和国の中世盛期:その2(11世紀~13世紀)>
12世紀には交易拡大のために、巨大な国立の造船所『アルセナーレ』を建てました。国の総力を挙げて、戦闘にも商業にも適した新しいガレー商船をはじめとして船舶の種類を増加させました。強力な海軍を持つようになったヴェネチアは、地中海の覇権を手にする一歩を踏み出しました。(同上) -
<ヴェネチア共和国の中世盛期:その3(11世紀~13世紀)>
1295年、ドージェのピエトロ・グラデニーゴは68隻の艦隊を派遣してアレキサンドリアにおいてジェノヴァ共和国の艦隊と戦い、さらに1299年には100隻の艦隊でジェノヴァを攻撃しました。ヴェネチアは断続的にジェノヴァと戦い、東地中海の覇権を奪取しました。(同上) -
<ヴェネチア共和国の中世後期(14世紀~15世紀)>
15世紀初頭に、ヴェネチアはイタリアへの領土拡大を開始するとともに、ダルマチア沿岸でもイストリアからアルバニアへと拡大しました。1423年から1457年のドーチェのフランチェスコ・フォスカリの時代に、ヴェネチアは版図を著しく広げました。(同上) -
<ヴェネチア共和国のその後(16世紀~17世紀)>
フランチェスコ・モロシーニの後継者のドージェは、大艦隊を派遣して1695年にミティリニで、1697年6月にアンドロスで、1698年にダーダネルス海峡で勝利しました。しかしギリシャを奪還するには至りませんでした。少し巻き返したとはいえ、これらの戦争で、ヴェネチアの領土拡大は終わりを告げました。(同上) -
<ヴェネチア共和国の衰退(17世紀~18世紀)>
1714年12月、オスマン・ヴェネツィア戦争が勃発しました。オスマン帝国はティノスやアイギナを占領し、コリント地峡を越えてコリントを占領しました。また、ヴェネチア共和国はアドレア海の制海権を失い、ジェノヴァ共和国の台頭などにより、通商機能も18世紀に衰退しました。 -
<ヴェネチア共和国の滅亡18世紀)>
ヴェネチア共和国はもはや自力で防衛することができなくなりました。1796年の時点でヴェネチアが保有していた艦隊は4隻のガレー船と7隻のガリオット船のみ、陸軍も僅かな部隊だけでした。1797年10月18日、フランス・オーストリア間の正式な講和条約が調印され、ヴェネチア共和国は正式に消滅しました。(同上) -
ヴェネチア屈指の名門ホテルの『ホテル・ダニエリ』です。映画『ツーリスト』(2011年)の舞台ともなりました。傷心を癒すために、イタリア(ヴェネチア)旅行に来たアメリカ人のフランク(ジョニー・デップ)が、旅路で謎の上流階級の美女のエリーズ(アンジェリーナ・ジョリー)と知り合うことで、巨大な計画に巻き込まれてゆくスリラー映画です。
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『ゴンドラ・ダニエリ』の看板があった波止場のレストランの光景です。『ホテル・ダニエリ』の直営店のようでした。映画は、批評家に酷評されたにもかかわらず、第68回ゴールデングローブ賞のミュージカル・コメディ部門の作品賞、主演男優賞、主演女優賞でノミネートされました。
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ヴェネチアの桟橋光景です。大きな船の姿はなく先端がせりあがったゴンドラが舳先を並べていました。ヴェネチアでは車は使われていませんので、歩くか、もしくはゴンドラによる移動になります。ゴンドラは、カンツォーネを聴きながら、階上からのヴェネチア見学もできます。
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前方に見えるのは、ヴェネチアの一部である『サン・ジョルジョ・マッジョーレ』です。島のほとんどが、『サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂』となっています。ベネディクト会の教会で、現在の建物はアンドレーア・パッラーディオにより設計され、1566年から1610年にかけて同名の島に建設されました。
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イチオシ
少しズームアップした『サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂』の光景です。790年頃に最初の教会の建設が始まり、982年に島全体をヴェネツィア共和国の総督の命令によりベネディクト会へ与えられました。ベネディクト会は修道院として使用していましたが、1223年の地震により建物全体が崩壊しました。 地震後に修道士の手により教会は再建されました。
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