ピサ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ピサの大聖堂の紹介です。1063年にパレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念してピサの大聖堂の建築が始められました。ブスケットという建築家が指揮を執り、12世紀になってライナルドという建築家に引き継がれました。円蓋が完成したのは14世紀になってからでした。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)

2013秋、イタリア旅行記2(32/53):9月29日(6):ピサ(2):ピサ大聖堂、ファサード、身廊、説教壇、内装

10いいね!

2013/09/24 - 2013/10/02

238位(同エリア699件中)

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

ピサの大聖堂の紹介です。1063年にパレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念してピサの大聖堂の建築が始められました。ブスケットという建築家が指揮を執り、12世紀になってライナルドという建築家に引き継がれました。円蓋が完成したのは14世紀になってからでした。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)

PR

  • ロマネスク様式の建築物の代表として知られる、ピサの大聖堂の紹介です。パジリカ様式の翼廊の南側部分のファサード光景です。聖堂内部の広間は、ローマ建築に由来するバシリカ様式が採用されました。バシリカ様式は、内部の広間を真上から見て、縦長の十字の『ラテン十字型』の形状になっている構造です。ロマネスク様式のもう一つの特徴は、半円アーチが繰り返し使用されていることです。廊下の天井やドームにおいて半円アーチの形状が使用されています。(世界の文化史のミュージアム)

    ロマネスク様式の建築物の代表として知られる、ピサの大聖堂の紹介です。パジリカ様式の翼廊の南側部分のファサード光景です。聖堂内部の広間は、ローマ建築に由来するバシリカ様式が採用されました。バシリカ様式は、内部の広間を真上から見て、縦長の十字の『ラテン十字型』の形状になっている構造です。ロマネスク様式のもう一つの特徴は、半円アーチが繰り返し使用されていることです。廊下の天井やドームにおいて半円アーチの形状が使用されています。(世界の文化史のミュージアム)

  • パジリカ様式の翼廊の南側部分のファサードの最上部のズームアップ光景です。建築群が、造営期間が数世紀に亘っているにも関わらず、全体の調和と統一が取れているのは、白色大理石と多色大理石の同一資材の使用と、一定の建築的デザインの繰り返しによるためとされます。(日本大百科全書)これは、個々の建物にも、『奇跡の広場』と言われるピサのドゥモ広場全体の建物にも言えることのようです。

    パジリカ様式の翼廊の南側部分のファサードの最上部のズームアップ光景です。建築群が、造営期間が数世紀に亘っているにも関わらず、全体の調和と統一が取れているのは、白色大理石と多色大理石の同一資材の使用と、一定の建築的デザインの繰り返しによるためとされます。(日本大百科全書)これは、個々の建物にも、『奇跡の広場』と言われるピサのドゥモ広場全体の建物にも言えることのようです。

  • 斜め前から眺めた、翼廊部分の建物光景です。この大聖堂は、奥行き95m、幅32mに及び、ピサ・ロマネスク様式の最高傑作と呼ばれています。写真は、幅32mとされる翼廊の南側部分になるようです。ピサの大聖堂の外観は、左右対称性を持ち、また半円アーチの形状やモジュール(基準寸法)が繰り返されていることにより、非常に整然とした印象を与えています。外壁の白色と周囲の芝の黄緑色のためか、ロマネスク様式にしてはあまり重さは感じないものの、格調高い感じをしっかりと保っているとも評されています。(世界の文化史のミュージアム)

    斜め前から眺めた、翼廊部分の建物光景です。この大聖堂は、奥行き95m、幅32mに及び、ピサ・ロマネスク様式の最高傑作と呼ばれています。写真は、幅32mとされる翼廊の南側部分になるようです。ピサの大聖堂の外観は、左右対称性を持ち、また半円アーチの形状やモジュール(基準寸法)が繰り返されていることにより、非常に整然とした印象を与えています。外壁の白色と周囲の芝の黄緑色のためか、ロマネスク様式にしてはあまり重さは感じないものの、格調高い感じをしっかりと保っているとも評されています。(世界の文化史のミュージアム)

  • 西南側から眺めた、身廊部分と翼廊部分が交差する部分の外観光景です。その交差部分に楕円形のドームが設けられています。そのドームの天井には、後ほど紹介しますが、『聖母の被昇天図』が描かれていました。都市国家のピサが1064年にパレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念し、聖母マリアに捧げるためにピサ大聖堂が建てられたことを示しているようでした。なお、パレルモは、9世紀にはイスラム勢力が北アフリカから侵入し、831年にパレルモが陥落、965年にはシチリア全島がイスラムの手に落ち、イスラム王朝の首都はパレルモに移され、この町には絢爛たるイスラム文化が花開きました。当時のパレルモの人口は30万人、キリスト教徒やユダヤ教徒も共存していました。11世紀に南イタリアに到来したノルマン人がイスラム支配下のシチリア征服を開始、1060年にはパレルモ、1091年にはシチリア全島がノルマン人の手に落ちました。

    イチオシ

    西南側から眺めた、身廊部分と翼廊部分が交差する部分の外観光景です。その交差部分に楕円形のドームが設けられています。そのドームの天井には、後ほど紹介しますが、『聖母の被昇天図』が描かれていました。都市国家のピサが1064年にパレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念し、聖母マリアに捧げるためにピサ大聖堂が建てられたことを示しているようでした。なお、パレルモは、9世紀にはイスラム勢力が北アフリカから侵入し、831年にパレルモが陥落、965年にはシチリア全島がイスラムの手に落ち、イスラム王朝の首都はパレルモに移され、この町には絢爛たるイスラム文化が花開きました。当時のパレルモの人口は30万人、キリスト教徒やユダヤ教徒も共存していました。11世紀に南イタリアに到来したノルマン人がイスラム支配下のシチリア征服を開始、1060年にはパレルモ、1091年にはシチリア全島がノルマン人の手に落ちました。

  • ここからは、ピサ大聖堂に入場しての見学です。華麗な装飾の天井のズームアップ光景です。この天井はコッファーと呼ばれる形式で、周期的な枠の中に平面が埋め込まれていることを特徴とし、その起源は古代ギリシャ・ローマ時代に遡ります。大聖堂は1595年に火災に遭い、そのとき天井を含む一部が被害を受けました。その後、再建させたのが、当時衰退したピサの支配者になっていたフィレンツェのメディチ家です。そのため、メディチ家の紋章が取り付けられています。

    ここからは、ピサ大聖堂に入場しての見学です。華麗な装飾の天井のズームアップ光景です。この天井はコッファーと呼ばれる形式で、周期的な枠の中に平面が埋め込まれていることを特徴とし、その起源は古代ギリシャ・ローマ時代に遡ります。大聖堂は1595年に火災に遭い、そのとき天井を含む一部が被害を受けました。その後、再建させたのが、当時衰退したピサの支配者になっていたフィレンツェのメディチ家です。そのため、メディチ家の紋章が取り付けられています。

  • 天井の装飾は、ロマネスク建築とは異なった東洋文化風のアジアンテイストを感じる木造天井となっています。海洋交易を通じてイスラム文化の影響を受けたもののようです。この大聖堂は、左右の側廊各2廊、中央の身廊1廊、計5廊式になっています。この構造を支えるのにコリント式の68本の柱が使われています。その円柱の多くはパレルモの古代遺跡から戦利品として運ばれたもののようです。内装にはビサンティン様式の影響やイスラムの影響など様々なスタイルが融合しています。

    天井の装飾は、ロマネスク建築とは異なった東洋文化風のアジアンテイストを感じる木造天井となっています。海洋交易を通じてイスラム文化の影響を受けたもののようです。この大聖堂は、左右の側廊各2廊、中央の身廊1廊、計5廊式になっています。この構造を支えるのにコリント式の68本の柱が使われています。その円柱の多くはパレルモの古代遺跡から戦利品として運ばれたもののようです。内装にはビサンティン様式の影響やイスラムの影響など様々なスタイルが融合しています。

  • 奥行き95メートルとされる身廊の光景が続きます。その東端の天井画が見えてきました。この後紹介する『玉座のキリスト』の像です。その手前には、身廊と翼廊が交差する部分に設けられた楕円形のドームの天井画の一部も見えています。こちらの天井画は、『聖母の被昇天図』のようでした。

    奥行き95メートルとされる身廊の光景が続きます。その東端の天井画が見えてきました。この後紹介する『玉座のキリスト』の像です。その手前には、身廊と翼廊が交差する部分に設けられた楕円形のドームの天井画の一部も見えています。こちらの天井画は、『聖母の被昇天図』のようでした。

  • 色々とみるべきものが多すぎて、目移りしてしまう身廊の装飾光景です。左手には、この後紹介する『ジョヴァンニ・ピサーノの説教壇』が、奥のドーム天井には『玉座のキリスト』の像、右手前には、いわゆる『ガリレオのランプ』も見えました。右側の大理石の縞模様は、イスラム文化を連想させる文様です。ピサ大聖堂の1階部分は自由に見学できますが、階上への立ち入りは制限されているようでした。

    色々とみるべきものが多すぎて、目移りしてしまう身廊の装飾光景です。左手には、この後紹介する『ジョヴァンニ・ピサーノの説教壇』が、奥のドーム天井には『玉座のキリスト』の像、右手前には、いわゆる『ガリレオのランプ』も見えました。右側の大理石の縞模様は、イスラム文化を連想させる文様です。ピサ大聖堂の1階部分は自由に見学できますが、階上への立ち入りは制限されているようでした。

  • 『ガリレオのランプ』の光景です。『かつてこのランプが揺れる様子を見てガリレオが振り子の法則を発見した』という逸話の真偽のほどは分かりませんが、このエピソードの大聖堂のランプは、1587年に設置されました。ところで、ガリレオが振り子の等時性を発見したのは、ピサ大学の学生だった1581年から84年にかけてと言われていますので、時間的な辻褄が合わないようです。ガリレオが等時性を発見した振り子は、大聖堂の隣にあるカンポ・サントのアウッラ礼拝堂に該当するランプが置かれているようです。大聖堂のランプに比べますと、随分と小型のランプです。

    『ガリレオのランプ』の光景です。『かつてこのランプが揺れる様子を見てガリレオが振り子の法則を発見した』という逸話の真偽のほどは分かりませんが、このエピソードの大聖堂のランプは、1587年に設置されました。ところで、ガリレオが振り子の等時性を発見したのは、ピサ大学の学生だった1581年から84年にかけてと言われていますので、時間的な辻褄が合わないようです。ガリレオが等時性を発見した振り子は、大聖堂の隣にあるカンポ・サントのアウッラ礼拝堂に該当するランプが置かれているようです。大聖堂のランプに比べますと、随分と小型のランプです。

  • 精緻な彫刻が施された、『ジョヴァンニ・ピサーノの説教壇』です。『ジョヴァンニ・ピサーノ(1250年頃~1315年頃)は、イタリアの彫刻家、画家で、建築家です。父親は『現代彫刻の創始者』とも呼ばれる有名な彫刻家の『ニコラ・ピサーノ(1215/1220頃~1278/1284頃)です。ジョヴァンニは父親の工房で修行を積みました。大聖堂の説教壇は、1302年から1311年にかけて作られたイタリア・ゴシック彫刻を代表する作品とされます。この説教壇では、8枚のパネルを、6本の円柱と人物像が彫られた5本の柱で支えています。中央の柱には『信仰』・『希望』・『慈愛』を表す擬人像が彫られています。

    イチオシ

    精緻な彫刻が施された、『ジョヴァンニ・ピサーノの説教壇』です。『ジョヴァンニ・ピサーノ(1250年頃~1315年頃)は、イタリアの彫刻家、画家で、建築家です。父親は『現代彫刻の創始者』とも呼ばれる有名な彫刻家の『ニコラ・ピサーノ(1215/1220頃~1278/1284頃)です。ジョヴァンニは父親の工房で修行を積みました。大聖堂の説教壇は、1302年から1311年にかけて作られたイタリア・ゴシック彫刻を代表する作品とされます。この説教壇では、8枚のパネルを、6本の円柱と人物像が彫られた5本の柱で支えています。中央の柱には『信仰』・『希望』・『慈愛』を表す擬人像が彫られています。

  • 『ジョヴァンニ・ピサーノの説教壇』の下部の内部光景です。一番荷重がかかりそうな中央部に大きな支えが設けてありました。『信仰』・『希望』・『慈愛』を表す擬人像が彫られている柱のようです。ネット情報によれば、トスカーナ州北部にある都市のビストイアには、1302年から1311年にかけて作られたピサ大聖堂の説教壇に先駆けて、1298年から1301年にかけて作られたピサーノの説教壇が、サンタ・アンドレア教会に残されています。かつては、ピストイア大聖堂だった教会のようです。

    『ジョヴァンニ・ピサーノの説教壇』の下部の内部光景です。一番荷重がかかりそうな中央部に大きな支えが設けてありました。『信仰』・『希望』・『慈愛』を表す擬人像が彫られている柱のようです。ネット情報によれば、トスカーナ州北部にある都市のビストイアには、1302年から1311年にかけて作られたピサ大聖堂の説教壇に先駆けて、1298年から1301年にかけて作られたピサーノの説教壇が、サンタ・アンドレア教会に残されています。かつては、ピストイア大聖堂だった教会のようです。

  • 『ジョヴァンニ・ピサーノの説教壇』の彫刻のズームアップ光景です。ピサーノの父のニコラは、1245年から1250年の間にピサに引っ越しました。 ジョヴァンニ・ピサーノはピサで誕生しました。 1255年頃、ニコラはピサの洗礼堂で説教壇の委託を受けました。彼は1260年にこの仕事を終え、『ニコラ・ピサヌス』と署名しました。フランスゴシック様式と古代ローマの古典様式を統合した説教壇です。

    『ジョヴァンニ・ピサーノの説教壇』の彫刻のズームアップ光景です。ピサーノの父のニコラは、1245年から1250年の間にピサに引っ越しました。 ジョヴァンニ・ピサーノはピサで誕生しました。 1255年頃、ニコラはピサの洗礼堂で説教壇の委託を受けました。彼は1260年にこの仕事を終え、『ニコラ・ピサヌス』と署名しました。フランスゴシック様式と古代ローマの古典様式を統合した説教壇です。

  • 『ジョヴァンニ・ピサーノの説教台』の柱を支える獅子像のズームアップ光景です。この説教壇では、モチーフの『動き』に関してそれまでのジョヴァンニ・ピサーノとはまた違った傾向が示され、様式は父ニコラの作風からはますます遠ざかっていると分析されています。(ウィキペディア)

    『ジョヴァンニ・ピサーノの説教台』の柱を支える獅子像のズームアップ光景です。この説教壇では、モチーフの『動き』に関してそれまでのジョヴァンニ・ピサーノとはまた違った傾向が示され、様式は父ニコラの作風からはますます遠ざかっていると分析されています。(ウィキペディア)

  • 中央に見えるのが、メディチ家の紋章です。メディチ家の紋章には『金地に赤い数個の玉』が用いられています。この紋章のデザインには二つの推測があり、一つはメディチ家が銀行家であったため貨幣や両替の測りの分銅との説です。二つ目の説はメディチ(medici)は医者を表すmedicoの複数形であるため、赤い球が血を吸いだすための丸いガラス玉を意味するとの説です。

    中央に見えるのが、メディチ家の紋章です。メディチ家の紋章には『金地に赤い数個の玉』が用いられています。この紋章のデザインには二つの推測があり、一つはメディチ家が銀行家であったため貨幣や両替の測りの分銅との説です。二つ目の説はメディチ(medici)は医者を表すmedicoの複数形であるため、赤い球が血を吸いだすための丸いガラス玉を意味するとの説です。

  • 真下から見上げた大きなランプの光景です。振り子についての最初の研究記録は、ギリシャの哲学者のアリストテレスとされます。 さらに17世紀、ガリレオにはじまる物理学者らよる観測の結果、等時性が発見され、時計に使用されるようになりました。その端緒を思い出させてくれる場所が、ピサの大聖堂です。

    真下から見上げた大きなランプの光景です。振り子についての最初の研究記録は、ギリシャの哲学者のアリストテレスとされます。 さらに17世紀、ガリレオにはじまる物理学者らよる観測の結果、等時性が発見され、時計に使用されるようになりました。その端緒を思い出させてくれる場所が、ピサの大聖堂です。

  • 振り返って眺めた、身廊の側面から天井にかけての光景です。天井の格子模様、壁面と上階の柱の、色違いの大理石を使ったらしい縞模様、その下部の繰り返されたアーチ模様が相まって、魅力ある光景となっていました。正面に見える3階に亘る縦長の明かり採りは、西側ファサードの造作によるもののようです。

    振り返って眺めた、身廊の側面から天井にかけての光景です。天井の格子模様、壁面と上階の柱の、色違いの大理石を使ったらしい縞模様、その下部の繰り返されたアーチ模様が相まって、魅力ある光景となっていました。正面に見える3階に亘る縦長の明かり採りは、西側ファサードの造作によるもののようです。

  • 身廊の側面上部の装飾のズームアップ光景です。ここにもメディチ家の紋章が飾ってありました。メディチ家の紋章には『金地に赤い数個の玉』が用いられていて、時代と共に赤い玉の数が減っていきました。カラフルな紋章の上下には、人の顔のレリーフと、左右には、麦の穂にも見える飾りがありました。

    身廊の側面上部の装飾のズームアップ光景です。ここにもメディチ家の紋章が飾ってありました。メディチ家の紋章には『金地に赤い数個の玉』が用いられていて、時代と共に赤い玉の数が減っていきました。カラフルな紋章の上下には、人の顔のレリーフと、左右には、麦の穂にも見える飾りがありました。

  • 後陣の天井と壁面の光景です。丸天井のモザイク画は、『玉座のキリスト』の像です。中央にキリストと、その脇に洗礼者聖ヨハネと聖母マリアが描かれています。この作品は、フィレンツェの画家、ピエトロ・チマブーエ(1240頃~1302頃)の作品といわれていますが、真偽のほどは不明です。1595年の火災の影響を免れた後陣の壁画と天井画とされます。抜群の存在感を持ったモザイク画です。

    イチオシ

    後陣の天井と壁面の光景です。丸天井のモザイク画は、『玉座のキリスト』の像です。中央にキリストと、その脇に洗礼者聖ヨハネと聖母マリアが描かれています。この作品は、フィレンツェの画家、ピエトロ・チマブーエ(1240頃~1302頃)の作品といわれていますが、真偽のほどは不明です。1595年の火災の影響を免れた後陣の壁画と天井画とされます。抜群の存在感を持ったモザイク画です。

  • ピサ大聖堂は、4世紀に造られはじめた初期キリスト教会の形式を受け継いでいます。単純な長方形を基礎とし、身廊と側廊を持ち、そこに直角に張り出す翼廊を加えて、十字架型を形づくります。ラテン十字形の平面形体に設計された大聖堂は、合理主義の傑作とも言われています。身廊は五廊式で翼廊は三廊、交差部には楕円形のドームがあります。その部分の天井光景になるようです。レンガと石で造られたドームは、フィレンツェの洗礼堂と同時期の1090年に建立されました。(ウィキペディア)

    ピサ大聖堂は、4世紀に造られはじめた初期キリスト教会の形式を受け継いでいます。単純な長方形を基礎とし、身廊と側廊を持ち、そこに直角に張り出す翼廊を加えて、十字架型を形づくります。ラテン十字形の平面形体に設計された大聖堂は、合理主義の傑作とも言われています。身廊は五廊式で翼廊は三廊、交差部には楕円形のドームがあります。その部分の天井光景になるようです。レンガと石で造られたドームは、フィレンツェの洗礼堂と同時期の1090年に建立されました。(ウィキペディア)

  • ドーム天井部分のズームアップ光景です。作者名や作品名は分かりませんでしたが、キリストの昇天図か、聖母の被昇天図のようでした。『キリストの昇天』は、キリスト教の教義で、復活したイエス・キリストが天にあげられたこと、またそれを記念するキリスト教の祝日のこととされます。聖母の被昇天図は、カトリック教会の用語で、聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという信仰、あるいはその出来事を記念する祝日(8月15日)のことです。写真を拡大して確認しましたら、『聖母の被昇天図』の方でした。このフレスコ画は、1627年から1631年にかけて描かれた、オラツィオとジローラモ兄弟の作品のようです。

    ドーム天井部分のズームアップ光景です。作者名や作品名は分かりませんでしたが、キリストの昇天図か、聖母の被昇天図のようでした。『キリストの昇天』は、キリスト教の教義で、復活したイエス・キリストが天にあげられたこと、またそれを記念するキリスト教の祝日のこととされます。聖母の被昇天図は、カトリック教会の用語で、聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという信仰、あるいはその出来事を記念する祝日(8月15日)のことです。写真を拡大して確認しましたら、『聖母の被昇天図』の方でした。このフレスコ画は、1627年から1631年にかけて描かれた、オラツィオとジローラモ兄弟の作品のようです。

  • 推測ですが、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話、『イサクの燔祭(イサクのはんさい)』の場面かも知れません。神がアブラハムに与えた試練の物語です。その試練とは、妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものです。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって讃えられています。近代では、実存主義の哲学者・キルケゴール(1813~1855年)により、アブラハムの行いが賞賛されています。

    推測ですが、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話、『イサクの燔祭(イサクのはんさい)』の場面かも知れません。神がアブラハムに与えた試練の物語です。その試練とは、妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものです。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって讃えられています。近代では、実存主義の哲学者・キルケゴール(1813~1855年)により、アブラハムの行いが賞賛されています。

  • 祭壇らしい暗い中に浮かび上がった、小さなステンドグラスの光景です。はっきりとは分かりませんでしたが、聖母マリア像のようでした。周りには壁画がびっしりと飾られているようでしたが、室内の明かりを灯した時でなければ見ることはできないようでした。

    祭壇らしい暗い中に浮かび上がった、小さなステンドグラスの光景です。はっきりとは分かりませんでしたが、聖母マリア像のようでした。周りには壁画がびっしりと飾られているようでしたが、室内の明かりを灯した時でなければ見ることはできないようでした。

  • ブロンズ製の扉の上に飾られていた聖母子像の光景です。このピサ大聖堂は、聖母マリアに捧げられたことから、各所に聖母子像などを見ることが出来るようです。聖人像らしい群像をはじめ、精緻な彫刻で周りを飾られた聖母子像です。

    ブロンズ製の扉の上に飾られていた聖母子像の光景です。このピサ大聖堂は、聖母マリアに捧げられたことから、各所に聖母子像などを見ることが出来るようです。聖人像らしい群像をはじめ、精緻な彫刻で周りを飾られた聖母子像です。

  • ファサード正面には三つの入り口があり、それぞれブロンズの扉が設置されています。これらの作品は、17世紀の初めにジャンボローニャ派の彫刻家が作ったものとされます。ネット情報によれば、扉のレリーフは、聖母の生涯(中央扉)とイエスの生涯(左右の扉)が描かれているようでした。

    ファサード正面には三つの入り口があり、それぞれブロンズの扉が設置されています。これらの作品は、17世紀の初めにジャンボローニャ派の彫刻家が作ったものとされます。ネット情報によれば、扉のレリーフは、聖母の生涯(中央扉)とイエスの生涯(左右の扉)が描かれているようでした。

  • 低い場所に刻まれたレリーフ増のようです。あちらこちらに手で撫でられて聖堂の素地が光っていました。その中心が聖母の顔と、幼子イエスでした。イエス・キリストの誕生は『キリストの降誕』と呼ばれ、『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』のみに書かれています。東方の三博士は、救世主イエス・キリストの降誕を見て拝み、贈り物を捧げたとされます。

    低い場所に刻まれたレリーフ増のようです。あちらこちらに手で撫でられて聖堂の素地が光っていました。その中心が聖母の顔と、幼子イエスでした。イエス・キリストの誕生は『キリストの降誕』と呼ばれ、『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』のみに書かれています。東方の三博士は、救世主イエス・キリストの降誕を見て拝み、贈り物を捧げたとされます。

  • 推測になりますが、イエスとサタンの戦いに関する、マタイによる福音書第4章8節から9節の場面のようです。悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう』と誘惑しますが、イエスは、『退け、サタン。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と書いてある』と退けました。

    推測になりますが、イエスとサタンの戦いに関する、マタイによる福音書第4章8節から9節の場面のようです。悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう』と誘惑しますが、イエスは、『退け、サタン。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と書いてある』と退けました。

  • 左手前が翼廊の南側ファサードの最上部、右奥が、身廊と翼廊が交差する部分に設けられた楕円形の屋根を持ったドームの光景です。楕円形のドームの天井には、『聖母被昇天』の図が描かれていました。

    左手前が翼廊の南側ファサードの最上部、右奥が、身廊と翼廊が交差する部分に設けられた楕円形の屋根を持ったドームの光景です。楕円形のドームの天井には、『聖母被昇天』の図が描かれていました。

  • 東南側から眺めた、ピサ大聖堂の光景です。写真の中央に、身廊と翼廊の交差部分に無受けられた楕円形のドーム屋根が見えています。1階部分の天井がかなり高いようですが、外観から判断しますと、身廊と翼廊ともに3階建て構造になっているようでした。左端が身廊の西側のファサードになります。

    東南側から眺めた、ピサ大聖堂の光景です。写真の中央に、身廊と翼廊の交差部分に無受けられた楕円形のドーム屋根が見えています。1階部分の天井がかなり高いようですが、外観から判断しますと、身廊と翼廊ともに3階建て構造になっているようでした。左端が身廊の西側のファサードになります。

  • ほぼ南側から眺めた、ピサ大聖堂の光景です。前兆95メートルとされる身廊の外観光景になります。左端が身廊の西側のファサード、中央やや右手に見えているのが、翼廊の南側のファサードになります。

    ほぼ南側から眺めた、ピサ大聖堂の光景です。前兆95メートルとされる身廊の外観光景になります。左端が身廊の西側のファサード、中央やや右手に見えているのが、翼廊の南側のファサードになります。

  • 少し北側に寄った西側から眺めたピサ大聖堂の光景です。西面のファサードは大聖堂の外観の中では、最も見応えがありました。ファサード全面に無数のアーチが5段にわたって整然と並び、2段目から上にはそのアーチとアーチを支えるかのように優美な柱が並んでいます。これらの柱は飾りであり、実際には建物を強度的に支えているわけではありません。

    少し北側に寄った西側から眺めたピサ大聖堂の光景です。西面のファサードは大聖堂の外観の中では、最も見応えがありました。ファサード全面に無数のアーチが5段にわたって整然と並び、2段目から上にはそのアーチとアーチを支えるかのように優美な柱が並んでいます。これらの柱は飾りであり、実際には建物を強度的に支えているわけではありません。

この旅行記のタグ

10いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

イタリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
イタリア最安 317円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

イタリアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP