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ヴェローナ旧市街見学の締め括りは、ローマ円形劇場の紹介です。アレーナ・ディ・ヴェローナと呼ばれるこの劇場は、約2千年前の紀元前後に造られたとされます。翌日のヴェネチア見学に備え、近郊で宿泊しました。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)

2013秋、イタリア旅行記2(40/53):9月30日(7):ヴェローナ(4):ローマ円形劇場、ヴェネチア近郊のホテル

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2013/09/24 - 2013/10/02

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

ヴェローナ旧市街見学の締め括りは、ローマ円形劇場の紹介です。アレーナ・ディ・ヴェローナと呼ばれるこの劇場は、約2千年前の紀元前後に造られたとされます。翌日のヴェネチア見学に備え、近郊で宿泊しました。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)

  •  ヴェローナにある古代 ローマ時代の円形闘技場の『アレーナ・ディ・ヴェローナ』の紹介です。『Arena(アレーナ、アリーナ)』は、ラテン語で『砂』を意味します。これは、闘技あるいは演劇などの催される平土間部分に敷き詰められた砂に由来しています。現在は、夏期の屋外オペラ公演によって有名です。(ウィキペディア)

    ヴェローナにある古代 ローマ時代の円形闘技場の『アレーナ・ディ・ヴェローナ』の紹介です。『Arena(アレーナ、アリーナ)』は、ラテン語で『砂』を意味します。これは、闘技あるいは演劇などの催される平土間部分に敷き詰められた砂に由来しています。現在は、夏期の屋外オペラ公演によって有名です。(ウィキペディア)

  • 長径139メートル、短径110メートルの楕円形のこの闘技場は、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(在位:紀元前27~紀元14年)の統治末期か、あるいは遅くとも30年頃完成したと考えられていますが、正確な日時は特定されていません。もともとはローマ時代の都市を防御していた壁の外側に位置していましたが、市域の拡張に伴い、現在ではヴェローナ市街地のほぼ中心に位置しています。(同上)

    長径139メートル、短径110メートルの楕円形のこの闘技場は、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(在位:紀元前27~紀元14年)の統治末期か、あるいは遅くとも30年頃完成したと考えられていますが、正確な日時は特定されていません。もともとはローマ時代の都市を防御していた壁の外側に位置していましたが、市域の拡張に伴い、現在ではヴェローナ市街地のほぼ中心に位置しています。(同上)

  • 外観は2階建てのアーチです。創建当初は、さらに外周に大理石造りの3階構造のアーチをもつ外壁が存在しましたが、1117年の地震で大部分が倒壊し、僅かにその遺構を北西部に留めるのみです。1117年1月3日の地震の規模はモーメント・マグニチュード6.4以上、ヴェネツィア、パルマ等に被害をもたらしました。(同上)

    外観は2階建てのアーチです。創建当初は、さらに外周に大理石造りの3階構造のアーチをもつ外壁が存在しましたが、1117年の地震で大部分が倒壊し、僅かにその遺構を北西部に留めるのみです。1117年1月3日の地震の規模はモーメント・マグニチュード6.4以上、ヴェネツィア、パルマ等に被害をもたらしました。(同上)

  • 少し離れた場所から眺めた、アレーナのほぼ全景です。古代ローマ時代、はじめは闘技士による人間対人間の闘技が主流であったと考えられていいます。2世紀頃からは『ヴェナティオ(venatio:狩り)』と呼ばれる、人間対猛獣の競技が多く催されたとされます。観客席は44段の大理石製で、収容人数は約25,000人とされます。(同上)

    少し離れた場所から眺めた、アレーナのほぼ全景です。古代ローマ時代、はじめは闘技士による人間対人間の闘技が主流であったと考えられていいます。2世紀頃からは『ヴェナティオ(venatio:狩り)』と呼ばれる、人間対猛獣の競技が多く催されたとされます。観客席は44段の大理石製で、収容人数は約25,000人とされます。(同上)

  • 地震被害による復旧工事の際、ヴェローナ郊外から、市街中心地に移されたアレーナのズームアップ光景です。移築はされましたが、遺跡の私財が多く使われているようでした。キリスト教徒に対する拷問・処刑も3世紀頃、ローマ帝国の闘技場で一般的には行われていましたが、ここヴェローナに関する限りアレーナがそれに用いられたとする確実な証拠はないようです。(同上)

    地震被害による復旧工事の際、ヴェローナ郊外から、市街中心地に移されたアレーナのズームアップ光景です。移築はされましたが、遺跡の私財が多く使われているようでした。キリスト教徒に対する拷問・処刑も3世紀頃、ローマ帝国の闘技場で一般的には行われていましたが、ここヴェローナに関する限りアレーナがそれに用いられたとする確実な証拠はないようです。(同上)

  • 『ガッリエヌス帝』の軍人皇帝時代(単独在位:260~268年)頃から、こうした都市闘技場の利用は廃れる傾向にあったようです。『西ローマ帝国(285~476年)』のテオドシウス王朝の『ホノリウス帝(在位:393~423年)』の時代には、残忍な闘技等への禁令が発布されました。ただし、テオドシウス1世の次男のホノリウス帝は、『西ローマ帝国』の実質的な滅亡の一因を作った暗君として知られます。『テオドシウス朝』は、379年に東方正帝として即位したテオドシウス1世から始まるローマ帝国の王朝です。西方正帝のグラティアヌスの死後は、次第に西方正帝を傀儡化し、ローマ帝国の東西領域を実質的に単独支配しました。(同上)

    『ガッリエヌス帝』の軍人皇帝時代(単独在位:260~268年)頃から、こうした都市闘技場の利用は廃れる傾向にあったようです。『西ローマ帝国(285~476年)』のテオドシウス王朝の『ホノリウス帝(在位:393~423年)』の時代には、残忍な闘技等への禁令が発布されました。ただし、テオドシウス1世の次男のホノリウス帝は、『西ローマ帝国』の実質的な滅亡の一因を作った暗君として知られます。『テオドシウス朝』は、379年に東方正帝として即位したテオドシウス1世から始まるローマ帝国の王朝です。西方正帝のグラティアヌスの死後は、次第に西方正帝を傀儡化し、ローマ帝国の東西領域を実質的に単独支配しました。(同上)

  • 395年のテオドシウス1世の没後、彼の2子によって帝国の分割統治が行われました。帝国の分割統治はそれ以前から行われていたものの、この分割以降にローマ帝国で東西宮廷の対立が深刻となったため、日本ではこの時をもってローマ帝国が東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂したとみなされています。(同上)

    395年のテオドシウス1世の没後、彼の2子によって帝国の分割統治が行われました。帝国の分割統治はそれ以前から行われていたものの、この分割以降にローマ帝国で東西宮廷の対立が深刻となったため、日本ではこの時をもってローマ帝国が東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂したとみなされています。(同上)

  • 東ローマ帝国は450年まで(テオドシウス1世の孫婿にあたるマルキアヌスを含めると457年まで)、西ローマ帝国は455年まで続きました。わずか4か月でしたがテオドシウス1世は、東西に分裂していたローマ帝国を実質的に1人で支配した最後の皇帝となりました。392年にキリスト教を東ローマ帝国の国教に定め 、のちに西ローマ帝国においても同じことをしました。(同上)

    イチオシ

    東ローマ帝国は450年まで(テオドシウス1世の孫婿にあたるマルキアヌスを含めると457年まで)、西ローマ帝国は455年まで続きました。わずか4か月でしたがテオドシウス1世は、東西に分裂していたローマ帝国を実質的に1人で支配した最後の皇帝となりました。392年にキリスト教を東ローマ帝国の国教に定め 、のちに西ローマ帝国においても同じことをしました。(同上)

  • ローマ帝国の前身であるローマ共和国は、紀元前1世紀半ばに『ガイウス・ユリウス・カエサル』が終身独裁官に任命されましたが、紀元前44年に暗殺されました。紀元前31年のアクティウムの海戦でカエサルの養子である『オクタウィアヌス』が『マルクス・アントニウス』と『クレオパトラ』に勝利し、翌年、『オクタウィアヌス』はプトレマイオス朝エジプトを征服し、紀元前4世紀のマケドニア王国のアレキサンダー大王の征服から始まったヘレニズム時代に終止符を打ちました。その後、オクタウィアヌスの権力は揺るぎないものとなり、紀元前27年にローマ元老院は正式にオクタウィアヌスに全権と新しい称号アウグストゥスを与え、事実上彼を『初代ローマ皇帝』としました。(同上)、このあたりの描写は、カエサル贔屓の塩野七生さんの『ローマ人の物語』が詳しいところです。古代ローマ時代の紹介は、ここで終わりとします。

    ローマ帝国の前身であるローマ共和国は、紀元前1世紀半ばに『ガイウス・ユリウス・カエサル』が終身独裁官に任命されましたが、紀元前44年に暗殺されました。紀元前31年のアクティウムの海戦でカエサルの養子である『オクタウィアヌス』が『マルクス・アントニウス』と『クレオパトラ』に勝利し、翌年、『オクタウィアヌス』はプトレマイオス朝エジプトを征服し、紀元前4世紀のマケドニア王国のアレキサンダー大王の征服から始まったヘレニズム時代に終止符を打ちました。その後、オクタウィアヌスの権力は揺るぎないものとなり、紀元前27年にローマ元老院は正式にオクタウィアヌスに全権と新しい称号アウグストゥスを与え、事実上彼を『初代ローマ皇帝』としました。(同上)、このあたりの描写は、カエサル贔屓の塩野七生さんの『ローマ人の物語』が詳しいところです。古代ローマ時代の紹介は、ここで終わりとします。

  • 現在のヴェローナのアリーナの使われ方についての紹介です。アレーナは音響的にも優れていて、バックスタンド席でステージ上の息遣いが聞こえるほどです。その巨大な舞台と、古代ローマ時代の大理石遺構の醸し出す独特の雰囲気には、通常のオペラハウスとは違った魅力があります。出場する歌手・指揮者・演出家も当代最高レベルの人達です。写真は、アリーナの周りの建物です。(同上)

    現在のヴェローナのアリーナの使われ方についての紹介です。アレーナは音響的にも優れていて、バックスタンド席でステージ上の息遣いが聞こえるほどです。その巨大な舞台と、古代ローマ時代の大理石遺構の醸し出す独特の雰囲気には、通常のオペラハウスとは違った魅力があります。出場する歌手・指揮者・演出家も当代最高レベルの人達です。写真は、アリーナの周りの建物です。(同上)

  • アリーナの出演者は、20世紀最高のソプラノ歌手と称される『マリア・カラス(1923~1977年)』が、1947年のイタリア・デビューの『ラ・ジョコンダ』をこのアレーナで飾りました。ヴェルディ・プッチーニなどを得意とするスター歌手で、ここで歌った経験のない人は考えられないほどとされます。(同上)、写真は、『ブラ広場』と呼ばれるアリーナの周りの建物光景です。

    アリーナの出演者は、20世紀最高のソプラノ歌手と称される『マリア・カラス(1923~1977年)』が、1947年のイタリア・デビューの『ラ・ジョコンダ』をこのアレーナで飾りました。ヴェルディ・プッチーニなどを得意とするスター歌手で、ここで歌った経験のない人は考えられないほどとされます。(同上)、写真は、『ブラ広場』と呼ばれるアリーナの周りの建物光景です。

  • スペクタクル的で観光客にも親しみ深い名オペラ、例えばヴェルディ『アイーダ』(2009年までに50シーズン、549公演)、『ナブッコ』(18シーズン、166公演)、ビゼー『カルメン』(21シーズン、203公演)、プッチーニ『トゥーランドット』(18シーズン、115公演)などが、このアリーナで公演されました。(同上)、以上で、ヴェローナのアリーナでの公演状況の紹介は終わりです。

    スペクタクル的で観光客にも親しみ深い名オペラ、例えばヴェルディ『アイーダ』(2009年までに50シーズン、549公演)、『ナブッコ』(18シーズン、166公演)、ビゼー『カルメン』(21シーズン、203公演)、プッチーニ『トゥーランドット』(18シーズン、115公演)などが、このアリーナで公演されました。(同上)、以上で、ヴェローナのアリーナでの公演状況の紹介は終わりです。

  • 中央に噴水があった丸い形の庭園の光景です。推定も入りますが、イタリアのヴェローナと、オーストリアのザルツブルグが姉妹都市になったのを記念した公園のようでした。その内容を記したらしい石板が芝生の上に設置されていました。

    中央に噴水があった丸い形の庭園の光景です。推定も入りますが、イタリアのヴェローナと、オーストリアのザルツブルグが姉妹都市になったのを記念した公園のようでした。その内容を記したらしい石板が芝生の上に設置されていました。

  • 末尾に『ヴェローナ・1999年10月23日』の表示があった記念碑の紹介です。中央に城郭、その左右に市章のようなヴェローナとザルツブルグのレリーフが飾られていました。そのほかには『VERONA-SALZBULG:1973~1998』等の表示がありました。城郭は、ザルツブルクの『ホーエン・ザルツブルグ城』です。ヴェローナとザルツブルグは1973年に姉妹都市になっています。

    末尾に『ヴェローナ・1999年10月23日』の表示があった記念碑の紹介です。中央に城郭、その左右に市章のようなヴェローナとザルツブルグのレリーフが飾られていました。そのほかには『VERONA-SALZBULG:1973~1998』等の表示がありました。城郭は、ザルツブルクの『ホーエン・ザルツブルグ城』です。ヴェローナとザルツブルグは1973年に姉妹都市になっています。

  • 『パラッツォ・バルビエリ』の正面光景です。『バルビエリ宮』とも呼ばれ、現在はヴェローナの市庁舎として使われている大きな建物です。アリーナの周りの広場に面した場所に立地しています。建設は1836年に始まり、1848年に完成しました。新古典主義と呼ばれる様式の建物です。

    イチオシ

    『パラッツォ・バルビエリ』の正面光景です。『バルビエリ宮』とも呼ばれ、現在はヴェローナの市庁舎として使われている大きな建物です。アリーナの周りの広場に面した場所に立地しています。建設は1836年に始まり、1848年に完成しました。新古典主義と呼ばれる様式の建物です。

  • 『パラッツォ・バルビエリ』のファサードのズームアップ光景です。新古典主義建築(Neoclassical Architecture)は、18世紀後期に、啓蒙思想や革命精神を背景として、フランスで興った建築様式です。ロココ芸術の過剰な装飾性や軽薄さに対する反動として、荘厳さや崇高美を備えた建築が模索されました。しかし、19世紀の歴史主義、様式濫用の中に埋没した様式とされます。ギリシャ・ローマ建築を踏襲した、アカンサスが用いられたコリント式の柱頭の装飾です。

    『パラッツォ・バルビエリ』のファサードのズームアップ光景です。新古典主義建築(Neoclassical Architecture)は、18世紀後期に、啓蒙思想や革命精神を背景として、フランスで興った建築様式です。ロココ芸術の過剰な装飾性や軽薄さに対する反動として、荘厳さや崇高美を備えた建築が模索されました。しかし、19世紀の歴史主義、様式濫用の中に埋没した様式とされます。ギリシャ・ローマ建築を踏襲した、アカンサスが用いられたコリント式の柱頭の装飾です。

  • 雷に打たれたのかも知れません。幹の頭部が立ち枯れていました。日本で見掛ける樹木では、杉か檜の木あたりが似ているようでした。スギ(杉)ですと、ヒノキ科スギ亜科スギ属で日本原産の常緑針葉樹、ヒノキ(檜)ですと、ヒノキ科ヒノキ属の針葉樹で、日本、中国や台湾に分布します。スギやヒノキによく似た禁煙種かも知れません。

    雷に打たれたのかも知れません。幹の頭部が立ち枯れていました。日本で見掛ける樹木では、杉か檜の木あたりが似ているようでした。スギ(杉)ですと、ヒノキ科スギ亜科スギ属で日本原産の常緑針葉樹、ヒノキ(檜)ですと、ヒノキ科ヒノキ属の針葉樹で、日本、中国や台湾に分布します。スギやヒノキによく似た禁煙種かも知れません。

  • ヒマラヤシーダーのように見えた樹木の光景です。ヒマラヤスギ(杉)とも呼ばれる、マツ科ヒマラヤスギ属の常緑針葉樹です。ヒマラヤ山脈西部の標高1500 mから3200 mの地域が原産地です。高さ40~50メートルに成長し、時には60メートル、幹回りは3メートルにも達します。ヒンドゥー教では聖なる木とされ、パキスタンではヒマラヤスギを国の木としています。

    ヒマラヤシーダーのように見えた樹木の光景です。ヒマラヤスギ(杉)とも呼ばれる、マツ科ヒマラヤスギ属の常緑針葉樹です。ヒマラヤ山脈西部の標高1500 mから3200 mの地域が原産地です。高さ40~50メートルに成長し、時には60メートル、幹回りは3メートルにも達します。ヒンドゥー教では聖なる木とされ、パキスタンではヒマラヤスギを国の木としています。

  • 近代の若い兵士姿のようです。右肩に小銃のような武器を吊り下げた姿でした。イメージ的には、イタリアのパルチザンを連想させました。パルチザン(英: partisan)とは、他国の軍隊または反乱軍等による占領支配に抵抗するために結成された非正規軍の構成員のことです。英語ではレジスタンス運動の一部にも適用されます。1943年夏、イタリアのパルチザン達は本格的に決起しました。ナチ・ファシストを相手に、都市だけでなく、山間部や森林で、熾烈な武装レジスタンスを繰り広げました。イタリアのパルチザンを苛烈に弾圧したのは、ナチスドイツです。

    近代の若い兵士姿のようです。右肩に小銃のような武器を吊り下げた姿でした。イメージ的には、イタリアのパルチザンを連想させました。パルチザン(英: partisan)とは、他国の軍隊または反乱軍等による占領支配に抵抗するために結成された非正規軍の構成員のことです。英語ではレジスタンス運動の一部にも適用されます。1943年夏、イタリアのパルチザン達は本格的に決起しました。ナチ・ファシストを相手に、都市だけでなく、山間部や森林で、熾烈な武装レジスタンスを繰り広げました。イタリアのパルチザンを苛烈に弾圧したのは、ナチスドイツです。

  • 台座の文字のズームアップ光景です。『AI CADVTI PER LA LIBERTÀ』の表示がありました。機械翻訳では、『自由のためにCADVTIに』となりました。『自由のために』の部分は理解できましたが『CADVTIに』の部分が分かりませんでした。人名でも、地名でもないようです。『LIBERTÀ』は、『解放』の意味もあるかもしれません。

    台座の文字のズームアップ光景です。『AI CADVTI PER LA LIBERTÀ』の表示がありました。機械翻訳では、『自由のためにCADVTIに』となりました。『自由のために』の部分は理解できましたが『CADVTIに』の部分が分かりませんでした。人名でも、地名でもないようです。『LIBERTÀ』は、『解放』の意味もあるかもしれません。

  • 壁面に飾られたブロンズ製のレリーフの紹介です。『ALLE AQVILE DEL ALPINI』のタイトルがありました。機械翻訳では『アルピニのアクヴィレへ』と翻訳されましたが、残念ながら意味不明です。イメージ的には、鷹と一緒に戦うパルチザンのレリーフでした。

    壁面に飾られたブロンズ製のレリーフの紹介です。『ALLE AQVILE DEL ALPINI』のタイトルがありました。機械翻訳では『アルピニのアクヴィレへ』と翻訳されましたが、残念ながら意味不明です。イメージ的には、鷹と一緒に戦うパルチザンのレリーフでした。

  • 今回の旅行で、最後の宿泊地になった、ヴェネツィア近郊のホテルのフロント光景です。まだ明るいうちに到着できました。ヴェネツィアの英語読みがベニスになります。日本ではシェークスピアの戯曲の『ベニスの商人』は、『ヴェネツィアの商人』と呼ばれることは少ないようですが、和訳の前に英訳が中に入ったためではないでしょうか。

    今回の旅行で、最後の宿泊地になった、ヴェネツィア近郊のホテルのフロント光景です。まだ明るいうちに到着できました。ヴェネツィアの英語読みがベニスになります。日本ではシェークスピアの戯曲の『ベニスの商人』は、『ヴェネツィアの商人』と呼ばれることは少ないようですが、和訳の前に英訳が中に入ったためではないでしょうか。

  • 泊まったホテル内のカウンター・バーの光景です。一人旅行の時でも時々利用しますが、お酒が好きなグループの時には、ロビーかカウンターを利用して、食事の後の二次会、その日の締めの三次会は部屋に集まることもよくありました。残念ながら、グルーでの旅行の数が次第に減ってしまいました。

    泊まったホテル内のカウンター・バーの光景です。一人旅行の時でも時々利用しますが、お酒が好きなグループの時には、ロビーかカウンターを利用して、食事の後の二次会、その日の締めの三次会は部屋に集まることもよくありました。残念ながら、グルーでの旅行の数が次第に減ってしまいました。

  • 泊まったホテルの自室の紹介です。イタリアらしく明るくて、清潔な内装は申し分ありませんでした。少し開けたカーテンの外は、まだ明るい時間帯でした。ただし、夕食の前に周りを散歩するだけの時間はなかった記憶です。フランスでは、それに加えて、気が利いたお洒落な飾りも目にすることが多くありました。

    泊まったホテルの自室の紹介です。イタリアらしく明るくて、清潔な内装は申し分ありませんでした。少し開けたカーテンの外は、まだ明るい時間帯でした。ただし、夕食の前に周りを散歩するだけの時間はなかった記憶です。フランスでは、それに加えて、気が利いたお洒落な飾りも目にすることが多くありました。

  • 同じく、泊まったホテルの自室の紹介です。細長い台が机代わりになっていました。その上に置かれた薄型テレビの政治がらみの場面のようです。イタリアでは2012年12月にマリオ・モンティ首相が辞任し、2013年2月に総選挙が行われ、その結果、『五つ星運動』が躍進し、2013年4月に民主党のエンリコ・レッタ内閣が発足しましたが、1年足らずの短命内閣でした。

    同じく、泊まったホテルの自室の紹介です。細長い台が机代わりになっていました。その上に置かれた薄型テレビの政治がらみの場面のようです。イタリアでは2012年12月にマリオ・モンティ首相が辞任し、2013年2月に総選挙が行われ、その結果、『五つ星運動』が躍進し、2013年4月に民主党のエンリコ・レッタ内閣が発足しましたが、1年足らずの短命内閣でした。

  • 泊まったホテルのシャワールームの紹介です。浴槽はありませんでしたが、私の場合は浴槽があっても、お湯を溜めることはありません。シャワーを利利用するのが長年の習慣になりました。この種のシャワーを利用する機会が増えたのは、上海でよく友達の家に泊めて頂いた15年ほど前頃からです。何不自由なく、このシャワーを利用できました。

    泊まったホテルのシャワールームの紹介です。浴槽はありませんでしたが、私の場合は浴槽があっても、お湯を溜めることはありません。シャワーを利利用するのが長年の習慣になりました。この種のシャワーを利用する機会が増えたのは、上海でよく友達の家に泊めて頂いた15年ほど前頃からです。何不自由なく、このシャワーを利用できました。

  • 泊まったホテルのエレヴェーターホールの光景です。『elevator』のスペルですから、『エレヴェーター』と表記しましたが、日本語では『エレベーター』の表記が広く定着していますので、むしろ『エレヴェーター』の表記には違和感を感じるほどです。『bとV』の一般的な使い分けに従いました。

    泊まったホテルのエレヴェーターホールの光景です。『elevator』のスペルですから、『エレヴェーター』と表記しましたが、日本語では『エレベーター』の表記が広く定着していますので、むしろ『エレヴェーター』の表記には違和感を感じるほどです。『bとV』の一般的な使い分けに従いました。

  • 今日の夕食です。当初予定では、昼にイカ墨スパゲティを食べる予定でしたが、行程変更になりましたので、夕食の時にイカ墨スパゲティが用意されていました。好き嫌いもあるかも知れませんが、独特の風味があります。白ワインで美味しく戴きました。強いて難を言えば、ゆで上げてから時間が経っていたことです。団体客ですから、止むを得ません。

    イチオシ

    今日の夕食です。当初予定では、昼にイカ墨スパゲティを食べる予定でしたが、行程変更になりましたので、夕食の時にイカ墨スパゲティが用意されていました。好き嫌いもあるかも知れませんが、独特の風味があります。白ワインで美味しく戴きました。強いて難を言えば、ゆで上げてから時間が経っていたことです。団体客ですから、止むを得ません。

  • 夕食も白ワインと赤ワインを注文しましたが、全体的には赤ワインが合いそうな食事でしたので、赤ワインの方はデキャンタで注文しました。この後、少しワインを追加したようですが、忘れてしまいました。

    夕食も白ワインと赤ワインを注文しましたが、全体的には赤ワインが合いそうな食事でしたので、赤ワインの方はデキャンタで注文しました。この後、少しワインを追加したようですが、忘れてしまいました。

  • トマトがたっぷりと入った野菜サラダの紹介です。イタリアは、食事と飲物に関しては申し分のない国と思っています。イギリス旅行の時には、仲間内で『イタリア料理店を探し、フランスワインを飲む』のを目標にしましたが、フランスワインはイタリアワインでもスペインワインでも構いません。

    トマトがたっぷりと入った野菜サラダの紹介です。イタリアは、食事と飲物に関しては申し分のない国と思っています。イギリス旅行の時には、仲間内で『イタリア料理店を探し、フランスワインを飲む』のを目標にしましたが、フランスワインはイタリアワインでもスペインワインでも構いません。

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