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イタリア中部に位置するトスカーナ州の州都、フィレンツェの街の紹介です。古代ローマ時代、フィレンツェは『花の女神フローラ』が、街の名前の由来です。イタリア・ルネサンスの発祥の地として、今なお芸術の香りが高い街です。英語読みの『フローレンス』で覚えていた時代もあります。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)

2013秋、イタリア旅行記2(27/53):9月29日(1):フィレンツェ(1):サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

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2013/09/24 - 2013/10/02

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旅人のくまさん

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イタリア中部に位置するトスカーナ州の州都、フィレンツェの街の紹介です。古代ローマ時代、フィレンツェは『花の女神フローラ』が、街の名前の由来です。イタリア・ルネサンスの発祥の地として、今なお芸術の香りが高い街です。英語読みの『フローレンス』で覚えていた時代もあります。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)

  • フィレンツェで泊まったホテルの自室の紹介です。昨日の内にローマからフィレンツェに移動しました。フィレンツェは、ティレニア海から内陸部に90キロ入った、アペニン山脈の西麓に位置します。14世紀初めに始まった、イタリア・ルネサンスの発祥の街として有名です。泊まった宿は、駅にごく近い場所でした。

    フィレンツェで泊まったホテルの自室の紹介です。昨日の内にローマからフィレンツェに移動しました。フィレンツェは、ティレニア海から内陸部に90キロ入った、アペニン山脈の西麓に位置します。14世紀初めに始まった、イタリア・ルネサンスの発祥の街として有名です。泊まった宿は、駅にごく近い場所でした。

  • フィレンツェで泊まったホテルの自室の紹介が続きます。フィレンツェの街の名前で、最初に思い出すのが、イタリアに関する膨大な著作がある『塩野七生(1937~)』さんです。現在はローマ在住のようですが、長い間フィレンツェを拠点に著作活動をされていました。

    フィレンツェで泊まったホテルの自室の紹介が続きます。フィレンツェの街の名前で、最初に思い出すのが、イタリアに関する膨大な著作がある『塩野七生(1937~)』さんです。現在はローマ在住のようですが、長い間フィレンツェを拠点に著作活動をされていました。

  • 洗面室の光景です。可もなし、不可もなしといったところです。塩野七生さんの文庫本は一通り手元にありますが、実は、『ローマ人の物語』を読む前まではあまり好きな作家ではありませんでした。しかし、ヨーロッパ旅行を繰り返している内に、どうしても目を通してみたい歴史とその場所が描かれているのが、塩野さんの一連の著作でした。

    洗面室の光景です。可もなし、不可もなしといったところです。塩野七生さんの文庫本は一通り手元にありますが、実は、『ローマ人の物語』を読む前まではあまり好きな作家ではありませんでした。しかし、ヨーロッパ旅行を繰り返している内に、どうしても目を通してみたい歴史とその場所が描かれているのが、塩野さんの一連の著作でした。

  • 塩野さんの一連の著作は、『小説か?あるいは歴史書か?』を巡っての論争があるようですが、私の場合、『古代ローマの歴史を一番分かり易く、興味深く描いた小説』として、捉えることにしています。事実だけに拘泥した『歴史書』であれば、これだけ広くは読まれなかったでしょうし、作り話だけの小説であれば、これだけ長く読まれることはなかったと思っています。

    塩野さんの一連の著作は、『小説か?あるいは歴史書か?』を巡っての論争があるようですが、私の場合、『古代ローマの歴史を一番分かり易く、興味深く描いた小説』として、捉えることにしています。事実だけに拘泥した『歴史書』であれば、これだけ広くは読まれなかったでしょうし、作り話だけの小説であれば、これだけ長く読まれることはなかったと思っています。

  • 今朝の食事の紹介です。パンやハムにチーズは揃っていましたが、やはり野菜の姿はありませんでした。暖かいコーヒーを注いで、美味しく頂きました。毎日よく歩きますし、昼と夜のワインで、更に食事が進むのかも知れません。

    今朝の食事の紹介です。パンやハムにチーズは揃っていましたが、やはり野菜の姿はありませんでした。暖かいコーヒーを注いで、美味しく頂きました。毎日よく歩きますし、昼と夜のワインで、更に食事が進むのかも知れません。

  • 泊まったホテルを出発して、世界遺産の街のフィレンツェの見学です。必要な身の回りの品だけを携行し、見学に不要な荷物は観光バスに預かってもらった記憶です。停まったホテルは、フィレンツェ中央駅 は、『サンタ・マリア・ノヴェッラ駅』とも呼ばれています。『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』と背中合わせのような場所の駅でした。『ノヴェッラ』は、基礎自治体(コムーネ)の名称です。

    泊まったホテルを出発して、世界遺産の街のフィレンツェの見学です。必要な身の回りの品だけを携行し、見学に不要な荷物は観光バスに預かってもらった記憶です。停まったホテルは、フィレンツェ中央駅 は、『サンタ・マリア・ノヴェッラ駅』とも呼ばれています。『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』と背中合わせのような場所の駅でした。『ノヴェッラ』は、基礎自治体(コムーネ)の名称です。

  • 『サンタ・マリア・ノヴェッラ駅』に停車した電車の光景です。この中央駅は、フィレンツェの街の中心となるドゥオモから徒歩で約8分、650メートルの大変に便利な場所にあります。ローマ、ミラノ、ヴェネツィア等の都市とフィレンツェを結ぶ主要な特急列車が発着するターミナル式の駅です。フィレンツェに四つある駅の中では、観光でフィレンツェを訪れる人にとっては、一番便利な到着駅です。

    『サンタ・マリア・ノヴェッラ駅』に停車した電車の光景です。この中央駅は、フィレンツェの街の中心となるドゥオモから徒歩で約8分、650メートルの大変に便利な場所にあります。ローマ、ミラノ、ヴェネツィア等の都市とフィレンツェを結ぶ主要な特急列車が発着するターミナル式の駅です。フィレンツェに四つある駅の中では、観光でフィレンツェを訪れる人にとっては、一番便利な到着駅です。

  • 同じく、『サンタ・マリア・ノヴェッラ駅』に停車した電車の光景です。1848年にフィレンツェに建立され、駅舎としての歴史はかなり長い建物です。現在の姿になったのは1930年頃とされます。地上階に引き込み式の線路がずらりと並び、地下にはショッピングモールがあります。<br />

    同じく、『サンタ・マリア・ノヴェッラ駅』に停車した電車の光景です。1848年にフィレンツェに建立され、駅舎としての歴史はかなり長い建物です。現在の姿になったのは1930年頃とされます。地上階に引き込み式の線路がずらりと並び、地下にはショッピングモールがあります。

  • シマウマのような模様は、キリスト教文化ではなく、アラビア風のイスラム文化を連想させますが、この建物も、『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』の建物の一部になるようでした。その背後に見える尖塔などは、間違いなく『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』の建物でした。

    シマウマのような模様は、キリスト教文化ではなく、アラビア風のイスラム文化を連想させますが、この建物も、『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』の建物の一部になるようでした。その背後に見える尖塔などは、間違いなく『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』の建物でした。

  • 『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』の歴史の紹介です。1219年、『フラ・ジョヴァンニ・ダ・サレルノ』に導かれた12人のドメニコ会修道士がボローニャからフィレンツェへやってきました。1221年、彼らは小さな『サンタ・マリア・デッレ・ヴィーニェ教会(ぶどう畑の聖母マリア教会)』を入手しました。当時、この地は市壁の外に位置していました。

    『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』の歴史の紹介です。1219年、『フラ・ジョヴァンニ・ダ・サレルノ』に導かれた12人のドメニコ会修道士がボローニャからフィレンツェへやってきました。1221年、彼らは小さな『サンタ・マリア・デッレ・ヴィーニェ教会(ぶどう畑の聖母マリア教会)』を入手しました。当時、この地は市壁の外に位置していました。

  • 『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』の光景です。建築計画は、史料によって記録が大幅に異なりますが、二人のドメニコ会士フラ・シスト・ダ・フィレンツェとフラ・リストーロ・ダ・カンピが携わり、建設自体にはフラ・ヤコポ・パッサヴァンティも参加しました。教会建設は14世紀半ばに完了しましたが、1420年に教皇『マルティヌス5世(在位1417~1431年)により聖別されました。

    『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』の光景です。建築計画は、史料によって記録が大幅に異なりますが、二人のドメニコ会士フラ・シスト・ダ・フィレンツェとフラ・リストーロ・ダ・カンピが携わり、建設自体にはフラ・ヤコポ・パッサヴァンティも参加しました。教会建設は14世紀半ばに完了しましたが、1420年に教皇『マルティヌス5世(在位1417~1431年)により聖別されました。

  • 『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』の前に置かれた、大理石造らしいモニュメントの光景です。教会内部の紹介です。全長99.2メートル、幅23.2メートル、翼廊は最大で61.5メートル余です。T字形の建築平面は、三身廊に分かれていいます。柱はアーチとクロス・ヴォールトを支えられ、六つの柱間は祭壇に近づくにつれ15メートル余りから11.5メートルほどまで幅が狭くなるよう配置されています。錯覚により実際よりも聖堂が大きく見えるよう計算されています。大きな障壁が聖職者だけが立ち入ることができる聖堂内陣と、信者が入ることのできた身廊との間を分けていましたが、トスカーナ大公の『コジモ1世(1519~1574年)』の命により『ジョルジョ・ヴァザーリ(1511~1574年)』の指揮下で1565年から1571年の改装工事で、この仕切りは外されました。

    『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』の前に置かれた、大理石造らしいモニュメントの光景です。教会内部の紹介です。全長99.2メートル、幅23.2メートル、翼廊は最大で61.5メートル余です。T字形の建築平面は、三身廊に分かれていいます。柱はアーチとクロス・ヴォールトを支えられ、六つの柱間は祭壇に近づくにつれ15メートル余りから11.5メートルほどまで幅が狭くなるよう配置されています。錯覚により実際よりも聖堂が大きく見えるよう計算されています。大きな障壁が聖職者だけが立ち入ることができる聖堂内陣と、信者が入ることのできた身廊との間を分けていましたが、トスカーナ大公の『コジモ1世(1519~1574年)』の命により『ジョルジョ・ヴァザーリ(1511~1574年)』の指揮下で1565年から1571年の改装工事で、この仕切りは外されました。

  • 『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』のズームアップ光景です。着工されたのは1350年頃、2年前に没したトゥリーノ・デル・バルデーゼの遺産でファサード下部が白色と緑色の大理石で化粧されました。上部の丸窓は1367年に開けられています。大理石ファサードは、ルネサンス以前に建設が開始され、ようやく1920年に完成しました。フィレンツェ・ルネサンス期の最も重要な建築作品の一つに数えられています。2012年から一般公開されましたが、入場して見学する時間はありませんでした。

    イチオシ

    『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会』のズームアップ光景です。着工されたのは1350年頃、2年前に没したトゥリーノ・デル・バルデーゼの遺産でファサード下部が白色と緑色の大理石で化粧されました。上部の丸窓は1367年に開けられています。大理石ファサードは、ルネサンス以前に建設が開始され、ようやく1920年に完成しました。フィレンツェ・ルネサンス期の最も重要な建築作品の一つに数えられています。2012年から一般公開されましたが、入場して見学する時間はありませんでした。

  • 写真は、現在のフィレンツェの町並み光景です。この辺りの光景は、中世に毛織物業と金融業で栄え、『フィレンツェ共和国』としてトスカーナの大部分を支配した時代からの面影を残しているようでした。14世紀に銀行家として頭角を現したメディチ家の、政敵との争いで衰えた時期もありましたが、フィレンツェの黄金時代と重なりました。15世紀のロレンツォの時代がそのピークでした。

    写真は、現在のフィレンツェの町並み光景です。この辺りの光景は、中世に毛織物業と金融業で栄え、『フィレンツェ共和国』としてトスカーナの大部分を支配した時代からの面影を残しているようでした。14世紀に銀行家として頭角を現したメディチ家の、政敵との争いで衰えた時期もありましたが、フィレンツェの黄金時代と重なりました。15世紀のロレンツォの時代がそのピークでした。

  • 同じく、現在のフィレンツェの町並み光景です。15世紀、フィレンツェのフローリン金貨は、全欧州の貿易の基準通貨となってフィレンツェの商業は世界を支配しました。建築、絵画、彫刻におけるルネサンス芸術は、15世紀に大きく開花し、ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍するルネサンス文化の中心地となり、大きく芸術・文化の大輪が開きました。

    同じく、現在のフィレンツェの町並み光景です。15世紀、フィレンツェのフローリン金貨は、全欧州の貿易の基準通貨となってフィレンツェの商業は世界を支配しました。建築、絵画、彫刻におけるルネサンス芸術は、15世紀に大きく開花し、ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍するルネサンス文化の中心地となり、大きく芸術・文化の大輪が開きました。

  • 『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂』のドームと鐘楼の光景です。フィレンツェにあるキリスト教・カトリックの教会で、フィレンツェの大司教座聖堂です。ドゥオモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成されます。教会の名は『花の(聖母)マリア』の意です。半ば隠れてしまいましたが、巨大なドームが特徴の大聖堂は、イタリアにおける晩期ゴシック建築および初期ルネサンス建築を代表するもので、フィレンツェのシンボルとなっています。(ウィキペディア)

    イチオシ

    『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂』のドームと鐘楼の光景です。フィレンツェにあるキリスト教・カトリックの教会で、フィレンツェの大司教座聖堂です。ドゥオモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成されます。教会の名は『花の(聖母)マリア』の意です。半ば隠れてしまいましたが、巨大なドームが特徴の大聖堂は、イタリアにおける晩期ゴシック建築および初期ルネサンス建築を代表するもので、フィレンツェのシンボルとなっています。(ウィキペディア)

  • 大聖堂の正面玄関に向き合って立っている八角形の建築物の『サン・ジョヴァンニ洗礼堂』の光景です。『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂』に付属する建物の一つです。祭室と壁内通路以外には付室を持たない、非常に単純な形式の八角堂です。ロマネスク様式の最も重要な集中形式の教会建築の一つとされます。(同上)

    大聖堂の正面玄関に向き合って立っている八角形の建築物の『サン・ジョヴァンニ洗礼堂』の光景です。『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂』に付属する建物の一つです。祭室と壁内通路以外には付室を持たない、非常に単純な形式の八角堂です。ロマネスク様式の最も重要な集中形式の教会建築の一つとされます。(同上)

  • 大聖堂の入口正面になる建物光景です。背後に、微かにドームが見えていました。右が鐘楼、左が洗礼堂の建物になります。建物の主軸はほぼ東西に通り、西に八角形の洗礼堂、東にラテン十字の平面の大聖堂が並び、両者の正面玄関が正対します。大聖堂は東に至聖所、西に正面玄関を持ちます。キリスト教では、東はイエス・キリストを象徴する方角とされます。(同上)

    大聖堂の入口正面になる建物光景です。背後に、微かにドームが見えていました。右が鐘楼、左が洗礼堂の建物になります。建物の主軸はほぼ東西に通り、西に八角形の洗礼堂、東にラテン十字の平面の大聖堂が並び、両者の正面玄関が正対します。大聖堂は東に至聖所、西に正面玄関を持ちます。キリスト教では、東はイエス・キリストを象徴する方角とされます。(同上)

  • 高さ約84メートルの『ジョットの鐘楼』の先端部分のズームアップ光景です。大聖堂と同じく赤、白、緑の大理石で作られているゴシック様式の鐘楼です。大聖堂の建設にあたって、1334年に工匠頭に任命された『ジョット・ディ・ボンドーネ(1267頃~1337年)』の名前に因みます。日本でも諸外国でも『ジョット(ジオット)』と呼ばれることが多い画家で、建築家です。その絵画様式は、後期ゴシックに分類され、イタリア・ルネサンスへの先鞭を付けた偉大な芸術家とされます。(同上)

    高さ約84メートルの『ジョットの鐘楼』の先端部分のズームアップ光景です。大聖堂と同じく赤、白、緑の大理石で作られているゴシック様式の鐘楼です。大聖堂の建設にあたって、1334年に工匠頭に任命された『ジョット・ディ・ボンドーネ(1267頃~1337年)』の名前に因みます。日本でも諸外国でも『ジョット(ジオット)』と呼ばれることが多い画家で、建築家です。その絵画様式は、後期ゴシックに分類され、イタリア・ルネサンスへの先鞭を付けた偉大な芸術家とされます。(同上)

  • 『ジョットの鐘楼』の中間部分のズームアップ光景です。左側にドーム屋根の一部も見えています。ジョットと同時代の画家の『ジョヴァンニ・ヴィッラーニ(生年不詳~ 1348年)は、ジョットのことを『この時代における最大の巨匠である。ジョットが描く人物やそのポーズはこの上なく自然に見える。その才能と卓越した技術によってジョットはフィレンツェのお抱え画家となった』と書き残しています。ジョヴァンニ・ヴィッラーニは、フィレンツェの銀行家・政治家で歴史家です。

    『ジョットの鐘楼』の中間部分のズームアップ光景です。左側にドーム屋根の一部も見えています。ジョットと同時代の画家の『ジョヴァンニ・ヴィッラーニ(生年不詳~ 1348年)は、ジョットのことを『この時代における最大の巨匠である。ジョットが描く人物やそのポーズはこの上なく自然に見える。その才能と卓越した技術によってジョットはフィレンツェのお抱え画家となった』と書き残しています。ジョヴァンニ・ヴィッラーニは、フィレンツェの銀行家・政治家で歴史家です。

  • 更にズームアップした、四体の聖人像らしいものが見える、最下部付近の鐘楼の光景です。ジョットは、生前から巨匠としての名声は一貫していて、16世紀後半の画家・伝記作家の『ジョルジョ・ヴァザーリ(1511~1574年)』はその著書で、『それまでの洗練されていなかったビザンティン美術を徹底的に打ち壊し、現在見られるような現実味あふれる素晴らしい絵画をもたらした。200年以上にわたって忘れ去られていた絵画技術を現代に蘇らせた画家である』と絶賛しています。ヴァザーリは、ミケランジェロの弟子です。

    更にズームアップした、四体の聖人像らしいものが見える、最下部付近の鐘楼の光景です。ジョットは、生前から巨匠としての名声は一貫していて、16世紀後半の画家・伝記作家の『ジョルジョ・ヴァザーリ(1511~1574年)』はその著書で、『それまでの洗練されていなかったビザンティン美術を徹底的に打ち壊し、現在見られるような現実味あふれる素晴らしい絵画をもたらした。200年以上にわたって忘れ去られていた絵画技術を現代に蘇らせた画家である』と絶賛しています。ヴァザーリは、ミケランジェロの弟子です。

  • 中央手前が、大聖堂の正面の建物、その背後が大聖堂のドームの光景です。石積み建築のドームとしては、現在でも世界最大のドームのようです。このドームは予算削減と耐久性を考慮し、二重構造のドームで互いを押し合う設計になっていて、木枠を使わずに、煉瓦を積み上げて製作されました。ドームは八角形で、その内径は43メートルとされます。

    中央手前が、大聖堂の正面の建物、その背後が大聖堂のドームの光景です。石積み建築のドームとしては、現在でも世界最大のドームのようです。このドームは予算削減と耐久性を考慮し、二重構造のドームで互いを押し合う設計になっていて、木枠を使わずに、煉瓦を積み上げて製作されました。ドームは八角形で、その内径は43メートルとされます。

  • 大聖堂の入口建物のズームアップ光景です。外観からは4階建てに見えました。最上階が3人の聖人像、3階が大きなバラ窓、二階が三角屋根を持ったファサード風の装飾と壁画、1階部分が大きな扉になっていました。外に建つ人の大きさと比較しますと、4階として紹介した1階分が、優に2階分はありそうでした。先に紹介した入口の建物の側面になるようです。

    大聖堂の入口建物のズームアップ光景です。外観からは4階建てに見えました。最上階が3人の聖人像、3階が大きなバラ窓、二階が三角屋根を持ったファサード風の装飾と壁画、1階部分が大きな扉になっていました。外に建つ人の大きさと比較しますと、4階として紹介した1階分が、優に2階分はありそうでした。先に紹介した入口の建物の側面になるようです。

  • 大聖堂の入口建物の2階のファサードと、3階のバラ窓部分のズームアップ光景です。2階のファサードの左右には、小さな屋根のファサードがあり、その窪みの部分に聖人像が祀られていました。個人的な感想ですが、建物の各所に記された赤い縁取りは、あまり感心しませんが、赤い大理石での化粧のようです。

    大聖堂の入口建物の2階のファサードと、3階のバラ窓部分のズームアップ光景です。2階のファサードの左右には、小さな屋根のファサードがあり、その窪みの部分に聖人像が祀られていました。個人的な感想ですが、建物の各所に記された赤い縁取りは、あまり感心しませんが、赤い大理石での化粧のようです。

  • 右の『ジョットの鐘楼』、左の『大聖堂の入口の建物』の間に見える『大聖堂のドーム』の光景です。天蓋の天頂にあるブロンズ製の球は、彫刻家ヴェロッキオが製作しました。当時、ヴェロッキオの弟子だったレオナルド・ダ・ヴィンチは、このブロンズ球を天蓋に揚げる際に使われたフィリッポの機械に魅了され、スケッチに取って絶賛しています。

    右の『ジョットの鐘楼』、左の『大聖堂の入口の建物』の間に見える『大聖堂のドーム』の光景です。天蓋の天頂にあるブロンズ製の球は、彫刻家ヴェロッキオが製作しました。当時、ヴェロッキオの弟子だったレオナルド・ダ・ヴィンチは、このブロンズ球を天蓋に揚げる際に使われたフィリッポの機械に魅了され、スケッチに取って絶賛しています。

  • 八角形の建築物の『サン・ジョヴァンニ洗礼堂』の屋根の先端部分のズームアップ光景です。装飾部分が少ない、随分とすっきりとした屋根と壁面の光景です。ドーム屋根と同じように、この屋根の上にもブロンズ製らしい球形の飾りがあり、その球形の上に十字架がありました。

    八角形の建築物の『サン・ジョヴァンニ洗礼堂』の屋根の先端部分のズームアップ光景です。装飾部分が少ない、随分とすっきりとした屋根と壁面の光景です。ドーム屋根と同じように、この屋根の上にもブロンズ製らしい球形の飾りがあり、その球形の上に十字架がありました。

  • 斜め前から眺めた『バラ窓』の光景です。時間があれば、入場して内側からバラ窓を眺めたいところですが、それは叶いませんでした。ネットでは、『大聖堂内部の見どころの 一つが、44 枚の美しいステンド グラスの窓。それぞれに旧約および新約聖書に書かれた場面が描かれています』と紹介されていました。内側から眺めたバラ窓も、素晴らしいステンドグラスに違いありません。

    斜め前から眺めた『バラ窓』の光景です。時間があれば、入場して内側からバラ窓を眺めたいところですが、それは叶いませんでした。ネットでは、『大聖堂内部の見どころの 一つが、44 枚の美しいステンド グラスの窓。それぞれに旧約および新約聖書に書かれた場面が描かれています』と紹介されていました。内側から眺めたバラ窓も、素晴らしいステンドグラスに違いありません。

  • 正面からズームアップした、バラ窓と聖人像列の光景です。聖人像列の中央が聖母子像でした。聖母子像のマリア様は、冠を被り、威厳のある姿で表現されていました。右手に棒のような道具(笏)を持ち、左手で幼子イエスを抱えた姿でした。冠と笏は、聖母マリアが『天の后』、『天の元后』、『天の女王』であることを表しているようです。

    正面からズームアップした、バラ窓と聖人像列の光景です。聖人像列の中央が聖母子像でした。聖母子像のマリア様は、冠を被り、威厳のある姿で表現されていました。右手に棒のような道具(笏)を持ち、左手で幼子イエスを抱えた姿でした。冠と笏は、聖母マリアが『天の后』、『天の元后』、『天の女王』であることを表しているようです。

  • 外観で最も重要な部分とされる、大聖堂西側のファサード(正面)はフィレンツェの彫刻家の『アルノルフォ・ディ・カンビオ(1245~1302年)』の設計により、建設と同時に着工されました。カンビオの死後、その設計に基づくファサードは下部のみが完成した状態でした。しかし1490年代には、このファサードは堅固でないという報告がされています。最盛期のメディチ家の当主、『ロレンツォ・デ・メディチ(1449~1492年)』にファサード再建が提議され、市民はこれを支持、さまざまな芸術家によって再建案の議論が重ねられましたが、結論は出ませんでした。

    外観で最も重要な部分とされる、大聖堂西側のファサード(正面)はフィレンツェの彫刻家の『アルノルフォ・ディ・カンビオ(1245~1302年)』の設計により、建設と同時に着工されました。カンビオの死後、その設計に基づくファサードは下部のみが完成した状態でした。しかし1490年代には、このファサードは堅固でないという報告がされています。最盛期のメディチ家の当主、『ロレンツォ・デ・メディチ(1449~1492年)』にファサード再建が提議され、市民はこれを支持、さまざまな芸術家によって再建案の議論が重ねられましたが、結論は出ませんでした。

  • 『大聖堂の正面建物』の全景です。隙間なく装飾が施された、建物と表現するより、『芸術作品』そのものです。これ以上足すことも引くこともできない、完ぺき主義が貫かれているようでした。1689年には、石とセメントの表面に彫刻の代わりに、だまし絵が描かれたこともありましたが、それも剥げ落ち、19世紀までファサードは未完成のままでした。そこでフィレンツェ市議会は最初の構想をもとにファサードを再建することを決定、1864年にコンペティションが行われ、エミリオ・デ・ファブリス設計によるネオ・ゴシック様式のファサードが選ばれました。この工事は1876年に始まり、1887年に完成しました。銅製の巨大な扉は1899年から1903年にかけて製作されたものです。

    イチオシ

    『大聖堂の正面建物』の全景です。隙間なく装飾が施された、建物と表現するより、『芸術作品』そのものです。これ以上足すことも引くこともできない、完ぺき主義が貫かれているようでした。1689年には、石とセメントの表面に彫刻の代わりに、だまし絵が描かれたこともありましたが、それも剥げ落ち、19世紀までファサードは未完成のままでした。そこでフィレンツェ市議会は最初の構想をもとにファサードを再建することを決定、1864年にコンペティションが行われ、エミリオ・デ・ファブリス設計によるネオ・ゴシック様式のファサードが選ばれました。この工事は1876年に始まり、1887年に完成しました。銅製の巨大な扉は1899年から1903年にかけて製作されたものです。

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