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ウフィッツィ美術館の展示品の撮影は出来ませんので、現地で買い求めた公認ガイドからの紹介です。目玉作品は、日本でもよく知られたボッティチェッリの『春』や『ヴィーナスの誕生』などです。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)

2013秋、イタリア旅行記2(52/53:補遺3):ウフィッツィ美術館の展示品(1/2):公式ガイドより

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2013/09/24 - 2013/10/02

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旅人のくまさん

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ウフィッツィ美術館の展示品の撮影は出来ませんので、現地で買い求めた公認ガイドからの紹介です。目玉作品は、日本でもよく知られたボッティチェッリの『春』や『ヴィーナスの誕生』などです。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)

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  • 『春』(1482年頃)<br />板に油性テンペラ<br />サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)<br />

    イチオシ

    『春』(1482年頃)
    板に油性テンペラ
    サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)

  • 『春(部分)』(1482年頃)<br />サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)<br />この作品も、題意を廻って長く論争が続いていると解説がされていました。16世紀にこの作品を見たヴァザーリは、『春を象徴する三美神が、ヴィーナスを花で覆っている』と記しています。中央のヴィーナスの右で、花を纏った女性は女神フローラで間違いないようです。

    『春(部分)』(1482年頃)
    サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)
    この作品も、題意を廻って長く論争が続いていると解説がされていました。16世紀にこの作品を見たヴァザーリは、『春を象徴する三美神が、ヴィーナスを花で覆っている』と記しています。中央のヴィーナスの右で、花を纏った女性は女神フローラで間違いないようです。

  • 『ヴィーナスの誕生』(1484年頃)<br />リンネル布に油性テンペラ<br />サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)<br />公認ガイドブックでは、『ヴィーナスの誕生』は、前世紀に誤って付けられた表題と解説されていました。別の女神のエピソードのようです。

    イチオシ

    『ヴィーナスの誕生』(1484年頃)
    リンネル布に油性テンペラ
    サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)
    公認ガイドブックでは、『ヴィーナスの誕生』は、前世紀に誤って付けられた表題と解説されていました。別の女神のエピソードのようです。

  • 『ヴィーナスの誕生(部分)』(1484年頃)<br />サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)<br />公認ガイドブックによれば、風の神ゼフュロスとアウラが、吹いて波を起こしている場面です。岸辺でマントを持って出迎えるのは、女神ホーラか三美神の一人とされます。

    『ヴィーナスの誕生(部分)』(1484年頃)
    サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)
    公認ガイドブックによれば、風の神ゼフュロスとアウラが、吹いて波を起こしている場面です。岸辺でマントを持って出迎えるのは、女神ホーラか三美神の一人とされます。

  • 『東方三博士の礼拝』(1481年)<br />板に油混合のテンペラ<br />レオナルド・ダ・ヴィンチ(1542~1519年)<br />1481年にスコペートのサン・ドナート教会のアウグスティヌス修道会が発注したものの、ダ・ヴィンチがミラノに出掛け、未完のまま残された作品とされます。

    『東方三博士の礼拝』(1481年)
    板に油混合のテンペラ
    レオナルド・ダ・ヴィンチ(1542~1519年)
    1481年にスコペートのサン・ドナート教会のアウグスティヌス修道会が発注したものの、ダ・ヴィンチがミラノに出掛け、未完のまま残された作品とされます。

  • 『受胎告知(部分:左側)』(1475~1480年頃)<br />板に油混合のテンペラ<br />レオナルド・ダ・ヴィンチ(1542~1519年)<br />2000年3月に修復作業が終了し、明るい色調と細部が明確になり、遠近観が再現したとされます。製作年についてはまだ論争中とされます。

    『受胎告知(部分:左側)』(1475~1480年頃)
    板に油混合のテンペラ
    レオナルド・ダ・ヴィンチ(1542~1519年)
    2000年3月に修復作業が終了し、明るい色調と細部が明確になり、遠近観が再現したとされます。製作年についてはまだ論争中とされます。

  • 『受胎告知(部分:右側)』(1475~1480年頃)<br />板に油混合のテンペラ<br />レオナルド・ダ・ヴィンチ(1542~1519年)<br />小机の装飾等にダ・ヴィンチの師匠のヴェロッキオの影響が強く残るとされます。ヴェロッキオの弟子からは、ダ・ヴィンチやボッティチェッリをはじめ、幾多の秀才が花開きました。

    『受胎告知(部分:右側)』(1475~1480年頃)
    板に油混合のテンペラ
    レオナルド・ダ・ヴィンチ(1542~1519年)
    小机の装飾等にダ・ヴィンチの師匠のヴェロッキオの影響が強く残るとされます。ヴェロッキオの弟子からは、ダ・ヴィンチやボッティチェッリをはじめ、幾多の秀才が花開きました。

  • 『キリスト洗礼』(1473~1478年頃等、諸説)<br />板に油混合のテンペラ<br />アンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435頃~1488年)とレオナルド・ダ・ヴィンチ(1542~1519年)<br />ウィキペディアでは、『1472年から75年にかけてフィレンツェのサン・サルヴィ修道院より依頼を受けて、キリストの洗礼を制作。レオナルド・ダ・ヴィンチに天使や背景などを描かせたというが、キリストや右側に居る洗礼者聖ヨハネの部分にもボッティチェッリやディ・クレディの手が入っているとする研究者もいる』と解説されていました。<br />

    『キリスト洗礼』(1473~1478年頃等、諸説)
    板に油混合のテンペラ
    アンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435頃~1488年)とレオナルド・ダ・ヴィンチ(1542~1519年)
    ウィキペディアでは、『1472年から75年にかけてフィレンツェのサン・サルヴィ修道院より依頼を受けて、キリストの洗礼を制作。レオナルド・ダ・ヴィンチに天使や背景などを描かせたというが、キリストや右側に居る洗礼者聖ヨハネの部分にもボッティチェッリやディ・クレディの手が入っているとする研究者もいる』と解説されていました。

  • 『ヒワ鳥の聖母』(1505~1506年頃)<br />ラファエロ・サンティ (1483~1520年)<br />ラファエロは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠とうたわれています。明確な構成と、雄大な人間性を謳う新プラトン主義を美術作品に昇華したとして高く評価されています。新プラトン主義は、3世紀にプロティノス(205~270年)が開祖した、プラトン哲学と新ピタゴラス主義・アリストテレス主義・ストア主義等を折衷総合して成立した、形而上学・神秘的色彩の濃いギリシア哲学の一派とされます。

    イチオシ

    『ヒワ鳥の聖母』(1505~1506年頃)
    ラファエロ・サンティ (1483~1520年)
    ラファエロは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠とうたわれています。明確な構成と、雄大な人間性を謳う新プラトン主義を美術作品に昇華したとして高く評価されています。新プラトン主義は、3世紀にプロティノス(205~270年)が開祖した、プラトン哲学と新ピタゴラス主義・アリストテレス主義・ストア主義等を折衷総合して成立した、形而上学・神秘的色彩の濃いギリシア哲学の一派とされます。

  • 『聖母子と二天使』(1465年頃)<br />板にテンペラ<br />フィリッポ・リッピ(1406~1469年)<br />ウフィッツィ美術館の展示品の中でも、特に称賛されている作品の1つとされます。ルネサンス中期に活躍したフィリッポ・リッピは、ボッティチェッリの師匠でもありました。私生活では奔放な人だったようです。

    『聖母子と二天使』(1465年頃)
    板にテンペラ
    フィリッポ・リッピ(1406~1469年)
    ウフィッツィ美術館の展示品の中でも、特に称賛されている作品の1つとされます。ルネサンス中期に活躍したフィリッポ・リッピは、ボッティチェッリの師匠でもありました。私生活では奔放な人だったようです。

  • 『ノヴィツィアート祭壇画』(1445年頃)<br />板にテンペラ<br />フィリッポ・リッピ(1406~1469年)<br />玉座の聖母子と、四人の聖人です。2010に修復されています。

    『ノヴィツィアート祭壇画』(1445年頃)
    板にテンペラ
    フィリッポ・リッピ(1406~1469年)
    玉座の聖母子と、四人の聖人です。2010に修復されています。

  • 『聖母戴冠』(1439~1447年頃)<br />板にテンペラ<br />フィリッポ・リッピ(1406~1469年)とその協力者<br />物憂げにこちらを見る、フィリッポ・リッピ自身が左下の方に描かれています。

    『聖母戴冠』(1439~1447年頃)
    板にテンペラ
    フィリッポ・リッピ(1406~1469年)とその協力者
    物憂げにこちらを見る、フィリッポ・リッピ自身が左下の方に描かれています。

  • 『受胎告知』(1457年頃)<br />アレッソ・バルドヴィネッティ<br />

    『受胎告知』(1457年頃)
    アレッソ・バルドヴィネッティ

  • 『東方三博士の礼拝』(1496年)<br />板に油性テンペラ<br />フィリッポ・リッピ(1406~1469年)とその協力者<br />スコペートのアウグスティーノ修道会サン・ドナート教会のために製作された板絵です。同題でダ・ヴィンチに発注されていたものが完成できなかったため、ダ・ヴィンチに代わって製作したとされます。

    『東方三博士の礼拝』(1496年)
    板に油性テンペラ
    フィリッポ・リッピ(1406~1469年)とその協力者
    スコペートのアウグスティーノ修道会サン・ドナート教会のために製作された板絵です。同題でダ・ヴィンチに発注されていたものが完成できなかったため、ダ・ヴィンチに代わって製作したとされます。

  • 『聖母子と聖人達(オットの聖母)』(1486年)<br />板にテンペラ<br />フィリッポ・リッピ(1406~1469年)<br />以前、ヴェッキオ宮殿の審議の間にありましたが、メディチ家の当主、ロレンツォ・デ・メディチ(1449~1492年)に購入されたものです。ロレンツォ・デ・メディチは、ボッティチェリ、リッピなどの芸術家やフィチーノ、ミランドラら人文主義者を多数保護し、芸術・学芸のパトロンとして、祖父コジモと並んで、後世まで模範と仰がれました。

    『聖母子と聖人達(オットの聖母)』(1486年)
    板にテンペラ
    フィリッポ・リッピ(1406~1469年)
    以前、ヴェッキオ宮殿の審議の間にありましたが、メディチ家の当主、ロレンツォ・デ・メディチ(1449~1492年)に購入されたものです。ロレンツォ・デ・メディチは、ボッティチェリ、リッピなどの芸術家やフィチーノ、ミランドラら人文主義者を多数保護し、芸術・学芸のパトロンとして、祖父コジモと並んで、後世まで模範と仰がれました。

  • 『ウルビーノ公爵夫妻の肖像(対画)』(1467~1470年)<br />板にテンペラ<br />ピエロ・デッラ・フランチェスカ (1412~1492年)<br />ピエロ・デッラ・フランチェスカは、イタリア初期ルネサンスを代表する画家です。

    『ウルビーノ公爵夫妻の肖像(対画)』(1467~1470年)
    板にテンペラ
    ピエロ・デッラ・フランチェスカ (1412~1492年)
    ピエロ・デッラ・フランチェスカは、イタリア初期ルネサンスを代表する画家です。

  • 『ウルビーノ公爵夫妻の肖像(対画)』(1467~1470年)<br />板にテンペラ<br />ピエロ・デッラ・フランチェスカ (1412~1492年)

    『ウルビーノ公爵夫妻の肖像(対画)』(1467~1470年)
    板にテンペラ
    ピエロ・デッラ・フランチェスカ (1412~1492年)

  • 『トロの肖像、勝利の馬車(対画)』(1467~1470年)<br />板にテンペラ<br />ピエロ・デッラ・フランチェスカ (1412~1492年)<br />対になった肖像画の裏側に描かれた作品です。

    『トロの肖像、勝利の馬車(対画)』(1467~1470年)
    板にテンペラ
    ピエロ・デッラ・フランチェスカ (1412~1492年)
    対になった肖像画の裏側に描かれた作品です。

  • 『トロの肖像、勝利の馬車(対画)』(1467~1470年)<br />板にテンペラ<br />ピエロ・デッラ・フランチェスカ (1412~1492年)

    『トロの肖像、勝利の馬車(対画)』(1467~1470年)
    板にテンペラ
    ピエロ・デッラ・フランチェスカ (1412~1492年)

  • 『貴婦人の肖像』(1475年頃)<br />板にテンペラ<br />アントニオ・デル・ポッライウォーロ (1429~1498年)<br />2008年に修復作業が完了しています。1400年代のフィレンチェの貴夫人の肖像画です。

    『貴婦人の肖像』(1475年頃)
    板にテンペラ
    アントニオ・デル・ポッライウォーロ (1429~1498年)
    2008年に修復作業が完了しています。1400年代のフィレンチェの貴夫人の肖像画です。

  • 『パラスとケンタウロス』(1482年頃)<br />リンネル布にテンペラ<br />サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)<br />題意については今も見解が分かれているようです。一般的には『理性と本能』等の、対立する性質についての寓話と解釈されているようです。

    『パラスとケンタウロス』(1482年頃)
    リンネル布にテンペラ
    サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)
    題意については今も見解が分かれているようです。一般的には『理性と本能』等の、対立する性質についての寓話と解釈されているようです。

  • 『ポルトガル枢機卿の祭壇画』(1466~1468年)<br />板に油彩<br />アントニオ・デル・ポッライウォーロ (1429~1498年)<br />ピエロ・デル・ポッライウォーロ

    『ポルトガル枢機卿の祭壇画』(1466~1468年)
    板に油彩
    アントニオ・デル・ポッライウォーロ (1429~1498年)
    ピエロ・デル・ポッライウォーロ

  • 『マニフィカトの聖母』(1481~1485年の間で諸説)<br />板にテンペラ<br />サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)<br />1981年に最終修復されました。幼子の左手の赤いザクロは、キリストの受難を暗示しているとされます。開かれた本の頁に聖母祈祷の賛歌(マニフィカト)が記されていることからの題名です。

    『マニフィカトの聖母』(1481~1485年の間で諸説)
    板にテンペラ
    サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)
    1981年に最終修復されました。幼子の左手の赤いザクロは、キリストの受難を暗示しているとされます。開かれた本の頁に聖母祈祷の賛歌(マニフィカト)が記されていることからの題名です。

  • 『ザクロの聖母』(1487年頃)<br />板にテンペラ<br />サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)<br />ボッティチェッリが成熟期に入った頃の作品とされます。

    『ザクロの聖母』(1487年頃)
    板にテンペラ
    サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)
    ボッティチェッリが成熟期に入った頃の作品とされます。

  • 『誹謗』(1495年頃)<br />板にテンペラ<br />サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)<br />ダ・ヴィンチの友人であった銀行家のアントニオ・セニィのために描かれた寓意画です。

    『誹謗』(1495年頃)
    板にテンペラ
    サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)
    ダ・ヴィンチの友人であった銀行家のアントニオ・セニィのために描かれた寓意画です。

  • 『サンタンブロージョの祭壇画』(1467~1470年頃)<br />板にテンペラ<br />サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)<br />1992年に修復作業が行われています。サンドロ・ボッティチェッリが描いた最初の祭壇画とされます。

    『サンタンブロージョの祭壇画』(1467~1470年頃)
    板にテンペラ
    サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)
    1992年に修復作業が行われています。サンドロ・ボッティチェッリが描いた最初の祭壇画とされます。

  • 『玉座の聖母と天使と聖人達』(1484~1486年頃)<br />板にテンペラ<br />ドメニコ・ギルダンダイオ (1449~1494年)<br />ギルダンダイオは、若き日のミケランジェロが初めて師事した画家です。

    『玉座の聖母と天使と聖人達』(1484~1486年頃)
    板にテンペラ
    ドメニコ・ギルダンダイオ (1449~1494年)
    ギルダンダイオは、若き日のミケランジェロが初めて師事した画家です。

  • 『サンマルコの祭壇画(聖母戴冠)』(1488~1490年頃)<br />板にテンペラ<br />サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)<br />1990年に修復されています。ボッティチェッリの成熟期の祭壇画とされます。

    『サンマルコの祭壇画(聖母戴冠)』(1488~1490年頃)
    板にテンペラ
    サンドロ・ボッティチェッリ (1445~1510年)
    1990年に修復されています。ボッティチェッリの成熟期の祭壇画とされます。

  • 『フランチェスコ・デッレ・オペレの肖像』(1494年)<br />板にテンペラ<br />ペルジーノ(1448頃~1523年)<br />ペルジーノは、ルネサンス期のウンブリ派を代表する画家です。彼の友人の象嵌細工の名工の肖像画です。若きラファエロの師だった人です。

    『フランチェスコ・デッレ・オペレの肖像』(1494年)
    板にテンペラ
    ペルジーノ(1448頃~1523年)
    ペルジーノは、ルネサンス期のウンブリ派を代表する画家です。彼の友人の象嵌細工の名工の肖像画です。若きラファエロの師だった人です。

  • 『東方三博士の礼拝』(1504年)<br />板に油彩<br />アルブレヒト・デューラー(1471~1528年)<br />デューラーはドイツのルネサンス期の画家で、この絵は2度目のイタリア旅行直前に描かれました。

    『東方三博士の礼拝』(1504年)
    板に油彩
    アルブレヒト・デューラー(1471~1528年)
    デューラーはドイツのルネサンス期の画家で、この絵は2度目のイタリア旅行直前に描かれました。

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