2013/09/24 - 2013/10/02
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旅人のくまさんさん
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ミラノからヴェローナに移動し、旧市街の見学です。街の中心部には古代ローマ時代の円形競技場跡があり、中世の町並みがよく残っていることから、2000年に世界文化遺産に登録されました。シェークスピアの戯曲、『ロミオとジュリエット』の舞台になった街としても有名です。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)
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ミラノの見学を終えて、イタリア北東部の街、ヴェローナにやって来ました。その見学の前に、この日の昼食です。食事の前に注文した、グラスの白ワインと赤ワインです。イタリアではボトル単位ではなく、グラスでハウス・ワインの注文ができるお店が多く、実に便利です。
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写真紹介しましたが、この料理については記憶が残っていません。デザートだったかもしれません。ワインも料理もおいしくいただいたことだけは確かです。ヴェローナの街の紹介の前に、簡単に歴史等を紹介しておきます。ヴェローナは、イタリア北部のヴェネト州西部にある都市で、その周辺地域を含む人口約26万人の基礎自治体(コムーネ)です。ヴェローナ県の県都になります。
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食事の紹介は端折りましたが、食後のデザートの紹介です。それほど甘くなかったようですから、残さず頂いたような記憶です。ヴェローナの街の中心部には、古代ローマ時代の円形競技場跡が残され、街の象徴となっています。中世の町並みがよく残されていることから、2000年に『ヴェローナ市街』としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。前回のイタリア旅行の年でした。
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ヴェローナは、イタリア北部を流れアドリア海に注ぐ、イタリアで2番目に長い川のアディジェ川に面した街です。その川添の新市街の光景です。昼食のレストランも、この川沿いのホテル内だった記憶です。アディジェ川は、オーストリアとスイス国境に近いアルプス山脈のヴァル・ヴェノスタ上流のレッシェン峠(レージア峠)付近に源を発します。
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アディジェ川に面した、ホテルらしい建物の光景です。ヴェローナの歴史は先史時代に遡ります。先史時代末期には、すでに集落が作られていました。ラエティー人、エトルリア人、ガリア人、ローマ人と交流があったことが出土品からわかっています。先史時代とは、考古学の時代区分の一つで、文献記録が存在する以前の時代を指します。ヴェローナは、紀元前3世紀には共和政ローマ(紀元前509~紀元前27年)との同盟関係に入りました。ガリア人のローマへの進攻、カルタゴとのカンナエの戦いにおいては、ともにローマの同盟都市としてローマ側で戦いました。(ウィキペディア)
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木陰から眺めた、アディジェ川の光景です。ヴェローナは、紀元前1世紀頃には共和政ローマの支配下にあり、紀元前49年にムニキピウムの都市格を得ています。古代ローマの詩人『カトゥルス(紀元前84年頃~紀元前54年頃)』によれば、紀元前1世紀にラテン植民市の都市格を得ていたようです。『ムニキピウム』は、古代ローマ社会の都市国家の中でコロニアに次ぐ大きな集落組織のことです。(同上)
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アディジェ川の光景が続きます。街の基軸通りのデクマヌス・マクシムス(現 Corso Porta Borsari)とカルド・マクシムス(現 Via Cappello)の交点には、市民の集会所であるフォルム(現 エルベ広場)が、都市の入口には紀元前1世紀から1世紀にボルサーリ門やレオーニ門等が造られ、現在でも残っています。また、また、ポストゥミア街道のガビ門は隣接地に移設され、現在もその姿を留めています。(同上)
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アディジェ川に架かる橋の光景です。基軸通りを中心に碁盤の目状に造られた街路は、現在でもヴェローナ旧市街の街路にその姿を見ることができます。アディジェ川の渡河点であるヴェローナは、ローマと北方および東方属州への連絡点として、ポストゥミア街道、クラウディア・アウグスタ街道、ガリカ街道などのローマ街道が交わる交通の要衝にあり、たびたびローマの覇権を争う舞台となりました。(同上)
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イチオシ
ヴェローナでの戦いは、ウェスパシアヌスとウィテリウス (69年)、フィリップス・アラブスとデキウス (249年)、コンスタンティヌス1世とルリキウス(312年)などがあります。ヴェローナは軍人共同のローマ帝国時代、ガッリエヌス帝( 218年頃~268年)によって築かれた城壁をもっていました。ルリキウスは籠城しましたが、『コンスタンティヌス1世(在位:306~337年)』に敗れました。(同上)
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キリスト教の公認後、ヴェローナはゆっくりとキリスト教に改宗していきました。その一方で、たびたびアリウス派をはじめとする異端派の影響を受けました。正統教義を維持したのは『サン・ゼノ聖堂』の司教でした。5世紀にヴェローナは、東ローマ帝国に代わり西ゴート族の支配下になりました。(同上)、以上で、ヴェローナの『古代史』の紹介はお終いです。写真は、『サンピエトロの丘』の光景です。
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ヴェローナの『中世初期史』の紹介です。403年、西ゴート族の初代王の『アラリック1世(在位:395~410年)』は、ダルマティアからポー平原へ出て、ヴェローナに立て籠もりました。これは西ローマ帝国軍の司令官スティリコにより撃退されましたが、452年、フン族の王『アッティラ(406?~453年)』が50万の軍勢を率いて、ヴェローナの近くまで来襲しました。(ウィキペディア)
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ここからは、ヴェローナ旧市街の紹介ですが、『中世初期史』の紹介を続けます。452年のフン族の軍勢の移動は、教皇レオ1世と皇帝の使節により説得されて止まりました。これはレオ1世の説得の言葉と多額の貢納金が功を奏したようです。ローマ帝国が東西に分裂した後、476年、ローマ帝国の軍人の『オドアケル(433~493年)』に西ローマ皇帝のロムルス・アウグストゥスは追放されました。(同上)
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中世時代を思い起こさせる、頑丈な扉と、その扉の前の馬車(戦車)の侵入防止用らしい鋲が設置された光景です。ヴェローナの『中世初期史』の紹介が続きます。イタリア王を称したオドアケルは、ローマ式の統治を行い、社会は安定し、農業と経済に好影響を与えました。しかしオドアケルの統治は、東ゴート族の初代王『テオドリック(454~526年)』によって終わりました。オドアケルはヴェローナを要塞化し、489年、テオドリックと戦いましたが、敗れてラヴェンナへ敗走、のちに殺害されました。(同上)
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ローマ帝国時代の遺跡でしょうか、遺跡か、再建されたものか、判断が付きませんでした。テオドリックは、ヴェローナに軍隊を集め、自らも滞在しました。このためヴェローナは事実上の都となりました。テオドリックはヴェローナの城壁を修復しましたが、東ローマ帝国に敗れ、東ゴート王国が滅びると、ヴェローナは東ローマ帝国下入りましたが、その時期は短く、6世紀半ばに終わりました。(同上)
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568年、ランゴバルト族の王『アルボイノ(在位:560~572年)、イタリア王(在位:568~572年)』は、ヴェローナ、ラヴェンナ、イタリアの他の都市に進攻しました。ランゴバルト族は数年の間、街や教会を破壊し、掠奪や殺戮を行いましたが、キリスト教に改宗して穏やかな態度を取るように変化したとされます。アルボイノは、ローマ風の名前ですが、ゲルマン人です。(同上)
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由緒や名称などは分かりませんでしたが、街角にあったローマ帝国時代らしい雰囲気を持った彫像の光景です。建物の壁に合わせて嵌め込まれていました。774年、シャルルマーニュはヴェローナでランゴバルトの最後の王デジデリウスを破り、ランゴバルト王国を滅ぼしました。シャルルマーニュは、『フランク王シャルル1世(カール大帝)』とも呼ばれます。彼の息子ピピンは、ヴェローナに発展の基盤をもたらすことになりました。教会に寄進がなされ、記念の『サン・ゼノ聖堂』が建てられました。フランク王国二番目の王朝の『カロリング朝(751~987年)』は、 ピピン3世に始まり、カール大帝の時に西欧全域に亘る大国家となりました。(同上)
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カロリング朝の没落は、ヴェローナの非イタリア人支配の時代の終わりの始まりを告げることになりました。ヴェローナはバイエルン辺境伯、次いでケルンテン辺境伯の領地になりました。この時期、中世初期イタリアを代表する学者である司教・ラテリウスが、たびたび領主代理と市の関係が悪化するたびに登場しています。
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950年、ヴェローナ辺境伯領が設けられ、961年、ドイツとイタリアが一つの王冠のもとに結ばれますと、ヴェローナは、サン・ゼノ修道院長のもと、ドイツ人の王が滞在する唯一のイタリア都市となりました。イタリア統治のための議会や協定が数々ヴェローナで行われました。(同上)、これでヴェローナの『中世初期史』の紹介は終わります。
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道路舗装に使われていた、石灰岩らしい白い敷石の光景です。アンモナイトらしい渦巻き状の化石の断面が浮き出ていました。石灰岩は、比較的風化されにくく、山脈中の高いピークや大きな山となっていることが多いようです。ヒマラヤ山脈のエベレストの頂上や、アルプス山脈のアイガー等は石灰岩でできています。日本では伊吹山や藤原岳や武甲山が、全山・石灰岩です。
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同じく、道路舗装に使われていた石灰岩らしい白い敷石に、アンモナイトらしい渦巻き状の化石の断面が浮き出ていました。石灰岩は石材として一般的に使用され、『ライムストーン』の呼び名で取り扱われています。日本では、ビルの内装等に使われている岩石を、結晶質石灰岩や石灰岩も含めて『大理石』と呼んでいます。国会議事堂の大理石の化石が、新聞などで報道されたこともあります。
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ここからは、ヴェネツィアの『中世盛期からルネサンス史』の紹介です。写真は古代ローマ時代の遺物が展示されて箇所のようです。1117年にヴェローナ近郊を震央とするM6.9の地震が発生しました。この地震によって全体で約3万人が死亡、ヴェローナでは円形闘技場や聖堂・教会などほぼすべての建築物がダメージを受け、ロマネスク様式以前の建築物がほぼ一掃されました。1136年、ヴェローナは都市特許状を得でコムーネとなりました。(ウィキペディア)
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ヴェネツィアは、13世紀には、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の協力を得て、パドヴァ、ヴィチェンツァ、トレントを征服しました。13世紀以降のローマ教皇と皇帝の争いでは、ヴェローナの支配者は、中世イタリアの武人の『エッチェリーノ3世・ダ・ロマーノ(1194~1259年)』のように、概して皇帝派(ギベリン)に付きました。(同上)
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ヴェローナの支配者は、スカリジェリ家(デッラ・スカラ家)、ヴィスコンティ家、パドヴァのカッラーラ家と変わっていき、ヴェローナの支配層の間には憎しみを帯びた熾烈な闘争がありました。その模様は、シェイクスピアの戯曲の中にも描かれています。戯曲の『ロミオとジュリエット』の背景も同様です。(同上)
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パドヴァのカッラーラ家は、ヴェローナの同盟者のひとりでしたが、1402年にヴィスコンティが死ぬと、ヴェローナの支配権を手中に納めました。しかし3年後にはカッラーラ家は滅び、ヴェローナとパドヴァの両方を失うことになりました。1405年にヴェローナはヴェネツィア共和国の支配下に入りました。ルネサンス期のヴェローナは、商業また文化の中心として発展しました。(同上)
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ヴェネツィアの15世紀における人口には振幅が激しく、1511年に38,000人だった人口は1512年には25,000人に減少し、1526年には55,000人に上るが、1530年にはペストのため20,000人に減少しています。数多くの学校が生まれ、ヨーロッパ規模の文化的な活動が展開されました。ヴェネツィア共和国の支配は、1797年の共和国の終焉まで続きました。(同上)、『中世盛期からルネサンス史』の紹介はここまでです。
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『エルベ広場』の紹介です。この広場は、ヴェローナ旧市街中心にあり、シニョーリ広場と共に古代ローマ時代に造られた公共広場フォルムを起源としています。かつて農産物を売る露天市場の中心だったため、代表的な商品であるハーブに因んでハーブ広場と名付けられたようです。ハーブ(野菜)とエルベはほぼ同義語のようです。ヴェネツィアの『近・現代史』の紹介です。ナポレオン・ボナパルトがイタリアに進攻し、ヴェネツィア共和国が滅びますと、ヴェローナはフランスの支配下におかれました。 1797年からはオーストリア領となり、ウィーン体制下でもオーストリアの支配が続きました。1822年にはこの都市で五国同盟の会議が開催され、スペイン立憲革命に対する軍事介入が確認されました。1866年、ヴェネツィアは、イタリア王国領となりました。以上で、ヴェネツィアの簡単な歴史紹介はお終いです。
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『エルベ広場』に面して建つ、市庁舎とランベルティの塔の光景です。広場の北東面(長辺)には、1172年に建築が始まった高さ84メートルの赤レンガ造りのランベルティの塔が建ち、この塔に時計が取り付けられたのは1779年のことです。エレベーターも施設され、最上部は物見台になっているようです。
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現在のエルベ広場は、野菜だけではなく、花や服、雑貨、仮面、お土産品などなんでもありで、白いテントの屋台もたくさん並んでいます。広場の中央にある『マドンナの噴水』の光景です。1368年、スカラ家により作られ、ヴェローナの象徴とされています。 スカラ家は、『領主』として13世紀~14世紀にかけてヴェローナを支配した貴族です。『スカラ=はしご』を紋章としています。
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噴水の中央に立つ『ヴェネツィアのマドンナ』のズームアップ光景です。300年頃に 他の場所から運ばれて来た像に、頭と腕は後代に付け足されたされたとされます。古代ローマ時代のこのマドンナ像は、美しいヴェローナを擬人化した姿とされます。手にした巻物には『ヴェローナは正義の伝道者であり、称賛されるのを好む街』、と書かれているようです。
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エルベ広場の周りの建物光景です。広場の周りには、鮮やかなフレスコ画残される16世紀の商人の館の『マッザンティ屋敷』、典型的なバロック様式の『マッフェーイ館』、中世の塔などに囲まれています。また、1405年から1797にかけて、ヴェローナやヴェネト州がヴェネツィアに支配されたため、ヴェネツィアのシンボルの『聖マルコライオン』が建てられました。
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