2013/09/24 - 2013/10/02
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トレヴィの泉は、ローマにある巨大で有名なバロック時代の噴水です。中央に水を司るポセイドンが立ち、左に豊饒の女神・デーメーテール、右に健康の女神・ヒュギエイアが配置されています。13年振りに再訪できました。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)
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コロッセオの見学を終えて、トレヴィの泉に向かう途中の、観光バスの中からの光景です。ネロ皇帝が16歳で即位したところまで紹介姉妹s田が、その後のエピソードの紹介です。最期の言葉は『この世から一人の偉大な芸術家が消え去る』だったとされますが、後代の創作説もあり、真偽は明らかではありません。しかし、自ら歌ったことや劇に出演したとのエピソードはいくつも残っています。
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『ネロ皇帝は、ギリシャで行われていた4年ごとのオリンピア競技会に対抗して、ローマ競技会を計画し、実行しました。5年ごとに開くとしたローマのオリンピックは、2回開催されましたが、ネロの死とともに終了となりました。ローマのオリンピックは『ネロ祭』と呼ばれた壮大なお祭りでした。『パンとサーカス』と形容される内のサーカスです。
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ローマ全体を会場として、アマチュアが競技を楽しんだ競技会は入場無料で行われ、市民により大盛況でした。ネロは暴君として恐れられていましたが、面白いことや新奇なことをする若者として人気があるという側面も持っていました。母のアグリッピナは、息子ネロを帝位につかせるため、その当時、弁論家・著述家として名声を博していた哲学者のセネカ(紀元前1年頃~65年)を呼び寄せました。
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ネロの所信表明演説は、セネカが自身の著書『怒りについて』で述べた考えをもとに、セネカが執筆しています。また、セネカは『寛容について』をネロのために執筆しました。その執筆のきっかけは、ネロ皇帝が罪人の処刑指示書にサインを求められたとき、『文字など知らなければよかったのに』と言ったこととされます。ネロに、自分が持つ道徳心に気づかせるために本を書いたとセネカは述べています。
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ギリシャのオリンピックを真似て行った『ネロ祭』の第2回目は65年に行われましたが、キリスト教徒の迫害によって失墜した人気を挽回するという目的もあったようです。ネロはナイーブな性格で、自分に向けられる敵意に耐えることができなかったと、塩野七生さんは『ローマ人の物語・悪名高き皇帝たち』に書いています。結局は、孤独な独裁者だったのでしょう。
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イチオシ
トレヴィの泉に到着しました。クイリナーレ宮殿の西側、スタンペリア通り沿いのトレヴィ広場にあります。今回は観光バスを利用しましたが、ローマ地下鉄A線バルベリーニ駅から徒歩圏内に位置します。フェリクス水道の泉、パオラの泉とともにローマ三大噴水と称されます。
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ローマ市がの中では、殊に人気が高いトレヴィの泉です。泉の周りには人垣が出来ていました。もともとは、ローマ帝国の初代皇帝の『アウグストゥス(紀元前63~紀元14年)、在位:紀元前27~紀元14年)』が建設したものです。志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、地中海世界を統一して帝政(元首政)を創始、『パクス・ロマーナ(ローマによる平和)』を実現した皇帝です。
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ポーリ宮殿の壁と一体となったデザインで、中央に水を司るネプトゥーヌス(ポセイドーン)が立ち、左に豊饒の女神ケレース(デーメーテール)、右に健康の女神サルース(ヒュギエイア)が配置されています。これら池全体の造作は、ローマ生まれの建築家、『ニコラ・サルヴィ(1697~1751年)』の原案で、彼の友人の『ピエトロ・ブラッチ(1700~1773年)』が制作し、1762年に完成しました。ポーリ宮殿は、もともとはチェーリ宮殿と呼ばれていましたが、1678年にポーリ家の所有となり、その後に所有者が代わりましたが、ポーリ宮殿の名前が定着しています。(ウィキペディア)
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イチオシ
ポーリ宮殿の壁の中央に立つ、『ネプトゥーヌス(ポセイドーン)』の像です。『トレヴィ』の語源については諸説あります。『ローマの水道と噴水』(1977)の著者チェーザレ・ドノーフリオによれば、かつて存在した地名『トレビウム(Trebium)』に由来するとされますが、一般的には『トリーヴィオ(Trivio)』、ラテン語ですと『トリウィウム(trivium)』、すなわち『三つの道』、『三叉路』が語源と考えられています。(同上)
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『ネプトゥーヌス(ポセイドーン)』の像のズームアップ光景です。ポセイドーンは、ギリシャ神話の海と地震を司る神です。オリュンポス十二神の一柱で、最高神ゼウスに次ぐ圧倒的な強さを誇ります。海洋の全てを支配し、全大陸すらポセイドーンの力によって支えられているとされ、怒り狂うと、強大な地震を引き起こして世界そのものを激しく揺さぶります。また、地下水の支配者でもあり、泉の守護神ともされます。(同上)
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健康の女神、『サルース(ヒュギエイア)』のズームアップ光景です。ヒュギエイアは、ギリシア神話に登場する女神で、健康の維持や衛生を司ります。ローマ神話ではサルースの名で呼ばれます。医術の祖アポローンの子の医神アスクレーピオスの娘で、古くはアスクレーピオス信仰において父神の脇侍として信仰されました。父神と同様に一匹の蛇を従えた若い女性として絵画に表されることが多く、薬か水を入れた壺か杯を携えていることもあります。この蛇と杯をモチーフにした「ヒュギエイアの杯」が薬学のシンボルに用いられます。(同上)
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『ネプトゥーヌス(ポセイドーン)』像の上半身のズームアップ光景です。日本語では長母音を省略して『ポセイドン』と呼ばれます。異名の一つに『大地を揺らす神』というものがあり、また、馬との関わりが深く、『競馬の守護神』としても崇められました。その象徴となる聖獣は馬、牡牛、イルカとされ、聖樹は松です。真鍮の蹄と黄金のたてがみを持った馬、または戦車に乗ります。(同上)
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健康の女神、『サルース(ヒュギエイア)』の上半身のズームアップ光景です。父であり、医神のアスクレーピオス信仰が広がるにつれて、ヒュギエイアに対する信仰も高まりました。女性神格であったことで、後には女性の健康を守る神、特にいわゆる婦人病に関しては大きな権能を持つとされ、当時の女性の間に彼女の絵姿や小さな彫像を髪飾りにすることなどが流行しました。(同上)
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豊饒の女神、『ケレース(デーメーテール)』の上半身のズームアップ光景です。日本語では、長母音を省略して『デメテル』とも表記されます。豊穣神であり、穀物の栽培を人間に教えた神とされます。オリュンポス十二神の一柱で、その名は古典ギリシア語で『母なる大地』を意味します。クロノスとレアーの娘で、ゼウスの姉にあたり、女神の中でも最高位の存在の『大女神』と呼ばれています。
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トレヴィの泉に流れ込む清水の光景です。ポーリ公爵の名前に因む建物ですが、かつて有名なローマの詩人、『ジュゼッペ・ジョアチーノ・ベッリィ(1791~1863年)』や、ロシアの詩人、作家で歌手のジナイダ・ヴォルコンスカヤ王女(1792~1862年)など、多くの作家やアーティストが集まりました。今日、宮殿には展示品が代わる無料の博物館を含む中央図書館があります。
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左手前から眺めた、ポーリ公爵の名前に因む建物とトレヴィの泉の光景です。詩人のベッリィの詩の紹介です。『神さまの代理人の座にまで登った、数ある者たち全部の中でも、およそ見たことがない怒鳴りまくる教皇は、手の早い教皇は、とんでもない教皇は、シクストゥスに並ぶ教皇は。身近にいる者ならば誰に対しても手を下すことなど言うにおよばず、たとえキリストさまが相手でも容赦はしない、そしてあからさまに叩き割って見せた。』後段部分は次の事実をさしています。あるとき、木彫のキリスト十字架像が血を滴らせるという噂が広まりました。シクストゥス5世は彫像の内部に仕掛けられた秘密を見抜くや、斧を振り上げて、立ちどころに「叩き割ってみせた」という。(ローマの噴水とシクストゥス5世)
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イチオシ
ローマ教皇(在位:1585~1590年)の『シクストゥス5世(1520~1590年)』は、教皇領の治安回復、ローマ教皇庁の財政立て直しに辣腕をふるい、公共事業に惜しみなく投資して都市ローマを現代に近い形に整備した人です。教皇の即位式には、ローマ滞在中だった大友宗麟たちが派遣した天正遣欧使節のメンバーたちも招かれています。極度に悪化していた教皇庁の財政の建て直しを図り、一般職務の販売、貸付制度の創設、新税の導入を進めた結果、財政は一気に持ち直し、黒字へと転化しました。シクストゥス5世は、同時代人から厳しい批判を浴びていましたが、歴史家達は彼を偉大な教皇の1人に数えています。(ウィキペディア)
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シクストゥス5世は、蓄積した資金を公共建築のためにも惜しみなく投資しました。5年の短い在位でしたが、手掛けられた事業の数は異例な数を記録しました。例えば、サン・ピエトロ大聖堂にはドーム屋根が乗せられ、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂にはシクストゥスのロッジアが、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂にはプレセペのチャペルが建てられました。(同上)
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シクストゥス5世は、クイリナーレ、ラテラン、ヴァチカンの教皇宮殿を改修し、サン・ピエトロ大聖堂広場などに四本のオベリスクを建て、六本の新街路が建設し、6世紀頃に破壊されたローマ水道を復旧し(フェリクス水道の建設)、多数の道路と橋を補修し、農業と工業を振興しました。また、失業者対策として、放置されていたコロッセオの転用計画も立案しましたが、実現前に亡くなりました。(同上)
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豊饒の女神、『ケレース(デーメーテール)』の像の上に飾られていたレリーフのズームアップ光景です。壁のレリーフは、水源となった泉を少女が兵士に指し示す姿(右側)と、アグリッパが指揮を執る状況(左側)です。この写真は左側のレリーフですから、甲冑姿の兵士像は、指揮を執るアグリッパでした。『アグリッパ(紀元前63~紀元前11年)』は、カエサル(シーザー)に見いだされた古代ローマの軍人で政治家です。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの腹心でした。彼の子の一人が大アグリッパです。小アグリッパについては、ネロ皇帝のところで紹介しました。
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『トレヴィの泉』は、元々は古代ローマ時代に皇帝アウグストゥスが作らせたものです。ヴィルゴ水道(ヴェルジネ水道、乙女の水道の意)の終端施設としての人工の泉が場所を替えた後、今の位置になりました。建物最上部に『AQVAM VIRGIMEM』の文字がありましたが、『ヴェルジネ水道』の意味のようです。『ヴェルジネ』は、ラテン語の『ヴィルゴ』のイタリア読みとされます。(同上)
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噴水の部分の彫像は、中央に貝殻の形をした馬車に乗っている海神ネプチューン、その馬車を引っ張っているのは、2頭の馬です。その馬を従えているのは海神トリトーネ(トリトネ)で、2頭の馬は暴れ馬(左側)と、従順な馬(右側)です。異なる海の状況を表しているとされます。(同上)
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『トリトーネ(トリートーン)』は、ギリシア神話に登場する海神です。日本語では、長母音を省略して『トリトン』とも表記されます。海神ポセイドーンとアムピトリーテーの息子で、海中の黄金宮殿で父母とともに暮らし、深海を司る神です。人間の上半身と魚の尾を持つ人魚のような姿で描かれるのが典型とされます。(同上)
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荒れた海を象徴する、暴れ馬を制御するトリトンの像です。父親と同じく、彼もまた三叉の矛(トライデント)を持っています。しかし、彼の最たる特徴は、波を立てたり鎮めたりするためにラッパのように吹く法螺貝です。 高らかに吹き鳴らされるその音は、巨人たちが「強健な野獣のうなり声だ」と勘違いし、逃げ出すほど恐ろしいものとされます。(同上)
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トリートーンはまたローマ神話や叙事詩にも登場します。『アエネーイス』では、トリートーンは、アエネーアースのラッパ吹きミセヌスがほら貝を吹いたことを自らへの挑戦とみなし、その吹奏の才をねたんで海に投じて殺しました。ヘーラクレースがトリートーンと組み合い格闘する場面は、古代ギリシャ美術、とくに黒絵式陶器の定番モチーフの一つです。しかし、これを物語る文献は現存しません。(同上)
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ギリシャ=ローマ時代のある時点で、トリートーンは1柱の神格ではなく、複数いる男の人魚族として描かれるようになりました。トリートーンは『男の人魚(merman:マーマン)』を意味する一般名詞となりました。(同上)
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最後にもう一度紹介する、『トレヴィの泉』の彫刻群の光景です。この泉に水を供給する『ヴィルゴ水道(ヴェルジネ水道)』は、この水道の水源を探索中に技師たちが出会った一人の少女が、清らかな水のわき出る泉を教えてくれたことから、この名がつけられたとされます。
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ポーリ公爵の名前に因む建物の中央最上部の光景です。紋章のような飾りと、その下に説明文があるようでした。その説明文は『CLEMENS Ⅶ PONT MAX』と、その下に『AQVAM VIRGIMEM』の文字がありました。ローマ教皇の『クレメンス7世(1478~1534年)』を指しているようでしたが、詳細は分かりません。『AQVAM VIRGIMEM』は、『ヴェルジネ水道』の意味かも知れません。
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ポーリ公爵の名前に因む建物の中央最上部の紋章らしいもののズームアップ光景です。クレメンス7世(1478~1534年)は、ローマ教皇(在位:1523~1534年)、メディチ家の出身で、本名は『ジュリオ・デ・メディチ』です。教皇レオ10世の下で、枢機卿として有能な手腕を発揮していましたが、教皇に即位した後は不安定な国際情勢に翻弄され、『悲劇の教皇』とも呼ばれました。
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これで、『トレヴィの泉』の紹介はお終いです。相変わらず大勢の見学者でした。この泉に投げ込まれたコインは、掃除機のような機械で水中から吸い上げられるようです。そのお金は、慈善団体当たりに寄付されることを、何かで読んだ記憶もあります。
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