2013/09/24 - 2013/10/02
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旅人のくまさんさん
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昨日はアマルフィの日帰り観光でしたが、この日は早朝にナポリのホテルを出発し、カプリ島の見学です。ナポリ港付近での待ち時間の間、カステル・ヌオヴォを外観見学しました。ナポリ民謡で知られるサンタルチアの海に浮かぶ卵城は、近くでしたが見学を逸しました。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)
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ナポリで二泊したホテルのロビー光景です。今日の午前中は、フェリーでナポリ島に渡っての見学ですから、纏めた荷物を観光バスに預け、小さな荷物だけを手にしての行動になります。
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同じく、ナポリで二泊したホテルの『ホリデー・イン・ナポリ』の玄関先の光景です。少し雲が出ていましたが、今日もまずまずの天気になりそうでした。フェリーが欠航になるような天候は心配する必要がなさそうです。
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初日にも紹介した、ホテル1階ロビーの時計の光景です。一度目にしたら忘れることはない、3個の歯車のようなデザインの柱時計です。時計の針は、上が7時少し過ぎを、右下が6時過ぎを指していました。不確かでしたが、夏時間を上の時計が指しているのかも知れません。現在は夏時間ですから、日本とは7時間の時差です。
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朝のラッシュ時間帯を避けて、少し早い時刻での出発だったようですが、既にラッシュ時間帯に入っていたようです。現在時刻は7時半少し前です。渋滞に遭わなければ、10分前後の距離だったようです。
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大した渋滞には遭いませんでしたから、フェリーポートがあるナポリ港には、7時半少し過ぎに到着しました。少し雲がある朝の光景ですが、次第に青空が広がるような気配の空模様でした。朝焼けの空の光景です。
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イチオシ
同じく、ナポリ港の朝焼けの光景です。ヴェスヴィオ火山がある東の空です。雲が懸かっているのが頂上付近で、その右手に裾野が見えていました。今回利用する船ではありませんが、港には豪華客船のシルエット姿が見えていました。浮かんだ部分だけでも10階建てほどのビルの高さがありそうでした。
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ナポリ港の光景です。今回のカプリ島往きのフェリーは、ベヴェレッロ港からの出航のようです。この後紹介するチケットに『NAPOLI BEVERELLO/CAPRI』の表示がありました。出航予定は8時05分、運行会社は『SNAV(スナブ)社』です。
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ナポリ港の光景が続きます。このフェリーの船腹には『PAUL & SHARK』と『VOLAVIARE』の文字がありました。ナポリ行きのフェリーではないようでした。ポールアンドシャーク』は、『1975年に創業したPAUL & SHARKは、ヨットをはじめとした海の世界にインスピレーションを受け誕生したブランド』、とのネット情報がありました。
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出航までに少しだけ時間がありましたので、すぐ近くにある『カステル・ヌオヴォ』の外観見学です。最初は波止場から眺めたお城の光景です。『マスキオ・アンジョイーノ(Maschio Angioino)』の別名を持つ、フランスに縁が深いお城です。
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同じ場所からズームアップした、『カステル・ヌオヴォ』の丸い尖塔の光景です。『1279年にフランスから南イタリアに渡り、ナポリを治めた「シャルル・アンジュー(1227~1285年)」により王宮として建てられたお城です。カルロ1世として、シチリア王(在位:1266~1282年)、後にナポリ王(在位:1282~1285年)として治世しました』(ウィキペディア)
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先ほどより右手方面の『カステル・ヌオヴォ』の光景です。『カルロ1世は、カペー系アンジュー家(アンジュー=シチリア家)の祖で、フランス王ルイ8世と王妃ブランシュ・ド・カスティーユの子で、兄のルイ9世の末弟です。シチリア王位に就くまでの活躍により、フランス語名を元に「アンジュー伯シャルル:シャルル・ダンジュー」と表記されることが多いようです』(ウィキペディア)
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さらに右手方面のズームアップ光景です。『カルロ1世は、フランス南部やイタリア北部に積極的な勢力拡大を行い、ローマ教皇の支持を得てホーエンシュタウフェン家を滅亡させ、シチリア王国を征服しました。さらには東ローマ帝国の征服と地中海帝国の建設を夢見ましたが、1282年のシチリアの晩祷事件を契機に失敗に終わりました』(ウィキペディア)、ホーエンシュタウフェン朝(1138~1208年、1215~1254年)は、神聖ローマ帝国の王朝です。また、『シチリアの晩祷事件』は『シチリアの晩鐘』とも呼ばれる、住民暴動と虐殺事件です。
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『シチリアの晩祷事件』は、当時シチリア王国は、ホーエンシュタウフェン家を断絶させたフランス王族であるアンジュー家のシャルル・ダンジューが支配しており、イタリア系の住民の間には不満が鬱積していました。また、この時期にシャルル・ダンジューは姻戚関係から滅亡したかつてのラテン帝国の相続権を主張、ローマ教皇とも組んで東ローマ帝国の征服を計画しており住民から強引な食料や家畜の調達などを行い、これが住民の反発を更に強めたと言われます』(同上)
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『1282年3月30日に、アンジュー家の兵の一団がパレルモでシチリア住民の女性に暴行したことに怒った住民が暴徒化しました。たちまちのうちに暴動はシチリア全土に拡大し、4000人ものフランス系の住民が虐殺されました。また、東ローマ遠征用の艦艇も多数が破壊されたようです。この反乱によりシャルルが準備していた遠征計画は大きく狂いました』(同上)
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『シチリアの晩祷事件』が発生した3月30日は、復活祭の翌日に当たる月曜であり、教会の前には大勢の市民が晩祷(夕刻の祈り)を行うため集まっていました。彼らが暴動を開始したとき、晩祷を告げる鐘が鳴ったことから『シチリアの晩祷(晩鐘)』と呼ばれるようになりました』(同上)
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『シャルルと親しかったローマ教皇マルティヌス4世は、十字軍の作戦を妨害したかどで全島民を破門にするという処置を取りました。やがてシャルル側も反撃に出て暴動の鎮圧も時間の問題と思われましたが、8月、突如アラゴン王国のペドロ3世(シャルルが敗死させたシチリア王マンフレーディの娘婿)がシチリアに上陸、シャルルの軍勢を破り、シチリアの王位に即位しました』(同上)
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イチオシ
『このシチリア晩祷戦争以後、シチリア王国はペドロ3世のシチリアと、シャルルのナポリ王国に分裂していきました。『ペドロ3世(1239~1285年)』は、アラゴン王、バレンシア王、バルセロナ伯(在位:1276~1285年)、シチリア王(在位:1282~1285年)でした。ハイメ1世(征服王)と2番目の王妃であるハンガリー王アンドラーシュ2世の王女ヨラーン(ビオランテ)の息子です』(同上)
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『1262年、ペドロはシチリア王マンフレーディの娘であり、シチリア王国の相続人であるコンスタンサと結婚しています。青年期には、父ハイメ1世がムーア人に対するレコンキスタの過程で行った数々の戦争で多くの軍事経験を得ています。1276年に父王ハイメ1世が死去すると、領土はアラゴンとカタルーニャに分割され、長男のペドロにはアラゴンやバレンシア、カタルーニャの大部分が与えられました』(同上)
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『ペドロ3世は、パレルモの住民からの使節を受けると、1282年8月30日にトラーパニからシチリア島に上陸し、9月4日にはパレルモでこの地の王を宣言しました。カルロ1世はメッシーナ海峡を渡ってイタリア本土に逃げることを余儀なくされ、そこでナポリ王国を建てました』(ウィキペディア)、以上で、シチリアを巡るペドロ3世とカルロ1世の争いの紹介はお終いです。
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写真紹介できなかった、サンタルチアの海に浮かぶ『卵城』の紹介です。不思議な名前の由来は、古代ローマの詩人ヴェルギリウスが書き残した伝説に由来します。城の基礎の中に『卵』が置かれていて、それが割れたとき、ナポリの町も終わりを遂げるというものです。古代ローマ時代、ここは『メガリデの小島』と呼ばれ、ローマの軍人ルクッルス(紀元前118~紀元前56年)の別荘が建っていました。
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イチオシ
少し慌ただしかった、『カステル・ヌオヴォ』の外観見学を終えて、ナポリ港に戻ってきました。港に到着した時よりも、随分と明るくなりました。逆光で撮影した豪華客船も、すっきりとした白い姿を見せていました。卵城との関係で紹介したサンタルチア港は、この場所よりも西北側に位置します。イタリア民謡の『サンタルチア』として日本でもよく知られています。
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先に紹介した船腹に『PAUL & SHARK』などの表示があったフェリーの光景です。このブログを記しながら、テノール歌手の『ルチアーノ・パヴァロッティ(1935~2007年)』の『グレーテス・ヒット』のCD2枚組を繰り返し聴きました。その中からの『サンタルチア』の解説です。『パヴァロッティが主演した1982年の映画、「イエス・ジョルジョ」の中のサウンドトラックの1曲』と紹介されていました。
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ナポリ港の電光表示板の光景です。8時05分発のカプリ島往きが表示されていました。次の便が8時20分です。始発は5時台のようでした。パヴァロッティの『グレーテス・ヒット』のCD2枚組の話に戻ります。CD1に21曲、CD2に20曲、併せて41曲の大ヒット曲集です。1968年から1997年の間に録音された曲です。この後、いくつかの曲目を紹介します。
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乗船切符に記された、カプリ島往きのフェリーの出発時刻です。9月27日の日付けと、8時05分の表示がありました。片道40分ほどの行程のようですから、9時前にはカプリ島に到着しそうです。料金も記されていましたが、片道18.8ユーロでした。フェリーは安い料金で一緒に車やバイクも運べます。一方、水中翼船は移動時間が短く、その分料金が高めのようです。
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パヴァロッティの『グレーテス・ヒット』の中からの曲目紹介(その1)です。
〇オ・ソレ・ミオ:『私の太陽』の意味で、パヴァロッティのシンボルの曲です。
〇帰れソレントへ:1902年に英語の歌詞が付けられヒットした失恋の歌です。
〇カタリ・カタリ:1985年録音の、カタリへの未練たっぷりの歌です。
〇フニクリ・フニクラ:ここからも見えるヴェスヴィオ山の登山電車の歌です。 -
パヴァロッティの『グレーテス・ヒット』の中からの曲目紹介(その2)です。
〇カルーソー:イタリアのシンガーソングライターのルチオ・ダルラ(1934~2012年)の曲です。本人の曲も有名ですが、パヴァロッティの絶唱は格別です。
〇サンタ・ルチア:パヴァロッティが主演した、1982年の映画『イエス・ジョルジョ」で歌われました。有名なイタリア・ナポリ民謡です。
〇マイ・ウェイ:ポピュラー界の大御所、フランク・シナトラとのデュエット曲です。曲は、ポール・アンカがシャンソンに英語歌詞をつけシナトラに贈りました。
〇グラナダ:メキシコの作曲家のラーラが、スペインのあこがれの地で1930年に作曲した曲です。三大テノールの競演でも使われた曲です。 -
パヴァロッティの『グレーテス・ヒット』の中からの曲目紹介(その3)です。
〇アヴェ・マリア:グノーの曲と並んで有名なシューベルトの同名の曲です。
〇天使の糧:ベルギー生れで、パリでオルガン奏者を長く務めたフランクの曲です。
〇女心の歌:ヴェルディの歌劇・リゴレットの中のあまりにも有名な歌です。
〇花の歌:ビゼーの歌劇・カルメンの中で、ドン・ホセが歌う切ないアリアです。 -
パヴァロッティの『グレーテス・ヒット』の中からの曲目紹介(その4)です。
〇誰も寝てはならぬ:プッチーニの最後の歌曲・トゥランドットの中の白眉のアリアです。パヴァロッティの定番中の定番となりました。
〇乾杯の歌:ヴェルディの歌劇・椿姫の開幕のすぐ後に歌われる有名な歌です。
〇清きアイーダ:ヴェルディの歌劇・アイーダでのエジプト将軍のアリアです。 -
パヴァロッティの『グレーテス・ヒット』の中からの曲目紹介(その5)です。
〇冷たい手を:プッチーニの歌劇・ボエームで歌ったパヴァロッティの出世作。
〇人知れぬ涙:ドニゼッティの歌劇・愛の妙薬の中で歌った、若い頃の得意曲。
〇あれか、これか:ヴェルディの歌劇リゴレットのパヴァロッティの出世作。
〇夢のように:フロトーの歌劇・マルタで、カルーソーが初めて歌ったアリア。 -
カプリ島へは、次の四つの港からフェリーが就航しています。(2020年時点)
〇ナポリ港から、高速船で約40分、フェリーで約1時間15分
〇イスキア島から、高速船で約40分、フェリーで約1時間30分
〇ソレントから、高速船で約20分
〇サレルノから、高速船で約1時間、フェリーで約2時間
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