2024/09/06 - 2025/09/13
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砂布巾さん
1943年7月24日~9月12日 逮捕、休戦、そして救出(イタリア)
前述のように大戦開始当初、枢軸国寄りの非交戦主義の立場をとっていたムッソリーニは、ヒトラーの電撃戦に心奪われ、「戦勝国」として講和会議に臨むためには参戦が必要と判断し、1940年6月10日に参戦した。フランスと休戦条約を結んだり、イギリス領ソマリランド占領といった部分的成果はあったが、10月28日には常に事後承諾で戦線を拡大していたヒトラーへの意趣返し(この時ヒトラーはイタリア訪問中)でギリシャに上陸してみたが、結局助けを求めるなど、軍事的には重要な役割を果たせなかった。
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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イタリア国内では厭戦気分も高まり、「救国」のため1942年春頃から密かにムッソリーニ逮捕の動きが出てくる。中心となったのは娘婿でもあった外相チアーノ、カステッラーノ准将らである。1943年7月には事態が動いた。10日には連合国軍が16万の兵力でシチリア島に上陸(ハスキー作戦)、逮捕へ決定打となったのが、ヴェネツィア宮(写真)で24日夕方から翌日未明まで10時間にわたって開かれたファシスト大評議会だった。会議では、下院議長のグランディが提出した「統帥権の国王への返還決議」が28人中チアーノも含む19人の賛成で採択され、25日に報告のため国王を訪れた際に、身柄を拘束された。後任の首相には、ギリシャ侵攻時の参謀総長でもあったバドリオが就任した。同日夜の就任演説で「戦いは続く」と述べたように、国内に存在するドイツ軍へ配慮せざるを得なかった。ドイツは新政府を牽制するため、2週間後にはロンメル将軍率いる8個師団をブレンナー峠越えに派遣した。
ヴェネツィア宮殿 (博物館) 城・宮殿
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新政府が次になすべき課題は、ドイツに悟られず連合国側と休戦交渉を行うことだった。大役を担ったのがカステッラーノであった。外交官に変身して陸路中立国スペイン、ポルトガルへ向かい、駐在イギリス大使との接触を図った。リスボンでは本格的な交渉に至ったが、連合国側が求めたのは「無条件降伏」だった。その後曲折を経て、9月3日17時15分にシチリア島カッシービレで休戦協定が締結された。4日に連合国軍の本格的なイタリア本土上陸が「2週間以内である」ことを伝えられた。
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上陸は4日後の8日には行われ、イタリア政府は混乱した。連合国側に遅れること1時間、休戦を公表した。カステッラーノにとってより誤算だったのは、同時に敢行される予定だったローマ近郊への連合国軍の降下作戦(ジャイアント2)が、イタリア側の偽情報で中止になったことだった。ドイツ軍に政府首脳が逮捕される恐れがあったので、夜には国王や首相が急遽南部のブリンディシに逃れた。正統政府温存のための非常措置だった。
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戦後、カステッラーノはG2作戦中止の真相解明に執念を燃やし、作戦が実行されていれば「イタリアの悲劇をせめて軽くし得たものと確信している」と述べている。
ムッソリーニは逮捕以後、各地で監禁されていたが、8月28日以後は中部イタリアの最高峰グラン・サッソ頂上のホテルに居た。9月12日の14時頃、外を眺めていると、突然8機のグライダーが着陸した。そして5分も掛からないうちに身柄が確保された。ヒトラーが差し向けたスコルツェニー率いる親衛隊の救出部隊だった。「この救出劇は第二次大戦中最も劇的な出来事であり、連合国側も一時的にせよドイツ軍の離れ業を手放しで賞賛した」。
https://www.youtube.com/watch?v=ZaWJxVsSKsU -
ムッソリーニは、直ちにミュンヘンに向かいヒトラーと会見。北イタリア、ガルダ湖畔に「イタリア社会共和国」を樹立した。この政府は外務省(現在はホテル・ラウリン)が置かれた町にちなんでサロ政権とも呼ばれたが、実体は名前だけの国でしかなかった。休戦受諾後のイタリアは、ブリンディシに逃れたバドリオ政権、サロ政権のほか、多くの国土がドイツ軍の占領下に置かれた。
イコール・パートナーから徐々に立場が逆転していた両者の関係だが、この時点でムッソリーニはヒトラーの生徒どころか、傀儡に成り下がった。 -
*砂布巾注 サロの町(良い写真じゃあない!)
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イチオシ
占領した20万に及ぶドイツ軍から祖国を解放するため市民が立ち上がり、パルティザンとして果敢な抵抗運動を行い、北進する連合国軍の前衛的役割を果たした。報復による犠牲も多く、ボローニャでは1万4千人余が参加し、戦死者と銃殺者はともに2千人余を数えた。市役所の壁には犠牲になった方々の遺影(写真 名だけの人も)が飾られている。
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連合国側勝利の第三の要因は、あらゆる地域で行われた一般市民による抵抗運動(フランスなどではレジスタンス、ソ連、ユーゴなどではパルティザン)と言える。
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解放直前のローマを舞台に、3人の人物を主人公に実写フィルムを交えて描いた映画がロベルト・ロッセリーニ監督の「無防備都市」だ。結婚式を翌日に控えたピーナは、婚約者が連行されたトラックを追いかけている時に射殺された。パルティザンの闘士マンフレディは、拷問にかけられるが口を割らず息絶えた。ピエトロ神父は、「死ぬことは難しくない。生きることが難しい」の言葉を残して処刑された。
https://www.youtube.com/watch?v=gFL0UeriiIs -
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海外初渡航時の1984年以来、18年振りにローマを訪問した。当時「ムッソリーニが演説したバルコニーです」と聞いた記憶があるが、ヴェネツィア宮殿がその場所。現在博物館になっており、特別展としてミケランジェロ展が開催されていた。追加料金を払って入城したが、最後の部屋がバルコニーのある執務室だそうだ。写真は撮れなかった。
ローマ入りした時の逸話。空港で私服の男が「パスポートを見せろ」と言ってきた。怪しいと思ってコピーを見せて相手にしなかったら、男も血相を変えて銃らしきものまで見せる始末。内心ドキドキしながら無視して歩いていたら、向こうから制服を着た警官が来て話し始めた。安心してパスポートを見せたら男も納得した。 -
ボローニャでYHに泊まった時の逸話。日本から予約したYHには18時頃到着した。受付は閉まっている。隣がレストランだったので、いい加減なイタリア人に備えて、念のためここだけ印刷していた予約の書類を見せたところ、YHのペアレントに連絡してくれた。2時間経ってペアレントが来た。様子がおかしい。ローマと連絡をとったり、引き出しから鍵を探しながら、挙げ句に「寝袋を持っているか」と尋ねる。30分以上待たされ、鍵が見付かったのかチェックイン出来た。やっとゆっくりできたが、蚊が気になって熟睡出来なかった。前日のアレッツォYHではベッドのミシミシの音で寝られなかったし。
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本項目は、木村裕主著「ムッソリーニを逮捕せよ」(新潮社)、「誰がムッソリーニを処刑したか」(講談社)を参考にした。
(本との出会い 2000年6月30日,7月5日 2002年7月訪問)
もくじへ http://4travel.jp/travelogue/10681693
関連項目
「ベニート・ムッソリーニの生誕地と墓地を訪ねて」http://4travel.jp/travelogue/10940231
「仲が悪かった? ヒトラーとムッソリーニ」http://4travel.jp/travelogue/10918401
「ムッソリーニの処刑」 http://4travel.jp/travelogue/10921380
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