2013/09/24 - 2013/10/02
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旅人のくまさんさん
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遺跡からは、焼いたままのパン、テーブルに並べられたままの食事と食器などのほか、、コイン、クリーニング屋のような職業、貿易会社の存在等が確認されました。火砕流の発生とともに、瞬時に時が止まってしまったポンペイでした。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)
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『ネロの凱旋門』の光景です。『ポンペイ遺跡ガイド』からの紹介です。遺跡区分図のRejioⅦに9番として紹介されていました。そのタイトルは『名誉のアーチ』でした。『フォロの北側に位置するジュピター神殿の両脇には、古代にはレンガ造りに大理石で化粧張りされた二つのアーチがありました。東側にあったアーチはわずかに基壇が残るのみで、カリギュラ皇帝に捧げられ、彼の死後取り壊されました』
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『名誉のアーチ』の紹介の続きです。『西側にあったアーチは、ティベリウス帝の息子ドゥルーゾに捧げられたものでした。前出のセシリウス・イオコンドゥスの家に残るラル神の祭壇のレリーフからは、紀元62年の地震で倒壊し、その後建て直して再度装飾された様子が描かれています。フォロの回廊の東側にある出口の北側には二つの半円筒ヴォールトからなる別のアーチがあって、かつては大理石で覆われていました』(同上)
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『上部には大きな水槽が載っていて、正面外側にある泉に水を供給し、ユリウス-クラウディウス朝の諸皇帝の像で飾られていました。 おそらくはゲルマニウスに捧げられたもので、カリギュラ帝のアーチの代わりを果たしていました。ティべリウス帝の時代(紀元14-37年)にはフォルトゥーナ・アウグスタ神殿の近くにメルクリオ通りを跨ぐ形で別のアーチが建てられました。このアーチによって、諸皇帝の祭祀に関連した一連の建物の列が終了します。発掘時期:1816』(同上)、2018年1月6日の発掘(確認)のようです。
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一つの建物の中にお店が3件並んでいました。遺跡がない場所に建てられているようでした。右からカフェテリア、中央がレストラン、左端にピザの看板がありました。ポンペイ遺跡の中では、唯一かも知れないお店のようです。
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名前:『ブドウ(葡萄)』
分類:ブドウ科ブドウ属
分布:コーカサス地方やカスピ海沿岸が原産地。
その他:まだ小さな実の房が付いていました。 -
気持ちよさそうに熟睡していたワンちゃんです。ネット情報によれば、ポンペイのワンちゃんは、野良犬ばかりとされますが、ボランティアの方が餌を与えているので、どのワンちゃんも大人しく、咬みつくことはないと紹介されていました。それを証明するような寝相でした。
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頑丈な金網越しに紹介したのは、モザイクを使った床の装飾光景です。残念ながら、周りの映り込みが激しく詳細な図柄は分かりませんでしたが、四角形のモザイクが隙間なく敷き詰められ、文字や図形などが表現されているようでした。不確かですが、『悲劇詩人の家』の玄関かも知れません。
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同じく、頑丈な金網越しに紹介したのは、モザイクを使った床の装飾光景です。迫基ほどより、奥の部分の光景です。赤色や青色のモザイクタイルを使った図柄や、チェーンのような模様が微かに読み取れました。『悲劇詩人の家』ですと、描かれているのは、『犬の絵』です。ポンペイの複数の家の入口に描かれている絵柄のようでした。
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名前:『イエスズメ(家雀)』
分類:スズメ科スズメ属
分布:南極を除く全大陸に分布する汎存種です。
その他:日本で見かける雀さんより少し大きく、気が強い雀さんです。 -
ローマンコンクリートで固めたらしい石積の上から頭をのぞかせていた、大理石造らしいコリント式オーダーの柱頂部分の光景です。ギリシャが発祥のコリント式オーダーですが、実際に使われたのはローマ時代が多いようです。日本では葉薊(はあざみ)と呼ばれる、アカンサスの意匠が特徴です。
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赤煉瓦を使ったアーチ門の上部のズームアップ光景です。アーチ門の上部のローマンコンクリートの白っぽい造りを含めて、全てオリジナルの姿のままのようでした。火山灰が降り積もったくらいでは強度に影響しなかったように見受けます。
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降り積もった火山灰の影響は全く見られなかったような、赤煉瓦積や石積の塀や壁の光景です。なぜかどっしりとした姿の壺が置かれていました。2千年近く、この場所に置かれたままになっていたようでした。赤煉瓦の塀らしい断面を見る限り、簡単に壊れそうはしない厚みを持っていました。ローマンコンクリートが、隙間を詰めたり接着剤に使われているかも知れません。
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円形ではなく、方形の柱が並んだ街路の光景です。入口左右にみられるように、赤煉瓦を積み上げた柱です。右側の柱に『Arco Onorario』の表示がありましたが、『オノラリオのアーチ』を意味するようでした。前方に見えるのはヴェスヴィオ火山の東側の裾野のようです。
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『ポピディウス・プリスクスのパン屋』の紹介です。『ここでも、他と同様に製粉所とパン屋は一続きになっています。粉とパンの製造は、同じ一つの製造過程に含まれるためです』(ポンペイ遺跡ガイド)、と紹介されていました。遺跡区分図のRejioⅦに位置する場所です。右手に見えるのがパン焼きの窯のようです。
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『小麦は溶岩でできた大きなひき臼で製粉され、このパン屋には5台のひき臼が残されています。 ひき臼は円錐形をした下部(メータ)と砂時計の形をした上部(カティルス)の二つの部分からなっています。 小麦はカティルスに注がれ、奴隷や家畜によってカティルスが回転すると製粉された粉が下に落ちます』(ポンペイ遺跡ガイド)
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イチオシ
写真は、パン屋さんの必需品、小麦を粉にする石臼の光景です。『建物の中央に置かれた大きな窯では、色々な形のパンが焼かれ、できた製品は同じ場所で、小さな空間にカウンターを置いて販売されていました。 このパン屋にはカウンターがないため、製品は注文に応じて作っていたか、卸で売っていたか、あるいはリバニと呼ばれた行商人達が売り歩いたかだと考えられます』(ポンペイ遺跡ガイド)、発掘時期:1820年代と表示してありました。
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石畳ではなく、地肌の平面になっていた一角の光景です。推測になりますが、道路や広場などの公共エリアではなく、空き地になった個人所有だった屋敷跡のように見えました。敷地境の石や、塀の跡が遺跡として残されているようです。
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推測ですが、この空地も、79年の火砕流の時の降灰は処理されたものの、建物跡がそのまま残されている一角のようでした。被災当時に使われていたらしい石臼や大型の壺などが、敷地の片隅に寄せられているだけのようでした。
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周りに深い溝があり、建物から飛び出した、横向きの支柱らしい石の列です。不思議な光景ですが、かつての公衆トイレ跡とされます。支柱の間には丈夫な板などが渡された水洗トイレは、当時の社交の場でもあったようです。支柱がやや手前が低い傾斜になっていました。右上付近に排水用のトンネルが見えていました。現地ガイドさんは、さらりと説明してくれました。
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ここからは『フォロの穀物倉庫』の展示品の紹介です。中に入ることはできませんが、外から眺めることが出来ます。『フォロの西側に広がり、レンガの柱で仕切られた8つの開口部を持つ建物で、果物と野菜の市場として使われていました(フォロ・オリトリオ)。 今日ではポンペイ最大の考古学品の倉庫として使われています』(ポンペイ遺跡ガイド)、遺跡区分図のRejioⅦに位置します。
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『1800年代の終わりからこの都市で行われてきた発掘による出土品9千点以上が、ここに保管されています。ポンペイ最後の10年間に日常の生活で使われた、鍋などのテラコッタ製品、竈や水差し、瓶、アンフォラ、油や葡萄酒、魚精を地中海全域から運搬するための大きな容器などが収蔵されています』(ポンペイ遺跡ガイド)、右手の棚に、人体の石膏像が見えていました。
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イチオシ
『他にも、家々の入り口を飾っていた大理石製のテーブルや噴水用の水槽、犠牲者や犬、樹木の石膏型などが陳列されています。建物は紀元62年の地震の後で建設され、噴火が起きた時点ではまだ工事が完成していなかったのではないかと想像されます』(ポンペイ遺跡ガイド)、『発掘時期:1816-1822』の表示がありましたが、2018年1月6日~2月2日の意味かも知れません。
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夥しい出土品の収蔵で、既に収蔵限界に達しているように見えたポンペイ遺跡内の収蔵庫の光景です。これからも長く続きそうなポンペイ遺跡の発掘調査ですから、その内、別の収蔵庫が確保されそうです。これらは、あくまでも一時保管のようですから、その整理と資料作成なども大変そうです。
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『フォロの穀物倉庫』の展示品の紹介が続きます。右側の棚の下には、大きな壺が並んでいました。推測ですが、もともとこの場所にあり、火砕流と降灰の洗礼を受けたのかも知れません。通路に置かれた透明ケースの中には、俯せ姿の人体の石膏像がありました。
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整然と並べられた遺物置き場の光景です。奥のほうの台の上には、仰向け姿の人体の石膏像が見えていました。中央手前に見える、縁に飾りが付いた箱のような容器も遺物のようです。シリカゲルのような吸湿効果をもあった火山灰が、木材を腐食から守ってくれたのかも知りません。
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コリント式オーダーの柱頂部分の光景です。古代ギリシア建築の建築様式(オーダー)には、ドーリア式、イオニア式とコリント式があります。コリント式オーダーの名は、古代ギリシアの都市国家(ポリス)の一つであるコリントスに由来しますが、一般にアテナイで発達したと考えられています。代表的建造物としては、ローマのパンテオンが挙げられます。
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ポンペイの遺跡群と、その先に見える林の光景です。さらにその先には、うっすらと海の光景が見えているようです。海が見えるとすれば、東側のティレニア海になるようです。ヴェスヴィオ火山からは南側になります。
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イチオシ
ポンペイ遺跡に残る、古代の道路標識です。『ネロの凱旋門』のアーチの先にある壁にワイン壺を運ぶ人物像が彫られています。これは、左から右への一方通の標識とされます。古代ローマでは、一方通行というルールが存在し、標識があり、またそれを守っていたようです。信じられないほどの驚きです。
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先ほど、一方通行の標識のところで、『信じられないほどの驚き』と言ってしまったのは、『ドイツ人の律義さに比べ、イタリア人は大雑把』といった、一般的な評価を何度も耳にしていたからです。ドイツでは、グラスワインを注文した時に、計量器で確認してからカップに注がれたこともありました。『イタリア人は大雑把』は措いておいて、ドイツ人は日本人以上に律義なようです。
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残念ながら、まだ施設名が特定できていません。個人宅ではないような雰囲気もありました。神殿の可能性もあります。中央の建物は頑丈な塀で囲まれ、その周りにもバリケードを思わせる柱跡が並んでいました。
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