2013/09/24 - 2013/10/02
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旅人のくまさんさん
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発掘された時には遺体部分は無くなり、火山灰の中に空洞ができていました。考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどうポンペイ市民の形を再現しました。その展示もありました。約2千年のタイムカプセルの像です。
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ポンペイの世界遺産は『ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域』として、ヴェスヴィオ火山の活動で紀元79年に滅びた町の遺跡が一括して1997年に文化遺産に登録されました。その中心部分がポンペイです。
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現地で撮影した、先ほどの建物の外壁に描かれた壁画です。フレスコ画のようですが、外壁ですから、すっかり色褪せていました。しかし、『秘儀荘』と名付けられた邸宅には、ディオニュソスの秘儀を描いた有名な壁画があり、1900年の時を越え、『ポンペイレッド』と呼ばれる鮮烈な色を留めています。
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同じく、現地で撮影した外壁のフレスコ画らしい絵画の光景です。すり減ったり、褪色してほとんど絵が読み取れませんでしたが、この絵の中央下部に、微かに緑の若葉の絵が確認できました。好き好んで撮影する人は少ないようですから、敢てカメラに収めました。
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建てられた時からは、2千年余り経った石作の建物の光景です。発掘された後、火山灰が取り除かれた後に生えてきたらしい植物が見えていました。最外層は火山灰のセメントで仕上げられているようですが、その内側はレンガ積や石積のようでした。火山灰のセメントは、『ローマン・コンクリート』と呼ばれ、現代のポルトランドセメントに比べ、遥かに耐久性に優れています。
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石造りの建物上部のズームアップ光景です。素材にある程度の大きさを持った医師が使われているようですが、『ローマンコンクリート』を用いて、しっかりと接着されているようでした。小窓のようなものが開いていましたが、2千年を経て形を留めていることに感慨を覚えました。
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シャープな断面を持った出入口門の光景です。両側には長方形に加工された石が積まれ、その上部には、石材とも木材とも判別がむつかしかった黒っぽい板が渡されていましたが、やはり木材のようでした。門柱の左側には『HOSPITIUM SITTⅡ』の表札がありましたが、これは現代の表示品のようです。ラテン語の『宿泊施設Ⅱ』の表札でした。
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居酒屋さんのカウンター化、厨房だったようです。当時のポンペイには、居酒屋やバーが数十から百軒もあったとされます。ローマ帝国が強大になるにつれ、生活は豊かさを増し、労働は各地の戦争で得た奴隷や捕虜が担うようになりました。ポンペイは、ローマの別荘地だった雰囲気が残っているようでした。
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イチオシ
同じく、居酒屋さんのカウンターのズームアップ光景です。富は地中海沿岸に広がる属州からもたらされ、ローマ市民権を持つ者にはほとんど税も課されず、貧者には食糧が配布され、劇場や闘技場で娯楽も楽しめました。いわゆる『パンとサーカス』の世界です。また、優秀な人材であれば、属州からもローマ帝国の為政者のトップにも就任できました。
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『パンとサーカス』は、詩人の『ユウェナリス(紀元60~130年)が古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現です。権力者から無償で与えられる『パン=食糧』と『サーカス=娯楽』によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを揶揄しました。『パンと見世物』とも訳され、愚民政策の例えとして、しばしば用いられる名言であり、警句です。
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現地ガイドさんが案内してくれた、人だかりがしていた建物の入口付近の光景です。『娼館』の出入口でした。この出入口の上部の柱が、色は異なりますが、先ほど紹介した『宿泊施設Ⅱ』の出入口門の上部が木材と判断する材料となりました。補修はされたかもしれませんが、2千年ほど前の建物とは思えない造りです。まさに、タイムカプセルの世界です。
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『娼館』は、ポンペイで約25軒が確認されているようですが、多くは居酒屋などが兼ねていたものとされます。専門に店を構えていたのは一軒だけだったようです。その建物の内部光景です。壁のフレスコ画は、オリジナルのものがそのまま見学できました。
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『娼館』の建物の内部光景が続きます。高い位置に置かれていた絵は、男性像でした。光線は絵画の保存には大敵ですから、『ノー・フラッシュ』の英語表示がありました。英語が生まれたのは、5世紀頃のブリテン島とされます。仏語、独語と肩を並べるようになったのは、詩人で『カンタベリー物語』の著者、『ジェフリー・チョーサ(1343~1400年)』の功績が大きいようです。
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『カンタベリー物語』について、もう少し紹介します。書かれた時期は、イングランド史の中でも騒然とした14世紀の頃でした。カトリック教会は教会大分裂の真っ只中にありました。チョーサーの親友の多くが処刑され、チョーサー自身もロンドンからケントに疎開することを余儀なくされました。日本では鎌倉時代から室町時代に変わった頃です。
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『カンタベリー物語』は、当時の世界の中で、最も優れた文学作品とも言われているようですが、日本ではそれに300年以上も先立つ平安時代に『紫式部(973~1031年)』の『源氏物語』が1021年に生まれています。『その文学レベルはカンタベリー物語を凌駕し、従って、中世の日本文学は世界随一』との論調も目にしたことがあり、納得・満足した覚えがあります。
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『カンタベリー物語』のところで、本題を脱してしまいましたが、個人的には、紫式部の『源氏物語』を更に遡る『万葉集(奈良時代末期の7世紀前半から759年)』も当時の世界で最高の文学作品、江戸時代の『奥の細道(1702年刊)』をはじめとする松尾芭蕉の俳諧文も当時の世界屈指の文学作品と思い込んでいます。半世紀に亘っての愛読書が万葉集と芭蕉句集になりました。
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最後に、『カンタベリー物語』のあらすじを紹介して説明を締め括ります。聖トマス・ベケット廟があるカンタベリー大聖堂への巡礼の途中、たまたま宿で同宿した様々の身分・職業の人々が、旅の退屈しのぎに自分の知っている物語を順に語っていく『枠物語』の形式を取っています。これはイタリアの文学者の『ボッカッチョ(1313~1375年)』の『デカメロン』と同じ構造とされます。
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ポンペイの街の紹介です。街はナポリの南東22kmにあり、当時は海に面した活気ある港町だったようです。その立地が交易に適していることから、ポンペイ商人は地中海を中心に物品を売買していたとされます。最初に潜った街の西南にある『マリーナ門』は『海の門』とも呼ばれています。マリーナ門からの大通りは、かつて港へ繋がっていました。『たびこふれ』を参照しました。
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『マリーナ門から続く坂道を登りきると、軽食を食べられるカフェバーのような店があります。カウンターには暖かい食べ物や飲み物を保温しておけるようになっています。門から街へ入ってきた人々は、ここで軽食をつまみ、まずは腹ごしらえをしたのでしょう』(たびこふれ)、パン屋さんでは出来掛けのパンも見つかっているようです。
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ヴェスヴィオ火山の噴火の時のようです。『真っ黒な噴煙が柱のように上がり、一瞬のうちに辺りは漆黒の闇となった』とされます。『翌日になっても辺りは闇に包まれ、ようやく太陽が顔を覗かせたのは3日目になってから』とも言われます。先にも紹介した小プリニウスは、この3日間の様子を『月の出ていない夜よりまだ暗く、閉め切った室内のような暗闇』(同上)、と表現しています。
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『フォロは公共広場のことです。ここが市民生活の中心となっていました。中心の広場を囲うように裁判所や集会所、神殿が並び、織物の陳列所もありました。ここでは市民、そして各国の商人たちが賑やかに行き交い、あちらこちらで商談が行われていたことが想像されます。街の目抜き通りはアッポンダンツァ通りと呼ばれ、きちんと車道、歩道が分かれていました』(同上)
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『生活用の泉もここにありました。富裕層は自宅に水道を引いていましたが、一般市民は各所配置された泉に水を汲みにきたのです。また、広場からこの通りまでの間には馬止めの石が置かれていることから、歩行者天国だったことが分かっています。日本で言うところの、休日の銀座中央通りのように、車を気にせずショッピングを楽しむ人々で溢れていたことでしょう』(同上)
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当時のポンペイの人口は、1万5千人~2万人と推定されています。そのポンペイの町に造られていた野外円形闘技場は、定員1万人以上の規模です。その理由は、『気候も景色も良かったポンペイに、周辺から遊びにやって来る人々がいかに多かったかということを表しています。富裕なローマ人の邸宅や別荘も沢山ありました』(同上)
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『ポンペイにおいて公衆浴場は、市民たちにとって欠かせないものでした。入湯料は安ブドウ酒の4分の1程度だったことから、浴場は誰もが気軽に入れる場所でした。スタビアーネ浴場やフォロの浴場などは、非常に保存状態が良く、当時の様子を伺い知ることが出来餡巣』(同上)
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『浴場には、温浴、サウナ、水風呂、マッサージ室があり、脱衣所も完備されていました。水盤の中心に通水穴があり温水と蒸気が吹き出すようになっていたサウナ室などは、目の前に当時の様子が甦ってくるようです』、『2000年以上前の人々がどんな街づくりをし、どんな生活をしていたのか手に取るように分かるポンペイ遺跡には、さまざまなドラマが満ちています』(同上)
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古代の水道が、現代に蘇えったようです。蛇口は明らかに現代のものですが、水が流れ出ていました。その蛇口は、オリジナルらしいレリーフを施した石材に取り付けられていました。推測ですが、石造の枠は、水を無駄遣いせず、貯めておくものかも知れません。
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この辺りはフォロ(公共広場)になるようです。中央奥に見える石柱などがその目印です。この後も、神殿跡などを含めて、もう少し詳しく紹介します。整然とした街路を歩いていますと、これが2千年の昔の光景とは思えませんでした。
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イチオシ
雲で頭が隠れたヴェスヴィオス火山をバックにした神殿遺跡の光景です。フォロ(公共広場)から眺めた、ジュピター(ユピテル)神殿と、右が凱旋門(名誉アーチ)です。ジュピター神殿は、高い石柱と、基壇の石段が残されていました。
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大勢の人波です。どうやら『円形闘技場』に向かう人たちのようでした。現地ガイドさんはツアーメンバーが人込みで紛れるのを避けるため、『円形闘技場』をパスして、別のコースを案内してくれました。どうしても『円形闘技場』を見たい人は、自由時間を利用するという判断でした。
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古代ローマ時代の石畳の道路の光景です。馬車がすれ違うことが出来そうな道幅の車道と、両脇には2メートルほどの一段高くなった歩道がありました。建物は半ば廃墟になっていましたが、街路は、現代でもそのまま通用する立派な道が残されていました。
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車道を横断する飛び石の光景です。大雨の時には車道は排水路になり、飛び石で車道を横断することが出来たようです。飛び石の設置は、馬車の車輪の幅を考慮して、うまく通過できるように設置してあるようです。
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