2013/09/24 - 2013/10/02
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旅人のくまさんさん
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ポンペイ遺跡紹介の締め括りです。ポンペイ遺跡が発掘により白日の下に曝されたことにより、止まった時計が再び動き出しました。火山灰が処理されたため、風雨による腐朽が進行し始めました。このままでは危機遺産指定の可能性もあり、このことは日本でも報道されました。今回の旅行の契機の一つともなりました。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・ローマ他)
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最初に右側からの光景を紹介した、名前が分からなかった建物の光景です。時計回りに90度回りましたら、かなりの大きさの建物であることが分かりました。理由は分かりませんでしたが、窓らしいものが見当たりませんでした。結局、謎の建物になってしまいました。
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ここからは、帰り道での撮影になります。現地ガイドさんが、往きとは道を変えて、案内してくれました。発掘調査がまだ済んでいない場所が多くありました。この場所はその前に見学した、発掘調査が済んだ『アポロン神殿』です。『アポロンの聖域はポンペイで最も古い信仰の場所の一つで、マリーナ門から上って町の中心部へと進む道に沿って、重要な位置に建てられています。ポンペイ設立の信仰の神としてアポロンが選ばれたのはカンパーニアにギリシア人、エトルリア人が存在していたことによります』(ポンペイ遺跡ガイド)、と説明されていました。
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風化が進んで、はっきりとはわかりませんでしたが、アカンサスを装飾に使ったコリント様式の石柱のようでした。その傍らにあった、半ば壊れたような施設のズームアップ光景です。ネット情報では、大理石を使った『日時計』とする説明もありました。影を映す場所が決められていたようです。
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『更に深い層まで行った発掘によって出土した壺や奉納品、テラコッタ製の装飾などから、アルカイック期(紀元前6世紀)にはすでに、ここに神殿が建っていたことが判明しています。紀元前3から2世紀にかけて、古い神殿は完全に建て直され、その後ネロ帝の時代に小規模な手直しが行われた外はあの噴火の日まで元の姿を維持してきました』(ポンペイ遺跡ガイド)、写真は、アポロ像(レプリカ)です。
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『紀元前3から2世紀にかけて、古い神殿は完全に建て直され、その後ネロ帝の時代に小規模な手直しが行われた外は、あの噴火の日まで元の姿を維持してきました。神殿は基壇の上に建ち、柱廊で囲まれ、中央の空間には祭壇が置かれていました。 東側の壁には連続した開口部があり、おそらくはテラスのあった壮大な列柱がこの神域と法廷の広場を結んでいました』(同上)、写真は、ディアナ像(レプリカ)です。
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原形を留めないほどに風化した大きな基礎石の上に置かれた、大理石製らしい白い石造の台の光景です。アカンサスを装飾に使ったコリント様式の石柱の基部か、柱頭の部分のようでした。風化した大きな基礎石の上には、サイズがぴったりとした四角の基礎部分がありました。それ以外の建築部分が想像できない不思議な遺物でした。
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『アポロン神殿跡』で撮影した、排水溝らしい施設のアーチの光景です。ローマ帝国の支配下に入ってから整備されたのかも知れませんが、飲み水と、水洗トイレ、ローマ式の風呂やサウナなど、高度に公共施設が整備されたポンペイ遺跡のようでした。フォロやパジリカ、都市を結ぶ石畳の道、屋外闘技場や劇場など、数え上げればきりがないほどです。
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『アポロン神殿跡』は、『ポンペイ遺跡ガイド』には『アポロンの聖域』のタイトルで紹介してありました。その説明文の締め括りの部分の紹介です。『広場では剣闘士の戦いや演劇の上演などアポロンの興行と呼ばれた見世物や、アポロンと双子のディアナを守護者としていた児童(?)たちが行う神を讃える祭りなどが行われました。価値あるブロンズ像のアポロンとディアナはヘレニズム時代の作品で、現在はナポリの考古学博物館に保存されています。発掘時期:1816-1817;1931-1932;1942-1943;1997;2015』(同上)、1816年に発掘調査が始まり、近年(2015年)にも行われていました。
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『アポロン神殿跡』から眺めた、ヴェスヴィオ火山の光景です。見学を終えた後では、山にかかる普通の雲も、つい、火山噴火を連想させるような気持になってしまいます。ヴェスヴィオ火山の最も新しい噴火は、サン・セバスティアーノ村を埋没させた1944年3月22日、富士山も江戸時代中期の1707年に『宝永大噴火』がありました。まったく油断はできません。
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名前:『ローズマリー』
分類:シソ科マンネンロウ属
分布:地中海沿岸地方原産です。
その他:日本でもよく見掛けるようになったハーブの1種です。 -
名前:『ローズマリー』
分類:シソ科マンネンロウ属
分布:地中海沿岸地方原産です。
その他:ローズマリーの花のズームアップ光景です。和名は、マンネンロウ(迷迭香)です。 -
イタリア人の現地ガイドさんが、帰るコースを変更して案内したかったのは、ポンペイには、まだまだ発掘未済や整備途中の施設があり、再訪の価値を教えたかったのかも知れません。前方に見える施設も、まだ立ち入りが許可されていない場所のように見えました。観光客の姿は、まったく見えませんでした。
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見学していない遺跡のズームアップ光景です。一見、整備された施設のようですが、観光客の姿は見えませんでした。当然のことですが、建物単位ではなく、エリア単位で立入り、見学の可否を決める必要があるでしょうから、その段階にはなっていないようでした。
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糸杉のような、細長い常緑樹と、その背後のポンペイ遺跡の光景です。降り積もった火山灰は、17~18世紀頃に除去されたかもしれませんが、平坦地ではない、傾斜地では、観光客の安全確保のための確認と備えに、相当な期間を要することが予想されます。
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参考に『ポンペイ遺跡ガイド』から『ポンペイ遺跡見学のルール』の一部を紹介しておきます。『ポンペイの考古学地区は延べ面積およそ44ヘクタールに及び、そのうち約22ヘクタールが見学可能となっています。遺跡内の歩行面はその性格上不規則ですので、見学中の移動では怪我等の事故が起きないよう充分に注意してください。見学中の事故に対して、文化財保護局では責任を負いかねます。ヴェスヴィオ地区の考古学エリアでは立法府法令81/08に定められた規定が文化財保護規則 (立法府法令 42/2004)に従って適用されます』と決められていました。見学できる範囲は、全体の約半分です。
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この日の昼食です。アマルフィー海岸に向かう前に頂きました。午前中は十分に歩きましたので、まずは水代わりのワイン、ラクリマ・クリスティです。『キリストの涙』と訳されている、ナポリの南東に位置する、ヴェスヴィオ山麓で造られています。この地域の葡萄の樹に、キリストの涙がかかったため素晴らしいワインができるようになった、との言い伝えの名前のワインです。ポンペイ遺跡は、イタリア人の現地ガイドさんと話が弾み、楽しさと、勉強とが織り交ざった有意義な見学となりました。
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ポンペイでの昼食を終えて、アマルフィーに向かいました。最初はソレントに向かい、ソレント半島を横断して、その反対側の付け根付近にアマルフィーはあるようです。右手に見えているのは、ティレニア海の湾の一つナポリ湾です。ソレントは、このナポリ湾に面したソレント半島の先端近くにあります。
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右手前方に見えている島は、明日見学する予定の『カプリ島』です。地形的には、ソレント半島から続く延長線上になります。全く個人的な例え話ですが、ヴェスヴィオ火山が富士山、ソレント半島が伊豆半島、ナポリ湾が駿河湾、ソレントが下田市、カプリ島が伊豆大島といったところです。
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同じく、ティレニア海に浮かぶ『カプリ島』の光景です。カプリ島の山が上昇気流を作っているのでしょうか、山沿いに白い雲がたなびいていました。カプリ島の面積は10.36平方キロ、島の外周は約17キロです。島の最高峰はソラーロ山(589m) で、他にカッペッロ山(515m)、サン・ミケーレ山(262m)、ティベリオ山(334m)、トゥオーロ山(265m)があります。(ウィキペディア)
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『カプリ島』が浮かぶ、『ティレニア海』の紹介です。地中海の海域の一つで、チレニア海とも表記されます。イタリア半島の西側に広がり、コルシカ島、サルデーニャ島、シチリア島に囲まれている海域です。イタリアの首都ローマ、斜塔で有名なピサ、風光明媚な海岸で有名なナポリを初めとして、イタリアの経済の重心が、このティレニア海側に集まっています。(同上)
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『ティレニア海』の海域では、海底での火山活動が活発なことで知られます。殊に、シチリア島の北のエオリア諸島にあるストロンボリ火山は、地中海の灯台と呼ばれるほど見事な噴火をするようです。『ティレニア』の名前は、この海域の沿岸に位置するトスカーナ地方の住人だったエトルリア人を、古代ギリシア人が『テュレニア人』と呼んだことに由来するようです。(同上)
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エトルリア人は、当時のギリシア人など他民族の人々から、リュディアから古代のイタリアへ移ってきた人々と考えられていたようです。一方で、イタリアの地でもっとも早く文化を発達させた民族であり、交易の民で、この地方の代表的存在でもありました。そんな彼らの活躍の場であったため『エトルリア人の海』と呼ばれるようになりました。(同上)
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フィレンツェを州都とする、イタリア中部のトスカーナ地方は、エルトリア人の先住地とされます。現在のトスカーナ州には、イタリア・ルネッサンスの中心地となったフィレンツェをはじめ、ピサ、シエーナなど多くの古都を擁しています。出身者にはダンテ、ボッティチェッリ、ダ・ヴィンチ、マキャヴェッリ、ミケランジェロ、ガリレオ・ガリレイ、プッチーニなど、数えきれないほどの著名人がいます。
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『ティレニア海』のことを紹介していましたら、ソレントの街が近付いてきたようです。ティレニア海の紹介の締め括りです。北部にトスカーナ群島やスペツィア群島が、東部にはフレグレエ諸島やポンツィアーネ諸島が、西部にはコルシカ島やサルデーニャ島が、南部にはシチリア島やエオリア諸島などがあります。
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眼下に見えてきたソレント半島のソレントの町と港の光景です。イタリア共和国カンパニア州ナポリ県にある、人口約1万6000人の基礎自治体(コムーネ)です。ナポリからナポリ湾を挟んで南南東へ約30km、ソレント半島の北海岸に位置する都市です。日本でも『帰れソレントへ』の民謡(カンツォーネ)でよく知られた町の名前です。
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崖の上のソレントの町はまだ見えていますが、ソレント港が次第に見えなくなってしまいました。風光明媚なリゾート地として著名で、また、カプリ島やアマルフィ海岸といった観光地、ナポリやサレルノといった大都市へのフェリーが発着する街です。ソレント半島は、行政上はカンパニア州に属し、ナポリ県とサレルノ県にまたがります。
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ソレント港は見えなくなりましたが、ソレントの街は近付いてきました。アマルフィー海岸に向かうには、ソレントの街の手前で、ソレント半島を横断しないと、だいぶ遠回りになる道筋になります。同じソレント半島でも、ソレントはナポリ県に属し、アマルフィーはサレルノ県に属します。
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ソレントの町並みと、その郊外の光景になります。お別れに『帰れソレントへ』の意訳の歌詞を紹介しておきます。『私は行くわ、さようなら 君は言った 僕の恋心を見捨て 僕の気持ちを置き去りにして 行かないでくれ これ以上僕を苦しめないでくれ ソレントへ帰って来てくれ』
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これでソレントの街と港とはお別れです。ソレント半島を横断して、反対側に向かいます。少しズームアップしたソレントの街の光景です。訳詩者不明の民謡は、『草原遥かに 果て無き野道を さ迷う幾日か 旅の身あわれ 今こそ帰らん 懐かし故郷 幼き昔の 思い出の家 老いたる父母 いかにと思えば 我が胸痛みて 涙は頬に ああソレント 今ぞ帰らん 故郷の我が家』でした。
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ソレント半島を横断した直後の光景になるようです。サレルノ湾に浮かぶ小島が見えていました。アマルフィー海岸も、このサレルノ湾に面しています。『世界一綺麗な海岸』の呼び名があります。念のために『世界一綺麗な海岸』でネット検索しましたら、遅滞なく『アマルフィー海岸』がヒットしました。
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